周たまき 作

 母は、よく見た夢の話を聞かせてくる。私は夢の話を聞くのが好きではない。
 母は自分が見ているものだから共有しようとする。でも、私は見ていない。見れるわけもないし、想像しようにも夢なものだから突飛な内容についていけない。そして夢の話というのは、それ以上膨らませようがない。だから聞いたところで面白くないのだ。だが、母はそれが好きなようだ。いつも楽しそうに話してくるから、私はなかなか聞きたくないということができない。それに、ただ聞いてるだけでいいのだから、まぁいいやとも思っている。
「家中を掃除するだけなんだけど、間取りがどんどん変わっていく」
だの
「友達と旅行しているんだけど、バスに乗っているはずが気が付くと飛行機で、それでも全然違和感がない」
だの
「食器洗いをしていたらコップが割れて、びっくりしたらマット(飼い犬のチワワ)がそれをくわえて全部片づけてくれた」
だの。
 私は朝起きて、歯を磨き顔を洗い、化粧を施して朝食にリンゴを半分とウィンナーソーセージにマスタードたっぷり、ロールパンを二つ、ヨーグルトのはちみつがけをもぐもぐと口に運び、母が見たという夢の話を聞く。日課となっている。
 母は、食事中によく喋る。朝は夢の話、夜は孫の話だの買い物の話だの。私は想像し難い夢の話を、時折「うん」「へぇ」「そうなんだ」と相槌を打ちながら聞き、食べ終わると前夜に母が挽いておいてくれた豆を珈琲メーカーにセットして、食器洗いが終わった母と珈琲を飲み、そして仕事に出かける。
 家に帰ると、母は風呂を焚き、夜ご飯を用意して待っていてくれる。残業で遅いと先に食べていることもあるが、大抵私が帰るのを待って一緒に食べる。
 そこで、二歳の孫(私の姉の子供)の話をしてくる。姉は働いていないが少し体が弱く、旦那は出張が多くほとんど家にいないため、二十四時間フルマラソン状態で子供の母で居続けている姉の、日中のストレスを軽減させるべく、母がよく遊びに行く。姉は何度も「保育所に入れるから」と遠慮し、実際週に一度は保育所に預けるのだが、母は「金がもったいない」といって遊びに行く。遊びに行くだけで、別段孫(おいっこのカンタ)の面倒を積極的にみているわけではないようだ。姉の話相手になっているだけで姉の心の負担は大幅に軽減されるらしい。
 今はスマートフォンの時代。孫が顔中を納豆まみれにしながら昼ごはんを食べている姿や、距離二メートルあるかないかの、大人が気付かないような微妙な坂を、上って下りて、上って下りて、上って下りてをひたすら繰り返す姿や、絵本の読み聞かせをさせたい姉にピザのチラシを読むよう強要している姿などの動画を、夜ご飯を食べながら見せてくる。私はそれを「へぇ」「面白い」「相変わらずかわいいね」などと感想と相づちを打ちながら見る。
「お姉ちゃんは元気?」
 と毎回私は聞く。甥っ子は好きだし、動画も写メも見て可愛いと思うが、私は姉のほうが好きだ。そして体が少し弱いからいつも心配している。
「全然元気だよ」
と言ってくれることもあれば
「最近体調悪いみたいだわ。だからお昼は私が作ってやった」
と言ってくることもある。私は体調悪いと聞くと姉に連絡を入れる。すると大抵「大丈夫」という強がりな返事とともに、甥っ子の写メが送られてくる。私としては姉の写メが欲しいのだが、それを言えずにいる。甥っ子は毎日母が見せてくれているのだから、せめて姉ウィズ甥っ子の写メにしてほしい。
 いつも風呂に入るの時間が遅い母だが、週末は片づけが終わったらすぐに風呂へ直行し、すさまじい勢いで入り、さっさと上がって私の部屋に缶ビールをもって現れる。
 私はいつも、夜ご飯を食べ終わると自室にこもる。そして本を読んだり英語の勉強をする。苦手な英語を克服せんと、三十を超えて立ち上がったのだ。いつも自室で一人になるため、一緒に暮らしているのに母との会話があまりない。正確には、母の話は毎日聞くが、私の話はめったにしない。そのせいか、週末は私と飲みたがる。
 飲んでいる間、特に会話はない。母は自分の話をするのは得意なのだが、人の話を聞き出すのがへたくそだ。そして私は自分の話をするのが苦手だ。どこからどう、どこまで話せばいいかわからない。聞いてもらうほどの内容でもないと自己完結させるため、余計に話すことが何もない。時々母が話を聞きたそうな空気を感じるが、何か話そうと思って自己完結に終わる。
 350ミリリットルのビールを半分ほど飲むと、ようやく母が
「最近、仕事はどう?」
