詩集 人はその気になれば1分以内に死ねる

第二章 沿岸波浪

  

  沿岸波浪

護岸に沿って歩いてゆく。
真夏の亡霊が
言い残した言葉を
聞いた気がする。
東京湾の
満潮。
また今日も
人が死ぬ。
  



  体液を搾り出す

体液を搾り出す。
すべての毛細血管から、
動脈から、
静脈から、
心臓から、
陰嚢から、
尿道から、
涙腺から、
頭頂から、
  



  転職

マリア様が二千年も沈黙し続けているので
しびれをきらした聖職者が
テロリストに転職した。
空の一角にひびが入る。
  



  蝉たちの絶唱

蝉が一夏鳴き続けても
その声は天までとどかない。
そびえ立つ木々も
ことのほか低いのだ。
  



  そよ風

小さな蝶の死骸が
乾いた羽根を広げていた。
白い羽根が
ときおり風にゆれていた。
この静寂は
空のどこへ帰るのか。
  



  胚胎

ヘソの尾の中を
過剰な養分がながれてゆく。
また一つ
よけいなものが誕生する。


  ある昼下がり

ポストに手をつっこんだまま郵便屋さんが死んでいる。
   



  世相

明るい場所ではほがらかに褒め合い
日陰ではののしり合う
にぎやかな人々の明暗の隙間から
ありがちな目つきをした黒っぽい
殺人鬼が現れる。
  



  月の夜

伸ばした爪が
パキンと折れて
わたしは滴る
血を見た。

  


  街灯のない歩道

たぶん今夜も
京浜運河で水鳥が死んでゆく。
街灯のない遊歩道に
錆びた鉄パイプが転がっている。
  



  人生  

コンビナートの熱い煙が
夕日の色と混ざりあう。

わたしはぼんやり
立ち止まる。

やがてわたしは
歩き出す。

第一章 101号室

  


  遺された手記

悲しみはいつか私を殺す。
だから私は悲しみよりも先に死にたい。
悲しみが私に追いつく前に
私は喜劇と結ばれて死にたい。

踏み切りに飛び込んでもいいのだし
ベランダの手すりを越えてもいい。
人はその気になれば一分以内に死ねる。

バイオリンの音が聴こえた。
美しい旋律が聴こえた。
悲しみは無言のまま
私を闇へ流し去る。

秒針は刻む
義務のように。
私の死後も
私がいてもいなくても。

悲しみの形をした鳥のようなものが
私の記憶へ飛来する。
なくした言葉が一つあり
開かない窓が空にある。

人骨のかたわらに咲いた花が
まだつぼみだったころ
夢にみた世界が
いまは悲しい。
   



  わたしの存在

わたしはいっそ叫んでみる
すると世界は微動する
ほんの微動。
わたしの存在なんて
こんなもの
墨汁のような涙で
床一面汚してみたって。 


  101号室

身よりのない老人が
だれにもみとられず
ひっそりと死にました。

布団は湿り
鍋だの湯のみだの
散らばった部屋です。

つまらなかった一生の
褐色の記憶が
最後は部屋にいっぱいでした。

死体がすっかり
臭くなるまで
近所のだれも気づきませんでした。

老人が毎日エサをあげていた
のら猫のゆくえは
だれもしりません。

 
  


  曲がり角

干割れた街の
アスファルトの上に立てば
通り過ぎてゆく人々の だれかれが
みんな他人であったことに気がつく。

みんな みんな
他人であったことに気がつく。
ゆがんだ敷石の上で
けつまづく。

雑踏の下から見上げた空は
低く 重たく
電線は縦横にからみあい
一切は沈黙している。

この瞬間 わたしに説教できるヤツは
偽善者だけだ。
そいつをすばやく張り倒して
中央通りの角を曲がろう。


  欲望

唇をぬめらせ
唾液に溺れ
背中に爪で
肉を切り裂き

両手の指で
乳房をつかみ
ちぎれるほどに
歯をたてて

細くなる
うぶ毛逆立て
身もだえる
肉にこすれて

肉を噛み
血をすすり
身もだえて
骨になる。


  腐った食欲

毎日が縁日の街並みである。
洋服や髪飾りに交じって
かわいい女の子の体さえ売っていた。
俺は財布を開けてみた。
あいにくお金に乏しかった。
とれたての新鮮な
はちきれそうな肉体は明日まで持つまい。
すべてはゴミタメに一掃されて
くず物屋のおやじに拾われるだろう。
腐った魚と野菜の臭いをかいで
俺のおなかがグウと鳴った。
   



