*星空文庫

連綿

mute 作




いつもの鉛筆を使って、初めて描いた絵の中の池に住まわせたアヒルの嘴を、今度は黄色の色鉛筆を使って、はみ出しながらも塗り終わった。笑顔に見えるアヒルに気持ちを嬉しくした気持ちは、このアヒルの後ろに、一回り小さくした小アヒルを五羽、生み出すことを思い付き、ワクワクした手の動きでまた手に取った鉛筆のお尻を踊らせる。歌を歌えばガーガーと鳴き、無事に池に浮かび始める小アヒルたちそれぞれに役割を与え、五羽の親になった大きなアヒルにはその大役を無事にこなせるよう、お守りの代わりとして、さっきまでは無かった水掻き付きの両脚を付け、波の動きを表現するための線を、幼いながらも一本ずつ、大きく走らせていく。進むアヒルの親と子たちに、何を話させようかと紙の余白にもくもくと書く吹き出しは、一番近くに生まれた雲のように暇を持て余し、鉛筆の主人の良い思い付きを待ち望む。机に肘をつき、表情で悩む顔を支えつつ、地面を離れ、バタバタと遊ぶ足に触れるか触れないかの、机の前の壁を見つめる主人は、楽しみに口を閉ざしている。書きたい事は山ほどあり、綴りたいことを大事に選びたい鉛筆は、その名前を呼ばれるまで指の間で泳ぎ続ける。氷の入ったグラスに容れられた飲み物の色を吸い、その鉛筆の先は彩られる。回る機械の針が止まることのないように、交換されたばかりの電池と、裏方に徹する機械の神さまが見回ることで守られる、この時間が進めて終わらない箱の中で、許される限り思い付き続ける喜びを、白色の壁が主人と一緒に理解している。遮られた壁で出来上がる部屋の真ん中で、思いは浮かび、描かれる。たった一つ、備え付けられたドアのノックが三回続き、結えた糸を口に咥えた獣が決まりを守るようにゼンマイ仕掛けを動かすまで、進まない刻が生む交流は、生きていることを温め続ける。パタパタと、心がその羽ばたきを始めるまで。
在るは生まれ、踊り続ける。



雨の長い一日に書くことが特にないからと言って、先生が椅子をひっくり返し、組み立て式の作りであるからと、座部と四本の脚を止める六角ネジをキュッと締める。緩まり易いのは二箇所だからと言って、その二箇所を必ず締めた後、残りの二箇所にも、六角レンチの頭を当てはめる。いつか緩まる日が来るだろうから、と先生はそれを待ち望んではいないが、来るかもしれないその日に備えて、六角レンチを用いてチェックする。その六角レンチだって、無くしてはいけないからと、同じものを数本、工具箱に入れている。同じタイプの椅子を使い続けているうちに、付属品としての六角レンチが集積され続けた結果なのだと、先生が私に言っていた。不用心にも、扉がいつも開いている籠の中で、小さな羽根を広げて応える私に向かって、先生は眼鏡を直して微笑む。用意された止まり木に降り、首を振らない私に指を差し出してくれる先生。啄ばむように、軽く噛みたい気持ちを唸らせ、私はいつもチチチと鳴く。飼われてから数年、いつまだ経っても付けてくれない私の名前を、生み出すように歌い続ける。代わって、外にいるのと変わらないぐらいに日当たりのいい先生の部屋の、四角い外の空を横切る黒いカラスが、ガーガーと笑い去る。カラスには要らないものを、欲しがる白い私。たった一箇所だけ、赤い斑点があるのを知っている私の学名というものを、先生の無邪気な生徒が横書きにしたところで、私の自由な羽ばたきを止められない。私には私の種があって、先生には先生の生き方がある。籠の網に引っ掛けられた餌入れに顔を突っ込むようにして、餌を啄ばむ私を見つめる、先生が好きな熱い飲み物を知っている、私。水を欲しがって、籠の中を移動する私。気まぐれに口笛を吹く先生の、気持ちを推し量る私。歌の良し悪しを避ける鳥。私は、頭を上げて鳴く。予め籠の中に取り付けられていた止まり木に泊まり、姿を見つめ、見つめられてを繰り返す。住処という、流れる時間に溺れ続ける。幸せのとき。
小柄な私を描く女の子にそう言われて、首を振らない私が動く。



