Fate/Last sin -18

「これを見ろ」
 銀色の冷たい剣先が、張り詰めた一本の糸を示した。ほんの少しの視線のズレで不可視になるほど細い水銀の糸、それがこの屋敷を取り囲む木々の全てに何重にも張り巡らされ、巨大なクモの巣のようになっているのだと、バーサーカーは剣を下ろしてそう言った。
 セイバーは険しい顔つきで、木々の向こう、小高い丘のようになっている敷地の上に立つ洋風の館を見上げる。―――キャスターの根城となっているその館は奇妙な気配を纏っていた。まるでアサシンの気配遮断のような、外から認識するのにひどく労力を要するような存在だ。自分には大儀式を用いた魔術さえ効かないはずだが、とセイバーは思案する。その顔色を見てか、バーサーカーが口を開いた。
「奇妙だろうな、あれは魔術に似て非なる能力だ。俺がこの場所を知らなければ、貴様は夜が明けたとしても此処を見つけられなかっただろうよ」
「……」
 セイバーは黙ったまま、彼から目を逸らした。
 バーサーカーは口調も表情も変えず、問う。
「さあ、この俺がわざわざ砦の麓まで送り届けてやったのだ。―――あとは分かっているだろう?」
「ああ」
 セイバーは腰元の剣に手をかけ、引き抜こうとして、しかし一瞬思いとどまってその姿勢のまま傍らに立つ狂戦士の青年を睨むように一瞥した。
「だが、お前が楓にしたことは決して許されない。私がマスターを変えたとしても、それは変わらないからな」
 指に力を込め、一息に真紅の剣を引き抜く。夜の底のような冷気にあてられた刃はいっそう鋭く輝いた。
 バーサーカーは嘲笑するように息を吐いて、虚空から剣を掴み出す。
「せいぜいキャスターの首でも獲って帰ってやればよい。それがあの小娘へのせめてもの手土産だ」
 言うや否や、バーサーカーは掴んだ剣を張り巡らされた糸に向かって投擲した。セイバーがそれを追うように地面を蹴り、一声の雄叫びを上げながら剣を振りかぶる。赤い刃が糸を切りつけた瞬間、金色の火花が飛んで、それは瞬く間に糸の束を焼き切った。燃えるはずのない水銀の糸束が、一息に燃え上がり、屋敷を取り囲む炎になる。セイバーとバーサーカーはその炎の中を、魔術師の砦へと駆け抜けていった。


-


 時計の針が、午前三時を指した。
 望月楓は、クッションのついた長椅子に仰向けに横たわったまま、うっすらと目を見開いた。意識が戻った瞬間、思い出したように肌寒さで身が震える。
 見上げている天井は、全く知らない場所だ。白い漆喰のようなざらざらした壁に、焦げ茶色の太い梁がむき出しのままの天井。寒いと思ったが、左半身だけなぜか熱い。視線を落としてみると、身体の左側で時代遅れな暖炉がパチパチと音を立てて小さく火を上げていた。
 ―――どこだろうか、と考える暇も無く、その部屋の奥の方でゴトリと何かが動く音がして、楓は身をすくめる。何かがガチャガチャと動き回っているが、音の主と目を合わせるのが恐ろしくて暗闇の方へ目を向けられない。やがて物音は足音に代わり、自分の方へ近づいてきた。だめだ、見れない、怖い、と思って目を固くつぶった瞬間、「ん」と上から声が降ってきた。
「気が付いたようだね」
 聞いたことがあるような声の気がして、楓は恐る恐る瞼を開ける。暖炉の火に照らされて濃い陰影のついた顔は、心配そう、というにはどこか醒めた目で楓を見ていた。
「……神父さん?」
「監督役だ」
 白い制服に身を包んだ男は長椅子の暖炉側へぐるりとまわってやってきて、手に持っていた銀色のカップを楓に差し出す。
「ここは教会の地下の部屋で、私の居住区のようなものだ。君、傷は治っているだろうね?」
 楓はカップを受け取りながら、「傷?」と首を傾げた。アルパは呆れたような顔で、カップを持っていた細い手を楓の脇腹に差し伸べる。
「ここにあったろう、あのバーサーカーに付けられた傷が」
 冬の枯れ木のような指が、楓の左腹を軽く押す。
 ほんの一瞬の、軽い動作ーーーだが次の瞬間、楓は腹部に走った激痛に悲鳴を上げた。
「い―――、あ、あああああっ!」
 激しい音を立てて銀色のカップが楓の手の隙間から滑り落ち、中身をフローリングの床にまき散らした。だがそれを気にする余裕も無く、楓は長椅子の上で左脇腹を押さえ、突然思い出したような激痛に体を縮める。まるで内臓が皮膚の一枚向こう側でビリビリに引き裂かれているような痛み、どうして今まで忘れていたのか不思議なくらいの苦痛。楓はただビロードの張られた椅子の上でのたうち回るように体を震わせ、声にならない叫びをあげることしかできなかった。
「痛い? そうだろう……ああ、せっかく作ったのに」
 腹を裂かれる激痛に喘ぐ楓をまるで興味なさげに眺めて、アルパは床に広がった液体に浸っているカップを拾い上げた。楓は痛みの余り朦朧とし始めた意識の中、助けを求めるように神父を見上げる。しかしその時、痛覚に支配された楓の脳内に、小石が転がるように違和感が沸いた。
「あ、なたは……だ、れ?」
 アルパは暖炉の火に透かされた、宝石のような孔雀色の虹彩で、今にも意識を失いそうな楓を見下ろす。白銀の髪も、白い制服も、骨ばった手も、全て始まりの夜と同じはずなのに。
 まるで別人のように、恐ろしい。
「わざとやったんだ。悪いね。君に恨みは無い、といえば嘘になるから」
 焦点が合わなくなった楓の視界で、火の明かりと神父の白が溶けるように滲む。
「大丈夫、これはただの夢だよ。何も気にしなくていい。本当は傷も治した。……だけど、だけれども、私だって聖人君子じゃないんだ。今、この場で、君を殺すことだって――――」



