ライト係

上から順番にどうぞ。

 懐中電灯を消せば彼女は死ぬ。
 消さなければ僕が死ぬ。そんな状況だ。
 プレハブ小屋のなかは、暗く、寒い。広さは四畳半くらいと少し窮屈さを覚える。天井には豆電球の一つも見当たらなく、四方の壁は安アパートのように頼りない。吹雪の唸る音がほとんど耳元で聞こえるほどだ。
 彼女は、僕の持つ懐中電灯によって照らされていた。小刻みに震えつつ両の指を絡ませ、そこへ溜息を吹きかけて一瞬の暖にすがっている。
 恐怖を煽るように空き瓶がカタカタ鳴りだした。そして、チカチカッと懐中電灯の光が怪しくなる。僕は、その明滅から意識をそらすべく、高校二年生の春を思い出すことにした――。

 二〇一六年四月五日。
 その日、二年一組のメンバーは初めて一堂に会した。しかし僕は欠席した。体調不良のため自宅の万年床にくるまっていたのだ。ただ単に、「新しい環境」とやらへのチューニングに嫌気が差していただけかもしれない。とにかく、僕の不在をいいことにクソクラスメイトどもは『話し合い』と称して妙な儀式を行い、ある係を押し付けてきた。
 その名は――ライト係。
 決定したその日のうちに、自宅のポストにはその旨を伝えるプリントと三つのアイテムが放り込まれていた。
 懐中電灯、耳栓、目隠し、の三つである。プリントの裏側には『朝七時正門前集合。リムジンの最後部座席』との走り書きがあった。
 翌日その通りにしてみると、長い長いリムジンが川底を滑る鰻のように音もなく現れた。そして最後部座席から、僕と同じくらいの背丈を持つ女子生徒が降りてきた。
 名を日向(ひゅうが)という。背筋をピンと伸ばしているので威圧感があった。顎を軽く引き、しかめた双眸は虎の如く。制服、薄めのメイク、栗色ボブカットの髪、そして陶器のような白い肌。言葉で挙げればありがちなパーツ類だが、その全てがきちっと調和していたため、彼女の周囲に透明な壁が見えた。
「照らして」
 僕に一瞥だけくれた日向は、その一言を置いてスタスタと歩いていった。状況がつかめずに呆然と立ち尽くしていると、近くにいた一人の男子生徒が慌てて背中を押してきた。
「何やってんだ! 早く、その懐中電灯で彼女を照らせ! 死ぬぞ!」
 あまりの慌てように気圧されて、黙って指示通りにしてみる。懐中電灯のスイッチを押すと、ビンと伸びた光線が、彼女の首筋に円をつくった。
「……頑張れよ」
 男子生徒の心から気の毒そうな言葉。同じ台詞をこれから一年間何度も聞くようになるなんて、このときの僕はまだ知らない。

 学校は過去に同じ病気で一人の生徒を亡くしていた。だからわざわざ『係』として光源用の付添人を用意している。元々週代わり制だったそうだが、なぜか僕だけがやらされ続けた。二年一組は、日向に対して『未熟』だったのだろう。
 光が当たってないと死ぬ、なんてヘンテコな病気に罹患せずとも死んじゃうんじゃないか。そんな冗談にもならないことを、僕は震えながら考えていた。寒さというやつは人の思考まで奪っていくらしい。
「ねぇ、あなたのそのポッケ……」
 日向の視線で、僕は言いたいことを察する。
「いや、これは石だよ。電池じゃない」
 ほら、と白い石を取り出して見せる。彼女は拗ねたように「そう」と言っただけでまた黙った。そして再び目線を泳がしだす。何を探しているんだろう、と不審に思っていると、彼女の目はある一点で止まった。僕の右斜め後ろだった。
 振り返る。草やら薪などが散乱するなかに、古いタイプの大きな電話があった。
 ――助けが呼べる。
 しかしそれを使うには、電池が一つ必要だった。
 つまり、懐中電灯を消さねばならない。

