アレルギーの日

アレルギーの日

カエルにもアレルギーはあるのかな?

「あの上司の奴、緊急搬送されたみたいでね。ははは、潰したアサガオみたいに青くなった後、口から細かい泡を作って倒れてやんのよ」
 カエル先生は補修を受けている僕に愉快そうな顔で言った。ゲコゲコと喉の奥からタワシで擦った音をたてて笑う。僕はシャープペンシルの芯をポキリと折って「うるさいです。僕は補修を受けているんです」と言う。
 しかし、カエル先生は無視して話を続ける。
「でもまぁ、私のせいなんだけどね。あの上司、デスクワークの机の引き出しの中に歯ブラシを入れててね。そんで、その歯ブラシで黄ばんだ歯をゴシゴシゴシと磨くの。その事を私は頬杖をつきながら日々、ぼうっと見ていたんだが。突然だが思いついた」
 僕はとりあえず話を聞いていた。シャープペンシルの芯を入れ替える。
「それが数週間前の事でね。それから、あの嫌な上司の歯ブラシにモアイ像を磨り潰した欠片を少し振りかけた。それが今日だ。私は実行した」
 僕はイライラとしつつも質問した。
「どうしてモアイ像? それにモアイ像を磨り潰すなんて意味がわかないですが?」
「確かに。そう思うのは確かだと思う。単刀直入に言うなら、あの嫌な上司はモアイ像アレルギーなんだ」
 僕は答えた。
「モアイ像アレルギー?」
「そう、モアイ像アレルギー」カエル先生は静かに答えた。
 それでカエル先生は続ける。「それで僕は考えた。あの嫌な上司をとっちめようってね。歯ブラシを媒体にしてモアイ像の粉を上手く食わせれば、コロコロ、これはイチコロ。奴の面白い顔が見れるってね」
「でも、モアイ像の粉って……何処かで売っているんですか? 近くのスーパーマーケットで豚足が売られているのとは違うんですよ」
 カエル先生はゲコゲコと笑う。「そりゃそうだ。豚足は食い物だがモアイ像は食い物じゃないだろ?」
 僕はとてもカエル先生が話す内容に文句を言いたかったが、黙って続きを聞いた。
「私は電車に乗って旧友の住む町に行った。町の雰囲気はごく普通なんだが、ある外れに行くとガラッと変わる。変わるっていうのは宿だらけになるんだ。こんな所に誰が宿泊するんだろうか? 辺りは合掌造りの土壁の住宅が並んでいる集落で、さっきまでいた場所からすると全然違う」
 僕はプリントに書かれている文字をシャープペンシルでなぞりながら質問した。
「違うって例えば? どんなふうに?」
カエル先生は大きなめん玉をキョロキョロとさせて「うん。町の説明をすると、高層のビルとか、高層のマンションが建っている。ファッション雑誌にのっている流行りの服装を女性たちは当たり前に着こなしているし、信号機だってピカピカのLEDライトに切り替わっている。そんな街中から車で三十分の私の目的に地に行くと林の井戸に落っこちたみたいに、ビルのてっぺんが見えなくなって、青い快晴空だけが剥き出しになる。田舎の空だ。そう、町の匂いや音、空気の感触までが、テレビのチャンネルを変えたように景色が変わってしまう。デジタル放送からアナログ放送の世界に行ってしまうんだ」
 僕はその例えがいまいち理解出来なかったけど、適当に相づちを打った。
 カエル先生は続けた。
「合掌造りの古民家に近づくと黙々と立ち上がる熱い煙と硫黄が鼻に触れるんだ。まぁ簡単に言うと温泉だな」

