
乙女
「子供、子どもがほしいわー」
少女の大きな黒い瞳が輝いた。
細く白い指が小さな赤い花をつまもうとした。
彼女の心の中で「いけない、いけない」と何者かが囁いた。
「赤い花も子供を産もうとしているのだよ」
その声は彼女の小さな心臓の中で木霊し指の動きを止めた。
少女はため息をついた。
ため息で赤い花の四つの花弁が揺れ、空高く舞いあがった白い花粉は赤い種を結ばせた。
彼女のすらっとした足に黄色と黒の斑の花アブがまとわりつき、春の香水を撒き散らしている。
「子供が欲しいわ」
白と黄色の二匹のチョウが水色の幻想を吸い込みながら会話の自由を楽しんでいる。
白いチョウが少女を花と間違え、髪の毛にとまった。あまりの長い黒髪にくすぐられ白いチョウは「くしゅん」とくしゃみをして、黄色いチョウのほうに逃げていった。
少女は土筆にささやいた。
「子供がほしいんだけど」
土筆は大きく頭を振ってスギナを見た。その拍子に緑色の胞子が飛び出し、彼女の周りに散った。何かが彼女にそうーっと耳打ちをした。
「これもあかちゃんだよ」
彼女の目は大きく開いて土筆んぼを吸い込んだ。
土の中から黒い悪魔が顔をだした。金色に輝く目、尖った耳、その耳まで切り裂かれた口、針のような尾っぽ、悪魔は眩しそうに太陽を見上げた。
「あの赤い玉のやつうるさいなあ」
悪魔の周りの草はみんなしおれ、虫たちも一目散に逃げていった。少女の周りの心地よいざわめきは聞こえなくなった。
悪魔は彼女にささやいた。
「お嬢さん、そんなに子供が欲しいのかい」
少女は悪魔を見ても怖くなかった。
「そうよ、子供がほしいのよ」
「私がつくってあげよう」
悪魔は土を掘り、水と空気を混ぜあわせ子供をつくりはじめた。見る見るうちにそれは子供になり泣きわめきはじめた。
悪魔は目を細くして嬉しそうに子供をみつめた。
「かわいいねー」
悪魔は針の尾っぽを揺らしてはしゃいだ。
「アババアババババ」
彼女は長い髪を振り乱して叫んだ。
「泣かない子がほしいのよ」
「でも、子供は泣くんだよ」
悪魔は当惑して答えた。
「ところで、あなたはだーれ」
彼女は悪魔の顔をまじまじと見た。
「僕は悪魔」
と言って悪魔は舌を出した。
「本当は悪魔の弟子」と言い直した。
「だからね、子供好きの悪魔なんて様にならないわ」
悪魔は彼女の言葉使いに飛び上がった。
「悪魔の弟子さん、あなたは、どこから生れたの」
「土」
「何を食べているの」
「美しいこと、良いこと、立派なこと、すばらしいこと、面白いこと・・・」
少女は笑いだした。
「ハハハハハ、でも子供をかわいがっているようじゃだめね、まだデシなのね」
「うん」
悪魔の弟子は面白くなさそうに答えた。
「悪魔は善の固まりなんだ、だから善を食べているんだ。悪魔が美や善をだしてしまうと死んじゃうんだよ。悪しかだせない。天使は逆なんだ、悪の固まり、だから善しかできないんだ。悪が出ちゃうと死んじゃうんだ。悪魔も天使も片一方しか出来ないんだ、人間は天使に近いんだ、からだの中には悪がたくさんあるんだよ」
「そーお」
少女はどうでもいいというように花をながめた。
土と空気で作った子どもはまだ泣き叫んでいる。少女は耳を塞いだ。
「止めて、その子供どうにかしてよ、小鳥の声が聞こえないじゃないの」
悪魔の弟子は仕方なさそうに子供の上に雨を降らした。子供は溶けてしまった。
あーあ、少女はのびをした。
「子供が欲しいわー」
悪魔の弟子は尋ねた。
「どんな子供がいいの」
「泣かなくて、かわいくて、うるさくなくて、あまえったれで、私だけのもの」
