害悪インターネット中毒

 私が中学生の頃には、インターネットはすでに普及し始めていました。そのころはまだ、ネットの情報を信用するな、という言説がいくつか、著名人の口から、あるいは巷の会話、インターネットの中でさえ取り交わされていました、まだ健全な頃だったと思います。
 最近、インターネットは新しい時代に入りました、ネット上で誰もが発言できる、誰もが人の情報に首を突っ込むことができる、私はもう一つの危険性を感じたのでここで明記して、いつか誰かに伝わり、ネットリテラシーのひとつとして、共有されればいいと思います。
 少し前までSNSを介して、日ごろの悩みなどを吐露したり、ポエムじみた事をしたり、創作じみた事をしました。私は、そのさなかで、明確な情報を話さず、人にむけて、あまり直接的関わりをしたくない人、そして自分に興味があるというそぶりを見せている人“例えば私に少し話かけて、あとは少しツール上のコンタクトをするのみ”など、そういう人に関心を持たれる事がありました。むしろそれを始めたのは、自分だったかもしれません、いえ、自分でしょう。落ち込んでいる事がよくありました。文句もいいました。ですが決して自分から、他の特定のユーザーにむけて、具体的にののしったことはありません、ほとんどが私の体調の悪さに絡んできた人間に対して、揚げ足取りに対して怒った所です。独り言の中で、独りよがりに悩みごと、苦しみ、理想の価値観などを語りました。そこで私はいくつかの失敗をしたのです。明確には書きませんが、幾人かを苦しめ、苦しんだ幾人かのために責任を負うために、その言動、あいまいなしぐさ、誰かに向けた独り言を控えるようにしたのです。

 私がインターネットに嫌気がさし始めたのは最近の事です。私は明確に、過去のように、そういった不明確なやりとりをやめ、たとえ有名な方であろうと、直接気持ちを伝えるようにしました、ですが、その中で、私が変化をしようとしている最中に、私が心理学などを学び、一人でしっかりものを考えられるようにしている最中に、一人、私が責任を感じている一人の人にしつこくつきまとわれ、筋の合わない会話を延々とされて、それを受けいれるまで、延々と説教というか、講釈のようなものを垂れ流されたのです。

 私は明確に、何度も自分の罪や、もうやりたくない事“誰かに向けた独り言をいう、ほかの特定のユーザーにむけた文句をいう”など、そういった実りのない事をしたくない、といいました。直接話さないなら、話もしたくありませんでした。ですが、その一人の人物は延々と私に向けて、こうすればいいだの、ああすればいいだの、そうしろだのと、上から目線の説教をいうのです。
 私は、正直疲れていました、もともと精神も体も強いほうではなく、その方も、そのほかの私の関わったかたもそうなので、そういった足の引っ張り合いをしたくなかったのです。ですがもう、我慢の限界でした。私はSNSを最近はなれました。もういくらいっても無駄だと覚ったのです。この人は、私がうん、というまで延々と続けるつもりなのです。私は、その人に、責任を取るべきこと、取りたいと思うこと、そのすべてを説明しなければいけないのでしょうか?私は、そのすべてを話す事が、他の方にとっても苦痛になる、あるいは私の過去、苦しい思いについて語る事は、現状努力している私の心、体にとって負担になる、そう伝えたいだけなのに、私が弱く、私がほかのユーザーとあまりからもうとしないから、延々と人間とはこうだ、感情とはこうだというようなことをいうのです。私は体調が悪いといっているのです、かまわなければ、納得しなければきっとその人は病んだ事をいっ誰かが構うまで、延々と落ち込んだ独り言をつぶやくのです。
 私は過去の自分を見ているようでした。その人は私がSNSをやめようとしたら、落ち込んだり、私が何も言わなくても、勝手に病んだりしているので、手をさし伸ばす時もありましたが、いっておきますが、私も体調が悪いので、そんなときに延々かまっている暇はありません。

 皆さんも、どうかSNSを使われる際には気を付けてください、あなたの同情が、変な受け取り方をされ、あなたが手を差し出した人が、あなたの不満、苦痛に気づかず、延々と説教だの、実情の分からない話に対して実情の分からないまま、延々と講釈を垂れ流すかもしれません。

害悪インターネット中毒

害悪インターネット中毒

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-12-13

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