王子の魔法使い

「おい、ブタ」
「ブっ……!?」
 少年は寝ていたベッドから跳ね起きた。
「ぼくはブタじゃない!」
「食ってすぐ寝るのはブタだぜ」
「そうなのか!?」
「見たことはねえけど」
「いいかげんなことを言うな!」
「あれ? ウシだったか」
「よりいいかげんなことを言うな!」
「まあ、どっちでもいいじゃん」
「よくない! ブタでもウシでもない! ぼくは……」
「トリ」
「なぜそうなる! なぜぼくを畜獣呼ばわりする!」
「何呼ばわりならいいんだよ」
「何呼ばわりも良くない!」
「ふーん……」
「なんだ、その意味ありげな目は」
「何呼ばわりもよくない。つまり、おまえは何でもないんだな」
「ぼくは、ぼくだ」
「『ぼく』って?」
「ぼくは――」
 胸を大きくそらして少年は言った。
「王子だ!」
「ふーん」
「なんだそれは! ぼくは王子なんだぞ!」
「わかった、わかった」
「聞き分けのない子どもをなだめるような態度を取るな!」
「だってさー」
「何が『だってさー』だ! きさま、王子がなんなのかわかっているのか!?」
「白くて固くて、割ると黄身と白身が……」
「それは『玉子』だ! 字が違うだろう!」
「ちょっとだけだろ」
「ちょっとだけでも大違いだ!」
「どう違うんだよ」
「ぼくは玉子ではない!」
「じゃあ、なんなんだよ」
「だから、王子だ!」
「ふーん」
「そこに戻るな! なんなんだ、きさまは!」
「魔法使い」
 男は言った。
 少年――王子は、
「もう知っている、そんなこと」
「知ってるか」
 ぐっ。
 男――魔法使いが身を乗り出す。
「何を知ってるんだよ」
 息が届くほど近くに顔を寄せられ、
「何を……?」
 首をひねった王子は、
「どういう意味だ」
「そのまんまの意味だ」
「そのまんま……」
 王子はわずかに視線をさ迷わせ、
「わかった」
「わかったのかよ」
「きさまは魔法使いで、そして……」
「そして?」
「そして――」
 王子は微笑み、
「ぼくの恩人だ」
 直後、
「ブー」
 バンッ!
「痛っ!」
「残念、不正解」
「な、何をする!」
 王子は涙目で、
「叩いたな! 王子であるぼくを!」
「叩いた」
「認めたな!」
「認めた」
「……!」
 瞬間、
「あっ……ぅあっ……」
 王子の目に、
「おい……」
 魔法使いがかすかに動揺を見せる。
「う……く……あぅ……」
 しゃくりあげ始める王子を前に、魔法使いは困ったように頭をかき
「おいおい、泣くなよー」
「だって、き、きさまが……」
「おれが?」
「きさまが……泣かせ……」
 と、はっと言葉を飲みこむ王子。
 そのまま唇を噛んで悔しそうに黙りこむ。
「んー?」
 王子の変化にけげんそうな顔を見せる魔法使い。
 が、間もなく、
「あー」
 そういうことかと言いたそうに手を叩き、そしてにやにやわざとらしい笑みを見せる。
「そっかー、泣かされたのかー」
「………………」
「泣かされた? おれに? ふーん」
「……ない」
「ん?」
「泣かされて……ないっ!」
 王子はぐっと魔法使いをにらみ、
「ぼくが……王子であるぼくが……泣かされたり……」
「よーし」
 ぽんぽん。
「っ! ま、また叩いたな!」
「また泣くか?」
「くっ」
「よーしよし」
「だから、気安く頭を叩くな!」
 魔法使いの手を乱暴に払った王子は顔を真っ赤にして、
「大体なれなれしいぞ、きさま!」
「おまえが先だろ」
「何!?」
「おまえが――」
 魔法使いは目をそらし、
「恩人……なんて言うからよ」
「?」
 きょとんとなった王子は、
「恩人ではないか」
「ちげーよ」
「ちげくない」
 王子は真顔で、
「助けてくれたではないか」
「助けてねーよ」
「助けてこうして家につれてきてごはんも食べさせてくれた」
「で、おまえはずうずうしくおれのベッドで寝て、そのままブタに……」
「なってない!」
「あ、これから……」
「ならない!」
 力いっぱい否定して、
「ごまかすな! きさまがぼくを助けてくれたのは本当のことだ!」
「助けたっつーかさ……」
「なんだ?」
「………………」
 口ごもったあと、魔法使いは照れくさそうに、
「そんなつもりねーんだよ」
「えっ」
「助けるとか恩を着せるとか? そんなこと考えてやったわけじゃねえよ」