「はっくしょん!」
 日向との初会話はそのくしゃみがキッカケだった。四時間目が終わり、屋上でお弁当をつついていたときだ。もちろん僕は懐中電灯を握りしめていて、向けた先には、日向。
「ねぇ。もしかしてあなた、そーゆー体質の人?」
 体質ときいて、光くしゃみ反射のことだろうとすぐに分かった。僕は光をみると、たまらなく鼻がむず痒くなる。
「そうですよ」
「じゃ、もっと離れて」
 日向がひょいと距離をとった。僕は、怒るというより呆然とした。
「そんな、あんまり離れたら危ないと思います……」
 恐々と諌めてみる。すると彼女は、白米を咀嚼しながら、黒眼だけ動かして睨んできた。
「……」
 ベタ塗りのような黒眼に射竦められる。そして返事をしてきたのは、十秒後にこくりと飲み込んだあとだった。
「あなたは、係、でしょう。どんなときでも私を照らし続けるのだと、約束して」
 言って、やにわに小指を差し出してくる。僕は軽く驚きながらも、きちんと指切りしようと歩み寄った。そして手を近づけた――瞬間、日向は小指を引っ込めた。
「……その手、汗ばんでない?」
「かもしれない」
「じゃあ嫌」
 それっきり僕を見なかった。お互い黙々とお弁当を消費するだけの死んだお昼休みが流れていく。二人しかいない屋上の空気が、嘘みたいに冷えていた。
 その居心地の悪さはまだマシだった。
 六時間目が終わり、ようやく係から解放されると伸びをしたとき、日向がふいに立ち上がった。慌てて懐中電灯の向きを調整する。
 日向はしばし突っ立ったままでいた。なんだ、と不思議がって顔を覗き込もうとすると、彼女は早足で教室を出ていった。慌てて後を追う。
「あれ、持ってるよね」
 廊下を曲がった瞬間、突然振り返ってそう言ってきた。持ってるよね、と言われてとっさに思い当たったのは、耳栓と目隠し。もちろん持っていた。
「つけて」
 日向の命令口調にいいかげん慣れてきた僕は、黙って二つを装着した。
「ついてきて」
 手首を掴まれ、そのまま引っ張ってどこかに連れて行かれる。放課後に浮かれる生徒たちの間をくぐり抜けると、ほんのりと芳香剤の香りがしてきた。その瞬間、僕はクラスメイト達を強く恨んだ。なんで僕をライト係にした? 女子生徒がやるべきだろ! 
 しかし、僕は何も言わずに従っていた。何故なら、日向が何も言わないから。
「そのままでいて! 絶対よ!」
 大きめの声で釘を刺される。そしてドアの閉まる音がする。察するに、僕の今の姿勢とは、個室のドアの上へ手を伸ばし、懐中電灯を中へ向けている。そんなギリギリの状態だ。
 流石に個室の中へは入れたくない気持ちは分かる。しかしこの体勢はあまりにもきつい。三十秒も経たないうちに腕がギチギチと悲鳴を上げだした。
 こういう時間の経ち方は遅い。今日一日の疲労も重なり、僕は徐々にイラつき始めていた。冷静になれば、僕はどうしてこんな係をやっているのだろう。ここまで大変な思いをしてまで! 押し付けられただけじゃないか。不公平にも程がある。
 それに、彼女も彼女だ。病気なのは可哀想だと思うが、もう少し礼儀とか感謝とかがあって然るべきだと思う。僕のことを奴隷か召使いとでも思っているのか? 冗談じゃない。
「ねぇ!」
 声がする。僕は返事をしなかった。
「何だかふらついてない? もっとちゃんと持ちなさい」
 たぶん頭にきたんだと思う。
 つい出来心で、懐中電灯のスイッチを切ってしまったのだ。
 一瞬。そう、一瞬だけだ。五秒もなかった。それでも、大粒の汗を浮かべて呻吟する彼女が保健室に運ばれる姿を、脳裏に焼き付けるはめになった。
 二十分後。保健室への入室が許された。
 ライト係である僕は、どんなに気まずくても、ベッドに横たわる彼女から離れられない。
「……私の家にね、ペットの犬がいるの」
 僕とは反対方向にある窓を見つめながら、ぽつりと零すように、話しかけてきた。
「名前はポチ。普通でしょ? そう、普通の犬なのよ……。とってこいとボールを投げればとってくる。待てと言われれば待つ。とってもいい子なの」
 僕は悔しかった。本当に自分を呪っていた。誰だって、彼女の言動には腹が立つだろう。苦言を呈してやりたくなるだろう。でも同時に、苦しみながら意識を失う彼女を見たら? 横たわって消え入りそうな声で話す彼女を見たら? 夕刻の陽に照らされた美しい横顔を見たら? きっとこう思うはずだ。
「あなた、犬以下よ」
 守ってやりたい、と。

