彼女の追憶 その2『言い訳』
注意:
小説やコミックスは未読の頃のSS。
エロが書きたかっただけです。
あと、朔ユキ蔵先生の『ハクバノ王子サマ』を多大にオマージュしてます。
=0=
彼が、私からの電話にあまり出なくなってから、もう半年くらいになるだろうか。
特に何度も、すがるように掛けている訳ではないけれど、段々と出てくれるまでの逡巡が長くなり、そして、彼の迷いを我慢出来ないように私の方が電話を切るのだ。
それでもたまに彼の声を聞いた時はとても嬉しくて。
ただそれが、彼と話が出来る事に嬉しい訳ではないと、そんな事に私は、いつの間にか気付いてしまっていた。
窓を叩く風が強い。
これから掛ける彼への電話もまた、きっと出てはくれないのだろう。
私は、そう分っていても、それでもやはり彼を確かめたかった。
吐く息が白く凍り、空気に触れるだけで肌が萎縮する季節。
彼と出会った頃が、もう懐かしいほどに遠く、眩しいかの様に鈍く、思い出せない。
言葉を交わし、気持ちが通じあえた嬉しさも、体を重ね抱き合って温もりを交換しあった想いも。
3年という長い時間をかけて、じわじわと雪が積もるように、私と彼を隔てる壁も少しずつ高く厚くなっていった。
違う。
そうじゃない。
そうではなかった。
残酷な告白は、彼の方からではなく、何故、私が突きつけたのか。
彼の触れた場所が熱く、寂しさと愛おしさに涙がとめどなく溢れ、何度も逢いたいと願い、抱きしめて欲しかったのは私の方なのに。
私は、いつもの電話の終わりのように、彼を最後まで待つ事は、出来なかったのだ。
=1=
「水野君、ビールが減っとらんぞ」
私が座敷の隅で壁の花になっているのを目ざとく見つけた上司が、お酒臭い息で私の横に座る。
普段は、至って真面目な勤務態度で頼りになる上司なだけに、無礼講の時間くらい、腰に手を回されてもセクハラだとは思わない。
それでもお酒や独特の雰囲気、そして泥酔した人は、私は苦手だった。
「そうそう、水野先輩。もっと飲んで飲んで、酔っ払ったとこ見せてよ~」
更に横から、後輩の中谷くんが、けしかける。
この人は、一番苦手だ。
後輩といっても同年で、その為か私を先輩とは見ていないように振舞う。
顔がいい為、周りからの、特に女性陣からの評判こそ良いものの、仕事や態度は決して良いとは言い難い、プレイボーイの噂も絶えない、私とは縁遠いタイプの人である。
美人でも派手でもない私にも、彼からの誘いは顕著にアピールされ、全て断っているけれど気にしないのか、毎週のようにダイレクトメールがデスクに届く。
ましてや、こんな飲み会の時にこそ彼の態度は露骨になり、私はなるべく早めに逃げるように、会場を後にするパターンを繰り返した。
隙を見て、トイレに行く素振りで、席を立つ。
一応、トイレにも入り、そのままこっそりと出口に回るのだ。
何をしているんだろう、私は。
楽し気に会話し、美味しくお酒を飲む声が、周りから溢れるように聞こえる。
まるで私とは関係のない世界のように、遠く、ぼんやりと、私は、自分の小ささを感じた。
「どーこ行くのっ?水野せんぷぁい!」
肩に手を置かれ、はっとして振り返る。
振り向いた右頬に、中谷くんの指が突き刺さる。
「ははは!」
子供騙しのからかいに、彼の容赦ない笑い声に、私は、悔しさで、無言できびすを返した。
「ちょっと待ってよ、ごめんごめん悪かったですって」
酔っているのが嘘のように、彼は、正確に私を壁に追い込み、両肩を掴む。
「やだ、こんなトコでぇ~」
トイレに入ろうとした女性たちが、くすくす笑い、私たちを見た。
キスをしているようにでも見えたのだろうか。
私は、急に恥ずかしさに紅潮し、彼を押しのけようと手に力を込め抗議した。
「止めて!冗談が過ぎるよ!」
「違うんだっ!!」
突然の大声に、ビクリと体が震えた。
何事かと、近くの人も、何人かこちらを伺う。
「ご、ごめん、デカい声出して……でもさ、水野先輩も悪いんだぜ?」
彼が何を言っているのか、私には分からず、彼を見つめると。
彼は大粒の涙をこぼし泣いていたのだ。
「水野先輩、全然返事もくれないから……、俺、チャラついた告白しかできねーし、どうすればいいかって」
