狼の声

狼の声

桜岡町にあるコテージ【満月】。山奥深くのコテージに二泊三日の宿泊に来た大学の友達男女八人。しかし、その町にはある“言い伝え”があった。
“狼の声が聞こえると人が消える”
その“言い伝え”の通り、狼の声が聞こえると次々に人が消え始める。

信頼と裏切りのミステリー。
誰を信じて、誰を疑うのか。


貴方は、“言い伝え”に関して、何か知っていますか?

遠吠え1

夏の虫達が大きな声で合唱をしている。どこかでコンクールが開催されている様な耳障りだ。誰も入り込んだ事のない道を、ただひたすら歩いている。真夏の暑い日でもあったが、それほどにむさ苦しさを感じず、虫も寄っても来ない。別に、暑さ対策や、虫除けスプレーをと、対策をしていた訳では無い。むしろ、何も考えず、大自然に行こうと言う話だけで、ここを選んだ。小さな町、桜岡(さくらおか)町の山奥にあるコテージ【満月】。そこに俺達、大学の友達八人で行くに事になった。事の発端は、まだ皆で旅行をしていないという、簡単な理由だ。誰が先陣切って言う訳でもなく、自然とその話になった。十八歳から二年の付き合いではあるが、いい距離感の“友達の輪”と言う感じだ。しかし、一人一人個性が強いのは仕方のない話だ。人間は考える力があるから。俺は皆の個性を理解している。道中だけでも、皆の個性が見えている。
「ねえ、まだ着かないの?」
黒く長い髪の毛をわしゃわしゃと自分で触りながら面倒くさそうに話しかけてくる。彼は熊谷大輝(くまがやだいき)。眼鏡をかけており、行動するのが嫌いなタイプだ。しかし運動神経が抜群であり、剣道の腕前は達人級だと言う。何かあると彼は、直ぐに面倒臭そうな発言をする。この道なりにしてもそうであった。
「足が棒になっちゃうよ。まだなの洋行。」
「少しは落ち着け。ここを選んだのは皆の同意の上だ。お前も良いと言っていただろう。」
大輝に呼ばれた彼。佐田洋行(さたひろゆき)。彼は身長が大輝よりも大きく、金色の短髪である。見た目は怖いが冷静沈着であり、全員に優しい。皆を理解して作業を振り分けるなど、俺達のリーダー的役割でもある。
「いいか。皆で決めた事だ。文句がある奴は全員に対しての文句になるぞ。」
俺達の先頭を歩いている洋行は、大輝の方を振り向きながら口角を上げて声を掛けた。
「へいへい。」
脱力感のある彼の返事に洋行もだが、俺たち全員も少し笑みがこぼれた。それ程まで大変と感じさせない道のりだが、彼の発言は疲れていなくても面白い。
「もう、相変わらずな態度どうにかしてよ。」
そう言った彼女は大輝の背中を軽く叩き、大笑いをしていた。彼女は猫崎麻奈(ねこさきまな)。身長が150㎝程度で、ツインテールを維持している。二次元にいてもおかしくは無い容姿をしており、大学内では人気がある。ムードメーカーと言った感じで、元気で明るい子だ。
「こーちゃん、どう思う?」
麻奈は手を繋いで歩いている彼に笑顔で話しかけた。
「まあ、やる気が無いのは、いつもの事だからな。」
麻奈の笑顔に対して、彼も笑顔で返していた。麻奈と手を繋いで歩いている彼は、古井虎太郎(ふるいこたろう)。高校球児で、180㎝の身長もあり、当時はアイドル級の人気もあった彼だが、プロ野球からスカウトも来ることなく、大学で野球をしている。高校時代はテレビでも見たことがあり、筋肉隆々であったが、現在は少し太った印象だ。しかしそれでも、体格は良い。麻奈と虎太郎は所謂カップルである。
「おなか空いたのは確実なんだけどね。」
大きなおなかを摩りながら、麻奈と微笑みあっていた。傍から見て、仲は良さそうだ。
「くだらない…」
俺の前を歩いている彼女は、誰にも聞こえない程の小さい声でその二人のやり取りを否定していた。彼女は蛇塚夕姫(へびづかゆうき)。ゲームやパソコンを好み、所謂引きこもりと言うやつではあるが、異性からは人気がある。多分、顔が可愛いからだと思う。俺もそう思っている。
「どうした、夕姫。」
ゆっくりと夕姫の隣まで行き、とりあえず話しかけた。夕姫は、あっと声を漏らし、俺の方を向いた。口を手で覆いながら俺に返答をした。
「うち、また何か言ってました?」
「いや、何か聞こえたかな?って程度だよ。」
本当は“くだらない”と聞こえていたのだが、そこは流すことにした。
「そうですか。」
コミュニケーションが苦手ではない子だが、この小一時間自然の中を歩いている。元々引きこもりの彼女にとっては辛い状態であると思った。
「杏奈!お茶頂戴!」
「えー、もう全部飲んだのー。ちょっとは考えてよー。」
「うるさいわね!」
俺の後ろの方で二人の女の子が話している。杏奈と呼ばれた彼女は、美兎杏奈(みとあんな)。163㎝と小柄ではあるがスタイルがいい。噂によると、数人の役割がある男がいるらしい。元気で周りからはチヤホヤされている。が、この個性的なメンバー内ではチヤホヤはされていない。特段その事をなんとも思っていないそうだ。そして、杏奈にお茶を求めた彼女は孔雀明日香(くじゃくあすか)。容姿端麗で、実家がお金持ち。身長も高く、髪の毛も黒髪で長く、非の打ち所がない。また、楽器類も得意で、才色兼備とはまさにこの事だと思っている。が、それを自分でも知っているため、時折上から目線、人を見下す態度を取る事があり、そこは懸念点である。事実、杏奈に上から目線で命令している。杏奈はそれをなんとも思っていないのが見ている俺からしてみれば面白い。
「水でも良いわよ!」
「いやです!」
こんな七人と居ると面白いなと改めて思っていた。