  冬の海

みぞれのまじる
北風が
海の上
すでに幾日
曇りの日
空には
なにもない。
さみしいね
一羽だけ
カモメ。 

第三章 下り線

  

  記憶と共に
  
あなたがかつて私に言ってくれた
「愛している」という一言
その一言を抱きしめて
私は私を
この美しい朝の
ホルマリンの海に沈める。

   


  晩秋

入り日の早い晩秋
暮れ方の街は静まりかえる。
ゆっくりと確実に
枯れ葉は枝を離れ
やがて舗道を深くうずめる。


  下り線

明滅する
パチンコ屋とラブホテルの
ネオンは夜の下にあり
電車はいびつに揺れている。

吊り輪が揺れて
小さな羽虫が目をまわす。
網棚の雑誌が
ぱらぱら風にめくれてる。

だらしなく足をのばして
浅黒い中年男が眠る。
独唱する車輪の音で
車掌の声は聞きとれない。

わたしは扉に寄りかかり
いつしかまぶたを閉じている。
こつこつ額を打ちながら
浅い眠りの中にいる。



   
  夏季情景

つかみそこねた夢
抱きそこねた女
収入よりも大きな負債
枯れた植物
つまった下水
夜中の乱交
ビジネスマナー
車に轢かれた近所の仔猫
原価と売価
血糖値
老後の年金
炎天下
ふくらみすぎた積乱雲


 響き

水道の蛇口から落ちる水滴の
一滴、一滴のように
思い出の過ぎ去る音が
暗い流し台のほうから
聞こえてくるようなこの夜半。
それはいつの思い出か なんの思い出だったのか
そんなものでもない。
それは わたしの生きた
生きてきたことを思い出す
一滴、一滴の
小さなしずくの響きであった。

第四章 青い街路

  


  夏の校庭

若くして逝った子は
夏の白い校庭に立っている。
あたらしい赤白ぼうしと
永遠の昼休み。
  
  
  
  花壇

教室の真ん中で
さっきまで笑っていた女の子が
みんなと一緒に下校せず
校庭のかたすみの
花壇の柵に腰をかけて
涙ぐんでいます。

  そんなにも夕暮れは美しく
  こんなにも人間はさみしい。

あなたはもうすぐ
だれかのことを好きになります。


   
  
  橋げたの下

橋げたがふるえている。
得体の知れないシミがひろがり
コンクリートが濡れている。
水滴は間断なくしたたり落ちる。

橋げたの上には
走りたいだけ暴走する
冷たい色の車が走る。
次から次へと走り去る。

石くれと落書きばかりが
橋げたの下の暗闇に
錆びたフェンスに仕切られて

わずかにひろがる雑草が
葉先のほうから枯れている。
さかりのついた猫がなく。
   
  
  
  青い街路

君とおなじ鼓動で
舌を合わせているときだけ
わたしは目を閉じていても
広い世界が見える気がする。
君とわたしの唇から
唾液がほそくひきのばされて
透明な一筋がふつりと切れて
二人の時間は終わりです。
ホテルの外は寒い夜
青くて淡い
死んだ仔猫がしゃがんでいる。


   
  
  肥大した夕焼け

肥大した夕焼けが
大量に血を吐いた。
鉱物の街並みは
自らの重みに窒息した。
この遠景のどこに
君の姿を見ればいいのか?
裏道のドブ板の下に
ぼくがいるのだとして。
もはやどうにもならない
肥大した夕焼けが
大量に血を吐いた。
高層ビルの赤いランプが
けだるく光を点滅している。
肥大した夕焼けが
のっそりと落下する。


   
  直線道路

夜半の街を車が走る。
あなたとわたしとラジオの歌と
一日の疲れと おしゃべりを乗せて。

あなたの運転はあぶないので
トラックにぶつかりそうになるけれど
それでもわたしは 恐くない。

わたしはむしろ
実社会のしがらみと
生臭い平和のほうが恐ろしく

ビルの隙間の果てまで続く
街灯の下を
あなたと二人で走れるのなら

こうして二人で走れるのなら
シートベルトをはずしてしまい
あなたの左手 握っています。

第五章 いちばん美しい貝がら

 


  光

ぼくたちにとって太陽は
ふだん昼間の明りでしかない。
しかし気がつけば
人生に疲れていたような
まなざしをふと上げるとき
太陽は確かに
あわれな私をも照らす
瞳にしみる光であった。

  

  乾いた牛

しあわせになりたいという一念が
けっきょくは心を荒廃させた。
わたしの心の牧場は
いまや枯れ果てた荒野であった。
わたしは孤独で
一頭のやせた牛がいるのみだ。
まずしい牧草を食らう
牛と共にあるだけだ。
けれどこの牛が
まずしい牧草を食らうかぎり
わたしはここにいて
ここを動かず
乾いた牛の乳をしぼる。

   


  秋の公園

こんなに小さな児童公園の
木々にも葉は色づき
細い枯れ木にも
秋は足あとを残してゆく。



   
  いちばん美しい貝がら

そこにあるのは胃の薬
十年あまり休みなく
お酒を飲んできたからね。
キミと出会うまで
一度も書棚を整理しようとは思わなかった。
キミが「むずかしそう」というその本は
わたしの愛した
なんの役にもたたない哲学の本です。
キミはまだ若く
わたしの知らない言葉でよくしゃべる。
男の子のような口ぶりで
とても明るく
よく笑う。
キミがきょう学校をさぼるなら
わたしと一緒に海へ行こう。
波うちぎわにおちている
いちばん美しい貝がらを
キミにあげる。

第六章 それ自体を笑え

  


  青い流動

目鼻立ちのぼやけた人間達が
のびたりちぢんだりしながら
青白く蠢いているじゃないか。

ほうぼうから聞こえる悲鳴のような
交錯した輪唱の中で
たった今、爆弾が破裂した。

たくさんの手がのびてきて
俺の全身をつかんでいる。
ベトベトする感触が糸をひく・・

腕をもがれて
肉体は崩れだし
口から内臓が引きずり出された。

むらがる無機質な人の群れが
青白く蠢きながら
涙以外の体液をすすり始めている。


   
  放課後

夕暮れの校舎の上で
こそこそ煙草を吸っていたことも
汗くさい倉庫の中で
異性の体をまさぐっていたことも
みんな、
忘れ去ってしまうのだろうか。
卒業して、五年。
なつかしい母校に足をはこべば
砂ぼこりを巻きあげる秋風の中に
カサカサの
むきだしの校庭が広がっていた。
   


  ホタル

死んだ子供らは
小さな青いホタルとなって
川辺に遊ぶ。
川の流れには
悲しい母親の顔が映っている。


   
  叫び

みしらぬ宗教家が
私の額に手をかざし
あなたの汚れた血を
汚れた血を清めてあげましょう、と言ってきた。

私はその時
まるで何かが裂けたように
私は鬼のように立ち上がって
人目もはばからずに、どなっていた。

僕の血が汚れている?
そうとも!僕はまったく汚れている。
しかし、あなたは人の血を清められるほど
あなたは僕より清いのか!

わたしは馬鹿みたいに
私は両目に涙をためて
わたしは一人でわめいていた。
私はその時、ゆるされていた。



   
  それ自体を笑え
  
バカげた人間たちの間にはさまって
メシを食い クソをして
それをくりかえして生きてきた。
目的は達成されたではないか!
俺は太った。
  
こんなにふやけた下腹部とひきかえに
時は過ぎた。
メシを食い クソをして メシを食い クソをして
男の人生は三十歳からですなどと
笑って言えない。
  
まず燃やせ 体脂肪から燃やせ
こんなにも苦労してきて
こんなにも幸せそうに肥満した自分の姿を
悪い冗談のようだと悲しむ前に
冗談それ自体を笑え。
  
メシを食い クソをして メシを食い
クソをしてメシを食うその間が人生だったなんて
冗談それ自体を笑え。
裁きの日にゲップなどしないよう
痛切な浣腸を上天に向かって突き刺せ。

第七章 入室禁止

 


  それをもし幸福と呼ぶのなら

これだけ失業者が増えても
餓死した人の話をほとんど聞かない。
これは確かに発展した社会の恩恵であり
コンビニの裏に食物はどっさり捨てられている。

まさに社会とは経済活動のことであり
利潤の極大化を至上として
多少の悪事もときにゆるされ
ばれなければすべてゆるされている。

それがもし豊かさというものであり
それをもし幸福と呼ぶのなら
差し引きいくら通帳に残ったか
それで人生を計上しよう。

ハデな葬式をとりおこない
でっかい墓を建てよう
そうすれば多くの人にあわれまれ
不幸とは何かを後世に残せる。
   



  聖戦

歴史の犠牲になるよりも
大切なことがある。
それは 樹木の枯れた山肌に
一つの苗木を植えること。
にくしみの連鎖を
自分の位置でくい止めること。
そのためによろこんで
歴史の犠牲になること。



   
  殺生の後

おれは今日ゴキブリを殺した。
殺してふと考えてみた。
おれは今日まで何匹のゴキブリを殺してきたろう。
あるときは毒ガスを使って殺し
あるときは新聞をまるめて叩き潰し
毎年夏ごと人生このかた
何匹のゴキブリを殺してきたろう。
何匹殺したかはっきりしないが
あみださまだのキリストだの
えんまさまならごぞんじかも。
害虫だから殺すのだと、
この正当性は忘却をゆるす。
おれは今日ゴキブリを殺した。
殺してふと考えてみた。
   



  入室禁止

検死解剖の冷たいメスが
かたまった胃の内容物を見つめている。
   



  冬至

なんて寒い夜だろう。
蛍光灯の光の下に
ひと月も白紙のままにある
原稿用紙が乾いている。
人生は生きるに値するのか、しないのか
こうしてさみしく存在する
一枚の白紙。

第七章 奇妙な写真

  


  痩せこけた男

電車のガラスに映る顔
この、痩せこけた男が 俺なのか?

穴のあいたスニーカーのまわりに
ぬけ落ちた魂が飛び散っている。



   
  古びた雑巾

使い古された 雑巾にも
道具にやどる 命はあるか

古びたタオルは 雑巾になるが
古びた雑巾は 何になるのか

ホコリのつもった きのうの床を
拭いたのは 古びた雑巾

道具の命の 最後の姿
清浄な 古びた雑巾

捨てられた 古びた雑巾
きのうの床を 拭いている。


  人形の部屋


神よりも宗教よりも
確かなものとは・・
だきしめるもの
だきしめてくれるもの

 接着のあまい
 重たすぎる人形の首が
 だれもいない小部屋のすみで
 ポトリと落ちたーー

人形の首は
考える・・
だきしめるもの
だきしめてくれるもの


   
  
  奇妙な写真

奇妙な写真である。
三人で撮ったはずの写真に
二人しか写っていない。
一人が完全に消えてしまっているのだ。
(その一人は私だった!)
あまりにも不吉な写真なのだが
すっかり私の姿が消え失せていたので
はじめからいなかったことになってしまった。
それでじゅうぶん説明がつく
ありふれた現象であるらしい。



 
  有刺鉄線の向こうへ

そこに何があるのか知らないけれど
四方を囲む有刺鉄線
その錆びついた針の先
公認された凶器。

この棘をつかみ
有刺鉄線を越えてみようか
そこに何がある?
越える時の痛み以上の。

危険なのは囲みの中より
有刺鉄線そのものなのだ。
錆びついた棘をつかめ!
反抗の血を流せ。

四方を囲む有刺鉄線
その内側に飛び込め
そうすればわかるはずだ
なんでもないことだ、と。

第八章 落日の足どり

 


  落日の足どり

 日はまさに暮れようとしている。街並みも、遠い山並みも、電信柱の一本一本まで、うつろな影に包まれている。地平には溶けかかった太陽があり、それが溶媒となって空全体を熱い朱色でにじませている。私もまた、この落日を前にしては、一つの影にすぎないようだ。およそ何一つとして、この地上において太陽に背を向けていないものはない。それが罪なことであるのかどうか、私は知らないが、日没から街灯がともるまでのわずかな時間、地上はあいまいな影と闇とに包まれて、人々は輪郭を失い、目鼻立ちを失い、すべてが電信柱とかわらないうつろな影に見えるのであった。
 私は息を殺していた。私はただ眼前の光景を凝視することによってのみ、かろうじて自分をここにとどめている。私もあるいは、日没を前にして、頭の中に地上の裏側を思い描き、そこに朝焼けを見ることは容易にできたのかもしれない。しかし私は、この地上においては公園のベンチに座っている一点景でしかなく、それは動じがたい事実なのであった。右を見ても左を見ても、日没の光景があるのみである。確かに日没の裏側には朝焼けがあるということも事実ではあるが、私にはそれを確認する手段が何一つない。日没と朝焼けを同時に眺望できるほどの高みに私はいない。人間の想像力は現実を前にしては無力である。もはや思考力を働かせる必要もないようだ。あらゆるものがうつろな影にすぎず、私もまた、一つの影でしかなかった。
 夜になり星空が広がる。星というものは死んだ人の数だけあるという。しかし、都会の空には極めて星が少ない。まるで一等星二等星級の星しか輝くことがゆるされていないかのように。いっそすべての街灯を消し去ってしまえば見えてくるであろう星々は、それ自体としては発光することのできない衛星ですら、拡散する光を反射していじらしく星図の中にその位置を示している。こなごなに飛び散った惑星の残像でさえ、何百億光年という時の向こうでなお消えずにある。永久に消え失せてしまうものがあるとすれば、それは、母なる星に抱かれたいがために疾走する流れ星のたぐいであろうか。その流れ星ですら都会の明るみによってかき消されているのだから、もはや天をあおぐことすら徒労であった。今夜もまた、多くの石くずが落ち続けていたとしても。
 私は一人で街を歩いた。決して孤独という感覚が大げさなものではなかった。その証拠に、夜になっても人々は街路の上にひしめきあっている。私は見知らぬそれらの顔の中に、かつて見慣れたはずの面影を探し求めていた。私は迷子の子供であるというよりは、住所不定者に近いようだ。私に声をかけてきたポン引きもいたかもしれないが、それらの声はすでに私の耳元にとどいてはいない。私はまばたきすることを忘れたらしい。たくさんのゴミが目に入ってきて、気がつけば視界がうるみはじめていた。あらゆるイルミネーションがにじんで見えた。

第十章 黒いトンネル

 


  タイムカプセル

小学生のころ
みんなで埋めたタイムカプセルに
「十年後の自分」というテーマの作文を入れた。

あれから二十年たつが
誰もカプセルを掘り出そうと言わない。
同窓会すら一度もない。

カプセルのことなど みんな忘れたのだろう。

「十年後の自分」という作文
何を書いたのか全然覚えていない。
と いうことを
二十年後の自分が思い出した。

そのことを
三十年後は問題にするだろうか。


  黒いトンネル

私は長いトンネルをくぐった。
突然こまくに足音が響いた。
赤黒い蛍光灯がもうしわけなさそうに
一列になって闇の先へとのびていた。
出口は見えない。
そして私は入口の光をも見失った。
いびつに塗り固められた左右の壁は
およそ美的装飾というものを持たず
地下水と下水に湿りつくされて
永遠に乾くということを知らないだろう。
ここを過ぎて行った人々は まるで
それが儀礼として定められていたかのように
さまざまなラクガキを残していた。

  SEX 打倒神奈川県警 チンポ のぶお参上
  明美命 死ね 暴走魂 マンコ・・

私はそれらラクガキの羅列を足早に眺め
やがて倦怠のうちに放心した。
しかし私は この無秩序な秩序を打ち破るラクガキを
ちらばったラクガキのただ中に見たのである。
それはあまりにも露骨に
いっきに書きなぐられたもののように
赤いペイントで書かれていた。

  おまえだよ!おまえ!

私は足を止めた。


  大いなる暴力

たとえ微々たる額でも
年金はもらえるだろう。
しかし将来
税金はどんどん上がるだろう。
差し引きしたら
貧しさだけが残るだろう。
国歌斉唱
するとかしないとか
議論をしている人らもいれば
子供の寝顔のかたわらで
泣いている親もいるだろう。
あすからの収入をなくし
泣いている親を見て
泣いている子もいるだろう。
たくさんの人が
首をつるだろう。
不幸はいつも
人知れず進行し
年間の自殺者が
三万人を越えても
樹海の遺体が
骨になっても
どれだけの親子が
どれほど泣いても
なんなくヤミ金は
法定金利を越えてゆき
巨大な暴利は
微々たる者を踏み潰す。
 



  
  満たされた砂漠

こんなに乾いた砂漠の上にも
雨は降るか。
サソリと蛇と
フンコロガシしかいない街の上にも。

路肩に流れる水のしぶきは
糖のまじったションベンの音か。
ぶよぶよに肥えた者らの
よだれをすする音なのか。

隊商の列の
ゆがんで伸びるラクダの群れが
エサを求めて荷を運ぶ。
(自分がラクダであることも知らずに)

道路は直線をつらぬき
明るい闇の果てまで続く。
この繁栄は何なのか
満たされた砂漠よ。

路上に転がる空き缶は、
蹴るためにある。

第十一章 便所的平和

 


