黒い森の村

黒い森の村

霧が出ていた。こういう日は、黒い森から客が庭に訪れるんだ。枝を伝って、可愛いリスが。

 そう思って、銀髪のクリストフこと僕は、部屋の窓をそっと開いた。すると、枝ではなく、地面で何かが動いている。ハリネズミの夫婦だった。夫唱婦随で、亭主の後をぴったりと連れがそろって、お尻を振り振り、物置の陰に消えるところだった。苦笑して窓を閉め、学校へ行く仕度をする。

学校への道は、黒い森から流れる小川の道だ。せせらぎとともに、登校する。学校も、小川沿いだ。今学期で、基礎学校3年生が終わる。そこからみんな、人生の道が、大きく分かれていく。ひとつの小川をいっしょに流れ続けるわけにはいかなくなる。

 それは、普通のことだと思っていた。しかし、村で唯一の日本人のクラスメートのレイカが、日本は全然違うんだと、言っていた。多くの生徒が大学まで、将来も決めぬままに、進学出来ると言う。本当かい。どっちが、いいんだろう。誰かとそれについて、思いきり話し合いたかった。だからと言って、今すぐドイツを変えられるわけではないにしても。

春のドイツは、花がとてもきれいで、僕がギリシア神話が好きなのも、美女の、花への変身譚が、現実的に理解、納得出来るからだった。小川沿いに、水仙が瑞々しく開花している。青い空に、黄と白が映える。

 「モルゲン!」みんなが口々に交わす朝のあいさつ。この時が、気持ちいいナア。思わずニヤけてしまう僕を、レイカは見逃さない。「何、笑ってんの」「べ、別にィ」

こいつは、手強いんだ。まず、ドイツ人より算数が出来過ぎる。それと、絵が上手い。それは、アニメの国日本の子だから、仕方が無いか。ただ、日本でワールドカップの決勝があった日は、興奮した。市庁舎広場にサポーター会場があつらえられて、レイカもお母さん連れてやって来て、本気でドイツを応援してくれた、と言うより、熱く応援していたのは、お母さんの方なんだけど。レイカはクールなやつなんだ。

 尤も、あの時はまだ、キンダーガルテンで、フットボール(ドイツ人は、サッカーとは普通呼ばない)のルールなんて、分かっちゃいなかったけど。試合直後、ゴールにもたれかかって動かないカーン選手には、ショックだったのを覚えてる。

最近は、試験が多い。進路判定のためだ。

 レイカは、日本に比べて宿題こそ多いと、お母さんに言われているそうだ。と、言うのも、レイカの宿題は、お母さんが、辞書を使って、助けているからだそうで、毎日とても苦労しているらしい。

 僕は、1年生の時から、レイカと競争して来たおかげで、レイカの次に、算数が出来るようになっている。国語は、レイカは、とても大変そうだ。僕は、これは、時々助けてやることにしてる。だって、僕が日本語をやることを考えたら、とてもレイカが偉いと思えるからだ。でも、レイカは、夏休みに日本に帰ってしまうそうだ。だから、家では、漢字の勉強も大変だと、聞いている。すげーな。

ランチの後、先生が、話し合いの時間に、話したいテーマはあるかと、聞いてきた。僕は、これを待っていた。名乗りを挙げて、主旨を説明する。日本を引き合いに出して、こんな小さい内に、将来を決めてしまうドイツは、気が早過ぎないか、と。

 教室が、ざわついた。先生が、溜め息を付いている。レイカは、珍しくも、びっくりした表情だ。で、先生は、こう言った。

「大変、興味深い議題を、どうもありがとう。今、考えましたが、このホームルームだけで話して終わるのは、勿体無いですね。これは、ちょっと、先生の宿題にしてもらえないでしょうか。折角ですから、学校中で、シンポジウムを開きましょう。職員室で、計画してみます」

 このパメラ先生は、大変な議論好きで、ツボに入ってしまったようだ。でも、これはドイツ中の問題なんだから、少しでも、扱うところが、大きくなった方がいいに、決まってる。

