継ぐ

 おじいちゃんへ
 私にはまだ、この店は大きすぎるみたいです。

 祖父が亡くなり、高校生ながらこの小さな喫茶店を引き継いで三ヶ月。不慣れなことばかり。
 一年くらい前からコーヒーの淹れ方は教わっていたけれど、祖父が淹れてくれた味は出ない。他のメニューだってそう。ココア、サンドイッチ、ナポリタン……。みんな私の知ってる味じゃない。
 せめてもの救いはとても沢山の遺産を残してくれたこと。しばらくは喫茶店を開いていても大丈夫そう。お金がある今のうちに、喫茶店の経営を軌道に乗せたいところ。

「いらっしゃいませ。」
 挨拶が道路に虚しく響く。
 開店時刻は午後五時。高校から帰ってからの営業となるとそれが精一杯。おかげで昼時という一番来店を見込める時間帯をみすみす逃すが仕方がない。
 高校の下校時刻とは微妙に外れる時間。当然お客さんは誰もいない。
 しばらくして、一人のお客さんが入ってきた。
「いらっしゃいませ。」
 この店に来てくれる、たった一人のお客様。黒っぽい服を着ていて、計ったように毎日六時ちょうどにやってくる女性。いつもホットコーヒーとサンドイッチを頼むことももう覚えてしまった。
 お冷やとおしぼり、メニューを届けようとするとメニューを渡す前に無愛想な声で注文。
「ホットコーヒーとサンドイッチ。」
「かしこまりました。」
 お冷やとおしぼりだけ渡して素早くキッチンに入る。前は祖父みたいにいろいろと話しかけようとしたが、睨みつけられるだけなので必要以上の話はしないことにしている。
 手早く、しかし丁寧に料理を仕上げて料理を届ける。
「お待たせいたしました。ホットコーヒーとサンドイッチです。」
 頑張って彼女に笑顔を向けるも、また睨まれてしまう。私はそれに圧され、粛々とキッチンに隠れてしまう。
 閉店は夜の九時。いつも通り居座り続けていた彼女に閉店を告げてレジを打ち、彼女の退店を見届ける。
「ありがとうございます。」
四時間の営業時間で来たお客さんは彼女一人。今日も売上は七九〇円。売上計算にレジを開ける必要もない。
そのまま片付けをする。使った食器も少ないので一時間と経たずに終わってしまう。
そんな毎日の繰り返し。何も変わらない。私の料理の腕も、彼女の無愛想も。ただお金が減っていくだけ。

 ある日、学校で過ごす昼休み。いつも通り教室の隅で余り物のサンドイッチをかじっていると、クラスメイトの女子がまた私の噂話をしているのに気付いた。
 内容はまた私が引き継いだ遺産のことだ。クラスメイト達は祖父がまだ健在だったうちはよく喫茶店に遊びに来てくれたけれど、祖父が亡くなってからはぴたりと来なくなった。私だって、遺産があるのだから無料で飲み食いさせろという客には来て欲しくない。
 ただ今日は恐ろしくなった。放課後に私の店に押し掛け、私に恥をかかせてやろうというのだ。
「あいつ生意気じゃん。店に押し掛けて矯正してやろうぜ。」
「さんせーい。金もいっぱい持ってんだし。」
「少しぐらいは私達に分けてくれたっていいのにねえ。」
 筒抜けだ。私を脅そうとしているのだろう。けれど営業を止めてしまうのは祖父、それにあのお客様に申し訳が立たない。
 ただその人達の興味が逸れることを願うのみ。