 日向をしばらく無視していると、げしげしとキックが飛んできた。もちろん、運動も筋トレもしていない彼女の蹴りなど痛くない。
「ねぇきいて! 懐中電灯の電池を入れ替えて! 助けを呼ぶのよ!」
 僕は今一度日向を見つめる。うずくまるように小さく座り、全身を僕によって照らされている。そんな弱々しい姿が、夕暮れの保健室で見た彼女と重なった。
 光を消してなるものか。

 それは夏休みに入る少し前のときだ。
 いつも通り、屋上にて絶望的にお弁当を食べていると、日向が突然立ち上がって歩き出した。向かう先はフェンス。自殺するなら全力で止めなきゃなとぼんやり考えていると、止める役は彼女であったことに気がついた。
「そこの」
 声をかけた先にはとある女子生徒がいた。フェンスの向こう側に立っている。彼女は怯えた顔で振り返り、後ずさりをした。飛び降りようとしているのは明白だ。
 日向が淡々と話し出す。
「落ちるなら別の場所にしなさい。その下の中庭は、地面が柔らかいから死にきれない」
「……」
 女子生徒はじっと日向を見ていた。日向も彼女を見続けていた。やがて五時間目のチャイムが鳴っても、そうしていた。つまり僕のサボりが確定したのだ。この頃にはライト係も四ヶ月目に突入していたので、慣れていたけれど。
 女子生徒は、たっぷりと時間をかけて戻ってきた。彼女がフェンスを越えて着地した途端、日向はこんなことを言った。
「仲いい友達とか、家族とか、いないの?」
 女子生徒がキッと睨みつける。しかしすぐに目を伏せて、ポロポロと泣き出してしまった。なんてこと言うんだコイツは。
「……いないなら、あなたは授業をサボっても平気よね。駅前に行きましょうか」
 日向は飄々とそんなことを言って、返事を待たずに歩いていった。仕方なく、僕もその後に続く。そして下りの階段を七回ほど鳴らしたとき、女子生徒はいつの間にか背後で歩いていた。
 女子生徒の名をアエカという。無口で大人しい、小動物のような人だった。
「まずは思い出を作っておきましょう。いいわね?」
 僕もアエカも何も言わず、日向についていった。そして駅前にあるショッピングモールのゲームセンターでプリクラを撮った。全員が真顔だったので葬式帰りみたいな雰囲気の写真になった。ふざけて加工した『HAPPY!』の文字がバカみたいで笑ってしまった。
 その後は、レーシングゲームとシューティングゲームをいくつかした。一応僕は男なので、変な意地から「いいとこ見せてやろう」と意気込んでプレイした。
 しかし結果は惨敗。どのゲームでも三位になってしまう。二位は日向で、一位はアエカだ。言い訳させてもらうと僕は片手でやっている! 
 アエカはその店で歴代トップの成績を残すほどの腕前だった。
「……すごいわね」
 リザルト画面を悔しげに睨みながら、日向が褒めた。彼女が人を褒めているところを始めてみた。アエカは黙って頭を振り、そして耳を赤くした。
「何かしたいゲームはある?」
 日向の質問に、アエカは一つの機体を指差す。そのゲームは、三人で協力してゾンビを撃ち殺すものだった。舞台は日本の高校で、ゾンビはそろって学生服を着ている。だからかは知らないけれど、三人の絞るトリガーには自然と力が入った。
 今こそやつらを撃ち殺せ。バーンズガガガガ。
「ねぇ、これ見てよ」
 僕はタイミングを見計らって、プリクラでの写真をアエカに見せてみた。葬式写真に浮かぶ『HAPPY!』の字。それを指すと、彼女は初めてクスリと笑った。こっそりガッツポーズをした僕に日向が舌打ちしたのは記憶に鮮明である。
 その日は、ゲームセンターを出たらすぐに帰宅した。
 七月中旬。――夏休みに入ったのでようやく係から解放されると喜んでいたが、日向から毎日のように呼び出しがかかってきた。ほとんどが「アエカと遊びに行くから来い」という内容だった。
 初日は日向の豪邸にお邪魔になり、紅茶を振る舞われた。渋いだけでよく味が分からなかったので、コンビニでコーラを買ってきてそれを皆で分けた。日向はぶつぶつ文句を言いながらちびちびと舐めるように飲んでいた。炭酸が苦手らしい。……そして別の日には、ショッピングに映画。街を漫ろに歩いているかと思えば、「歌う」と一言呟いてそのまま一晩中カラオケにいたこともある。
 アエカはすっかり笑うようになった。劇的なことなど必要なかったのだと今になって思う。日向は自身の強引さで、特別なことも自然なことも綯い交ぜにできてしまう。そんな度胸が僕にはなかったし、アエカには巡り逢いがなかった。
 何が言いたいかというと、アエカと日向はお似合いなのだ。
 ある日、こう訊いた。
「変だと思わないの? こんな、懐中電灯で照らし続けるだなんて」
 アエカは困ったような顔をして、こう返した。
「……うん。まぁ、見慣れないね。でも、別にいいかなって」
 彼女の人の良さを痛感したのは、このときだ。
 日向という傲慢と我儘と奔放に振り回されていた僕には、天使に見えた。
 そして――。
 甘い休日は熟れていく。
 夏祭りで花火を見ようとして見られなかったり、カラオケでようやくアエカがマイクを持つようになったり、日向がラーメンを三杯かき込んでいるのをアエカとドン引きして見ていたり、そう、過ごしていた。するとアッという間に夏休みは終わった。たかが四十八日間。始業式は飛ぶようにやってきた。宿題は、三人分全てを日向が終わらせてしまったので心配ない。それは、もしかすると日向なりの気づかいだったのかもしれないが、問う勇気を僕は持ち合わせていない。
 最終日。アエカの希望で、群馬にある天文台に来ていた。そして何事もなく流星群を見上げて、「また明日」と手を振り別れた。最後の日と言ってもこんなものだ。
 次の日。アエカは学校に来なかった。仕方ないと思った。
 また次の日。アエカは学校に来なかった。日向の口数が極端に減った。
 さらにまた次の日。僕と日向はアエカに再会した。
 棺の中で色の薄い花たちに囲まれ、彼女は幸せそうに眠っていた。
 遺書には、「悔いはない」という一言だけが残されていた。

