じゅんじゅん 作

 昔、一匹の鬼の住む山と、ふもとに村が一つありました。年頃になった鬼は、世話をしてくれる女の人が欲しくなったので、村に降りていって捜しました。村人は、鬼の礼儀正しいのと、人間とあまり変わらぬ風貌に、鬼とはもちろん承知していましたけれども、異国の人にするように進んで縁組の手伝いをしてやりました。実際、鬼といっても、体の大きいのや力の強いのを除けば、人間と変わりない、むしろ美しく快活な若者だったのです。その上聡明な鬼の選んだのは、家事が上手く頭が弱く、体の丈夫な、若い、あまり美しくない女でした。女は村中から多大な祝福を受けて、幸せな気持ちで、鬼とたった二人、山に昇って行きました。
 山での生活も、穏やかな暖かいものでした。鬼は妻に常に優しく、だから妻も鬼に、でき得る限りの事をしました。妻が懐妊し、子供を産んだ時の鬼の喜びようときたら! 大きくなるにつれて、子供は父親の鬼に似た大力を発揮するようになり、初めの内は微笑ましくそれを眺めていた鬼も、やがて不安を感じるようになりました。
 今までは、この辺りで自分にかなう者は無かった。だから好きな事は何でもやれたし、皆従って、妻まで与えてくれた。しかし、この子が青年になって自分を打ち負かしたらどうする。村人はもちろん、妻までが子供につくだろう。いわんや子供が自分を殺しでもしたら。
 子供が五つになった年、一緒に滝を見に行った鬼が、真っ青な顔で帰って来ました。子供が滝壷に落ちた。妻と二人で一晩中捜し続けて、翌朝、川下で死体が見つかりました。
 夫婦で葬いをすませてから、鬼は先祖代々の秘密の墓場へ、たった一人で遺体をかついで行きました。
 二人目が産まれた時、絶対にこの子は滝へ近付けまいと鬼と妻は誓い合いました。けれども三歳になった年、夢中になって昇った木から落ちて、子供は死にました。初めの子と同じく、葬いをした後、鬼は一人でどこかにある墓場へ遺体を運んで行きました。
 三人目は毒ヘビにかまれて死にました。四人目は沼に飲み込まれて、五人目は崖から落ちて。
 相次ぐ不幸に打ちのめされながらも、鬼の暖かいいたわりのおかげで、妻は何の不安もなく過ごしていました。生活の中に子どもが居る時は今度こそ育てあげようと固く決意し、夫婦だけの時は、あの子はあんな風だった、ああ言ったのは別のあの子だったと回想していました。しかしやがて、記憶が混迷し誰がどうだったかの境界がぼやけ、「子供達」という呼び名の一人の子どもを思い返しているような、いや、時には、自分は今まで子供を失くした事はなく、これは産まれてくる子のこれからの記憶なんだと思い込んでいる事さえありました。そんな妻のたった一つの不満は子供の供養をしていない事でした。そこで、何人目かの子供の遺体を運ぶ時、鬼に気付かれないようにそっと後をつけて行きました。いくつものうねった土地を越えた暗い林の小さな洞窟に鬼は入って行き、妻は大分たってから中を覗いてみました。するとそこでは古い白い骨の散らばる中、鬼が先程運び入れた我子の亡骸を、勢いよく食らっているのです。恐怖のあまり声も出ず、半狂乱でただただ逃げ帰ってからも、可哀いそうな白痴の妻は、それがどういう事であるか理解できませんでした。やがて戻って来た鬼はいつもの鬼で、抱きしめてくれる腕はいつもの腕なのに。あの光景を見てしまった今は、何か違う気持ちでそれらを受け止めました。よく分からないけれどただ一つ言える事は。鬼が二人の子供を食べていた。
 次の子を懐妊した時も、いつものように鬼は喜びましたが、妻は起こるであろう事を回避しなくてはならないのだと悟りました。逃げる事はできない。行く所がないし、村人が腹いせに何をされてしまうか。鬼を殺す事もできない。鬼の皮膚は固く、とても妻の太刀打ちできる相手じゃあない。弱い頭で悩み抜いた妻でしたが、不思議と自殺には至りませんでした。
 逃げ場のない思考の一本道は、この山と同じでした。鬼の山。鬼の作った世界。そして妻の生活とも。
 その事が浮かんだのは、出産の、いつもの苦しみのさなかでした。婚礼の際、鬼は幾度勧められても酒だけは口にせず、それ以降も飲んでいるのを目にしていない。あの人は決して酒を飲むことをしないのだ。
 しばらくした夜、妻は鬼に、今年は村が豊作で実家から祝い酒が運ばれてきた。ぜひ飲んでくれとせまりました。鬼は除れようとしましたが、妻があんまりせがむので、少し少しと飲む内に、一瓶二瓶と空けていきました。隣では赤ん坊がスヤスヤ眠っている。鬼の赤らんできた顔を見ながら、妻は何が起こるのだろうか、心臓が張り裂けそうな緊張感で気が狂いそうになりました。やがてすっかり酔って、体中赤くなった鬼は、いきなり立ち上がると暴れ回りました。家中の物を無茶苦茶に壊すので、止めようとした妻を殴るのはもちろん、傍らの赤ん坊の首をひねって殺してしまいました。
 体中痛めつけられ、どこからか血が流れ出るのを感じながら、夜通し妻は泣いていました。視野に赤ん坊の死体が入ると、とてもたまらず、大声で泣き立て、鬼が目覚めないかと願いました。鬼が起きたのは朝で、すっかりいつもの状態に戻って、家の様子を見ると、衝撃を受けたように立ち尽くしていましたが、急いで倒れている妻の元に駆け寄りました。妻は、自分がもう死につつあると分かっていましたが、鬼が抱き上げてくれると嬉しくて、婚礼の後、一緒に山に入って行った時のように、二人の生活が又始まるのだとさえ思いました。むせび泣く鬼に抱かれながら、妻は、純粋に鬼が自分と子供達を愛していた事、何があろうと自分が鬼を愛する気持ちは止められないのだと心の底から感じました。そしてもう若くない自分の体を考えながら、しかしこうならざるを得なかったのだと、薄れ行く意識の中で最後に思いました。

鬼に嫁いだ娘の終わらない生活の話

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2019-03-16

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted