橋の上

 明るい日差しに梅雨の気配など少しも感じなかったこの頃。夏のように輝いていたお日様も夜通しの雨ですこし冷えたようで、雨雲が去った後は初夏らしい明るく優しい光を降らせていた。濡れた地面の上を滑り風はすずしく、端に登れば緑と水の香りをつれたなんとも爽やかな風が吹いていた。
 風の香りにばかり向いていた意識が目の前に引き戻されたのは、橋の欄干にくくられたキーホルダーが目に入ったから。ボールチェーンのついたその小さな人形は背中に羽をもつ幼い子供で、マヨネーズメーカーのマスコットでもあるキャラクターだった。 
 落とし物であろうそれは親切に誰かに拾い上げられ見つけやすいようにと欄干に括り付けられているが、その姿は雨風で随分と劣化しており、長い間ここに放置されていることが見て取れる。塗装のはがれた大きな目に昨夜の雨が光っていた。
 忘れられることと捨てられることに違いはあるのだろうか、と人形の頭をつつけば瞳にたまった涙に見えるそれが頬を伝って落ちた。
最後に見たあの子はこの人形にそっくりの赤ちゃんで、きっと自分もよく似た姿だったのだろう。橋から身を乗りだせば、穏やかな川面にうつるのは14歳くらいの自分。見た目はおなじはずだからあの子だと思って話しかけてみる。
「忘れていよ」
 自分は忘れられもしない、捨てられもしないのによくこんな勝手なことが言えると思う。
 13年ほどぐだぐだと橋の中ほどまでわたっては引き返しているのは、結局のところあの子とそっくりな子の姿が惜しいのだ。毎日欠かさず川面のうつる自分を眺める。いつか岸辺できょろきょろと不思議そうにしているあの子に手を振るため、駆け寄って笑いかけるため。そのまま手をつないで橋を渡り切ったら二人で頼み込むのだ。今度こそ半身を置いてきたりしないように。でもそれはずっと先の話であればいいと思う。
 明日になったら、マジックペンでこの人形のはげた瞳を塗り直そう。願掛けなんてこの場所で効果を持つかは知らないが、あの子がどうか健やかで、私と会うのがずっとずっと先でありますように、と祈るのだ。

橋の上

橋の上

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-02-10

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