 葬式の帰り道。平生と変わらず日向と並んで歩いていた。右手には懐中電灯。そして左手にはビニール傘。雨が降っていたので二人分の屋根としていた。彼女の肩が濡れてしまわないように気を配る。
 日向はまっすぐ前を見て歩いていた。強い人間だな、とつくづく思う。
 午後の薄暗い路地が囁くような雨に包まれている。僕らは身を寄せ合ってすり抜けるみたいに歩いた。左右のトタン屋根から、ぽたり、ぽたり、と粒が溢れる音がする。僕はなにかに急かされて、やおら日向に話しかけた。
「アエカは……幸福だと思うんだけど、どうだろう」
「同じこと考えてたわ」
 間髪入れずに返事がきた。しかし彼女の顔は前方のまま。
「やりたいことをして、満足したから死ぬなんて、羨ましい限りよ。私も幸福のうちに死にたい」
 僕は返事をしなかった。してはいけない気配が漂っていた。
 でも、と日向が立ち止まる。
「……私は正しかった、よね? 声をかけて、仲良くして、それで死を祝福するのは――正しい?」
 日向が顔を向けてきたので、僕も顔を合わせた。互いに目で目を覗き込む。こんな真面目に向き合ったのはいつ以来だろうか。彼女の美しい顔を、ここまでしっかりと見たことがあっただろうか。
「答えなさい」
「君が決めるんだ」僕は初めて言い返した。
 すると日向は、両手がふさがって無防備になっていた僕の胸へ、顔を埋めてきた。
「……友達が、できたと思ったの。私こんなだから、お弁当さえも教室で食べられなくて……。分からなかった、友達とどこへ行くのか。毎日調べた。ワクワクした!」
 僕は気がつき始める。
「初めてだったのよ。分かる? 初めて、友達と、遊んだの! やっと、やっとあんな、いい子と出会えたのに! やっと友達ができたのに!」
 それだけ叫ぶと、日向は僕の服を掴んで泣き始めた。イヤ、イヤ、と駄々をこねるような泣き方だった。
 そのとき僕はようやく知った。彼女は、とても弱い――あえかな人間なんだ。