-


 明け方を目前にした夜の淵、全てを凍らせるように吹きつける北風を受けて、セイバーがまず屋敷の庭の土を踏んだ。
「バーサーカー! キャスターはこの屋敷の中にいるんだろうな!」
 富裕者の屋敷らしく、それなりに広大な庭の芝を蹴散らしながらセイバーは問う。数歩遅れてやってきたバーサーカーは乱れた金の前髪の隙間から覗く目を爛々と輝かせながら、「そうだ!」と吼えるように答えた。このまま数秒も走れば、ステンドグラスに彩られた正面玄関は目前だ。勢いづいて剣を構え直した時、セイバーの足元がぐらりと揺れた。
「なッ―――」
 ぼこり、と芝生が割れたと思ったら、突然足元から大岩がせりあがってきた。咄嗟に身をよじって避けたが、適当に見積もっても五メートルはある岩石が地面から突き出し、細かくひび割れ、巨大な人型のように変形する。その心臓部にあたる所から流動する銀色の金属が漏れ、脈を形成するように岩の表面を這って巨人の肢体を繋ぎ合わせた。
「まあ、素直に扉を開いて此方を迎え入れるような奴なら、俺だって苦労はしなかったんだがな!」
 バーサーカーがやや離れた所から大声で言った。見れば、広大な庭のあちらこちらで地面から岩の巨人が発生している。セイバーは軽く舌打ちをして剣を握り直すと、バーサーカーに背を向けた。
「知っていて黙っていたんだな?」
「当然だ。この程度の不意打ちで音を上げるようなセイバークラスなどに用はない」
「は。俺だってこの程度の罠をわざわざ問題にするバーサーカーに用はないね」
 セイバーは狂戦士の言葉を一蹴し、目の前の岩の巨人と対峙する。膝を曲げ、腰を落とし、刃先が地面に擦れるぎりぎりまで剣を降ろす。巨人は眼球の無い顔をふらふらと辺りへ向けていたが、やがてセイバーの気配を感じ取ったように上半身をセイバーの方へ向けた。
「――――ッ!」
 声の無い叫びをあげ、巨人がセイバーに向かって拳を振り降ろす。その動きは決して遅くはなかったが、セイバーの方が速かった。
 ガッ、と鈍く突っかかるような音がして、真紅の刃先が巨人の足首に刺さる。足元に飛び込んだセイバーが一息に剣を押し込むと、まるで雪の塊が崩れるように巨人の右足首が砕け落ちた。その勢いのまま、振り向きざまに左の足首も剣一本で断ってみせると、セイバーは後ろに飛び退いて膝をつく巨人から距離をとる。
 その時、黒い槍が背後から飛んで来て、一直線に巨人の頭部を貫いた。
「―――――、――――!」
 顔面を砕かれ、猛獣のような咆哮を上げる巨人に、再び黒い槍が飛来する。
「今だ、何をしている!」
 もがく巨人の向こうで、黒い影のような大馬に乗ったバーサーカーが手綱を引きながら怒鳴った。見れば、セイバーが相手をしている巨人のほかにも十体ほどの個体がうごめいている。そしてそれらの相手をしているのは、バーサーカが召喚した、軍隊のような黒い影の集合体だった。
 セイバーは大きく体をひねって剣を振りかぶる。
「退け、バーサーカー!」