カエル先生は湿っぽい土の上を歩いている。周りは山しかない。その先を進むと段々畑があり、それを超えて降っていくと三角屋根の集落が見えてきた。集落に到着してブラブラと歩いて探索する。扉の前には看板が出されて一泊の値段が表示されている。焼いた饅頭の匂いや角煮の甘い香りがするが人影が一向に見えない。ただ赤い警報機がズラリと並んでいるのは少し気味が悪かった。すると草履が擦れる音が聞こえたのでカエル先生はめん玉をキョロリとさせて振り返った。
「久しぶりです」鹿は言った。
「やあ。久しぶり」カエル先生は答えた。
 鹿は着物を着ていた。蒼い着物だった。身長はカエル先生よりも少し高かった。右の角は折れていた。でもそれに対してカエル先生は何も反応は示さなかった。
「だめじゃないか。スーツなんて。此処ではみんな着物だと決まっているんだ。君は何時もルールを破る」
 鹿は真面目な表情で言った。
「いや、何もルールを破りたくてスーツを着ているわけでもなければ、気取っているから着けているわけじゃないんだ。職業的にスーツを着けてしまうんだ」
「ふぅん。文化気取りだね」鹿は息を吐き言う。そうしてカエル先生を或る一つの宿に招き入れた。宿の中はガランとしていて人の気配は感じない。宿っぽくない。それよりも空き家と言った方がいいのではないか? 木の梁が見えて藁の屋根が見える。框を越えると硬い床はあるがそこには向かい入れられず、ただの土間である玄関で鹿は立ち止まる。その土間の上には白いテーブルと椅子があった。まるで白い骨みたいだった。それと、この集落には似合わない代物だった。牡蛎小屋にショートケーキが置いてあるみたいに。
「まぁ、座れよ」
 カエル先生は白い椅子に深く座った。少しひんやりとした。そうして目の前に座る鹿に聞いた。「人がいないな。何処かに買い物でも行ってるのかい? 食い物は並んでいるのに、ほったらかしは良くないと思うんだが?」
 鹿はクスクスと笑う。
「まぁ、色々とあるんだよ? 君も仕事をしていると色々とあるだろ? 問題とか? つまり、色々とあってね」
「色々、ねぇ」カエル先生は真似して言った。
「そうだ、色々さ。そう言えば君が此処に来た理由は、モアイ像を貰う為だったね」
「昔、モアイ像の収集が趣味って話していた事を思い出したんだ。変な趣味って思ったよ。モアイ像。モアイ像は何処かの遠い島の奥にある結構巨大な代物だと思っていたのに。それを収集する奴がいるなんて。アホらしい限りだよ」
「アホらしいねぇ。その通りだと思う。モアイ像を収集するなんてね。でも正確に言うとモアイ像を収集するのが本来の趣味ではないんだ」
「なんだって?」
 鹿は折れた角を触りながら「つまりさ。俺はモアイ像を集めが目的ではなくて、目的の結果がモアイ像なんだ。というのは、この部落の人間たちは遺伝が毎回受け継ぐんだよ。アレルギー。そうアレルギー。でもそのアレルギーは卵アレルギーとか、小麦粉アレルギーとかではないんだ」
カエル先生は「ということは、もっと珍しいアレルギーが遺伝するのか?」
 鹿は頷く。
「うん。文化的な反応さ」
「文化的な反応だって?」
「そう、文化的な反応。俺はその文化的アレルギー反応を調べていてね。どうも此処の部落の人たちは文化的な事柄や物を見たり触ったりすると、身体が硬直して縮むんだ。で、モアイ像になる」
「ははは、つまらない冗談だ。それじゃ、聞くけど今ここで人影が見えないのは、そのアレルギーのせいとか言うのか?」
 鹿はまた頷く。
「実はそうなんだ。普通なら、この部落に入る際、文化的な恰好や持ち物を持ちこんだ場合、警報がなるんだ。ウーーーン。ウーーーンってね」
「でも鳴らなかった」
 鹿は私を見つめる。それで私は答えた。
「私の所為なのか?」
「うん」鹿は相槌を付いて「まさか、警報が鳴らないなんて俺は思わなかった。でも鳴らない理由は……」
「私がカエルだから」
「そうだね。それしかないね」
 夏らしい風がスウッと二匹の前を通り過ぎる。私は鹿の顔を眺めたが特段、怒っているとか、不機嫌とか、そう言った感情はなさそうだった。
「聞くけど、そのモアイ像になった可哀想な人たちは元に戻るのかな?」
 鹿はかかりつけの医者のように「戻るよ。所詮はアレルギーさ」と言う。
「それはよかった。ちなみに、どうやって治すの?」
「コーラに浸す」
 私は答えた。「それは文化的な治療ではないか?」

 僕は席から立ち上がり、このどうしようもないアホなカエル教師に「いい加減にしてくだい。僕はこの補修が終わった後に、あの近所の公園で19時からやっている紙芝居を見に行かなくちゃいけないんです。先生が語るモアイ像の入手方法とか、カエル先生がムカつく同僚にやった悪戯とかどうでもいいんです」
カエル先生は紫色のカニの絵が描かれたネクタイを触りながら「君。カエルが喋っている時は黙って最後まで話を聞きなさい」と言い「それで私はモアイ像の付近に落ちていた粉を集めて帰って来たんだ。そうして今日、決行したんだよ」
 カエル先生がそんな感じで言い終えた時、僕はまだ未使用の消しゴムを投げつけた。牛乳よりも白い黄金比の形をした消しゴムはベクトルに従って空中を舞い、カエル先生の頭に衝突する。ゼラチンが震えたようにカエル先生の頭が揺れ、ふるふるとした瞬間である。スーツのしわが雑巾を捻るように身体が締め付けられていきカエル先生の長い手足も捻れて締め付けられていく。僕があっけに取られいるとカエル先生は、理科の教科書で見た事があった輪っかのある惑星になっていた。土星か木星か金星かそんなの僕は分からなかったがバレーボールよりも一回り小さいその惑星は宙に浮いている。スーツは床にシワくちゃの形を作っていた。僕は「きっと、カエル先生もアレルギーだったんだな。消しゴムアレルギーなのか衝撃アレルギーなのか理解できないけど、まぁ、いいや」僕はそう独り言を吐いて、紙芝居を見に教室を出た。
 靴箱からスニーカーを取り出した時、僕は一つ気になって教室に戻った。それでまだアレルギーの症状が出ている先生に聞いた。
「それでモアイ像になった人たちは、どうなったの?」

アレルギーの日

アレルギーの日

「あの上司の奴、緊急搬送されたみたいでね。ははは、潰したアサガオみたいに青くなった後、口から細かい泡を作って倒れてやんのよ」 カエル先生は補修を受けている僕に愉快そうな顔で言った。ゲコゲコと喉の奥からタワシで擦った音をたてて笑う。僕はシャープペンシルの芯をポキリと折って「うるさいです。僕は補修を受けているんです」と言う。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-01-26

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