————「ようやく着いたな。」
先頭にいる洋行が後ろを振り向き、全員に言葉を放った。かれこれ一時間半掛かった。皆喋りつかれたか、歩き疲れたか、どんよりとしていた。この道のり、車も通ることもままならない為、本当に大変だと感じた。全員で到着したことの歓喜に沸くことも無く、我先にと、コテージへ進んでいった。コテージ【満月】。そう古くもなく、むしろ最近建てられたものではないかと思うほど外装は綺麗であった。景色が綺麗であったり、自然を感じられると人気のコテージである。人気が出るのも間違いは無いと思った。俺らは外装に驚きを感じながらコテージに近づいて行った。コテージの後ろ側にはもう一軒小屋があり、あまり外装は綺麗ではなかった。しかし、生活感は漂っていたため、誰かが住んでいるんだろうとは思った。
「あ、こんにちは。二泊三日の佐田様ですね?」
コテージの中から、若い女の子が出てきた。見た感じ高校生と言った感じだ。
「あ、そうです。お世話になります。」
俺達は洋行の言葉に続いてお願いしますと言い、お辞儀をした。
「ここのオーナーさんですか?」
それは無いだろうと思いながら、洋行の言葉を聞いていた。
「あ、いえ。ここのオーナーは…」
彼女の話を遮るかのように、後ろから大きな男性が出てきた。大輝とほぼ同じ身長差であり、体格が虎太郎よりも大きかった。威圧感はあった。
「君達か。」
そういうとその大男は、若い女の子の前に立った。俺達は戸惑った。大男が誰かも分からないので、言葉も出なかった。後ろの女の子も、戸惑っていた。
「ちょっと、あなた誰よ!」
その空気を察知できない明日香が大男に言い放った。他の皆は唖然とした。いくら強気でも、目上の人間に対しての発言ではないと思った。その言葉に狼狽えることも無く、大男は話をした。
「ここの、オーナーだ。」
全員呆気に取られた。言葉に、え?と出すやつもいた。すると、女の子が再度、オーナー大男の前にでた。
「あ、ごめんなさこの人がコテージ【満月】のオーナーで、鷲尾雄三(わしおゆうぞう)と言います。寡黙な人なのでごめんなさい。」
オーナーの前でペコペコと何度も頭を下げていた。
「いつも後ろのボロ小屋にいる。何か困ったことがあったら言いなさい。」
そう言うと、俺達の返答も聞くことなく、その“ボロ小屋”へと歩いていった。
「何!?あの態度!」
その後ろ姿を見て、明日香は案の定怒りを露呈していた。
「まあ落ち着け。お前の態度も悪かったんだから。すみませんでした。」
洋行は明日香を注意しつつも、女の子に謝罪をした。明日香はまだムスッとした表情をしていたが、女の子はにこやかにいえいえと、再度頭を下げていた。
「皆様、ここではなんですので、中へどうぞ。」
女の子は手をコテージの方へ向けて、俺達を案内してくれた。

