遺伝子分布論 102K

遺伝子分布論 102K

神々の退屈凌ぎ

  白い稜線が並ぶ。
 九千メートル級の峰々が並ぶヒマラヤ山脈。
 神々が住むと言われるその稜線に目を
 向けるが、遠景のためかその姿は見えない。
 
 ディサ・フレッドマンは、
 屋外を眺めることができる居間にいた。
 特にやることもない午後。
 
 仕事は週の頭の三日間で終わらせた。
 週末は何かと忙しい。この四日目と五日目の
 明日が比較的暇なのだ。
 
 そして、こんな時は、何もしないことが最高の
 贅沢だと思っている。何もしない、かといって
 昼寝をするわけでもない。
 
 リクライニングチェアに寝転がるが、外を
 眺めるわけでもない、考えごとすらしない。
 過去のことも、未来のことも、全てを忘れる。
 
 最近の記憶も、子どものころの記憶も、母親
 のお腹の中にいた記憶も、単細胞生物だった
 ころの記憶も、全て忘れる。
 
 友達のことも、昔のクラスメイトのことも、
 仕事のことも親族のことも、昨日のニュース
 のことも、学校で習ったすべてのことも、
 本で読んだ全ての内容も、
 
 家にいることも、地球上にいることも、
 太陽系にいることも、銀河系にいることも、
 銀河系が属する銀河団にいることも、そして、
 この宇宙に人間として存在することも。
 
 そして、それでどれだけの時間を耐えられる
 のかを試してみる。悠久の時間の流れに
 身を任せる・・・・・・。
 
  数十分が過ぎていた。
 
 白を基調とした家の中。リビング、ダイニング、
 キッチンとほぼ白一色、無駄なものが一切
 置かれていない。一方、奥の寝室は暗めの色で
 統一されている。
 
 何も考えない時間のときは、ラジオも音楽も
 かけない。お香も焚かない。豊かな、贅沢な
 時間の使い方をしている、ということすら
 忘れるのだ。
 
 外からの情報を一切遮断する。
 
 根本から全てを忘れる作業をやると、その後に
 新しい何かが、心の中から生まれてくる。
 しかし、忘れる作業を、その何か新しいものを
 得るためにやる、と考えても駄目なのだ。
 一切の見返りなしで遂行する。
 
 すべてが無駄に終わっても、気にしない。
 この宇宙が終わるときに、すべての営みが
 無駄に終わったとしても、
 
 一切、気にしない。
 
  そうして生まれ変わったような気分になった
 後、無の時間の次に好きなのは、何をやるかを
 考える時間だ。
 
 ディサは、実際に何か楽しいことをやっている
 時間よりも、それを計画している時間のほうが
 好きかもしれない。
 
 思えば子どものころからそういう傾向があった。
 
 コインを挿入して、ハンドルを回すと出てくる
 カプセルトイ。安価なのもあって、たいてい
 くだらないものが出てくるのであるが、その
 ワクワク感が今でも大好きなのである。
 
 出てくる玩具より、出てくる前の期待感が
 好きだ、ということに気づいたのは最近の事。
 
 ディサの実家は貧困家庭ではなかったが、
 他の同じような経済状態の家庭とくらべると、
 あまり玩具を買ってもらえなかった。
 
 そのかわり、祖父が買ってくれた。ディサが
 好きだったのは、大型店舗で完成された大きな
 玩具を買うよりも、寂れた感じの、そして
 どことなく怪しい感じの小さな店舗で、何か
 変なものを探す、ということだった。
 
 たいていろくなものが見つからないのであるが、
 でも、何かありそう、何か今まで見たことの
 ないものが見つかりそう、といった期待感が、
 なぜかそういった怪しい小型店舗にはあった。
 
 ディサはそれを、自分の中で、ガラクタが醸す
 ドキドキ感、と名付けている。それは、モノ
 だけでなく、人からも感じることがある。本人
 には少し申し訳ないのだが。
 
  一人で笑いをこらえていると、リビングの
 端からこちらを見る目がある。四つの目だ。
 
 タピオとウッコだ。
 
 タピオはグレートピレニーズのオス、2歳、
 白色。ウッコはげっ歯類のチンチラ、オス、
 1歳、同じく白色。
 
 2匹とも、大人しいのもあって、この部屋に
 いるとまるで偽装しているかのように目立た
 ない。本人たちにそのつもりはないのだろうが。
 
 ディサが去年一人暮らしを始めるタイミングで、
 親が買ってくれたのだ。
 
 タピオは呼べば近寄ってくる。もう、ほとんど
 ディサと同じぐらいの体重になってきた。
 ウッコは呼んでも来ないことも多いが、気分で
 近寄ってきて、ヒザに乗ってきたりする。
 
 タピオのほうはだいぶ行動のほうも大人に
 なってきたが、ウッコのほうは油断すると
 とんでもないことをやらかしてくれる。
 
 家の中の家具やら壁などを齧るのはまだいい。
 素材も問題ないものを使っている。危ないのは
 ひも状のものだ。鞄のハンドル部分なども
 齧られる。作りかけの食材を入れたボウルを
 ひっくり返すのも得意だ。
 
 なので、最近は危なそうな臭いがするときは
 ウッコ専用のゲージに戻すようにしている。
 機嫌のいい時はゲージを開けると自分から
 入っていくときもあるが、
 
 悪いときは家中を追いかけまわすことになる。
 そして、部屋の隅に追いつめられると、
 諦めたかのように二本足で立ち、何かブツクサ
 とチンチラ語で文句を言う。
 

天空の家のラウニ

  人生において無駄な時間とは、実際のところ
 いったいどれほど無駄なのだろうか。無駄の
 全くない人生を人は送ったとき、果たして
 幸せになれるのであろうか。
 
 ディサは、自分でそれを試したいとは思わな
 かった。自分が好む無駄、好まない無駄に
 関わらず、納得がいけば受け入れる、そして、
 それが自分を形作ると信じていた。
 
 納得さえしていれば、なんだっていいのだ。
 
  けっきょく、いつものごとく、古い動画
 を見たり、けん玉をしたり、コマを回したり
 しているうちに夕方近くなった。
 
 街に降りてタピオを散歩させることにした。
 家を近くのマウントポイントまで向かわせる。
 ダージリンという小さな村だ。
 
 マウントポイントに設置して、タピオとともに
 家から降りる。ウッコはそのまま部屋で
 遊ばせておくことにした。
 
 6月の夕方、標高二千メートルは少し寒い。
 薄手のジャケットに腕を通し、タピオと共に
 南の郊外のほうへ歩く。ダージリンは、
 ヒマラヤ山脈の麓、谷合の村だ。
 
 左右山に挟まれた寂しい山道を20分ほど歩き、
 また折り返す。村へ戻ってきたら、家には
 戻らずそのまま近くの食堂へ行く。
 この村唯一の食堂、インドラだ。
 
 この村のマウントポイントを使うときは
 だいたいここで食事をする。香辛料を使った
 スープに野菜とチキン、パンを漬けて食べる。
 このパンの名前を忘れたが、何だったろうか。
 
 タピオにもペット用茹でチキンを注文する。
 
 この食堂は、あまり繁盛しているようには
 見えないが、味もそれほど悪くはなく、
 マウントポイントもあるので、それなりに
 客は入るようだ。
 
 そして、家に帰ってゆっくりお風呂に浸かる。
 ディサは、ムー人の末裔なので、風呂には
 しっかりとお湯を張って、ゆっくり入る。
 
 そして、タピオとウッコもお風呂が好きだ。
 グレートピレニーズでもタピオはかなり
 泳ぎが得意なほうだろう。
 
 チンチラの中でもウッコはホワイトチンチラと
 呼ばれる品種で、ここ数万年で品種改良された
 ものだ。本来チンチラは乾いた環境を好み、
 お風呂も砂風呂だが、品種改良のものは
 どんどん水に入っていって泳ぐ。
 
 そしてペットにも使える乾燥室で一気に
 乾かす。今日は早く寝て、明日は早く起きる。
 紙の漫画雑誌を読みながら、ゴロゴロする。
 
  気づいたら朝だった。ディサにとって、
 朝6時起床は早起きに分類される。タピオを
 連れて昨日と同じコースを散歩する。
 
 帰ってくると、家が、ディサはラウニと名付け
 ているが、朝日に白く輝いていた。マウント
 ポイントの階段を上がって家の扉を開け、
 中に入る。
 
 ふだん地上にいるときは、エアロックではない
 扉を使用する。この扉は、宇宙に上がった際は
 当然使用しない。外から、ディサは雨戸と
 呼んでいるが、外部装甲に覆ってしまう。
 
 ラウニの全長は25メートル、幅10メートル、
 高さ5メートル。ダージリン村のマウント
 ポイントは、鉄骨のフレームだけで、そこに
 水平に設置できる。
 
 表面は白色で、ざらついているのは硬化苔が
 ほぼ全面を覆っているからだ。底面近くは
 薄いグレー色。重さは、荷物の量にもよるが、
 100トンを切る。
 
 かなり軽量化されているが、通常の使用方法の
 時の強度も充分だ。もちろん、兵器として使う
 には装甲が薄すぎる。ふつうの家だ。
 
 高さ5メートルあるうちの、上下1メートル
 づつの部分は、動力部や倉庫、各機能設備など
 が入っている。
 
 動力は反重力エンジンが16基、信頼性向上の
 ために多重化されており、ふだは1基で充分だ。
 これは重力下での浮力を得るためで、移動
 に使う推進力には主に電磁波エンジンを使う。
 
 エネルギー源は複数使用できるが、主に太陽光、
 降下や強風の際の風力発電、小さな水力発電
 ユニットもあるし、ガソリンや灯油からも
 エネルギーが取り出せる設備がある。
 
 軽い分、浮遊移動中の強風には弱いので、
 移動の場合は天候を気にする。天候予測が基本
 的に外れることがないので、よっぽど好きでも
 無い限り、嵐に突っ込むことはない。
 
  間取りは、リビング、ダイニング、キッチン、
 寝室、トレーニングルーム、仕事部屋、書斎、
 ペットの部屋、バスルーム、天井がオープン
 できるテラス、クローゼット、エアロック
 ルームなどだ。
 
 広さは、だいたい合計160平方メートル。
 一人で済むには充分な大きさだ。地上監視員
 であるディサに、安価で貸し出されている。
 平屋の賃貸物件だ。
 
 この移動住居ラウニには一応前後の概念があり、
 リビング側に操縦席らしきものもあるが、
 ディサはほとんどマニュアル運転を行わない。
 
 単体で大気圏突入と離脱が可能であるが、
 エネルギー効率が悪いので、ふつうは宇宙
 エレベーターにマウントされて、降りたり
 宇宙へ昇ったりする。
 
 地上監視団体の本部が月近くにあることも
 あり、月近くの出身の者が採用される場合が
 多い。ディサもそうだ。
 
 そして、管轄する地域が太平洋からユーラシア
 大陸にかけてなので、いつも海上都市ムーを
 使用して降りてくる。
 

機械の住人

  言語というのは、その単語の中に割り当て
 られた意味以上のものを持っている。それは、
 イントネーションや細かい抑揚、そして
 表情や身振り手振りで表される。
 
 何の抑揚も動作もないのも表現のひとつだ。
 意味以上の、発する側の気分を伝えている。
 従って、それを覚えるには、その状況を
 含めて観察したほうが楽だ。
 
 そして、ある言語には、他の言語にない気分が
 ある。その現地の言葉を、同じ抑揚で、同じ
 表情で、同じ状況で発して初めて理解できる
 ものがある。
 
 仕事柄いろいろな地域でいろいろな言語に
 触れる機会の多いディサは、新たな言語、
 新たな挨拶と新たな気分にめぐり会うたびに、
 なにか懐かしいような、深い記憶を呼び
 覚まされるような不思議な感覚に包まれる。
 
  ディサが会話と思考に主に使用する言語は
 ムー語である。ムー語の発祥は、地球上の
 極東の島国、ヤマト国のジャパン語だ。
 
 宇宙世紀初頭、いや、宇宙世紀前かもしれない、
 海上都市ムーの建設中に、発電所の事故に
 よる環境汚染で、ヤマト国の東側がほとんど
 住めない状態となった。
 
 その際に、ヤマト国から海上都市ムーへかなり
 の数の人々が移住して、その人々の言葉が
 やがてムー語となった。
 
 そして、今、2万を超える言語が、太陽系内に
 存在する。宇宙世紀開始前後、言語はいったん
 統一される方向へ向かった。しかし、その後
 量子コンピューター実用化により、言語の
 壁を容易に超えられることから、
 また増えだした。
 
 数万年前までは、3万を超えていたが、
 いったん整理され、ここ最近は増えたり
 減ったりしている。
 
 地球上では、その地域でもともと使用されて
 いた言葉がずっと使われている。しかし、使用
 割合でいくと、やはり人口の多い各海上都市で
 使用される言語の割合が多い。
 
 ヒンディー語をベースにした、海上都市
 レムリアで使われるレムリア語、大西洋上の
 海上都市アトランティスで使用される
 アトランティス語。
 
 一方宇宙では、アフリカ語、ブラジル語、
 中国語、ヒンディー語、ロシア語、英語、
 と主なものでも数えだすときりがなく、
 それらの派生言語も数多くある。
 
 どれかひとつの言語が多く使われている、
 ということがないのだ。
 
  ディサが今いるこの地域は、主にヒンディー
 語だ。ディサはこの言語に関してはまだ
 片言の段階だが、その派生のレムリア語では
 思考も可能だ。
 
 もう少し動画を観たりインドラ食堂に通って、
 気分を勉強しようと思う。そう思いながら
 簡単な朝食を摂る。
 
 そして、朝の軽いトレーニングを行う。
 朝食の準備や片づけは、自分でやる場合もある
 が、アンドロイドにやってもらう場合も多い。
 
 この家にいるアンドロイドは、折り畳み式、
 ペッコという名だ。折りたたむと手で抱え
 られる程度になり、部屋の隅に収まって
 チャージする。意外と力も強い。性別は中性。
 
 ペッコは、積極的にディサには話しかけて
 こないが、独り言は多い、という設定にして
 いる。外見的に、音もなく急に現れると、
 あまりいい気分がしないからだ。
 
 ふだん起きてくると、だいたい気温と湿度の
 こと、天気のこと、小さい埃が落ちている
 と文句を言ったり、といった様子だが、
 ディサがいないときにペットの世話をして
 くれるのは助かる。
 
  住人の最後の一人が、このトレーニング
 ルームの中でディサの横に立っている、
 マッスルテーブルという商品名の人形だ。
 ディサは、スグルと呼んでいる。
 
 一応会話も可能で、アンドロイドと呼んでも
 よいかもしれないが、格闘技の対人練習でしか
 使えない。他の用事はやってくれないのだ。
 
 スグルの優れたところは、形状変化によって
 身長を変えられるところと、水の補給と
 排出によって、体重も変えられる。
 
 ディサは、前の日にスグルの身長と体重を
 決めておく。スグルは朝トレーニングの数分
 前に収納から起きてきて、身長と体重を
 調節する。
 
 ディサの基礎トレーニングが終わったら。
 防具や道着を着せて、打撃や投げ技、間接技
 を受けてもらう。いわゆる木人、のような
 使い方もできる。
 
 約束練習は、すべて「オケ」と短く答えて
 やってくれるのだ。たまに複雑なことを言い
 過ぎると、何も答えずに固まってしまうが。
 
 このスグルは、頭はあるが顔の形状がない
 ということもあって、海上都市ムーの怪しげ
 な雑貨店で買った、伸縮素材のマスクを
 被せてある。
 
 太い唇に団子鼻、髪は無く、頭頂部から
 後頭部にかけて突起物があり、額には
 「内」と書いてある。
 
 同じメーカーで、マッスルアシュラという
 のもある。こちらは6本腕で、腕が多い
 分木人の練習には良さそうだが、技に
 変な癖が付かないか心配でスグルの方を
 選んだ。
 
 ちなみに、ディサはムー人の末裔なので、
 このアシュラという文字をムー字で
 「阿修羅」と手書きすることもできる。
 
 今日のスグルは頭一つ分ディサより高く、
 体重も10キロほど重い。これで投げ技
 中心の練習を一時間ほどこなす。
 

穴居人

  移動住居ラウニを出発させ、目的地へ
 低速で進める。その間に、仕事と研究を少し
 だけ進めておく。部屋の気圧を少しづつ調整
 する。
 
 目的地とは、ヒマラヤ山脈の九千メートル級
 の山、その中腹の絶壁。そこにある、
 秘密基地だ。
 
 ダージリン村からは近いのですぐ到着する
 のだが、気圧に慣れるために時間をかける。
 
 リモートから操作すると、自然に模した岩が
 上に開き、開口部が現れる。そこに、移動
 住居ラウニを差し込んでいく。
 
 ラウニがすっぽりと入ると、入り口を閉める。
 側面の扉から出ると、人が通れるほどの
 スペースがあり、入り口近くに歩いていくと、
 しゃがんで通れるほどの小さい通路がある。
 
 そこを抜けると、3メートル四方、高さ
 2メートルもない小部屋だ。そこに機材を
 持ち込む。透明の風避けシートを突っ張り
 棒で設置する。ヒーターを点ける。
 
 そして、ここも内側から操作して扉を開ける
 ことができる。だいたい6千メートルの高さ
 から外を眺めることができる。
 
 タピオとウッコも連れてくる。小部屋の中
 には、断熱マット、その上に、小さな
 テーブルと、専用のブランケット、
 コタツと呼ばれる暖房器具だ。
 
 ヒーターで暖めているものの、そこそこ寒い。
 上半身は冬山の装備だ。コタツもほどほどに
 温もってきた。タピオは半分、ウッコは
 中に入ってしまっている。
 
 卓上コンロに鍋、食材も持ってきているので、
 とりあえずお昼にする。お湯を沸かして乾麺に
 少しの野菜、そして最後に卵を落とす。
 
 だから何なのだと言われると、それまでで
 ある。こういうことをすることに、何か意味
 でもあるのかと聞かれると、特になし、
 と答えるしかない。
 
 私は悪くない、これを造った人間が悪い。
 こんなものを造られたら、来てみるしかない。
 ディサが小さいころ、ここに小さなテントを
 張り、数日暮らす動画を見てしまったのだ。
 
 折り畳みアンドロイドのペッコに、タピオと
 ウッコのエサも持ってきてもらう。
 持ってくると、寒い寒いとうるさい。
 
 お昼を食べて一息ついたので、携帯端末で
 何か適当に動画を流しながら、ダージリン村
 で取れる茶葉を使ったティーを作る。
 
 デザートはフルーツだ。昔から言われている
 コタツに入る際に食べる定番のものだ。
 柑橘系のグレープフルーツという果物を、
 半分に切って砂糖をまぶして食べる。
 
 携帯端末から流れる動画は、南国の島国の
 風景だ。ビーチに波が打ち寄せる映像が
 永遠と流れる。
 
 次はどこへ行こうか。
 
  気づくと、少し眠っていたようだ。
 足に感触がある。おそらく、ウッコが靴下の
 上から足を齧ろうとしている。動くとびっくり
 して、コタツから飛び出したが、冷気を
 感じてまたすぐ戻る。
 
 ディサの仕事は、現地へ行って確認しなければ
 いけない作業もあるが、家で済ますことが
 できる作業もある。
 
 現地確認は年間でスケジュールを組めばいい
 のと、短期間でそれほどたくさん周らな
 ければいけないというわけでもないので、
 余裕がある。
 
 研究のほうはなるべくコンスタントに結果を
 報告したいのはあるので、週のうちの1日
 か2日は当てたいが、場所は選ばない。
 
 一応年間で周回する現地の順は決めているので
 あるが、やろうと思えば順序を変えることも
 可能だ。
 
 しかも、移動住居は、夜間に勝手に目的地に
 着いてくれる。なので、空きの日と夜間の
 移動を使えば、けっこう好きな場所へ
 行けるのだ。
 
 年間で1週間や2週間の休暇もとることが
 できるのだが、そこは月の実家に帰りたい。
 本部報告の日程の間も実家には寄れるが。
 
  ディサは、数か月前に、徒歩で実際に
 この山を登頂している。その時は、専門家の
 チームに混ぜてもらい、反重力ジャケット
 着用だが使用無し、酸素ボンベありの
 公式登頂だった。
 
 ディサ自身は公式に登頂したかどうかにあまり
 こだわってはおらず、この秘密基地を使う
 前に、この山脈の神々に挨拶しておいたほうが
 よい、そう思ったからだ。
 
 と言って、別に挨拶無しにここを使った人が、
 何か不幸に遭った、という話もないが。
 
 実家では特に父が登山好きだった。ディサが
 幼いころに、月近辺の山にも登ったし、
 地球の山にも登ったことがある。
 
 月近くの宇宙構造都市には、3千メートル級の
 山をもつものがあり、愛好者たちが集まる。
 木星圏や土星圏には、もっと本格的な、
 8千メートル級の山をもつ都市もあると聞く。
 
  夕方になって、そのままこの穴ぐらで朝まで
 過ごすことも考えたが、家で寝ることにした。
 機材を撤収する。
 
 移動住居ラウニを発進させ、絶壁のマウント
 ポイントの扉をリモートで閉める。
 そして家を、山頂から数百メートルの位置
 につける。
 
 外は月あかり、天気はいい。
 リビングのテーブルに、この山と家の
 3D画像を映し出させる。有り合わせの夕食
 を食べながら、窓からは月が覗く。
 
 今日はこのままリビングのソファで寝よう。
 自分がこの中空で浮いていることを強く
 意識すると、膝から太ももの裏のあたりが
 ゾクゾクしてくる。
 
 この感覚が好きだから、ここに来るの
 かもしれない。
 

落ちた堕天使

  装備の点検をしている。
 新雪用の少し幅が広めの板、長さはディサの
 身長と同じ160センチ。
 
 膝や肘のプロテクター、ヘルメット、靴、
 ストック、反重力ジャケット、滑空翼、
 酸素ボンベ、全て付けると全身黒ずくめだ。
 
 目標は、2千メートルほどの高さを3時間。
 反重力ジャケットはなるべく作動させない。
 滑空翼は背中のパックに入って、最後
 に使う。
 
 対象の山は、昨日の秘密基地の山とは違う。
 9千メートルを超える山。ディサはまだ
 登頂していない。順序が逆になってしまった
 が、今度必ず徒歩登頂に戻ってくる。
 
 移動住居ラウニのテラス側を横付けする。
 天気は良好。板を付けた状態で山頂に移る。
 稜線沿いに最初は滑り、8500メートル
 付近で山腹側へコースを変える。
 
 周囲は見渡す限り雪に覆われた山々が続く。
 宇宙世紀前の、貧弱な装備でも人々がこの
 山に登り続けた、理由がなんとなくわかる。
 
 少し申し訳ない気持ちになりながらも、前
 からやりたいと思っていたことを実行に
 移す。
 
 山頂付近はまだそこそこの広さがあるが、
 そこから稜線側に行くとすぐ狭い急斜面で、
 左右は絶壁だ。
 
 いきなりの難所でジャケット作動も嫌
 なので、横滑りでズリズリと降りていく。
 
 そこから突然の急斜面、左右見渡して
 一番緩そうな部分を選び、そこを、滑ると
 いうより落ちる。
 
 20メートルほどの高さだろうか。
 ほとんど無意識にジャケットを作動させて
 いたこともあって、無事着地、そこから
 若干斜面が緩くなる。
 
 反重力装置が無かったころは、それ無しで
 ここを降りていたのだ。自分だったら、
 挑戦していないかもしれない。
 
  父と一緒に月近辺のスキー場に行った
 ときは、最初のうちは急斜面が非常に
 怖かった。整地されたコースだと
 反重力ジャケットなど付けないという
 こともあったが、角度的にはそれでも
 30度前後なのだ。
 
 しばらくは恐怖心もあって、降りてくる
 のに相当な時間がかかるのだが、横に、
 斜めにズリズリを続けているうちに、
 恐怖心にも慣れてくる。
 
 もともと抜群の身体能力を有していたディサ
 ・フレッドマンが、一般のスキー場で自由に
 滑れるようになるのは時間がかからなかった。
 
 大会で使用されるようなコースで、ガリガリ
 のアイスバーンを経験したり、新雪の
 滑り方が整地の場合とぜんぜん異なることを
 実際に体験したりした。
 
 しかし、そういったコースは、ある程度
 滑ることが可能なことを保証している。でも、
 9千メートル級の山から滑り降りるのは、
 そういった保証された世界とはだいぶ違う
 ように感じた。
 
 時間が合えば、同年代の友達を連れてきたい、
 と思うのだが、ディサの「遊び」に付き合える
 同年代はほとんどいない。だいたい、ほとんど
 皆、まだ学生の身分だ。
 
 時間的にも、経済的にも、運動能力的にも、
 普通の17歳が付き合う限界を超えていそうだ。
 太陽系の人口からするとそれでもかなりいる
 はずだが、割合でいうとかなり少ない。
 
  山腹側へ折れる地点に来た。ここもまだ急斜
 面であるが、幅がけっこうあるため、斜めへ
 滑っていける。ターンの時にちょっとづつ
 体重を乗り込めるようになってきた。
 
 が、そのまま一気に滑るのはまだ自信がない。
 時々立ち止まって、景色を眺めながらゆっくり
 と降りていく。
 
 予定通り、3時間ほどで、山の中腹の少し
 なだらかなところまできた。ここからは、
 滑空翼を使う。
 
 目標の移動住居ラウニも、下の遠くのほうに
 見えている。高度にして千メートルほど下、
 距離は500メートルほど。
 
 背中のパックから、左右にリングを引っ張り
 出す。平面ケーブルが伸びて、それに
 合わせて翼が広がる。両翼3メートル。
 
 専用のグローブでマニュアル操作もできるが、
 今回はセミオートモードで飛ぶ。その姿は、
 伝説の悪魔、サッキュバスを彷彿とさせる。
 
 「ホーォウッ!」
 まずは崖の壁面すれすれを落ちていく。
 ほどよいところでターンして飛び出す。滑空翼
 にもだいぶ慣れた気がする。気持ちいいかと
 聞かれると、そうかもしれないと答える。
 板とストックが無ければもっと自由に飛べる。
 
 そこからほぼまっすぐにラウニへ飛ぶ。
 20メートルほど上空まで来て、旋回しながら
 降りていく。最後は、リングを戻して
 翼をしまいながら、ジャケットを作動させる。
 
 ゆっくりテラスに着地する。
 
  靴を脱いでみてから、太ももへの負荷が
 かなりあったことを感じる。明日は筋肉痛
 だろうか。
 
 少し早い時間だったが、非常に腹が減った。
 米が炊いてあるので、さっそく何か作る。
 フライパンに炊けた米と肉や野菜を入れ、
 炒めてから最後に卵をからめる。スパイスで
 辛めに味付けする。
 
 ディサは、間違いなく食べ盛りだった。
 身長160センチ、体重60キロだが、
 まだまだ成長しそうだ。
 
 今日は早く寝てしまいそうだ。目的地を
 忘れないうちにセットしておく。補給のため
 に、きちんとしたマウントポイントをもつ
 大きな町にいったん寄る。
 
 そしてそのあと、次の目的地へ向かう。
 山脈の神々に、短い別れを告げた。
 

苔の一念

  宇宙歴で10万年を超えている。
 人々の暮らしは、多様化していた。
 
 その前半生は、ほぼ両親とその教育方法で
 決まる。本人にどれだけ才能があっても、
 ものごとの判断がつくまでは、自分で道を
 選ぶことが難しい、という意味だ。
 
 ディサ・フレッドマンも、そういう意味では
 英才教育を受けてきた、と言っていいだろう。
 
 両親は、自分たちの経験を踏まえたうえで、
 なるべく安いコンテンツを組み合わせて、
 生まれてすぐから教育を始める。
 
 多数の言語を早期に学ぶことで、語学に
 関しては、はじめのうちは他の子どもよりも
 遅れていた。他の科目も、自分が納得する
 までゆっくり学ばせる。
 
 10歳を過ぎたあたりから、学力が加速
 し始めた。18歳までの一般過程を一気に終え、
 大学の教養課程も終えて、研究室への所属を
 開始。
 
 地上監視員の資格も得て、研究を続けながら、
 16歳で職も得ることができた。比較的早い
 ほうではあるが、最年少地上監視員という
 わけでもない。
 
  人の一生は長くなっていた。それは、寿命が
 単純に伸びた、というのも少しあるが、
 体力が最高の状態、というのを長期間維持
 できるようになったからだ。
 
 それもあって、大人に成長するまでが多少
 いい加減な生き方であっても、そのあとで
 取り返せる。幼少期にそれほど教育を重視し
 ない親が多数占めるのも、そのへんに理由
 がある。
 
 最も効率の良いやり方が、ある程度見つかって
 いるにも関わらず、選ばないのだ。それは、
 政治や経済、健康や医療の場でもそうだ。
 
 太陽系のすべての国々で、政治も経済も、
 人々の生活スタイルも、効率よく優れたものに
 収束していく、という予測があったが、
 ことごとく外れた。
 
 人々の中には、情報があるにも関わらず、健康
 にいいものが安価に手に入るにも関わらず、
 不健康なものを選ぶ。優れているかどうか
 に関わらず、自分が気に入ったものを選ぶ。
 投票する。
 
 多様化というのは人類の体力面でも同様で、
 義務教育前は比較的すべての幼児に運動を
 させる傾向にあるが、それ以降は選択性だ。
 
 すべての人は、一人乗りの移動ホバーに乗り、
 まったく体を動かさなくなる、という予想も、
 すべての人が健康になって運動能力の
 平均値が格段にあがる、という予想も外れた。
 
 体を動かさないひとはとことん動かさないし、
 動かすひとはとことん動かす、そして、その
 中間も多くいる。
 
 生涯の中で体を動かす時期、そうでない時期も
 まちまちで、40歳から運動を始めて
 世界トップクラスのアスリートになる人間も
 珍しくない。
 
  ディサ・フレッドマンは、学問も運動も
 仕事もやる今の生き方が、それほど嫌いでは
 なかった。
 
 かと言って、この暮らしを一生続けるかと
 いうと、その約束もできなかった。
 楽しいうちは続けるのだと思う。
 
 今はとにかく、苔の研究なのだ。いや、
 裸眼、あるいは顕微鏡で苔を眺めている時間
 がとても好きだ。
 
 地上監視員の仕事は、今のところ、その地域の
 苔類と高山植物の生態をチェックする、という
 ものだ。
 
 まだ、なり立てなので、今後チェックする
 種類を増やすかどうかは検討中だ。担当者が
 欠けている種類の中で、自分が好きそうなのが
 あれば立候補するつもりだ。
 
 同時に、大学の研究室にも所属して苔の
 研究を行う。苔類はだいたいすべて好きなの
 だが、一番好きなのはホンモンジゴケだ。
 
 その品種改良で生まれた金属鎧苔の、さらに
 品種改良で生まれたのが、移動住居ラウニでも
 テストしている硬化苔だ。
 
 自分の研究やアイデアが実用に移されるかも
 しれないというのは、とても楽しい。
 それも、自分が一番好きな苔の進化系を
 用いてなので、なおさらだ。
 
  研究の作業は、それほど難しいものではない。
 対象の苔の生息範囲のマップを作製する。
 地域のことではなく、温度や湿度、気圧、
 だけでなく、通電や振動、栄養環境を変化させ
 ながら、枯れ始める限界地図を作製する。
 
 平行して、品種改良も行う。既存の品種や、
 新しく生まれてきたものについて実験を行い、
 気になるものは精度を上げてやり直したりする。
 
 そういった基礎研究は、やり方さえ掴んで
 しまえばあとはひたすら積み上げていくだけ
 なのだが、実用化の話は簡単ではない。
 
 たいてい研究者自身は研究を積み上げるだけで、
 何に使えるかは、学会などで結果を発表して、
 たくさんの人からアイデアを出してもらう
 しかない。
 
 ディサのように、色々なところに出かけて
 いろいろな世界に触れる機会の多い人間は、
 まだ比較的実用化のアイデアも出やすいかも
 しれないが。
 
  バンコクという街に寄り、食料や水等の
 補給を行う。ここのマウントポイントは、
 都市フレームという機能がついており、
 電気、上水や下水はそれに接続して自動で
 補給または処理する。
 
 ここから、コケ類などの調査対象を探査しな
 がら、南へ向かう。
 

ビーチで放置

  リクライニングチェアに寝そべるディサ・
 フレッドマン。ここは、スンバワという島の
 西端のビーチ。
 
 そばの小さなシートには、グレートピレニーズ
 のタピオと、げっ歯類のチンチラのウッコ。
 トロピカルなドリンクに、水着、サングラス。
 
 午後からであるが、少し泳ぎにいったり、
 寝そべったりを繰り返している。平日なので
 仕事のほうはどうなったのだろうか。
 
 ラウニは、陸側のマウントポイント、と
 いっても太めの杭が4本立っているだけだが、
 その上に停止していた。
 
 仕事のほうは、折り畳みアンドロイドのペッコ
 がレンタル移動住居で進めてくれていた。
 データを集めるための端末と、探査ドローン
 を積み込んで、近くの島を回っている。
 
 「おーい」
 
 来た来た。同い年の女の子、ボム・オグム。 
 
「いつ着いたの?」
「昨日ムーで一泊して、今日高速艇で着いた」
「道具持ってきた?」
「うん、エアロック入れといた」
「スグルいた?」
「うん」
「明日でいいの?」
「うん、ちょっとゆっくりしたい」
 
 船で少し酔ったらしい。
 
  昼寝するというボムとウッコを残して、
 タピオとまた泳ぎにいく。遠浅の海、
 水中の下のほうを見ると、小さな魚が
 泳いでいる。
 
 少し雲が出て、日差しもそれほど強くない。
 人影もちらほら見える、狭いビーチだ。
 砂浜沿いにゆっくり泳ぎ、端までいって
 折り返す。
 
 今頃、折り畳みアンドロイドのペッコは、
 ぶつぶつ文句を言いながら探査をしてる
 のだろう。
 
 でも、ペッコも意外と苔が好きなのだ。
 乗り物からドローンで探査するだけでいい、
 と言っているのに、時々珍しいのが
 あったと言って、降りていって、写真まで
 撮って送ってくる。
 