中谷くんが嗚咽を飲み込むたびに、彼の両腕から私の身体にその緊張が伝わってくる。
よく考えると、確かに、彼に誠実な返事は返してはいない気がする。
まさか、彼がある程度でも本気にアプローチしてるなんて、考えもしなかったから。
私の世界の外にいる人が、遊び半分で、私にちょっかいかけているんだと言う認識しかなかったのだ。
彼は、子供のように肩を大きく震わせて泣いていた。
私は余程いたたまれなくなっていたが、その場で彼が落ち着くまで背中を撫でた。
そんな事があって、しかし、私は、お酒の席の出来事を普段とリンクさせる事を嫌い、忘れる事にした。
私のお尻を触った上司の事も、泣き上戸を露見した中谷くんの事も。
普段とは違う時間、違う世界。
そして、私は、やはり中谷くんの事が苦手だから。
=2=
遠野君が転勤する事になり、いよいよ私との距離が遠退き、接点も減ってしまう。
彼が、どことなく、それでいて遠慮するように私から離れようとしているのではないかと、私は気持ちがざわついた。
彼と、彼の気持ちを何とか繋ぎとめようと、毎日電話し、そしてメールする。
何度も何通も。
その事が彼の重荷にならないように、注意し、それでも健気な事実くらいは分かってくれるようにと、祈りを込め、送信した。
返信が来ない事が、多かった。
彼が、約束をキャンセルした。
忙しさや色んな理由があったけれど、そんな事、初めてだった。
その日の夜は、狂おしいほど、身体が疼いた。
惨めな自分が苦しくて、彼を恨んだ。
愛してると言いたかった。彼に、言って欲しかった。
その日求めたのは、たったそれだけだったのに。
私はその夜、見かけてしまったのだ。
中谷くんが女性と、本当に楽しそうに腕を組んで歩いているのを。
押さえていた涙が、嗚咽と共に零れ落ち、地面を濡らした。
その時、どんな心中だったのか、分からない。
ただ、止めを刺されただけだったのだ。
もう崩れる寸前の砂の城が、さざなみに押され、最後の欠片を流されてしまっただけなのだ。
中谷くんに期待した事は一度も、何も、無い。
それでも、私の涙の何パーセントかは、彼の味がしただろう。
しばらく座り込んでいた私は、嗚咽が治まると、自分でも不確かな足取りで、静かにその場を後にした。
「ん……うわっ!み、水野?!」
その驚きの声で、私も周りを見回した。
ここはどこなのだろうと、ゆっくり記憶との一致を探す。
「お、お前、どうした……化粧くずれまくってるぞおい」
なんだ、良かったと、私は安堵した。
いつも連れて行かれる居酒屋の、いつもの顔が私を見ている。
「あれ、お前泣いてるんか?」
「大丈夫です……」
無意識の間に何杯か飲んでいたらしく、お腹が重い。
私は、トイレに行くと、久しぶりに吐いた。
夢遊病のように彷徨い、ここに落ち着いて、知らない間に飲んで、気がつけば、上司の隣か……。
ドラマにしては、少し物足りないけれど、私にしては上出来の不可思議体験だ。
私は、心の底から可笑しくなって、席に戻ると、まだ酔っている振りをして上司に絡んだ。
ビールを追加し、上司に止められるまで騒いで飲んだ。
こんな事、初めてだった。
=3=
彼は、相変わらず中々電話に出ない。
それが遠慮から生まれた判断だという事は、私でも分かる。
彼は、出会った頃から、そう、初めから私に遠慮していた。
付き合って、キスをして、セックスをして、愛を確かめ合ったと思っても、彼の心は、ほんの少しも……。
手を伸ばしても到底、届かない。
どんなに速く走っても、追いつかない。
動悸が混乱を誘い、焦りが覚束ない足をさらに、絡ませる。
「待って…、行かないで……っ!!」
私は、飛び起き夢から覚めた。
全身が汗だくで、息を切らし、今まさに、全速力で走ってきたかのよう。
「どうした…?何か、あった?」
くぐもっているけれど、ハッキリと聴こえる、彼の優しい声。
私は、何故その声が私の部屋で聞こえるのか、その発信源を、寝ぼけた頭で考え、目をうろつかせて探した。
「大丈夫か?!」
もう一度、鮮明に聴こえる彼の心配そうな声。
早く、返事をしなければ……!