「それじゃ、作ってあげましょう」
悪魔の弟子は彼女と約束して引っ込んだ。
彼女の周りをふたたび虫たちがおどりはじめた。
少女はその日が待ち遠しかった、毎日毎日。
「いったい子供はどこからくるのかしら、どんな顔をしてくるのかしら」
デンデン虫が彼女の目の前で卵を産んだ。
「卵、卵、かわいらしいわね」
卵がかえり、ちいちゃなちいちゃなデンデン虫が動き出した。一匹、二匹、三匹。
「かわいいー」彼女は目を細めた。
「はやく私も子どもがほしい」
虫たちは次々に花の上、土の中に卵を産んでいく。
悪魔のデシが様子を見に土の中から這い出てきた。
少女はぶっきらぼうにいった。
「まだできていないじゃない」
「そりゃそうですよ、簡単にはできない、何ヶ月もかかるのですよ」
彼女はびっくりした。「そんなにかかるのはだめ、今すぐ欲しいのよ」
「そう言われてもね」
悪魔のデシは困ったように自分が出てきた土の穴を見た。その時、底のほうから大きな声が吼えた。悪魔の声だ。
「デシよ、その娘の言うことがすぐにできたら、二級免許をやろう、しっかり作ってやるがよかろう」
「本当ですか」
「本当じゃ」
悪魔のデシは喜んだ。小悪魔になれる。
彼女に言った。
「それでは、すぐに子供を作ってあげましょう、でも失敗するかもしれない」
「いいわよ」少女は微笑んだ。
それから悪魔の弟子は大変だった。大なる太陽に向かって叫び、杉の木に自分のからだをぶつけ、緑色の汗をだらだらと流し、喉をかきむしり、逆立ちを続け、腹ばいになり石に噛み付き、皮膚は擦りむけ、白い血が滲み出し、転がりまわり・・・・。
そんな悪魔の弟子の周りを、しらん顔をしたチョウチョが二匹鼻歌を歌い飛び回っている。
少女は面白そうに、小さな悪魔の弟子が苦しむ様子を眺めていた。
悪魔の弟子は、空高く三回宙返りをすると、空中に浮かんだまま少女を指差し、大声を上げ、草叢にバタンと倒れて意識を失ってしまった。
しばらくたち、悪魔の弟子は片目を開けた。
「あーあ」深いため息と欠伸をして、少女を見た。まだ変化が現れていない。悪魔のデシは大きな声で泣き出した。
「こんなに苦労したのに」
「うるさい、泣くな」
少女はそういって耳を塞いだ。
少女の声におどろいた悪魔の弟子は泣き止んで少女を見た。
少女の子宮が膨らみ始め次第におなかがせり出してきた。
悪魔の弟子は眼を輝かせた。
「成功したぞ、うまくいった」
悪魔の弟子は土に頬ずりをした。
少女はせり出した自分の腹を見ると、眼をそらし、悪魔の弟子に叫んだ。
「いやよ、いやよ、こんなかっこうにいやよ、きれいなままで、子どもをちょうだい、わたしのままで子どもを産みたいのよ」
悪魔の弟子は驚いた。
「そんな、無茶な、残酷な、子供をつくるのは生易しい術じゃない」
「いやよ、もどして」
彼女は泣き叫んだ。
悪魔の弟子は肩をおとすと、涙をこぼし、自分の尾っぽを口にくわた。
自分の鋭い歯で自分の尾を噛み切ると、そこから美や善が飛び出してしまった。
悪魔の弟子は自殺した。
彼女のからだは、しぼんでいき、スマートさをとりもどした。
少女は独り言を言った。
「子どもがほしいわ」
彼女は草の上を跳ね回った。
彼女の柔らかい髪の先から赤く熟した胞子が噴き出した。
赤い胞子は春の風に乗って野に山に、そして町に舞い降りた。
町の人々は秋になると町中に赤い茸が顔を出すことを知った。
乙女
私家版初期(1971-1976年)小説集「小悪魔、2019、276p、二部 一粒書房」所収 IMP4
挿絵:著者