 地上監視の仕事でアンドロイドを使用する
 例は珍しくなく、監視員によっては、
 月近辺から全く離れることなく、多くの
 アンドロイドを駆使して仕事をこなす
 者もいる。
 
 場所によっては、高い身体能力が要求され
 たり、セキュリティが低いため、自身の
 身を守る技術が要求される地域もある。
 
  またリクライニングチェアまで戻る。
 ボムは、島の男の子たちと話していた
 ようだ。
 
 ボムは、身長はディサとあまり変わらないが、
 少し太めだ。そして、そんなにかわいい
 わけでもない、とディサは思っているのだが、
 けっこうモテる。
 
 今は昼間に実家のペットショップの仕事を
 して、夜は学校に通っている。その年頃
 にしては少ししっかりしてるから、という
 のもあるかもしれない。
 
 月近くの構造都市で、実家が近いのだ。
 他にも同年代の友達がいるが、学校や
 部活動に忙しく、今のところこのボムと
 遊ぶ機会が一番多い。
 
 いつも観光客があまりいない場所を選ぶので、
 宇宙から来たというと、たいてい驚かれる。
 ディサはもう数回ここに来ているので、
 このビーチ付近の人の顔を覚え始めた。
 
 男の子たちがいなくなり、ボムがタピオと
 ウッコを交互にあやす。さすがにペット
 ショップ店員は、コツを知っている。
 
 タピオはまだいいとして、ウッコはけっこう
 な人見知りだ。でも、まったくそれを感じ
 させないで、肩やら頭やらに乗せたりする。
 
 タピオは実家に帰ったついでにトリミング
 なども頼んだりする。口の中やら目やらを
 見て、健康状態もチェックしてくれる。
 
  夕方前に、シャワー小屋で潮を落として、
 家に帰る。ペッコも放置プレイから戻って
 いて、何か興奮している。いい写真が
 たくさん撮れたようだ。
 
 そんなに好きなら、今度硬化苔を、表面に
 塗ってあげようと思う。好きな色に着色して。
 
 移動住居ラウニのテラスで、バーベキュー
 の準備をする。ノンアルコールの缶ビール
 を買ってきてあるので、それで乾杯する。
 
 さっきの男の子たちの話だ。年齢は、
 おそらく自分たちより二つ三つ下だろう、
 という話だ。南国の島の男の子たちは、
 精悍な体つきに、キラキラした目をしている。
 
 そして、地元の話になる。ディサが実家を
 出てからそんなに経っていないのもあって、
 それほど目新しいニュースはない。
 
 半年に一度ペースで帰れるので、地球にいて
 実家がそんなに遠いとは思わなかった。
 それに、やろうと思えば毎週末でも帰る
 ことは可能だ。費用が少しかかるぐらい。
 
 誰か地元に恋人でもいれば帰るのだが。
 
  ディサは、大きくなって、実家、あるいは
 その周辺で一生を暮らす、ということは
 まったく考えなかった。
 
 実家を出てみて、あらためてそんなに悪い
 場所でもなかったんだな、と気づいた。
 たぶん、飽きっぽい性格なのかもしれない。
 
 監視員の仕事も、今はアジアユーラシア
 地域を担当しているが、そのうち
 ヨーロッパアフリカ地域や、南北アメリカ
 大陸を担当したくなるのかもしれない。
 
 そして、それも飽きて、地球上に飽きて
 しまったら、次は木星あたりを目ざすの
 だろうか、それとも、火星や金星、水星
 だろうか。
 
 そして、太陽系に飽きてしまったら、次は
 中間都市を目ざすのか、それとも半獣半人座
 までいくのか。
 
 いや、今は最速でも中間都市まで二千年、
 半獣半人座まで四千年かかる。とても
 生きてたどり着けそうにない。
 

祈りと告解

  夕日の沈む水平線、この雄大な景色を
 前にして、この景色のことを語らず、
 他の話題を話せる者はいるのだろうか。
 
「これ、特上カルビでしょ、で、これ
 フィレミニヨン」
「親が送ってくれたの?」
「うん」
「あとこれマツタケ」
 
 夕日のほうもたまにチラチラ見つつも、
 彼らの視線の9割は食材に向いていた。
 炭と網もほどよく温まってきた。
 
 焼きはじめると、もう夕日に視線が移る
 ことはなくなった。
 
「焼くときに、こう、肉汁がちょっと出る
 ぐらいで止めて、焼き過ぎない」
「あ、ほんとだ、確かに旨いかも」
「タレもいいねこれ」
「うん、辛味噌」
 
 そこからしばらくの間、二人とも喋らない。
 
 二人でかなりの量を食べたあげく、今日は
 腹八分ぐらいで止めておこう、という
 話になった。
 
  数か月前のことだ。
 ディサ・フレッドマンは、ヨーロッパと
 呼ばれる地域にいた。ギリシャ正教の教会の
 中だ。
 
 この教会の、まず変わっているところは、
 数百メートルある巨岩の上に建てられている
 ことだ。建て替えももちろん行われているが、
 教会自体は宇宙世紀前から存在する。
 
 もうひとつ変わっているのは、観光客が、
 祈りの体験を出来ることだ。祈る場所が、
 少し変わっている。
 
 教会の中に10メートルほどの塔があり、
 その上で祈りを捧げる。
 
 教会の入り口で、体験の申し込みをして
 いると、ちょうどそれを終えた太った
 おばさんが、興奮気味で出てきた。
 
 あなたも、祈りを体験するの、これはとても
 神聖で素晴らしい体験になるわよ、神が
 直接私に語り掛けてきたわ、必ずもう一度
 くるわ、などといったことを話していた
 ようだ。
 
 塔の階段を登っていくと、その屋上に出る。
 そこからは、レンガ造りにコの字型の鉄を
 打ち込んである。
 
 それを3メートルほど登ると、そこからは、
 2メートルほどだが、木の柱しかない。
 それを足で挟みながらよじ登っていくと、
 突端に30センチ四方の木の板があり、
 そこに立って祈りを捧げる。
 
 これがけっこうな高さであり、念のための
 無重力ジャケットを着ていても少し恐い。
 さきほどの、太った女性はここを本当に
 自力で登ったのだろうか。
 
 それこそ神の奇跡ではないだろうか、などと
 思いながら、バランスをとるが、風が強く
 なってきたのか、けっこうつらい。
 
 下から係のひとが何か大声で言っている。
 そうだ。この板の真ん中のリングを引っ張れば、
 バーが出てくる。腰の高さあたりのその
 バーをつかんでいれば、強風でも大丈夫だ。
 
 さきほどから雲行きが怪しかったが、その
 バーを引き出したあたりから、本格的に
 降り出した。雷雨だ。
 
 自分より離れた高い位置に、避雷針らしきもの
 もある。このジャケットは、対ショック
 耐性がある。しかし、試すつもりはない。
 
 係のひとが言ってくれれば、いつでも喜んで
 降りるつもりでいたが、元々確保された
 10分の時間を、最後まで与えてくれる
 ようだ。
 
  正直に告解しよう。
 この教会の、宗教のことをあまりよく理解して
 いない。たしか、キリスト教という宗教の、
 いち宗派のはずだ。
 
 たしか、一神教だったはずだ。きちんと理解
 したところで、自分が崇める800万の
 神々に、ひとつ足されて、800万と1に
 なるだけだ。
 
 そういった気持ちが伝わったのか、風雨は
 ますます強くなり、雷の音の間隔と、
 距離が近くなる。
 
 こういう場合、何と祈るのが最適なのか、
 前もって調べてこなかったので、いったん、
 南無阿弥陀仏と祈っておく。
 
 数々の間違いを重ねながらも、ディサ・
 フレッドマンが雷に撃たれることは
 なかった。時間が過ぎて、係員が早く降りて
 来いと告げる。
 
  その話をボム・オグムにすると、面白がって
 くれはしたが、実際やってみたい感じでは
 ないらしい。
 
 高山の中腹でコタツに入る話は少し興味
 を引いたようだ。しかし、おそらくこの次に
 実現しそうなのは、キョクトウの温泉だろう。
 
「ディサさあ、この仕事、一生続ければいいと
 思う」
「一生はどうだろうね」
「一緒に廻れるひとと結婚すればいいんじゃ
 ない?」
「いるかな?」
「いるよ、ほら、駅前の美容院の子」
「えーないない、旅行好きなの知ってるけど、
 あれはないな」
 
 外は雨が降って来たので、リビングにいる。
 タピオは横で話を聞いていて、ウッコは
 ケージで回し車をやっているのだろう、
 カタカタと音がする。
 
 こういった南の島で降る雨を、ディサは
 好きだった。晴れた空も好きだが、雨の日
 も好きなのだ。
 
 いつも大事なところで雨が降るので、
 雨将軍、などと呼ばれていた時期もあったのを
 思い出した。
 
 歴史の先生などは、大事な場面で雨が降る
 のは、野戦の将ならばとても有用な能力
 なのだ、とディサをフォローしてくれた。
 
 野戦の将になる機会が今後あるのかどうか
 わからなかったが、雨を降らせる能力なんて
 ものがあるのなら、それは捨てたくないな、
 そう思うディサだった。
 

沖合の魔物

  釣りを実際にやってみるのは、二人とも
 初めてだ。
 
 ボム・オグムのほうは、実家にいるときに
 ゲームでかなり鍛えたらしい。オンラインの
 釣りゲームがあるらしいが、
 
 専用のロッドを使用し、その魚を釣る際の
 引きの重さを再現してくれるというのだ。
 地球上の、東南アジアと呼ばれる地域では
 かなり釣って、慣れている。ゲーム中では。
 
 その成果は、装備面の意識でも違うようだ。
 反重力ライフジャケットなのだが、収納が
 たくさん付いたものを着ている。キャップに
 サングラス。
 
 ごついロッドが2本に、小さいのが1本、
 ディサ・フレッドマンが、ごついののうちの
 1本を取ろうとすると、最初は小さい方を
 使えという。
 
 そして、ボムのほうは、ごついほうを2本とも
 ホルダーに固定して使うようだ。移動住居
 ラウニは、魚影を探して沖合に移動している。
 
  ボムは語る。
 どんなに優秀な釣り人がいたとしても、道具が
 良くなければ、釣れない。例えば、まっすぐ
 な針を使っていれば、まず魚は釣れない。
 
 そして、どんなに優秀な釣り人が、どんなに
 すごい道具を持っていても、魚がいなければ、
 魚は釣れない。絶対に釣れないという。
 
 そして、優秀な釣り人とは、魚のいる場所に
 行って、その魚の習性をよくわかっている
 人だという。魚ごとに、道具も釣り方も
 違ってくるというのだ。
 
 したがって、まずは自分の側の準備をしっかり
 やる。まずは道具を愛するところから始める。
 今回持ってきたのは、レンタルだ。
 
 そして、魚のすべてを理解する。釣ろうと
 している魚の気持ちになる。魚を知り、
 己を知らば、百釣危うからず、らしいのだ。
 最高のタックルに、最高のポイント。
 
 ボムがこういう趣味を持っていたことを
 知ったのは、つい最近だ。ボムが好きな男の子
 が釣りを好きかどうかわからないので、
 あまり公表しないらしい。
 
  そのボムがプレイする釣りゲームは、かなり
 リアルなものらしく、現実世界でも、準備の
 手際がいい。つまり、準備段階からそのゲーム
 内ではシミュレートされているというのだ。
 
 船の探査モードを苔から魚に切り替えている。
 いいポイントに到着したので、まずは撒き餌
 をする。島で買ってきたものだ。
 
 ボムが狙うターゲットは、アジだという。
 実家でもアジは買ってきて捌いたりする。
 しかし、そのアジとは少し違うという。
 
 最大で体調2メートル、体重100キロにも
 なるというのだ。そんなものを、このテラスに
 引き上げて大丈夫なのか。
 
 地球上でできる釣りとしては、最高峰の部類
 らしい。初心者がそんなものを釣ってしまって
 大丈夫なのか。ただ、あまり食用にならない
 ようなので、ディサは食べる用の魚を
 釣らないといけないようだ。
 
  それぞれのロッドの糸の先に、疑似餌を
 取り付ける。が、どう見ても、生きている
 小魚にしか見えない。光沢や滑り具合。
 
 ボムが使う大き目の2本のロッドには、少し
 大き目の疑似餌、ディサが使うほうには、
 それより少し小さめの疑似餌を使う。小魚の
 疑似餌とは別に、虫の疑似餌も持っていたが、
 小魚のほうを選んだ。
 
 釣りというものは、釣り針に気をつけないと
 いけないイメージがあったのだが、疑似餌に
 きちんと収納されて、ターゲットのバイト
 の際しか出てこないという。
 
 つば広の藁を編んだ帽子を被っていても
 針が引っかかることはなさそうなので、
 そのまま疑似餌を投げ入れる。
 
 そして、そのまま待機だ。とりあえず、
 ロッドをホルダーに引っ掛ける。だいたい
 いつもどれぐらい待つのか聞いてみたが、
 それはしてはいけない質問だという。
 
 だが、ディサは、この釣りという遊びの、
 釣れるまでの何もやっていない感じが
 嫌いではない。時間を、贅沢に使っている
 気がするのだ。
 
 リクライニングに寝転んで、ひたすら待つ。
 1時間ほどして、ボムが浮きの位置を
 もう一度確認するために引き上げる。すると、
 疑似餌が変形していた。
 
 どうやら、疑似餌の針飛び出しがマニュアル
 操作になっていたのと、バイト警告音が
 オフになっていたようだ。
 
 確かにさっきから、何度かロッドがつんつん
 動いていたのに気づいてはいたが。
 そういうことか。
 
 疑似餌が変形したので、取り換える。変形
 したものは、時間が経つと元に戻るらしい。
 
  そして、待つこと数分、全てのロッドに
 反応が来て、警告音がなる。さっそくロッド
 を握る。教えられたとおり、強く引き過ぎ
 ない。
 
 魚の動きに逆らわず、いなす。引く力が
 弱まった瞬間を逃さず、糸を巻く。これが、
 正面から魚の力を受けてしまうと、糸が
 切れる。
 
 安くて細くて切れない糸があるのではないか、
 と聞いてみたが、それはあまりしては
 いけない質問らしい。真の釣り人は、
 切れる糸を使うというのだ。
 
 生活がかかっている人は、なんの迷いもなく
 切れないタイプを選択するらしいが。
 
 数分戦ったのち、自ら網にいれ、ロッド
 からリモートで針を外す。そして、網から
 ボックスに移して確認する。これは、カツオだ。
 食えるやつだ。
 

砂漠の大地

  95号を南へ下っている。
 ここはオーストラリアという大陸の国道。
 ひたすらまっすぐな道が伸びる。
 
 堤防幅500メートルほどの川を横切る。
 周囲はうっそうとした森。木々の高さは、
 5メートルから10メートル程度だろうか。
 季節は冬でひんやりしている。
 
 かつてここは、砂漠だったらしい。
 火星は数万年かけての改造計画により、
 居住が可能となっていたが、その技術が、
 逆に応用されている。
 
 火星はまだ完全に緑化されたとはいえないが、
 火星で培われて地球に応用された技術が、
 さらに洗練されて火星で試される、という
 技術の循環が起きていた。
 
 水星や金星は、まだ居住可能となっていない。
 宇宙世紀前は、宇宙よりも、基本的に惑星上
 で人類は暮らすもの、と思われていた。
 
 しかし、予想以上に宇宙空間での居住が
 うまくいってしまい、惑星の改造は全体的に
 予想されていたほど進んでいない。
 
 水星や金星などは、惑星改造の労力の割に、
 最大でも地球と同程度の人口しか住めない
 のもあって、かなり安価な改造法が
 見つからない限り、費用対効果が見込め
 なかった。
 
  半獣半人座星系との中間都市、その
 周辺やその経路上の都市近くで、かなり
 の資源が見つかったこともあり、惑星は
 資源よりも保存の方向に向かっていた。
 
 そのため、地球上の人口も、今や10億人
 程度になっていた。かつて最盛期は、
 1000億の人が暮らしていたが。
 
  ディサ・フレッドマンは、95号を
 ゆっくり走ったり、歩いたりしている。
 上空100メートルほどに、移動住居ラウニ
 が並走している。
 
 余裕があるときは、今回のように、ラウニ
 から降りて、道を移動したり、海を泳いで
 移動したりする。
 
 どれだけ移動しても、そこから同じ距離を
 移動してまた家に戻る、ということを
 しなくてよいので、かなり気楽だ。
 疲れたら、家を呼べばいい。
 
 この周辺は、1万年ほどかけて緑化され、
 いったん都市化され、そのあとまた再び
 緑化されている。
 
 人口最盛期にこの周辺も市街となって
 いたらしいが、今はその面影もない。
 
  昨日はけっきょく、10キロほどのカツオ
 を、ディサは2匹釣った。夕食にタタキにして
 二人ですべて食べたのだ。
 
 ボム・オグムは、30キロ台と40キロ台と
 50キロ台をそれぞれ一匹づつ釣って、
 大満足のようだった。
 
 釣りは、釣れるまでは比較的のんびりした
 感じだが、当たりがくると、けっこうな
 修羅場と化す、とディサは感じた。
 
 30キロを超えると、一人で引き上げるのは
 難しい。そして、海水をかけてあげながら、
 重さを計って写真を撮って、すぐリリース。
 
 巨大なアジは、引き上げると怒ったような
 顔つきをしている。作業していると目も
 合ってしまうので、これが地味に怖い。
 食うならともかく、釣り上げて逃がす、
 怒っていない訳がないだろう。
 
 ディサも写真どう? と勧められたが、
 自分が釣ったわけでもないし、それは
 お断りした。カツオは一緒に写ったが。
 
 そして、最後に引っかかったのが、ゆうに
 1メートルは超えていそうな大物だった。
 30分ほど格闘して、船の近くまで
 引き寄せたのだが、とても二人で引き上げ
 られる雰囲気でない。
 
 ディサが海中に入って写真を撮り、
 ロッドからリモートで針を外してリリース
 したが、ボムは少し残念そうだった。
 海中で見たその魚は、恐ろしい形相を
 していた。
 
  そのあと島に戻り、ボムと別れ、彼女は島の
 ホテルに泊まり、ディサは夜通しこの大陸へ
 移動して来たのだ。
 
 ジョギングと歩くのにも飽きてきたので、
 適当に距離を決めてダッシュしてから、家に
 戻ることに決めた。16本ほど。
 
 このあとこのまま道なりにパースという
 村に寄り、そこから大陸を横断して、シドニー
 という町に寄る。その後、ニュージーランド
 という島へ向かい、
 
 そこでの探査を終えると、北上して海上都市
 ムーへ向かう。そこから宇宙へ上がり、
 探査の状況報告と、研究の状況報告を行い、
 ついでに実家に寄る予定だ。
 
 ちなみに南極大陸は、担当地域ではない。
 
  現在このオーストラリアという大陸は、
 アボリジニという民族の末裔によって管理され
 ている。宇宙世紀開始の数万年まえから、この
 アボリジニが住んでいたらしいのだが、
 
 宇宙世紀開始前後の数百年間、他の民族が
 やってきて、土地をほぼ奪われるかたちに
 なってしまったらしい。
 
 同じようなことが北米大陸でも起きていたが、
 入植していた北米の国が内乱等により
 崩壊したことに合わせて、この大陸でも
 変化が起きた。
 
 世界的にも先住民に土地を返す動きが活発と
 なり、宇宙への移民が始まったのもあって、
 土地を返した人々がたくさん宇宙へ移った。
 
 当時は、世界3か所の海上都市の宇宙
 エレベーターを使い、人々が行き来して、
 宇宙開発ラッシュとなった。
 
 それぞれ世界が3グループに分かれて、
 共に先を争いながら宇宙への生活領域を
 広げていったのだ。
 

第三の宙域

  海上都市ムーから、宇宙へ上がる。
 海上に2万平方キロメートルの浮島、それが、
 二つある。
 
 一つの浮島から、2本のケーブルが、宇宙へ
 伸びている。ケーブルの地上側の端にある
 プラットフォーム周囲には、安全地帯が
 設けられており、その広さは3千平方キロ。
 
 2本のケーブルの幅は、10キロメートル。
 その間に、昇降モジュールを移動させる設備や
 倉庫などがある。
 
 ケーブルは、片方が昇り専用、もう片方が
 下り専用だ。宇宙開発が最も盛んだったころは、
 5組、計10本のケーブルが宇宙へ伸びていた。
 
 宇宙で資源が入手できるようになるにつれ、
 海上都市と宇宙エレベーターの利用も減って
 きて、4本というのは、メンテナンスを
 考慮すると最低の本数だ。
 
 今では、インド洋の海上都市レムリア、
 大西洋の海上都市アトランティスも、
 この2組4本のケーブル数で運用されている。
 
  移動住居を宇宙へ上げるサービスには
 2種類あり、マウントポイントだけを提供する
 ものと、住居から降りて食事や買い物ができる
 タイプのものがある。
 
 ディサは、いつも安いマウントポイントだけの
 ものを利用する。都市に接近すると、
 プラットフォームまでの交通トークンが取得
 できるので、それに自動運転で乗り込む。
 
 家がトレインにマウントされ、発車する。
 このトレインは、ケーブル非接触型の
 リニアモーターカーだ。
 
 反重力エンジンや電磁波エンジンも併用して
 いるが、常温超電導のリニアモーター、
 金属水素バッテリーなども利用し、軽量化
 され、静止軌道までを4時間弱で結ぶ。
 
 静止軌道から、家ごと大型の宇宙船に乗り
 かえる。そして、約2時間。地球から見て
 月の裏側にある、ラグランジュ点第3
 エリアと呼ばれる宙域。
 
 そこに、直径約300キロ、厚さ200キロの
 円筒形の宇宙構造都市がある。その中央部分
 は静止し、外周部は回転しているはずだが、
 その回転速度が遅すぎるのか、回転して
 いることが肉眼ではわからない。
 
  円筒形の外周部は4分割されており、
 その内部は階層化されていた。その最下層に、
 ディサの実家がある。
 
 移動住居ラウニは無重力港のマウントポイント
 に置いていく。必要な荷物を持って外周行き
 シャトルに乗る。ペットはアンドロイド
 任せだ。
 
 シャトルが外周と同期し、重力が生まれる。
 船を降りて、エレベーターで上がると、
 すぐに最下層のサウス駅だ。
 
 そこから鉄道で、10駅ほど行ったところの
 駅が最寄り駅だ。10分ほど歩いて、
 戸建ての住宅に着く。周囲はほぼ田んぼ
 と畑だ。
 
「ただいまー」
 
 平日の昼間に帰ってきたので、誰もいない。
 父と母は仕事、ひとつ上の兄は学校と部活、
 残りの兄4人は大学の寮だ。
 
 全員がこの実家にいたころは、かなり手狭な
 状況だったが、今は帰って来た者用に
 ひと部屋空いている。
 
  月のラグランジュ点第3エリアの人口は、
 1000億人である。宙域の広さ的には、
 ほぼ適正の人口とされていた。
 
 太陽系の人口は10兆人前後である。
 半獣半人座経路付近の資源情報が伝わった時
 は、かなりの人口減少があったが、その後
 資源が太陽系にも届くにつれ、減少も
 ストップしてきた。
 
 半獣半人座出発当初は、太陽系内のかなりの
 資源を必要としたが、現在はそれらすべてを
 取り返すかたちとなっている。
 
 他の恒星系への旅立ちは、本格的なものに
 ついては半獣半人座以来途絶えていたが、
 各国の国力が潤うにつれて、再びその
 機運が高まってきた。
 
 次の恒星系、バーナード星系を目ざす計画が
 出てきたのだ。土星圏では、いまや急ピッチで
 移動都市の建設が進んでいる。
 
  ディサの一家は、進化した人類である、
 ポレクティオ・サピエンスだ。現在、この
 進化した人類は、太陽系内に約5兆人存在
 すると推測されている。
 
 推測というのは、すべての人が遺伝子検査を
 やっているわけではなく、その義務もないこと、
 が原因としてあるが、外見的にも見分けが
 つかないことが多く、能力的にもほとんど
 変わらないか、むしろ劣る場合もある。
 
 ディサが通っていた学校にも、それらしき
 生徒がいたが、それでも旧人類でも可能な
 レベルで見分けがつかない。
 
 研究者によると、今後、新人類の特徴が
 強化され、能力的にも外見的にもかなり異なる
 人々が生まれてくる予測だ。太陽系よりも、
 半獣半人座星系にその傾向が強いという情報も
 届いている。
 
  ディサは、いつものごとく両親とひとつ
 うえの兄と夕食をとる。自分が進化した
 人間であることは、両親から遺伝子検査の
 結果を聞いて知っていたが、
 
 こうして4人で食事をしていると、進化した、
 という実感はまるでない。自分は皆と比較
 すると少し変わっている、という自覚は
 あるが、人間を超えているとは思えない。
 
 実際この進化した人類をあらわす、
 ポレクティオ・サピエンスには、進化した、
 とか、超えた、という意味ではなく、
 拡張された、という意味が込められている。
 いい方向にも悪い方向にも、拡張されて
 いるという意味であった。
 

海底都市

  報告と実家から地球へ戻ってくる。
 そして、今回は海上都市ムーでしばらく滞在
 する。いや、ムーの下、と言えばいい
 だろうか。
 
 海上都市ムーに移動住居を置いて、水中
 シャトルで海底都市ムーへ向かう。
 地球上で、都市と呼べる規模で海底に居住
 空間があるのは、ここムーだけだった。
 
 30分ほどで、海底のプラットフォームに
 到着する。エアロックを抜けると、
 それなりに広い場所に出るが、宇宙都市と
 比較すると、天井が低い。
 
 都市は、50キロ四方に広がっているが、
 緊急時に備えて、1キロ四方で隔離
 できるようになっている。将来的には、
 この隔離サイズを大きくしていく。
 
 都市内には工業ユニットや農業ユニットも
 備えていて、人口は200万人。
 自給自足も可能だ。
 
 だが、都市の拡張を継続しており、その
 拡張に使うための資材、特に鉄鋼などの金属
 については、太陽系外からのものに頼って
 いる。
 
  ここで、知り合いと会う。
 工業区域の一画にある、喫茶ハイテイ。
 店の扉を開け、その人物の座るテーブルへ。
 天井が低いが、そのテーブルのある位置は
 さらに低く、少しかがんで入り、座る。
 
 タンディウィ・サットン、月のラグランジュ
 点第3エリアの実家の近所に住んでいたが、
 ここに仕事を見つけて移ってきている。
 母と同じ仕事をしていた。
 
 先々週、胆石という病気を患ったが、今は
 チャイニーズトラディショナルメディスンに
 よって痛みも無くなっているそうだ。
 
 2年前、それまで5年間付き合ってきた
 相手が、なかなか結婚を申し込んでこない
 ので、自分から申し込んだら断られた。
 
 それがきっかけで、第3エリアを離れる決意
 をしたそうだ。それまでは、ディサの母も
 パートタイムで働いていた、漬物屋で
 働いていた。
 
 そして、ここ海底都市で見つけた仕事も、
 漬物屋だそうだ。海底都市ムーの漬物は、
 地上や宇宙でもけっこう評判だった。
 それもあって人手が足りておらず、今非常に
 忙しいらしい。
 
 海底都市の農業区画で作られた新鮮な野菜を、
 深海の水から作った塩で漬ける。濃い目の
 塩分と、重めの重石により、味に慣れる
 までがたいへんなのだが、いったん慣れて
 しまうと癖になる。
 
 肉体労働者、スポーツ選手や部活動をやって
 いる学生などに人気があった。
 
 最近はレパートリーを増やし、あっさり目の
 味付けのものも出している。すぐ海上都市
 ムーから、静止軌道のショップや月の
 ラグランジュ点第1エリアなどで売るのだが、
 これも観光客などに人気が出てきた。
 
  喫茶店を出て、昼食をいっしょに摂る
 ことにした。さっきの喫茶店だけかと思った
 が、やはりテーブルのある場所のほうが
 天井が低い。
 
 圧縮麩の専門店で、麩のチャンプルーを
 食べる。店の内装がどうしても気になって
 しまうが、味はいい。
 
 昼食後にタンディウィと別れ、この都市に
 ある研究機関を訪ねる。苔の研究を行って
 いる研究室があるのだ。
 
 海水中の苔の研究なのだが、正確には、
 今のところ海中に生息できる苔はいない。
 今後の品種改良で、海中に生息できる
 苔ができないかの研究だ。
 
 苔の種類によって、海水雰囲気に強いもの
 もいれば、弱いものもいる。そこをヒント
 に、品種改良と実験を続けるらしい。
 
 わざわざディサのために発表用のスライド
 も用意していて、詳細を説明してくれる。
 研究設備などもひととおり、見せてくれた。
 
 情報交換を充分に行い、今後ディサの研究で、
 実験条件に海水雰囲気というのも追加する
 ことにした。
 
  夕食は一人で深海魚専門店に行ってみる。
 そこで、アンコウのコースを頼んでみた。
 まず、アンコウという魚のかたちをした皿に、
 刺身が盛られてくる。
 
 ここまでリアルにこの魚の形を皿に作り込む
 必要があるのか疑問だったが、味はうまい。
 
 他にもいろいろな深海魚がメニューにあるの
 だが、生きている姿の写真も大きく載って
 いる。それを見ると、まだ食べる気が起き
 そうなのがこのアンコウのみだった。
 
 そして、アンコウ鍋。ここに入っている、
 あん肝と呼ばれる部位が、まさに絶品だった。
 小皿で、あん肝の酒蒸しも出てくる。
 
 最後にいろいろな部位を天ぷらにしたもの
 が出てくる。これも旨い。が、少し腹に
 重い気もした。さすがのディサも腹いっぱい
 となる。
 
 ここは、ボム・オグムも連れてこようかと
 思う。ボムなら頼めば他の魚にも挑戦して
 くれるかもしれない。
 
  店を出て、ホテルへ向かう。今日はこの
 海底都市で一泊だ。
 
 タンディウィに夕食もどうか聞いてはみたが、
 夜は人と会うので難しいらしい。なんでも、
 60台の男性で、小型の潜水艇乗りだという。
 軽い精神疾患も持っているという。
 
 ホテルに入ると、フロントまでは普通の
 ホテルだ。しかし、部屋に入ると、やはり
 そうだ。全体的に天井が低いが、寝室は
 もうかなり低い。ベッドに寝ると、天井に
 手が届きそうなレベル。
 
 風呂も少し変だ。風呂桶が、やたら狭く、
 そして深い。案内を見ると、深く沈むことが
 できます、と書いてある。そこが売りらしい。
 
 なんとなく分かってきた。この狭い空間を、
 どうやら売りにしてるのだ。この圧迫間、
 しかし、どれほど需要があるのか。
 
 朝起きると、やはり寝汗をかいていた。
 

和の国

  ユーラシア大陸の東端、海を隔てて
 弓なりに続く島々。そこは現在、ヤマト州
 と呼ばれている。
 
 宇宙世紀102017年、地球は、
 アース連邦というひとつの国が管理して
 いた。数百年前、地球の人口が20億人を
 切った時、統一化の話が出てきた。
 
 現在は、地球上に約10億人。そしてその
 3割が、3か所の海上都市に住む。そこは、
 アース連邦の直轄領だ。
 
 それ以前に存在していた国々は、ほとんど
 全て州となるか、合併されることとなった。
 ただし、連邦内の州は、それごとに憲法
 を持つ。機能的には国に近い。
 
 ヤマト州は、陸上での移動住居の使用を
 禁止している。アワミチ、という島の
 マウントポイントに、移動住居ラウニを
 置き、モノレールで本土へ渡る。
 
 いったんモノレールから鉄道に乗り換えて、
 20分ほどいったキタという街で、
 ホテルに泊まる。
 
  ヤマト州の州都は、ここから東へ30
 キロほど行った、コトという場所にある。
 コトが政治の中心であり、キタが商業の
 中心だった。
 
 そしてこの周辺地域に、約900万人の
 人々が住む。しかし、かつてはここは
 州の中心ではない時期があった。
 
 ヤマト州がまだ国だったころ、宇宙世紀
 開始直後ごろだろう、太陽からの宇宙線を
 エネルギーに変える発電所が、事故を
 起こした。
 
 大規模な火災事故により、太陽の宇宙線を
 受ける設備から有害な物質がたくさん
 飛散した。問題は、時の政府が、そのこと
 を隠したことだ。
 
 まず、事故そのものが隠された。そして、
 飛散しているものが、有害であることが
 隠された。それは、目に見えず、臭いも
 発しない。
 
 事故が起きたのは、ヤマト州のより北東の
 地域だ。そこに、同タイプの発電施設が
 集中していた。火災事故以外にも、
 経年劣化で汚染物質が漏れだすことが
 あとで明確になった。
 
 やがてそこは住めなくなり、首都も
 今の位置に移転した。多くの人が、海上
 都市ムーへ移転していった。
 
 移転した人々は、どちらかというと先進的な
 考え方を持った人々で、保守的な人々が
 元の国に残ったという。
 
  学会発表が行われる会場まで、電車で移動
 する。平日の最初の日だからか、もの凄い
 混雑だ。ぎゅうぎゅう詰めの中、ピカクス
 という駅にたどり着く。
 
 何か特別な日だからであろうか、それとも、
 まさか毎日こんなことを繰り返しているの
 だろうか。
 
 宇宙空間には、もっと狭い土地に、もっと
 多くの人が住む場所がたくさんある。
 しかし、交通機関がこんなことにはならない。
 
 住む場所のマッチングや、仕事のマッチングが
 行われるからだ。そのうえで、移動するひと
 の量を計算して、余裕のある交通機関の
 容量を用意する。
 
 私鉄なども連携して、どこでも行われている
 ことだ。第3エリア最下層の、一両編成と
 いうのは、客が増えるときには当然車両も
 増える。
 
 これだけの数がいて、利用者から何の不満も
 出ないのだろうか。それとも、この州は
 未だに何かしら情報統制を行っているの
 だろうか。
 
 しかし、そんなものはネットワークに接続し、
 少し調べればわかる話だ。これだけ多くの
 人間が、能動的に調べない、ということは
 ありえないことだ。
 
 少しそら恐ろしい気持ちになりながらも、
 目的地へ到着する。
 
  苔学会は、毎年場所を変えながら行われる。
 これも仕事のうちで、費用は本部から補填
 される。今回は特に自分で発表するわけ
 でもなく、聞いていればいい。
 
 と言って、何か新しい内容もない。情報は
 ふだんからネットワークで確認している
 からだ。学会は、研究者同士の顔合わせの
 意味合いが強かった。
 
 昼食の時に、同じ月の第3エリアから
 来ている研究者に聞いてみた。だが、
 あまり結論は得られない。けっきょく、
 この民族は、混んでる電車が非常に好き、
 ということになった。
 
