灼熱

owan 作

おれは絶対的な全知全能の神を信じているから、やつらの運命はすべて神に託すことにした。

 どういう過程でおれがこの旅に出発したのか、本来は隅から隅まで書くべきなのかもしれないが、おれは気が利くのですべて忘れたことにした。おれがやつらを好んでいるからとか、情や恩があるからとか、そんな理由で黙っていてやるのではない。おれの意識が芽生えたときにはすでに旅は始まっていて、それまでの経緯や、おれを送り出すための具体的な手順がぼんやりとしているから、あいまいな記述をするくらいならいっそなにも語らないほうが誠実だと判断しただけの話だ。
 好き嫌いなんていう感情を尊重するならば、おれがやつらの住む土地で誤爆したほうがよろこぶ人間が多いということはなんとなくわかるから、そうした多数派の人間を思いやって、いまこうして大気圏を目指してまっすぐ飛んでいることを悔いたほうがいいのだろう。おれを送り出したやつらを恨んだほうがいいのだろう。できることならこのまま垂直に墜落して裁きを下してやりたいと願ったほうがいいのだろう。ただそれは相対的な考えであって、おれは絶対的な全知全能の神を信じているから、やつらの運命はすべて神に託すことにした。神よどうか愚かな人間どもを憐れんでくれ。そして、罪深い人間によって作られ、その目的にしたがって出発させられたおれを赦し、神の御心のままに導いてくれ。おれがいま飛べているのは、人間の技術の結晶がうんぬんとかそんな、人間だけが気持ちよく納得できる理屈ではなく、神の御業、ただそれゆえだと信じているから。
 
 おれは大きな弧を描きながら地上から五百五十キロメートル上空まで到達した。いつのまにか大気圏を突破し、宇宙空間に入っていた。もしもおれに人間の身体があったなら、よろこびで溢れた涙を(ここでは一瞬で蒸発するだろうが)頬に伝わせていただろう。そして、この全宇宙を創造した神を想って賛美歌を歌っただろう。おれの前に広がる果てしなく壮大な空間は、神に対する畏れをより大きくさせた。同時に感謝した。この景色を見られたことを。
 おれはこれから起こることを考えて、いっそここで朽ち果ててしまえたらと願ったが、神はおれをここで終わらせなかった。おれのからだは次第に傾き、弧の続きを描くように地球に向かって落ちていった。おれはまさに灼熱そのものだった。灼熱だ。お前たちも感じたことがあるものだ。

 この旅の行方を神に委ね、導かれるがままに下降していたところ、興味深いものを見た。
 それは地球に浮かぶ日本という名の小さな島国だった。おれがちょうどその島の上を通り過ぎようとしていたとき、神の声が聴こえた。
「この国をよく見ておきなさい。見たことを、書き留めておきなさい」
 聖書のどこかにそんなことが書いてあった気がした。しかし日本を? なぜ? もう過ぎ去ろうとしているのに? どのように見るのか? どのように書き留めるのか? 一体なんの意味があるのだ? ドッと疑問が浮かんだが、神がやれというのにできませんとは言えなかった。おれがイエスと答えると、神はおれに、どこまでもよく見える目と、たっぷりの時間と、ありあまる言葉をくださった。
 こうしておれは神の仰せのままに、見たことや知ったことを書きはじめたのだった。などというと、書く? ペンで、原稿用紙に? キーボードで、パソコンに? とごちゃごちゃ騒がしい声がちっぽけな島国から轟いてくるようだ。簡単に理解できないことをそのまま受け入れるだけの器量がこの国の人間にはないのだろうか。おれは呆れたが、神はこんな国も見捨てず愛していることを知っているので、おれも見続けることにした。もちろんこれも神の意図があって、おれはそれを徐々に理解していくことになるのだ。