  まずしい窓辺

わたしの部屋のうすい布団に
恋人が 猫みたいに
横をむいて眠っている・・。
あすからまた労働だ。
どうか夕日がいつまでも
このまずしい生活を照らし
あすからの人生を
くだらないものにしませんように。
仕事のない日は こんなにも
平和なのだから。
文明よ、社会よ、経済よ、
その根底にある
犠牲の意味よ。

   


  社会

愛だ愛だと言うけれど
愛ってなんだ
なんのことなんだ
孤独という名の子供がそう叫ぶと
一瞬
喧騒が止み、
共食いの血を口のまわりにベッタリつけた
この時代この街に住む人々が
ふりかえり
いっせいに笑った。


   
  便所的平和

恒久の平和という地平はすっかり脂ぎって
ニキビみたいにコンビニができる。
競い合うコンビニは化膿して物をあふれさせ
その膿をすすりあう人の群れ。群れ。
おかしなふうに下っ腹の膨れた人間が増えたようだ。
腹は八分でもよかったものを
今では誰ひとり教えてはくれない。
大食大便は重く
吐く息は巨大な下水へとつながっている。
この国のいたるところ
換気の悪い便所のようだ。



   
  蛾

ほの暗く街灯は光り
そこに一匹の蛾が
平たい羽根を狂わせながら
しきりに頭を打ちつけていた。

貨物列車が通り過ぎ
ガードの音は脊髄に響いた。
破れた赤い提灯が揺れて
屋台の煙にけぶれていた。

酩酊した一人の女が
男の体に巻きつきながら
何か卑猥な言葉を吐いていた。
男は痰を吐いていた。

ちぢに乱れる靴音に
ほの暗く街灯は光り
蛾はやはり頭を打ちつけていた。
そのたびに幾粒かの鱗粉が散った。

第十二章 君も見ている

  


  面接

わたしとは何者か?
ああ、なんだろうなあ
欲情し、
はらペコで、
他人のしあわせがゆるせない。
あらゆる情念の
ちっ息するところ。
おろかもの
かなりの。
すくいがたきもの。

そんなことを真面目に面接で語ったら
ついに一度も定職につけなかったよ。



   
  欠席

誘ってくれてありがとう。
申し訳ないのだけれど
わたしは行けません。

みんなとお酒を飲んだり唄ったり
それはそれで楽しいのだけれど
わたしはたぶん心から楽しめないよ。

何か大切なことを放っておいて
いま考えるべきことを考えず
やるべきことをしていない気がするから。

酔っぱらっている場合じゃないときほど
人は酔っぱらいたがる
酔っぱらっている場合じゃない人間ほど。

学校を卒業してから
わたしはたぶん少しだけ
みんなとちがう世界を生きたのかもしれない。

あいつはいま何をしているんだ と
聞かれたら
「欠席」とのみ伝えてください。



  白いしおり

君は子供を三人もつくって
ダンナに逃げられた。
わたしは酒ばかり飲んで
痔血がとまらない。

二人が恋人だったころ
あれは十八歳。
学校のまわりには
まだ空き地が多かったね。
二人でセックスについて語り
恥ずかしくてできなかった。
でも
キスはたくさんしたね。
キスをしたあと
下をむいて笑ったね。

あのころ空き地に花が咲いたね。
白い花だった。

二人の楽しい思い出に
わたしは白いしおりをはさもう。

  


  幸せの歌

 孤独を欲し、傷つくことを望み
 つねに満たされない自分でいたいと思う。

乾いた土に落ちる雨の一粒は
土にとっては祝福です。
そのとき土は幸せなのです。
私もまたそんなふうに
恵みを強く求めています。

私は自殺を恐れ、病気を恐れ、老衰を恐れ、
死ぬことが怖くてたまらない。
だからただ一度、いつ死んでもいいような瞬間の訪れを
ずっとずっと求めています。
その瞬間を確実に得るために
心をつねにカラにするのだ。

 孤独を欲し、傷つくことを望み
 つねに満たされない自分でいたいと思う。

それでも一瞬、
幸せが私をとらえ、私が幸せに向かって
「いまここで死んでもいい!」と心から言えたなら
私は自分の存在をゆるし
その瞬間を抱きしめて天国に行ける。


  君も見ている
  
あるいはすべての存在が
無関係でもおかしくないのに。

通行人のほとんどが
無関係のままなのに。

どうして君は
わたしのそばにいたのかな

どうして君は
わたしのそばにいたはずなのに

またどこかへと
消えてしまったのかな

けれども君との関係は
消えることなく

わたしはいまでも
かたわらの君に話しつづける。


虹だよ。

第十三章 光の残像

  