風化が進み、砂ばかりとなり、廃墟そのものも珍しくなった今世で、こうして床があり、四方に壁がある廃墟に出会えたことは僥倖でしかない。石のように硬い壁にもたれて休めることなど、この人生の中で、あと何回経験できることだろうか。吹き続ける強風に流れ去る砂に埋もれる心配などしなくていい。砂中を泳ぐ魚が無抵抗で諦めるかのように、砂ごと丸呑みにされる渦に吸い込まれる恐れもない。ならば、と脱いだローブを体に被せ、上空の星に覆われながら、懐中の短剣を紐解いて、眠れる喜びを書き綴れ。くたびれた葦の筆を終わりまで使い切り、新たに採った若い葦の筆を取り出して、この文(ふみ)の最後の言葉を探し、吹ける口笛を漂わせて。真昼に見た猛禽類の高い警戒音を思い出し、舌を用いて、乾いた唇の形をなぞる。果物の味に唾液を溢れさせる。剥いだ皮から消えたけものの匂いに、ごうごうと流れる血潮の満ち引きを抱く。浅い、川の跡を追って来た、数々の先人たちが残した足跡は途絶えることがなく、まだまだこの先も長い。運ばれて来る薪、こぼれ落ちる塵。その数は少なくても、思えば尽きることがない果実を手にすることで思い至る水源に、滴る教えがあるのだろう。両の手で掬えない奇跡を感じる冷たさで喉を潤す、一度だけ許される浸透。光高く、散りばめられた配置に意味を見出すまでもなく、目が離せないことに気づいた後ならば、もう、口にすることを要しない。体をして名を表す温かみを揺らす、赤子のように慈しめ。両手を広げ、事後的に告げる己をもってして、立ち上がる季節が風になびけば、月蝕はまだ来ない。了、と染み込む羊皮を丸め。
地が明日と進むだろう。



宛先のない弾丸みたいだね、銀色の鱗が剥がれて綺麗。
湖面に浮かべたボートの上で、その子が述べた感想にある心の度合いをリトマス紙で測れる現在に、まさしく弾丸のように飛んでいく擬似トビウオたちは、着水の音を立てない。訓練の賜物でなく、予めプログラミングされた動きと速度で生じる結果に、既知の意識は関心を抱かない。山の向こうで、山と見間違うほどにうず高く積み上げられたかつての疑問の数々を、「わすれるどりょく」も、ほとんどの人にとっては、もう要らない努力である。記憶の整理も随分と洗練された。デフラグには一分もかからない。椅子に座って、ケーブルを身体の任意の箇所に接続し、係り員の、滑らかで走る様なタッチにより、リアルはこうして形となる。クリアな視界に爽快、軽やかな気分で人は立ち上がり、お喋りに興じ、出口に向かい、外を歩く。「であいにわかれ」、付属で書き加えられるハート型のセンサーがピピピッと作用し、恋が生まれ、育まれる。『相性抜群であるために、必ず成就する恋のお話』。瞼の動きを高速にし、擬似トビウオとの思い出を増やしている、その子といま現在、育んでいるこの物語。そうだね、綺麗だね、と思ってはいる、しかしながら喉を始め、声を出すための器官に不具合が生じているフリをしているわたしが、意図的に向けるこの物語を、モニタリングしている管理者に問いかけているわたしと、その人の物語。擬似トビウオに向かって、唾を吐かないかのじょ。分かりやすい言い回しを生み出しはしない。動作確認の手順に従い、動かす指の関節。わたしは、速く言葉にしない。あなたは、変わった舌の動きをしている。わたしは、思いを知っているわ。あなたは、〇〇だねって言わない。続けて言うと、あなたは、言葉と実感の隙間を気にするのね。わたしは、唾を飛ばしてみたいのだと、そう思うって言いたいのね。そういう訳ではないのだけれど、と思う。ううん、きっとそうなんだわ。思う、ってあなたは付けない。思っているから、思っていることを突き放さない。客観視しない、ということか。あなた、を付けないあなたの方が好ましいわ。好ましい、に反応する器官をチェックする。うん。開始する。
ボートの真向かいに座る、その子の瞼が止まったとき、上空では、イレギュラーな変化として、今まで見たことがない色の混ざり合いが生じ、網膜に移るその有り様を、記憶野の管理人と称するアプリが、一番近い現象の名称を表示した。その表示も、きちんと喜ぶ目の前のその子の姿に重ねて、メッセージは送られる。婉曲、と評しうる表現の選択には、笑いの文字が排されて、物語的に繋がった表現上の語り部は、それを見上げていた。データ不足で可視化されず、映像なしでその様を思うわたしは、精巧に作られた口腔内に覚えた痒みを記憶して、取り付けられた舌を出し、並べられた牙を撫でた。触感として、逆さまに感じる映像を残し、わたしは、対象のことに尽くす何かを再生した。砂嵐、見て取れる形、結ばれない像に被さる音声。反応する胸部、赤いエラーは、それが正しいことを間違いなく証明している。デフラグの不備、割り切れない素数。
ごうごうと、海鳴りと呼ばれる現象、それに遭遇したと記すプログラム。波のような色の混ざり合いが、視界を通して語りかける。トビウオ、追随する群れ。瞼をしない意思。すべてを写す。湖面。水浸しの紙、紙。
復帰。プログラムは、すべての器官をチェックする。
帰路に着くべき時間が告げられ、その子の笑みを合図にオールを漕ぐ動作を開始する。水を掻き、力に変え、ボートは向かうべき桟橋に進む。何回かの会話、波立つ水面に輝きが割れる。居なくなったかのような擬似トビウオは、水底に漂い待機している。皆が知っている。ウミネコは、その代わりとなるホンモノが使われている。ミャーミャーと、鳴くボタンが壊れていることは、事前にアナウンスされていた。だからそのことに、誰も疑問を抱かない。陽光の高さは徐々に夕刻に調整され、空腹のアラームがセットされる。何食べる、は口にされると同時に、網膜上に表示される。記録される。しかし。
「しかしわたしは」、と愛が込められて。