「きさま……」
 王子の頬がいままでと違う色に赤らむ。
「では……純粋にぼくのことを……」
「まー、そうだな」
「っ」
 あらたな涙が王子の目ににじむ。
「く……
「ん?」
「……かたじけない」
「かたじけなくねーよ」
「かたじけなくある! いや……」
 王子は首をふる。
「そうだな。そのような賛辞を良しとしない誇り高い男なのだな、きさまは」
 そして納得したように、
「許す!」
「あ?」
「許すと言っているのだ。王子であるこのぼくが」
「………………」
 魔法使いは、
「何を?」
「何もかもだ」
 胸を張って王子は、
「このぼくの名において。きさまのすべてを許そう」
「………………」
 魔法使いは、
「そりゃ、どーも」
 肩をすくめる。
 そんな態度を王子はすこしも気にせず、
「光栄に思っていいぞ」
「ふーん」
「許す」
「ふーん」
「許すと言っている」
「わかったって。しつけーな」
「……うれしくないのか?」
「べっつにー」
「しかし、きさまたち魔法使いは……」
 そこまで言って、王子ははっと言葉をのんだ。
「………………」
「おい」
 魔法使いの笑みが剣呑なものに変わる。
「なんだよ? 言えよ」
「それは……」
「おまえたちは『正しい』と思ってやってんだろ」
「そんなことは……!」
 あせって言い返そうとするも、結局何も言えないまま王子はうつむく。
 そして、ぽつりと、
「……知らなかった」
「あ?」
「魔法使いが……」
 ろくに日の差しこまないせまく薄暗い室内を見渡し、
「こんなところに住んでいるとは」
「住んでるんじゃねえ。住ま『されて』るんだ」
「……!」
 王子の小さな肩がびくっとふるえる。
「おかしいと思わなかったか」
「えっ?」
「おれみたいな魔法使いがよ……」
 ぐっ。再び顔が近づき、
「よりにもよって王族を助けるなんて」
「っ……!」
 のどの奥でかすかな悲鳴をあげる王子。
「………………」
 王子は、
「……違う」
 言った。
「きさまは……そんなやつじゃない」
「ほーう」
 笑みを浮かべた魔法使いの口もとがつり上がる。
「じゃあ、どんなやつだって思ってるんだよ」
「恩人だ」
「っ……」
 今度はこちらが意表をつかれたというように、
「だ、だから、違うっつってんだろ」
「違わない」
「違う」
「違わない。だってぼくがそう思っているのだから」
「おまえが思えば全部真実かよ」
「そうだ」
 ためらいなく、
「ぼくは王子だからな」
「………………」
 魔法使いは、
「ふんっ」
 バシッ!
「痛っ」
 再度の衝撃に王子はたまらず、
「叩いたな!」
「叩いた」
「認めたな!」
「認めた」
「っ」
 しかし、今度はぐっと涙をこらえる王子。
「おっ、泣かねーか」
「ぐぬぬ……」
 王子は唇をかみ、
「叩いたな」
「叩いた」
「なぜだ!」
「なぜって……」
 言った。
「おまえがかわいいからに決まってんだろ」
「っ……」
 王子は声をつまらせ、
「い、意味がわからん……」
「わからんか」
「わからん!」
 王子は声を張り、
「ぼくはかわいくはない!」
「じゃあ、なんだ?」
「王子だ!」
「あ?」
「王子は……かわいくなどないのだ!」
 瞬間、
「ぷっ」
「笑ったな!」
「泣くよりいいだろ」
「何度も言わせるな! ぼくは泣いてなどいない!」
「いいぜ」
「えっ」
「泣いたって」
 王子の目が丸くなる。
 と、すぐにはっとなり、あたふたと、
「お、王子は泣いたりなど……」
「いいぜ」
「よくない!」
「おれがいいって言ってんだ」
「ぼくがよくないと言っているのだ!」
「いい!」
「よくない!」
 共に語気を強め、にらみあう二人。
 ――と、
「ぷっ」
 二人同時にふき出す。
 すると、
「あ……」
 涙。
 不意をつかれたというように、力の抜けた王子の目からそれがこぼれた。
「ふふっ」
 王子は、笑った。
「ははっ……は……ははははは……」
 こらえていたものがあふれるように。
 泣きながら、それでも王子は心からうれしそうに笑っていた。
「来いよ」
 王子は――
 何も言わずに魔法使いの胸に飛びこんだ。
 泣いた。
 今度こそ何の強がりもなく。
 魔法使いの胸の中で、王子は年相応の子どものように泣きじゃくった。