━━━━室内は外からみる以上に広く、室内の物、家具等はアメリカン風のモダン調であった。意外にお洒落で雰囲気も良く、先にも言った通り広々としており、開放感が抜群だ。天井を見上げると大きなファンがゆっくりと回っており、兎に角高い吹き抜けがある。本当に素敵な場所であることは間違ってない。明日香の露呈していた怒りは自然に消えており、顔が緩やかになっていた。他の皆も和やかなムードになっていた。
「あらためまして、コテージ【満月】へようこそ。」
女の子は改めて挨拶をしてくれた。それに返答して俺達も自己紹介をした。
「こちらこそお世話になります。佐田洋行です。」
「あ、俺?熊谷大輝です。」
「…蛇塚夕姫です。」
「猫崎麻奈です!こっちはこーちゃん!」
「おい、ちゃんと紹介しろよ。古井虎太郎です。よろしく。」
「美兎杏奈です。よろしくね。」
「孔雀明日香。」
「俺は七尾誠(ななおまこと)。よろしく。」
八人全員、自己紹介でも個性は出てきた。女の子は俺の自己紹介を聞いてから口を開いた。
「こちらこそよろしくお願いします。私、ここでお手伝いさせてもらってます、鷹野直子(たかのようこ)と言います。」
話によると、叔父である鷲尾雄三のこのコテージ【満月】で週末のみお手伝いに来ている、女子高校生らしい。
「二階の方に個室がありますので、そこを寝室に使ってください。」
彼女は階段を上がりながら案内してくれた。二階には、階段をあがって右側に五部屋、左側に五部屋、合計十室の個室があった。八帖と小さな個室ではあるが、室内にはベッドもテレビもありインテリアもしっかりしていて、くつろぐには丁度と言った大きさであった。右側には奥から、俺、明日香、杏奈、大輝。左側には奥から、虎太郎、麻奈、夕姫、洋行が部屋を選んだ。窓からは大自然が見えており、近くに湖もあるようであった。全ての部屋の家具や間取りは同じで、左右対称なだけであった。壁側にベットがあり、その壁には引違い戸の窓が付いている。窓はそれしか無いものの、その窓は160cm程であって、日の光が眩しく当たる。
「誠。下に降りて皆で話をするそうだ。」
虎太郎が俺の部屋に来た。とりあえずこの二泊三日の話をするのだろうと思い、俺は虎太郎の後についていった。一階に降りるとリビングには皆揃っていた。すぐに二階へ上がったため、一階は見ていなかった。仕切りも何もなく、オープンな雰囲気だ。リビングもモダン調は変わり無いが、暖炉や薪などのオブジェクトもあり、流石コテージと言った雰囲気であった。また、キッチンは、壁と接することのないアイランドキッチンという種類であった。ここのコテージを全て自由に使えると考え色々とワクワク感が込み上げていた。
「ここのコテージ本当に綺麗!」
麻奈は窓の外を見て騒いでいた。
「うるさいのよ!黙ってなさいよ!」
明日香は携帯を弄りながら麻奈に注意をしていた。ここまで歩いて来た苛々が募っていたのだろう。
「とりあえず、計画を立てようか。」
洋行は明日香の苛々を気にもとめず話を始めた。
「はーい。ハイキングなんてどうですか!」
一番元気な麻奈が手を上げて先陣を切った。明日香に怒られたことを気にも止めないかのように。
「皆ここまで来るのを疲れたでしょ。自由行動でいいんじゃない?」
洋行は麻奈の言葉を遮るかのように話していた。皆も疲れの顔を見せながらそれに同意した。
「それじゃあ、そうしようか。」
そういうと洋行は一足先に二階の自室へ戻った。それに続くように全員二階へ行った。俺はそのまま残り、コテージの外へと出た。自分達が来た道を見ると、木が生い茂っており、よくこんなところを歩いたなというような畦道であった。
「あ、七尾さん。どうされたんですか?」
コテージの娘、鷹野直子だった。彼女は一輪車で薪を運んでいた。しかし、一回名前を言っただけですぐに名前を覚えるのは、流石接客業だと感じた。
「誠で良いよ。君こそ何しているの?」
「直子でいいですよ。」
彼女はニコリと微笑み、一輪車を置いた。
「お爺ちゃんが薪を切っているのでそれを運んでいます。」
首にかけてあるタオルで額の汗を拭いた後、束ねた黒髪を解いた。想像していたよりも長く綺麗で艶のある髪の毛であった。彼女はまた髪を結び直した。
「ここで汗をかくと、日頃のストレスが全て吹き飛ぶんです。」
「そうなんだ。直子ちゃんはいつからここに?」
髪の毛を結び終えた彼女は、コテージの入り口を向いた。
「あ、佐田さんどちらへ?」
小さなカバンを背負い、帽子を被った状態の洋行がコテージから出てきた。
「ああ。自然を見てこようかと。」
「そうですか。野生の動物も多いので気をつけてくださいね。」
「ん、どんな動物がいるんだ?熊とかか?」
洋行は直子の方を向いて、笑いながら言っていた。多分茶化したつもりだろうと思う。
「いいえ、狼です。」
彼の茶化しを物ともせず、直子は笑いながら返答した。
「狼か。気をつけよう。」
洋行も一本取られたのか、そのまま笑いながら手を挙げて、すぐに戻ると俺に言い残し、森の方へ向かって行った。
俺はまだ、この時は皆で楽しい休暇を過ごせていたと思っていた。彼女の言っている、狼の声が聞こえるまでは。

