マイ スウィート ヌガー ( 8 / 12 )

1年くらいかけて初めて書いた小説です。全部で12まであります。

8.
 
 今日の瑠奈ちゃんの顔は可愛いだろうか。そう思いながら登校した。教室に入るとすぐに、いつものようにやってきた瑠奈ちゃんの顔は、やっぱり可愛くなかった。あの時と同じ気持ちがした。何かがもわもわっと胸に現れる。
瑠奈ちゃんは、髪を全部おろして、紺色のベルベット生地のカチューシャだけはめていた。うちにある縦型ピアノにかかっている布みたいにつやつやしていて、きれいな色だったけど、今日はそんなことは何も言わなかった。
「おはよう。なっちゃん。あのね、私ね、なっちゃんの家のわんちゃんのお参りに行きたいって言ったでしょ。それを話したら、たおちゃんとかずみちゃんが一緒に行きたいって言うんだけど。」
瑠奈ちゃんがそう言って二人の方を向くと、それに気付いた二人はばたばたと音を立てて走って来た。
「ね、いいかな?なっちゃん。」
瑠奈ちゃんが言うと、二人は、
「すごく可愛いわんちゃんだったって聞いたよ。可哀そうだから、お参りさせてー。」
「悲しかったでしょー、安らかにお眠りくださいって言いたーい。」
と、眉毛を寄せて同じような顔をして言った。
嫌だな、とすぐに思った。
「あ、今日は出かけるからダメなんだ。」
 気の毒に思っていると見えるように少し意識しながら言った。
「今日じゃなくてもいいんだよ。いつなら大丈夫?」
「えっとね、まだ、人に見せちゃいけないって、お母さんから言われてるから。」
「え?どうして?」
「しばらくは、家族だけで静かにお参りしたほうがいいって。」
「えー、そんなの聞いたことないけど。」
「皆でお参りしてあげたらいいのに。」
と、たおちゃんとかずみちゃんが言った。二人の顔を見ながら、今日の二人は二匹の巨大なオウムに見えた。オウムが首をコクコクしてこっちを見ている。今日は笑えない。今日は勘弁してほしい。わたしはその顔を見ないようにして、
「ごめん、ごめん。」
と、手を合わせるポーズをしてすぐに自分の席に向かった。

ランドセルから教科書を出して机に入れていると、瑠奈ちゃんが慌てた様子でやってきて、
「なっちゃん、何だかごめんね。」
と、心配そうに言ってわたしの顔を覗き込んできた。
「ああ、いいよ。」
下を向いたまま答えると、
「何かね、ちょっと強引だもんね、あの二人。」
「そう、かもね。」
「私もね、なっちゃんが言うとおり、しばらくは家族だけでお参りしたほうがいいって思う。静かに守ってあげたほうがいいよね。」
うん、そうだね、と言いながら、目だけ動かして瑠奈ちゃんの顔を見た。瑠奈ちゃんは、わたしがいいよと言ったから安心していたのか、体はこっちを向いていたけれど、顔は廊下の方を向いていて、ちょうど通りかかった友達に手を振って笑いかけているところだった。

 そのままじっと瑠奈ちゃんの横顔を見つめた。顔にかかる横髪をカチューシャであげているから、耳や頬や首筋があらわになっていた。さらっとした白い肌がきれいな曲線を作って下におりている。曲線に沿って視線を移動しながら見ていたときに急に頭の中に、言葉が現れた。

