2018冬コミ「あやなみなやみ」 1章試し読み

冬コミにて頒布するアズレン二次小説のサンプルです。100ページ少々の短めのお話で、1冊500YENで頒布予定です。内容はちょっとシリアスめの綾波本。コミケ初参戦ということで頑張りました。売り切れたとしても赤字という、お値段的にも頑張ってるのでちょっとでも興味を持っていただけたならゼヒ(˘ω˘人)

1.

 目が覚めて、一番に感じたのは潮の香りだった。

 額にかかる前髪をさらりと揺らしながら流れる風は、嗅ぎなれたその香りを窓の外から運んでくれている。開いた窓から吹き込む風に白いカーテンがなびいて、視界の中をゆらゆらと漂っていた。降り注ぐ朝日は淡く柔らかく、流れ込む潮の香りを色づかせているようだ。

 身を起こすと、白銀の髪が肩から胸元へさらりと落ちる。ぱちぱちと朱い瞳を瞬かせて白い天井から窓の外へと視線を移すと、建物の向こう側にある広大な海が朝日を浴びてキラキラと輝いていた。
 視線を部屋に戻して枕元に置いた目覚まし時計を確認すると、設定しておいた時間よりも10分ほど早い時刻。昔ながらの丸い形をしたソレを裏返してスイッチを切り、元の位置に戻してベッドから抜け出した。

 彼女――綾波に与えられているのは、1人で過ごすには十分な広さを有する個人部屋。窓際のベッドの向かいにはディスプレイとゲーム機の置かれた本棚があり、足元にはクローゼットと、その向こうはベランダへと続く大きな窓。クローゼットの反対側にはスチールの机が置かれている程度のシンプルな部屋。入り口横の押し入れには雑多な趣味がごちゃっと入っていたりもするが、目に見える部分は綺麗にしているつもりだ。

 部屋を出ると広めの台所と、浴室とトイレ。部屋で料理をする機会は多くないので、力を入れて掃除をしているわけでもないが台所は綺麗なものだ。
綾波たちの重桜寮には伝統的な和室が多くあるが、洋室を望む声も多くそれぞれの希望に合わせた部屋をあてがわれている。特に理由もなく選んだ洋室だが、自分の性に合っているのか慣れてしまえばどちらでも変わらないのか、特に不便は感じていない。

 パジャマとして着ているダボダボの白いシャツを脱ぎ捨て、いつもの癖で壁にかけられた制服に手をかけようとして、その手をすぐに引っ込める。代わりにクローゼットを開き、少しだけ悩んでから一着の私服を取り出した。
 胸に桜の模様がプリントされた白いパーカーと、膝にかからない長さの黒いスカート。少し地味かもしれないが、そのほうが自分の好みなので気にしない。
 パーカーを羽織って、背中から長い髪の毛を引き抜く。改修を受けてからやたら髪の毛が伸びてしまって、少しばかり動きにくい。いい加減慣れはしたが、以前に比べて少々扱いが雑になってしまったせいでジャベリンに怒られがちなのは困りどころだ。

 顔を洗っていつもの髪型に整えようとして、少し思うところがあり、その手を止める。櫛で簡単に整えて、首の後ろでざっくりとひとつにまとめるだけに留めて部屋を後にした。

 寮の廊下は、いつもよりも少し騒がしい。廊下の窓から外界に目をやると、すでに多くの少女たちが賑やかな声を響かせていた。
 元気に走りまわる駆逐艦の子たち、談笑しながら歩む軽巡の人たち、目が覚め切っていないのかやや足元の覚束ない重巡の人たち、いつだって毅然とした歩き姿の戦艦の人たち。思い思いの様子で、大勢の少女たちが学園へと向かっている。

 いつもの綾波の起床時間であれば、今すでに活動を始めている彼女らはまだ寝静まっていることが多い。しかし今日の起床時間はいつもより少しばかり遅く、普段の寝起きでは感じることのない学園の賑わいに包まれていた。
 その景色に安らぎに似た心地を抱いてから、綾波もそれに追随するように同じ道を通って喧騒の強まる方向へと歩を進めた。

