秋風

大槻竜太と初めて会話をしたのは、涼風が頬を撫でる九月の半ばだった。大抵の生徒は部活動を引退し、来たる高校受験を前に、勉強にいそしむ季節で、御多分に漏れず私も、夏休みを最期に、細々と活動していた文芸部を辞し、駅前の学習塾に活動の場を転じた一人であった。
 大槻竜太とは、三年間クラスを共にしていたが、まともに会話をする機会はついぞ訪れなかった。大槻竜太はいわゆる優等生で、クラブチームと掛け持ちをしていたらしいサッカー部では、大会のある毎に優秀選手に選ばれ、定期考査の総合点では、上位三名の内に必ず名を連ねているような男であった。
私は三年間、彼に対して引け目や憂き目、劣等感からくる、単純な憎しみを抱いていた。事あるごとに、死ねッと思っていた。その程度の人間、つまりは屑であった。
 当時、文芸部で創作活動をしていた私は、大槻竜太を模した人物を小説世界に作り上げ、悲劇に見舞わせることに快楽を感じていた。活動の一環として、月に一度同人誌を作って公開してはいたが、教師、生徒共々、読むものなど誰もいなかった。
読者などいない。この諦念が、私の胸の底で、ある好奇心に変貌していき、止めどなく沸き立っていく感覚を覚えたのは、彼がインターハイで活躍し、堂々の引退を飾った、晴れやかな夏休みの昼下がりのことだった。
最後の同人小説に、大槻竜太の実名を使う。私には、一種の狡猾な自信があった。実際、作者名は今までのようにペンネームを使えば良かったし、その他の部員と言えば、イエスマンの後輩が二人いるだけであった。今回は、同人誌も数える程度しか刷るつもりはなかったし、公開する期間は、生徒のほとんどいない夏休みの間のみに留めた。そもそも、私が文芸部に所属していることなど、誰も知るはずがない。この、一見消極的な狡猾の中にも、一種の背徳感、そして愉悦感は、震えるほどに感じていた。創作が持つ中毒的作用に、私は脳を溶かされていた。
 
 結局、小説を書き上げた後も、私の手がけた同人誌の話題を口にするものはいなかった。かくいう私も、執筆後には彼に対する憎しみや劣等感が薄まり、これでよかったのだと、二学期は学校と塾とを、黙々と行き交う日々を送っていた。
 大槻竜太が私を呼び止めたのは、そんな涼風の靡く、秋晴れの眩ゆい放課後の帰り道だった。
「なあ」
「え」
「夏休みの同人小説、書いたの、おまえだろ」
喉仏が引きつった。
「小説――」
「女生徒への暴行がばれて、最後のインターハイには出られず、内定していた進学先も取り消し、あげく女の彼氏にもボコボコにされて、自尊心を保てず遂に失意の自殺を遂げた哀れな主人公、大槻竜太――」
「違うっ」
「お前の書いた小説、俺は好きだと言ったら」
意表を衝く言葉に、思わず視線が重なる。心臓が大きく弾み、まぶたが痺れる。
「絶対、俺じゃないよ。過去の先輩の作品そのまま刷ることもあるし――」
「お前、一年の頃は、本名で書いてたよな。ペンネームじゃなくて」
「え」
「文体が、あの頃のままだったから」
生唾が溢れた。大槻竜太の、聡明な眼差しが、私を貫く。
「俺、文芸部の同人誌、読んでんだよ。たまに、だけど」
「……」
手足が震えていた。抑える手立てがなかった。
「だから、俺、お前の小説、好きなんだって」
彼の唇が、にやりと上ずった。
私には、それが不気味に思えて、その場から逃げ出す必要を感じたが、意に反して身体は、岩のように固くなっていた。
乾いた風が、二人の間を抜け去った。風は、大槻竜太の柔らかそうな髪の毛をほんの少し持ちあげて、するりと消えていった。大槻竜太は相変わらず、聡明な目付きで私を見つめている。
「いや、その」
「お前の小説、好きなんだよ」
突風が吹いて、頭上の葉桜がきしきし震えた。風は、グラウンドの砂塵を纏って、ざらざらと回転しながら、爽秋の空に舞って消えた。

秋風

秋風

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-10-30

Copyrighted
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