 張り上げた声が彼に届いたかどうかも確かめないうちに、セイバーは地面を抉るように剣を下から大きく振り上げた。空気が震え、刈り込まれた芝は剣から放たれた魔力の炎と爆風にめくれ上がり、その渦は巨人を数体巻き込んで激しくその岩の身体を粉砕する。赤く眩い光が洋館の窓ガラスを照らした。燃え盛る炎の中で、崩れ落ちていく岩の巨人が声の無い悲鳴のような地鳴りを響かせた。
 やがてそれらが収束し、巨人だった土が炭のような地面に撒き散らされるだけになると、セイバーは熱を持った剣を冷やすように一振りして、鞘には納めず右手に持ったまま降ろした。
「これで全部か?」
 焼け焦げた周囲を見渡したセイバーに、黒馬に跨ったままのバーサーカーが鼻で笑う。
「この程度で済むなら貴様など引き込まんわ。下を見ろ」
 相変わらずの高慢な物言いに眉をしかめて足元を見た。その瞬間、セイバーは振出しに戻るように後ろへ飛び退く。
「――――!―――!」
 咆哮と共に焦げた地面が割れ、土塊だった石が何かに引き寄せられるように集まり、地面から突き出る指を形成した。
「くそ、再生するのか! 贋作のくせに!」
「ほう、やはり真の巨人種を知っているのか。道理で手慣れていると思ったぞ」
「……!」
 バーサーカーは影の馬の腹を軽く蹴って、地面の裂け目の間を駆ける。その馬の蹄鉄が踏んだ所から、霧が生まれるように黒い軍が地から這い出る。次々に形を取り戻していく岩の巨人の隙間を、赤のマントをひるがえしながら馬で駆けるバーサーカーは、セイバーの方を見ずに言った。
「巨人殺し、悪魔の炎、イングランドではなく異邦の騎士王。ともするとその剣は、なるほど、そういう事なんだろう?」
「お前……バーサーカーの癖にその理性は卑怯だな」
「狂戦士とは、単に理性を失った馬鹿者を指すのではない。狂気とは知性の喪失だと思っていたのか? ならば貴様の方が余程バーサーカーに向いているだろうよ」
「ッ、お前なぁ!」
 声を荒げたセイバーに、バーサーカーは馬上から冷ややかな目を寄越した。
「俺は無駄が嫌いだ。ここの贋作どもなど俺の十字軍で事足りる、貴様はさっさとあの錬金術師の首を獲れ。――もうすぐ夜が明ける」
 セイバーは口を結んで、屋敷の外に広がる森の向こうを見る。まだ空が白む気配はないが、わずかに見える星はもう大きく西へ傾ききっていた。
「庭の巨人を相手取るので手一杯だから、代わりにキャスターを倒してこい、の間違いだろ」
 不愉快そうに眉根に皺を寄せて剣を握り直したセイバーは、もうほとんど再生しかけている巨人たちを囲んだ黒い軍から数歩踏み出して離れた。
 その背に向かって、バーサーカーが嘲笑するように声をかけた。
「契約を忘れるな。お前が奴の首を掻き切った瞬間から、貴様は俺の同胞だ」
 セイバーはきつく食い縛った歯の間から絞り出すように答えた。
「黙れ。言われずとも、騎士王が誓いを違えることは無い!」
 剣士の銀の靴が焦げた土を強く蹴った瞬間、巨人が一斉に咆哮を上げ、黒い軍と無数の剣がそれに応えるように突き上げられた。