彼が遠退いてしまう。
私は、真剣になって、頭を振り、力を込めた手の中に、携帯がある事に気付いた。
「だ、大丈夫!ごめんなさい、大丈夫だから!」
すぐさま彼に伝える。
寝たまま、彼に電話を掛けたのか、彼からの着信を取ったのか。
そんな小さい疑問がどうでもよくなるくらい、彼と長く会話した。
ずいぶん久々に話した気がする。
胸の支えが取れたように安堵して、思わず泣きそうになる。
それでいて不透明の不安を覚えるほど、彼の言葉は私にとって、甘美だった。
週末、彼とデートをした。
突然玄関に、現れた遠野君。
何のアポもない、完全なサプライズに、私は慌てたけれど、彼は爽やかにエスコートし、リードしてくれた。
この前のキャンセルを帳消しにする、甘い一日だった。
眩いほど楽しい2日間はあっという間に過ぎ、彼が帰る日。
私は、切実な顔になっていたと思う。
彼の手を握り締め、私は懇願するように、彼と約束した。
「次も、絶対……デートして!」
彼は、照れたように私を見て、そして頷いた。
有頂天になったのか、私は興奮してその夜は遅くまで寝付けなかった。
彼の辿った跡を、指でなぞる。
じっくり時間を掛け、息が上がっていくのを、私は彼の名前を呼んで、後押しした。
=4=
私は、自惚れていた、と言っていい。
”絶対”とは言葉のあやであって、現実には存在しない。
いや、むしろ、絶対と高を括っている時にこそ、イレギュラーな現実が、それこそ絶対的に降って来る。
そして私は、思い切り頬を叩かれたように、目を丸くする。
今日が、そんな日。
例えば、仕事でケアレスなミスをする。
勿論、上司には叱られるけれど、気にしないくらい、私の心は平穏だった。
例えば、社内の曲がり角で、嫌な先輩とぶつかって嫌味を言われ、しかもお茶をこぼしたって、私は平和だった。
こんな汚れは洗えばすぐ落とせるし、嫌味の一つくらいあった方が、まだ健全と言うもの。
例えば、今朝見た週末の占いは、パーフェクトに最下位だったけれど。
彼との逢瀬を思えば、世界全ての私と同じ星座・血液型の人が、果たしてみんなして最悪の週末なのかどうか、考えるまでもなく、私は勝利を確信していた。
しかし――。
占いは、当たってしまった。
浮かれ過ぎた私の期待のレベルは、地に落ちる勢いも、落ちた後の気だるさも、同じエネルギーをもって、私を貫いた。
彼は、来なかった。
勝手に約束を押し付けたのは、私の方。
元々予定があったのか、何とかなる筈だったのか、彼は、電話口で反省し、頭を下げる絵が浮かぶほど、何度も私に謝った。
「うん、分かった。そんなに謝らないで。大事な時だもんね。体に気をつけて、頑張って。遠野君」
震える手を押さえつけ、逃げるように、私は電話を切った。
あれほど求めた彼の声が、今日は私を傷つけてしまう。
彼にそんな事、させたくはなかった。
気が付くと、友人の何人かを誘って、私は、いつもの居酒屋に赴いていた。
「最近、やけに付き合いがいいじゃねえか、ん?もしかして俺に惚れたか?水野!」
上機嫌に笑い、肩に手を回す上司。
この雰囲気にも慣れたのか、全く気にならなくなっている自分に、少し驚く。
その内、一人、また一人と友人が帰っていく。
みんな家庭があり、或いは恋人が待つ部屋に戻るのだ。
そう思うと、こみ上げるように胸の奥と目蓋が熱くなった。
「おい、水野……お前また泣いてんのかよっ!」
慌てて、ハンカチで目元を押さえる。
泣く事など、何も無い。
すると、何を思ったか、上司が私を抱きしめた。
私は身じろぎしたが、思いの外、力が強かったのと、そして何故か居心地が良かったのとで、少しの間、身を任せた。
何と言うのだろう、父に抱かれた感じに近いような、そんな安心感があった。
私は、上司の胸の中で、じんわり泣いた後、「家まで送る」と上司に誘われタクシーに乗った。
気恥ずかしさと、後ろ暗さと、少しの安心と、私の心は乱れ、ドキドキと波打っている。
それが何となく心地良く、暗いタクシー内を線で照らす、外からのヘッドライトをぼんやりと眺めていた。
「大丈夫か?」
最近聞いた同じフレーズに、耳が反応する。
声質そのものは全く違ったけれど、私を気遣い、安心させようとする声色に、私は目を伏せた。