遠吠え2

「中学の頃からここには来てますよ。」
俺は直子の持っている一輪車を代わりに運んでいた。
「すみません。お客様にこんなことをさせるなんて…」
「いいよ。これから短い期間だけどお世話になるんだし。それに、ちょっと興味あるからね。」
そうですか。直子は微笑んでくれた。俺たちはそのまま直子のおじさん、鷲尾さんの方へ向かって行った。
「高校って桜岡町にあるの?」
大自然に恵まれたこの町に高校があるのかと思っていた。
「ありますよ!一応大きな桜岡高校って所が!」
田舎にでもある、といった感じで話してくれた。ふと、桜岡高校に引っかかった。
「桜岡高校って、昔事件があったところじゃない?」
「あ、知ってますか?」
「うん、新聞で読んだかな?」
約十年前、俺が十歳の頃、新聞やテレビでニュースになっていた。桜岡高校のある高校教師が生徒を使ってお金を集めたり、強姦事件を起こしたと言うものだった。
「結構話題になってたよね。女子高生が一人亡くなったって。」
「そうですね。今でもその彼女が亡くなった日には黙祷しています。」
「忌まわしき事実だからだろうね。」
そう話していると、例の小屋の所に着いた。鷲尾さんが薪を一人で割っていた。
「おう、直子。薪を持って…」
俺の姿を見ると、鷲尾さんの表情が変わった。
「なんだ、用事か。」
再び薪割りを始めた。寡黙というか人見知りというか。よく接客業が務まるなと思った。
「すみません。直子さんに頼んで、どんな仕事があるのかなと思って。」
俺の話を聞いているのかいないのか、薪割りを黙々と続けていた。
「確か、七尾誠と言ったな…」
薪割りの手を止めて、俺の方を向いた。改めて思うが、凄く体が大きく威圧感のある雰囲気である。
「あ、はい。」
圧倒されながら返事をした。鷲尾さんは俺の方へ近づいて来た。そして斧の柄を俺に向けた。
「やるか?」
俺は、はいと返事をして斧を握った。薪割りは初体験であった。かなり重い斧を遠心力と重力を使って振り下ろして薪を割る。そう鷲尾さんに言われたものの、凄く難しい。直子は笑いながら俺を見ていた。
「結構難しいですよね。」
数個は割れたが、腕の力が限界であり、手を休ませた。
「どうだ難しいか。」
鷲尾さんは俺が手を休めたのを確認すると、俺から斧を取った。
「今日はここまで来るのに疲れただろう。休め。」
そういうと、再び薪を割り出した。見た目以上に優しい人だと思った。鷲尾さんと直子はそのまま作業を続けていた。俺は二人に挨拶をして、自室へ帰ることにした。