 いつもよりも遅い起床。それでも空を見上げれば太陽の位置はまだ低く、紫色に染まる雲海は朝の気配を濃く宿している。
 にもかかわらず、見ての通り学園はすでに大勢の少女たちによる活気で溢れている。

 何か特別な日、というワケではない。これが、彼女たちにとっての日常である。
 見た目も性格もまちまちだが、辺りを見回せばそこにいるのは少女の姿をした者ばかり。だがその存在は、見た目通りのか弱い少女ではないことを綾波はよく知っている。

 ここにいるのは全て、過去の戦争で海を駆け、多くの人々の命を奪い、最期はその多くが海の底へと消えて行った艦船――その魂を持った者たち。
 言わずもがな、その全てには綾波自身も含まれている。

 なぜ、という問いに答えることが出来るものはここには、いや、世界中のどこにも存在しない。彼女らの存在はいまだ、多くの謎に包まれたまま。
 それでも、彼女たちは自らの意志を持ってここに存在していることだけは確かだった。

 そしてそんな彼女らの日常は、先日行われていたような戦闘に彩られている。先日の出撃では無事に敵艦を殲滅することに成功したが、彼女らの戦いは終わらない。
 ただ前回の出撃以降、敵――セイレーンの動きが大人しくなっており、ここしばらくは大きな戦闘もない落ち着いた日が続いていた。
 しかし、いつ再び侵攻を始めてくるか分からない以上、彼女らに安寧は訪れない。こちらから進撃することがなくとも常に見回りは行われ、いついかなる襲撃にも対応できるよう学園はいつだって臨戦態勢が敷かれている。

 が、もちろん学園に所属する全員が四六時中警戒態勢を維持しているということではない。日中の任務をする者がいれば夜間を主に担当する者もいて、休憩も食事も普通にするし、休暇を与えられることだってある。

 ――要するに、今日の綾波は非番だということだ。

 戦闘力がトップクラスなうえ、学園でも一番の古株の綾波。無理を強いられているわけではないが、任される仕事量は決して少なくはなく、休暇の取得や仕事の委任が容易ではないことも事実だった。
 空き時間が発生するのは珍しくないが、1日通して休みとなるのは久々だ。時間を気にせず朝からのんびり寝ていられるというのも悪くない。

 学園内をゆく少女たちが向かっているのは、港だったり食堂だったり大講堂や戦術教室だったり演習場や訓練所だったり。各々の目的地に向かって、楽しそうだったりめんどくさそうだったり、だらだらだったりきびきびだったり、一人で黙々と、仲良し同士で話をしながら、様々な感情を滲ませて歩いている。

 とりあえず食堂に行こうと流れに従って歩いていた綾波は、ふと足を止めた。その場でほんの一時だけ悩んでから、くるりと体の向きを変えて皆が歩む波に逆らうように進路を変更する。
 足を向けた先の建物内に入ると、喧騒がわずかに遠のいた。廊下には最低限の灯りしか付いておらず、この時間だと少し薄暗い。飾り気がなく簡素な造りの建物は、しかし軍事施設らしく少なからずの弾雨に耐えられる強固なものであることはよく知っている。真っすぐに伸びる廊下には静寂が満ち、自分の足音だけがコツコツと反響していた。

 やがて綾波は一枚の扉の前へとたどり着く。途中にあった他の部屋よりも重厚なそれ。目的地たるその扉を静かに見上げ、やがてゆっくりと腕を上げて、コンコンと扉を鳴らした。

「おはようございます。綾波です」

 大きいとは言えない音量で、中に向かって簡潔にそう声をかける。いつもならすぐに返ってくる声が、今日は返ってこない。
声量不足ということはないと思うが、もう一度ノックをして同じ言葉を繰り返す。そのまましばらく待ってみるが、やはり声が返ってくることはなかった。
 どうやら、不在らしい。用があるのはあるのだが、火急の用とは言い難い。探しに行くべきか否か。悩んでいる表情が少しばかり沈んでいることに、綾波の自覚はない。

 行動の指針を定めかねて扉の前で佇んでいると、静寂を割るようにひとつの足音が廊下の奥からこちらへと近づいてくるのが聞こえてきた。
 音の方へと首を巡らせると、そこにはまさに尋ね人の姿。向こうもこちらに気付いたらしく、小さく頭を下げると軽く手を上げて応じてくれた。
 ――綾波の表情がわずかに明るさを取り戻したことに、やはり自覚はない。