「水野、大丈夫か?」
もう一度そう言った声も、セリフも、彼とは似ても似つかない上司のものだった。
タクシーはすでに、私のマンションの前に停まっていた。
私の膝の上に置いた上司の手から、体温が伝わる。
私は、たった一人で、暗く孤独な部屋に戻らなくてはならない寂しさに、恐怖のような感情を抱いた。
お酒のせいに出来るほど、私は酔っていたし、また、遠野君のせいに出来るほど、私は彼を愛していた。
「水野……?」
再び上司が私の名前を呼んだとき、私は上司の手に自分の手を重ねるように置き、部屋まで来るように介抱を頼んだ。
=5=
廊下の途中から貪る様なキス。
私がそこまで乱れるとは思いもしなかったのだろう、上司は、直立不動で壁に沿い、私のなすがままになった。
「みっ…水野……」
ベルトを外し、下着ごとズボンを下げ、上司のペニスを口に含む。
すると上司は我に帰り、私を押し倒した。
打って変わって、今度は私が責められる。
荒々しくシャツを脱がされ、ブラの上から揉みしだかれる胸。
すでに硬くしこっていた乳首が擦られ、私はうめき声を上げる。
「うっ……!はぁっ、あっ、部長……っ!」
上司の愛撫はとても雑で、優しさの欠片もなかったけれれど、それが新鮮だったのか、私は自分でも驚くほど興奮し、触れられてもいないのに、下着は濡れていた。
二人でもつれ合い床を転がり、キスで涎まみれになって、服を脱ぐ。
下半身への愛撫はほとんどなく、クリトリスを数回捏ねるように摘んだだけで、上司は私を四つんばいにし、獣の体位で、私の尻を高く上げた。
まるで犯されるような感覚が私の全身を覆い、私は、歓喜に打ち震えた。
期待と恥ずかしさで、陰唇が震え、内部からは、白く濁った液体が糸を引き、垂れ落ちる。
そして私は貫かれた。
声も出ないほどの衝撃が、脳天を叩き、子宮が喜びにわななく。
そのまま2、3度動かれただけで、私は叫び、容易く絶頂した。
その後、何度も上司のものを吸い、上に乗り、そして組み敷かれた。
はしたなく嬌声を上げ、痙攣する身体で、淫乱な喜びを表現し、何度も、何度も、私は果てた。
疲れきって起きた朝、上司は当然のようにいなかった。
乱れた衣服と体液でよごれているはずの床や壁は、何事も無かったかのように綺麗にされ、逃げるように去ったのは、上司なりの優しさだったのかも知れない。
私は、重く動かない手足を引きずり、身体を丸め、泣いた。
取り返しの付かない、嫌悪の裏切りを、私はしたのだ。
「遠野君……ごめんなさい遠野君……遠野君」
彼の優し過ぎる目を思い出し、彼の名を叫び、私は、自分が許せるか、不安に、また泣き、謝る事を繰り返した。
=6=
程なくして私は退社し、かねてから誘われていた、友人の起こした会社に入った。
こんな事で、なかった事には出来ない事くらい、自分でも痛いほど分かる。
それでも、私は変えたかった。
環境も、自分自身も。
決心は付いていた。
寂しくて、悔しくて、悲しくて、とても割り切れない感情は、勿論未だ尾を引いている。引きずり続けている。
決心したずいぶん後の今でも、心を抉り、突き刺さって抜けない。
私は、遠野君を好きなままだ。
彼を愛したまま、そのままずっと。
多分これからも、長い間、私は苦しむ。悩む。胸を掻き毟るだろう。
あの事は、彼には言っていない。
ずるく、汚く、卑しい選択だけれど、私以上に、彼はきっと苦しむ。
それが見たくないだけなのかも知れない。
彼の為と偽って、私自身の為なのかも知れない。いや、多分そうだ。否定出来ない。
そして、彼は、きっと私を許す。
それが私には、耐えられないのだ。
何度も緊張を飲み下し、決した筈の意を何度も決し、深呼吸し、メールを送信する。
私から彼へ、最後のメール。
彼はこのメールを読んで、悲しんでくれるだろうか。
私との距離を、確認してくれるだろうか。
1,000回メールをやり取りしても、1センチも縮まらなかった心の距離。
私は、何度も挫けつまずき、彼の見るその先を見ようとしたけれど。
とうとう、疲れてしまった。
遠野君、ごめんなさい。
彼が必死で追い求めた、遥か彼方の答えに、どうか届きますように――。
終。
彼女の追憶 その2『言い訳』
ご清覧いただき、ありがとうございました。