― 嘘つき。

目がパッと覚めた。驚く。嘘つきって?
とまどいながらも急に自分の視界が明るくはっきりしたのがわかった。ぱちぱちと瞬きして、首を振って瑠奈ちゃんから視線を外した。

「どうしたの?なっちゃん。」
瑠奈ちゃんの声がして、わたしは慌てて言った。
「あ、あのさ。お父さんが言ってたんだけどね。犬って、死ぬときに、自分でわかるんだって。それで、飼い主にその姿見せないように、別のところに行くんだって。」
「えー!本当?どうして?」
「うん。飼い主に心配させないようにそうするんだって。知ってた?」
それを聞いた瑠奈ちゃんは、急に黙った。しばらく何か考えているようだった。
「それって、どの犬でもそうなの?違うよね。」
「え?犬はそんなだって、お父さん言ってた。」
「だって、心配かけたくないなんて、そんなこと思うかな?なっちゃんのところのわんちゃんもどこか行ったの?」
「いや、うちの犬は鎖でつないでいたし、行ってない。」
「でしょ。だって、心配してもいいもん。だって、家族だから。心配して当然だよ。」
「でも、犬も家族が心配しないようにって思うんだよ。悲しませたくないんだよ。きっと。」
「だって、悲しいよ。悲しんじゃダメなの?」

そんなこと言われるとは思わなかった。瑠奈ちゃんは、まっすぐにわたしの目を見つめている。瑠奈ちゃんの視線は、とてもまっすぐで強くて透き通っていて、わたしは目を逸らすことが出来ない。困った。耐えられない。目を逸らしたい。
見つめ合ったまま、ふと、お母さんの言葉を思い出した。心配かけないようになんて偉いわね、あの時、お母さんは確かにそう言った。
「違うよ。そういうことじゃなくて、家族のことを想って、犬は偉いってことを言いたかったんだけど。」
「それって偉いのかな?偉くないよ、ちっとも。」
瑠奈ちゃんの視線の強さは変わらない。もうわからない。わざと瞬きをしてやっとで目を逸らして、下を向いて口が自然に固く閉じた。
偉くない?心配かけないようにするって偉くない?
「あ、ごめん。なっちゃんのお父さんが言ったことを違うなんて言って。」
「いや、いいよ。」
固く閉じた口を開いて、やっと、やっと、そう答えた。

授業が始まって、瑠奈ちゃんが席に戻った。ひどく疲れた。疲れているのに、体に力が入って固いまま緩めることが出来ない感じだった。
瑠奈ちゃんの顔を見ていて浮かんだ言葉。その言葉を言った声は誰の声だったのだろう。目を閉じて思い出してみる。
あれは、自分の声だった。何度思い出してみても、あれはわたしの声が言っていた。そのことへの驚きと、緩まない体の疲れで、授業中に先生が言うことはほとんど耳に入ってこなかった。

 六時間目は委員会だった。前回の委員会で決まったことついて詳しく計画することになった。読書ビンゴは図書の先生が図書の分類にちなんだビンゴカードを作ることになり、図書館クイズは各クラス三問ずつ考えて来ることに決まった。
「では、読み聞かせについて決めたいと思います。」
瑠奈ちゃんが前に出て話し始めた。
「読みきかせですけど、クラス毎に読む本を一冊ずつ決めてください。」
すると、図書の先生が、
「あら、十五分あるから三冊くらいは読めるわよ。」
と、言った。
「あ、じゃあ三冊を今から決めてください。時間は、えっと、十五分・・・。」
と、時計を見ながら言っていた途中で、
「あのー、どんな本がいいか、俺たちわからないでーす。」
と、五年生の男子が手を上げて言った。その言葉をきっかけに、そうだねえ、私もそう思うと次々に皆が話し始めて、一気にざわついた。
「ちょっと、どうしよう。」
瑠奈ちゃんが助けを求めてこっちを見ていたけれど、わたしはそれには答えずに、それぞれで話している人たちの会話に耳を澄ませてみた。
上手く読めるか自信がない、緊張する、短い本にしちゃおうか、一年生ってどんな本が好きなのかな。よく聞いていると、皆がどんなことに困っているのか、何が知りたいのか、少しずつわかってくる。
瑠奈ちゃんが、
「静かにしてくださーい。」
と叫んだ。そして一瞬静かになったときに、
「えっと、三冊なら何でもいいと思います。適当に選んでいいです!」
と、瑠奈ちゃんは笑いながら言った。

その言葉に何人かの人が笑った。ははは。くすくす。でも、わたしは笑わなかった。笑えなかった。
適当でいいです、という言葉が頭の中に入ってきてゆっくり回り始めた。だんだんスピードを上げて回る。適当でいい、ぐるぐる、適当でいい、ぐるぐるっ。ぐるぐるっぐる。気持ちが悪い。どうしよう。ぐるぐるっぐるるるるっ!
瑠奈ちゃんはまだ何人かの人と一緒に笑っていた。その顔を見た途端、頭の中で猛スピードで動き回っていたものが急に固まりになった。そして、それがドーン!と胸に下りてきて、ぴたっとはまった。自分がひとまわり体が大きくなったような気分になった。
やっぱりそうだ。いつもそう。平気で笑っている。そんなの、そんなの、おかしいよ!

