Whiteout

ジグソーパズルに終わりがあるということを目の前の少年は知らないのだろうか、とはじめに私は疑問に思う。もちろん、いまここにいるたった二人だけで完成させなければならないことになっているらしいこのジグソーパズルが、その難易度から考えてまず一般的なものでないということもその原因の一つなのだろうけれど。
白いワイシャツとブラウス、黒いショートパンツとスカート、それからいくつあるのかさえはっきりとわからない真っ白なパズルのピースを、私たちは与えられていた。どこまでも続く白い部屋のまんなかで、まるで雪の中に埋もれているみたいに音という音はどこかに吸収されていくようだった。彼の番だというのにいっこうにピースを手に取らず、少年は無数に散らばったピースを品定めでもしているのか、じっと眺めたままだ。時折、半袖のシャツから細くて白い腕を伸ばしてみるのだが、布地の触れ合う音が砂音のようにささめくのが聞こえるだけだった。
私たちに会話はない。会話が許されてい ないということを、おそらくお互いが知っている。もしかしたら彼は口の聞けない人なのかもしれないけれど、私にそれを知る術はない。とにかく私たちは会話を、というよりコミュニケーションをとることができないでいた。
私の意識は、ここに私が存在している時からこのパズルを早く終わらせたいということだけに集中しているようだ。だから彼が悠長にしているのを内心では許すことができないのだけれど、彼の精神に干渉することができないのでどうしようもなく、諦めて彼が動くのを待っている。私とおんなじ栗色の、ふわふわの髪を持った彼のおそろしくゆったりとした所作は、私を諦念の淵へ追いやるのに十分だった。
漸く彼が選んだピースは、すでに置いてあるピースのどれとも繋がらない、完全に孤立した個体なのだが、彼ははじめからずっとこのような調子でピースを選定している。私はとうぜん、ジグソーパズルは四辺から枠を作っていくのが普通であるというごく真っ当な意識を持っていたので、白い床の上にはいま、ピースで作られた枠の中にいくつかの孤立したピースが点在しているといういびつな景色が広がっていた。
私一人だけで枠をすべて埋めることができたので、次は点在するピースの一つ一つを繋げていかなければならなかったのだが、ここで少しだけ少年の表情に変化が見られたのを見逃さなかった。それは焦りと絶望の入り混じったような表情で、私を非難しているようにも見えた。彼はこのパズルを終わらせるのが怖いのだろうか。なぜなのだろう。
音。それは二人が手に取ったピースを床に置く時、あるいは衣服が擦れる時、栗色の髪を揺らす時、起こるもののことを言った。光。それは遥か頭上から、空間をまばゆく照らしているもののことを言う。そしてそれが創り出す曖昧な影。私が認識できるのはそれで全部だった。
音と、光と、影。その繰り返しの中で私たちのパズルはいびつな形を維持しながらも少しずつ完成に近付いているようだった。
ほかのピースと溶け合ったために孤立するピースが存在しなくなった頃から、目の前の少年はますますゆっくりと動くようになり、そして私は何かに気が付き始めていた。意識が。これは誰の意識なのだろう。わからない、わからない。それでも私は必死にピースを探してはただしい場所に当て嵌めていった。そうしなければならなかったのだ。私のために。
いつのまにか、目の前には巨大な白が広がっている。それは無数の白いピースで作られた一枚の世界だ。最後のピースを彼が置くことで、それは完成する。
けれど、彼は笑ったまま動かない。なぜなら最後のピースがどこにも見当たらないからだ。笑ったままの少年の、光を浴びた丸い顔。薄い肌に栗色の頭髪。部屋のすみでジグソーパズルをするのが大好きだった。
ーーやっと思い出した。彼は私の幻影だ。私が作り出した、少年時代の私そのものだ。少女の私はもう一人の私。私は私を解放し、解放されたいと愚かにも願っていた私の分身だ。このパズルを完成させることができたらきっとそれが達成されてしまうのだろう。その時ここに残されるのは、目の前の少年ただ一人なのだろうと、そんな予感がした。
先ほどまでの笑顔が嘘だったみたいに、少年はひどく悲しそうな顔をしている。
思い出す。それはいつだったか、近所に住む女の子とパズルをしていて、出来上がったら女の子はもう帰ってしまうのだと思ってどうしても最後のピースを置くことができなかった、私の……僕の表情だ。
はやく最後のピースをと、私が、僕が、誰かが、ーーあなたが言っているのがわかった。
私を創ったあなたのために私はここからいなくならなければならないのだろうか、とさいごに私は疑問に思う。
私はそこではじめて立ち上がった。そうして少年の元へ歩いて行く。完成間近のパズルを踏みつぶしながら。おそらく彼がポケットに隠し持っているであろうピースの存在を私は知っていたので、黒いショートパンツの左のポケットからそれを取り出すと、後ろへ向かって放り投げた。彼ははじめ戸惑っていたけれどすぐに私の意図を理解したようで、繋がり合ったピースを手で、脚でばらばらに解いてゆく。私もおんなじように、ピースを解いては投げたりポケットに入れてみたりする。
声。音ではない、二人の笑い声が確かにここに響いていた。完全にばらばらになったピースの上に私たちは寝転がり、抱きしめ合い、そうしてふたたびパズルを作りはじめた。誰のためでもなく、ただ私たち二人のためだけに。



目を開けると、強い光が眼球に焼き付き、次いでおなじみの、薬品が混じり合った独特の匂いが鼻をついた。
「君は、”誰“かな?」
ベッドを見下ろしながら主治医が言うのがわかった。僕は僕が誰なのか、こんなにはっきりと認識できたのが久しぶりで声がうまく出てこない。身体を起こそうとしたのを手で制止されたので、横たわったままゆっくりと話し始める。
「”僕“は……僕はジェフです、先生。先月21歳になったばかりの、***大の学生です。もうキャシーは、彼女はここにはいません。それだけはわかります、彼女は僕だから。」
主治医はしばらく黙っていたが、「よかった。これでもう安心して生活が送れるようになるだろう。」とだけ言って、あとは今後の通院についての簡単な説明だけが話された。
キャシーがもう僕の中にはいないのだと思うと、やはり今はまだ寂しさを拭うことができない。たとえ彼女が僕の作り出した幻影であったとしても、彼女はもう一人の僕だったのだから。少年時代に戻りたいと願い続けた僕のただ一人の分身。キャシーになっている時の僕は、一人でパズルで遊んで寂しい思いをしていた僕の遊び相手になっている、そんな夢を見ながらパズルをするのが好きだった。もちろんそれは僕の愚かな願望でしかないのだけれど、そうすることで僕は少年時代を取り戻すことができると信じていたのだ。でも、そんな日々とはこれでもうお別れ。寂しいけれど僕も前を向かなければならないのだ。
図々しくも願ってしまうのは、二人が僕の中でえいえんに終わらないパズル遊びをしてくれていたらいいな、ということ。どうしようもない寂しさと少しの期待を抱きながら、僕は通い慣れた病室を後にした。

Whiteout

Whiteout

二人のおわらないパズルのお話。

  • 小説
  • 掌編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-01-08

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