  古くからあるやり方を続ける、というのは
 他でもよくあることだ。例えば、遊牧の文化
 を持っていた民族は、文化保存のために、
 一部ではあるが、古い生活様式を続ける。
 
 といっても、装備などは最新式のものを併用
 する。なので、やってみると意外と快適
 という話も聞く。
 
 ただ、そういう場合、古い生活様式ながらも、
 やってみると面白い。という面がある。
 文化保存の意味もある。
 
 電車をぎゅうぎゅう詰めにすることも、
 文化保存なのだろうか。そして、最新の
 装備を使えば、意外と快適になるのだろうか。
 
 ということを、この地域出身の研究者もいる
 ので、直接聞いてみればいいのかもしれない
 が、少し怖いので今回はやめておく。
 
  学会も終わり、夜の繁華街に一人で出る。
 食べ過ぎに注意するよう促す看板が多い。
 クラブホビーという店に入ってみる。
 
 ここは、カニという甲殻類専門の店だ。
 鍋形式の料理を頼む。月の第3エリアでも、
 カニは食べることができる。しかし、
 味はまだこういう店で食べるもののほうが
 美味しいと感じる。
 
 宇宙空間の、広大な養殖池では、まだ
 惑星上の海の環境を再現できていない
 のかもしれない。
 

湯の国

  苔学会は、地球上だけでなく、月や
 他の惑星近辺でも行われる。しかし、参加は
 任意だ。今回ヤマト州の学会に参加したのは、
 別の目的もあったからだ。
 
「おーい」
 
 来た来た。キタの鉄道駅前で、ボム・オグム
 と待ち合わせしていたのだ。まず二人で
 お土産屋に寄る。
 
 そして、モノレールを使って近くの港に出る。
 そこに、移動住居ラウニが待っていた。
 海路を、トヨゴという街まで飛んでいく。
 
 この海路は、島に囲まれた内海であるため、
 非常に穏やかだ。ラウニは、海面スレスレを
 滑るように飛んでいく。
 
 船舶を追い越すとき、移動住居が珍しいのか、
 何人かが甲板に出てきて眺めている。大きな
 橋の下を通過する。
 
 リビングで、ボムと一緒に、キタの駅前で
 購入した紙の雑誌を眺める。旅行情報誌だ。
 これから行く目的地のことが書いてある。
 
  トヨゴは、温泉で有名な町だ。そして、
 月の第3エリアとも関係がある。第3エリア
 で最も人口をかかえるユノ州は、このトヨゴ
 の出身者が中心になって創建したという話が
 ある。
 
 ディサやボムの実家近くにも小さな温泉
 施設があり、二人ともよくそこを利用した。
 
 トヨゴには、大小の温泉宿や、日帰り温泉
 施設があるが、二人がこれから向かうのは、
 巨大な総合温泉施設だ。
 
 海沿いにあり、観光客向けに巨大な駐家場
 も備える。そこに2泊する予定だ。そこを
 非常に安い値段で宿泊できるのは、
 地上監視本部から保養所指定されている
 からだ。
 
 しかも、自分ともう一人まで割引が効く。
 過酷な現地での探査を継続するための、
 福利厚生の一環だった。
 
  施設に到着したので、家を停めて、
 まずは町へ繰り出す。いい時間だったので、
 スシという食べ物の専門店へ行く。
 
 月の第3エリアでも、スシ店はあるし、
 駅前のスーパーなどでも売っている。しかし、
 本場のものは味が違うという。
 
 宇宙の海洋ユニットで獲れる魚のスシでも、
 ディサはそんなに嫌いではなかった。
 
 ボムは、店に入って、回転していないか
 どうかをきちんと確認する必要があると、
 何度も念を押す。第3エリアには、回転する
 タイプしかないのだ。
 
 回転していないスシ店が初めてなディサは、
 少し戸惑いもあったが、店に入ると、
 つまりふつうのレストラン形式だと
 いうことで納得した。
 
 そして、思い切って特上というのを頼んで
 みる。
 
  少し太目のひとは、何か好きなものを
 食べるときの、何かしら拘りがある、
 といつもディサは思う。
 
 ボムは、チョップスティックを使わずに
 食べるのが本来だ、という。ソイ
 ソースをあまり小皿に入れすぎるなという。
 
 ゴハンの側をソイソースに漬けるなという。
 対象をいったん横に向けて、ネタと呼ばれる
 アップサイド側をソースに漬けるのだ。
 つまりアップサイドダウンだ。
 
 そして、確かに旨い。その、細かい拘りを
 まったく気にしなくても、おそらく旨い。
 
 この香辛料も、いい感じなのだ。ディサの
 ひとつ上の兄などは、この香辛料を抜いたもの
 を食べる。子どもの食べ方だ。
 
 一度に2個づつが供給される。最後にカニ、
 そしてフグという魚を乗せたものが出て、
 二人とも大満足だ。ディサは、どちらかと
 いうと、貝の種類を乗せたものが好きだと
 感じた。
 
  温泉施設へ戻る。館内では、衣装を着る。
 サムイ、ジンベイ、ユカタとあるが、
 実のところディサはその違いをまだ理解して
 いない。
 
 温泉は大きく3種類に分かれており、
 着衣の男女共有のもの、男女別れた非着衣
 のものだ。初日は、水着で温泉に入る。
 翌日は非着衣のところを試す予定だ。
 
 水着で入るエリアは、温泉施設というより、
 どちらかというと水泳施設に近い。監視員
 もいて、飛び込みは禁止だ。
 
 だが、いろんな大小の湯桶があり、色も
 さまざまだ。それぞれ効能があるようで、
 ボムは疲労回復系を全て試すと言って
 行ってしまった。
 
 寝転がって入るタイプの泡ぶろに入る。
 足裏が気持ちいい。しばらくそのままで
 いると、危うく寝そうになった。
 
 次に電気風呂というのを試す。これも意外と
 気持ちいい。そして、なかなか空かない。
 4つ槽があるのだが、年配の方々に常に
 占領されて空かないのだ。さきほどは
 一瞬の隙をついて入れた。
 
 サウナは、第3エリアの近所の温泉にも
 あるのだが、そのサイズと、種類が違う。
 ドライタイプとスチームタイプ、それぞれ
 が低温、中温、高温と用意されている。
 
  さんざん楽しんだ挙句、気づいたら
 2時間が経過していた。ボムと合流して次は
 施設内の球技場へ向かう。温泉後にテーブル
 テニスと呼ばれる球技をプレイすると、
 温泉の効果が増加するらしい。
 
 翌日はアカスリやエステも満喫した二人は、
 少なくとも年に1回はここに来よう、
 と決めてこの施設を後にするのだった。
 

陽気な都市

  ユーラシア大陸の北部、シベリア州の
 上空に来ている。
 
 指定された地点で降下すると、地表に、
 移動住居がちょうど通れるほどの、横穴が
 ある。
 
 そこを少し進むと、エレベーターにマウント
 され、今度は下方へ進む。数分かけて
 到着した場所が、地球上で最初の地底都市だ。
 
 ジムリャと呼ばれるその都市の建設が開始
 されたのは、海底都市の開発開始とほぼ
 同時期だ。
 
 都市は、1キロ区画単位で補強され、隔離も
 可能な構造だ。海底都市と異なるのは、天井の
 高さで、300メートルほどもある。
 
 まず感じるのは、気温だ。暑い。摂氏30度
 近くあるだろうか。夏だから、というわけでも
 なく、地中の温度が高いからだ。
 
 地下2キロから3キロの間にあるこの都市の
 外部の地層の温度は、約50度だ。都市自体
 が外殻で覆われており、地熱発電なども
 使われている。
 
 温度調節などもされているのだろうが、
 節約のために夏場はこういった温度なの
 だろう。地表は永久凍土で、10度も
 ないのだが。
 
  地底都市ジムリャのホテルで2泊する。
 移動住居ラウニには、地表に戻ってもらって、
 探査を続けてもらう。
 
 ホテルは犬もげっ歯類も大丈夫そうなので、
 タピオとウッコを連れてくる。ホテルも
 そうだが、街全体が、何か陽気な雰囲気だ。
 
 冬場は、外気温なども利用して、摂氏20
 度ぐらいに調節するそうだ。もちろん
 家やホテルの中は好きなように温度調節
 できる。
 
 地底都市は、海底都市よりも建設が進んで
 いて、すでに100キロ四方の広さに
 達している。人口も1000万人。
 しかし、どんどん増えているそうだ。
 
 アース連邦は、地球外部からの移民は
 今のところあまり認めていないが、
 海底都市と地底都市への移民はそれほど
 難しくない。
 
 自然増加のほうはむしろ積極的に進めており、
 最終的には、地表都市をほとんど自然に
 戻してしまい、地底都市と海底都市と、
 最低限の海上都市、というところを考えて
 いるようだ。
 
 海底都市についても、最終的には海底から
 さらに下にある地底都市、というかたちを
 計画している。
 
  永久凍土というのは、もともと人が住めない
 土地とされてきた。しかし、地底を利用する
 となると、その地層温度から、地表面が
 逆に低温になるような土地のほうが適して
 いそうだ。
 
 そういう意味で、このシベリア州の広大な
 土地は、今後居住空間としてかなり利用が
 広がるかもしれない。
 
 町の風景も、まず目につくのは、色々な
 地域のレストランだ。行き交う人々の姿から
 も、色々な地域から集まっているのがわかる。
 
 地表に多くの都市が存在し、多くの人が住む
 地球と、地底都市にしか人がいない地球、
 どちらがいいかと言われると少し困るが、
 これまでとまったく異なる地球の姿が出現
 しそうなのは確からしい。
 
 ただ、自然に影響の出ない範囲で、観光業は
 続けていくらしい。いや、むしろそちらを
 主体とするための、地下都市化なのだ。
 
 人々は地底と宇宙に住み、そして時々、
 地球の大自然を楽しむ。
 
 現段階でかなり大雑把な見積もりであるが、
 地底と海底都市を広げていけば、それだけで
 一千億人の人口に戻せるという予測もある。
 
  二日目、タピオとウッコをペットホテル
 へ預けて、地下鉄道を利用して総合温泉
 サウナ施設へ行ってみる。
 
 ここもヤマト州トヨゴにある施設と遜色ない
 数の温泉タイプやサウナをそろえているが、
 ついに見つけた。
 
 地下側へ、5階分ほど伸びており、そちらも
 利用可能となっていた。中は上階の設備と
 異なって薄暗く、地底を思わせる雰囲気に
 造られている。
 
 とりあえず、うろうろしながら最下層まで
 行ってみる。一番奥の一人用のスチーム
 サウナのスペースに寝転んで、これは
 これでありかもしれない、そう思った。
 
 何と言うか、人生、いいことばかりでは
 ないのだ。そういう時に、ここへ来れば、
 意外と心が落ち着くのかもしれない。
 
  ホテルへ戻って、探してみる。
 やはりあった、地下にも客室があるのだ。
 フロントに頼んで、2泊目の部屋を替えて
 もらう。色々な変な間取りの部屋があるが、
 一番入り組んでそうなのが空いていたので、
 差額を払って泊まってみることにする。
 
 いわゆる、最下層のスイートルームという
 やつだ。いたるところに、隠し部屋の
 ような小部屋が存在する。這って進んで
 いけるところにもある。
 
 小さな子どもと、少し人生に疲れた大人に、
 人気があるかもしれない。地底都市は、
 地下にその特徴があるようだ。
 
  そのほかにも、アース連邦は、天空都市
 なるものを計画しているようだ。隠し
 小部屋の奥に収まって、携帯端末で情報
 を見る。
 
 基本的には地上の移動は移動住居で行い、
 天空都市をその巨大プラットフォームとする。
 天空都市は、海上への着水も可能とする。
 
 海上都市とシベリア州の地底都市との
 アクセスがあまりよくないので、地底都市
 近くの北極海上空に常駐して、最終的
 には大気圏突入と離脱が可能な宇宙船での
 ランデブーも可能とする。
 
 30年後にテスト運用を開始するという
 計画になっているようだ。宇宙開発が進む
 につれて、惑星の姿も変わっていく。
 

草原の覇者

  自分は、何のために生まれてきたのか、
 ということを、たまに考えたりする。
 
 苔の研究がうまくいったとき、自分はそれを
 やるために生まれてきたかもしれない、
 と感じた。
 
 黙々と武術のトレーニングを行っている
 時も、それなしの人生はありえない、と
 思えたものだ。
 
 たいして練習もしていないのに、クラスの
 水泳の授業で圧倒的なタイムを出した時も、
 これかもしれないと感じた。
 
 父がよく連れて行ってくれた、カートと
 呼ばれるアナログカーの加速、スキーで
 急坂の恐怖を克服したときも感じた。
 
 しかし、もっと確信に似たもの、これだと
 思えるものが、この世界にまだ存在する
 のだろうか。
 
 「ホーォウッ!」
 3日目にして、すでに遠乗りを行っている。
 襲歩で駆けると、思わず裏声が出る。
 何かを狩りたい。
 
 ディサ・フレッドマンは、ボム・オグムと、
 そしてサポートの現地人2名とで、蒙古と
 呼ばれる地域の草原地帯にいた。
 
 広大な景色、広大な空、そして風、自分たちが
 泊まっている移動住居ゲルは、もう見えない。
 このままどこまでも駆けていける、自分を
 遮るものは何もない。
 
 一部の武術のトレーニングは、このために
 あったのでは、と思えるほどだ。長時間行う
 馬歩、体幹を鍛える套路。
 
 かつて、はるか太古の昔、この土地の出身者
 が、地球上で最大の国を作ったという。
 今こうして馬を走らせていると、それが
 できた理由がわかる。
 
 何でもできそうな、そんな気分になれる。
 
  最初に言い出したのは、ボムだ。
 なんでも最近、乗馬のゲームにハマっていて、
 乗馬を再現する専用の鞍のついたマシンも
 家に置いた。
 
 それに加えて、町のエンターテイメント
 センターに乗馬のゲームが追加された。アンド
 ロイドの馬に乗って、ランニングマシン上を
 走るのだが、もうほぼ馬らしい。
 
 持ち前のペットショップ店員の力を発揮して、
 現地の馬にも一瞬で慣れたのだが、数日で
 乗馬の技術に関してはディサに追い抜かれた
 感じだ。
 
 しかし、サポートの現地人ふたりも、
 ディサとボムが今回初めての乗馬であること
 に驚いている。ただ、顔つきなどの見た目
 では、ディサとボムの二人とも、この現地人
 と似ているのだ。
 
 実は、この騎馬民族の血を、二人とも隠し
 もっていたのかもしれない。
 
  翌日、現地サポーターが、面白い提案を
 してくれた。馬上弓をやってみろと言うのだ。
 
 ディサは、もちろん武術の一環として、弓術も
 やっている。素手で行う拳法のほかに、槍術、
 剣術、銃術、柔術、棒術、居合などなど、
 武器も一通り扱える。
 
 とくに得意、というよりも好きなのが、
 ヌンチャクと呼ばれる、短い棒を鎖で繋いだ
 武器で、これで器用にテーブルテニスの
 球を打ち返したりもできる。
 
 弓術は、それほど得意という意識はなかった
 が、馬上で一時間もやっていると、様になって
 きた。
 
 面白くなってきたので、移動住居ラウニを
 呼んで、中から練習用の槍やら剣やらを
 持ってくる。
 
 弓を的に射かけて、そのあと槍やら剣で
 ボムと打ち合う。馬上で武器を扱うのは、
 なかなか難しい。
 
 ボムが馬上で長棒をうまく扱っているのは、
 おそらく家で練習しているからだ。器用に打ち
 込んでくる。最近、ロールプレイングゲーム
 にもハマっていると言ってたな。
 
 ボムは、かなりリアル志向だ。火星にも、
 そういったアトラクションがあって、
 行ってみたいと言っていた。
 
  その夜、ゲルのベッドで寝転がりながら、
 さっそく探してみる。厩舎付きの移動住居。
 どうしても、2階建て、つまり高さ10
 メートルのタイプしかなさそうだ。
 
 しかし、値段は倍、つまり、厩舎が付いた
 からと言って、特別高いわけではない。
 このゲル泊が終わったら、本部に問い
 合わせてみよう。
 
 今の賃貸料が倍になる分には、ぜんぜん
 問題ない。住宅手当によって、ほとんど
 ただに近い金額だからだ。
 
 馬の値段はどれぐらいだろうか。調べてみる
 と、賭博などに使用される競走馬はかなりの
 値段だった。
 
 いや、違う、そうじゃない。速さという
 よりも、耐久性というか、走破性というか、
 出来れば泳ぎも得意ならいいな。
 雪山を歩ける馬などいるのだろうか。
 
 硬化苔が実用化されて、それの特許料が入る
 ようになれば、馬の一頭や二頭は持てる。
 ボムに、馬は飼いやすいペットなのか
 聞いてみるが、飼ったことはないらしい。
 
  翌日、現地サポートが、新たな提案を
 してきた。甲冑を着てみろという。朝から
 倉庫へ移動し、装着してみる。
 
 蒙古の古くからある甲冑もあるが、世界中の
 ものが置いてある。金属製の一番重そうな
 ものを選ぶ。馬にも着せる鎧があったので、
 一番重そうなのを選ぶ。
 
 ボムが来ているのは、ヤマト州に昔から
 ある、赤備えだ。二人で馬に乗ってみる。
 乗る時点でサポートがないとつらい。
 
 やはり予想したとおり、動きが重い。
 防御力や衝撃力はありそうだが、長距離
 移動やスピードはその重さによって
 殺される。
 
 武器の扱いも難しい。騎射は無理だ。
 そのあと、最新の、非金属強化装甲も着て
 試すことができた。
 
 騎乗用にもう少し形状を工夫すれば、
 もの凄くよくなりそうだ。
 

バビロンの塔

  旧約聖書の創世記に、巨大な塔が登場する。
 人々が同じ言葉を話して塔から離れようと
 しないので、神が言葉を分けて、そして人々が
 塔の建築をやめ、世界に旅立った。
 
 そして現代、人々は、異なる恒星系まで
 広がっている。神は、人間に再び巨大な塔の
 建築を許したようだ。
 
  地球を統治するアース連邦は、都市建築物を
 基本的に禁止していく方針を持っている
 一方で、この人類最大の建築物は許可する
 方針だ。
 
 惑星上で高さを追求する試みが、技術発展に
 貢献する可能性を考慮している。
 
 場所は、バビロニア州。ディサ・フレッドマン
 が担当する地域から、少し西へ外れている。
 その基部は、直径5キロ。高さ5キロ。
 ずんぐりした形をもつ、巨大建築物だ。
 
 外観はレンガ造りに見える素材を用いている
 が、偏光技術を用いて、内部へも外部へも
 別々に、あるいは同時に、透過させることが
 可能だ。
 
 内部の建物は、宇宙構造都市の技術が応用
 された、最新の金属と樹脂と木材の塊だ。
 
 今後は、まず1万メートルの高さを目ざす
 という。自然の山も含めてこの惑星上で
 最も高い物体になる。
 
 その後、かなり長期的な話となるが、さらに
 高みを目さすための、外殻側の強化も
 並行して行う。つまり、直径10キロに
 渡る外殻都市の建築を行い、それによって
 上方への高さも上げていく。
 
 塔は、上層へいくほど近代的なデザインと
 なるように今のところ計画されている。
 
  塔の中心先端部と宇宙からケーブルを繋ぐ
 計画も検討されている。今までは、安全面
 の配慮から、海上でしか宇宙エレベーター
 は建設されてこなかった。
 
 エレベーター都市なるものを検討している
 のだ。巨大な塔の先に天に伸びるケーブルが
 あり、そこを巨大な都市が昇ったり降りたり
 する。
 
 それ自体にあまり意味や効果は見いだせない
 が、その景色が壮観となることは間違い
 ないかもしれない。
 
 天空都市なども近くを浮いていれば、
 すごい景色になるのかもしれない。広大な
 自然しか存在しない地上に、いきなり
 現れる巨大な塔とその上の都市。
 
  地表層の巨大なゲートを通って中に入ると、
 地下部分も含めて、地表に近い部分から
 利用が進んでおり、観光や商業区のみでなく、
 居住区や農業、工業区も存在する。
 
 まだあまり利用が進んでいない層もたくさん
 あるが、上の層へとエレベーターで昇って
 みる。1000メートル以上の階層では、
 気密区域と大気区域に分かれている。
 
 大気区域では、一気に1000メートル以上
 をひとつのエレベーターで上がることは
 できない造りだ。
 
 最上層で、気密区域から大気区域に移動する
 ことは出来なくもないが、気圧調整室で
 しばらく調整したうえで、血中酸素飽和度
 などの健康チェックも必要となる。
 
  大気区域で少しづつ体を慣らしながら、
 最上層まで上がる。5000メートルという
 のは、ふだん移動住居ラウニでもトレーニング
 で設定したりする気圧だ。
 
 慣れないうちは高山病などになってしまって
 大変だが、適応がうまくなれば、その冷たい
 空気がおいしく感じる。
 
 最上階はさすがに建築真っ最中という雰囲気
 だが、その建築の様子も含めて見学できる
 ようになっている。
 
 これが高さ1万メートルまで到達すれば、
 その高さで居住区ができ、都市生活ができる。
 おそらくスポーツ選手などが利用して、
 どういった身体能力が得られるかなどを
 試すのだろう。
 
  塔の地下利用は、建物としての基盤強化の
 意味もあり、耐震なども考慮されている。
 そのうえで、反重力エンジンなども構造の
 要所に使われている。
 
 このことは少し議論を呼んでおり、反重力
 エンジンを使用している時点で、建築物
 とは言えないのではないか、という指摘も
 ある。
 
 だが、定義はともかく安全面を考えると、
 使えるものは何でも使うべきだ、という
 建築方針になった。
 
 また、今後構造上の、あるいは運用上の問題
 が出た場合、すべてをいったん無に戻して、
 新たに造りなおすという方針も出している。
 
 これは、解体再利用の技術が今後も重要に
 なるというのと、都市を緑化していく技術が
 すでにかなり進歩している、という背景が
 ある。
 
  例えば、現在人類は太陽系外へ飛び出し、
 別の恒星系に到達して暮らしを始めている。
 その様子が光通信などで数年かけて
 太陽系にも届く。
 
 この、太陽系外に飛び出す際に使用された
 移動都市、その当時の技術の粋を集めた
 ものであったわけだが、当時もっとも
 ポイントとなったのは、解体再利用の技術
 発展だった、と言われている。
 
 構造物にしてもゴミにしても、古くなって
 使えなくなったものなどを、早くそして
 楽に再利用できる技術があって、はじめて
 太陽系の外に出ることができた、という
 わけだ。
 
 この時代、過去に人類が捨てたゴミすらも
 すべて再利用され、惑星上に捨てられたゴミ、
 というものがもはや存在しなくなってきて
 いる。
 

過酷な赤砂の地

  休暇を利用して、火星に来ている。
 ここは、テーマパーク。オンラインロール
 プレイングゲームの世界を実体験できる
 場所だ。
 
 ボム・オグムは鎧兜に剣を下げている。
 ディサ・フレッドマンは、灰色のフードの
 付いたマント、杖を持っている。
 
 赤い砂の大地、崖に囲まれた場所で、
 巨大な影を見つける。薄い青色の肌を持つ、
 一つ目の巨人だ。
 
 実際はアンドロイドで、ボムとディサを
 見つけて、ゆっくりと歩いて近づいてくる。
 手に巨大なこん棒。
 
 振り下ろされたこん棒が思っていたより
 大きいのもあって、かわし切れないと判断
 したボムは、左手の盾を構えて防ぐ。
 
 盾の上からでもダメージを食らう。
 だが、実際はこん棒の部分は3D映像で、
 盾に当たったという映像上のリアクションが
 あるだけだ。
 
「インドラの神よ、我に雷の力を与えよ、
 トゥニトルア!」
 ディサが叫ぶとともに、轟音が鳴り響き、
 巨人に雷が注ぐ。3D映像の雷だ。
 
 杖に付いているタッチパネルを見ながら
 次の呪文を選び詠唱に入る。セリフは、
 ディサが適当に考えて付けているようだ。
 
「イフリート神よ、我の呼びかけに答え、その
 存在意義を示せ、ファイラボル!」
 巨大な火球が発生し、巨人に向かう。その
 足元で、ボムが巨人の足に切り付けている。
 
 実際には切れていないが、巨人は攻撃を
 受けているリアクションを取る。そして
 ついに巨人が崩れ落ちる。皮膚表面が
 燃えたリアクションだ。
 
「なんかさあ、魔法使いのほうが派手でいい
 よね?」
「交替する?」
 
 ゲームの中で、剣を使う戦士は、派手な
 アクションで技を決めるのであるが、
 現実となると本人がその動きをできな
 ければ出来ない。
 
 従って、剣を振るだけで派手な技が
 出るようにしてあるわけだが、演出と
 してはいまいちだ。
 
 その点、魔法使いのほうは、大した体の
 動きがなくても立派な魔法が出せる。
 
「もともとロールプレイングゲームなんて
 ものは、派手な魔法を使うためにある
 からねえ」
 
 ディサは、魔法使い派のようだ。
 
「剣士も派手な技出せるんだよ」
「やってみればいいんじゃない」
 
 10メートルほんどジャンプして、そこから
 回転して剣で切りつけるような技は、専用
 のパワースーツを着て技をプログラム
 しないと出せるものではない。
 
 ディサならその打撃技で本当の意味で
 ダメージを与えることもできるかも
 しれないが、あとで弁償する羽目になる。
 
  火星はかなり昔から大気調整も行われ、
 緑化もされているが、こういったテーマ
 パークのアトラクションに使用するために
 砂漠のまま残されているエリアもある。
 
 日中は、けっこうな気温になるが、
 利用者は鎧やマントの下に、温度調節
 スーツを着用しているため、快適だ。
 
 近くには給水ポイントやトイレも
 あれば、小腹が空いた時のベンダー
 マシンもある。なんなら移動住居も
 呼べる。
 
「もう少しリアル志向のがあるといいん
 だけどね」
 とボムは言うが、絶対にたいへんだと
 ディサは思う。
 
 火星以内であれば、ここが一番リアル
 志向だろう。木星圏に行けば、もう少し
 規模が大きくて、ダンジョンなども
 探検できるところがあるようだ。
 
 十数日かけて行ってみるかどうか。
 
  ゴブリンの群れ、魔性化した巨大な牛、
 悪の魔法使い、巨大なドラゴンなどを
 次々と倒していく。
 
 今回は二人で周っているが、6人まで
 パーティを組める。同年代で働くひとが
 増える再来年あたりから、誘えそうな
 人間を誘おうか。
 
「馬で周れる場所ないのかな」
「いいねそれ」
「あとでリクエスト書いておこう」
 
 ゲーム中も馬をはじめ、いろいろな乗り物
 に乗ることは可能だ。本物の馬かアンド
 ロイドがわからないが、テーマパークでも
 乗れると楽しいだろう。
 
 ゲームと異なるのは、安全面を考慮しないと
 いけない点だ。一つ目の巨人も、3D映像の
 こん棒で殴りつけはするものの、実体の
 手で掴んできたりはしない。
 
  ここを一周したら、別のコースもあるが、
 そちらへは行かず、それぞれ職業を変えて
 もう一度トライしてみる。
 
 ボムが弓使い、ディサは召喚士だ。
 ボムはその専用の弓との相性がいいのか、
 当てるのがうまい。あれ以来、家で
 練習しているのかもしれない。
 
 召喚士は少し面白い。召喚書を開いて、
 対象を選んで呼び出すのであるが、
 呼び出しをかけると、どこかからアンド
 ロイドのそれが登場する。
 
 そして、一緒に戦ってくれる。これが、
 この部分に力を入れているのか、
 けっこういろいろな種類がある。
 
 その中でもどうしても気になるのが、この
 妖怪というカテゴリーだ。弓使いと召喚士
 が、どちらもあまり接近されるとダメな
 職業のようなので、この、壁みたいな
 妖怪を呼び出す。
 
 壁が防いでくれている間に、ボムが弓で
 攻撃していく。召喚士も、短時間に何度も
 呼び出せるわけではないが、一定時間
 経過すると、次のが呼び出せる。
 
 このぬらりひょんというのはどうだ。
 試してみると、いいのだが、強すぎて面白く
 ない。何だかよくわからない力で、あっと
 いう間に敵を倒してしまう。
 
 人間二人のやることがなくなってしまう。
 こいつは封印かもしれない。
 

快適な旅

  日差し、汗、砂ぼこり。
 そして、日差し、汗、砂ぼこり、ときどき、
 かげろう。
 
 快適な冒険者の旅などというものがこの世界
 にあるのであれば、おれは喜んで参加したい。
 
 おれの名は、ベルンハード・ハネル。
 身長180センチ、体重100キロ、年齢は
 23歳、この、玄想旅団に所属して、もう
 3年が経つだろうか。
 
 玄想とは面白い名を付けたものだ。形而上学
 のことを意味するらしい。なんとも哲学的な
 名前を付けたものだが、よくわからない
 ものをいつも追いかけている、という意味では
 間違ってはいないのかもしれない。
 
 一緒に歩くメンバーは6名、皆、黙々と
 歩んでいる。そして、1キロ後方には、
 同じく6名、プラス、駄載獣ヤクが2頭。
 いずれも第2種戦闘配備で移動中だ。
 
  目的地の岩場が見えてきた。
 対象座標から1キロの地点でいったんキャンプ
 だ。後続も追いついてきて、そこが本部と
 なる。消化のいいものを口にして、
 少し休憩する。
 
 斥候の2名は、すでに出発して現地確認に
 向かった。さきほどの6名で、1キロ先の
 現地へ歩きはじめる。第1種戦闘配備なので、
 日差しを避ける笠を本部に置いていく。
 
 それにしても暑い。砂漠地帯なので、
 もう少し乾燥しているかと思っていたが、
 ある程度湿度も高いのかもしれない。
 
 斥候の双子のクノイチが戻ってくる。
 そして、ふたりとも特に何も言わずにすれ違い、
 本部の方角へ走り去った。まあ事前打ち合わせ
 通りという意味なのだろうが、何か気の利いた
 ひとことでも吐けばいいと思う。
 
  目的地の地形は完全に頭に入っている。
 といっても、岩場の裾にそいつが隠れている
 だけだ。今回は何の迷う要素もない。
 
 いた。すでに立ち上がって、あたりを睨み
 まわしている。さっきのクノイチ達が気を
 利かして起こしておいてくれたのだろう。
 
 体長、いや、身長と言ったほうがいいか、
 おそらく4メートル、体重は500キロは
 あるだろうか、青い皮膚、一つ目の巨人の、
 これは戦闘用アンドロイドだ。
 
 木製のこん棒を担いでいるように見えるが、
 おそらく思い金属製だ。現場隊はいつも
 のフォーメーションAで対峙する。
 
 この隊には、戦士、つまり壁役が3人いる。
 人間族のおれと、ジャイアント族がひとり、
 そしてドワーフ族が一人だ。そして、メイン
 の壁役が、そのジャイアント族、アントン・
 カントール。
 
 身長230センチ、体重150キロ、
 でかいが、年齢はひとつ下の22歳。
 
 おっと、身長と体重はおれの予想だ。他人の
 身長と体重を見た目から予想するのはおれの
 趣味だ。
 
 もちろん、本部の持っているデータを見れば、
 正確な値はわかるのだが。
 
  そして、2番目の壁役は、ドワーフ族の
 スヴェン・スペイデル、身長170センチ、
 体重は130キロ、老けて見えるが年齢は
 25歳。
 
 プロの戦士があまり他人の体型を褒めることは
 ほとんどしないが、こいつの体つきは本当に
 やばい。筋肉が厚すぎる。まさに肉団子だ。
 
 2番目の壁役は、前方の相手だけでなく、後衛
 を守ることも気にする。戦闘が始まれば、
 アントンが前線を形成して基軸となり、
 スヴェンは状況を見てポジションを変える。
 
 そして、3番目の戦士のおれは、いわゆる
 オフェンシブタンクだ。前線の維持に加えて、
 後衛の護衛と、隙をみての攻撃も視野に
 入れる。
 
 3人とも、それぞれ身長ほどもある盾を構えて
 いる。盾は、上半分が透明な素材、下半分は
 旅団のカラーである、濃紺にカラーリング
 されている。
 
 アントンが、3メートル近いサスマタを構えて
 巨人と正対する。サスマタでこん棒の動きを
 牽制され、怒りぎみだ。
 
 勢いで向かってこようとするところを、その
 ままバックステップで引く。巨大なこん棒が
 地を叩く。
 
 おそらくこの巨人はかなりのパワーを持って
 いそうだが、この武器がそれに増して
 重いのだろう。当たればもの凄い効果を
 発揮しそうだが、我々には当たりそうに
 ない。
 
  だいたい状況が明確になってきたところで、
 3人のすぐ後ろにいた、紫がかった青に金の
 刺繍の法衣を来たエルフ族の女性が、詠唱
 を始める。
 
「イフリート神よ、我との契約に従い、その
 責務を果たせ、火球召喚!」
 詠唱は、その手に持つ杖デバイスの機能を
 発揮するために必要なわけではなく、
 味方に呪文の使用を伝えるためだ。
 
 前衛の3人が体勢を低くする。エルフ族の
 女性、シャマーラ・トルベツコイが頭上に
 掲げる杖の上で、巨大な火球が発生し、
 巨人の方へゆっくりと進む。
 
 それに合わせておれとドワーフ族のスヴェン
 が、左右から回り込む動きで牽制する。
 
 火球が巨人を捉える。と同時に、巨人の頭部
 あたりでタン! と乾いた衝撃音がして、
 巨人が苦しみ出す。どこかから、巨人の目を
 狙った腐食弾だ。
 
 炎と腐食弾の攻撃で、一つ目を破壊された
 巨人の、両肩口と、左右の腰あたりに、補助の
 瞳が現れて、周囲を確認しだす。
 
 実は今回はこの地域の初戦ということも
 あって、ミッション的にはかなり余裕がある。
 なので、シャマーラの身長と体重についても
 述べておこう。175センチ、75キロ。
 