  夢の中で

夢の中で
君がにぎりしめていた手をひらくと
小さな蝶が飛んだのでした。

  その蝶は白く
  光を受けては青く
  ぼくらの上に羽ばたいてーー

時計は止まる。
永遠に。
   



  ミカン

あなたのぬくもりが
よく熟れたミカンのように
わたしの手の中にあったらいいな。
わたしはミカンを食べながら
風邪ぎみの夜をすごします。
あなたを想う
今も今。



 

  眠り

白い壁にもたれかかり
冷たい壁と同化する。
白い眠りに落ちてゆき
どこまでも白い夢をみる。
過去も形も悲しみも
すべてが白くかき消され
やがて静かな朝がくる。 



 
  自答

作品が生まれてくる過程など
作者のみが知ればいい。

わたしの背負う重荷など
わたし一人が荷えばいい。

舞台の裏の事情など
舞台の裏にあればいい。

わたし一人が、わかればいい。

くだらない。
あるいは
くだらなくない。



  光の残像

空はよく晴れていた。
曇った日もあったと思う。
あれからどれぐらいの時間が過ぎたのか
もう数えることをやめた。
止まった時間のなかでは
変わらない幸せが歩いている。
いつもわたしと歩いている。

わたしたちが歩いた広くもない公園に
いまも木漏れ日がおちている。
ペンキの剥げた青いベンチに
思い出だけが座っている。



 
  運命

美しい鐘の音をきいたことがある
まぶしい朝日をみたことがある
しかしそれは遠い昔のことである。

現実にはさからえないと誰かが言った。
現実は変えられないと誰もが言った。

殺されても血の出ない虫のように
このまま潰されてしまうのか。

第十四章 ゲームはつづく

 


  幻影

夕方になって激しい雨がやんだ。
雲をおしのけて空が広がると
洗われた空気はよく澄んでいた。
埃っぽい街も洗われていた。

大きな夕焼けの下を
家路につく人々が歩いている。
その一人一人が美しく
取るに足らない存在などいないのかもしれない。

こんな瞬間があってもいい
あってもいいのだ。

もうすぐ空が暗くなる。


  

  フラッシュバック

交差点の 右から 左から
車が途切れることなく走ってくる。
時代は 勢いよく 動いている。

避妊具を買うまえに
女は妊娠した
パソコンを開くまえに
情報は漏洩した
多数決をするまえに
答えは出ていた
答えが出た後で
それは反故(ほご)になった

確かなものを 手に入れたいと
もしきみが望むなら
結論をいそがないこと。
ここだけのはなし
確かなものなど だれも  知らない。



  
  ゲームはつづく


さっきまで
仲間のだれかが嘘をついていたので
わたしたちはそれをとりつくろうのに忙しかった。 
こんなことはよくあることだから
新しい罰ゲームはいらない。
わたしたちは仲間だから
どこにもほんとうの仲間などいないなんて
そんなほんとうのことはだれも言わない。
わたしたちはこれからもずっと
古い罰ゲームをつづけていく。


  こんにちは、砂かけばばあです

砂かけばばあは退屈している。
ひとけのない森の中では
人もいないし
たまにだれかに砂をかけても
風のしわざだとおもわれる。
砂をかむようなおもいでたたずんでいると
子泣きじじいが
だれにも抱かれていないのに泣きだした。
巷では
作り込まれたホラー映画が流行っている。


  ちょっと一言

遺書があったとか なかったとか
他殺だとか 自殺だとか
事故だったとか
事件にまきこまれた可能性があるとか
そんな判断を 誰が下す?
だれがあなたのことを
そこまで知っていた?
 



  光の世界


水滴に映る世界は 光に満ちている
すべてが透明な輝きにつつまれている
すべてのものが光源であるかのように。

だから水滴は
はかなく地べたに落ちるのだ。

第十五章 そこにあったもの


   闇の旋律

あの街角から
あのビルのどこかから
かすかに聞こえる
未解決事件の息づかい。
もう、だれひとり、
被害者の存在すら知らないが。
未解決事件は不眠症である。
それはまばたきもせず
冷たい涙を流している。
闇の深いところから
遠まきにわたしたちを見つめながら。


  桜

桜の花が咲いている。
まだ風は寒く
人間は残酷なままである。
桜の花が散っていた
私もそれなりに生きてきた。
いちばん大切だと思ったものが
かつてはいくつあったのだろう。
また一年が無駄に過ぎ
桜の花が咲いている。