━━━━コテージに入ると、一階のリビングでは夕姫がソファに腰掛け、机にパソコンを置いて何か作業をしる後ろ姿が見えた。耳にはイヤホンを付けており、少し揺れている様な感じがした。驚かせようと思い、そーっと近づいた。真後ろまで近づいたが、その気配にも気付かないほど集中している。何をしているのかとパソコンの画面を覗いた。画面には自然や動物、湖といった写真だった。純粋に気になり、夕姫の肩に手を置いた。驚いたのか、キャッ!と大きな声を出して後ろを振り返った。俺の顔を見てイヤホンを外した
「もう、誠君…。死ぬかと思った。」
「いやいや、お前の声で俺が死ぬ所だった。」
そういい、夕姫の隣に座った。
「何の写真なんだ?」
「これ?…ここら辺の衛星写真を詳しく切り取ったもの。この周りに何があるのかなと思って。」
フーン。俺はそう言いながら再び画面に目をやった。先にも言ったように、自然、動物、湖と様々な写真があったが、湖の写真が一番多かった。
「なんだ、湖行きたいのか?」
夕姫は少し照れ臭そうに頷いた。そしてパソコンのキーボードに手をやった。俺はそれをジッと見ていたが、タイピングが異様に早い。流石引きこもり、と失礼な事を思ってしまった。やがて、彼女の手が止まると画面をこちらに向けてきた。
「これは?」
画面には砂利のような物が敷き詰められた庭があり、いくつかの石が大きな間隔でポツンと置いてあった。
「枯山水。私が一番好きな所。」
聞いたことはあったが、詳しくは知らない。夕姫に詳しく聞いてみたほうが早そうだと思った。
「これが、湖と関係あるの?」
そういうと夕姫はパソコンを閉じた。
「枯山水の魅力は“引き算の美”と言われてるの。“水を感じたいから水を引く”という美よ。」
「ああ、成る程。それで砂利のようなものが敷き詰められてるのか。」
「そう。でも、別に水と思わなくてもいいの。その景色を見て自由に想像するのが枯山水。」
「へえ、奥が深いんだな。よく見に行くの?」
「うん。写真だけじゃなくて、自分の目でみたいからね。」
引きこもりの彼女の始めてアウトドアな話を聞いた。
「でもなんで湖の写真を?」
「“引き算の美”の引き算された物を、見ておこうと思って。」
感受性が豊かというか、心が綺麗というか。素晴らしいものを夕姫は持っていると思った。そんな彼女を見て、それを感じている彼女を見てみたいと思った。
「ここの近くの湖、一緒に行く?」
「え…うん。でも今日は疲れたから、明日行こうね。」
そういうと俺の返事を聞かず、机の上を素早く片付け、そそくさとその場から退散した。目にも留まらぬ速さだった。なんか、ちょっと照れている自分がいた。こうやって夕姫と話ができるのもいい時間だと感じていた。俺は数分だけボーッとソファから窓の外を見ていた。そんな自分の中で優雅な時間を過ごしていると階段を急いで降りる音が聞こえた。
「杏奈!早くしなさい!」
階段を慌ただしく降りてきた明日香は、下から二階を見上げ大声で叫んでいた。一階に居るのに見下した言い方だった。リュックを背負っているのでどこかに出掛けるのだろう。俺は顔だけ後ろを向き、明日香の方を見た。
「明日香。どこ行くんだ。」
明日香は眉間にシワを寄せていた。そして俺の顔を見て溜息をついた。
「虎太郎と麻奈にも話したのに、また話さないといけないの…」
いや、別に話さなくてもいいのだけれども、と心の中で思っていた。
「湖に泳げるような場所があるって聞いたから、そこに行くのよ。」
明日香は運動も好きなことからそういうアウトドアな発言は意外ではなかった。
「あたしが言わなかったら知らなかったでしょ!」
明日香に続き、階段から杏奈が降りてきた。どうやら杏奈の方が提案したらしい。
「うるさいわね。早くしなさいよ。」
「二人とも気を付けてな。狼いるらしいから。」
俺は先程直子に聞いた狼情報を教えた。実際はいるはずは無いと思っているので笑いながら言った。
「え!?ホントに!?それヤバくない?やめようよ明日香。」
杏奈は明日香に近付いて言っていた。
「煩いわね。居る訳ないでしょ。日本の狼は全滅したのよ。」
「え?そうなの?」
俺と杏奈は同じ反応をした。日本には狼っていないのかと、俺も初めて知った。だからあの時、直子も洋行も笑っていたのかと思い出した。
「狼の習性を知っていれば、それ位考えればわかるわよ。いいから杏奈行きましょう。」
「う、うん…。」
明日香は杏奈の手を引いてコテージを出た。そうか狼は絶滅したのか。でもなんで直子はあの時狼と言ったのだろうか。そう思い、直子を探しに外へ出た。