 人には生きていくために光がいる。なんてのは世界共通の認識だ。しかし日向に必要な光は種類が違う。例えば、ライト係を僕に押し付けたクラスメイトたち――彼らには、天を遍く照らす燦然たる太陽光なんかでいい。けれど日向には、一人から向けられたささやかなライトでないといけない。それはとても難しいことだった。
 他人への頼み方、友達の作り方、話し方、動き方、全てが不器用なだけにすぎない。もっと早く気がつけば良かった。そうすればもっと――。
 そんな話をしてみた。
「バカじゃないの? そうやって話題をそらさないで! 電池を、今すぐ、電話に入れるの。あなた凍え死ぬわよ!」
 カチカチッと、懐中電灯はその寿命を明滅で報せてくる。
 依然、吹雪の向こうから助けなど現れない。

 十月には修学旅行がある。
 その一週間前に日向は体調を崩した。
 授業中に「うっ」と言い、そのままトイレに駆け込んで吐いた。ひとしきり落ち着くと授業に戻ったが、またすぐに吐き気をぶり返していた。
「今日は休んだ方がいい。家に帰ろう。修学旅行にも行けなくなるよ」
 はぁはぁと息を整えながら、彼女は僕を見る。そして頭を振った。
「だめ。父さんが許さないわ」
「そんな、君はもう高校生だろ? 父さんなんて」
「あなた達と一緒にしないで!」
 女子トイレに響いた日向の声は、静けさをひいた。その荒げ方が彼女の余裕のなさを物語っている。
 うぅっ、と、彼女は今朝の食パンを便器に吐き出した。
 僕は耳栓も目隠しもせずに、横で黙って背中をさすっていた。
 そしてこんな提案をしてみた。
「じゃ僕の家に行こう。それなら、父さんにもバレないだろう」
「……へ?」
 その後で特筆すべきことはない。普通に僕の家に行き、彼女は布団に倒れ込んだ。(僕のものだ)そのまま死んだように眠り、午後六時かっきりに目を覚ますと、そそくさと電話で迎えを呼んだ。このあたりで気がついたのだが普通に保健室へ行けばよかった。
 受話器をとった日向に、父さんがまずいんじゃないのか? と訊くと、
「車は叔父さんが出してくれるの。だから大丈夫」
 と言っていた。どうやらこれまでにも、様々な共犯関係を結んでいるらしい。
 去り際に「お礼」と言って小包を貰った。中身はチョコレートだった。表面には英語が印字されており、その『HAPPY』の文字にアエカを思い出す。日向がコレを買ったのはそのせいだろう。
 夜にはちゃんと病院に行ったらしい。そのおかげか、一週間後、僕と日向は無事に修学旅行へ発つことができた。
 スキー旅行だ。僕も日向も初体験であった。似合わないスキーウェアに身を包んで例のごとく二人きりで行動していると、軽い吹雪のせいか、途中でコースを間違えてしまった。どんどん林の奥へ入ってしまい、おまけに小規模な雪崩に鉢合わせ、荷物の入ったバッグが消えた。
 残されたのは、ポケットに常備している懐中電灯と、入れっぱなしの電池一つと、白い石のみ。そんな散々な折に、ぽつねんとしたプレハブ小屋を見つけることができたので、僕らは必死の思いで駆け込んだのだった――。