 エルフ族の女性としては、平均より少し
 低めの身長、そして少し重めの体重だ。
 年齢は30歳。エルフ族は総じて美人揃い
 だが、彼女はそれにも増して美人だ。
 
 一級魔法士、救急看護士、治癒士の資格と、
 攻撃と回復両方を担当する、まさにこの
 現地隊の主力だ。
 

助け合い、譲り合い

  組織論、というものがある。
 今回の場合でいうと、ミクロ組織論にあたる
 だろうか。
 
 別の言い方をすると、現場理論、最前線に
 おける組織の考え方、となる。太陽系内
 の球技団体競技を例に挙げるとわかりやすい。
 
 最高のメンバーを全て揃えたチームは、
 意外と勝てないのだ。守備を度外視して、
 攻撃に特化したチーム、というのは論外だが、
 きちんと役割分担ができていても、
 期待のパフォーマンスが出ない。
 
 チームワーク、というのもあるだろうが、
 最大の原因は、他のメンバーを頼る心が
 生まれてしまうことらしい。
 
 誰かがやってくれる。自分が頑張らなくても、
 これだけのメンバーが居れば、誰かが
 引っ張ってくれるはずだ。
 
 玄想旅団に入ったころは、まずそこを
 徹底的に叩き込まれる。どんな相手であって
 も、自分のベストを尽くす。自分が何とか
 する。
 
 新規加入メンバーがある際は、ミッションの
 難易度も抑えているからだろう、最初の
 うちは恐怖感と戦いながらも自分で能動的に
 動くことを強いられる。
 
 なので、最初のころは、戦闘中に何度か後ろ
 からスヴェンに前方へ蹴り出されたものだ。
 
  こっちの余裕を見破って、シャマーラ・
 トルベツコイのするどい瞳が、攻撃の手が
 ぬるい、と言っている。
 
 ジャイアント族のアントン・カントールは、
 相手の攻撃がこん棒しかないことと、回避が
 容易であることから、盾を背中に背負い
 なおして、両手でサスマタを操っている。
 
 右側から回り込んでいるドワーフ族のスヴェン
 ・スペイデルも、盾を背中に、両手に強化
 木製の槌だ。
 
 おれも、右手の盾をベルトに繋いで背中に
 回す。左手の特殊木製棍棒は、片手でも
 威力が出るが、両手のほうが効果的だ。
 
 巨人はさきほどのこちらからの攻撃により、
 明らかにモードが変わっている。攻撃速度
 が上がっているが、それでも打ち下ろした
 こん棒が、アントンには当たらない。
 
 その踏み込んだ巨人の右足に、踵方向から
 特殊棍棒を打ち込む。インパクトの瞬間の
 グリップの力の込め方が肝心だ。
 
  もともと、武術を専門に行う家に生まれ
 たのであるが、おれは少し毛色が違った。
 家に伝わる、浸透勁と呼ばれる特殊な打撃
 法があるが、これを武器に応用した。
 
 この特殊な棍棒は、内部に粘性の液体を
 封じ込めてある。そして、浸透勁と同じ
 効果の打撃を行うことができるように
 なっていた。
 
 この浸透打は、装甲の上からでも内部を
 破壊できる。物理学でいう、共振を応用した
 作用だ。
 
 うまく浸透打が入ると、ドッという鈍い音と
 感触があり、打った際の反動が少ない。
 これは、生物はもちろん、生体組織を使った
 アンドロイドだけでなく、機械のアンドロイド
 にも効果があった。
 
 時には、効果をあげるために、打撃対象の
 特性に合った液体の種類や粘性を選び、
 棍棒に封入する。ときに複数本用意する。
 
 そして、反対側の左足には、スヴェンの
 木槌による打撃が入る。ただの木槌に見える
 が、雷撃付きだ。生体だと動きが少なくとも
 数秒止まる。
 
  動きの止まった巨人の、4つの補助の目
 すべてに腐食弾が決まっていく。その
 発射源が、隊の左後方、うずくまる人影だ。
 
 地面と同じ色のコートを着ているが、光学迷彩
 のような高価なものではない。色を自分で
 設定するタイプのコートだ。
 
 立ち上がると、身長190センチ、体重75
 キロの痩せた体、青白い皮膚、見開かれた瞳、
 25歳、アンデット族のイスハーク・サレハ。
 
 一級銃士の資格を持ち、狙撃の腕を買われて
 玄想旅団に所属している。シャマーラの
 範囲攻撃魔法が若干決め手に欠けるのに
 対して、イスハークの狙撃は対象をひとつ
 ひとつ確実に仕留めていく。
 
 スヴェンの木槌による雷撃で動きが鈍った
 のちの、おれの巨人の右手への打撃に、
 その大きなこん棒を地面へ落とす。
 
 視界を失い武器を失って、怒り狂うがどう
 しようもない巨人。本部へ連絡し、捕縛網を
 持ってきてもらう。
 
 アンドロイドというのは、このセトと呼ばれる
 惑星上では貴重で高価なものだ。今回の場合の
 ように、操作仕様が伝わっていないため、
 破壊せざるを得ないケースが結構ある。
 
  隊の最後方、変わった紺色の鎧、槍、
 腰に野太刀と脇差、背中に大弓、この隊の
 6人のうちの最後の一人。
 
 今回は、特に出番もなく、バックアップ役
 だった、サムライのセイジェン・ガンホンだ。
 全く動かないので、起きているのか立ったまま
 眠ってでもいるのか、瞳は閉じている。
 
 身長は2メートル弱、体重は90キロ、特殊な
 家庭で幼いころから鍛え上げられた体だ。
 飛び道具も含めて様々な武器を使うが、
 もっとも危険なのは、居合だ。抜く手が
 見えない。
 
 対人ミッションの場合、武器の作動に反応して
 シールドを張るタイプの防具があるが、彼を
 前にすると、シールドを出しっぱなしに
 する必要がある。近接で居合を使われると、
 シールドの反応が遅れるからだ。
 
 当然シールドの出しっぱなしは消耗戦になる。
 だいたいは数分でバッテリーが切れるので、
 それまでに判断しなくてはいけなくなる。
 彼がいることで、逃げるのか、勝負を決める
 のかの判断を強要できるのだ。
 
 彼の野太刀の鞘は特殊な素材で出来ており、
 これも相手からすると厄介だ。特殊な探査
 装備でもない限り、中の金属を検知できない。
 知らない者は、棒状の武器と勘違いして、
 刃物であることに気づかない。
 
 気づいたら、切られている。
 

奇妙な洋館

  これは、一か月ほど前の話だ。
 我々は、奇妙な洋館の前にいた。
 
 洋館の前にいた、というのは、もしかしたら、
 誤解を与える表現かもしれない。正確には、
 その洋館から距離2キロの位置に、本部を
 設置した、といえる。
 
 荒れ地に大きなテントが二つ。ヤクが2頭、
 地面に打ち込まれたペグに繋がれている。
 小雨。そのテントのうちのひとつに、12名
 の人間が集まっている。
 
 第3種戦闘配備でそれぞれ思い思いの格好。
 丸い形状で中心部が高くなっているテントの
 内側の各所に、モニター用の布が張られて、
 何かを映し出している。
 
 人間族のおれとセイジェン・ガンホン、
 ドワーフ族のスヴェン・スペイデル、ジャイ
 アント族のアントン・カントール、
 アンデット族のイスハーク・サレハ、そして
 エルフ族のシャマーラ・トルベツコイの、
 いわゆる現地組は、テントの端のほうにいる。
 
  テントの中央、モニター類が一番見易い
 場所に陣取るのは、ドワーフ族の女性、
 一級調理師で一級戦士、この玄想旅団の団長を
 務める、オリガ・ダンだ。
 
 身長160センチ、体重110キロ、スヴェン
 にも負けない体格を持ち、年齢はこの団で
 最高齢の33歳。間違いなく戦闘にも長けて
 いるが、実際はかなりの頭脳派だ。
 
 宣言しておこう。おれがもし生まれ変わって、
 もう一度冒険者のグループに所属すると
 したら、間違いなくこの玄想旅団を選ぶ。
 
 そう思わせるだけのものを玄想旅団が持って
 おり、その大部分を作り出しているのが、
 このオリガ・ダンだ。
 
 編み込んだ髪、大きな鼻、太く刻み込まれた
 皺、以前スヴェンから、オリガはドワーフ
 としてかなりの美人であることを聞いたが、
 おれにはよくわからない。
 
 しかし、リーダーとしては際立っていた。
 外部の人間で玄想旅団に所属したがる
 冒険者はたくさんいるが、内部にいる
 人間のほうがその良さがよくわかる。
 
  その右横にいるのが、一級エンジニア、
 ノーム族の女性、ヨミー・セカンドだ。
 科学的知識、魔法デバイスの知識などを
 豊富に持つ。
 
 身長150センチ、体重60キロ。27歳。
 それでもノーム族の女性としては、大きい
 ほうだ。戦闘には、まったく向いていない。
 
 魔法デバイスなどの仕様を理解して使うのは
 うまいのだが、とにかく現場に向いていない。
 実際に使うのは、すべてシャマーラに
 任せてある。
 
 雰囲気も、他の人間が何かしら殺伐とした
 専門家の空気を醸し出す中で、一人ポップな
 浮いた感じだ。話すのも好きで、喋り出すと
 止まらない。
 
 しかし、内容は何か技術的な難しい話で、
 しかも彼女はサイエンスフィクション好きな
 こともあり、存在しない技術の話も混ざって
 くる。そうなると適当に相槌を打つしかない。
 
 隊では、科学的な面からのデータ分析、作戦
 立案などを行う。彼女の解析で弱点や方法が
 判明し、やっと実際の作戦行動に移る、という
 ケースが多い。
 
 逆に彼女から答えが出ないケースでは、
 ミッションをスキップすることになる。
 
  玄想旅団は、所属メンバーがそれぞれ
 役割を持っているが、職業はなんですかと
 聞かれると、それは、会社員となるだろう。
 
 現在は、12人ともニコリッチ商会の契約社員
 で、冒険にあたっては商会の全面的バック
 アップを受けている。
 
 冒険者ギルドというものがあるが、冒険者の
 自治団体、あるいは冒険者組合、といった
 位置づけである。
 
 現在この惑星上では、企業が冒険者ギルド業
 を行っており、ニコリッチ商会はその
 最大手のひとつである。そして、もう一つは
 企業である、ボタック&リー商店が提供する
 ギルドで、このふたつが二大ギルドと
 なっていた。
 
 それ以外にも、企業が提供するものではない、
 通常のギルドが、大小さまざまに存在した。
 だが、冒険者の中には、ギルドに所属しないで
 探検を続ける者も一定数いる。
 
 探索地域を決める際、まずオリガ・ダンが
 ニコリッチ商会と相談する。この大陸の
 範囲が広大なため、ミッション単発で
 地域を移動していると、非常に効率が悪い。
 
 ある程度出来そうなミッションが集中する
 エリアを選択する。ニコリッチ商会の
 情報は、かなり詳細まで得られている場合も
 あるが、ざっくりとしかわからない場合も
 あり、時間経過で状況が変化もする。
 
 もちろん、ひとつあたりの報酬が莫大な
 ミッションで攻略可能なものが見つかれば、
 それだけでも現地へ向かう。
 
  この仕事は、待つ時間が半分を占める、
 と言ってよいだろう。そして、残りの
 半分のうちのほとんどは移動だ。
 
 現地で戦闘している時間は、1割もない。
 移動してから現地で状況を待つケースも
 多い。町で待つ場合は、冒険の準備や
 トレーニングなども行う。
 
 現地で待つ場合は、ひたすら英気を
 養うだけの場合もある。
 
 玄想旅団の考え方は、確実に勝てる状況を
 作ってから戦う。それまでは、徹底的に
 情報をとりながら、待つ。
 
 待っても駄目な場合は、諦める。けして
 無理をしない。
 
 攻略エリアを決める際、自分たちが有利に
 なりそうな、マクロ的な流れも見る。
 天候、政治、経済、様々な観点から、
 状況が良くなりそうならば、挑戦する。
 
 すでに攻略可能なミッションは、とっくに
 冒険者で溢れているケースが多い。
 どちらかというとそういうところを避けて、
 戦略的に対象を決める。
 
 ただし、高額報酬で冒険者が溢れていても、
 難易度のせいで全く進んでおらず、そこに
 対して自分たちの攻略見込みがある場合
 などは、当然狙っていく。
 
 今年、旅団としてはほぼトップクラスと
 なった。今後そういったケースが増えていく
 だろう。
 

怠惰な人々

  科学的だろうが、非科学的だろうが、
 危険を回避してくれるなら、どちらでも
 いい。
 
 科学的アプローチのみを使う冒険者ギルドや
 旅団が消えていき、あるいは基本方針の
 変更を余儀なくされた。
 
 どれだけ科学的に、ロジカルに説明され
 ようが、どうも取れない不安というものが
 ある。しかし、たいていそれは、うまく
 説明のしようのない不安だ。
 
 そういった時に、その不安の立場に立って
 くれる、あるいは、明確に解消してくれる
 人物がいる。オリガ・ダンの左隣りに
 いる人物。
 
 アンデッド族の女性、パリザダ・ルルーシュ。
 身長185センチ、体重70キロ、20歳。
 アンデッド族の中ではかなりの美人らしいが、
 オリガ・ダンが美人、という話よりは、
 多少わかる。
 
 彼女は一級霊能士であり、そしてシキガミ
 使いの専門家だ。シキガミとは、小型の
 探査ドローンであるが、一般の探査ドローン
 と比較して、直観力を引き出すための
 工夫がしてある。
 
 化学の専門知識もあり、どちらかというと、
 科学的および非科学的の、ハイブリッド
 アプローチを行える。
 
 彼女も現場での戦闘には向いていないが、
 攻略前の現地確認などで、けっこう危険と
 隣り合わせとなる。
 
 そのミッションの歴史的背景なども踏まえた
 上で、彼女の探査の結果、彼女が厳しいと
 いう意見を出すと、どれだけおいしそうな
 報酬が提示されていたとしても、諦める
 場合がほとんどだ。
 
 諦めない場合とは、戦闘アンドロイドを
 利用できるケースなど、自分たちが
 危険を冒すことなく確認できるケースだ。
 
 そして、たいていは、想定外の何かに
 より、身代わり達が消えていく。
 
  打ち合わせ中、少し暇なので、種族に
 ついて少し説明しておこう。まず、
 アンデッド族であるが、彼らは、別に
 死んでいるわけではない。
 
 その身長の割に痩せた体型と、皮膚の
 色、表情や毛髪の抜け具合から、
 まるで死んだ人のよう、ということで
 アンデットなどと名付けられてしまった。
 
 確かに彼らは、統計を取ると、より怠惰で、
 積極性がない。しかし、これはどの
 種族もそうだが、けっきょく個人次第なのだ。
 
 そういう目で見てしまうと、イスハーク・
 サレハなどは確かにいつもサボっているように
 見えるのだが、誰がどれぐらい努力している
 なんてのは、本人にしかわからない。
 
 ちなみに、アンデット族も含め、ここに
 いる12人全員、ポレクティオ・サピエンス
 だ。つまり、ただの人間である。
 
 太陽系や、中間都市には、旧人類がまだ
 たくさんいると聞く。半獣半人座星系では、
 全員が遺伝子検査をやるわけではないので、
 よくわからないが、ほとんどいないの
 かもしれない。
 
 これは伝説であるが、その昔、そういった
 姿かたちが好きな人々が集まり、集団を
 作り、そして何万年もかけて、そのような
 種族が生まれてきたという。
 
 人は、なりたい姿に進化していく、
 というのだ。
 
 ファジャン教のテルオリ神を祭る進化派の
 中にそういう考え方をもつ人が多い。
 
  少し話が逸れたが、打ち合わせに戻ろう。
 オリガ・ダンの正面に、3人のホビット族が
 座る。
 
 そのうちの二人の女性、イズミ・ヒノと
 ナズミ・ヒノだ。二人は双子で、155
 センチ、55キロ、17歳。
 
 彼女たちも、特殊な家庭で幼いころから
 クノイチとして育てられてきた。その
 特徴は、特徴のないところ。
 
 女性としては比較的短めの頭髪、そして、
 ぼんやりした、どこにでもいそうな顔。
 情報収集を主な任務とするクノイチに
 とって、この顔は非常に重要らしい。
 
 まったく殺気を感じないこの二人であるが、
 刺客という意味では、こういうタイプが一番
 危ないらしい。例えば、この二人は毒物を
 扱うのが得意だ。
 
 ある一定距離まで近づけば、ほぼ相手を
 仕留められるという。ミッションによっては、
 この二人に任せて、我々の出番が全く
 ないものも、ざらにある。
 
 今回の対象の洋館について、どこまで内部を
 確認する必要があるのか、現地で探査デバイス
 の使用が必要か、潜入にどれだけのリスクが
 あるのかを綿密に打ち合わせている。
 
  そしてもう一人、ホビット族の男性、
 ガンソク・ソンウ。身長160センチ、
 体重55キロ、29歳。
 
 一級補給士の資格をもつ。今回のミッション
 は、ニコリッチ商会の支店がある町も近く、
 補給の必要性はほぼない。
 
 補給は馬を使って町と行き来するなど
 して行うが、馬の姿が見えない。玄想旅団の
 中で、一般に入手が困難な光学迷彩を
 使用するのは、このガンソク・ソンウと、
 彼の馬だ。
 
 団長のオリガ・ダンは、ミッションに
 あたって、補給をかなり重視している。
 現地調達が可能なケースはゼロではないが、
 食糧や水が手に入って、それが安全である
 と確認できるケースは稀だ。
 
 ガンソクが任務を全うできないとき、それは
 即、旅団の撤退を意味する。
 
 ちなみに、今の旅団は、一頭のヤクで
 6人が約10日間生活できる。現在は二頭
 持っているので、12人が約10日間
 ミッションを遂行できる。
 
 それ以上必要な場合、ガンソクが馬の往復で
 補給したり、可能であればヤクも連れて
 いく、ただし、ヤク用の光学迷彩装備はない。
 
 補給は食料や水だけでなく、魔法デバイスの
 燃料補給、探査ドローン用のバッテリー、
 武器防具の補充など。
 
  パリザダが送った探査ドローン、シキガミ
 が送ってくる洋館内部の映像を見ながら、
 突入方法を打ち合わせる。
 
 洋館敷地内から玄関までは、落とし穴の
 存在が指摘された。それ以外はとくに
 備えがなさそうだ。落とし穴は、石でも
 持っていって落としておく。
 
 突入は明日の明け方前。
 

人質救出

  洋館の2階、一番奥まった部屋に、
 人質が囚われている。王族風の衣装、長い髪。
 
 今は午前5時。惑星セトは、直径15000
 キロメートル、自転25時間、重力加速度は、
 1.1G。
 
 日の出は約一時間後。もう洋館の門の前だ。
 アントン・カントールが、日中に確認して
 いた落とし穴のありそうな位置に、大き目の
 石を転がす。
 
 ドサっと音がして、穴が姿を現す。その周囲
 を迂回して、玄関に到達する。開錠用の
 デバイスもいくつかあるのだが、扉に鍵は
 かかっていないようだ。
 
 内部に入ると。2階へ上がる階段がふたつ。
 玄関ロビーは吹き抜け。左右に、大き目の
 部屋がありそうだ。
 
 手筈どおり、向かって左側の部屋からいく。
 まずは、人間族のベルンハード・ハネル、
 おれから飛び込む。
 
 いた。剣と盾を持つスケルトン兵士。
 ジャイアント族のアントン・カントール、
 そしてドワーフ族のスヴェン・スペイデル
 も続く。
 
 大型の盾で身を守りつつ、それぞれの武器で
 戦闘を開始する。最後に入ってきたエルフ
 族のシャマーラ・トルベツコイは、
 入ってくるなり詠唱に入る。
 
 部屋の外には、アンデット族のイスハーク・
 サレハと、人間族のセイジェン・ガンホンが
 周囲を警戒する。
 
 イスハークは、長銃を背中に担ぎ、両腰に
 2丁の短銃を下げている。狭い場所に
 適した武器だ。持ってきたデバイスで、
 地上階の解析を始める。
 
 セイジェンも、今回は槍を持っていない。
 身長に対して少し短めの打刀だ。まだ抜いて
 いない。
 
「ゼウス神よ、われの声に目覚めよ、稲妻!」
 
 一瞬反応が遅れたアントンの頭上を、
 稲光が通り過ぎていく。そして、スケルトン
 兵士二体を破壊した。
 
 すでに3人で四体を破壊していたため、この
 部屋に障害となりそうなものはなくなった。
 
  玄関入って右手の部屋を確認する。
 解析によって三体の存在が確認できている。
 同様に4人で突入する。
 
 今回は攻撃を仕掛けずに、シャマーラの
 詠唱を待つ。眠りから覚めようとしている
 のは、3人のリザードマンだ。
 
「モルペウスよ、汝の夢を見たき者の元へ」
 
 起きざまに周囲を確認しようとしている
 リザードマン3名の方へ、小さな呪文トークン
 が飛来し、顔の周囲に力場を作り、中へ
 催眠ガスを流す。
 
 もう一度眠りに入る3名。持ってきた拘束
 ベルトで完全に固定する。
 そして玄関広間に戻り。二階をめざす。
 
 一通り二階部分も解析する。上がった左手に、
 書斎らしき部屋。そして、右手が書庫。中央
 にも通路があり、奥まったところにもうひとつ
 扉がある。
 
  全員で二階にあがり、まず書斎の方を確認
 する。扉を開けて入ると、まず豪華な机、
 そして本棚、豪華な革製の椅子。
 
 入口扉の左右に絵画、この洋館を描いたもの
 と、この洋館の所有者らしき人物像。
 着ているのは、ずいぶん古めかしい衣装だ。
 
 本棚には、不動産関係の本、税務の本、会計
 に関する本、法律全般の本、そして、麻雀
 入門の本が十数冊。
 
 その一冊を手に取り、革椅子に座り、本を
 開く。入ってきたシャマーラの咳払いに、
 立ち上がり、本を戻す。
 
 特にこれといったものもないので、隣の
 書庫を確認する。入ると、部屋の周囲に
 本棚が並んでいる。
 
 ここも、特に変わったところはなさそうだ。
 適当に本を取って眺めようとするが、
 この本、タイトルがない。本は、紙の
 ページがない。イミテーションだ。
 
 これはいったい、何を意味するのか。
 
  通路の奥の部屋を目ざす。部屋の前に、
 石像があるのに気付いた。悪魔の姿を
 した石像、これは、ガーゴイルだ。
 
 我々の接近に目覚めて動きだす。同時に、
 背後が騒がしくなった。何人かの、
 階段を登ってくる足音が聞こえる。
 
 ガーゴイル二体をアントンとスヴェンに任せ、
 おれは背後にまわり、セイジェンとイス
 ハークを守る位置取りをする。
 
 3人の歩兵らしき男性、そして、もう一人
 は、さきほどの絵画の男性だ。
 魔法デバイスらしきものを掲げ、詠唱を
 開始しようとする瞬間だった。
 
 シャマーラが、カウンターの呪文を即座に
 使用する。音を遮る呪文だ。
 
 カウンター呪文の発動をその所有者の
 男性は感じ取れたようであるが、慌てた
 ため、呪文の詠唱を継続してしまう。
 
 マジックミサイルが、中央にいた歩兵の
 背中に命中した。詠唱が聞こえなかったのだ。
 そのままおれの前に倒れる。
 
 次の瞬間、タン! と音がして、おれから
 向かって左側の兵士が腕を抑える。
 イスハークの早撃ちだろう。
 
 それを見て一瞬ひるんだ右側の兵士の、武器
 を持つ腕が飛んだ。セイジェンが踏み込んだ
 のだ。
 
 それを見て、所有者らしき男が降参の態度
 を見せる。背後では、ガーゴイルが再び
 石像に戻っていた。
 
  兵士三名と所有者の男性、そしてガーゴイル
 二体の治療と拘束を済ませ、最後の部屋の
 扉の前に立つ。
 
 事前の調査で、人質が一名この館にいることが
 わかっている。扉をノックする。
 
「開いています」
 
 との返事が返ってきたので、失礼します、
 と言って扉を開ける。
 
 中は広く、素人が見てもわかるような豪華な
 家具。バスルームから小型のキッチンまで
 揃えてある。
 
 天蓋の付いたベッドに座る、白い王族風の
 衣装を着た女性。その前に跪き、
 玄想旅団、ベルンハード・ハネルと
 申します、と一礼。
 
 そこにいたのは、意外な人物だった。
 

理想と現実

  その女性は、ニコリッチ商会、
 惑星セト営業部、庶務担当のマチルダ・
 マルチネスです、と答えた。
 
 20年前に、ミス・ニコリッチも取った
 ことのある、元美人だ。
 
 つまり、若手冒険者グループを対象とした
 コンテストに、熟練者としてデモを行った
 のだ。出てきた敵はすべてニコリッチ商会
 で修理可能なアンドロイドだ。
 
 その様子は、リアルタイム配信されていた。
 彼らが持っていた武器は、ふだんとは
 違うもので、それぞれニコリッチ商会に 
 臨時で借りていたものだ。
 
 おれは巨大な剣、アントン・カントールは、
 方天画戟、スヴェン・スペイデルは、
 銀色に輝く槌がふたつ。今回盾はなし。
 
  今回のコンテストは、若手にとっては
 かなり高難度だ。まず、3分の1のグループ
 が、最初の落とし穴にはまる。
 
 内部の対策に集中しすぎてしまうのだ。
 落とし穴は、バランス感覚の重要性を教える。
 全員が落ちなくても、一人でも落ちれば
 もうそのあとの攻略は困難だ。
 
 そのあとの、スケルトン兵士も地味に強敵
 なのだが、そのあとのリザードマンが
 難敵だ。催眠の呪文を使わなければ、
 経験の少ない冒険者グループが実力で
 勝つのは難しい。
 
 今回は、全てのグループで標準的な呪文
 デバイスを同じだけ与えられている。
 事前にそれっぽいヒントも出されては
 いるのだが。
 
 そして、最後のガーゴイルと戦う際の、
 階下からの奇襲。これは、事前には
 わかっていない攻撃だ。
 
 いったん地上階で探査デバイスを使用し、
 何もいないことを確認する。つまり、
 外から入ってきたという設定だ。
 
 玄想旅団であれば、ああいった状況では、
 本部を建物近くに呼び寄せ、外部からの
 接近や侵入を全て監視する。なので、
 挟み撃ちになることはない。
 
 若手たちに、バックアップ、支援の重要性
 を教えるのだ。
 
  けっきょくのところ、今回のコンテスト
 ミッションをクリアできた若手グループは
 いない。どこまで到達したかで順位が
 決められた。
 
 人質役のマチルダも、暇だったという。
 最後に奇襲する4人だが、まず兵士が自動
 シールド装置を付けている。
 
 玄想旅団はイスハークとセイジェンが易々
 と倒しているように見えるが、中堅の
 冒険者グループであったとしても難敵だ。
 
 正解は、書斎や書庫に二人ほど潜んでおき、
 挟み撃ちをさらに挟み撃ちにすること
 だったらしい。
 
 イスハークの早撃ちだが、抜くスピードが
 早すぎる、というのもあるが、抜くたびに
 形状が変わる特殊な短銃を使っている。
 銃口判定が毎回100分の何秒か遅れる。
 
 従って、早撃ち銃士ぽいのがいたら、
 シールドの張りっぱなしをお奨めする。
 居合の達人と同じで、勝負を即決するか、
 逃げるかの選択となる。
 
 最後に本部のメンバーも加わって、優勝した
 若手グループと記念撮影だ。優勝チームは、
 見た目でいうとほとんど玄想旅団と
 遜色ない。
 
 もし玄想旅団の前衛3人が、ふだんの装備を
 したなら、見た目では負けているかも
 しれない。
 
 しかし、まだ支援やバックアップのメンバー
 が足りていないのがまず大きい。ニコリッチ
 商会は、今後支援担当の若手もコンテスト
 を開催するなどして育成していく方針だ。
 
 そして、出場者すべてのメンバーで
 バーベキューだ。年々参加グループのレベル
 は上がってきてはいるのだが、玄想旅団
 レベルに到達しそうなグループは今回
 なさそうだ。
 
 10年に一度、いや、100年に一度の逸材が
 揃っている、そのように評価する人もいる。
 
  青い巨人を倒した同じ地域で、一か月前
 にデモを行った洋館のモデルになった場所に
 おけるミッションがある。
 
 一行は、ニコリッチ商会に捕獲した巨人を引き
 渡したあと、いったん町へ戻り、時期を待つ。
 
 本物の洋館のほうは、かなりの難易度が
 予想されている。まず、ニコリッチ商会の
 支店がある町から、距離がある。
 
 町から、第2種戦闘配備で三日進んだ距離に、
 まず集落があり、そこからさらに三日進んだ
 山の麓に、目的地の洋館がある。
 
 その洋館にいると予想されるその目的の人物
 を生きたまま確保すると、かなりの、玄想
 旅団でいうと発足以来最高額の報酬が
 得られる。
 
 殺害してしまった場合でも、報酬は10分の
 1程度に減るが、それでも巨額だ。
 
 しかし、その目的の人物自体が、かなりの
 魔法の使い手で、さらに洋館自体にも
 相当な障害があることが予想される。
 
 ある国の、重要人物という噂だ。
 
  ここら辺で、そろそろ自分たちが属する
 国について語っておこう。われわれ玄想
 旅団は、全員同じある国に属している。
 それが、イゾルデ王国だ。
 
 惑星セトの、イゾルデ王国の歴史は古い。
 その由来は、かつて太陽系で、ニコリッチ
 商会の頭首が失脚し、半獣半人座星系
 へ島流しとなった。
 
 その頭首が到着して作った国、それが
 イゾルデ王国だという。したがって、
 ニコリッチ商会との繋がりも強いのだ。
 
 だが、その頭首というのが生存したのが、
 太陽系星系外への挑戦がちょうど始まった
 時期。太陽系星系から半獣半人座星系まで、
 最初に到達するのにかかった年月は、
 約6万年。
 
 そこから、星系の開拓ののち、惑星の居住化
 が始まるので、実に7万年ほど生きている
 計算になる。
 
 そのため、この国が建国された5千年ほど
 前に、そのころの人たちがその頭首を
 偲んで名前が付けられた、というのが本当
 のところだろう。
 

混乱の半獣半人

  半獣半人座星系が、どのような状況なのか、
 それについても見ていこう。
 
 半獣半人座星系は、人類が到達して以来、最大
 の危機を迎えている、と言っていいかも
 しれない。
 
 ヤースケライネン教国、という国が星系内で
 最大の領土と人口を持っていたが、この国の
 国教であるシアジアン教は、反発展主義を
 掲げていた。
 
 人類は、元来愚かである。そのような種が、
 生息域を広げてはならない、という考え方だ。
 
 ヤースケライネン教国は、その宙域を拡大し、
 やがて星系内を統一し、そして、全てを
 管理しようとしている。
 
 人口も経済も科学技術も、すべて収束させる
 方向だ。そして、この考え方が、中間都市、
 つまり、半獣半人座星系と太陽系の中間に
 ある都市や、太陽系そのものにも広がりを
 見せようとしていた。
 
 半獣半人座星系は、三つの恒星を持つが、
 そのうちのふたつまでがヤースケライネン
 教国の宙域となり、最後のひとつの
 恒星周囲に、反発展主義と異なる考え方の
 国々が集まって抵抗を続けていた。
 
 この惑星セトでは、ほぼヤースケライネン
 教国の領土となっていたが、ラスター
 共和国という国が、それに反発して
 頑張っていた。
 
 イゾルデ王国は、この騒動が起きてからの
 百年余り、ずっと中立を貫いてきた。
 
 
  青い巨人を捕獲したのち、一週間ほどの
 準備期間を経て、ニコリッチ商会の支店が
 ある、トロンドヘイムという町を出る。
 
 そこから、100キロ近く離れた集落へ、
 三日かけて移動する。一種の限界集落で、
 人の住まなくなった大きな農家を借りて
 しばらく滞在する。
 
 そこからさらに三日の距離に、目的の洋館が
 ある。そして、洋館の位置から5キロの
 地点に、廃砦がある。
 
 そこはまだイゾルデ王国の領地で、
 ヤースケライネン教国の領地までは、さらに
 数百キロある。その間は荒れ地と砂漠と
 低い山岳地帯で、町や村などもなく、
 戦略的にはほとんど価値のない地域だ。
 
 その廃砦に、盗賊の一団が入るという
 情報が入っている。岩狼旅団という60名
 ほどの賊の集団であり、イゾルデ王国と
 ヤースケライネン教国の国境付近に居を
 構えて遠征などしていたようだ。
 
 しかし、最近ヤースケライネン教国に旅団
 ごと買収された可能性がある、という情報が
 入ってきた。
 
  それと同期するかたちで、別の情報も
 入ってきていた。洋館に関してだ。
 
 その洋館は、イゾルデ王国の王族のうちの
 一人が私物として所有していた。そこは、
 ニコリッチ商会の、数万年前の頭首の遺品が
 運び込まれていた、という話だ。
 
 その遺品とは、家具類などとともに、反出生
 主義という思想に関連した書籍が多数あった
 という。ヤースケライネン教国の反発展主義
 は、その反出生主義の思想に大きく影響を
 受けている、というのが一般的な解釈だ。
 
 つまり、イゾルデ王国が中立を保っていられる
 理由も、ヤースケライネン教国にとって、支え
 となる思想が生まれた聖地に近い扱い、という
 ことなのかもしれない。
 
 また、外交の面でも、そういった国の起源に
 関連した思想を、文化保存の意味で協力して
 やっていこう、といった内容で文化面の協力も
 合意もしていた。
 
  最近になって、イゾルデ王国内の富豪から、
 その洋館の賃借の申し出があったのだ。
 将来的に、文化保存の意味での洋館の移転、
 あるいは逆に、周辺環境の整備、などを見越し
 ているとのことだが、
 
