錆びない愛
お題 「恋と錆」より
左利き用の剪定鋏を買ったはずが家に帰って中身を取り出してみると右利き用だったことに気が付いて、朝から漠然と感じていた春の訪れに対する無気力感に似た気だるさがおおかた潰えたような気になり、自分を含めた世界のすべてが愛おしくなった、ようだった。この些細な過ちを単なる不注意の一つと捉えるか、天に与えられた試練なのだと驕(おご)ってみるのか、そういった選択肢にいつでも苛まれているのだ、私は。厳密に言えば"そういった選択肢にいつでも苛まれている"人々、の真似事を楽しむことでしか愉悦を得られない自分の傲慢さや滑稽さと、優越感とのあいだで板挟みになることから逃れられないことに苛まれているのだろうが。
鋏の包装に大きく「左利き」と書かれていたはずなのだが、そんな文字は見当たらない。むきになって嬲るように左手で持ち手に指を差し込んでみたが、とうぜんのことながらうまく扱うのは不可能であると判断した。諦めて、心からの(ほんとうに、心からそう感じたのだ)愛で右手に持ち替える。箸も鉛筆もほとんど握ったことのない、この不完全な右手に、右利き用の剪定鋏は静かに馴染んでいった。庭の草花が急かすように私を呼んでいた。
それから長い間、この剪定鋏を扱う時だけは右手を使うようになった。初めのうちは狙いを定めるのが難しく、お気に入りの薔薇は切り落とさなくてもよい枝葉を切り落とされて不機嫌さを顕にしていた。けれどいつの間に慣れたのか、左手と同じように剪定をおこなえるようになっていた。
何度も春を見送り冬を越えてきた鋏は、錆び付くたび永遠に近い時間と丁寧さをかけて私によって磨かれていたが、10度目の冬に息を止めてしまった。
庭ではここが世界のまん中なのだと言うように、真紅の薔薇が背を伸ばしている。その根元に鋏を埋めた。これは供養などではなく、私がいつでもその愛のかたちを思い出せるように、いわば最初で最後の世界に対する執着のあかしだった。沈黙し続ける錆びた鋏は真冬の土に埋もれてひどく気持ちがよさそうに見えた。すくなくとも私には。これからきっと私は死ぬまで、右利き用の鋏を使うことは無いのだろう。と、唯一性を意味として抱きかかえながら死んでゆく冬を祈り続けていた。
錆びない愛