 
  そこにあったもの

冷たい闇の中に
小さなランプが灯っている。

その小さな光に照らされたものが
わたしにとっては大切なものだったから

わたしはそれが永遠にそこにあればいいと
神様に祈ったのだ。

ほんの小さな気まぐれが
ランプの炎をかき消した時

すべてが見えなくなってしまった。
初めから何もなかったように。




  抱負

自分自身を雑巾みたいにしぼってさ
悲鳴がでるほどきつくしぼってさ
そこからしたたる血のようなもの
涙か鼻水みたいなものの最後の一滴を
人生と照合する。
自分の存在をかけてみる。
はい。これしかないように思います。


  日常

誰にもことばをかけなかったし
誰からもことばをかけられなかった。
交差点の斜め上あたりを
流れてゆくわたしたち。

  
   

  手のひらの上の真理

造花のようなものを抱きしめて
きみは生きているのです。
大切なものはすべて心の中にある。
そのことを忘れないでいて。
もしぼくたちが
この宇宙の一部でなかったら
いったいどこの一部なのか。
よく考えてごらん
ぼくもきみもこの宇宙の中で
永遠に一体なんだよ。
この事実を愛というのだ。
時間も距離も関係ない次元の中で
ぼくらはただこの事実だけを知ればいい。
さみしくないし独りじゃない
そのことを、忘れないでいて。



  ごみについて

いらないものばかり
捨てたいものばかり
でも何一つ
自分の一存で捨てられるものがない。
わたしが所有していたもの、
わたしだけのもの、
いつからすべてを共有したのだろう。


  

  早春

石畳の町に
春がやってくる。
いま、わたしのかたわらを
あたたかな
黄色いものが
笑いながら通り過ぎていった。

第十六章 ガラスのような夜景

  

   イノチのカケラ

きょう死んだ人
あした死んでゆく人
わたしの死後も
やはり続くであろう世界。
雲を眺めつつ
語りませんか。
いつかぼくたちが
宗教ほどには奇妙でない夢を見るために。
少なくとも、ぼくたちが
何か大きな力や理由や意味の
一部であるように。
子供のころに開けた
小さなビスケットの箱の中で。



   あしたはいない

ゆっくりとフェードアウトしてゆく
聞き慣れた音も
慣れ親しんだ声も
やがて聞こえなくなってしまう。
その静寂の中で
わたしの存在も消えてしまう。



   下り坂暮景

眼球をはずして
坂道を転がり落としてみる。
眼球はピンポン玉のように軽くはずんで
勢いよく転がり落ちてゆく
空も地べたも混ざりあって
やがてそれが一つの風景として見えてくるまで
どこまでも どこまでも 転がってゆけ。


   ガラスのような夜景

ああ、誰か
世間並みの薄汚れた手じゃなくて
とことん汚れた手か
まったく汚れていない手で
俺をひっぱたいてくれ
思いっきりひっぱたいて
乱暴に抱きしめてくれ
一瞬でいい
声をあげて泣いて
この街が目覚める前に眠らせてくれ。


   フラストレーション

迷惑メールが
途切れることなく送信されてくる。
バカはどこまでもバカで
悪事は絶えることがない。
低俗なメッセージが
情報社会の端末に
くりかえし着信する。


   歩こう

空が冷たく張りつめているから
わたしはもう振り返らない。
忘れることのできない悲鳴が
いつまでも
聞こえているのだとしても。


  

   神について

困っている人がいたら、
苦しんでいる人がいたら、
迷わず手を差し伸べる。
それが、
神の存在証明です。

詩集 人はその気になれば1分以内に死ねる

詩集 人はその気になれば1分以内に死ねる

ほんとうの思いは、短い言葉でいい現わせる、と思う。

  • 自由詩
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-02-11

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 第二章 沿岸波浪
  2. 第一章 101号室
  3. 第三章 下り線
  4. 第四章 青い街路
  5. 第五章 いちばん美しい貝がら
  6. 第六章 それ自体を笑え
  7. 第七章 入室禁止
  8. 第七章 奇妙な写真
  9. 第八章 落日の足どり
  10. 第十章 黒いトンネル
  11. 第十一章 便所的平和
  12. 第十二章 君も見ている
  13. 第十三章 光の残像
  14. 第十四章 ゲームはつづく
  15. 第十五章 そこにあったもの
  16. 第十六章 ガラスのような夜景