「おはようございます、指揮官」
「おはよう、綾波。何かオレに用だった?」

 白い軍服に身を包んだその人は、今しがた呼んだ通り、この学園の艦隊の指揮官である。学園の創設時から様々なことに尽力してくれ、今も毎日艦隊のために動いてくれている人だ。
 綾波は指揮官を見上げ、小さく首を傾げた。

「指揮官、朝のお仕事はもう終わったのですか?」
「うん。とりあえずやらないといけないことは、ちょうど終わったところ」
「朝食は、もう食べましたか?」
「いや、今から食うか、もうひと仕事してからにするか悩んでたところだよ」
「そうでしたか。‥‥その、良ければ一緒に食堂に行きませんか?」

 綾波の誘いに指揮官はぱちぱちと瞬きをして、すぐに相好を崩して大げさな身振りで頭を下げた。

「なるほど、朝メシを誘いに来てくれたのか。ありがとう、ぜひともご一緒させていただきましょう」

 一旦執務室に入っていった指揮官を廊下で待ちながら、綾波は静かに表情を輝かせていた。

 ××× ×××

 学園には様々な陣営が集まっている影響か、学食のメニューの種類が非常に豊富だ。中には他陣営は決して手を出さない、一度食べたら二度と忘れられないような味の料理もあったりして、毎日見ていても飽きることない多様なラインナップである。

 食堂は学園の全員が収容できるほどの広さを誇っており、等間隔に並べられた長机と椅子も丁寧に整えられていて、白い内装はいつも清掃が行き届いて清潔感を失わない。奥全面はガラス張りになっていて、この時間では採光は望めないものの、天井には煌々と明かりがともされているおかげで眩しいほどの光に満ちている。堂内にはいつも美味しそうな匂いが漂っているせいで、空腹時の胃への誘惑は抗いがたいほど強烈だ。
 すでに活動を始めている者は多くとも朝食の時間はまちまちであり、食堂は混雑とは無縁である。それを落ち着けると思うか寂しいと思うかは、各々答えが分かれることだろう。

 綾波は入口付近に設置された食券機の前で数刻悩み、結局無難な朝定食で落ち着いた。そこまで食にこだわりはないが、悩んだらとりあえず和食を選んでしまうのは重桜艦の性質なのだろうか。白米、おかず、味噌汁の3点が並んでいるのが、なんとなく一番しっくりくる。
 朝食の乗ったトレーを受け取り、少なからず空席が見られる食堂内を指揮官と並んで歩いていると、見知った背中が視界に映り込む。一度指揮官と顔を見合わせてから、2人でそちらへと足を向けた。

「おはようございます、ジャベリン、ラフィー」

 そこにいたのは、先日の出撃でも肩を並べていたユニオンとロイヤルの駆逐艦。綾波がひょっこりと顔を出すと、ジャベリンは笑顔で「おはよう!」と元気よく返してくれて、ラフィーはもしゃもしゃと口を動かしながら無言で小さく手を上げた。

「前の席、座ってもいいですか」と尋ねると、「もちろん!」と笑顔で席を示される。念のためラフィーにも視線を向けると、酸素コーラを豪快に煽りながらビッと親指を突き立てた。

「指揮官も、おはようございます! 朝から一緒なんて、仲良しですね~」
「おはよう。綾波が声かけに来てくれたから、喜んで誘いに乗らせてもらったんだよ」
「ふふっ、綾波ちゃん、ホントに指揮官が大好きだね~」
「まあ、その‥‥」

 気恥ずかしさに視線を逸らすと、2人の食事が目に止まった。
 ラフィーの前には大きなパンケーキと大皿のシリアル、そして酸素コーラが並べられている。その横にはデザートなのかフルーツの盛られた皿もあり、過剰に見えるカロリーがこの小さな体のどこへ行き渡っているのか不思議でならない。砲の火力にでも変換されているのではないだろうか。
 そしてジャベリンの前にはベーコンエッグにソーセージ、トーストの横にはフルーツが添えられたものが一皿にまとめられており、お皿の横には紅茶のカップが置かれている。ジャベリンに限らずロイヤルの人たちは得体のしれない料理を口にしているイメージが強いが、朝食だけはいつも美味しそうだ。
 ついでに視線を隣に向けて指揮官の前を見ると、どんと一皿カレーが置かれていた。なるほど、シンプルで分かりやすい。が、朝からちょっと重くないだろうかと思わなくもない。