-


 数時間前。
 風見の中心部、繁華街で相まみえたセイバーとバーサーカーは、地上の狂騒からわずかに離れた、再開発の進む高層ビル群の中のひとつ、その屋上に立っていた。バーサーカーを引き連れて戻ってきたセイバーに、楓はあからさまに怯え、黒く塗りつぶされたように暗い非常口の方へ駆けようとする。それを見たセイバーが「待ってくれ」と疲れたような声で引き留めた。
「敵だが、今は違う。……落ち着いて聞いてほしい」
 楓は赤い令呪の浮かぶ右手で不安そうにコートの胸元を握った。セイバーは背後のバーサーカーをちらりと見、続きを話そうと口を開く。だが開いた口は何の音も発せないまま、ただ無為に逡巡したあと、そのまま閉じられた。
「セイバー……? どうしたの? 何か―――」
「ああ、鈍い! 俺の前で無駄に時間を使うな!」
 突如口を挟んだバーサーカーは、そのままセイバーを押しのけ、大股で楓に近づく。セイバーは顔色を変えて剣を抜いたが、バーサーカーが武器を持たないのを見て、それを振ることはしなかった。バーサーカーは泣き出しそうな顔で後ずさる楓の右腕を掴むと、強く自分の方へ引き寄せた。
「いいか、これからこの異常事態の元凶であるキャスターの首を獲りに行く。俺はキャスターの真名と宝具とマスターを知っている。夜が明ける前にキャスターを殺すため、俺とセイバーは協力体制を敷くことにした、ここまで良いな?」
 噛みつかんばかりに言うバーサーカーに、楓はただ頷くことしかできない。
「だが条件がある。あのセイバーがキャスターを今夜中に殺せたら、あれは俺のマスターと再契約する」
「……え?」
 耳を疑った楓を、バーサーカーは暗い目で睨みつけた。
「決定事項だ。小娘が口を挟めると思うな」
「で、でも」
 助けを求めるようにセイバーを見た。バーサーカーのすぐ後ろに立つ彼の姿は街灯の逆光で表情が見えない。それが余計に困惑と恐怖を掻き立てた。
「うそ、セイバー、なんで? そんな――私は、あなたのマスターじゃなくなるってこと?」
「……そう、いうことだ」
 楓の背に悪寒が走った。頭が真っ白で言葉が出てこない。唐突につきつけられた条件に、楓はただ静かに首を横に振った。
「出来ない。そんな条件、酷すぎる……どうして、どうしてよ、セイバー」
 目の前にいる狂戦士の恐ろしさなど忘れて、問いかける。掴まれた右腕が締め上げられて痛い。逃げ出したくて膝が震えている。それでも、楓は悲鳴を上げるように糾弾することしか出来なかった。
「私がセイバーを失わなきゃならないなら、こんな状況どうにかしなくったっていい! キャスターなんて他の誰かが倒してくれる! やめて……行かないで、セイバー!」
「楓、違う、私は必ず戻ってくる! 私を信じろ! いいか、バーサーカーのマスターと契約したら―――」
「聞きたくない!」
 今まで必死に考えないようにしてきた『最悪の結末』の想像が、堰を切ったように溢れて止まらない。セイバーが自分のサーヴァントであること、それだけが望みを果たせる唯一の救いだったのに。その結束がほつれてしまったら、もうありとあらゆる希望は無いに等しくなる。
 セイバーを失ったら。魔術もろくに使えない私は死ぬかもしれない。他のマスターに殺されるのだ。最後まで役立たずの望月楓のまま、天才の姉の背後に隠れた凡人以下のままで。聖杯なんてとれるわけなかった、と嗤われる。お父様とお母様にどうしたら申し訳が立つ? 風見の望月家はずっと侮辱されるだろう。そうなったら、姉は―――
 ふと掴まれている右腕に目がいった。
 その腕の先には、暗闇の中でぼんやりと浮かびあがる赤の、令呪がある。
「……そうだ。私にはまだこれがある。セイバー、ごめんなさい……でも、私は、姉さんを取り戻さなきゃ」
 口の中で呟くように小さく言って、もう一度セイバーを見た。何かを必死に訴えるように手を伸ばしてこちらへ来るが、楓の鼓膜には何も届かなかった。
「セイバー、令呪を以て命じます。私の、」
 しかしその台詞が最後まで言い切られることはなかった。
「―――馬鹿娘が」
 バーサーカーの薄い唇が開くや否や、楓の左の脇腹を、背後から黒く鋭いものが掠める。赤黒い液体が、黒く沈んだコンクリートの地面に迸って落ちた。
「な」
 何を、とセイバーは言おうとした。掠れた声の代わりに、右手が剣を振っていた。
「楓に何をした! バーサーカー!」
 怒りに猛った声と共に剣を振り下ろす。それはバーサーカーではなく、楓の背後から現れた影によって受け止められた。楓を刺した剣がセイバーの刃を空中で止め、跳ね返す。
「そう怒るな、煩わしかったから黙らせただけだ」
 バーサーカーが指示をすると、楓を背後から刺した影の兵は剣を納め、気を失ってぐったりとした楓の身体を担ぎ上げる。そして追う間もなく屋上からひらりと飛び降りると、そのまま何処かへ去っていった。
「楓!」
「追わなくていい。聖堂教会へ連れて行かせた。貴様も剣を納めろ、キャスターの根城へ行くぞ」
「……ッ」
 セイバーは固く握りすぎて震える右手で何とか剣を鞘に納めると、無理やり指を柄から引きはがすように剣を手離した。
 眼下の地上から、ひときわ大きな歓声が轟いてくる。ほんの一瞬目をやっただけでも、大通りのあちこちが血潮でべったりと汚れていた。人々はそれを気にすることも無く、むしろ祝うように騒ぎ、暴れ、止める者もいないまま狂っていく。
 剣士は足元に落ちている小さな血痕に目を落とし、唇をきつく噛んで、暗い街の外れへと消えていったバーサーカーの後を追った。
 

Fate/Last sin -18

Fate/Last sin -18

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-12-17

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二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

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