 その富豪の、経営している主力会社の取引先が
 ヤースケライネン教国と関係が深い。教国の
 思惑が絡んでいるとみて間違いない。
 
 そこから、ニコリッチ商会の戦略企画部では、
 教国の重要人物の訪問を予測したのだ。
 
  ところで、そのニコリッチ商会、現在は
 どういった考え方を持っているのだろうか。
 現在は女性頭首、イルメリ・ニコリッチが
 トップに就いている。
 
 40代前半という比較的若い頭首であるが、
 実際のところ、心情的に反出生主義にも、反
 発展主義にも一切賛同できない。
 
 かつては反出生主義を信奉する頭首もいたかも
 しれないが、もう数万年も前の話である。
 だが、状況的に、反出生主義寄りと見せたほう
 が良さそうなので、そうしている。
 
 秘密裏にラスター共和国とも関連企業を通して
 連絡はとっている。
 
  第2種戦闘配備による移動でオップダール
 という集落に到着する。ここまでは特に問題
 なし。現場隊は建設業者の、本部は旅行者の
 いで立ちだ。
 
 民家は、もともと民宿に使用されていたとの
 ことで、12名でも広さは充分。商会の
 人間がすでに掃除も済ませていた。
 
 ここでの滞在期間は、廃砦に盗賊集団が、
 あるいは洋館に重要人物らしき者がいつ入るか
 に依存する。それまでは、商会の補給がある。
 玄想旅団が出発したあとは、商会の担当者が
 入り、補給拠点となる。
 
 この集落の農家からも、食料を買うことは
 可能だ。ホビット族の双子、イズミ・ヒノと
 ナズミ・ヒノは、こういうときに活躍する。
 
 実際そうなのだろうが、田舎から来た人間
 を好演するのだ。近所の人たちに、すぐ
 信用してもらえる。
 
 現場隊の中では人相のいいシャマーラ・
 トルベツコイも出て行って、食料調達に働く。
 他の5人は、とにかくニコニコしていろと
 言われている。
 
 この集落は、出稼ぎに行ってしまったのか、
 男性の姿がほとんど見えない。そこへ、
 こんな体格の男が5人もいると、それは
 あまり歓迎されるものではないだろう。
 

分身の術

  盗賊集団岩狼旅団の動きがあった。
 すでに5名ほどが、廃砦に入っていたが、
 本体側も動きそうなのだ。
 
 おそらく二日ほどで、岩狼旅団本体が廃砦
 に入る。なので、我々も翌朝出発する。
 初日は特に問題無かったが、二日目は雨だ。
 
 いつも思うのだが、どれだけ対人や対怪物
 相手の戦闘が得意でも、旅が苦手であれば
 冒険者にはならないほうがいい。
 
 おそらく軍隊も同じだ。旅が苦手なら、
 町の守備隊などにしておいたほうがよい。
 移動も、冒険者の戦闘でも、軍隊の戦場
 でも、足が止まれば終わりだ。
 
 馬車などの乗り物による移動が、奇襲に
 弱いということもあるが、足腰を鍛える
 意味もある。徒歩での移動は、いろいろと
 いいことずくめなのだ。
 
 といったことを頭でわかっていても、
 実際に徒歩で移動している間はやはり辛い。
 一日でだいたい8時間ほど歩くが、ただ
 歩いているだけではそれほどでもない。
 
 ひとつの理由は、間違いなく荷物だ。
 旅団の駄載獣である二頭のヤクは、最大
 200キロの荷物を担ぐ。今回は日程も
 あるので、最大積載量だ。
 
 それに加えて、個々の荷物が、体格や体力に
 合わせて、20キロから40キロとなる。
 ふだんであれば、全員が担ぐのだが、今回は
 例外が多い。
 
 まずホビット族の双子。周囲を警戒するため
 に、最低限の荷物で、散開している。
 そして、アンデット族のパリザダ・
 ルルーシュ。
 
 今回は、補給士のガンソク・ソンウの馬の
 上で、探査ドローンのシキガミを操作して
 周囲をモニターしている。
 
 
 「ここを、キャンプ地とする!」
 到着して、オリガ・ダンが、宣言する。
 
 三日目の夕方ごろに、宿営地は、街道から
 見えない位置、洋館を見下ろせる丘の近く。
 湧き水が利用できる場所。
 
 ニコリッチ商会の事前調査で、宿営でき
 そうな場所が数か所見つかっていた。
 宿営できる場所の条件は色々あるが、特に
 重要なのは、水だ。
 
 基本的に飲料水は持ち込む。問題は、生活に
 使用する水だ。一週間や二週間、そういった
 ものを我慢する、風呂も入らない、という
 旅団もある。
 
 しかし、玄想旅団は、ミッション当日の
 モチベーションや集中力を重視する。そこに
 到達するまでの部分で、なるべく快適さを
 追求する。そして、結果を出す。
 
 ミッションを成功させたい、とうよりも、
 負傷や命を落とすことを避けたい。それに
 よる評判の低下を避けたい。
 
 どれだけ難易度の高いミッションをこなして
 いても、旅団員が毎年何人も亡くなる、その
 ような状況は目ざしてはいないのだ。
 
 安全第一、という言い方があるが、おそらく、
 冒険時の安全基準でいうと、並みの企業、
 ニコリッチ商会も含め、玄想旅団のほうが
 勝っているぐらいだ。
 
  宿営地に着いたら、まずは情報収集だ。
 まだ決行日が決まっていないが、当日の動き
 も打ち合わせていく。
 
 すでに入ってきている情報もある。まず、
 イゾルデ王国の正規軍400名が、廃砦に
 向かっている。軍事演習の名目だ。
 
 ここから一番近い集落、オップダールの初老
 の男性一名が、料理人として洋館に雇われた
 との情報も入っている。
 
 洋館には、護衛と見られる人間の兵士が、
 少なくとも6名、種族は、ドワーフ族と
 ジャイアント族。人間族の狙撃手が1名、
 軍事用アンドロイド一体。
 
 そして、護衛用のスケルトン兵士を入れた
 木箱が、かなりの数運び込まれたようだ。
 
 イゾルデ王国正規軍が、廃砦を包囲する三日
 後の明け方に、我々も行動を開始する。
 パリザダ・ルルーシュの探査ドローン、シキ
 ガミによる洋館周囲の探索も継続されていた。
 
 ガンソク・ソンウも、毎日補給を行う。
 ニコリッチ商会の補給担当は、オップダール
 から20キロの位置に補給ポイントを
 作っていた。
 
 
  それは、決行の日の二日前の、まだ暗い
 明け方前、オップダール方面へ向かう街道を、
 洋館から出た一頭の馬、ひとりの男性が乗る。
 
 その数百メートル先を、一人の若い女性の
 旅行者が歩いていた。洋館の近くである、
 男性は馬から降り、呼び止めて誰何しようと
 した。
 
「待て、ここで何をしている」
 
 しかし、女性は立ち止まらない。よく見ると
 ヘッドフォンをして、何か聞いているようだ。
 走り寄って、肩を触ろうとする。
 
「待て、止まれ」
 不意に真後ろから女性の声、そして、首の
 後ろあたりに何か当たる感触。
 
「振り返るな、声を出すな」
「このナイフには途中から即効性の毒が塗って
 ある。余計なことは考えるな」
 ひどく抑揚のない女性の声が、そう告げる。
 
「前の女に持っている武器を全て渡せ」
 言われたとおりにする。
 
「街道を2キロ先にいった場所にいる者の
 指示に従え、そこまでは歩いて行け」
 気づくと、話していたのは前にいる女性だ。
 男は少し混乱する。
 
「お前の家族の安全は確保した。余計なことは
 考えず、振り返らずにただ歩け」
 歩き出す。前にいた旅行者風の女性は、おそ
 らく男の乗ってきた馬を回収しにいった
 のだろう。後ろに消える。
 
 歩き出したが、後ろからさっきの女性が
 ついてきているのかわからない。足音が
 しない。思わず振り返ろうとすると、
 
「振り返るな、考えるな、歩け」
 
 足音を立てないことが男にはわかった。
 言われたとおり、2キロ先まで歩くことに
 する。後ろの女性の姿はわからないが、
 
 さきほどの前にいた女性の、まったく
 感情の無い目、顔。なんの躊躇もないタイプ
 の人間たちであることは間違いなかった。
 

折りたたまれて

  決行日前日の夜は、早めに休む。
 日中に打ち合わせは全て済ませた。明日の
 早朝、明け方前に出発だ。相手の寝こみを
 襲う。
 
 相手側の援軍なども見越して、明日中には
 決着を着ける。夕方には洋館に馬車が一台
 入ったようだ。乗員までは確認できなかった
 らしいが、5名ほど増援となっているはずだ。
 
  そして当日、あまりロクに眠れていないが、
 緊張感でぜんぜん眠くない。外は小雨だ。
 鎧の下に保温下着を着る。濡れても体温を
 下げず、すぐ乾くやつだ。
 
 まず現地主力の6人が出発、そして本部が
 出発。ガンソク・ソンウは朝から馬で
 補給ポイントを往復して戻ってくる。
 追加の装備を受け取るためだ。
 
 我々は、そのまま洋館の正面門へ向かう。
 本部は我々から500メートルの街道沿い。
 ほぼいっしょに戦う構えだ。本部は、
 廃砦からの増援を警戒する位置。
 
 同じ時間帯でイゾルデ王国正規軍が包囲を
 開始するので、増援はゼロであることを期待
 するが。
 
 アンデット族の狙撃士、イスハーク・サレハが
 持ち場へ向かう。我々から少し距離と角度を
 とって、狙撃を行うのだ。
 
 人間族のセイジェン・ガンホンが、本部と
 洋館を結ぶ線の中間あたりに立つ。そして、
 4人となった我々は、ジャイアント族の
 アントン・カントールを先頭に、洋館へ
 近づく。
 
  洋館をぐるりと囲む外壁、そして門。
 門は開いている。その中に、4本の腕を
 組んで座すアンドロイド、ヴェータラ。
 軍事用のものだ。
 
 接近者を探知して、起動しだす。同時に、
 ワラワラと出てくるスケルトン兵士。
 門の外で迎え撃つ構えだ。
 
 ヴェータラは、立ち上がると4メートルほども
 あるだろうか。4本の手にそれぞれ巨大な刃物
 を持っている。玄想旅団の前衛3人が持って
 いる盾では、耐えきれないかもしれない。
 
 スケルトン兵士が先に門外へ出てきて、退去
 せよ、退去せよ、とカタカタ警告する。
 退去しないのを確認し、強制退去させる
 行動へ移る。つまり、武器で切りかかる。
 
 そこへ、ダンっ!と音がして、スケルトン兵士
 が横へ吹き飛ぶ。もう一体、そしてまた一体。
 6体ほど吹き飛ばして、いったん狙撃が止む。
 
 ヴェータラが門外へ出てきた。
 
  ヴェータラの剣の直撃をギリギリ躱せる
 位置で、アントン・カントール、ドワーフ族の
 スヴェン・スペイデル、そしておれ、ベルン
 ハード・ハネルが牽制する。
 
 盾で受け損なうと致命傷だ。なので基本は
 避ける。それを、スケルトン兵士も気にしな
 がらだ。忙しい。
 
 ヴェータラは、おそらくこちらが距離をとる
 闘い方をするのを認識すると、モードを変えて
 くる。おそらく飛び掛かってくる、その前に、
 なんとかして攻撃力を削いでおかないと、攻撃
 をくらうことになる。
 
 エルフ族の、シャマーラ・トルベツコイが
 背負ってきた荷物。それを、ゴトっと地面に
 置く。それ以外にも、腰回りに様々な魔法
 デバイスを吊り下げている。
 
 起動音がして、その地面に置いた荷物が、
 パラパラと展開していく。折り畳み戦闘用
 アンドロイド、ダラムルムだ。薄っぺらい
 人型で立ち上がり、歩き出す。
 
  イスハーク・サレハは、囲まれていること
 に気づいた。おそらく、前に一人、後ろに
 二人。前の一人を短銃を抜く構えで
 牽制するが、おそらくシールドを展開済み、
 すぐ仕掛けて来るだろう。
 
 うしろから仕掛けて来る空気を察知して、
 一気に体を落として地面に這いつくばる。
 同時に、後ろから襲い掛かろうとした
 二人のさらに後ろから飛び道具が、
 ほとんど連続で五つずつ。
 
 損害は少ないが、刃に塗られた神経性の
 麻酔剤により、徐々に動けなくなる。
 数秒後、前にいた一人にも、もれなく
 飛び道具が突き刺さる。
 
 暗がりから、イズミ・ヒノとナズミ・ヒノが
 現れた。オリガ・ダンが、イスハーク・ベイト
 と名付けた戦術だ。狙撃しつつ、囮になる。
 
 倒れた3人を止血し、拘束帯で固定する。
 今日中に追加の手当てすれば命に別状はない。
 
  折り畳み戦闘用アンドロイドは、アントン
 ・カントールのすぐ後ろにいる。太陽系から
 設計図を手に入れて惑星セト上で製造された
 ものだ。
 
 ヴェータラのもつデータベース内にはこの
 機種の情報はないだろう。対応に困って
 いるかどうかは、その表情からはわからない。
 
 イスハーク・サレハからの狙撃が再開し、
 スケルトン兵士が次々と倒されていく。ころ
 あいを見て、ヴェータラの剣の攻撃を
 かいくぐって足元へ転がり込み、棍棒で
 太もものあたりに打撃を入れる。
 
 多少入ったが、蹴りと斬撃が来る。蹴りが
 胸部をかすり、斬撃が腕を掠ったらしい。
 シャマーラのところへそのまま転がっていく。
 
  後方では、本部周りで動きがあった。
 アンデット族の霊能士、パリザダ・ルルーシュ
 の使用する、探査ドローン、シキガミが、
 廃砦方面から来る馬影を捉えた。
 
 廃砦から抜けた五騎が向かっている。
 
 急いでセイジェン・ガンホンが呼ばれ、
 迎え討つ体制が作られる。オリガ・ダンが
 対騎馬用の槍を構え、その後ろにエンジニア
 のヨミー・セカンドがグレネードランチャー
 らしきものを構える。
 
 パリザダは街道横の木に隠れ、もっと
 手前のほうで剛弓をもつのはセイジェンだ。
 射程内に入ったところで、街道に出て、
 騎馬が向かってくる正面に立つ。
 
 まず一射。一人落馬。そのままもう一射。
 もう一人落馬。そして転がって、騎馬の
 突撃をかわす。
 
 起きざまに後ろからもう一射。さらに
 ひとり落馬。
 
 オリガ・ダンの前に二騎が到達するが、
 対騎馬槍を見て突っ込めない、そこへ、
 黒っぽいひらひらしたものが大量に
 舞い寄ってくる。
 

胸の痛み

  エンジニアのヨミー・セカンドが、
 グレネードランチャーらしき武器を撃つ。
 岩狼旅団の騎馬の二人に、網がかかり、
 その直後に網に通電される。
 
 馬がいななき、暴れる。そこへ、アンデット族
 のパリザダ・ルルーシュが、催眠の呪文を
 決める。呼吸を数秒我慢すればよいのだが、
 動転して呪文自体に気づかない。
 
 廃砦方面からの襲撃は、これでいったん
 収まったかたちだ。盗賊と馬を確保する。
 
 セイジェン・ガンホンが、洋館の援護に走る。
 
  せき込みながらエルフ族のシャマーラ・
 トルベツコイの前に転がり出たおれは、
 ジェスチャーで胸と腕をやられたことを
 伝える。
 
 回り込んでくるスケルトン兵士に火球の呪文
 で追い払っていたシャマーラは、確認の
 ためにしゃがみ込む。そのうえをスケルトン
 兵士の剣が通りすぎるが、すぐドワーフ族の
 スヴェン・スペイデルが飛んできて木槌で
 吹っ飛ばす。
 
 おれの装備を開けて、胸の部分を確認して
 手を当てる。シャマーラは、この回復法の
 使い手だ。原理的には浸透勁に似ているが、
 こちらは破壊でなく治癒だ。
 
 一瞬で楽になったおれは、腕のほうを見せる。
 掠っただけで切れてもいない。問題ないことを
 確認すると、おれを立たせ、前に蹴り出す。
 すぐさま次の呪文の詠唱に入る。
 
  おれがシャマーラの元に転がる直前、
 おれの命がけの牽制に合わせて、スヴェンも
 逆側から飛び込んで木槌の打撃と雷撃を
 決めて、そしてうまく離脱していた。
 
 それにじゃっかんの隙を認めたのは、
 折り畳み戦闘用アンドロイドのダラムルムだ。
 ジャイアント族のアントン・カントールの
 背後から、背中を利用して飛び上がる。
 
 そして、ヴェータラの顔に、巻き付いた。
 ヴェータラは、三つある顔のどれもが
 ウオーンと雄叫びをあげる。
 
 チャージ音がして、閃光と轟音がとどろく。
 が、ヴェータラの周囲に被害はない。かわり
 に、ヴェータラの頭部が吹き飛んでいた。
 
 口から放射砲を放つ瞬間に、ダラムルムが
 力場シールドを使った。その反動で、三つの
 顔が吹き飛んだようだ。ヴェータラの飛び道具
 がこれで無くなる。
 
  戦闘が開始されてから、まだ10分も経って
 いないが、ようやく相手側のドワーフ族と
 ジャイアント族の兵士が出てきた。
 
 それぞれ3名づつ、そのなかにその隊の指揮官
 らしき者もいるが、どうやら混乱している
 ようだ。
 
 その混乱の原因はおそらく、廃砦からの応援が
 来ないこと、暗殺担当のアサシン3名が、
 戻ってこないこと、ヴェータラの頭部が破壊
 され、スケルトン兵士もほとんど破壊され
 て骨が転がっていること、
 
 この洋館所属の狙撃士が、二日前から姿を
 見せておらず、連絡も取れないこと、
 洋館の主と言える人物が、部屋の鍵を閉めて
 出てこないこと。
 
 ヴェータラは頭部を破壊され、肩部分の
 サブカメラの瞳が作動して開き、あたりを
 見回していた。
 
 洋館の6名の兵士は、ヴェータラに全てを
 任すことに決めたようだ。玄関から戻り、
 扉を閉めてしまった。スケルトン兵士が
 狙撃されているのも確認したのだろう。
 
  このあと、サムライのセイジェン・ガンホン
 や他の本部のメンバーも加わり、とりあえず
 スケルトン兵士は倒したが、ヴェータラの
 頭を吹き飛ばしたとはいえ、まだ手ごわい。
 
 魔法士と回復士を兼ねるエルフ族のシャマーラ
 ・トルベツコイは、間断なく炎と冷却と
 雷撃の呪文をヴェータラへ放ちながら、
 前衛の誰かが転がってきたら確認して治癒を
 行う。
 
 狙撃士のイスハーク・サレハは、酸による
 腐食弾に切り替え、前衛の3人が距離をとった
 タイミングで打ち込む。
 
 温度変化と通電、腐食により、装甲と内部
 機能の摩耗を狙っていた。たいていこれには、
 時間がかかる。
 
 風雨が強くなり、雷も鳴り始めた。ヨミー・
 セカンドが、本物の雷撃の利用をオリガ・ダン
 団長に進言する。そして、そのための準備を
 行う。
 
  ヴェータラは、門付近から離れず、あまり
 突っ込んでくる様子はなくなった。
 おそらく、サムライの持っている武器が、
 斬鋼刀であることに気づいたのだろう。
 
 不用意に誰かに飛び掛かり、止めを狙った
 ところで、そこで動きが止まり、斬鋼刀の
 餌食となる。蓄積ダメージの計算からも、
 もうあまりそういう斬撃を受けられる
 余裕はなかった。
 
 こういう時の攻撃優先順位のセオリーがある。
 治癒士またはダメージ源を先に落とさないと
 いけない。玄想旅団は両方シャマーラなので、
 前衛中央のアントンと、シャマーラ本人の
 立ち回りはとても繊細だ。
 
 魔法を放ち続けながら、距離感を間違わない。
 この攻防が、一時間続いた。待っているのは、
 雷雲だ。ガンソク・ソンウの魔法デバイスの
 補給も届いた。
 
  そして、タイミングがきた。ヨミー・
 セカンドの観測デバイスから、雷雲の位置と
 チャージ状況が見て取れた。
 
 合図を送る。前衛陣は、いったん攻勢に出て、
 そして引く。出来るだけ転がり離れて、
 盾を構える。装備自体の絶縁は問題ない。
 
 落雷の呪文を準備するシャマーラ、上空に
 特殊な誘雷ドローンが飛んでいく。
 ヨミーが、再びランチャーを構え、撃つ。
 
 網を武器で取り除こうともがくヴェータラ
 を除いて、その場の全員が落雷に備える。
 

轟音と、轟音

  落雷の呪文は、来ると思う瞬間がいつも
 数秒ずれる。だから、心臓に悪い。
 
 轟音とともに雷に撃たれたヴェータラは、
 それでもまだ戦闘を継続していた。ただ、
 腕のひとつが武器を握れなくなったらしい。
 
 それを見て、残りの腕まわりを執拗に攻め
 たてる。摩耗戦法は、どこか弱い部分が
 露呈する。経年劣化と同じ故障モードが
 出るのだ。
 
 アントン・カントールのサスマタの一撃で
 またひとつ武器を落とす。隙が増えたので、
 今度は足を狙う。浸透打を足首の裏、
 アキレス健あたりに決める。
 
 二足歩行のアンドロイドは、軍事用でも
 バランスが重要なため、足首まわりをそれ
 ほど重装甲に出来ないという技術的
 悩みがある。
 
 なので、多脚型の人気もあるわけだが、
 人型は人の動作をキャプチャで簡単にとり
 こめるので、器用に作るには人型の
 ほうが適していた。
 
 頃合いだ、サムライのセイジェン・ガンホン
 に目くばせする。同時におれは相手の真後ろ
 へ回る。洋館から飛び道具で攻撃されると
 厳しいが。
 
 「タァーっ!」
 セイジェンが、気合とともにヴェータラの
 足元あたりを一閃する。ピーンという高い
 金属音、足首を切り落としたわけではないが、
 おそらく駆動系をやった。
 
 ヴェータラは右足を踏み出せなくなっている。
 セイジェンはすぐ離脱したが、おれは
 もう一回同じ足を狙う。
 
 おれと目が合ったスヴェンが少し無理気味に
 盾で突撃する。ヴェータラは2本の左手の剣
 で跳ね返すが、さきほどまでの威力がない。
 
 スヴェンはそのままシャマーラのところまで
 転がっていくが、確認後に問題なしとして
 追い返される。この念のため確認は一応
 必要だ。
 
 こういう修羅場では、自分の大きなケガに
 気づかない時さえあるからだ。
 
  スヴェンを跳ね返しているヴェータラに
 大きな隙を見つけたおれは、盾を背中に
 まわし、特製棍棒を両手で持ち、引き付ける。
 自分の右足も一瞬持ち上げて引き付けて、
 力を溜める。
 
 そして、右足を踏み出して強く踏ん張りつつ、
 棍棒を素早く振り下ろす。ドッと鈍い音が
 する。直後にすぐガードして、ヴェータラの
 腕が飛んでくるが、これがそいつのミス
 だった。
 
 自身の腕の振りに、自身の右足が耐えら
 れず、転倒する。すかさずセイジェンが
 反対側の足も一閃し、近くまで来ていた
 イスハーク・サレハが、近接でヴェータラの
 サブカメラの瞳をふたつとも撃ち抜いた。
 
  その瞬間、洋館の建物の上階のほうで、
 ドーンっ! と大きな音がした。おそらく
 裏手でなにかあったようだが、こちら
 からはよくわからない。
 
 視界を失ったヴェータラは、動きを止めて
 いる。おそらく視界を失ったら停止する
 というモードにしてあるのだろう。
 
 ヨミー・セカンドが来て、皆で強力な拘束帯
 を使い、 ヴェータラを固めていく。途中で
 動き出さないか少し心配だ。
 
  玄関が開いて、6人の兵士の指揮官らしき
 男が出てくる。降参の意思を示している。
 情報収集のため、簡易の尋問を行う。
 
 ヤースケライネン教国のある企業付きの私兵
 らしいが、詳細は安全が確保されるまで
 話せないという。廃砦の正規軍に引き渡す
 ことにした。
 
 軍が来るまで、私兵6名をいったん拘束し、
 館の中を調べる。たしかにコンテストの
 デモを行った洋館と似ていた。細部まで
 あまり憶えてはいないが。
 
 洋館の探索は、まずエンジニアのヨミー・
 セカンドが探索デバイスを用いて行い、
 その後皆で実際に見て回る。
 
 聞き取りにより、先ほど大きな音が発生した
 のは、2階の一番奥の部屋のようだ。まず
 手前の書斎には、大きな書斎机と本棚。壁に、
 イゾルデ・ニコリッチと書かれた若い女性の
 絵。ニコリッチ商会と関連のある人物か。
 
 隣の書庫は、ちゃんとした書庫だった。
 本にはタイトルもあれば中に紙と印刷
 された内容がある。特に変わった
 ところはなし。
 
 奥の部屋は、鍵が掛かっていた。私兵の
 指揮官も持っていない。開錠用のデバイスを
 使用するか検討したが、どうも入る方法が
 見つかったようだ。
 
 館の裏側の壁に、大きな穴が開いていた。
 そこからクノイチのうちの一人が入って、
 中から鍵を開ける。クノイチの双子は、実を
 言うとおれには見分けがつかない。
  
  その奥の部屋の壁は、綺麗に長方形に
 吹き飛ばされていた。そして、裏山の木々が
 一部なぎ倒されている。
 
 強力な呪文を、シールドを張りながら使用
 したらしい。私兵の指揮官は、この部屋に
 人物がいたことまでは話した。
 
 その人物がどうなったかはわからない。その
 ため、何人か出して周辺を探索する。ここ
 から逃げた可能性がある。
 
 なんとなくミステリーじみてきたので、
 少し疲れてはいたが探偵の真似事を始める。
 何か変わったところはないか。
 
 と、部屋の隅の椅子の上に、一冊の本を
 見つける。読みかけなのか、しおりが
 挟んである。
 
 本のタイトルは、遺伝子分布論概論と書いて
 ある。その椅子に座って、しおりのところを
 開いてみる。
 
 何やら難しそうなことがいろいろと書いて
 ありそうだが、手描きの線が書かれた箇所に
 目がいく。
 
 反出生主義者は、強力な人類の敵であり、
 その程度が深いほど、人類を強く鍛えて
 くれるため、充分に保護されなければ
 ならない、
 
 などといったことが書かれているようだ。
 とりあえず、うーむ、と唸ってみる。
 ここの使用者は、反出生主義者またはその
 進化系と見られる反発展主義者の保護を
 訴えようとしていたのだろうか。
 
 再び、うーむ、と唸っていると、入ってきた
 シャマーラ・トルベツコイが咳払いをする。
 立ち上がって、本を元あった通りに戻す。
 
 いったん警察に引き渡すしかないだろう。
 

法的措置

  今回のミッションの依頼主は、政府だ。
 ミッション後の確認に警察関係者が来る
 予定なので、しばらく洋館周辺に逗留する。
 
 ミッション前に聞いていた話も含めて少し
 解説しよう。みな宿営地に戻り、テントを
 張りなおして、夕食の時間だ。一缶だけだが
 麦酒も支給された。ミッション後のこの
 時間はなんというか非常に気楽だ。
 
 今回の重要人物というのは、ヤースケライネン
 教国の教皇、ではないが、その教育係を務める
 立場の人間だったらしい。
 
 表立って国をまとめていく教皇に対し、その
 教育係は、教皇が政策を決めていくうえでの
 思想的裏付けを担っていた、まあ簡単に
 いうと裏で全てを動かしていた人物のひとり。
 
 その人間が、イゾルデ王国内の、反出生主義
 の聖地で資料を得ようとしていた。それも、
 不法入国のかたちで。
 
 ラスター共和国からの強い要望もあり、その
 者を保護しよう、ということになった。
 軍などが大掛かりに動くと逃亡されるおそれ
 もあるため、冒険者旅団が利用されたのだ。
 
 その反出生主義の資料がそこに集中している
 という状況をオンラインで流していたのも、
 ラスター共和国からのアイデアらしい。
 教皇の教育係はそこでまんまと引っかかった
 わけだ。
 
 結局洋館周辺の探索で誰も見つからなかった。
 今後もこの件に関するミッションが出るかも
 しれない。
 
 
  惑星セトはなぜこのように冒険者たちが
 活躍する土地になってしまったのか。
 
 惑星セトは、半獣半人座星系の中で、太陽系側
 から見て最も遠い位置にある恒星付近にある。
 人類が移動都市で半獣半人座星系に到着し、
 そこから徐々に新たな構造都市を建設する
 力をつけて、宙域を広げていく。
 
 移動都市が到着するまでの間の移動速度は、
 宇宙船などと比較すると遅い。ある程度
 移動都市が半獣半人座星系に接近した段階で、
 多くの宇宙船が先を争って飛び出していった。
 
 そのうちのひとつが、惑星セトに到達して、
 独自に居住可能化を施した。もともと惑星
 セトは人類が居住できる状態にかなり
 近かったこともあり、早い段階で惑星に
 移住できた。
 
 その人たちが、様々なアンドロイドを持ち込ん
 だり、生物実験の結果を野放しにしたり、塔や
 洞窟を造ったりして、町周辺以外は危険な
 機械や生物がうろつく状態となった。
 
 大雑把にはそのように推測されている。
 
  翌日、面白い展開があった。
 宿営地で、パリザダ・ルルーシュのシキガミ
 が、10人の冒険者の接近を告げていた。
 おそらく洋館の増援だ。
 
 降伏した私兵6名の暗殺を狙っている可能性
 もあるので、その6名を隠したうえで、
 一計を案じる。洋館付きの料理人に言い
 含めた。
 
 料理人以外は増援が来るまでいったん廃砦に
 避難していることにする。料理人は近くの
 集落出身の出なので、戦力と見られておらず、
 最悪留守番中に何かあっても問題ない。
 
 そこで睡眠薬入りの食事を出してもらう。
 少し酒も出す。シャマーラ・トルベツコイ
 にも料理人として加わってもらい、給仕
 しながら情報を聞き出す。
 
 その10人の到着は昼過ぎの中途半端な時間
 であったが、昼食もまともにとっていなかった
 ようで、すぐ食事となった。
 
 そして、簡単に引っかかる。すぐ寝込んで
 しまったので、あまり情報を聞き出せなかった
 ようだが、ある求人で集まって洋館を護衛する
 ために来たようだ。スケジュールが急に前
 倒しになって急いで到着したらしい。
 
 彼らが寝て拘束されたあたりで、警察関係者が
 到着する。その冒険者10名を、少し気の毒な
 気がしたが、引き渡した。
 
 まず、冒険者法第3条の個人冒険者の届け出が
 済んでいないものが数名いることがわかった。
 そして、冒険者法第64条第3項の、旅団と
 しての届け出も済んでいなかったらしい。
 
 どちらもオンラインや電話ですぐできる。
 個人届け出が済んでいない者のうち、数名が
 軽い前科があった。
 
 そして、個人届出が済んでいる者の中にも、
 過去に冒険者として違反行為を行っていた
 者がいた。あまり質のよくない冒険者集団
 だったようだ。
 
 全員男性で、シャマーラ・トルベツコイに
 セクシュアルハラスメントを行おうとした
 数名が、裏に連れていかれて睡眠薬が
 効いてくる前に眠ることになったという
 話もあとで聞いた。
 
 魔法は使わずに眠らせたとか。
 
  今回のミッションは、全て特殊なドローンに
 よって撮影され、ニコリッチ商会で動画編集され
 て配信される。我々は、ミッションによる
 報酬の金額もさることながら、この動画配信に
 よる収入が大きい。
 
 それは、遠く太陽系やその中間都市にまで
 数年かけて届く。編集がうまいのか、そういう
 体験があまりできない環境なのか、けっこう
 な人気があった。
 
 玄想旅団の個々の重要な技術の部分は、うまく
 編集で隠されている。あと、映像技術だ。
 例えば、前衛3人が使う強化されたとはいえ
 木製の武器は、全て金属性に修正される。
 
 浸透打を打つ瞬間は、うまく誤魔化されて、
 打ち方が動画を見る人には詳しくわからない
 ようになっている。まあ、見たところで、
 そもそも浸透勁さえふつうは打てないので
 真似は出来ないと思うのだが。
 
 そのほかにも、それぞれのキャラクターが
 かなり脚色されている。例えば、双子の
 クノイチなどは、映像上では化粧もして
 非常に愛想のよいかわいい二人になっている。
 
 ミッション中に別で動画を撮ったりしており、
 状況を説明したり、冒険者不思議発見という
 クイズ番組と連携して、クイズを出すシーンを
 撮ったりしている。
 
 したがって、たまにだが、大きく勘違いした
 入団希望者というのもやってくる。他の
 旅団の面接をひとつでも受けていればそういう
 勘違いは無くなるのだが。
 

動く煉瓦

  オップダール集落周辺のミッションを
 終えて、いったん旅団の本拠地へ帰る。
 イゾルデ王国の首都、セーデルハムンが
 玄想旅団の本拠地だ。
 
 数日の休暇と準備ののち、すぐに旅立つ。
 玄想旅団は、シーズンオフを設定し、
 本格的な休暇はそこで集中して取る。
 
 イゾルデ王国内、最北の町のひとつ、
 レクスビクまで、第3戦闘配備、ニコリッチ
 商会の馬車で移動だ。ミッションエリアは、
 そこから4日の位置で遠いが、今回は
 レクスビクに商会の支店がある。
 
 今回のように、安全なエリアが続く場合、
 馬車などの乗り物で移動可能だ。たいてい、
 ニコリッチ商会の支店がある場所へは、
 馬車でも移動できる。まれに支店がある
 けれども途中で危険なエリアもある。
 