————ここに来てから自室には荷物を置く事だけにしか向かってないと思いながら、コテージの周りをウロウロとした。すると、鷲尾さんが小屋から出てきた。
「あ、鷲尾さん。」
俺は鷲尾さんに声を掛けてみることにした。
「あ、七尾君か。」
鷲尾さんは胸ポケットから煙草を二本取り出し、一本を口に含んだ。そして残りの一本を俺に向けてきた。
「吸うか?」
「あ、頂きます。」
「ここで吸う煙草はうまいんだ。」
鷲尾さんは空を見上げながら、煙を吐き出した。俺も肺に煙を入れた。自然の風と共に煙が体に入ってくるのが分かる。美味しい。煙草がではなく空気が。煙草の煙が空へと消えていく。手に持っている煙草の先端から出ている煙も空へと昇って行った。
「自然の空気を汚すかもしれないが、その分ワシは自然を愛すると決めているんだ。」
鷲尾さんの言葉はすごくカッコよかった。俺はその時、ふと狼の事を思い出した。
「そういえば、ここにいる野生の動物はどんなのがいるんですか?」
鷲尾さんはポケットから携帯灰皿を出しトントンと灰を落とした後、俺に渡した。俺は鷲尾さんが持っている灰皿に灰を落とした。
「熊みたいな肉食の動物はおらぬが、鹿や猿はいるぞ。あと、滅多に見られない鳥、例えば、クロワシハゲやハチドリが居たりすることもある。」
鷲尾さんは煙草の火を靴の裏で消して、吸い殻を灰皿へ入れた。俺もそれに続けて入れた。
「ちょっと来てみろ。」
そういうと、俺を小屋の中へと案内した。
小屋の中はコテージと違いシックな感じではあるが、とても綺麗にされている。部屋も三つほど見えた。鷲尾さんはその中の一部屋へと俺を案内した。その部屋は鷲尾さんの書斎といった感じで机があり、壁一面の本棚には、ギッシリと本が敷き詰められていた。そして壁には、様々な動物の写真などが飾られていた。
「昔はそういう野生動物が沢山いたんだがな。」
鳥や鹿など沢山あったが、狼の写真は無かった。俺が元々鷲尾さんに話をする理由を思い出した。
「あの、狼とかもですか?」
その発言を聞いた鷲尾さんの顔は急に変化した。何かに怒りを覚えているのかの様な表情であった。元々の威圧感と共に、益々恐怖を覚えた。恐ろしくなり、失言か分からなかったが、一先ず謝罪をすることにした。
「あ、何か余計な事を…」
謝罪をしようと口を開いたときに、鷲尾さんは両手で顔を覆いながら話をした。
「ワシの顔はそれほど変わっていたか…」
虚無感の様に、申し訳なさそうな顔をしていた。最初、その顔に対しての変化を言っていいのかと思ったのだが、鷲尾さんの姿を見ていると悲しみを帯びているのかと感じた。
「あ、いえ。俺が何か余計な事を言ってしまったので、すみませんでした。」
未だに顔を覆っている。鷲尾さんは覆った状態で大きく深呼吸をした。
「大昔、ここ一帯の桜岡町には絶滅したと言われている狼がいた。」
鷲尾さんは覆っていた手を脱力したようにおろし、話し始めた。横顔しか見えなかったが、目は虚ろになっている様に感じた。
「絶滅危惧種として低懸念されているタイリクオオカミ。昔はその狼がここ一帯に、ウルフパックが三つ程あったんだ。」
「ウルフパック?」
「ああ。所謂、群れの様な事だ。」
「その狼が何か?」
「ワシがまだ子供の頃、森の方から狼の遠吠えが聞こえたのだ。そして翌日、とんでもない事が起きた…。」
「とんでもない事?」
「ワシの親父が狼に首根っこを噛まれていた。」
「え?大丈夫だったのですか?」
「死にはしなかったが、重症であった。大昔から言い伝えはあったんだ。」
「言い伝え?」
「“狼の声が聞こえると人が消える”。」
「消える…。人が死ぬことはあったんですか?」
「いや、この言い伝えは“狼の声が聞こえたら逃げろ”と言う言葉が変わったものだ。ワシが生きている間に人は死んでいない。今、狼は絶滅した。ワシも襲われた。ここの町の全員は狼に怯えている。」
「そうでしたか。俺、余計な事を言ってしまいましたね。」
「いや、恐怖心は誰しもが持っている物だ。ワシこそすまない。」
「全滅したなら、その言い伝えの事、直子は知らないんですか?」
「孫か。この森の人間だから知っている。約十年前に聞こえたんだ。桜岡高校の女子生徒が亡くなった時期に。しかし、狼の姿は確認されていない。だから、まだ狼は生きているのかもしれない。」
鷲尾さんの話で、この町が狼にどれ程恐怖を植え付けているのかが理解できた。直子も知っているが、多分信じてはいないのだろう。“狼の声が聞こえると人が消える”。まさに、恐怖以外のなにものでないと思った。俺と鷲尾さんは数分話をしていた。あの声が聞こえるまでは。
ウオーン。
森全体に鳴り響いた鳴き声で、俺と鷲尾さんの表情は固まった。