「適当でいいわけないじゃん!」
そう言ったと同時に、わたしは驚いた顔の瑠奈ちゃんの横に立っていた。そして、口から言葉が流れ出した。
「皆さんが今困っていることを発表してください。」
皆が一斉にこっちを見る。
「皆さんが困っていることは他の人も同じように困っていることです。だから、ここで発表して、やり方を決めていきます。手を挙げて発表してください。」

一瞬皆驚いて黙っていたけれど、一人が手を挙げて発表すると、その後は次々に手が上がった。
どんな本を選べばいいのかわからない、読むのは苦手だから他の役割はないか、読み聞かせのやり方を知らない、などいくつも発表された。それを書記の子にホワイトボードに書かせた。そして、一つずつ読み上げながら解決法を自分で意見を言って、他の人に発表してもらった。
 まず、どんな本を選べばいいのかわからないという質問には、絵本コーナーから何冊か持ってきて、低学年が好きそうな本を紹介して、この話し合いが終わった後に一緒に選ぶのを手伝うことにした。読むのが苦手な人は、本を持ったり、聞く子たちを座らせたり、騒ぐ子たちに注意する役割をしてもらうことにした。読み聞かせの方法については、休み時間に図書の先生と練習して指導を受けることに決まった。
 問題が一つ一つ解決していく。興奮した。夢中だった。だから、瑠奈ちゃんのことを忘れていた。瑠奈ちゃんが、前に立ったまま下を向いて動けなくなっているのに気づかなかった。

話し合いが終わって、絵本のコーナーでどんな本を選べばいいか他の人にアドバイスしていたときに、
「おい、高月、お前、やばいんじゃ?」
と、富山君から言われて、あっと思った。瑠奈ちゃんは、ちょうどその時、真っ赤な顔をして図書室から走って出て行くところだった。声をかける間もなかった。
「瑠奈、ずっと赤い顔して下向いてたぞ。」
富山君から責めるような口調で言われて、
「そんなこと言ったって。」
と言いながら、胸のあたりがきゅんと縮まって、一瞬どうしようかと不安になる。
「お前、友達だろ。」
「そんな。」
富山くんがニタニタ笑いながら言ってくる顔を見て、胸のあたりで固まりのようなものを感じた。さっき胸にドーンと下りてきた固まりだ。それがゆらゆらと胸のあたりで動き始めた。
その大きな固まりは胸から上に向かってくる。そして、ものすごい力で到底通るはずのない細い喉を無理矢理押し上がろうとする。喉が苦しい。でも、それは止めることが出来なかった。固まりは喉を通り抜け、自然と開いていた口をさらに広げて、どろっとこぼれ出した。

「だって。」
「は?」
「だって、出来もしないくせに。」
「何言ってんの?お前。」
「出来ないくせに、やるって、いつも。そして、出来ないとすぐ人に頼って、助けてもらって、平気でいる。」
「げ、本音出た。」
「そうだよ!ずっと思ってた!ずるい、瑠奈ちゃんは。ずるいんだよ!。」
富山くんのにやにやは止まった。心の底から驚いた顔をしていた。
「ちょっと、言い過ぎ・・。」
「だって、そうだもん!私は悪くない!」
そう叫んで、富山くんを思いっきり突き飛ばした。床に尻もちをついている富山くんを見下ろして、
「あんたも同じ!」
と言って、図書室から飛び出した。

マイ スウィート ヌガー ( 8 / 12 )

マイ スウィート ヌガー ( 8 / 12 )

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-12-12

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