 そういう場合も、最短距離は危険だが、
 回り込めば馬車も使える。支店への輸送
 は迂回して行われる。
 
  旅を始めて3日目、ナムソスという町を
 通過しようとした時だ。街道は町はずれに
 あるが、町の中心部のほうで、なにやら
 悲鳴と地鳴りのようなものが聞こえる。
 
 いったん馬車を停めて状況を確認する。
 今回は大型の馬車3台に分譲、最後の
 一台にはヤク2頭と馬が載っている。
 
 町の中心部へ行ってみると、ゴーレムと
 呼ばれる、体長5メートルほどの、レンガ
 様の装甲を持ったアンドロイドだ。
 
 町の町長らしき人物がいたので、すぐ
 対応を聞いてみる。ぜひやってくれとの
 ことなので、我々が前面に立つ。
 
 町で一番大きくて高い建物である町の
 庁舎を攻撃していた。それに対し、挑発
 を行う。同時に、サムライのセイジェン・
 ガンホンと、ホビット族のガンソク・
 ソンウが、庁舎の高い位置に上る。
 
 このゴーレムは、わかりやすい弱点がある。
 頭部に、コントロール装置がむき出しで
 付いており、これを外せばよい。
 
 セイジェンとガンソクが高所で何か譲り合い
 をしているように見えたが、ガンソクが
 行くらしい。ちょうどゴーレムが背を向け
 たので、腰部あたり目掛けて飛ぶ。
 
 無事に飛び移り、頭部までよじ登って、短剣
 を抜き、むき出しの装置のわきに短剣を突き
 立てる。何度かやると、装置が取れて落下し、
 数秒かけてゴーレムの動きが停止した。
 
  実はこのゴーレム、玄想旅団でも過去に
 何度か処理している。こんなものがなぜ
 こういった町中に出てくるのか。
 
 惑星セトは、3割の面積を占めるひとつの
 超大陸と、7割の面積を占める海で構成
 される。陸地表面の、どこを掘っても、
 遺跡が出てくるのだ。
 
 そして、それらの遺跡は、イゾルデ王国の
 ものではないという。王国が出来る前、
 惑星の居住可能化が始まる前に、一度
 全惑星規模で文明が起こり、そして滅んだ
 というのだ。
 
 遥かな昔、町を守るために作られた巨人。
 
 そして、それを証明する人骨の化石も
 見つかっている。しかし、もしそうだと
 した場合、移動都市を使用せず、宇宙船で
 少なくとも何千年かかけて航行したことに
 なるのだ。
 
 宇宙船による長期間、つまり何百年や
 何千年の航行というのは、昔も今も非常に
 難しいとされている。科学的、理論的には
 可能であったとしても、精神がもたない
 のだ。
 
 ただし、人類の中に、そういったことに適した
 遺伝子を持った者がいる可能性はゼロでは
 ない。ただ、試して確認するのが大変な
 だけだ。
 
  ガンソク・ソンウの活躍でゴーレムを
 片づけた我々は、無報酬でその町を去る。
 まあ、しっかり動画は撮影されているので、
 ネタをもらっただけでもう充分だ。一部
 損壊した建物の修理も必要だろうし。
 
 その町からさらに二日行ったところに、
 拠点となるレクスビクの町がある。古い
 趣きの街並みだ。寒冷地特有の風景。
 
 と言っても、町中はまだ初秋ということも
 あり、積雪などはない。ここから四日かけて
 いく行程の、丁度半ばあたりから、標高が
 高くなり、すでに積雪がある。
 
 レクスビクに夕方ごろ到着すると、そこの
 民宿に泊まる。ゆっくり休んで、翌朝出発だ。
 ここからは、第2戦闘配備で徒歩となる。
 
 目的地は、雪原の塔だ。町から四日の距離で、
 塔の攻略自体も三日ほどかかる見込みなので、
 ニコリッチ商会正社員の冒険者6名の旅団が、
 途中まで随行する。
 
 追加のヤク2頭を連れて、塔のある場所まで
 サポートしてくれるので、そこで補給満タンの
 状態でスタートする。つまりそこから8日ほど
 活動できる。寒冷地装備なので、普段よりも
 活動可能期間が少し短い。
 
  一行は、500メートルほどの距離を
 取りながら、三隊に分かれて進む。一日分
 進んだあたりから、だいぶ気温が下がって
 くるが、既に寒冷地装備なのでまったく
 問題ない。
 
 レクスビクの町は、まだ緑も多く、周囲に林
 もあるが、町から離れて北へ進むにつれて、
 景色はどんどん変わっていく。
 
 初日に草原地帯だったのが、二日目は荒れ地、
 そして、積雪が見え始める山の麓からは
 また高い木々。そこから少しづつ標高が
 上がっていく。
 
 3000メートル級の山脈がそびえ立つが、
 その山頂ではなく、少し迂回ぎみに標高
 2000メートルほどの峠を越える。塔は、
 峠を超えて少し下った先にある。
 
 街道から脇に逸れると、それなりに危険な
 地帯、生物に行き当たるだろう。少し
 偉そうな言い方になるが、玄想旅団が手を
 出すほどの相手はいない。中級冒険者
 たちが挑むレベルだ。
 
 二日目以降から、標高は高くなるが、非常に
 なだらかに上がっていく。平地と比較すると、
 登りのため負荷が高まったのを感じる。雪道
 が始まるとさらに厳しくなる。
 
 先頭をあるくのは、ジャイアント族の
 アントン・カントール、雪国出身だ。そして、
 その次を歩くのはドワーフ族のスヴェン・
 スペイデル、同じく雪国出身。ほぼ人の通ら
 ない、積雪10センチほどの道を、踏み
 しめていく。
 
 積雪は、進むごとにその深さを増していく。
 

雪道を楽しむ

  玄想旅団の現地隊6人が徒歩で移動する
 とき、たいてい皆無口だ。道幅にもよるが、
 先頭はいつもジャイアント族のアントン・
 カントール、
 
 その後ろにドワーフ族のスヴェン・
 スペイデル、そして、おれ、ベルンハード・
 ハネル、エルフ族の魔法士兼治癒士の
 シャマーラ・トルベツコイ、
 
 そのあとにアンデッド族の銃士、イスハーク・
 サレハ、そしていつもしんがりはサムライの
 セイジェン・ガンホンだ。
 
 無口な時は本当に、一日二日の行程でも、
 寡黙に歩き続ける6人であるが、本当に
 厳しくなった時、誰かが話し始める。
  
 雪国出身のスヴェンは、意外と雪道が
 嫌いらしい。
 
「アントン、知ってるか? 太陽系じゃあ、
 みんな空飛ぶ家に乗って移動するらしいぞ」
 
 アントンは何か答えたようであるが、よく
 聞こえない。
 
  惑星セトにも、そして半獣半人座星系にも、
 反重力エンジンの技術はあるが、その恩恵を
 受けることができるのは、ヤースケライネン
 教国もイゾルデ王国も、一部の要人だけで
 あった。
 
 イゾルデ王国は、進んで一般人の使用を禁止
 しているわけではないが、ヤースケライネン
 教国を刺激しないように、要人のみの
 使用としている。
 
 それも、宇宙へ昇る際に反重力エンジンの
 宇宙船を使うだけで、惑星上での移動に
 浮遊する乗り物は使われていない。
 
 かつては海上に宇宙エレベーターも存在した
 ようだが、それも撤去されている。今後
 どのようなスケジュールでどのような
 技術が禁じられていくか、惑星の住民は
 みな固唾を飲んでいる。
 
「何でも空飛ぶ家に馬を乗っけて一緒に
 目的地まで飛んでいくそうじゃないか。
 わしもそんな家持ちたいのう」
 
「あんたは馬乗れないじゃないか」
 おれが横から口を出す。この6人で馬を器用
 に操れるのは、セイジェンだけだ。ミッション
 によっては実家から馬を持ってくる。
 
  そこからまたしばらく沈黙して歩く。
 が、30分もすると今度はスヴェンが歌い
 出す。雪国のドワーフ族の民謡で、雪道を歩く
 際によく歌われるものだ。
 
 これは、アントンも歌ってくれる。歌詞を
 知っているからだ。しょうがないのでおれも
 歌う。スヴェンが雪道に関係なく辛い時に
 どこでも歌うので、憶えてしまった。
 
 シャマーラは、たいてい中々歌ってくれない。
 しかし、彼女はかなりの歌い手だ。色々な
 地方の民謡を歌える。彼女が乗ってきた時は、
 そういった民謡を続けて歌ってくれる。
 
 彼女は戦闘中でもたまに歌ってくれる。
 かなりプレッシャーのかかるミッション、
 特に前衛陣が緊張しているような時だ。
 だが、今回はまだその時間ではないようだ。
 
 イスハークもその後ろで歌い出すが、
 セイジェンは少し離れて歩いているので
 歌っているのかどうかわからない。
 
  現地隊はだいたいそうやって、沈黙が
 破れるとくだらない内容を話したり、歌を
 歌ったり、という感じなのだが、
 
 本部隊のほうはあまり沈黙になることはない
 らしく、しかも何やらいつも高尚な話を
 しているらしい。
 
 団長のオリガ・ダンやエンジニアのヨミー・
 セカンド、そして霊能士のパリザダ・
 ルルーシュはまあいいとして、ホビット族の
 三人もその会話に加わるらしい。三人とも
 そこそこの学があるとかで。
 
 クノイチの双子は移動中に周囲を警戒する
 ために散開している場合が多いし、補給士の
 ガンソク・ソンウは補給でいない場合も
 多いのだが、今回は本部組も6人で歩いて
 いる。
 
 話をする分にはいいと思うのだが、高尚な
 話などしていると余計に疲れないのか
 少し心配になる。
 
 たまに玄想旅団がまとまって歩いて移動する
 時もあるのだが、ヨミー・セカンドなどは
 ずっと喋っていた。
 
 エンジニアであるが、色々なことに詳しくて、
 やれそこに飛んでいる昆虫は何だとか、
 この植物この花はなんだ、この木はああだ、
 あの雲はどうやってできるだ、宇宙の始まり
 を知っているか、ずっと永遠に喋り続ける。
 
 うまく黙らせる方法も実はあって、何か難しい
 テーマを与えるのだ。それは別に数学や
 物理の方程式の話でなくてもよくて、人生に
 おけるテーマや葛藤などでもよい。
 
 そうすると、2、30分は黙って歩く。
 しかし、何らかの着想を得ると、その沈黙を
 全て取り返しに行くがごとくまた喋り続ける
 ことになるが。
 
  団長のオリガ・ダンは、団の気分転換も
 考慮しているのか、徒歩移動の際の組を
 入れ替えたりもする。全員男性の組、女性の
 組で移動する場合もある。
 
 そういう時は、男性組はふだんできないような
 会話をする。その時に聞いた話だ。オリガ・
 ダンは、結婚歴があり、夫も冒険者だったが、
 同じ旅団で冒険していたときに夫が不慮の
 事故でなくなったらしい。
 
 同じような話がシャマーラにもあって、
 シャマーラは結婚歴は無いが、結婚も考えて
 いた恋人がいて、同じように冒険者で、
 しかも冒険中に不慮の事故で亡くしたとか。
 
 どちらも、玄想旅団が結成される前の話
 らしい。今の旅団で、冒険中の緊迫した場面で
 見せる落ち着きの裏には、そういった経験が
 あったのだ。
 
 まあ、それ以外にも色々な噂のオンパレード
 になるわけだが、パリザダのシキガミが
 近くを飛んでいないかだけは、どれだけ話が
 盛り上がっても、男たちは皆気にする。
 
 他にも食事の時間などもそれぞれのメンバー
 から色々な話を聞くことができるのだが、
 この旅団のメンバーの若いころの話はどれも
 面白い。
 
 なかなか普段聞けない話が出てくる。
 

雪原の塔

  雪原の塔、と呼ばれている。その姿は、
 直径100メートル、高さ200メートル
 ほどの円柱形だ。
 
 その建設時期や目的は明らかになっていない
 が、寒冷地での実験や研究を行うために
 造られたのではないかと推測されている。
 
 塔から1キロの地点で、サポートの6人が
 我々に物資を渡して、折り返していく。
 今回のようなミッションは、例えばギルド
 に属していないグループなどにとっては
 かなり難易度が上がる。
 
 ミッションそのもの、というよりも、そこに
 行きつくまでが難しくなるのだ。だが、今回
 のものも、行程が最高難易度というわけでも
 なく、もっと難しいものがある。
 
 例えば、ミッションをこなすにの7000
 メートル級の山を登頂しなければならない
 場合であるとか。そうなると、もはや
 移動の行程が、というよりも、麓に小屋の
 建築から始まる。
 
 そこを本拠地に二百人体制で攻略を目ざす、
 などということになってしまうのだ。
 
  塔の周辺は天候も良く、気温も氷点下
 前後というところだろう。周囲を警戒しつつ
 門へ接近する。ニコリッチ商会からの事前の
 情報では、塔自体に外部へ攻撃するシステム
 や罠などは無い、とのことだ。
 
 念のため、門近くから塔の外部の解析を行う。
 探査ドローンのシキガミも飛ばす。安全を
 確認してから、門の扉を開く。門の暗号
 キーはニコリッチ商会から入手していた。
 
 遠景から見たときはそうでもなかったが、
 近くから見上げると巨大な塔だ。
 
 この塔は、事前の情報では、七階層からなる。
 塔の攻略方法は、塔のタイプによって色々
 ある。例えば、砦タイプの塔の場合、冒険者
 旅団では攻略が無理だ。軍、つまり国が
 動くしかない。
 
 あるいは、時間をかけて根気よく守備側の
 銃士や魔法士、弓兵、砲兵などを消していく。
 守備側に飛び道具が無くなれば、攻略の
 可能性も出てくる。
 
 次に攻略が難しいタイプの塔が、積極的に
 決戦を挑んでくるタイプのものだ。塔自体に
 侵入する際にはそれほど抵抗はないが、
 塔内でのキャンプ中などに奇襲をかけてくる。
 
 その場合、まずとにかく事前にどれだけ
 情報を手に入れるかがポイントとなる。塔
 全体でどれぐらいの戦力があるか、そして、
 その戦力をどの程度集中させて差し向けて
 来るのか。
 
 単純な話、自分たちよりも質と量において
 より大きい戦力を持っており、それを
 一度に投入できるのであれば、こちら側は
 勝てる見込みが無い、ということになる。
 
 一番計算が立ちやすいのが、各階層で完全
 に守りに入っている塔である。必ず攻略
 できるわけではないが、下から順に攻略して
 行き、無理な相手が現れたらそこで諦め
 ればよいだけである。
 
 これは、洞窟や迷宮などにも言えることで、
 町から近い人気のある洞窟などで、相手側も
 積極的に攻めてくるタイプの場合、複数の
 冒険者旅団が暗に、あるいは事前に約束して
 協力しながら攻略したりもする。
 
  今回攻略しようとしているこの雪原の塔は、
 ニコリッチ商会からの情報では、比較的
 守備的な塔とのことだ。つまり、向こうから
 攻めてこない、こともない、ということだ。
 
 塔の一階の構造は、扉からまっすぐ塔の
 中心部へ通路が伸びており、天井は高く約
 30メートル弱、中心部まで行くと、
 そのまままっすぐの通路と、直角に左右へ
 折れる通路がある。
 
 塔の外壁扉はちょうど南面にあるので、
 ちょうど通路が東西南北にのびる形だ。
 東西の通路は中心から50メートルで
 行き止まり。
 
 北の通路は行き止まりに扉があり、それも
 外部へ出る扉ではなく、階段のある部屋へ
 の扉だろう。塔の一階は、東西南北に
 通路で区切られて、四つの部屋が存在する。
 
 東西の通路のちょうど真ん中あたりに、
 南北の壁に面してそそれぞれ部屋への扉が
 ある。そこを、現地組で一つ一つ確認
 していく。
 
 本部は、塔の扉入ってすぐのところで
 キャンプだ。上階からの奇襲に備える。
 夜の見張り役はこのタイミングで休む。
 
  南西側の部屋から順に時計回りに部屋を
 調べていくことにする。南西と北西側は、
 人が宿泊するための部屋らしきものが
 それぞれ20ほどあった。
 
 そして、シャワールームやバスルーム、
 トレーニングルーム。警備の兵か研究員など
 が使用していたのだろうか。今は誰も
 いない。
 
 次に北東と南東側を確認する。大きな食堂
 らしき部屋、書庫、会議室、倉庫など。
 使われなくなってからそれなりの年月が
 経っていそうだ。
 
 一階の部屋に特になにもないことが確認
 できたので、北側の突き当りも見に行く。
 扉を開けると、階段が、外壁の内側に
 沿って上へ伸びていた。東方向のみだ。
 
 そこまで確認できた段階で、今日の探索
 は終わりとする。南側の通路を使って
 キャンプする。塔の外は雪が降り始めた
 ようだ。
 
 攻略中の塔内でそのまま寝泊まりする、
 というのも状況次第だ。明らかに危険な
 場合は外の少し離れた場所に宿営する
 こともあり得る。
 
 今回は内部を解析して問題ないとして
 宿営するが、もちろん交替で見張りもする。
 今夜は奇襲は無いというオリガ・ダン他、
 本部メンバーの読みで、見張りは二人だけ。
 
 外部の探索もシキガミだけで行う。現地組は
 しっかり食事もとって、第2戦闘配備で
 就寝する。さすがに鎧は脱げないが、座った
 姿勢で武器を抱えて寝るのにも慣れてきた。
 
 さすがに、今日見つけた個室を片づけて、
 ベッドで寝ようという気分にはなれない。
 攻略後の最終夜に考えてみるか。
 

守りの匠

  翌朝から、2階の探索に入る。外壁の
 内側に沿って上方へカーブを描く階段を
 上っていく。1層あたり30メートル
 ほどあるため、踊り場が数か所ある。
 手すりも両側に付いている。
 
 1階の階段下の位置から探査を行って、
 安全を確認しているが、あまり油断はでき
 ない。一般に市販されていない自製の小型
 砲台などは、探査に引っかからない可能性
 もある。
 
 階段を上がって二階に到着すると、通路が
 外壁の内側に沿ってぐるっと塔の周囲を回って
 いるように見える。いったん真北の位置に
 戻ると、すでに三階へ上る階段がある。
 
 そのまま三階へ上がることも出来そうだった
 が、いったん二階の探索を済ますことにする。
 反時計回りに通路を進む。左手側は、円形
 の大きな部屋になっていそうだ。
 
 丁度真南に着いた時、部屋の入り口があった。
 そこを入ると、また通路だ。5メートル
 ほど進んだ先に再び扉がある。その扉は、
 他の扉と比較して頑丈そうな造りに見えた。
 
  この塔の発電システムはまだ生きている。
 おそらく、風力発電と恒星宇宙線発電の設備
 は少なくとも存在しそうだ。あとは地熱発電
 も寒冷地では使っている可能性がある。
 
 頑丈な扉を開けるとそこも灯りが点いている。
 周囲も頑丈そうな壁。広い円形の空間。
 
 東西にひとつづつ扉があるのが見える。そして
 中央に、黒い山がうずくまっている。我々の
 侵入に気づいている。我々との間に、遮る
 ものはない。
 
 体長8メートル、体高5メートル弱、体重
 4トンといったところだ。熊という動物を
 生体改造したものだろう。
 
 こちらの6人はゆっくり中央に進みながら
 フォーメーションを組む。その怪物は、
 奥のほうにいたが、4足で立ち上がり、
 こちらへ走り始めた。
 
 中央で待ち構えるのはアントン・カントール、
 そこから少し距離をとって後ろにシャマーラ
 ・トルベツコイ、左におれ、ベルンハード
 ・ハネル、右にスヴェン・スペイデル、
 
 左後方からイスハーク・サレハ、さらに左へ
 セイジェン・ガンホンが回り込む動きだ。
 巨大熊はスピードに乗り、アントンに
 あっという間に接近する。
 
 シャマーラは火球の呪文の詠唱を始める。
 イスハークはすでに狙撃を開始していて、
 何発か命中している。麻酔弾だが、この
 巨体だとかなりの数を入れないと、
 おそらく効いてこない。
 
 アントンは、いったん右へ回り込むふりを
 して、相手の左手の一撃を誘いながら、右へ
 流れる。体を反転させて、一撃を盾も使用
 しながら体全体で柔らかく受け止めつつ
 跳ねる。
 
 向かって左方向へ大きく吹っ飛ぶが、
 そのあと転がって、大きなダメージはなさ
 そうだ。盾と濃紺の装甲から、黄色い衝撃
 吸収剤が捻り出され、パチパチと音を立て
 ながら元に戻っていく。
 
 盾は大きく変形しているが、時間とともに
 元にもどる。それぞれ、構成している材料
 そのものが持つ機能だ。
 
  防御というのは、装備の機能や性能にも
 たしかに大きく依存するが、それ以上に、
 防御技術がものを言う。
 
 今のアントンの防御の技も、ふつうに受けると
 簡単に腕が飛ぶ。あるいは頭部に受ければ
 もうそれで落命だ。ナノマシンによる
 治癒でも追いつかないだろう。
 
 巨大熊は次にスヴェンに照準を定めて、距離
 を詰めるが、すでに接近していて勢いは付け
 られない。スヴェンは低い体勢で盾で受け止め
 るが、素早い位置取りにより、相手の攻撃の
 インパクトを微妙にずらしている。
 
 そのうちにシャマーラが発した火球が右背
 に当たり、巨大熊は咆哮をあげながら
 立ち上がる。いったん下がって距離をとる
 よう動くが、こちらは簡単に距離を
 とらせない。
 
 押さば引き、引かば押す動きで、さきほどの
 突進を、二度はさせない。
 
  その間に、首元あたりを狙ってイスハーク
 の麻酔弾が次々決まる。アントンが中央に
 戻ってきて、威嚇を続ける。先ほどの会心の
 一撃から、なんなく戻ってきているのを見て、
 この怪物は何を思うだろうか。
 
 もう一度、今度は右手の一撃を試みるが、
 今度はバックステップで避ける、そこへ
 おれが足元に棍棒の一撃、これはスピード
 重視であまり威力がないが、それに
 怒った巨大熊がこちらに覆い被さってくる。
 
 それを、武器と盾を持ったまま、横っ飛びで
 転がりながら避ける。これも技術の一つだ。
 そこへ反対側から距離を詰めたスヴェンの
 木槌と雷撃。
 
 ほぼ同時にシャマーラの雷撃魔法。また
 大きな咆哮をあげる巨大熊に、おれの背後
 から飛び込んだ影、動きが鈍ったのを
 見切ったセイジェンが、巨大熊の右腕を
 居合で一閃する。
 
 一瞬バランスを崩し、右手の異常を認識する
 巨大熊、おそらく右手の肘あたりの健を
 切られ、体重を支えるのが難しくなるはずだ。
 
 そこへ、間髪入れず右足に浸透打を決める
 おれ。そしてすぐ離脱。そして、動作が
 鈍った巨大熊の右目にイスハークの
 弾丸が命中する。
 
 戦意を喪失して威嚇しか行わなくなった
 巨大熊に、シャマーラが催眠の呪文を数度
 使い、麻酔弾も重なって効果が発揮される。
 
  いったん本部へ戻り、巨大生物用の網と
 拘束帯を持ってくる。あとで本部から依頼者
 または行政に連絡して処置を確認する。
 
 可愛そうだが、人間を見たら攻撃するように
 教育もされているだろう、おそらく安楽死だ。
 
 寝ている巨大熊を固めたあと、メンバーの体の
 状態をチェックし、休憩もとったうえで、
 上階を目ざす。
 
 三階は、二階とほぼ同じ構造で、中央に大きな
 円形の部屋があるが、二階を監視するオペレー
 ター室となっていたようだ。
 
 巨大熊のエサの倉庫と、モニタリング設備、
 餌を落とすのに使うのだろうか、下の階へ
 繋がる蓋付きのダクトなどがあった。
 

夜襲の兆候

  そのまま四階、五階と確認を続ける。
 四階は二階と同じ構造、そして、五階は
 三階と同様、四階のオペレーション室と
 なっていた。
 
 その四階だが、すでに生物はいない。
 巨大な生物の、白骨化した死体があった。
 しかし、骨の部分を見るだけでも、さき
 ほどの巨大熊よりもふた回りほど大きい。
 
 ヨミー・セカンドにシキガミを通して
 確認してもらうと、バッファローという
 牛に似た動物の改造生物の骨に見えると
 いう。
 
 生きていればかなり苦戦したようにも
 見えるが、大きすぎて扉を通れない気も
 する。それを利用してうまく戦えた
 かもしれない。
 
 五階のオペレーション室には、三階に
 あったような餌のストックが無かった。
 餌代が払えずに飼育を諦めたのかもしれない。
 10メートルを超える体長、いったい一日に
 どれだけ食べたのだろうか。
 
  この日はそこで早めに引き上げて、また
 一階で宿営する。現地組は早めに食事を
 して、すぐ就寝する。本部隊は、すでに
 順番で睡眠をとっているようだ。
 
 つまり、今晩は夜襲を予想している。上階に
 潜んでいる人間と、塔外部の人間との間の
 通信を傍受したのだ。
 
 さすがに平文で通信はしていなかったが、
 暗号化通信であっても、玄想旅団にはそれを
 解読できるエンジニアがいる。暗号を解読
 できるエンジニアはこの惑星では稀有
 だったので、油断したのだろう。
 
 夜襲は、おそらく塔内に潜んでいる何名かの
 グループと、外部の軽装騎兵による同時の
 奇襲となるだろう。
 
 外部の戦力とは、おそらくこの塔内の人間と
 取り引きを行う盗賊の集団だ。
 
  本部の位置を、北側の階段の扉の向こう側
 へと移動する。そして、準備を行う。
 それは、明け方近くの時間帯。
 
 建物内の灯りは、深夜は弱められるが、
 少し薄暗くなる程度だ。それが、突然真っ暗
 闇となる。塔の一階の外壁扉が開き、
 数十名と思われる足音がする。
 
 同時に、二階からも数名の、人が降りて
 くる音がする。階下では、数名が慌てて
 いる様子だ。暗視ゴーグルでその様子が
 よく見えるため、一気に接近して
 勝負を決めに行く。
 
 しかし、そのうちの一人が、呪文を詠唱
 し始めた。狭い階段で逃げ場がない。
 それでも数名近寄ってくるが、スヴェンと
 オリガ・ダンがその前を塞ぐ。
 
 連続で魔法を放つシャマーラの横で、
 催眠の呪文を使うのはパリザダだ。同時に
 シキガミを目くらましに使う。安価で大量
 生産できるシキガミは、そういう使い方も
 できた。
 
 隠れて端末を使いながら状況を把握する
 のはヨミー・セカンド。 
 
 一方外部から侵入した一団は、北側の
 扉前まで到着し、扉に手をかける。
 中へ踊り込むつもりで開けようとした
 寸前、扉が開いて人が飛び出す。
 
  アントンを先頭に、イスハーク・サレハと
 おれ、ベルンハード・ハネルが飛び出す。
 イスハークは腰の2丁の短銃を使い、次々と
 侵入者の腕や足を撃ち抜いていく。
 
 彼の銃は、ホルダーから抜くたびに砲身の
 形状を変化させる。シールド機能を持った
 装備に対しても、この砲身変化と早撃ちで、
 力場シールドが反応できない。
 
 予めそれがわかっていれば、突入前に
 シールドを出しっ放しにするのだが。
 
 その外部侵入者の背後に、迫る影があった。
 東西の通路の部屋から出てきた、双子の
 クノイチ、そしてセイジェン・ガンホン。
 
 セイジェンは、十字路の中央で増援に備える。
 クノイチのイズミ・ヒノとナズミ・ヒノは、
 戦闘装備に身を包み、神経性麻酔剤の塗ら
 れた短刀を一人ひとり突き立てていく。
 
  そのころガンソク・ソンウは塔の外にいた。
 外部侵入者は馬でここへ到着し、見張り2名
 を残して全員中へ侵入したようだ。
 その数、見張りを含めて22名。
 
 少し離れた位置から、閃光玉を複数投げ込む。
 音と光、数秒して、セイジェンが走って
 駆けつける。ガンソクも加わって、見張り
 2名を素手で片づけた。
 
 その2名を拘束帯で動けなくして、
 セイジェンは十字路へ戻り、ガンソクは
 馬を別の場所へまとめていく。
 
  内部では、スヴェンとオリガがどんどん
 相手を押していく。ヨミーの解析では、
 上階から来たのは30名ほど。ほとんどが
 戦士タイプで、飛び道具持ちもまともに
 その道具を使える状況にならなかった。
 
 20名ほど戦闘不能にしたところで、
 上階から来た襲撃者は撤退を決めたようだ。
 
 外部侵入のほうも降伏して片付いた。
 それにしても、この侵入者たち、東西の部屋
 の中を確認しなかったというのは迂闊過ぎる。
 
 負傷者の傷の手当てと拘束を行い、町に
 護送車を依頼する。けっきょく42名を
 確保したことになる。全員、いったん
 一階の西側の部屋にある個室へ監禁する。
 
 捕虜の処理が終わったところで休憩をとり、
 そして最上階を目ざす。最上階へは本部も
 ともに動く。
 
 まず六階は、一階と同じような構造で、
 居住区となっていた。襲撃してきた者たち
 が、最近まで使っていた感じだ。
 
 逃げた残りのメンバーは、おそらく七階へ
 逃げたのだろう、六階には誰も残って
 いなかった。
 
  六階から、七階の構造を解析する。
 階段を上がったところは、広くなっていて、
 塔の中心から向こう側に、部屋がある。
 
 そのすぐ上がったところで迎え撃ってくる
 のか、それとも部屋の中で守っているのか。
 六階の階段下に本部を置いて、いよいよ
 最上階だ。
 
 我々が階段から顔を出したぐらいで、
 七階の部屋からワラワラと出てきた。
 さきほど逃げた10名プラス1名。
 老人の魔法使いだ。
 
 さっそく詠唱を始める。同時に、玄想旅団
 のシャマーラも詠唱を始めた。久しぶりの
 魔法戦になりそうだ。
 

素質と練度

 「北欧の神々よ、凍てつく吹雪で彼の者を
 追い払え」
 杖から多数の雪玉が発生して高速でアントン
 ・カントールの元へ飛んでいく。アントン
 は盾でそれを必死に防ぐ。
 
 シャマーラ・トルベツコイは火球を発生
 させて相手の魔法士の手前の兵士に叩きこむ。
 そしてすぐに次の詠唱に入る。
 
 アントンは雪玉を食らって床を転がりながら
 非常につらそうだが、実はこれは演技だ。
 あまり効いてない攻撃を効いているように
 見せるのも重要なテクニックのひとつだ。
 
 実際、氷結系の魔法というのは、火炎系や
 雷撃系と比較すると弱い。弱いというのは、
 同じサイズの魔法デバイスを使っても、
 効果が低いということだ。
 
 本格的に相手にダメージを与えたいなら、
 相当大きな魔法デバイスを使用する必要が
 ある。けっきょくのところ、氷結に拘る
 なら、液体窒素の入ったタンクでもひっくり
 返したほうが早いかもしれない。
 
  相手側は、魔法士を含めて11人、
 パッと見で、戦士タイプが8名、銃士が
 一人、弓兵が一人なのだが、バタついて
 いるのか飛び道具が開始して数秒で
 まだ飛んでこない。
 
 戦士のほうもあまりまとまりのない動きで
 何がしたいのかよくわからない。
 
 その前の襲撃でも気になったのだが、上階
 から襲って来たメンバーは、極端な老兵か、
 極端に若いかのどちらかだった。
 
 人数や隊の構成自体はそれほど悪くない
 のだが、どう見ても練度が低い。こちらの
 前衛3人で、相手前衛8人のプレッシャー
 を余裕で捌けている。
 
 左から回り込もうとするセイジェン・ガンホン
 を意識し過ぎて、相手側の銃士は狙撃どころ
 ではなさそうだ。
 
 おれのほうにも氷結魔法が飛んできて、同時
 に相手の戦士たちが踏み込んできたが、
 雪玉を気にせず3人ほどを棍棒で吹き飛ばす。
 
 前衛と魔法だけで押し込んで勝ちだな、と
 思っているうちに、クノイチのうちの一人、
 イズミかナズミかどちらかが相手の魔法士の
 背後を取ったようだ。
 
 それで勝負が決まった。全員降伏する。
 
 
  魔法士の老人の事情聴取を行う。別に
 警察ではないが、話を聞いてみたいのだ。
 
 七階の中央の部屋で現地組の6名、本部隊は
 一階に戻った。だが、話の内容は無線で
 伝わっている。
 
 かつて、こういった塔はたくさん見られた。
 イゾルデ王国が出来る前の話である。今でも、
 この雪原の塔のように、現役で使用されている
 塔が、ヤースケライネン教国内にある。
 
 主に生体実験を行い、その結果を戦争や
 破壊活動に使用していた。ヤースケライネン
 教国の領土がまだ狭いうちは、この雪原の
 塔も活発に利用されていた。
 
 ヤースケライネン教国がある程度領土を広げ
 切ってしまうと、教国にとってこの塔の
 価値が下がってしまったようだ。
 
 つい最近、教国からの補助が完全に打ち
 切られてしまった。それまでは研究成果の売上
 などで魔法デバイスなどもたくさん所持して
 いたのだが、
 
 今やほとんどを盗賊に売り払い、ロクな
 魔法が残っていない。改造生物の餌を買う
 余裕もなくなり、一頭は処理してしまった。
 
 刑に服したあとに、イゾルデ王国のために
 魔法士として働く気はないか聞いてみる。
 まだそういうことを考える余裕はない
 みたいだ。
 
  この時代、魔法士は貴重であった。
 魔法自体は、魔法デバイスを使用すれば、
 誰にでも使える。いや、出せると言った
 ほうがいいか。
 
 起動方法さえ分かっていれば、出せる。
 しかしそれを、任意の対象に当てるのが
 難しいのだ。そして、操作方法もデバイス
 ごとに異なる。
 
 自動で追尾するタイプの魔法も無くはない、
 ただ、そういった魔法は大掛かりになる。
 ふつうの魔法は、杖や指輪、ブレスレット、
 ネックレスなど、小さいものを使う。
 