遠吠え3

鷲尾さんより素早く小屋を出た。外は何も変わりなく天気がいい。遠吠えは短く、どこから聞こえたかは皆目見当もつかなかった。ただ、気になることは、森に探索しに出ている洋行や、湖方面にいる明日香と杏奈が無事かという事だった。
「まさか、また現れるとは…」
鷲尾さんは俺の後に続いて小屋から出て、森を全方向見渡していた。
「俺の友達が、三人程森の方へ行ってます。」
「そうか…」
この広大な森の中、場所も不明な狼。双方とも見つける術は無い事は分かっているが、心理的に誰かを頼りたいほど焦っていた。
「お爺ちゃん、誠さん…」
急いで走ってきたのか、息が切れていた。
「今の遠吠えだよね?」
「そうじゃ。狼の声だった。」
この町の言い伝え、“狼の声が聞こえると人が消える”。この言い伝えを信じていない直子はさぞ驚いたであろう。その言い伝えを今日聞いた俺でさえ驚いているのだから。しかし、タイミングが良すぎるのが一番不思議だと感じた。
「皆さんはコテージの中にいらっしゃるのですか?」
未だに息が切れている直子は、俺の友人達を心配してくれていた。俺は洋行、明日香、杏奈の行方を説明した。
「大丈夫ですかね…。他の皆さんはコテージに?」
「うん。多分中にいると思う。」
俺と直子はコテージに向かった。鷲尾さんは森の中へ探しに行くと言って、森に入っていった。多分、狼の声に驚くのは全員同じだと思うが、この町での狼の意味合いを知っているのは驚きより、恐怖を覚える。コテージに入ると一階は物音一つしない。俺がコテージで最後に見たのは蛇塚夕姫だけだった。おそらく外にまだ出ていないのは、古井虎太郎、猫崎麻奈だと思う。面倒臭がりの大輝は言うまでもない。俺達は二階の自室へ向かった。
二階には誰かが居る気配は無く、何の物音もしなかった。確実にいる夕姫の部屋に向かった。扉を二階ノックした。
「夕姫。居るのか?」
中から足音がした。その時点で少し安堵した。中からはーい、と元気な声が聞こえた。
「あれ、どうしたの?」
扉が開き、中から案の定夕姫が出てきた。先程の遠吠えは聞こえていないかの様な落ち着きであった。
「ああ。コテージにずっといたのか?」
「うん。ベッドでゆっくり休んでたよ。」
そうか。再度安堵感が込み上げた。
「何か用事?」
夕姫は俺を見た後、後ろにいる直子を覗き込んだ。オーナーの孫と俺が一緒に夕姫を訪ねたので、勿論驚いていたと思う。俺は夕姫に先程の狼の声について話をした。
「え?ごめん。うち聞こえなかったよ。」
「そうなのか?結構大きな声だったけどな。」
俺は顎に手を当て考えた。結構響いていた声は室内に居るものには聞こえていないのかと。
「誠さん。他の方にも聞いてみましょう。」
直子は後ろから俺の服の裾を引っ張り話しかけてきた。俺は直子の問いに答え、夕姫の部屋から離れようとした時、夕姫から待ってと、言葉を掛けられた。
「多分うちしか居ないよ?」
「え?虎太郎達とか大輝はいないのか?」
「うん。出たと思うよ。」
「いつ?姿が見えなかったけどな…」
「そお?杏奈ちゃんと明日香ちゃんが出て行って、そのあと誠君が出てっ行った後に、虎太郎君と麻奈ちゃんはうちの部屋に来たよ。外をブラブラしてくるって言って。」
二人の影は見えなかったが、夕姫が言うならそうであろう。
「大輝は?」
俺はそのまま大輝の行方も聞いた。
「大輝君はここに来てすぐ出て行ったよ。」
「アイツもブラブラしにいったのか?」
「いや、外を出て行くところしか見てないけど…」
あの面倒くさがりなアイツがそんな行動をするなんてと思っている。
「とりあえず皆の部屋確認してくる。」
夕姫の返事も聞かずに俺と直子は他の部屋を見てまわった。虎太郎も麻奈も大輝も、ノックをしても返事がなく、勿論、明日香、杏奈、洋行の部屋も誰もいない状態だった。
「本当に、誰もいませんね。」
直子は俺の方を向いていた。正直、狼に関してはそれほど信用というか、そう言う言い伝えがあった、で俺の中では話が終わっている。別に皆を心配しているわけではないが、胸の中でソワソワとしか感じがした。
「心配じゃないですか?」
直子は俺の顔を覗き込んで話しかけてきた。俺の心を見透かされている感じがした。
「うん?なんでそんなこと?」
直子は俺の顔をじっと見ていた。今度は心を見透かされると言うより、心理的に読まれる感じがして、少し気持ち悪いと感じた。
「狼の事、信じてない?」
当たった。案の定当てられた。この女子高生は何者だと思った。実際に信じてはいないのでその事が表情に出たのか、俺の顔を再度睨みつけ言葉を続けた。
