恋と嫌悪

 正直に言おう。
 私の仕事は変わっていると思う。
 一応、表向きの職種は食品加工業従事者となっている。それは例えば精肉業なら毎日肉を切り刻み、水産品加工業なら毎日骨を外す。
 具体的な私の仕事は何か。毎日肉を刻み、骨を両断こそしている。ただ私の左手に握られた刃物が肉や魚に下ろされることはない。…間違えた、確かに肉には振り下ろす。ただその肉は牛や豚でなく、赤い肉であるが。
 もうここまで言えば分かるだろう。私の仕事は殺し屋だ。私の事務所では恰好つけて「死神」なんて言ったりする。
 仕事内容はとてもシンプルだ。まず事務所のウェブサイトに繋ぎ (勿論アングラサイトだ) 依頼を確認して、目的の人物を殺す。それだけだ。事務所といっても、実際にオフィスがあるわけではない。建てたとして、それはリスクを増やすだけだ。
 当たり前だが、給料はかなりの額が貰える。ご丁寧に依頼一件分ずつ、私が住む築三十年のアパートになんと直接投函される。口座振替が当たり前の現代では異様だ。
 その分危険な仕事かというとそうでもない。一件あたり大体七日くらいの猶予はあるのが常なのでどうしても危険な場合は先送りにすればいいし、殺し方をきちんと考えればそう難しくはない。
 私が一番使う手段は通り魔だ。すれ違いざまの一撃で対象を殺す。刺されたことに気づく頃には何食わぬ顔で去っている。かなり気を遣うが、最も単純な方法だ。
 そして単純なだけに、気持ちいい。

 最近気に食わないことがある。そのぜいで前ほど余裕を持って仕事をすることが出来なくなった。
 いつも通り愛用のパソコンから依頼をチェックする。被依頼者は最近テレビによく出演しているらしい国会議員。調べるとちょうど今週末に郊外まで遊説に出るようだ。幸い今日は木曜日。まだ期限まで余裕はある。
 ひとまず下見。自宅の最寄り駅から青い電車に乗って郊外のニュータウンへ。
 演説の予定地となっている、終点の一つ前の駅で降りる。大体この辺りで選挙カーに登るだろうと見当をつけ、それからどういうルートで歩くかイメージする。演説となるとかなりの人混みになることは明らか。それは円滑な計画の支障にはなるが、姿を眩ますには丁度いい。何事も考えようだ。
 帰りの電車を途中の駅で降り、徒歩五分のホームセンターに立ち寄る。手頃な重さで切れ味の良さそうなナイフを購入。もちろん凶器にするためだ。これだけでは力不足になる可能性があるので、当日は当然もっと重い刃物も持っていくだろう。人混みの中で使えるかは状況によるだろうが。

 さて、当日。演説が始まる一時間前に到着。駅前のコーヒー屋で軽く時間を潰して、それから群衆の最前列、選挙カーの斜め後ろすぐ傍に陣取る。握手のために降りてくるまでは待機。
 その間は何もすることがない。ただ演説を聴くことしか。それにしても相変わらず政治家の話ほど退屈なものはない。中身のない適当なことをただ威勢よくぺらぺらと。空虚なんて高尚な言葉すら使うに値しない。聴衆も聴衆でそんな言葉にいちいち拍手や歓声。本当に政治家は素敵な職業だ。
 そろそろ演説も終わりが近くなってきたかなと考えていたその時、聴衆から明らかに異常な反応。見上げて気づく。
 車の上。
 標的の背後。
 黒い影が、立っていた。
 ぶかぶかのフード付きマントのせいで顔はほとんど分からない。体型も身長が低めだということ以外は。何よりいつ、どうやって。この接近不可能な状況をかいくぐった。
 奴が私に笑みを向けたような気がした。ニヤリとした、見るものを恐れさせる笑み。そしてどこからか大鎌を取り出し、未だに気付かず話し続ける政治家の首を一息で。
 ザクッと。
 飛び散る血液。
 落ちる首。
 上がる悲鳴。
 奴は一礼すると選挙カーの裏側、ちょうど駅ビルの壁との間に飛び降り、消えた。それと同時に、つい数秒前まで上機嫌だった代議士の亡骸が倒れた。

 そこからはパニックだった。蜘蛛の子を散らすように逃げる聴衆。ただ怯えることしかできない運動員。衆人環境下で消えた奴。私はせめてもの平静を保つことしかできなかった。
「まただ……。」
 これで三度目。自分が手を下す前に標的を殺された。もうたまたまでは済まされない。
 今度出会ったら、奴を殺す。
 今度は、自分の手で標的を仕留める。