 ちなみに綾波の朝食は、白ご飯にネギと豆腐の味噌汁、鮭の切り身が2枚と肉じゃが、胡麻ドレッシングのかかった和風サラダとキュウリの漬物という、量もありつつ非常に健康的な朝食だ。と思う。これも他の陣営から見ると質素だとか年寄り臭いだとか思われたりするのだろうか。食に関しては特に、他陣営との共感は難しいような気がする。
 綾波はそれ以上考えるのを止め、手を合わせて「いただきます」と食事を開始した。

「綾波ちゃん、今日はお休み?」

 綾波の服装を見てだろう、ジャベリンが小さく首を傾げ、綾波は鮭の身を箸でほぐしながらこくりと頷いた。

「です。ここのところずっと海域深部への出撃が続いていたからと、指揮官が考慮してくれました」
「綾波にはいつも無理してもらってるからな。今は敵に大きな動きもないみたいだし、休める時に休んでもらわないと」
「え~、それじゃあジャベリンもお休みが欲しいです~」
「なにがそれじゃあだよ。ジャベリンは普通に休みあるだろ」

 ジャベリンが瞳を潤ませて上目遣いで見つめるも、指揮官は容赦ない。

「ラフィーも‥‥戦闘以外は全部お昼寝にしてほしい‥‥」
「ラフィーは授業中ほとんど寝てるって聞いてるからな」

 ラフィーがもちゃもちゃとパンケーキを頬張りながらやる気なさげに無茶を言うも、当然のように却下される。
 ジャベリンはわざとらしく拗ねたふりをしてから、綾波に視線を戻した。

「それより綾波ちゃん、今日はいつもと雰囲気違って可愛いね!」

 急に話を振られて、一瞬反応しあぐねる。ジャベリンの視線が髪の毛に向いていることに気が付いて、さらりと横髪を撫でた。

「いつものポニテも可愛いけど、そうやって流してるのも大人っぽくてすっごく可愛いよ! ジャベリンもたまにはイメチェンしてみようかな。ねえねえ指揮官、指揮官はどんな髪型がジャベリンに似合うと思いますか~?」

 イメチェン、というわけではないのだけれど。何も考えていないわけじゃないが、今この場でそれを言うのは少々躊躇いがあり、誤魔化すようにポリポリとキュウリを齧った。
 自分の髪に触れながら、ジャベリンに詰め寄られて辟易している指揮官に視線を向けていると、それに気づいた指揮官と視線がぶつかる。

「‥‥ん? ああ、その髪型も可愛いよ。いつもと違って、なんだか新鮮な感じがする」

 どうやら感想を催促していると勘違いしたらしく、遠慮ない褒め言葉を頂戴してしまう。不意打ちだったこともあり、視線を伏せて「ありがとです‥‥」と呟くのが精いっぱいだった。
 そんな様子をジャベリンが楽しそうに眺めていることに気付き、味噌汁をすすって表情を誤魔化した。

「あ、あの、えっと‥‥ジャベリンは今日はなんの任務なのですか?」

 そして無理やり話題を変えて話題を振ると、ジャベリンはトーストをかじりながら浮かない様子へと表情をころりと変化させた。

「今日は船団護衛だよ。一番安全な航路を選んでるから接敵することなんてほとんどないし、あんまり面白くないんだよね~」
「こらこら、そうやって気を抜いてるのが一番危ないんだからな」
「うふ、帰ったら指揮官がいっぱい褒めてくれるなら頑張っちゃいますよ~」
「ラフィーは、どうなのですか?」

 ラフィーはふやけたシリアルをもしゃもしゃと咀嚼(そしゃく)しながら、やる気なさげに顔を上げた。

「今日は近海の哨戒‥‥。どうせ何もないから退屈‥‥。天気いいからお昼寝したい‥‥」
「だぁから、気を抜くなって言ってんだろ」
「抜いてない‥‥最初から無いだけ‥‥」