 下校時、レイカといっしょに帰った。

「びっくりしたわよ」

「レイカでも、焦ることあるんだ」

「何よ。でも、帰国する前に、面白いことになりそう」

「だろ?」

「いっそのこと、あんたが日本で暮らせばいいじゃない」

「無理、言うなよ。一応、このままでも、進学コース行く自信、あるんだぜ」

「まあね。あたしのおかげでしょ」

「まあね、でも、国語は僕のおかげだろ」

「ダンケ・シェン」

「ビッテ・シェン」

僕の兄ちゃんは、進学コースではない。大工になると、言っている。イエス・キリストも、大工だったんだ、が、よく言っていることだ。教会建築に、関わりたいんだそうだ。教会建築は、ドイツの財産で、とても意義深いものだと、僕も思う。

 僕は、自分で言うのも何だけど、成績はいい。学者になろうと思ってる。勉強しているその時間が好きなんだ。

 ドイツでは、どういう職業の人も、マイスター制度のために、自分に誇りを持てるようになっている。専門職には、年季が必要で、だから、若い内から、分けるのだろうか。

「おう、優秀な我が弟よ、今日も勉強楽しいか」

「あ、うん」

「専門は、何にするつもりなんだ」

「うん…」

「何だ、まだ決めてねーのか」

「だって、まだ3年生だよ」

「もうすぐ、4年目だぜ」

「う…」

何か、レイカの日本が羨ましい気がする。そうだ、遊びに行こう。電話した。

「ハロー」

「ハロー、僕、クリストフですけど、レイカ、いますか」

「ちょっと、待っててね」

「ダンケ」

「なーにー!」

「あ、レイカ、今日さ、宿題終わったら、そっちにインタビューに行っていい?」

「何のインタビューよ」

「シンポジウムの前にサ、レイカのお母さんにサ、日本の教育制度について、訊きたいんだよ」

「あ、お母さんかあ…、お母さ~ん!」

 アポを取った。

 レイカのうちに向かって、お菓子を持って、キックボードで駆けてった。お母さんが、ハローと出迎えてくれる。レイカのお父さんは、留学でドイツに家族と来たそうだ。神学博士の学位論文を書いていたと言う。

 レイカも、幼稚園から居るから、会話は普通に出来る。けど、文法の宿題は、苦手だと言っている。そして、レイカのお母さんは、文法は、辞書があれば、レイカの助けくらいは辛うじて出来ても、逆に会話となると、レイカの通訳が必要となる。だから取材は、間にレイカに入ってもらって初めて成立したものだった。

― ドイツと全然違う教育制度は、日本人の子どもに、何をもたらしているか

= モラトリアム、シングルパラサイト、引きこもり、ニートにつながったのではないかと、危惧する

― ドイツの進路決定の時期の早さについて、どう思うか

= 確かに気の毒。まだ子どもじゃないかと。モーツァルトのように、才能とは早熟なものなのだということなら、その割り切りっぷりは、日本人には真似出来ない。シビア過ぎる

― どうしてこうも、違うのだろう

= 勿論、国民性の違い。それは、言語構造にも、既に出ている。日本では、曖昧が美徳。割り切るのが苦手。でも、それを先送りし過ぎた果てが、先程の日本の若者の問題を呼んだかも。

 ここに話が至るまでに、2時間は優に過ぎた。通訳を入れるし、お茶は入るし。疲れたんで、後は、レイカとちょっと遊んだ。お母さんは、夕飯の買い物に出た。

「レイカさ」

「ん?」

「大人になったら…」

「あー、ドイツ人は大変だねえ。わたしはまだ、決めなくても平気なんだよ」

「でも、それじゃ、モラトリアムにって、お母さんが言ってたじゃない」

「それにしたって、早過ぎるよ。クリストフはさ、ドイツでドイツ人なんだから、もう決めたの?」

「ん~…」

「なあ~んだ、まだ決めてないの」

「兄さんみたいなこと、言うなよ」

「はあ?」

「いや、こっちのこと。ま、学者になるよ」

「わぉ、すごいねー!でも、出来るよ、クリストフなら。勉強、好きじゃん」

「うん」

「で、何の?」

「んー…、教育学に、しようかナ」

「今日のこと、刺激になった?」

「まあね」

 パメラ先生は、やってくれた。レイカの送別会の意味も、込めていたそうだ。

 木曜日の朝、学校へ行って、ちょっと呆れたのは、地元新聞の記者が、来ていたことだ。でも、パメラ先生の知り合いなんだそうだけど。

 「はい、では、クリストフに、発題していただきましょう」と先生に促された僕は、最初にホームルームで言ったことと、レイカの家で取材したことを織り交ぜて、話した。友だちは、拍手してくれた。みんな、どこか、僕と同じことを感じていたような表情をしている。これは、今まで気が付かなかった。でも、当然だ。みんな、今、僕と同じ立場なんだから、レイカ以外は。

