白日夢
何だか少し、人寂しかった。
「トロちゃん?」
風が打ち付ける度にカタカタと鳴る窓枠を遠くに感じながら、珍しいこともあるもんですね、と感傷に浸る。
こんな気持ちを覚えるようになったのは、きっとあの子と出会ったからだ。始めこそ煩わしくて仕方の無かった存在も、今では寂しいと無意識に心が探してしまう。
「トロちゃーん」
もう一度名前を呼ぶ。しかしながら返事は聞こえず、ただ変わらずカタカタと窓枠の音だけが響く。
おかしい、いつもならすぐに「あ?」だとか「何だよ」とか「うっせぇよ」と声がするはずなのに。
「いないんですかー?」
首を傾げると、暫く間を置いて漸くガタリと音がした。奥の部屋からだ。
「そこにいるんですか?」
やだなぁ、返事くらいして下さいよ。なんていつもの調子で扉を潜る。けれど期待していた姿は無く、おや?と上から下まで視線を巡らした。
その視線の最後に、部屋の隅で踞る姿を見つける。
「トロちゃん」
嬉々として近寄るも、返事どころか少しの反応も無い。足取りの軽い自分とは裏腹に、彼の身体はピクリとも動かず、やがてカタリと人形のように崩れ落ちた。
「トロちゃ…」
白い、陶器のように冷たく固い顔が見えた。
伸ばした指が震えた、ガタガタとあの窓枠のように全身が震えて、意識が眩んだ。渇いて、貼り付いたように声が出ない。
不意に思い出した。寂しかったのは自分のせいなのだと。この子を殺してしまったのは、自分、なのだと。
「トロちゃん…!」
お前のせいだ、と言われた気がした。
「…っ、トロちゃん!!」
ハッと意識が覚醒した。ぞくりと背筋を這うような悪寒に、今ではかくことのない冷や汗の伝う感覚を思い出す。
そう、今は夢など見るはずがないのだ。
なのにこの覚めきらぬ夢のような感覚は何だ。部屋の中は嫌に静かで、風の音すらしていない。これでは先程までの方がよっぽど現実みたいだ。
よっぽど、現実味があった。
「…トロちゃん…っ」
あの生々しさを思い出すと居ても立っても居られなかった。慌てて立ち上がると、周りに置いてあった何かしらがガタガタと背後で倒れた気配がする。金属、硝子、陶器。けれどもどの音にも耳を傾けることなく、ただただ名前を呼んで奥の部屋へと向かう。
部屋は静かで、返事は無い。扉へと伸ばした指先が、カタカタ頼り無く震えた。
「トロちゃ…っ」
扉の向こう、突き当たりの窓の下で、探し人は壁にもたれ掛かるように目を閉じていた。差し込む日差しのすぐ下で、壁によって僅かに作られた陰に身を寄せるようにし、陶器のような端正な顔は俯いて更に影を落とす。
その姿はどこか、遊び疲れて仕舞い損なった人形のように見えた。
「…トロちゃん!!」
駆け寄って肩を揺らすと、カタカタと力無く揺れる。思わずその身体を掻き抱いてみても、反応は返ってこない。
心がざわつく。
「い、生きてますか?生きてますよね??死んでませんよね…!?」
頬を触ってみても、目一杯抱き寄せても、冷たいか暖かいかなんて分からなかった。
あぁ、これはきっと夢に違いない。夢なんか見るはずがないと分かっていても、そう思いたかった。
いっそ、彼と過ごしたこの時間全てが夢だったらと、寂しさに負けて長い長い夢を見ていただけだと、覚めるはずもない夢からどうにか目覚めたくて窓の向こうの光を凝視した。
おかしな話だ。閉じる瞼も無いのに、どう夢から覚めれば良いのだろうか。
「トロちゃん、」
柔らかい髪をくしゃりと撫で付けて、その小さな頭を自分の胸の辺りに押し付けた。
「…あ、ったかく、ない、です」
どんなに寂しくても、お前のせいだと言われてしまう気がして。けれど一言でも文句が聞けるのなら、それすら望みに思えた。
トロちゃん、
「…別に冷たくもねぇだろ」
不意に、近くで声がした。押し付けられた頭が、くぐもって小さな声を上げている。
確かめたいけれど、貼り付いたように上手く声にならない。途切れ途切れになりながらも、やっとのことで名前を紡いだ。
「ト、ロ…ちゃ…?」
「何だよ」
いとも簡単に返ってきた声に恐る恐る視線を下げると、そこにはいつものように自分を煩わしがる彼の姿があった。
陶器のように白い肌に、窓から差し込む光が反射する。
あぁ、この子は今まで分かっていて黙っていたんだろうか。なんて、意地の悪い。
「…意地悪、しないで下さい」
「勘繰ってんなよ、眠かっただけだっつの」
閉じる瞼があったなら、きっと自分は泣いていたかもしれない。カタカタと震えの止まらない身体を誤魔化すように、もう一度強く彼を抱き締めた。
(白日夢。)
言われてみれば暖かい程度のその身体は、何よりも現実味があった。
白日夢