 と聞いてくる。私はあまりアルコールに強くないため、350ミリリットルの缶半分ですでにいい気分になっていることがある。そうすると少しだけ饒舌になり、仕事でこんなことがあった、あんなことがあった、と話す。母は一通り聞いて「ふーん」と相づちをうち、時に私が仕事の不満やトラブルを言ったときにはやけに怒りながら自分の主張を述べ、そのあとまた無言になる。
 私の部屋にはテレビがないため、大抵途中でリビングに移動する。母はすぐにテレビをつけ、録画している推理ドラマを見始める。私は推理ドラマに興味がないので、マットが私の手を舐めているのを眺めたり、スマートフォンでニュースを読んだりする。
 二人でいる意味あるのかな、と思い、寝ることにする。母は夜遅くまで起きているタイプだが、私は二十二時を過ぎると電気を消したくなるタイプだ。
 母との日常は変わらない。
 
 母は、時々私に
「誰か、いい人いないのかい」
 と聞いてくる。三十を超えて独身でいる私を心配しているようだ。私は「いない」と答える。
「会社にいないの?」
「いない」
「誰か紹介してくれる人、いたらいいのにねぇ」
 そうやって私の将来を心配する割に、
「あんたがこの家から出ていったら寂しくなる」
「ずっとここにいていいんじゃないのかい」
「結婚が全てじゃない」
 ということもある。母の中で何かしらの葛藤があるのだろうか。
「もし結婚するとしたらお母さんも一緒に住むの了承してくれる人じゃないとダメだね」
 というと、喜ぶ。私は一生結婚できないだろう。
 一度、母が見合いの話を持ってきてくれたことがあった。友人の友人の息子さんが相手を募集しているから一度会ってみないかと言われたのだ。私は一生結婚できないだろうと諦めてはいるものの、それは表面上のことで、内心パートナーが欲しくてたまらないから了承した。
 このご時世に珍しく、釣書を送りあい、母と母の友人と、相手の男性と私の四人で会った。軽い挨拶を済ませて母と友人は退散し、私と相手の男性は少しお洒落な日本料理店で豆腐料理を堪能しながら会話をした。
 家に帰ると母と友人が待機しており、根掘り葉掘り、何を話したか、印象はどうだったか聞かれた。聞かれるだろうと思っていたから、電車の中で用意しておいた答えを述べ、次も会う約束をしたと言うと母も友人も非常に喜んだ。そして二人はビールを飲み、私は寝た。
 その後二度相手の男性と会ったが、結局付き合うまでには至らなかった。とてつもなくくだらないことだろうが、私は相手の男性の外見も中身も仕事も別段不満に思わなかったのだが、歩き方だけ気になったのだ。相手の男性は随分私を気に入ってくれたようだが、どうやら気分にムラのある人だったらしい。二日、三日と連絡を取らない日があるかと思えば、急に連続でメールをしてきて、愛の言葉を並べたててくれることがあった。そして急に電話をかけてきて、会いたい、会いたいと言われた。
 しかし、私は歩き方がずっと気になっていた。
 そして母の友人に、申し訳ないが今回の話はなかったことに、と伝えた。同じタイミングで向こうからも断りの連絡があったようで、円満にこの話はなかったことになった。
 あとから母が友人から聞き出したところでは、向こうは私と付き合いたいと思っていたのに、私があまり愛の言葉を言わなかったのが気に食わなかったようだ。同じ気持ちになってほしいのに、なってくれないから冷めたというようなことを言っていたらしい。私は笑ったが、母はなぜか怒っていた。小さい男だと。
 その時一緒に姉がいて、どうしてあんたも断ったのかと聞かれたから、素直に
「歩き方が気になって」
と答えた。二人とも頭の上に大きなハテナを浮かべているようだったので、
「なんといっていいかわからないが、歩き方が軽薄そうだった。フワフワ歩くというより、飛びながら歩くというような。飛んでいるわけじゃないんだけど。一緒に歩けば歩くほど、この人でいいのかと不安になった」
「変な歩き方だったの?」
「変じゃない。でも軽薄そうだなぁって。軽い歩き方なの」
 と頑張って説明を試みたところ、姉は大笑いしてくれた。その後しばらく「歩き方が軽薄」という言葉が私と母と姉のトレンドになった。
 母は結構気にするタイプだ。
 「歩き方が軽薄」で「くだらない理由で娘を振るような」男を紹介したことを長いこと悔いていた。週末、ビールを飲むたびに相手の男性の悪口を言っていた。私も大概つまらない理由で断ったのだが、母は私を悪く言うことはなかった。
「歩き方でおかしい男だと気づいたあんたは本当にすごい。見る目がありすぎて結婚できない」