 そして、操作はかなりアナログ的である。
 魔法士になれる人は、対象の動きを先読み
 したうえで、飛翔物の軌道や速度を瞬時に
 調整する。
 
 それを、戦闘中にやるわけだ。良い魔法士、
 シャマーラもそうだが、戦闘中に、敵の
 攻撃を回避しながら、デバイスを操作する。
 
 それができる魔法士がすでに少ない。
 ふつうは、前衛などに守ってもらながら、
 デバイスの操作に集中しないとダメなのだ。
 
 センスのあるものは、ふたつのデバイスを
 同時に使用したり、詠唱のみでプレッシャー
 だけ与えたり、実際のとは異なる詠唱を
 行ったりする。
 
 高度な魔法士同士の戦いになると、お互いの
 魔法をキャンセルさせるための技術を
 多様するため、素人には何が起こっているのか
 わからなくなる。
 
  その後、二日ほど逗留して、護送車が来る
 のを待つ。けっきょく一階のベッドのある
 部屋は監禁室となってしまい使えなかったが、
 七階の部屋のベッドを使うことができた。
 
 老人の魔法士が七階の広い部屋を一人で
 使っていたのだが、広い寝室が3部屋ある。
 3人が選ばれて、七階で寝る。おれと
 セイジェンとガンソクだ。
 
 残りは一階で宿営する。スヴェンとアントン
 は宿営地で簡易ベッドを使えるようだ。
 
 しかし、と思う。この老人の部屋の趣味。
 至るところに様々な人形が置いてある。ぱっと
 見て、凄く精巧で趣味の良いものもあるの
 だが、どうにも理解できないものもある。
 
 気になるのは、何か特別な、魔法生物的な
 ものではないかどうかだ。こんなものに
 囲まれて眠ってしまって大丈夫だろうか。
 
 そんなことを考えていると、けっきょくあまり
 眠れなかった。しかも第3戦闘配備で軽装
 なのだ。これなら、鎧を着て武器を抱いて
 宿営地で寝たほうがよく眠れる。
 
 翌朝、セイジェンとガンソクも眠そうにして
 いた。彼らは二人とも、夜中に人形が確かに
 動いたというのだ。しかし、朝確認して
 みると、そういう動くタイプのものでは
 なかったらしい。
 

教国へ

  雪原の塔から帰って来た我々は、
 一週間の休養と一週間の準備ののち、次の
 目的地へと向かう。
 
 イゾルデ王国の西のはて、国境を越え、
 ヤースケライネン教国へ向かう。そこは、
 いまだ多くのアクティブな遺跡が存在し、
 教国が望むと望まないとに関わらず、
 冒険が盛んであった。
 
 今回は、ニコリッチ商会が国籍取得の手続き
 も完了させている。教国内では、ニコリッチ
 商会と提携している冒険者ギルドから
 支援を受ける。
 
 目的地は、ヤースケライネン教国の首都、
 その近郊にある、10層からなる迷宮だ。
 ギルドの支援は、迷宮の入り口近くで
 受けることができる。
 
 町からすぐ入れる迷宮のため、冒険者の間でも
 人気が高く、教国の国籍の有無にかかわらず、
 多くの旅団が訪れる。
 
 浅い階層は比較的容易で、経験の浅い旅団でも
 良い練習場となる。下へ降りるほど難易度が
 上がり、まだ地下8階層以降に到達した旅団は
 ないのだ。
 
  今回、移動に関しては、ヤースケライネン
 教国の大型ホバーが用意された。最近教国は、
 積極的に他国の冒険者旅団の迷宮攻略に
 手を貸しているようだ。
 
 もちろんこういった大型ホバーはイゾルデ王国
 内では走っていない。大型ホバーは、街道
 ではなく大型の河川を利用する。
 
 所々で、完全に空を飛んで移動する。反重力
 エンジンを搭載しているからだ。通常馬車
 では一か月近くかかる日程を、わずか丸二日
 ほどで到着する。
 
 客室付き、ヤクと馬の厩舎も付いている。
 これまでで一番快適な移動だった。
 
 今回同様のかたちで、イゾルデ王国内の他の
 有名な冒険者旅団も招聘されているらしい。
 迷宮に入れば出会うだろうか。
 
  迷宮入り口の周囲は冒険者宿やギルドの
 支部やその他様々な店舗でごった返して
 いた。ひとつの観光地のようにもなって
 おり、迷宮には入らないが多くの観光客
 姿も見える。
 
 とくに人気は、迷宮内のパーティの
 リアルタイム配信だ。観光客の休憩所に
 いくつもモニターで映し出されている。
 
 その日は冒険者宿に泊まり、翌日から
 さっそく迷宮へ降りる。この迷宮は、
 100メートル四方を一ブロックとして、
 縦横に20ブロックの正方形の構造だ。
 
 つまり、基本的にはこの100メートル
 幅の道の迷宮となるわけだが、ブロック
 単位で狭い通路と小部屋で成り立つ
 区域もある。
 
  さっそく玄想旅団12名で、迷宮の
 入口から降りていく。この入り口は、幅広
 で傾斜の緩い階段があり、ご丁寧にも
 幅の広いスロープも付いている。
 
 それを使ってヤク2頭と馬も連れてくる。
 ヤクと馬を使用せずに、ギルドの支援
 だけで済ますことも不可能ではなかったが、
 
 玄想旅団自体がその運用に慣れていない
 ため、出来る限り通常どおりのやり方を
 選ぶ。
 
 まず迷宮へ降りてみて驚いた。人が多い
 のはまあいいとして、最初のブロックと
 北および西の隣ブロックまで、露店が
 続いている。
 
 観光客らしき姿もちらほらだ。間違った
 場所に来てしまったような錯覚を
 覚えつつ、北へ向かう。
 
 あと十年もすれば、最下層まで露店で
 埋まってしまうかもな、とスヴェン・
 スペイデルも呆れ顔だ。
 
  地下1階から、地下7階の途中までは、
 マップや攻略情報が出回っている。まず、
 地下1階だが、南東の端から始まって、
 8ブロック北へ行く。
 
 そこから西へ折れて突き当りまで行くと、
 右手に地下2階へ降りる階段がある。それ
 だけである。
 
 通路挟んで南北のエリアがあるが、南側は
 危険な生物はほぼいない。初心者が歩き
 回るのにはちょうどよい。
 
 北側は、初級者には少し難しめの野生動物が
 出現する。野犬、はぐれ狼などはまだいい
 として、カバ、ゾウ、ライオン、トラなど。
 
 地下1階北側を隈なく歩けるようになれば、
 初級者を脱した、と言われるぐらいの難易度
 だ。
 
  この地下1階には、一応階層ボスなる
 ものが存在する。北側で徘徊する野生動物の
 体をひと回り大きくしたぐらいの動物が
 出現するのであるが、
 
 地下1階は冒険者が多すぎるためか、滅多
 に出会うことができない。階層ボスは一度
 倒されると、ある一定時間で再び出現する
 のであるが、冒険者がいる時は現れない。
 
 再出現は、だいたい24時間以内である。
 そのため、地下2階、いやそれ以降も、
 階層ボスに出会えない可能性はある。
 
  地下2階に着いた我々は、迷宮の外周
 沿いに、階層ボスのいる位置へ回り込んで
 いく。だいたい5キロ少しの距離だ。
 
 階層ボスのブロックは、各階だいたい同じ
 位置にあるが、マッピングすると隣接する
 階同士では、1ブロックずれている。
 
 南へ8ブロック、西へ20ブロック、北へ
 9ブロック進み、右方向、つまり東へ
 折れて突き当りまで進む。
 
 この地下2階も、地下1階と同様南北の
 エリアがあり、そこの探検も可能だ。
 地下1階より少し相手も手ごわくなって
 いる。
 
 そして、南側より北側のほうが危険生物
 の出現頻度が高い。
 
  地下2階の階層ボスにも出会えず、
 そのまま地下3階へ進む。地下3階は、
 北側のエリアを回っていく。反時計回りで
 5キロ少しを階層ボスのブロックまで
 直行する。
 
 地下3階は、地下2階より少し難易度の
 高い危険生物が出てくるのだが、南側の方が
 出現頻度が高い。上階と状況が反転している。
 
 階層ボスのブロックまでの通路で、遭遇する
 可能性も一応あるのだが、まったくその
 姿は見えない。
 
 まあ、我々が歩く前後に中級クラスと思わ
 れる旅団も歩いており、帰路につく旅団とも
 すれ違う。これだけ旅団がいれば南側の
 エリアにでも入らない限り、何かと遭遇
 することは無さそうだ。
 
 この調子で、地下4階は南回り、地下5階
 は北回り、地下6階は南回り、とどんどん
 進んでいく。一緒に進んでいた旅団の
 数がどんどん減っていく。
 
 地下7階にたどり着いたところで、今日は
 宿営をする。そこからの数ブロックは、
 大規模な宿営地と化してた。
 

旅団集結

  地下7階は北回り、反時計回りに進んで
 階層ボスのブロックを目ざすわけだが、6階
 から階段を下りたブロックの隣のブロック
 から北の突き当りまで、宿営地だ。
 
 まず目につくのは、ヤースケライネン教国の
 正規軍のものであろう、多脚型アンドロイド
 だ。幅5メートル、長さ8メートルはある
 だろうか、教国のほうも本格的にこの迷宮を
 攻略しようと考えているようだ。
 
 だが、宿営している旅団は上級者少し手前の
 中級旅団のようだ。ここに宿営して、逆に
 上階の攻略をしているようだ。
 
 玄想旅団はもう少し進む。階層ボスの少し
 手前のブロックが、また宿営地となっていた。
 とりあえず、階層ボスのブロックから一番
 遠い位置にキャンプする。
 
 まあ、誰かが扉を開けっぱなしにしない
 限り、階層ボスが出てきて襲われることは
 ないのだが。
 
  手前側がイゾルデ王国の旅団、階層ボス
 に近い側がヤースケライネン教国の旅団が
 集まっているようだ。
 
 見知った顔がある。向こうも挨拶をしてくる。
 
 臥竜旅団。若い女性ばかりの旅団で、派手な
 装備が特徴だ。最新の魔法デバイスを多用し、
 戦い方も派手だが、前衛は超重装甲で
 守りもしっかりしている。6名。
 
 百足旅団。サムライとニンジャを中心とした
 旅団で、魔法士を持たないが、弓兵と銃士
 を持ち、非常に攻撃的な構成だ。7名。
 
 鳳凰旅団。治癒士が4人いるのと、前衛に
 重装甲アンドロイドを一体常用しているのが
 特徴だ。その構成どおり、非常に粘り強い
 戦い方をする。10名。
 
 白狐旅団。玄想旅団と似ていて、辺境での
 ミッションを得意としている。また、惑星
 セト上で最上と名高い剣士、シャビ・タト
 を抱える。11名と2頭。
 
 甲殻旅団。3人のエンジニアを抱える。
 そして、3人とも前線で戦う。様々なデバイス
 を、攻撃に、防御にと用いる。戦闘を行い
 ながら、相手の弱点を探るのも得意だ。
 8名。
 
 ここまでがイゾルデ王国出身の旅団。どの
 旅団も、上級よりひとつ上の実力だ。
 
  ヤースケライネン教国からも6旅団が参加
 している。狂獣旅団12名、陰陽旅団9名、
 神姫旅団6名、神亀旅団10名、纏魔旅団
 10名、
 
 そして、最高の魔法士と称されるゾエ・ディエ
 を抱える、麒麟旅団7名。
 
 オリガ・ダンが、各旅団の宿営地へ挨拶に
 回っていく。情報も仕入れてきた。どうも、
 ここ2、3日、階層ボスが再出現しなく
 なっているという噂だ。
 
 それも踏まえて、夕方ごろに各旅団の代表者
 で今後の攻略方針を決めるらしい。教国の
 正規軍の代表にも加わってもらう。
 
 協議の結果、いったん地下7階の階層ボスを
 倒したのち、半分の旅団を通過させて、
 階層ボスのブロックの扉を閉じる。
 
 24時間経過後に復活していれば、挟み撃ち
 でもう一度倒すが、そのあとはひとつまたは
 ふたつの旅団に常駐してもらい、残りは
 先に進む。
 
 常駐していても階層ボスが再出現した場合は、
 無理に戦わずにいったん他の旅団に合流する。
 その場合、先に進んだ旅団が上階と連絡が
 とれず、補給も難しくなるため、その先の
 攻略を再検討する。
 
  これだけの旅団が集まっていても、残り
 4階分の階層ボスを毎日倒して補給線を保つ
 のはかなり骨が折れると思われた。
 
 なんらかの理由で再出現しなくなっているの
 なら、それは攻略の最大のチャンスと言える。
 
 翌日に備え、早めに就寝する。すでに、地下
 7階の階層ボス攻略メンバーも発表された。
 狂獣旅団、神亀旅団、纏魔旅団があたる。
 巨大な牛型の強化生物が相手らしい。まずは
 地元の旅団に花を持たせる意図もあるようだ。
 
 そして翌日、階層ボス攻略が開始されるが、
 なんとなく気楽だ。自分でも今回のメンバー
 をあらためて調べてみたが、どちらの国も
 かなりの猛者を揃えている。
 
 これは、もう出番が無いのでは。案の定、
 地下7階の階層ボスは十数分で決着が着いた。
 上位十二位以内の3旅団が一緒に戦えば並み
 の危険生物でなくてもそうなるだろう。
 
 神亀旅団の前衛数名が、けっこうな重症と
 なったようだが、うちのシャマーラ・
 トルベツコイも含めて治癒士が集まって
 あっという間に治す。
 
 スヴェン・スペイデルが、こりゃどれだけ
 瀕死になっても、すぐ治されて前衛が
 休んでる暇はないな、と不平なのか嬉しい
 悲鳴なのかわからない。
 
  ヤースケライネン教国の6旅団が、地下
 8階まで進み、地下7階の階層ボスのブロック
 の扉を閉める。そして、こちら側も閉める。
 今日はいったんそこで宿営だ。
 
 明日の同じ時間帯で、階層ボスが再出現して
 いるかどうかを確認する。それ次第で、今回の
 戦略が変わってくる。
 
 地下8階に到着した教国の6旅団は、階段の
 あるブロックから出たところで戦闘となった
 ようだ。冒険者旅団が地下8階に到達する
 のは初めてなので、危険生物が溢れて
 いるのかもしれない。
 
 パリザダ・ルルーシュの使うシキガミで
 様子を確認するが、対応しているのは、神姫
 旅団、陰陽旅団、纏魔旅団に見える。
 
 この3旅団も相当強いはずだが、この狼の
 群れはけっこうやばい。人の背丈ほどの
 体高がある狼が20匹ほどだ。
 
 それでも何とか片づけて、宿営できるようだ。
 教国正規軍の応援も頼んだ。多脚型は、地下
 7階から下は各階ごとに一台置いてくれる
 らしい。
 
 この迷宮は、一定の場所に長く逗留している
 と、大群の危険生物で攻勢をかけてくる
 場合があるらしい。宿営地の護衛に、
 多脚型アンドロイドが役に立つ。
 
 ひとつ欠点があるとすれば、狭い通路に
 入っていけないぐらいか。今回の迷宮は
 広い通路が続くようなので、下層まで
 援護してくれそうだ。
 
 そして翌日、階層ボスの状況を確認する
 ために、扉を開けてみる。一応きちんと
 装備を固めて、警戒しながら扉を開く。
 

唯一無二

  扉を開けると、そこに階層ボスは
 いなかった。いったん旅団代表者で集まり、
 今後を協議する。
 
 臥龍旅団と、神姫旅団がもう一日このブロック
 に留まることとなった。階層ボスの再出現が
 絶対にない、という保証はないからだ。
 
 だが、そのあとは、別の上級旅団にお願いして
 そこに常駐してもらう。臥龍、神姫の2旅団の
 戦力は後の攻略にやはり必要だ。
 
 臥龍旅団を残し、イゾルデ王国の5旅団が
 地下8階へ進む。神姫旅団も戻ってくる。
 よく見れば、この2旅団は全員女性だ。
 そして、両旅団とも趣向は違うが派手な外見。
 
 自分もこの階層ボスブロックに残りたい、
 そんな気持ちを抑えながら、先に進む。
 
  地下8階は、10旅団が200メートルの
 間隔を開けながら進む。南へ直進し、その後
 時計回りで中央通路を階層ボスのブロック
 へ向かう。
 
 幸いにも、どの旅団も危険生物とは遭遇
 しなかった。この後、いったん南北エリアを
 探索して危険生物の数を減らし、襲撃の
 可能性を減らしておくのか、
 
 それとも階層ボス攻略へ向かうのか議論に
 なった。けっきょく、南北エリア探索は
 上級旅団に任せ、我々はボス攻略となった。
 
 上級クラスの旅団については20あまりが
 参加している。難易度的には地下8階は少し
 厳しいところもあるが、無理さえしなければ
 上級旅団でもまず問題ないという判断だ。
 
  もうひとつ情報があった。階層ボスが
 いるブロックだが、他の階と異なり、扉が
 一ブロック手前にあるという。つまり、
 2ブロック分のエリアがありそうなのだ。
 
 内部を解析すると、何か巨大なものがいる、
 という話だ。地下7階攻略時と同様、
 狂獣旅団、神亀旅団、纏魔旅団の教国
 3旅団が当たることになった。
 
 扉を開け、突入していく。玄想旅団は、
 シキガミから送られてくる映像を見つめる。
 中に居たのは、巨大な竜だった。
 
 エンジニアのヨミー・セカンドがすぐさま
 文献を調べる。我々が生まれる前、はるか
 昔に、攻城戦などに利用されたもの、
 
 らしいのだが、体表面が装甲化され、鎧の
 ようになっている。強化改良されている
 ようだ。頭からしっぽまでは100メートル
 はありそう。
 
 強化される前から、恐ろしいほどの耐久力を
 もっていたと伝えられている。攻城戦に
 使われるだけあって、パワーは凄いのだが、
 その攻撃が素早い人間を捉えることは難しい
 と推測できた。
 
 
  討伐までには時間がかかるだろうな、
 と思っていたのだが、すでに一時間が経過
 している。3旅団はひたすら巨竜の攻撃を
 かわし、そして攻撃を当てる。
 
 それを繰り返しているのだが、明確な損害を
 与えられている雰囲気がない。
 
 別の3旅団と交替し、ローテーションを
 組みながら損害を蓄積させていくことに
 なった。
 
 教国の陰陽旅団、麒麟旅団、そして、イゾルデ
 王国の白狐旅団が交替する。最強の剣士と
 最強の魔法士が同時に闘うという話だ。
 
 さすがにこれで決着が着くだろうと高を括って
 いたが、やはり一時間してもまだ無理な
 ことが判明した。
 
 それどころか、エンジニア達の解析によると、
 このペースでは24時間交替で攻撃し続け
 ても、1週間はかかりそうな予測が出た。
 
  これはのんびりやるしかないな、と
 宿営地でリラックスしていると、玄想旅団
 ヨミー・セカンドの献策が通ったらしい。
 
 玄想旅団、ベルンハード・ハネルによる、
 頭部への特殊な打撃を用いた討伐、という
 策だった。
 
 というわけで、いきなり出番が回って来
 そうだ。巨竜のほうは、イゾルデ王国の
 百足旅団、鳳凰旅団、そして甲殻旅団に
 交替している。
 
 急ぎで特製の梯子が作成開始される。
 巨竜の、尻尾あたりが比較的低く、動きも
 小さいことから、ここに梯子をかけて
 背中に上がる、
 
 そのまま背中を進んでいき、頭部まで
 到達したら、特殊棍棒で打撃を与える
 手筈だ。
 
 30分ほどで梯子が完成し、迷宮の壁を
 使って練習を始める。盾は持たず、予備の
 棍棒を背負う。
 
 梯子はアントンとスヴェンに支えてもらう。
 何かの時のためにシャマーラとイスハーク、
 そしてセイジェンがバックアップする。
 
  巨竜の背の部分は、高さ10メートルほども
 あるが、尖っているわけではなく、比較的
 平らだ。巨竜が動いている間も、歩いて移動が
 可能のようだ。
 
 そして、首が長いわけではなく、野生の生物
 でもっとも形状が近いとすると、鰐と呼ばれる
 動物かもしれない。足が6本あるところは異
 なるかもしれないが。
 
 打撃する場所は二か所あり、巨竜の脳に損害
 を与えるわけだが、冗長化されているらしい。
 ゴーグルを装着し、通信と映像で打撃箇所が
 わかるようにしてもらう。
 
 事前に巨竜の映像からも位置確認しておく。
 
 同時に出てもらう旅団は、白狐旅団と麒麟
 旅団となった。頭部に下からの攻撃を集中
 してもらい、目くらましとする。
 
  そこからまた色々と準備をしていたので、
 百足、鳳凰、甲殻の3旅団には、合計1時間
 半ほど戦ってもらうことになった。
 
 そして、いよいよ我々が階層ボスエリアに
 入る。さすがに、最強の剣士を抱える
 白狐旅団、そして最強の魔法士を抱える
 麒麟旅団は、見た目も凛々しい。
 
 一方我々は、梯子や木槌や棍棒などを抱えて、
 若干建設業者風だ。しかし、見た目どうこう
 は言ってられない。
 
 6人で尻尾の付け根に接近する。巨大な尻尾
 は、当たれば危険だが、振られる範囲が
 それほど広くない。
 
 イスハークが見張って声を出してくれるので
 大丈夫そうだ。少し恐いのが、後ろ足だ。
 これもゆっくりした動きなので、ふつうなら
 大丈夫なのだが、梯子を掛けるときは
 気を付けなければならない。
 
 シャマーラが後ろ脚を気にしながら声を
 かけてくれる。セイジェンは少し後ろで、
 巨竜含めブロック全体を監視だ。
 
 頭部側の攻撃も開始され、後ろ脚の動きも
 鈍ったところで一気に登る。
 

花形と裏方と

  金属のウロコの上を、焦らず慌てず
 歩いていく。近づいてみると、標的の部分
 の二か所は、なんとなくこんもりと盛り
 上がって見える。わかり易い。
 
 下を見ると、白狐旅団と麒麟旅団が派手な
 戦いを繰り広げている。シャビ・タトの
 アクロバティックな剣技が決まり、
 そのすぐあとにゾエ・ディエの豪快な
 魔法が決まる。
 
 まるで何かを競いあってでもいるかの
 ような光景だが、こちらもそろそろその
 争いに参加しよう。
 
 ヨミー・セカンドの話では、なるべく
 間断を置かずに、二か所を攻撃したほうが
 よいという。片脳が落ちたときに、巨竜が
 どのような挙動を示すかわからないからだ。
 
 兵は拙速を貴ぶ、それはわかるのだが、
 スピードに加えて、確実性もおれは求め
 たい。まずは軽く巨竜の急所ではない
 ところをゴンゴンと叩き、感覚を掴む。
 
 巨竜のステップの揺れの感覚も掴む。
 武術というのは、最終的にはスピードじゃ
 ない、リズムだ。小脳をフル回転させて
 打撃のイメージを作り出す。
 
 尻尾側から見て、右側をそこそこの力で
 ゴーン、と叩く。そして、すぐに数メートル
 下がり、ダッシュして、ジャンプして、
 思いっきり叩く。
 
「よーういっしょ!」
 
 入った。金属ではない何かを叩いたような
 鈍い音。巨竜は、片脳を潰されたような
 反応は見せない。予備側だったか。
 掛け声が独特なのは無視してくれ。
 
  そして、すぐにまたいったんそこそこの
 力でもうひとつのコブを叩き、すぐに
 下がって、ダッシュ、ジャンプ、思いっきり
 叩く。
 
「よーっしゃはーっ!」
 
 その間、巨竜が暴れて振り落とされる、という
 ことはなかった。一瞬間を置いて、ドーンと
 いう音とともに、巨竜の腹が着地する。
 
 巨竜が動かなくなった後、念のためもう一発
 づつ打撃を決めておく。これでいいだろう。
 
 スヴェンとアントンが梯子を持ってきて
 くれる。一仕事終えて、ゆっくりと
 降りていく。
 
 宿営地は歓声に包まれていた。しかし、
 その歓声は、どちらかというと白狐旅団の
 シャビ・タトと、麒麟旅団のゾエ・ディエに
 向いているようだ。
 
 理由は分かっている。このベルンハード・
 ハネルが二つ目のコブに打撃を決めたすぐ
 あとに、より派手な剣技と魔法が同時に
 決まっていた。
 
 おれが決めに入ったのを確認してのことだ。
 
 シャビ・タトもゾエ・ディエも、おれの
 ほうを見て親指を立てる。ここにいる旅団の
 メンバーは、よく分かっていてジョークの
 つもりで剣士と魔法士を讃えているが、
 素人が見たら完全に勘違いするだろうな。
 
 しかし、おれの技はあまり良い子がマネ
 してはいけない技だ。こういう扱いのほうが
 助かる。今回の攻略の様子も、編集されて
 そのうち配信されるだろう。 
 
  その日はそこで宿営となった。
 巨竜を倒したものの、翌日からは地下9階だ。
 確実に難易度が上がる。麦酒で一杯、という
 雰囲気にもならなかった。
 
 そして翌朝、臥龍旅団と神姫旅団がまず合流。
 上級クラスの旅団も続々と到着。計18旅団。
 教国の多脚型アンドロイドも合流し、地下
 8階の階層ボスの部屋周辺に駐屯する。
 
 そして、その位置から上級クラス旅団が
 南側エリアを攻略していく。
 補給部隊も到着し、食料や魔法デバイスを
 供給し、恒久的な照明を設置していく。
 
 
  トップ12旅団が地下9階へ進む。
 階段を降り、北へ進んでから反時計回りに
 回り込むパターンだ。
 
 しかし、少し変なのが、北側エリアに入る
 通路や扉がない。しばらく進んで、西端に
 達したとき、ブロックごとに扉が並んで
 いるのがわかった。
 
 そして、中央通路が無いことが判明する。
 西端の通路に南北にズラリと扉が並ぶ。
 とりあえず、扉を一つ開けてみる。
 
 事前の解析からもわかっていたが、その中
 は巨大な空間が広がっていた。
 18ブロック四方の空間。その中央奥に、
 階層ボスのいるブロックがある。
 
 そして、明らかに次の相手であろう、
 2キロ近い距離にたむろしているのが
 わかる。浮かんでくる言葉は、そう、
 闘技場だ。
 
 向こうもこちらに気づいているはずだが、
 近づいてくる気配が無いので、いったん
 扉を閉めて作戦会議だ。扉の向こうには
 各探査ドローンが残されて、様子を
 見ている。
 
  まずは向こうの戦力だ。6人の冒険者
 グループが、18ある。一ブロックづつ
 ひとつのグループが、南北に並んで
 いるかたちだ。
 
 見た目は冒険者だが、おそらくアンドロイド
 だ。そして、役割分担もできている
 ようで、戦士、魔法士、剣士、弓兵、銃士、
 治癒士などがいる。それぞれグループにより
 構成が異なる。
 
 そして、北寄り、向かって左側が、より
 防御的な構成、南寄り、向かって右側が
 攻撃的な構成のようだ。
 
 人数は偶然にもこちらと同じ、そして、
 質も含めてほぼ互角のようだ。戦い方に
 工夫がいる。
 
  こちらの布陣が検討され、発表される。
 全体を、3つに分ける。中央の主力が、
 白狐、麒麟、鳳凰、神亀の4旅団。左翼が、
 臥龍、神姫、狂獣、甲殻の4旅団。右翼が、
 纏魔、陰陽の2旅団。予備が玄想と百足
 の2旅団。
 
 左右非対称な、斜線陣と呼ばれるものだ。
 それぞれ、中央、北側、南側と別れ、
 同時に扉を開けて入る。
 
 相手はこちらが3隊に分かれたのを見て、
 6グループづつに別れてこちらに
 接近してくる。
 
 このままいくと、ほぼ中央の位置で両軍
 が激突する。ある程度近づいた段階で、
 各旅団の団長が攻撃命令を下す。
 
「抜刀ーっ!」
「構えーぃ!」
「乱戦よーぃっ!」
 
 旅団ごとに異なる声が飛び交う。
 
 玄想旅団も予備でスタートだが、12人
 全員で戦う。いよいよ地下9階、闘技場での
 戦いが始まった。
 

闘技場

  両軍、ほぼ横一線で対峙した。
 そして、初っ端から派手な魔法の応酬で
 始まる。
 
 中央部は、こちらの主力旅団を当てたので、
 相手を圧倒するかに思われたが、相手側
 中央部、少し毛色の違う6人グループが
 混ざっている。
 
 どうも、相手の階層ボスがこの戦闘に
 混ざっているようだ。中央部はほぼ拮抗
 しそうだ。
 
 北側は、攻守のバランスが良い臥龍旅団と
 神姫旅団、軽装で攻撃的な狂獣旅団、
 トリッキーなデバイスや技で相手を翻弄
 する甲殻旅団で、人数差が少しあるが、
 善戦していた。
 
 対して南側は、纏魔旅団と陰陽旅団、力戦
 というより、相手を翻弄する技が得意な
 両旅団だ。
 
 やたらと数とサイズばかりが大きい火球呪文、
 やたらと範囲と閃光が激しいが大した出力
 が出ていない雷撃呪文、
 
 大量のシキガミが相手の体に張り付き、
 煙幕で視界を消す。一見派手な戦いが展開
 されているように見えて、全然戦って
 いない。
 
  さすがにアンドロイド軍団の左翼つまり
 南側で纏魔旅団および陰陽旅団と戦っていた
 グループも、気づき出した。そして、実害を
 与えるために強引に前に出てくる。
 
 相手が比較的攻撃的な構成であることも手
 伝って、纏魔旅団と陰陽旅団は押され出す。
 次第に崩れ始め、後退が始まる。
 
 そこに、百足旅団と我々玄想旅団が応援に
 加わる。しかし、その前に二旅団の崩壊が
 激しく、少し踏みとどまっただけで、すぐ
 に後退を始める。
 
 トップ12旅団の右翼は、ほとんど四散する
 形に見えた。相手の左翼6グループは、
 こちらの右翼が四散するのを見て、返す刀
 でこちらの中央部を横撃する姿勢を見せる。
 
 中央部はやや押され気味であったが、半包囲
 されるかたちになり、さらに押される。
 鳳凰旅団の、唯一の重装甲アンドロイドが、
 ついにステガマリという技を使う。
 
 闘技場中央で胡坐をかいて座り込む。周囲に
 相手側中央のグループが群がる。シールドの
 残り出力を使って守っているが、時間の
 問題だ。
 
 しかし、我々の唯一のアンドロイドが完全
 に破壊されている最中、右翼が反転を開始
 していた。攻撃力と機動力があり、戦力を
 保存していた百足旅団と玄想旅団が、
 半包囲している敵をさらに包囲する形で
 背後から突撃する。
 
 百足旅団は、守りや重装甲の相手は向いて
 いないが、攻撃力があっても装甲の薄い
 相手には滅法強い。相手の治癒士を狙って
 瞬足で接近する。
 
 同時に、中央部は魔法の巻き込まれを避ける
 のと防御を高めるため、相手を惑わす魔法を
 使い始める。
 
  ガンソク・ソンウが、見えない馬を
 駆りながら、4頭のヤクを突撃させる。
 ヤクはそういう使い方もできた。
 
 セイジェンが槍を繰り出し、イスハークが
 2丁短銃を撃ちまくり、シャマーラが
 マジックミサイルで一体一体を確実に
 落としていく。討ち漏らした相手を、イズミ
 とナズミが拘束帯で絡めとっていく。
 
 アントンがサスマタで転倒させ、スヴェン
 が槌の雷撃で硬直させ、おれが棍棒を
 頭部または背部に決める。装甲の厚いのは
 任せてくれ。
 
 敵のアンドロイドたちは、混乱した様子も
 見せなかったが、対応もできていなかった。
 
 エリアの端まで逃げ出していた纏魔旅団と
 陰陽旅団も、実際には大した損害を受けて
 おらず、包囲に追いついて加わる。
 
 ほどなくして、敵の中央部と左翼が
 壊滅する。相手の右翼は治癒士を中心に
 善戦していたが、数的有利を覆すのは
 あまりに厳しかった。
 
 この戦法は、オリガ・ダン考案の逆斜線陣
 で、相手の斜線陣の動きを逆に利用する。
 
  一通り相手方アンドロイドを破壊または
 拘束して、戦闘は終わった。こちらの
 損害は、重装甲アンドロイドが全損、神亀
 旅団の前衛数名が重症を負ったが、回復可能
 なものであった。
 
 再び各旅団の治癒士が集まって集中治療が
 始まる。それ以外は、ほぼ軽傷や中程度
 の損害で済んだ。
 
 ヤク達も無事だ。ヤク達は、突撃後に
 すぐその場を離脱するように訓練されて
 いる。慣れていない人間よりも戦闘中
 落ち着いている。
 
  そして、階層ボスのブロックへ進む。
 予想通り、階層ボスはいなかった。さきほど
 の敵中央の一段働きの異なるグループが
 おそらく階層ボスだった。
 
 この地下9階は、見通しも良いため、教国
 多脚アンドロイドと、上級旅団数団に翌朝
 からの常駐をお願いする。
 
 我々は、まだ時間も早かったが、いったん
 宿営して翌朝まで休憩をとることとする。
 
 ただし、損害の少ない幻影旅団が、同じく
 損害の少ない百足旅団の支援を受けながら、
 地下10階を少し探索する。
 
  まずは階段を降りたところで、シキガミ
 による探査を開始する。しかし、地下
 10階は、一見したところ居住を目的と
 したフロアに見える。
 
 これまでの階とは作りがまったく異なる。
 フロア全てが見渡せるわけではないが、
 見通しもよく、危険生物が現れそうな
 雰囲気がまったく無い。
 
 百足旅団のうちの数名は、セイジェン・
 ガンホンと同郷だ。セイジェンが談笑して
 いる。そこに、イズミ・ヒノとナズミ・
 ヒノも加わる。
 
 よく聞いてみると、セイジェンと双子の
 クノイチを勧誘している。百足の団長が、
 12人もいらないだろうと言っている。
 しかし、セイジェンが、7人という数に
 意味があるんじゃないか、と返す。
 