 「どうもありがとう。では、討論に入ります。誰か、意見の有る人」

 ニコが手を上げた。レイカが渋い顔をしている。ニコが、いつもレイカにちょっかいを出しているからだ。

 「クリストフが悩むことはないじゃん、勉強できるし。でも、俺なんかこそ、ほんと、悩んじゃうよ。先が見えそうで。でも、勉強嫌いだし、ま、いいか、って思ったり。だから、俺、バスの運転手になりたいんだ」

 みんな、笑ってる。レイカも、相好崩してる。でも、ドイツの交通は、ほんと、自慢出来る。アウトバーンの国、メルセデスの国、運転手の技術も、マイスターだ、バスも、トラム(市電)も、列車も、TAXIも、全て。

 メアリも手を上げた。

 「わたしはトラムの運転手になるのよ!」

 ドイツの女性の社会進出は、また、凄いと思う。これで普通と思っていたが、レイカのお母さんが、世界の実情を教えてくれた。レイカは帰国して大人になったら、苦労するのかナ。

 パウルが挙手。

 「僕は、夢はいっぱいあるけど、勉強に自信が無くて、それじゃ叶えられないものが幾つか入ってて、だから、さっき聞いた、日本の人たちの話が、かなり羨ましいです」

 アンドレアが「でも、夢見過ぎて、動けなくなっちゃった若者が、増えてるんでしょ?」

 先生が、「ちょっと、中間報告に入ってみましょうか」と、制した。

 挙手で、ポイント整理だ。日本のケースの方が羨ましいというのが、やや過半数。でも、ドイツのケースでも、という意見も、少ないわけではない。ドイツを支持する意見を、先生が求めた。

 ジグモントが名乗り出た。

 「どっち、ってこともないのかもしれないけれど…。クリストフが発題で言ってた通り、国民性の違いが有るんでしょ。だから、お互い、簡単には真似出来ないよね。でも、最近、お父さんが教えてくれたんだけど、新聞に、書いてあったことで、世界中の子どもの学力検査の結果、ドイツも日本も、凄く落ちてる、って、言うじゃない。だから、どっちも、上手くいって、ないんじゃないの?」

 あ、と思った。さすがジギーだ。僕は一目置いてたんだ。そうか、お父さんと家で、新聞の話をしたりしてるんだ。記者の人も、喜んだ風だ。

 1年生と2年生は、ギャラリーで、父兄も見学に来ていた。レイカの両親も、来てくれている。僕たちは、次年度から、オリエンテーション段階に入り、4年生終了後、それらは3方向に分かれていく。

 僕が目指しているコースは、ギムナジウムから、最終的に大学へ向かうものだ。後は、リアルシューレから専門単科大学に向かうものと、義務教育終了が基本目標のハウプトシューレがある。

 レイカのお母さんが、「割り切り」と呼んだもの、そこは、僕らドイツ人は、サバけているのかもしれない、確かに。人間観の違いかな。それはどこから来るんだろう。どんな道でも、一流になればいい、それが、僕らの感覚だ。

 先生が、父兄にもコメントを呼びかけた。ジギーのお母さんが意見した。「レイカのマムに、改めて、日本の学校の実態を聞いてみたい。」と言う。では、簡単に、その“問題点”を述べますと、レイカのお父さんの通訳付きで、「マム」が応じた。

 子どもの個性が無視されて、一律的な教育のみが、施されている。能力の違いを認めることが、罪悪視されていて、悪しき平等主義に均(なら)され、一番簡単なレベルに合わせて「ゆとり教育」を謳った結果、日本全体の学力低下に拍車がかかって止まらない。そして、社会問題に発展している、モラトリアムな傾向の流行は、クリストフの発題に有った通りだ。