と妙な慰め方をしてくれた。
 
母。
 母は気にするタイプだ。
 一年ほど前から、母の換気扇止め忘れが多くなってきた。それに気づいた頃、私は換気扇を止めながら
「最近換気扇付け放しが多いから、気をつけな」
と言った。母はわかったと言って、料理が終わるたびに
「換気扇消したね」
と確認していた。しかし、ひと月もせずに確認を怠るようになり、また換気扇の止め忘れが目立つようになった。私はなんとなく、あまりしつこく言うのもよくないだろうと、気づいたら自分で消し、そのことに特に何も言わなかった。
 しかし、私が気付かないときはもちろん母が止め忘れに気づくわけで、また忘れた、また忘れたと言いながら換気扇を止める。そしてその後必ずと言っていいほど
「ボケてきたのかもしれん」
 と不安がる。さらに、忘れることが多いことを気にして自分を責めだす。
 気にするなとだけ言ってしばらく放っておいたのだが、ある日姉から電話がかかってきた。そして
「お母さん、最近自分がぼけてきたかもしれないってよく言ってるんだけど、何かおかしいことがあるの?」
と聞かれた。どうやら母は、日中姉の家へ行って物忘れが激しくなっているからぼけてきたかもしれないと不安を訴えているようだ。
「何の心配もいらない」
 と私は電話を切り、母に「ぼけてないから安心しろ」と淡々と話して聞かせた。
「忘れているのは換気扇だけで、ほかのことは何も忘れていないでしょう」
「そうなんだけど、物覚えも悪いんだ。テレビで健康にいい食事のことやってたから見てたのに、レシピ忘れてしまった」
「ほかにも何か忘れたのかい?」
「買い物に行くときにメモを持ってかないと、買い忘れが発生する」
「私もよく忘れる。だから全部メモとってる。年取っただけだから安心しな。ボケたのではなく、歳のせいで記憶力の低下が起こっているだけ」
「換気扇もすぐつけっぱなしにするし」
「それは本当に気を付けたほうがいい。でも、ボケてるんじゃなくてただのウッカリだから心配する必要はない」
 そうやって納得させるが、しばらくするとまた同じような不安を口にしだす。だからまた事実を淡々と伝えて「ぼけてないから安心しろ」と言ってやる。
 ボケたかも、ボケたかもと不安がるくせに、自分の老いには無頓着だ。
 六十を超えて、とうとう母は風邪の治りが遅くなってきた。今まで熱を出しても咳が出ても、市販薬を口に放り込んで一晩寝たら治っていたのが、熱を出すと二日間ぐらいぐったりするし、その後咳が一か月も止まらないことがある。それでも母は風邪をひくたびに市販薬を放り込み、
「寝たら治る」
と言って、次の日大した改善が見られないのに元気よく外へ飛び出していく。咳が止まらなくても「すぐ治る」と言って元気よく外へ飛び出し、結局こじらせる。夜になると身体中が辛いと言ってリビングで横になる。体のどこが痛いとか、目がしょぼしょぼするとか、健康この上なかった母は最近体調を崩しやすい。
 私はそのたびに「頼むから病院へ行け」という。
 子供が親の老いを受け入れるのは大変困難だ、というような記事をなんかのニュースで読んだのだが、私と母の場合は逆だ。私はすっかり「母は老いていくもの」ということを受け入れているが、母は「まだ若い」と思っている。若いと思うのは結構なことだが、体の管理はしっかりしてほしいから
「もう昔の体と同じではないのだから、一晩寝て治っていた風邪も今では一日、二日ゆっくり家で休まないと治りません。放っておいても治っていた咳は、きちんと病院へ行き、処方された薬を指示通りに飲まないと治らないものになっています。その事実を受け止めて、今日は朝病院へ行き、そのあと一日中家にいろ」
と命令して仕事へ行く。母は気にするタイプだから私に命令されると怒られた、と悲しんで、きちんと病院へ行って、しっかり家で寝てくれる。そして処方薬のおかげで元気になったことを私の手柄にしてくれる。さすがお前はすごいねと言ってしこたま褒めてくる。
 そういえば、こないだ振り込め詐欺の話をテレビで見て、母が詐欺電話に引っかからないように合言葉を考えた。そして、自分で考えた合言葉を数日後に忘れて、またボケを疑っていた。ぎゃいぎゃいと騒ぐ母を眺めながら、私が物静かな人間に育ったのは母のおかげだな、と思った。姉はどちらかというとおしゃべりだが。

 姉の旦那の転勤が決まった。新幹線で三時間という、ずいぶん離れたところへ引っ越すことになった。そこで姉が、母についてきてほしいと願い出た。
