ぼくのすべては、先生だった

 海はきれいで、春が、ひさしぶり、と片手を挙げてやってきたみたいに、おだやかな風を吹かす。
 あのひとが先生だった日のことを、ぼくは忘れない。青い海の、透明な水をすくいあげて、もしかしたら今、ぼくのてのひらのなかの海に、目には見えない小さな生きものたちが安らかに呼吸をしていることを想像して、きえゆく泡になりたいと思う。教科書は、とっくに捨てた。燃やそうかとも考えたけれど、あのひとのことを戒めみたいに、ずっと、一生、忘れないために、捨てることにした。灰とならないように、土のなかに埋めたのだけれど、あれは、ゆくゆくは、腐り果てるのだろうか。紙、というものが、光のあたらない暗い闇のなかで、どのように劣化してゆくのかを、ときどき、幼い頃を振り返るみたいに、思い出してみることにしようと決める、二月のある日。犬を散歩しているおじいさんの、犬よりもおじいさんの方がはつらつとしていて、犬に、少しだけ同情する。
 先生だったあのひとが、先生をやめた日のことは、よく覚えている。
 先生は、そんなのはあたりまえなのだけれど、先生は、先生である以前に、にんげんであって、ぼくたちとおなじ、ごはんをたべて、ねむって、恋をする生きものだった。先生は恋をして、そして、先生をやめた。というより、やめさせられた、というのが正しい。先生は、恋をしただけで、先生ではなくなってしまった。
(しかたない、相手が悪かった)
 しかし、それを先生に言うのはお門違いだろうと、ぼくは思いとどまり、学校を去ってゆく先生の背中を、ただじっと見つめていた。先生のことだ、きっと、相手のせいにはしないで、すべてを自らの過ちとして、静かに罪を償うのだろう。それは、まるで、死んでもなお、懺悔をするようなものだと想った。心臓が動かなくなっても、肉体を失っても、先生は、後悔なんてしないで、恋をした相手が、何からにも虐げられることなく、しあわせに暮らしてゆくことを祈りながら、神さまのあしもとに跪く。淑やかに。染髪をしたことはないであろう、先生の、自然な黒い髪が、ぼくは好きだった。
 犬が、わん、とひとつ吠える。海に向かって、吠える。海は、そんなものにはひるまない。おしよせては、ひいてゆく、波。高校を卒業したと同時にピアスを開けて、そのとき恋人だったひとに、似合わないねと云われた。ぼくは、何故、先生が、となりのクラスのあの女子のことを好きになって、ぼくのことを好きにならなかったのかが、未だに理解できないでいる。けれど、こういう思考が極めて危険であることも、十分にわかっている。先生が、ぼくのことを、当然のように好きになると信じて疑わない、ぼくの。(ぼくの、からだとこころは、生まれたその瞬間から、先生のものであったというのは、幻想であると、誰か教えてくれ)
 冬と春のあいだの海は、冷たく、波が、ぼくを誘うように、ひいてゆく。
(還ろう)

ぼくのすべては、先生だった

ぼくのすべては、先生だった

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-02-24

CC BY-NC-ND
原著作者の表示・非営利・改変禁止の条件で、作品の利用を許可します。

CC BY-NC-ND