 父兄から、「オオー…」という、大きな溜め息が洩れた。そこで、レイカのお父さんが、話し始めた。

 「日本はキリスト教国ではありませんので、聖書の叡智が普及していません。しかし、イエスが福音書で、タラントの譬え話を述べているように、預けられた能力の多少で、人が評価されず、それぞれ、自分の分に応じて、最善を尽くしたかどうかにこそ、価値が生じるという、極めて現実的な人間観を持てれば、いいのですが」

 それこそ、ドイツ人の割り切りの原点なのだと、僕も気が付いた。聖書は凄い。

 あっと言う間に、予定時間が訪れた。校長先生が講評した。

 「本日は、またとない貴重な時をみなさんと過ごせまして、大変素晴らしいことでした。国民性を超えて、教育問題と向き合い、互いの課題を認識できましたこと、今後の学校教育に必ず生かしたいと考えます。答えは簡単に出すものでなく、むしろ、多くの方と、問題意識を共有出来ますよう、啓発活動は、続けるでしょう」

 僕は、それでいいと思った。ジギーの発言が、いちばん印象に残った。今、ドイツも日本も、やはり課題を抱えているのだということだろう。そんな中、互いを知ると知らないとでは、きっと、その後が、全然違う。

 実は、僕の両親も傍聴していて、帰宅してから、とっても褒めてくれた。僕を誇りに思う、と言ってくれたと同時に、帰国前のレイカ一家を、一度食事に招待したいと言い出した。僕はとても嬉しかった。レイカが帰国しても、意見交換を続けたいと思っていたし、それが家族ぐるみだなんて、なんて素晴らしいことだろうかと思うから。

 僕は、今日のことを忘れないために、シンポジウムの記録をまとめた。まとめながら、やはり、大学で、世界中の教育事情を調べて、ドイツに何かを導き出せたらいいと思った。

 最初は、環境問題とか、考えていた。黒い森が、酸性雨でボロボロになって来たので、授業でも、環境問題が、しきりに取り上げられたから。だけど、それはまだ、借りてきたような、与えられたような、テーマだったのだろう。僕は、自分のテーマを見付け始めた気がする。

 それから数ヶ月経って、レイカが帰国する日が近くなった或る夕刻、僕のうちで会食が実現した。母さんは、思い出にと、アルザス料理を出し、父さんは、ワインとチーズをセレクトした。

「マツイさん、留学はいかがでしたか」

「はい、大変勉強させていただきました。今後は日本に還元する方法を、色々考えていくでしょう」

「フラウ・マツイ、料理、お口に会いましたかしら」

「はい、後で、調理のコツを教えていただきたいですわ」

 食事の後は、場所を移してコーヒー・タイムになった。

「ドイツは、ドイツの方々にとって、天国ですね。そういうものは、この世にはないのだと思っていましたが」

「そうだと思います。だから、変わらないで、伝統を守り続けているのかもしれません。日本は、どうですか」

「日本は『諸行無常』を、地で行っていますが、それは、不変的なものに至っていないからでしょう。私は、日本では少数派の、神学者ですから、課題は多いです」

 僕は、それを聞いていて、レイカたちは、帰国したら、大変そうだと思った。

「レイカ、帰国するの、嬉しい?」

「まあね。でも、友だちつくるの、大変そう。日本の子って、仲間はずれがきついって、お母さんが言ってたし」

「レイカ、まだ、将来のこと、決まってない?」

「アハハー。クリストフ、わたしサ、ドイツに戻って来るよ!」

「え、本当?!」

「うん、留学で。さっき、決めた」

 やっぱり、レイカも、親たちの話を聞きながら、考えることが有ったんだ。

「何を勉強しに来る?お父さんと同じ?」

「ううん、クリストフと同じ研究で、また、競争しようよ!」

「わお!」

だから、今回の帰国は、さよならでは、なかった。

黒い森の村

黒い森の村

黒い森に住むクリストフは、日本人の少女レイカと出会い、教育制度についての熟考を始めた。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-02-25

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