 言葉通りやる気なさげに呟くラフィーに、指揮官は呆れたため息を漏らした。
 そこでジャベリンが最後のひと口を食べ終わり、紅茶を口にしてひと息つくとトレーを持って立ち上がった。

「ごちそうさまっ。それじゃあ指揮官、ジャベリン準備してきますね!」
「ん、オレもすぐ行くよ。艤装のチェックも忘れないようにな」
「はいっ、可愛くばっちりキメてきますねっ」
「真面目にやれと言うておるのだ」
「あははっ、大丈夫ですよ指揮官。ジャベリンは出来る子だから安心してください!」

 言って、軽やかな足取りで食堂を去って行ってしまった。呆れたため息と共に見送る指揮官だが、その瞳は態度に反して柔らかい。

「‥‥指揮官」
「ダメ。ちゃんと行ってきなさい」

 ラフィーが何か口にするより早く却下が下された。ラフィーは不満そうに肩を落とすと、ぐびぐびと酸素コーラを飲み干してからしぶしぶ立ち上がり、ジャベリンに続いてのそのそと食堂を去って行った。
 その背を見送ってから、指揮官は綾波に視線を向けて呆れた笑みを浮かべる。綾波も、いつも通りの2人の様子に頬を緩めた。

「さて、オレもあんまりのんびりしてるわけにもいかないな」

ガツガツとカレーを頬張る指揮官に合わせ、少し箸を動かすペースを速める。それでも指揮官のほうが早く食べ終わってしまったが、指揮官はゆっくりと食後のコーヒーを飲みながら綾波を待ってくれていた。
 やや遅れて綾波も「ごちそうさまです」と手を合わせて完食を宣言する。指揮官はカップを置いて、ちらりと綾波に視線を向けた。

「綾波は、今日は何する予定?」
「‥‥まだ、考えていないです」

 麦茶のコップを傾けながら、綾波は少しだけ沈んだ声を漏らす。指揮官が綾波のことを想って与えてくれた休みだ。ただ漫然と過ごして消費してしまうのは、なんだか指揮官に申し訳ないような気がする。

「そっか。ま、何も考えずにぼんやりするのもいいかもな。とりあえず、今日はゆっくりと羽を伸ばしなよ」

 だがそれを咎めるつもりもなく席を立とうとした指揮官を――思わず、服の袖を引いて引き留めてしまった。指揮官は不思議そうに綾波を見つめ、綾波もつい動いてしまったせいで、すぐに反応を返せず妙な沈黙が生まれる。
 しかし指揮官もずっとそうしているわけにはいかず、「綾波?」と声をかけられてようやく、視線を彷徨わせながら少し早口にそれを口にした。

「あ、あの、もし時間があったら、でいいのですが‥‥髪を、結ってもらってもいいですか?」

 髪をいつも通り結わずに来た理由は、それだった。
 どうでもいいと思われるかもしれないけれど、綾波にとっては大きな理由。ただみんなの前でそれを言うのは気恥ずかしくて、タイミングを失ってしまっていた。そんなに恥ずかしがることではないだろう、と思ってはいても、こうして改めて頼むのはやっぱり気恥ずかしい。
けれど指揮官は突然のそんなお願いに、温かな笑顔と共にさらりと髪を梳(す)くように頭を撫でてくれた。

「いいよ。綾波の髪は触ってて気持ちいいから、こっちからお願いしたいくらいさ」

 そう褒められることに、やはり実感はない。
 けれど指揮官にそう言ってもらえると、戸惑いとは別の感情が胸に宿っていることくらい自分でも気付いている。

「ただ、すぐには出来ないかもしれないから、少しだけ待っててもらってもいいかな」
「はい、大丈夫です。ゲームでもして待ってますから、急がなくてもいい、です」

 だからつい頬が緩んでしまうのを、敢えて抑えようとは思わなかった。

2018冬コミ「あやなみなやみ」 1章試し読み

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2018冬コミ「あやなみなやみ」 1章試し読み

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-12-16

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