10

「バカじゃないの? そうやって話題をそらさないで! 電池を、今すぐ、電話に入れるの。あなた凍え死ぬわよ!」
 カチカチッと、懐中電灯はその寿命を明滅で報せてくる。
 依然、吹雪の向こうから助けなど現れない。
 僕は動かなかった。
「……」
 日向が諦めたように静かになった。ポスンと壁にしなだれかかり、ふぅと溜息をつく。
「ねぇ。今だから言うけどね」
 しっとりとした声色で、日向がまた口を開く。顔をそらしたその話し方は、いつかの保健室にそっくりだ。
「私、病気、治ってるのよ。もう光を当てなくても、大丈夫なの」
 とんでもない告白に思わず懐中電灯を落としそうになる。だが一年間の経験がそうはさせず、なんとか持ち直した。
「一週間前に病院行ったでしょ? そのとき言われたの。あの吐き気は……回復の前兆なんだって。だから私、この前、試しに部屋を真っ暗にしたの。そして、そのまま寝てみたの。でもほら……大丈夫」日向が両手を広げて、健在を示してくる。「だから、懐中電灯を消してもいいのよ」
「……本当に?」
「本当に」
 僕は日向と目を合わせた。いつもの、まっすぐとした目だ。懐中電灯の光が、むしろ表情を分かりにくくさせている。
 その告白が本当なら、今すぐにでも電池を電話に入れるべきだ。このままでは最悪二人共死んでしまう。――しかし僕には拭いきれない疑念があった。それはなんだ?
 見つめてみる。思い返してみる。
 すると、答えはすぐに出た。
「いや、嘘だね」
「違う!」
「違くない。君のその話し方は、嘘をついているときの話し方なんだ」
「何を根拠に」
「夏休みの初日、君の家に行った。そこには犬がいなかった」
「……」
 僕の言葉を少し考えた後、「しまった」という顔をする日向。ここまで顕著に表情が出る人間だったか? とつい思ってしまう。
「……そう。嘘よ、嘘。本当のこと言うわね」
 日向はすぐにいつもの調子を取り戻し、再び話しだした。
「私、もうすぐ寿命なのよ。もちろんこの病気でね。だから今死のうがどうしようが関係ないの。あなた、電池を無駄にするわよ」
「……」
「私の正体はね、あなたの妄想でした。モテなさすぎるあなたが、自分を慰めようと作った妄想。だから相手にすることないわ」
「……」
「こう見えてロボットなの。光エネルギーを得て活動してる。だから少しくらい補給がなくなっても、再起動できるから安心して」
「……」
「実はこれドッキリなのよね。はい大成功。撮れ高は充分だから、そこの電話で連絡して」
「……」
「くじ引きは、クラスの全員であなたをはめたの。首謀者は私。あなた以外の連中は自由な青春を謳歌したわ。そして私は好き勝手が出来た。可哀想にね」
「……」
「あの子が死んじゃったのは、私のせいなの。私が、死んじゃえってあの子に言ったのよ。それで死んだの」
「……」
「あなたの事嫌いだった。くしゃみはするし、喋らないし、冴えない顔してるし、モテないし、全然言うこときいてくれないし……」
「……」
「……」日向が黙る。
「……もう終わり?」
「そーゆーとこ、嫌いなのよ! 今くらい言うこときいてよ!」
「嫌だ」
 そう言った瞬間、バチッと一際大きな音を立てて懐中電灯の光が消えた。
 光のない暗闇が訪れる――ことはなかった。
 懐中電灯が消える直前、僕はポケットの白い石――火打ち石を懐中電灯に打ち当てていて、その火花が草に散っていたからである。
 ゆっくりと、火種は大きくなっていく。どこか頼りないけれど、確かにそれは日向を照らしていた。
「……ね? 大丈夫だ」
 僕は火をうまいこと扱いながら、徐々に大きくしていった。もう拳以上の大きさはある。部屋は充分に照らされている。
「な、なんで……?」 
 驚愕に固まっていた日向が、口を開いた。
「なんで最初から、そうしなかったの? そしたら電池が切れることなく、すぐに助けを呼べたのに!」
「そんなの、もったいなくて」
 火はずいぶんと大きくなってぼうぼうと燃えていた。
 きちんと光源があるけれど、小屋のなかはまるで暗い。つまり、僕はその明度を勇気として行動することができる。
 気づかれないよう寄り添って、日向の肩に肩をくっつけた。
 暗がりのなか、静寂に炎がパチッと弾けた。それは二人の前でむらむらと燃えている。オレンジ色の暖かさが、お互いの紅潮を誤魔化していた。
 死んでもいいか、と二人は笑った。


                                             了

ライト係

お題:ライト でつくりました。お題下さい。
拙作をお読みいただきありがとうございました。

ライト係

短編です。通学・通勤時間にちょうどよいです。 光を当て続けないと死ぬ女の子と遭難しちゃってさぁ大変。見捨てて助けを呼ぶか、このまま二人で凍えるか。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-01-27

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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