「やっぱり。図星顔。」
口元を手で多いながら笑っていた。再三気持ち悪く思った。
「ごめんなさい。やっぱり狼なんていないですよね。」
そう言うと彼女は、階段の方へ向かって歩き始めた。どの様な感情で今の発言があったのかは知らないが、かろうじて彼女と鷲尾さんは信じているはずだと思った。俺は彼女の続くように階段の方へ向かった。
「昔、私がまだ小さい頃、お爺ちゃんに聞いていたんです。狼の事。」
先に階段を降りている直子は後ろを付いてきている俺の方は振り向かず、進行方向だけを見ていた。
「あの話聞いた時、どう思いました?」
狼の話であることは間違いない。しかし、先ほど彼女に見抜かれたことが真実なので、どう返していいかわからず、黙り込んでしまった。
「やっぱり、信じられないですよね。日本で全滅した狼が桜岡にだけいるなんて信じられませんよね。」
まあ、そう言う考え方もある。彼女の話を聞いているうちに、一階にきていた。
「先週見たんです。」
一階に降りてもなお、彼女の足は止まらず、玄関の方へと歩き出した。
「見たって何を?」
俺の質問の後に少し間が空いた。
「多分狼。」
少ない言葉ではあったが、彼女が“言い伝え”を信用する意味が理解できた。しかし、多分というのが気になり、彼女にそのことを問いただした。
「先週の昼頃、山で山菜を集めていたんです。ワラビやノゲシとか。」
俺たちはいつのまにかコテージの外へと出ていた。
「丁度、あそこの山辺りです。」
俺達がここへ来た道の隣に小道があり、その奥には山があった。彼女はその山を指していた。
「昼間だったんですが、黒くゴソゴソと動くものがあったんです。」
彼女の目線はずっとその山の方向を向いていた。
「形は見てません。黒い物体がいたという認識程度です。」
「じゃあ、なんで狼と思ったの。」
「遠吠えが聞こえました。」
「え?」
「大きな遠吠えじゃなかったです。でも、しっかりと聞こえました。」
「鷲尾さんは?その時鷲尾さんは何していたの?」
「お爺ちゃんにその事話しましたが、全然聞こえなかったと言ってました。」
「直子に聞こえて、鷲尾さんに聞こえてないのなら、直子の近くで小さく吠えたと考えられるな。」
「はい。だから私が見たあの黒い物体は狼だと思います。」
「小さい声でも、吠えるのか…」
俺は、直子が遠吠えを聞いたという方向をボーッとみていた。すると、その先から、一人走ってくる人物がいた。俺はその人物を見るや否や、名前を叫んでいた。
「洋行!」
洋行は俺の顔を見て、こっちに走ってきた。走りながら何かを話していたようだが声はこちらに全然届いていなかった。洋行がこちらに近づくにつれ、手に何か持っているのが見えた。
「どうしたんだよ洋行。」
「すごい発見だよ。」
走ってきたので、彼の呼吸は荒れていた。
「どうしたんですか?佐田さん。」
直子も気になり、洋行に質問した。
「あ?ああ、コテージの高校生か。」
洋行は直子を見た後に、俺の目の前にその手に持っていた物を見せてきた。黒い毛の束のようなものだった。
「なんだよこれ。」
正直、距離が近すぎて気持ちが悪いと感じた。洋行は顔色一つ変えず、今度は直子にそれを見せた。
「さ、佐田さん。これなんですか?」
直子の顔も引きつっていた。俺は洋行の手首を軽く掴み、制した。
「洋行、冗談はそのくらいにして、何か説明してくれよ。」
洋行の顔はやはり変化は無かったが、奥底に苛立ちが見えたような気がした。彼は軽く溜め息をし、俺の手を振りほどき、手に持っている毛の束を見つめた。
「動物の毛。」
その言葉を聞いた俺は、全身の毛が逆立つのを感じた。何の動物かは知らない。だが直感として、脳裏に浮かぶ動物はいた。
「何の…何の動物?」
直子は身震いをしていたのか、両腕を抱えていた。その質問に冷酷するかのように洋行は答えた。
「え、狼。」
場が凍りついたのを感じた。でも、これは、俺と直子だけだとも感じた。

狼の声

狼の声

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  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-02-01

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  1. 遠吠え1
  2. 遠吠え2
  3. 遠吠え3