 いつも通りポストに入っていた報酬。まだここ三回分は手を付けてない。棚の上に封を切らずに置いてある。その分厚い茶封筒を見るだけで頭に来てしまう。自分がちゃんと働いて、その対価として手元に来るはずだったお金。実際は仕事に失敗して、同情の代わりに転がり込んできたお金。とても使えるものではない。
 奴をどうすれば倒せるか。一つは標的のすぐそばまで接近しながら待機して、現れたら殺す。単純ではあるが二度の殺人をしなければならないのでリスクは上がる。二つに狙撃。ただ私の射撃の腕前はせいぜい縁日の射的レベル。到底標的に当たりそうもない。他には全部まとめて爆弾で吹き飛ばす。そんなことが出来たらなんて幸せだろう。
 いけない。相当疲れている。今は何も考えず休んだ方が良さそうだ。と、その前に一応依頼があるかを確かめる。パソコンを立ち上げ、いつものウェブサイトへ。
 予感は当たるもの。やっぱり来ていた。目標はある小学校の校長。私のアパートからも程近い。ただ役職持ちの先生は出張などで滞在時間が不規則になりがちなので見つけるまでそれなりの苦労はするだろう。今日はもう厳しい。また明日以降考えるようにしよう。

 今回は綿密な計画を立てていない。考えてあるのは起こりうる事態とその対処。目標がいたら殺す、奴がいても殺す、ただし目標を優先。奴より先に仕留める。
 午後一時、目的の小学校。今日は何かイベントがあるようで小学生独特のきゃぴきゃぴした声は聞こえない。掲示板に貼ってある学校便りを見ると、今日は午前授業のみ、道端に落ちていた紙飛行機を広げると午後からは教員研修で近隣の先生が詰め掛けるようだ。これなら都合が良い。
 一旦自室に戻り、スーツに着替える。まあ新任教師くらいには見えるだろう。一度も髪を染めてこなかったことがこんなところで役に立つとは思わなかった。
 いつも人気がなく薄暗い通用口ではなく、あえて正面口から入る。校舎には入らずに物陰に身を潜める。ここで焦っても何も意味がない。ただじっと待つ。
 午後三時三十分。ぞろぞろとスーツ姿の人々が校舎を出てきた。まだ校長が出てくるタイミングではないだろうが一応警戒しておく。
 午後四時。とうとう校長が出てきた。今回の研修が無事に終わったのか、笑みを浮かべながらのらりくらりと歩いている。これは狙いやすい。油断と隙で満ち溢れている。だがあえてすぐに襲撃することはしない。一定の距離を保ちながら、悟られないように追跡する。
 小学校から約七〇〇メートル、駅前商店街に入る直前。やはり現れた。奴だ。校長の背後をぴったりと付けて歩いている。考えていた通りにナイフの位置を確かめる。絶対にここで奴を倒す、覚悟は決まった。
 奴が鎌を取り出す。
 ダッシュで距離を詰める。
 奴が鎌を下ろす。
 懐に飛び込む。
 校長に体当たりする勢いで飛び込み、突き飛ばすと同時に自分も一緒に倒れる。間一髪、二人とも刈られなかった。すぐさま立ち上がり、奴を睨む。奴は私に向かって一つウインクすると、細い路地に消えた。
「あっあの、貴方は……。」
「大丈夫ですか?」
 怯みながら校長が話しかけてくる。私は爽やかな笑顔を作りながら答える。
「ありがとうございます、助けていただいて。あなたがいなかったら今頃死んでいたでしょう。」
「いえいえ。でも通り魔には気を付けないと駄目ですよ?」
 グサリ。