 おれは神の御心のままに、京都市を見た。京都市は日本でもっとも観光客が訪れる街だ。年がら年中アジアからヨーロッパまで多くの国のひとが街を行き交っていて、観光地を循環している市バスは一時間に七本やってくるにもかかわらず、どのバスも大量の人間が押し込められては運ばれていた。人種のサラダボウルとはこのことかと神も思わず微笑むかもしれない。
 河原町通りに面したバーガーショップの三階のカウンター席から、地上を見下ろしている青年がいた。青年は老若男女が入り交じる歩道の動きを眺めながら考え事をしていた。多くの観光客は驚いているだろう。狭い歩道に広がる人間の群れ。車道を埋め尽くすタクシー。景観を濁す電柱の数。隙間なく建てられ並ぶコンクリートの建物。溶けるような暑さと、耐え難い寒さ。観光客の数に対してあまりにも少ないホテル。京都「らしさ」を求めてやってきた人間の多くは失望したかもしれない。京都「らしさ」を感じられるものごとは、ほとんどが「らしさ」を感じたいと思う観光客に向けて作られた、見せかけのものなのだから。
「風情がなさすぎるな」と青年が言った。
「フゼイって聞いたことはあるけど、どういう意味なんだ?」青年のとなりにいる男が食べ終えたバーガーの包み紙を片手で握りしめた。韓国から留学中の彼は、青年が話す単語を注意深く聞いてはその意味を質問するまじめな学生だ。
「独特の雰囲気、持ち味のようなものだよ。余計わからないか」
「独特くらいはわかるよ」
「京都の独特な雰囲気が失われつつあると思ったんだ」
「便利になって助かるけどね」
「そのぶん持ち味が死んだ。たとえば、京都の交通機関は人力車しかなくて、不便な思いをさせられる街だけど、そこがいいところだってアピールできていたらよかったんだ。みんな、花遊小路のような通りが広がっているのが京都だと期待して来ているのに、現実はこれだ」
「たしかに、知識的に知っている京都と現実は大きく違っていたけど、この雑多な感じも嫌いじゃない」
「そう言ってもらえるとありがたいね」
 ふたりの青年は微笑んだ。
「行こうか」
 青年が腕時計を見ると十七時だったので、ふたりは河原町通りを北に進んで、普段からよく訪れるイングリッシュパブに行った。ここは十七時からハッピーアワーを開催していて、ドリンクがすべて半額になるのだ。ふたりの青年はジントニックとノンアルコールビールを注文して、喫煙席に腰掛けた。青年はタバコを一本取り出して火をつけた。
「ハタチになった途端に吸い出したからびっくりしたよ」と韓国人の青年が言った。
「もっと前からだよ」と青年は細い煙を吐き出した。
 ふたりの青年は天井から吊り下げられているテレビを見た。サッカーの中継が流れていた。ふたりともとくにスポーツ興味がなかったので、これといって感想を言い合うこともなく、ただぼんやりと見つめていた。
 青年が二本目のタバコに火をつけたとき、テーブルの上に置いてあったスマートフォンからおどろおどろしいアラートが鳴り響いた。ウーウーと唸るような音だった。それはほかの客のスマートフォンからも鳴り響き、それまでざわついていた店内が静まりかえった。
「なんだ」韓国人の青年が不穏な空気に耐えられず、声をあげた。
 テレビを見ると、中継が流れていたテレビにテロップが表示された。
「北朝鮮が◯◯時◯◯分に三度目の核ミサイルを発射。」
 おお。おれのことだ。日本にもこのことが伝えられたのか。
 店にいた多くの人間がそのニュース速報を見ていた。テロップが消えると、客はなにもなかったかのようにおしゃべりを始めた。
 青年は再び地上を見た。整列することなくめちゃくちゃに行き交う人々を見ていると酔ってしまいそうだった。
 だれひとりとしておれが飛んでくることなんて知ったこっちゃないとでも言いそうだった。おれがこの町に落ちたらどういった状況になるのか、本当にだれも考えていないのだろうか。おれを怖れて逃げようなんて人間がここにはひとりもいない。それはおれが墜落することよりも怖いように感じた。
 お前らなあ。おれは思う。東日本大震災を忘れたか。阪神大震災を忘れたか。原爆を忘れたのか。おれのような核ミサイルなら町なんて軽く吹っ飛ぶというのに、危機感がまるでないとはどういうことなんだ。 
 ただ、おれがさきほどから注目しているふたりの青年のようすは群衆とはすこし異なっていた。
「ミサイルが発射されたって?」青年が言う。
「そうみたいだね」韓国人の青年がこたえる。
 青年は周囲を見て、何事もなかったかのように過ごしている人々に苛立ちを覚えた。
「悠長に酒を飲んでる場合じゃないぞ」
 青年は取り出したばかりのタバコをテーブルにトントンと落として葉を詰めた。
「むしろいつ死ぬかわからないんだから、いまのうちにうまいものを飲んでおくべきだろ」
 韓国人の青年はノンアルコールビールを煽った。
「それは諦観か?」
「諦観?」
「悟ってるってことだよ」
「そうかもしれないな。いつどこでなにが起こるかは神が決めることなんだから、ぼくたちが騒ぐ必要はない」
「クリスチャンはみんなそう思っているのか?」
「本当に神を信じ受け入れていたらね。ぼくも信じてるから」
 韓国人の青年は冷静だった。それに比べるとこちらの青年は、一見落ち着いて見えるが、実際は動揺しているようだった。頻繁に腕をなでて、なんとか落ち着かせようとしていた。
「ぼくもそんなふうに冷静になってみたいもんだな」
 青年はとくに思ってもいないことを口にした。そしてスマートフォンでツイッターのアプリを開くと、タイムラインにはおれに関するツイートがずらりと並んでいた。ミサイルが――アラートが鳴った場合はすみやかに地下か屋内へ――などの情報が溢れかえっていた。
 きっと青年をはじめとしたこの街にいる人間は、この街にミサイルが落ちるはずがないと思っていた。だからニュース速報を見ても、他人事のように高をくくって、あっというまに元の日常生活に戻ったのだ。たしかにおれは今回はこの街には墜落しない。神がそう決めたからだ。だからといってこれはあまりにもひどい体たらくではないか。
「祈るよ。ミサイルが無事、海に墜落するように。そして、次の機会がないように」
 と、韓国人の青年が話した。
「次の機会がないのはぼくらのほうかもしれないぞ」
 青年は言った。