 魔法使いたちは、海峡を隔てた南の大陸から渡ってきた。
 それがおよそ五百年前の話。
 以来、この地域を支配する一方で、その高度な知識・文化を伝え、独自の文明社会を築き上げてきた。
 だが、そんな時代にも終わりが訪れる。
 捲土重来。
 魔法使いの侵入以前からこの地に暮らし、長年被支配階級に甘んじてきた者たちが大規模な抵抗闘争を始めた。
 世代を経るごとに魔法使いの数が減少していったことに加え、彼らの文明を吸収したことで力をつけていた非魔法使いたちは戦いを有利に進め、ついに主権を奪還。五百年ぶりに非魔法使いによる王国を打ち立てた。
 そして、非魔法使いたちは純化政策を推し進めた。
 魔法使いは人にあらず。
 五百年の時を経てすでに地域に融和していた彼らを新たなる支配者は徹底的に弾圧した。直接的な恨みがあったわけではない。実際、魔法使いの支配は穏当なものであった。だが、ぬぐえない非魔法使いということの劣等意識からか、それをも超えた排外本能という人間の業ゆえか。
 そして、その純化政策を積極的に推し進めたのが〝王族〟だった。
「やれやれ」
 泣き疲れた王子をベッドに寝かせ、魔法使いはこきこきと首をならした。
 こんなことになるとは思ってもいなかった。
 こんなことになるとは――
 それはいま王族の多くも抱えている想いのはずだ。
 彼らの徹底した純化政策は、結果として自国の力を大きく削ぐこととなった。少数派とは言え、特殊な知識や技術を持つ魔法使いたちは国を支える重要な人材であった。それを排除したことによって、国の各機構は明らかに劣化した。
 その責任の所在をめぐり、支配者たちは内部分裂した。
 坂道を転げ落ちるようにいまこの国は衰退へと向かっている。
 そんな中、彼は数少ない中でもさらに数少ない本当に一握りとさえ言える魔法使いとしてこの国で生きている。
 何年も続く隔離政策のため、他の魔法使いとの連絡もほぼ途絶している。
 自分がこの国の最後の魔法使いかもしれない。
 そう思うことも何度もある。
 そんな中だった。
 彼が――
 偶然から目の前で眠る王子を救うことになったのは。
「わけわからんよな」
 わからない。本当に。
 しかし――
「これも流れか……」
 流れ――運命に翻弄された者であったのは彼も同じであった。
「おい」
 寝ている王子のやわらかな頬をつつく。
 育ちの良さを感じさせるしっとりと弾力のあるほっぺ。
「おお……」
 ぷにぷに。ぷにぷに。
 気づくと夢中になってつついていた。
「これは……癖になるな」
 無意識にそうつぶやいていた自分に気づき、
「ぷっ」
 笑った。
 さっきのときもそうだったが、こうして笑えたのは本当に久しぶりだった。
 魔法使いは、
「まー、いっか」
 そう言って、また笑った。

王子の魔法使い

王子の魔法使い

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-01-16

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