 久々に自分の仕事ができた。これで気持ち良く過ごせる。まだ奴を仕留めていないことは気掛かりだが、少なくとも先んじたので良しとしよう。

 いつも通りの報酬。それでも抱いたものが成し遂げた満足感と失敗した罪悪感とでは全然違う。清々しい気分のままにいつものサイトを見る。
 吹き飛んだ。
 いつもとは明らかに違う雰囲気。目に付いた瞬間に感じる危険。普段のように名前と顔写真があるのではない。数えきれないほどの項目だけ。それも単なる記事ではない。罪状。
 ◯月×日、マンハッタンにて資産家を斬殺、被害者は首を斬られ即死、通行人の多くが目撃するも逃亡を果たす。△月◇日、香港にて地元マフィアの幹部三人を相次いで斬殺、被害者三名とも首を斬られ即死、組員の多くが注目する中での犯行。……
 夥しい量の首刈り。間違いない。奴だ。念のため一番下までスクロール。あった。
 @月@日、ニュータウンにて演説中の国会議員を斬殺、被害者は首を斬られ即死、多くの聴衆の目の前での犯行。
 やはり。私は奴と対峙せねばならないようだ。生半可では返り討ちにされるのが落ち。まずは装備の買い出し。
 ゆっくり家を出る。暖かめの気温、綺麗な雲、ちょうど良い日当たり、目の前の鎌。
 ――鎌?
「こんにちは、死神さん。」
 静かだが力のある声。喉元に鎌を突き付けられているから尚更だ。
「突然でごめんなさい。ちょっとでいいのでお話しませんか。」
 ふざけているのか。相手を追い詰めておいて余計なことをするとは。舐められているにも程がある。
「同じ人殺しとして貴方が何を思うか、知ってみたいんですよ。日常的に人を殺す人なんてそうそういないんで。」
 何を言う。死にかけの人に。嘲笑いたいのか。それならばいっそ一思いに
「一思いに殺せ、ですか。その気持ちはよく分かります。でも折角知り合ったのだから、仲良くしたいじゃないですか。」
 考えを、読んだ……? 筒抜け? どうして分かる?
「動揺してます? 気楽にしてていいんですよ。痛いようにはしませんから。」
 当たり前だ。即死なら痛くない。あれほど鋭い刃物なら尚更。
「分かってますね。同業者に会うのは初めてだから話が合いそうで良かった。」
 いつ話すと言った。さっきは思考を読んだというのに肝心なことが通じない。イライラする。殺したい。
「じゃあまず、左ポケットに入ってるナイフを見せてもらえませんか?」
 気づかれていたか。もうどうにでもなれ。どうせ死ぬのだ。慣れた動作でナイフを取り出すと素早く太腿を刺す。刺さらない。当たり前だ。どう考えても首を刈られる方が早いに決まっている。
 ――生きている?
 振り返る。五歩ほど後ろに奴は立っていた。大鎌はどこかへ消え、手には何も持っていない。
「やっぱり話し合いより殺し合いの方が好きなんですか? 死神ですもんね。」
 話し合いも殺し合いも嫌いだ。とにかく鬱陶しいだけ。ナイフを振りかざし突撃。なりふり構ってはいられない。
「これでも私、殺すのは嫌いなんですよ。殺すより愛する方が好きなんです。」
 今更何を。大鎌を持って。沢山の人を殺して。
 奴が鎌を一振り。ナイフが弾け飛ぶ。軽く振ったとは思えない重さ。恐ろしい。殺さねば。
「だから、殺し合いじゃなくって、お話しましょうって。仕方ないですね。こういうことはあまりしたくはないのですが……。」
 再び突っ込む。武器はもうない。格闘戦にするしかない。上手く懐に潜り込む。こうなればもう鎌は無力。私の方が有利だ。
 ちょん。
 奴か私の額をつつく。
 あれ。
 力が入らない。
 崩れる。
 倒れ
 ……なかった。奴が私を抱き留め、ゆっくり降ろす。奴が段差に腰を掛け、膝枕みたいに。奴がフードを外す。現れたのは微笑み。女の子みたいな顔だが少し中性的な感じもする、そんな顔。
「綺麗……。」
 思わずそう漏らしてしまった。
「ありがとう。でも、貴方も可愛い声。やっぱり話がしたかったよ。」
 彼女の瞳が潤んでいる。褒められることにあまり慣れていないのだろう。だから私の目もそうなっているに違いない。
「謝らなきゃいけないことが二つあるの。一つはさっき鎌を突き付けたこと。間違いなく注意を惹く方法をこれしか知らなかったから。許してくれる?」
 そんなことは気にしなくていい。ゆっくり頷く。
 すると彼女がゆっくり顔を近づける。そして、唇にキス。この世の物とは思えない、他のもので例えようがない、優しい、甘い味。その甘さに酔ってしまう。頭が上手く働かない。幸せ。
「ごめんね。もし貴方が本物の死神だったらすぐにでも結婚したかった。でも、人間と死神は結婚できないの。貴方は私を魅了してしまう、惑わせてしまう素敵な人。だから

恋と嫌悪

恋と嫌悪

2017年5月文フリ東京にて頒布した「愛が見たかった」より。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-12-16

Copyrighted
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