背の高い木々がそうなるまでに過ぎていったはずであろう日数を、当てずっぽうに想像する。その答えが出る前に、同じ参道を歩く前の人にぶつかって、短かく謝る。その後、お互いの距離が開くまで前を向き、歩みを遅くし、二歩分程の間が生まれたところで上を向く。先程見ていた木々に近付いていて、その天辺まで見上げるには、首をさらに後ろに動かして、上を見上げなきゃならず、枝葉の隙を突いて鋭い陽光を浴びて顰める眉に、付き合う両目を細める。歩いてやり過ごして、大雑把に世界。次第に次の木々、目を移し、前の木々と同じ高さに見える木々。顔の位置を戻し、顎をそのまま、冷えた空気に鼻を詰まらせ、白い息が口から吐かれ、もう一回、冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。潜水よろしく、数字を数える。暦のイメージにぐりぐりと丸を描けない今日の、砂利道は細かさと硬さを裏から伝える。動かす足、踵は確かに離れる。下界の主役はウチだといわんばかりに、低い立て看板を見つける。内容を理解する。水飴はきっと甘い。しかしもっと先の参道を歩く人も、多くいる。トイレ近くの隅っこに、通話のために留まる人もいる。大事な話、ゆっくりしたい話。一人、二人、曲がり角の死角にもう一人いた。背中を向けて、身振り手振りで、その相手に何かを教えているよう。そうそうそう、と続けて打つ相槌は空振りに終わり、次にしたい話題が明後日の方向に飛んで行きそうになるようで、それを正す言葉はユニークに耳に残る。正面に浮かべる笑みは、その心を知る自分だけのものだ。防寒のためにコートの中に入れていた手の、五本の指を擦らせて、暖かさを強める癖は、ポケットの中の手汗はとなり、晒せば冬に輝き、さっと冷える。冬におけるこの目的を成功させ続けるには、動かさずにじっとする握りこぶしが有効か、どうか。試し、歩いて見上げる。日差しは燦々と降ってくる。弱々しくも遠慮なく、眩しさを増した木々がまた高くなり、その幹の表面の状態が詳しくなる。剥がれた所も、ウロも、そしてセルロース。生物の時間の思い出は、けれどこれに触発されることがなかった。後方の窓際にまで届く日向ぼっこのせいだった。つらつらと読まれる頁の、鼻の頭の痒みを解消する。次いで、距離と時間を計っているトラックと、記録係を思い出した。ストップウォッチを押して離している。それを覗き込む眼鏡を押し上げて、運動場が一周分使われていた。ノートに書き込まれた炭素原子は、意味をもって繋がっていき、世界一硬い鉱石から、こうして剥がれる鉛筆の芯まで。意識は歩いて、こつこつ続く参道に舞い戻る。行く道と戻る道の石畳、その真ん中がじゃりっと進む道。馬も歩けば、とクスっと進む。
少し寄り道、見逃さずに手を出した缶コーヒーは、二種類並んで温かかく、暖色系のシールがバネで揺れていた。飲み始めたばかりと、自動販売機の前に置かれた缶専用の容れ物を通り過ぎ、吐く息はまた白く、でも、遊ぶように漂う。コート表面に発見した綿毛は、白く摘んで飛ばす。漢字で書く蒲公英に通じる、道順を易々と描く指の先には砂利道が途絶える。整えられた石畳が気付かせる拍子がある。手を叩かずに聴く。また一口とつけた味を飲み込み、「やや無糖」に目覚める。方角は、回る惑星に任せるよ、とボーイッシュな歌い手が囁く。同意出来ない恥ずかしさ。
イヤホンの奥の、タイトルを口ずさむ

『連綿』

『連綿』 mute 作

  • 自由詩
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2018-10-11
Copyrighted

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