冬のシエスタ
やわらかい肉を、きみはしていて、いや、ぼくだって、このひとだって、あのひとだって、そのひとだって、にんげん、からだにまとわりつく肉はやわらかいのだけれど、きみの肉だけ、なんだか神さまに選ばれたみたいに、とくべつやわらかい気がしている。
午前三時に見た夢のつづきを、ときどきみる。ひるまに。
シエスタ、という言葉が好きなきみが、ソファに寝そべり居眠りをしている。だらん、と垂れ下がったきみの左手の先、床には開いたままの本が落ちていて、窓辺には一羽の小鳥が、羽を休めているのか、ぼくは、きみが風邪などひかぬよう、毛布をかけてやりながら、ぷくっ、とお餅みたいに膨らんだ小鳥の様子をうかがう。午後三時。午前三時に見た夢は、ぼくときみが、どこかしらない町、雪降り積もる寒いところでふたり、静かに暮らしている夢だった。
現実と、あまりかわらない。
目を覚まし、夢の内容を振り返ったとき、ぼくは思った。ぼくときみは、いつもふたりでいるし、きみにも家はあるけれど、ほとんどの時間ぼくの家にいるし、ごはんもふたりで食べているし、ふたりで眠る夜もあるのだから、それってもう、一緒に暮らしているに等しいのでは、と顔を洗いながら更に思った。
だから、これは現実であり、夢のつづきである。
毛布の上から、きみのうでを、指でそっとおしてみる。肉。弾力。にのうで。マシュマロ、というにはおおげさで、けれど、スポンジ、と呼ぶには味気ない。ぼくは、今度は自分のうでを、つまんでみる。ぎゅっ、と。ぎゅ、ぎゅ、と。
肉、だ。
あたりまえのことを、まるで一瞬、ぽっかりと忘れてしまったときのように、思い出して、もう、ぜったいに忘れないと誓いながら何度も、繰り返し、つぶやくみたいに、ぼくは、肉だ、と思った。
外はくもりで、今年いちばんの冷えこみらしいけれど、ぼくたちの住んでいる町に、雪は降らない。
きみの肉は、きっと、あたたかいのだろう。
きみの肉も、血も、骨も、神さまのいちばんだといい。
寝息は、どんな朝よりも穏やかで。
小瓶のなか、宇宙をつくるための材料は星屑と水素。窓辺の小鳥が、せわしなく首を動かし、あたりを見回している。おやつに、焼きドーナッツをつくろうと思い立つ。べつに、きみが好きだからとか、そういうのじゃないのに。なんでか。
冬のシエスタ