 韓国人の青年を教会まで送り届けて、青年はひとりで河原町を歩いた。
 青年は苛立っていた。核ミサイルのニュースを見たことで、なんとなく過ごしていた日常が突然壊されてしまうかもしれないという不安感に襲われていた。
 青年は悩める子羊であった。大学に入って成人したいまでも、自分がどう生きるべきなのかわからずにいた。というか、どう生きるべきなのかという指針をはっきりさせないと、自分の本当の人生ははじまらないと思っていた。青年にとっての「いま」は、本当の自分を見つけるための時間だった。だからいまの毎日に心からのよろこびがなかった。猶予期間は大学を卒業するまでと決めていた。それまではのんべんだらりと自分を探す旅に出ることにしていた。実際に旅をしているわけではない。思考の旅行である。
 選択肢を増やすために、教会に通ってメッセージを聞いたりもした。きっかけはさきほどの韓国人の青年だった。青年は彼に声をかけられて何度か教会に行ったり、聖書を読んでいた。
 青年はさきほどの韓国人の青年の言葉を思い出していた。いつどこでなにが起こるかは神が決めることだから――おれもそう思う。しかし青年は腑に落ちていなかったし、それどころではなかった。おれによって日常が急変することを想像すると居ても立ってもいられなかった。まだ悩んでいたかった。自分はどう生きるべきなのか。なにをするべきなのか。なにがよろこばれるのか。答えは出せそうになかった。それはそうだろうとおれは思う。すべてを知っているのは神のみなのだから、本当に答えがほしいのなら祈って待つしかないのだ。
 ふしぎな青年だとおれは思った。彼は京都市で生まれ育ち、いままで大きな病気もしなかったし、災害にも見舞われなかった。だから東日本大震災の津波によって家が流されている映像を見ても、なにひとつとして実感が湧かず、京都に住んでいてよかったなどと言っていた。そんな青年だった。
 けれどミサイルがもしかしたら京都に墜落するかもしれないと想像した途端、彼はひどく動揺したのだった。そんな可能性は低いとわかっていながらも落ち着かないようだった。青年は頭のなかで、おれの墜落によって街が破壊される映像を繰り返し妄想した。爆風によって吹っ飛ぶ街、人、倒壊するビル。このときばかりは想像力が働いて、青年は冷や汗をかいた。ほかの人間がひどく無頓着だと感じた。それはおれも同感だった。
 青年は横断歩道を渡って家に向かった。急に外にいることが怖くなったのだ。
 青年は悩んでいた。いつかおれによって死んでしまうかもしれないということを、どう受け止めるべきかわからなかったからだ。ツイッターを開けば「ミサイルが日本に落ちるなんて信じられない、平和な日々を奪うなんて許せない」といったツイートがいくらでも流れてきた。青年も言えるものならそう嘆いていたかった。信じられない、許せないと嘆いてなにもかもをおれやおれを飛ばした人間のせいにしたかった。けれどそれは格好悪いと思っていた。格好悪いことがなによりも怖かった。だからできるだけ冷静を保っていたかった。韓国人の青年のように。しかし青年よ、韓国人の青年が極めて落ち着いているのは信仰ゆえだ。お前には信仰がない。信仰から来る確信がないというのは、本当に不幸なことだとおれは思う。
 東日本大震災のときはよかった。青年は自分なりにできることをやった。それはなにもしないということだった。「一市民がでしゃばったところで手伝えることなんてないから、黙って見守るのが一番かしこい」と思い、そのとおり、黙り続けた。募金も、芸能人が高額の募金を行っているところを見て「ぼくの出る幕はないな」と一円たりともしなかった。力のないものはなにもしない。青年は正しい選択をしたと思い満足していた。
 いまおれが発射されたというニュースを聞いて、青年は自分がどう振る舞うべきか決められずにいた。冷静を装うのにも限界があった。あと五分後には死んでいるかもしれない。青年は焦った。
 河原町通りを南に向かって歩いていると、警察が数人見えて、何事かと思ったらデモの行進が道路をゆっくりと進んでいた。「憲法九条を改憲させない!」「政権は解散しろ!」このふたつを繰り返し唱えながら歩いていた。青年が行列を見ると、青年と同世代の若い男女もそこに加わっていた。
 ミサイルが飛んでくるかもしれないんだぞ。青年は拳を握りしめた。そして列の先頭まで歩み寄ると、大声で叫んだ。「それどころじゃない、五分後にはミサイルが飛んできて死ぬかもしれないんだぞ!」
 先頭で拡声器を持った人間が歩みを止めたので、後ろに続く人間たちも次々と止まった。
「なんなんですか? あなたは」拡声器を持った淑女が青年を睨んだ。
「こんなことしてないで、ちょっとは慌てて逃げたらどうなんだ。死ぬぞ」
 青年は声を荒げた。
「どいてくださいます」
 淑女はそれだけ言うと、青年を押しのけて歩きだした。青年はそれ以上なにも言えなかった。
 