 午後六時、いつも通りそのお客様がやってきて、いつも通り無愛想なオーダーを取り終わったところでドアが乱暴に開いた。そいつらがやってきた。しかも四人で。男がいなかったのがせめてもの救い。
「おーい、飯食わせろ。」
「コーヒー寄こせ。」
「私パンケーキ。」
 私が案内する前に窓際のテーブルに陣取ってしまう。
「いらっしゃいませ。こちらがメニューになりま」
 バンッ。
 一人がテーブルを叩く。
「いいからさっさと持って来い。サンドイッチとコーヒー、ホットケーキ三つずつ。早く!」
「かしこまりました。」
 これ以上面倒な事態にならないうちにとキッチンに戻る。サンドイッチを手早く四つ用意し、まずはいつものお客様のコーヒーを淹れる。そうしてまず一人分のサンドイッチとホットコーヒーを届けようとする。
 四人に出来るだけ目を合わせないように脇を通り抜けようとする。と、何かが足に引っ掛かった。
 ガシャン。
 響く食器の音。
 かき消すような笑い声。
 四人のうちの一人が、通路に足を出したようだ。
「だっさーい。」
「変なコケ方。」
「コーヒーもサンドイッチもめちゃくちゃにしちゃって。」
「作り直しだねー。」
 私を嘲笑う声。気付くと飛んでいったコーヒーが大切なお客様にかかってしまった。コーヒーカップに至っては足下で割れている。慌てて起き上がり、声を掛ける。
「申し訳ございません。ただいまタオルをお持ちしま」
「大丈夫。気にしないで。」
 いつもの無愛想からは想像できないような言葉に驚く。優しい声、素敵な笑顔。
「貴方の服にもサンドイッチが付いてるわ。私のことは気にしなくていいから、早く取りなさい。」
 彼女はそれだけを私に言うと、席を立ち上がり四人のグループに向き直った。
「あなたたち、一丁目の女子高の生徒ね。生徒手帳を出しなさい。」
 優しげな声。それが四人には恐ろしく聞こえたのだろう。一人が腰を浮かしかける。
 彼女はそれを手で制す。もう四人はすっかり怯えていた。生徒手帳が彼女の目の前に集まると、彼女は懐からシステム手帳を取り出し、メモを取った。
「学校には私から連絡しておくから、今日はもうお帰りなさい。」
 出口を指し示す彼女に誰も逆らえず、四人は店を出て行った。
 呆然としていた私はそれを見て我に返る。
「い、今、タオルお持ちします。」

 それから彼女にタオルを渡し、新しいホットコーヒーとサンドイッチを出した。散らかった食器やサンドイッチの残骸を片付け終わると、もう私は恥ずかしくなってキッチンを出られなくなった。
 八時五十分。普段は全く使われていないレジ横のベルが鳴った。彼女がお会計。
「今日はクリーニングに行かなきゃだから少し早めにさせてもらうわ。」
「申し訳ございません。お会計は……。」
「すみません、急ぐので。」
 彼女は一万円札を一枚カウンターに残すと、素早く出て行ってしまった。
 いつもより手間のかかる片付けをしている間、ずっと彼女の次の来店で、私はどう接すればいいのか考え込んでしまった。

 翌日、いつも通り教室の隅で、いつもと違うコンビニのおにぎりをかじっていると、校内放送が鳴った。生徒会長からの呼び出し。
 呼び出されたのは、私だった。

「失礼します。」
 恐る恐る扉を開けると、彼女が目の前にいた。
「昨日はお疲れ様。」
 急に恥ずかしくなる。今すぐに逃げ出したいという気持ちを抑え、何とか部屋に入る。
「貴方、この学校の生徒なのだから生徒会長の顔くらいは覚えておきなさい。以上。」
 あっさりとした彼女の話。
「あ、あの……、昨日、は……。」
 私が思うように話せないでいると、彼女は一つウインク。
「おじいちゃんから受け継いだ店、しっかり守りなさい。それが貴方の出来る、一番の親孝行――というより祖父孝行よ。」

 放課後、午後五時、いつも通り喫茶店を開く。誰も来ない。そして一時間後、いつも通り彼女がやってくる。いつものオーダー、いつもの料理。ただ少しだけ、彼女が笑顔を見せてくれる。

継ぐ

継ぐ

2017年5月文フリ東京にて頒布した「愛が見たかった」より。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-12-16

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