 母に話す前に私に相談してくれた。自分の体が弱いことが不安だ、旦那は転勤先でも出張があるようだ、今よりかは減るみたいだが、一人で子育てをするのに自信がない。旦那に言うと、賛成してくれたという。一緒に暮らすことに何の不都合もない。正直、自分が家にあまり居れないから、お母さんがいてくれるのは助かると言ってくれたと。私も特に断る要素がなかったので、賛成した。姉は私と暮らしているから私のことを心配してくれていたが、私は立派に仕事をしているし、母がいなければ困るというほど家事ができないわけでもない。まぁ、家に帰って風呂と食事が用意されていないのは面倒だが、通常三十を超えた独身女はそれをしているだ。慣れれば問題などない。それに母は毎日のように姉の家へ行っているのだから、一緒に暮らしたところで変わらないのではないか、と。
 姉は安心して、母にこの話をした。
 姉が母に話をすると言った日、私は仕事から帰って母がなんと言うか待った。しかし、母は何も変わらずに風呂を焚いて食事を用意して、孫の動画を見せながら今日の孫の話を聞かせてくれるだけだった。
 次の日も、その次の日も、何も言わないから、私は姉にどうだったか聞いた。
「断られた」
と残念そうな返事がきた。私は珍しく自分から母のとこへ行って、なぜ断ったのかと聞いた。
「だって、私がついていったら、あんたが一人になるでしょ」
「別に困らない」
「困らないったって、あの子は旦那も子供もいるから向こうでしんどい思いしたって一人にはならないよ。子供もどんどん大きくなって、すぐに手がかからなくなるんだから。それに家庭に入った人間なんだからいくら体が弱いったって病気しているわけでもないんだし、そろそろしっかりしてもらわなくちゃいけない。でもあんたは一人にしたら泣くからね」
 泣くとはなんの話だと聞くと、幼稚園の時の話をしてきた。
「幼稚園のとき、お母さんとお姉ちゃんが二人で買い物に行って、帰ってきたら、あんためそめそ泣いてたんだからね」
「何の話だい」
「あんたがぐっすり寝てたからね。寝てる子は起こしちゃいけないっていうから、すぐ近くのスーパーだしさっさと行ってさっさと帰ってこようとしたの。だけどあんた、起きちゃってねぇ。一人で寂しかったって言って泣いたんだよ」
「そんな昔の話をされても」
「あんたは寂しがりやだからね」
 理由を聞いて、姉に申し訳ない気持ちになった。が、姉は姉で踏ん切りをつけて
「もしどうしても無理だったら泣きつく」
と言って引っ越していった。今のところなんとかやっているらしい。
 私を理由についていかなかった母は、昼間やることがなくなってしまったから、ボケ防止に編み物をするようになった。マットに話しかけている姿しかり、編み物をする姿しかり、だいぶ婆さんに近づいてきたなと思う。

母。
 こないだ、母は入院をした。入院といっても、検査入院。人間ドックをやったのだ。本格的に全身をくまなく調べてみたらいいと行かせた。
 母が空腹を忍んで病院へ旅立った日、私はいつも通り仕事をし、夜ご飯を作るのが面倒だからスーパーで総菜を買い、風呂を沸かすのが面倒だからシャワーを浴びた。マットに餌をやって音のしない部屋で総菜と白飯を口に運び、自室で英語の勉強。
 朝起きたとき、もちろん部屋の中はしんとしていて、電気もガスもついていなくて、私は全て一人でやり、朝食を一人黙々と食べた。
 母が前日に挽いておいてくれた豆でコーヒーを作り、テレビを見ながらそれを飲む。
 そして、突然寂しくなって、涙が出た。
 なるほど、確かに私は寂しがりやのようだ。
 仕事から帰ってきて、魚を焼くいい匂いが漂ってきたときに、私はやっぱり、一生結婚できないだろうと思った。
「おかえり」
「ただいま。検査はどうだった?」
「大変だった。血を3回も抜かれた。本当に一日かけて検査した。疲れた」
どうせなんも心配なんて無いんだとカラカラ笑い、もう少しかかるから先に風呂に入れと言われる。風呂から上がったら、検査の話を存分に聞かされるだろう。自室で着替えをしながら、今日は私も何か話してやろうと思った。変わり映えのない仕事から、いくつか、何か。何を話そうか。
 これからは、長生きしてもらわないといけないから、姉のいない分、私の口数を増やしてやろうと思う。
 時々は、見たか見ていないかよくわからない夢の話をしてもいい。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2019-03-15

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