 いつ死ぬのかわからないのにどう生きるべきなんだと青年は思っている。おれはいつどこに墜落するか知らないが、なにをすべきかはわかる。神を賛美することだ。おれをこの旅に出発させてくれたこと、美しい景色を見せてもらったこと、こうして語れる力を授けてくれたこと。おれに使命を与えてくれたこと。感謝してもしきれない。あとは神の御心のままに導かれるだけだ。青年よ、どう生きるべきなのかはおそらくお前が考えることではない。それは神のみが知っている。お前が生きるべき計画を知ってそのとおりに生きたいと願うなら、神を受け入れ、祈るしかないだろう。お前に答えを出すことはできない。そんなことをしなくていいのだ。与えられたものを知れ。神の計画を知る努力をしろ。おれからのアドバイスだ。

 視界がぼやけてきた。そして、だんだん青年のすがたが遠く感じられきた。神から与えられた目と時間の期限がやってきたようだ。
 おれはこのまま日本を通過し、弧を描きながら下降し、海のどこかに落ちるのだろう。神がそう導こうとしている気がした。
 おれは青年を思い出した。おれはお前の元に落ちてしまったほうがよかったのかもしれない。お前はなにか大きなものを失ってからでないと、どう生きるべきか気づけないと思ったからだ。どうかその想像力をふんだんに使い、おれではなく神を畏れ、祈ってほしい。韓国人の青年がその助けになるようにおれは祈っている。
 全身が熱くなってきた。灼熱だ。お前もきっと感じることができるはずの。

灼熱

灼熱

  • 小説
  • 短編
  • 冒険
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2019-02-11

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