 フロアの雰囲気もあって、皆リラックス
 している感じだ。
 
 シキガミから送られてくる映像を見る限り
 では、このフロアには、宿泊施設、食堂、
 トレーニングルーム、売店、公園、
 といったかたちで、
 
 人々が暮らすための施設が入っている。
 危険生物の姿は一切見えず、人の姿も
 見えない。
 
 皆てきとうに回りをうろうろし出したので、
 おれも気分転換に、歩き出そうか。
 なんかその辺の建物にでも入ってみるか。
 壁のドアを開けてみる。
 
 人が立っている。奥にも何人かいる。お互い、
 あ、という顔をして、いったん謝罪して閉め
 ようとしたが、いや、違う、こいつら、
 最後の敵だ。
 
 シャマーラが舌打ちしたような気がしたが、
 残りのメンバーが一気に戦闘態勢に入る。
 

最下層にいるもの

  そういう場所には、きちんと施錠すべき
 ではないか、そういう思いがコンマ何秒か
 のうちに浮かんだが、
 
 そういう場所には、きちんと標識を立てて、
 危険であることを知らせるべき、そういう
 思いがコンマ何秒かの間に通り過ぎたが、
 
 しかし、よく思い出すと、これまでの階層
 ボスのブロックに、施錠も無かったし、
 標識も無かった。律儀にルールを守っている
 のは向こうのほうだ。
 
 回避行動を取りながら転がって距離を取る。
 そして盾を構えて中腰になりながら、
 どこか傷んでいないか意識で確認する。
 
 少し離れた位置にいたアントン・カントール
 が素晴らしい速さで駆け付ける。スヴェンも
 来た。相手グループも扉から出て、すぐ
 攻撃の体勢に入る。
 
 こちらは12名、全員で戦える体勢だ。
 ガンソクがオリガ・ダンの指示を受けて、
 百足旅団を呼びに駆け出す。遠くには
 行っていないはずだ。
 
 相手は、前衛戦士が6名、最後のボスにして
 は貧相な感じが逆にやばさを臭わせる。
 若い男性と若い女性の魔法士らしき衣装、
 そして、太った中年の治癒士か。
 
  シャマーラの生成する火球が最大サイズに
 達したその時、
 
「ちょっと待った!」
 
 その若い男性の魔法士だ。
 
「玄想旅団だな?だよな?」
 おれがうなずく。
 
「おれは、イゾルデ王国のスパイだ!」
 と言って相手グループから距離をとり、
 対峙する構えを見せた。残ったラストボス
 のメンバーは、呆気に取られている。
 シャマーラは火球の投射を保留している。
 
 すると、
 
「ちょっと待って!」
 その若い女性の魔法士だ。
 
「私は、ヤースケライネン教国のスパイよ!」
 
「えっと……、つまり?」
 
 ラストボスメンバーと玄想旅団の両方が
 困惑しているのを見て、その女性魔法士は、
「つまりあなたたちの味方よ!」
 
 と言って玄想旅団側を指し、ラストボス
 グループと距離を取り、対峙する。
 
 ラストボスの面々は、武器を下に置いた。
 
 
  二人のスパイから事情を聴く。宿営地
 の旅団にも映像で共有する。まず、この
 男女は、お互いがスパイだとは気づいて
 いなかったようだ。
 
 男性は、ダミアン・パーラー、女性は、
 ジネブラ・マキンとそれぞれ名乗った。
 人は、スパイの任務を完了して、真実を
 語れるようになったとき、饒舌になる
 ようだ。
 
「どこから話そうかしら」
 ジネブラが、ダミアンを制して話し出す。
 
「教皇は、ついにウッテン家に反旗を翻したわ」
 
 そう、ジネブラは、ヤースケライネン教国の、
 教皇側のスパイだった。ウッテン家とは、
 教皇の教育係、教国を裏で操っていた一家だ。
 
「そのアラキナ・ウッテンが、失踪したんだ」
 
 ジネブラの呼吸の一瞬の隙をついて、ダミアン
 が割り込む。このダミアン、理知的な見た目
 で、ふだん女性が話しているのに割り込む
 ようなことはけしてしなさそうなのだが、
 今はもう話したくてしょうがないらしい。
 
「そうよ、アラキナは、オップダール地方に
 ある保養施設で逗留中にいなくなったのよ」
 
 すぐにジネブラが主導権を取り返す。
 オップダール地方と言えば、いつだったか、
 数か月前に、奇妙な洋館のミッションを
 やった場所だったな。
 
 仕事柄、出来事があり過ぎて、けっこう最近
 のことでもかなり前のことだったような錯覚
 に陥ることがよくある。
 
  アラキナの父親は、非常に優秀な人間で、
 しかし短命だった。その優秀な特性を引き
 継いで、アラキナは若年ながら短期間で
 ウッテン家をまとめた。
 
 反発展主義と共に、ヤースケライネン教国は、
 その勢いをさらに強めるかに見えた。
 しかし、アラキナは保養施設に逗留して
 から姿を見せなくなる。
 
 数か月の確認の後、教皇は、ウッテン家への
 反乱を決意する。アラキナ失踪後、ウッテン
 家をまとめたのは、あまり優秀でない
 アラキナの母、ダフネ・ウッテンだった。
 
「この迷宮は、地下で教国首都の宮殿と
 繋がっているのよ。隣のブロックの通路
 から、ほら画面を見て」
 
 オリガ・ダンが、それを先に言えよと
 ばかりに顔をしかめて、アンデット族の
 パリザダ・ルルーシュにシキガミを出す
 ように指示する。
 
「実際には、首都宮殿の下に埋まっている、
 王城遺跡の地下一階と繋がっている。そう、
 つまり、この迷宮はかつて塔だったの」
 
 もともとこの迷宮は、ウッテン家が危険
 生物やアンドロイドの実験に使っていた。
 ウッテン家は、首都宮殿とこの迷宮を、
 自由に行き来していた。
 
 しかし、反乱を起こした教皇は、ウッテン
 家に宣戦布告する。地下通路で、ウッテン
 家と教皇派との間で、激烈な戦闘が
 繰り広げられていたというのだ。  
 
「首都宮殿下の王城遺跡は、危険生物や
 アンドロイドを生み出す施設、この迷宮は、
 それらを保存するための施設だった」
 
 教皇に王城遺跡を占拠され、ウッテン家は
 ジリ貧状態となる。教皇側の攻撃に、
 迷宮の戦力を回さざるを得なかった
 ようだ。
 
 それでもかなりの戦力を、地下9階などに
 配置していたが、それも殲滅されて、ほぼ
 進退窮まった状況だったという。
 
 「あーところで」
 オリガ・ダンが遮る。
 
「ウッテン家というのはあとどれぐらいの
 勢力なのか? 全てこの地下にいるのか、
 それともどこか地上に拠点があるのか」
 
「ウッテン家は、今やもう、ダフネ・ウッテン
 だけよ」
 
 ウッテン家は、親族も含め、謎の死を遂げて
 いったらしい。ダミアンがやっと割って
 入って来た。
 
「恐ろしい話がある。ダフネという女性が、
 彼女の夫も含め、どんどん毒殺していった
 という噂だ」
 
「アラキナは、その状況に、あるいは他の何か
 に絶望し、自ら命を断った」
 
 反発展主義者が、その理想を自らの血族に
 実践していったということか。まあそこで
 一族が繁栄してしまうと確かに思想には
 反するのかもしれない。
 
「教皇の狙いは何?」
 こちらが聞きたいこともたくさんあるには
 あるのだが、この二人のスパイは、一晩
 でも語り明かしたいような雰囲気だった。
 

窮鼠

  スパイの二人を含め、ラストボスの
 部屋にいた者全てが、寝返りに合意した。
 トップ12旅団の代表者が集まる。
 
 ラストボスグループのまとめは、ジネブラ
 ・マキンだった。彼女は、以前の上司、
 ダフネ・ウッテンに、階層ボスが突破
 されたことを報告していない。
 
 今なら首都宮殿側にほとんど戦力を割いて
 おり、ダフネ・ウッテンは最低限の護衛しか
 持っていないはずだ。
 
「反発展主義に何の恨みもないが、ここは
 教皇に協力して、状況をいったん納め
 ようじゃないか」
 
 オリガ・ダンのひとことで、方向が決まった。
 ただし、とオリガは釘を刺す。教皇が勝利
 すると、この惑星の状況が一変するかも
 しれない、と。
 
 代表者達だけの意見だが、状況が変わろうが
 変わるまいが、それは覚悟のうえだという。
 このレベルまで来ている冒険者たちは、
 少々状況が変わっても、生計は立てていける。
 
「護衛の戦力について知っているものは?」
 
 はい、とジネブラが答える。
「二体のアンドロイド、二足型のラクシャサ、
 そして、ホバー型のマウス」
 
 ある程度、予想はしていたが、一番まずい
 アンドロイド2種の名前が出た。エンジニア
 達が呼ばれ、攻略可能性について検討が
 始まる。
 
  この迷宮と首都宮殿および王城遺跡間の
 距離は、約10キロ。反発展主義の最後の砦、
 ダフネ・ウッテンが潜む場所は、ここから
 約3キロの位置。
 
 首都宮殿の教皇軍との戦闘が行われているの
 が、そのダフネが潜んでいる位置と首都宮殿
 と繋ぐ通路のどこか。
 
 いくつかの案が出た。まず、教皇軍が優勢に
 なるまで待つ。ダフネ側は補給も受けられ
 ない状況だ。有力な案のひとつ。
 
 もう一つは、ダフネを無視し、教皇軍と
 戦っている戦力を挟み撃ちで叩く。
 ダフネの護衛がどう動くかが気になるが、
 これも有力。
 
 三つ目が、そのままダフネに挑む案だ。
 二体のアンドロイドは、なるべくやり過ごし、
 本人だけを狙う。大勢は、これに倒れ
 そうだ。いかにも冒険者的な選択だ。
 
 ただし、その場合は詳細な戦力調査を
 やりながら戦う必要がある、とオリガが
 念を押す。詳細な調査をやれば、相手にも
 気づかれる。
 
 戦闘開始後にも探査ドローンのシキガミを
 使って戦力を探り、隠し戦力があれば
 すぐ撤退するという手筈にした。
 
  上階にいる3機の多脚型アンドロイド、
 スタグも呼び寄せられた。スタグ3機で、
 ホバー型アンドロイド、マウス1機とほぼ
 同じ戦力だが、護衛のマウスは特別仕様
 の可能性が高い。
 
 マウスが特別仕様であること前提で、突入
 の構成が決まる。敵マウスには、スタグ3機
 と、纏魔、陰陽、甲殻、白狐、麒麟、鳳凰、
 神亀、臥龍、神姫、の9旅団。
 
 9旅団は、3旅団づつに分け、マウスと
 対峙する3旅団、交替要員の3旅団、後方を
 守る3旅団としてローテーションする。
 
 ラクシャサとダフネ本人に当たるのは、狂獣、
 百足、玄想、の3旅団となった。ポイントは、
 ダフネ本人を確保し、かつ二体のアンド
 ロイドを緊急停止させられるかどうかだ。
 
 緊急停止が出来なかった場合、犠牲者が出る。
 
  すでに夕刻となっていた。決行は翌日に
 延ばす手もあったが、拙速を選ぶ。一行は、
 迷宮の20ブロック四方の外へ向かう。
 地下9階から階段を降りてきた位置から
 比較的近い場所にその通路の入り口が
 あった。
 
 そこを、まず3キロほど進む。そして、隠し
 扉をエンジニアのサポートを受けたジネブラ
 に開けてもらう。
 
 これも、事前の連絡が無ければ通常は開か
 ない。つまり、通常でない開け方をする。
 そして、それはそこに潜む者との開戦の
 合図だ。
 
 扉の向こうは、まず広い空間が広がって
 いた。3ブロック四方、つまり、300
 メートル四方はありそうだ。
 
 そして、すでにそいつの姿が見えている。
 底辺は平らで上部は丸い姿、高さ15
 メートル、幅20メートル、長さ30
 メートル、ずんぐりした、マウスだ。
 
  中央付近で浮遊するマウス。侵入者を
 見つけ、接近してくる。トップ12旅団側
 は、纏魔旅団、陰陽旅団、甲殻旅団から
 スタートする。
 
 スタグ3機と3つの冒険者グループが
 現れ、そのマウスと呼ばれる兵器は多少
 動揺しただろうか。接近速度を落とす。
 
 こちらの3機と3旅団は三方に展開する。
 それがいかにも静かに進行したため、この
 ままこの戦いは、特に撃ちあうこともなく
 進むかに思われたが、その直後、一発の
 閃光とともに静寂が打ち破られる。
 
 ハリネズミのごとく砲火を発するマウス。
 スタグも負けじと砲撃を返していく。
 
 纏魔、陰陽、甲殻の3旅団が最初に出て
 いるのは、あまりまともに戦う気がない
 のと、敵ホバー型マウスの情報をとる
 ためだ。
 
 煙幕による熱探知阻害や視界阻害が行われる。
 戦闘中に解析デバイスがフル稼働する。
 既得の仕様情報と比較されながらその強さ
 が把握されていく。
 
 双方のアンドロイド、そして人間たちは、
 常にシールドを展開している。人間たちは
 ずっと回避行動を行っている。立ち止まる
 と、対アンドロイド砲に捕まる。
 
 それは、シールドがあればそれ自体で致命傷
 になることはないが、吹き飛ばされて、その
 あとの落ちどころで致命傷となる可能性
 がある。
 
 人が装備するシールドは、出しっ放しで
 約3分。アンドロイドのものは約10分。
 3旅団のメンバーは、時に多脚型スタグの裏
 に回りこみ、その間シールドを切って防御
 継続時間を稼ぐ。
 
  その間、狂獣、百足、玄想の3旅団と
 ジネブラが、奥側へ回り込む。マウスは、
 ダフネのいる場所へ進む隠し扉の位置を
 知ったものが敵にいる、ということを想定
 できていない。
 
 慌ててそちらに進む動きを見せるが、
 多脚型スタグ一台に阻まれる。シールドを
 展開しながら至近距離で撃ちあう。
 また煙幕が追加され、大量のシキガミが舞う。
 
 開始2分以内に、建物内へ侵入完了。
 

鬼の居ぬ間に

  建物内は、管制室のような部屋を居住用に
 拡張して改造したような造りをしていた。
 
 上に登る階段が入ってすぐ見えるところに
 あるが、まずこのフロアを探査する。
 探査しつつあまり時間の余裕もないので、
 上階へ上がる準備をする。
 
 予想していた戦力以上のものはなさそうなの
 で、一気に上階へ上がっていく。玄想旅団
 の12人、百足旅団、狂獣旅団の順だ。
 
 階段を上がりきり、少し広めのフロアに着く。
 階段があるのはここまで。二体目のアンド
 ロイド、青い体をしたラクシャサが、仏像の
 ごとく座禅を組み、四本の腕を合掌させて
 いる。
 
 ラクシャサは、二足歩行のアンドロイドと
 してはそれほど大きくない、ジャイアント族
 のアントン・カントールとほぼ同じぐらいだ。
 しかし、性能は段違いだ。
 
 ラクシャサはゆっくり立ち上がる。玄想
 旅団の現地組6名が、正対するがまだ接近
 しない。百足旅団と、狂獣旅団が上がって
 来て、そのまま左周りに奥にある扉を
 目ざす。
 
 走りながら、ラクシャサの迎撃を警戒する。
 玄想旅団の本部隊が、それを見てそろそろと
 右回りに扉を目ざす。こちらが本命だ。
 
 イズミ・ヒノ、ナズミ・ヒノの二人を先頭に、
 ジネブラ・マキン、ヨミー・セカンド、
 パリザダ・ルルーシュ、少し遅れてガンソク
 ・ソンウ、最後にオリガ・ダンが付く。
 
  ラクシャサは、こちらから向かって左へ
 回った百足と狂獣の両旅団の方へ向かうと
 読んでいたが、途中でやめ、アントンの左
 に立つおれの方へ、スーっと向かって来た。
 
 4種の異なる斬撃系の武器を持つラクシャサ、
 二本の右手で振りかぶる。いったん盾で
 受けてみようと思ったベルンハード・ハネル。
 
 ガっと音がして、その瞬間腰の重心を落とす
 が、当たりが軽い、とそう思った瞬間、
 素晴らしい速さで、ラクシャサがベルン
 ハードとアントンの間を抜けた。
 
 ラクシャサは、一瞬でシャマーラとの   
 距離を縮め、振りかぶったほうの逆の手で
 切り上げる。シャマーラも素晴らしい
 反応で、逆側へ避けるが、残った左腕の
 肘から先が飛ぶ。
 
 そこに百足旅団の前衛サムライが走り
 込み、ラクシャサの背後から袈裟切りを
 放つが、三つの顔を持つラクシャサは
 背後も見えている。
 
 ラクシャサは、回避行動を取りながら、
 次々と百足旅団のサムライの斬撃をかわし、
 隙をみてカウンターも返す。
 
 シャマーラは、回避行動で転がりながら、
 機能服の袖の止血帯を閉めて出血を止める。
 転がった腕の先を、セイジェンが横っ飛び
 で拾い、シャマーラの元へ寄る。
 
 すぐに腕を付け、少し顔色が青いが、声
 ひとつあげずに治癒ナノマシンを使い、
 腕を接合していく。その上から、機能
 バンテージで巻いていく。
 
 オリガ、アントン、スヴェン、セイジェン、
 ベルンハードが周囲を守る。イスハークも
 寄ってきて、大丈夫か、と声をかける。
 
 問題ない、と小さく答えるシャマーラの声
 を聞いた瞬間、ベルンハードの中で何かが
 キレた。百足のサムライ達の間を抜けて
 再びこちらに向かいそうなラクシャサに、
 
「うぉおお!」
 と雄叫びをあげ、躍りかかる勢い、で
 あったが、スヴェンが足を引っ掛けつつ、
 槌の柄の部分で押して躓かせる。
 
 一瞬で頭が冷えるベルンハード。ラクシャサ
 は、不用意に突っ込んでくる相手のカウンター
 も狙っている。
 
  狂獣旅団は、扉の方へ向かった玄想旅団
 の面々を守る位置で絶対に通さない構えだ。
 
 ラクシャサが、緩急の付いた動きで、ゆっくり
 した動作から素早い身のこなしに変化する、
 一瞬の気も緩められない相手だということが、
 玄想旅団の治癒士を狙った動きからも分かった。
 
 ジネブラとヨミー・セカンドで扉を開錠する。
 クノイチの二人が飛び込む、残りも続く。
 ダフネ・ウッテンが、魔法や剣技などを使え
 ないことは情報として得ている。
 
 いた。複数台のモニターの前で、端末に齧り
 付いている。クノイチの二人が、刃物を当て
 て、動くな、と凄む。しかし、ダフネと
 呼ばれるその中年の女性は、まだ端末の
 操作を継続していた。
 
 近づいてきたヨミー・セカンドが、
「引きはがして!」
 と叫ぶ。
 
 すぐに反応するイズミとナズミ。ダフネを
 転がし、手足を拘束する。
 
 変わって端末を操作するヨミー。
 
「危なかったー、遠隔武器を使用して見える人間
 全部殲滅するモードに変えようとしてたよ。
 緊急停止パスワード聞き出せる?」
 
 ダフネという女性は拘束されたことで錯乱して
 しまい、どうもパスワードどころではないよう
 だ。ヒノの二人がその刃物で丁寧にお願い
 しても協力してくれそうにない。
 
 特殊な薬物を使用するか聞いてくる二人に、
 ヨミーが首を横に振り、
 
「ハッキングするから30秒くれる? 伝令!」
 ヨミーがガンソクに叫ぶ。ガンソクは、よし!
 と返して時計を見ながら走り出し、外へ伝え
 にいく。
 
 ガンソクが、「あと25秒!」と叫ぶ。
 狂獣旅団の団長が、即座に同じ内容を叫ぶ。
 
 百足旅団は、ほぼ全員軽傷を負っているが、
 致命傷はない。ただ、ラクシャサにまだ
 一太刀も与えられていない。
 
 いや、むしろ剣技だけでラクシャサと渡り
 合っているだけでも、相当な集中力だ。
 滑るような動きでサムライたちを躱し、
 再び玄想旅団を狙う、ラクシャサ。
 
「よし、いこう!」
 守っているだけではいつかやられると判断
 したオリガの口から、攻撃の指示が出る。
 
 シャマーラの前にオリガだけ残し、3人で
 立ち向かう。相手の出方次第で3人のうち
 の誰からでもイニシエートできる俺たちの
 必殺技を見せてやる。
 
 また、おれのほうに来た。来い、今度は
 決めてやる。体の力を抜く。半眼になる。
 
 さっきと似たようなモーションから、
 棍棒を盾の影に隠す、
 
 上段からの大げさな大振りをすぐに引き寄せ、
 ラクシャサの斬撃をウィービングで避けつつ、
 下から鋭く小さい振りを、動きを読んで置き
 に行く。
 
 グワシャと鈍い音がして、一瞬ラクシャサ
 が引く。たぶん右上の腕の肘に入った。
 しかし、またすぐ向かってくる。
 
 フェイント? 一瞬動きが止まったように
 見えたラクシャサの頭部をすかさず打ちに
 いく。
 
「うぉおおおり!」
 が、それをアントンの長い腕が制した。
 
 ラクシャサは、停まっていた。
 
 
  思わず膝を着くベルンハード・ハネル。
 混乱した頭の中を必死に整理する。
 シャマーラが回避できていなければ……。
 
 そこに歩み寄り、
「ベルン。大丈夫よ、最悪の事態は避けた、
 起きていないことは気にしない」
 ほら立って、と背に手を当てるシャマーラ。
 
 すまん、と小さく返すベルンハード。
 

顛末

  その後、ヤースケライネン教国は急速に
 その姿を変えていった。
 
 人々の暮らしも大きく変わった。人口増加も
 経済発展も技術革新も、全て容認された。
 鉄道もホバーも移動住居も全て解禁された。
 
 教国は、反発展主義の標榜を取り下げること
 はしなかったが、ほぼ有名無実と化していた。
 同時に領土拡大の野心も捨てた。
 
 その代わりに、教皇は、次の恒星系を目ざす
 という目標を立てる。自分の在位中に、
 必ず国力を立て直し、シリウス星系への
 出発を計画するという。
 
  玄想旅団は、あの後半年ほど活動し、
 そして解散した。そして、その10年後の
 今、みんな元気にやっている。
 
 アントンは、一般企業でしばらく働いた後、
 ある球技スポーツのプロを目ざしている。
 あいつは不器用だが、一度コツを掴むと
 必ず芽を出す。
 
 スヴェンは弁護士資格を取った。法廷に立つ
 という。あの肉達磨がフォーマル衣装で法廷
 に立って何か喋る場面を想像してみてくれ。
 
 セイジェンは家督を継ぐと言っていた。実家
 が経営している大農場を継ぐのだろう。
 武芸の稽古も続けているようだ。
 
 イスハークは、役者になってしまった。
 そんな夢があったとは、旅団の誰ひとり知ら
 なかったようだ。もちろん銃を撃つ役
 以外もこなす。
 
 パリザダは占い師で生計を立てている。
 おれは利用したことはないが、かなりの人気
 らしい。裏で妖魔退治もやっているから、
 必要だったら声を掛けろと言っていた。
 
 ガンソクは軍に入った。補給士の資格もある
 ので兵站を担当しているらしいが、そのうち
 国の移動都市プロジェクトにも参加する
 らしい。
 
 ヒノの双子は観光業だ。ニンジャの技を
 教えるニンジャランドで、子どもにも
 大人気だ。子どもたちの間では、暗殺
 ごっこが流行っている。
 
 ヨミーはまだ冒険者絡みの仕事をやって
 いる。前線にはもう出ていないが、ギルド
 に所属して何か役に立ちそうな装備を発明
 しているそうだ。そして、移動都市
 プロジェクトにも国から誘われている。
 
 そしておれは、宇宙に出て、格闘技を
 教えるジムのインストラクターをやって
 いる。
 
 五年前に、結婚もした。玄想旅団の
 メンバーだった女性とだ。今では子ども
 も二人いる。
 
 彼女は、けっきょく歌手デビューした。
 様々な民謡、そして童謡を歌う。
 以前よりも体重も落として、自分が言う
 のもなんだが、絶世の歌姫だ。
 
  最近、あの頃の夢をよく見る。
 内容は、夜営をしている場面が多いかも
 しれない。焚き火の音、虫の音。しかし、
 旅団全員ではなく、6人なのだ。
 
 記憶が曖昧で、いったいどのミッション
 での夜営だったか、わからない。そして、
 夢の内容は、毎回何かが微妙に違うのだ。
 
 よく考えれば、それは10年にも満たない
 期間だった。しかし、おれの心の中に、
 ある一定の密度を保って、存在し続ける。
 
 比較すれば、今の生活のほうが絶対に
 マシだ。そういう意味で、その当時に戻る
 という選択肢があるのならば、まあ絶対に
 戻らない。
 
 戻らないのだが、何かこう、あれだ、
 説明が、難しい。
 
 ただ、あの夜営の、焚き火の時間にだけ
 戻りたいかもしれない。あの焚き火の時間と、
 今を行き来できれば、それでいい。
 
 
  しかし、玄想旅団を再結成する話も
 実はあるのだ。それは、もはや冒険者として
 の旅団ではないかもしれない。いや、ある
 意味冒険者と言えなくもないか。
 
 移動都市に参加しないか、という話だ。
 それも、移動都市建設のプロジェクトに
 参加しないか、という話ではなく、
 シリウス星系を一緒に目ざさないか、
 という話だ。
 
 まあ、おれの今の仕事も非常にうまくいって
 いる。妻の仕事もそうだ。それなりに歳も
 取った。あの頃のようにもう若くない。
 
 この話は、断ろうと思う。
 もはや落ち着きたいのだ。
 
 などという気持ちは微塵もない。誰に
 似たのか分からないが、おれにとって参加
 しないという選択肢はない。妻も、何の
 迷いもなく答えた。
 
 他のメンバーもそうだったらしい。
 元旅団の誰もが、何の迷いもなく、
 参加すると答えた。
 
  少し残念なのが、その移動都市の
 出発が、今のところ30年後を予定して
 いることだ。
 
 玄想旅団にいる間に、金は腐るほど稼いだ。
 名前も売れたので、トレーニング本を
 適当に、おっと、一生懸命書けば、それも
 売れる。
 
 仕事を辞めて移動都市の話を、建設プロ
 ジェクトの段階から手伝っても良いかな、
 と最近そう思うようになった。
 
 そうそう、ちなみに移動都市関連プロジェ
 クトは、オリガ・ダンが国からプロジェクト
 リーダーを任されている。
 
 かつてのトップクラス旅団の面々も、今や
 各界で活躍している。それらの、かつて
 一緒に戦った仲間たちも、プロジェクトの
 支援に乗り気だ。
 
 特に、元神姫旅団のメンバーは、財界の子息
 で構成されていた。その彼女らが、経営する
 企業グループの中でかなりの力を付け、
 そしてオリガの支援を検討している。
 
 オリガ本人は、移動都市そのものにも、
 建設プロジェクトにも、あまり旅団関係、
 冒険者関係の人間の支援を望んでいない
 と聞く。
 
 なんだ、水臭いじゃないか。
 
 
  ジネブラ・マキンは、引き続き教皇の
 スパイとして働いている。その任務は、
 アラキナ・ウッテンの意思を教皇に伝える
 ことである。
 
 アラキナは、いつかの洋館から、それが
 襲撃される前夜に光学迷彩の移動住居を
 使って脱出していた。
 
 母のダフネ・ウッテンは、一市民として
 監視されながらどこかで暮らしている。父を
 殺し、自分を殺そうとした母を助けようとは
 思わない。
 
 アラキナは、父を隠れ発展主義者だったと
 思っている。それに対し、母は生粋の反
 発展主義者だった。
 
 人間の、性悪説を唱える人間が、必ずしも
 本人自身が性悪とは思わない。だが、母は、
 間違いなく反発展主義でいうところの
 愚かな人間だった。そして、人一倍権力欲
 も強かった。
 
 アラキナは、父と母の子として、その両方
 を持ち合わせている、と自覚している。
 
 襲撃の前夜、遺伝子分布論というタイトルの
 本を読んだとき、いったん自分の中の
 反発展主義者が死んだ。すべてが人類の
 ためになっていると悟った。
 
 今、その反発展主義者が、息を吹き返そうと
 していた。いやそれは遠い未来かもしれない。
 強力な発展主義は、反発展主義を育てる。
 遺伝子分布論の記述を逆読みすれば、自然と
 そうなる。
 
 私は、必ず人類をシリウスに到達させ、人類
 を発展させる。それは、やがて負の面をも
 強化し、母の望む世界をもやがて生み出す。
 
 光と闇、どちらも、私の望むところ。
 
  物事は、螺旋を描きながら進み、やがて
 あざなえる縄のごとく、善を生み、悪を
 生じさせ、行きつ戻りつ、前に進む。
 
 その歩みは、蝸牛のごとく、見る者に
 その進みを感じさせない。
 

最速伝説

  標高1449メートル、ヘイゼル山の山頂、
 夏前の、暑くもなく、寒くもなく、星が、
 瞬く。いや、あれは星だろうか。
 
 片側一車線の道路に、二台のアナログカーが
 前後に並ぶ。前は、白と黒の2色トーン、
 少し直線的な形状、後ろは赤、曲線的な
 フォルム。
 
 前の車の斜め前に、人が立つ。エンジンを
 吹かす二台。暗がりの中で、山の木々が
 頭上に覆い被さる。 
 
 カウントダウンを始める。
「いきまーす! 5、4、3、2、1、ゴー!」
 腕を振り下ろす。
 
 白黒が勢いよく飛び出す、赤い車は急発進で
 はあるが、ツートーンから少し置いていか
 れた感じだ。
 
 まず90度の左カーブ、緩い右カーブからの
 右ヘアピン、少し進んで、緩い右カーブ
 からの左ヘアピン、
 
 少し進んで直線に入ったところで、前の
 ツートーンがカーブに消える。そして、
 二連続ヘアピン、
 
 直線がだいぶ続くが、ツートーンと赤い車
 の間にかなりの距離が開いていた。この
 コース上で最も速度の出る区間だ。
 
 町の夜景が見える。数人のギャラリー。
 
 展望台の横を過ぎ、うねったカーブが続く、
 右ヘアピンを過ぎ、しばらく直線に近い
 コースが続いて速度が上がる。そしてまた
 左ヘアピン、その直後に、
 
「よし」
 
 赤い車の運転席に座る人物が呟く。明らかに
 エンジン音に気合が入る。
 
 コンソールを操作して、音が鳴り出す。
 ずいぶん攻撃的な印象のダンスミュージック
 が、大音量で鳴り出す。
 
 そこから、この坂の名所となる、五連続ヘア
 ピンが近づく。ここは、実際は四連続しかない
 のだが、五連続ヘアピンと呼ばれている。
 
 そこを、赤い車は、先ほどとは異なるカーブの
 曲がり方で曲がっていく。車の四輪を、横に
 滑らせるような曲がり方だ。ハンドルを
 いったんカーブ方向に切り、そのあと逆側へ
 切って姿勢を制御する。
 
 四つのカーブ全てをタイヤを滑らせて曲がる。
 
 二連続ヘアピン、左カーブ、右ヘアピンで、
 ツートーンのテールランプが再び見え出す。
 そこから緩めのカーブが続くが、どんどん
 距離が縮む。
 
 最後に右カーブを曲がり、左手に駐車場が
 見え、そのあたりがゴールだ。けっきょく、
 ほぼ並んで同時にゴールする。
 
  車から降りてきた人物、ヴァイ・フォウ。
 見事な体格、鍛え上げられた肩、腕の筋肉。
 身長は170センチほど、体重は70キロ
 近くあるだろうか、短髪に整った顔立ち。
 
 そして、そのヴァイが乗る赤い車、ムゲンと
 呼ばれる。ヴァイが乗るのは、ムゲンの4つ
 目のディーモデルだ。自分の名前と通じる
 部分もあって、ヴァイは気に入っていた。
 
「タイムは?」
 
「3分15秒」
 
 答えたのは、オンドレイ・ズラタノフ、
 ヴァイより背が高く、ひょろ長く出っ歯。
 先ににダウンヒルを終えて、下の駐車場
 で待っていた。
 
「だいぶ早くなったね、ワルター」
 
 ヴァイより少し背が低く、ずんぐりした、
 丸坊主のワルター・テデスコが答える。
「後発のヴァイねえに追いつかれたけど」
 
「ヴァイねえは本気出すと3分切るでしょ」
「ヴァイねえは追いかける時しか本気
 出ないからなあ」
 
 その3人のすぐ後ろでニコニコ立っている
 いるのは、ヤーゴ・アルマグロ。
 オンドレイより少し背が低いだろうか、
 あまり特徴の無い地味な顔、痩せ型だ。
 
 彼ら4人は、走り屋チーム、金剛石の
 メンバーだ。ヴァイが17歳、残りの3人
 が16歳。
 
 ワルターの乗っていた白黒のツートーンの
 車が、トールの86型。オンドレイは、
 青のインキュバス、ヤーゴは黄のセベク。
 
「オンドレイが3分22で、ヤーゴが3分
 25かあ、じゃあ今日ベスト更新は
 ワルターだけだ」
 
「じゃあオンドレイんち行くか」
 
 それぞれの車に散ろうとしたが、そこに
 2名の大人が近づく。二人とも180センチ
 前後の身長がありそうだ。
 
「おまえらさあ、ちゃんと資格持ってんのか、
 見せてみろよ、あ、嫌なら通報すんぞこら」
 
 たまに地方から勘違いした人間が来る。
 たいてい年下の3人に任せるのだが、今日は
 ヴァイがとくに返事もせずに二人の前に
 立ち、にっこり笑う。
 
「おまえ言葉通じてんのか? 何か答えろおら」
 
 ヴァイの着ているよくわからないキャラの
 ティーシャツを掴もうとしたその瞬間、
 足を払われて一回転する男。
 
 もう一人は声を裏返らせて何か喚いてヴァイ
 に掴みかかろうとするが、ゴフっと呻いて
 うずくまる。ヴァイが体を沈めて踏み込み、
 胸元に肘撃ちが入っていた。
 
「おまえらなあ、手加減できんうちは素人
 相手に肘撃ち使うなよ」
 危険過ぎる、と3人に肘撃ちに関する
 アドバイスだ。
 
 素人扱いされてそろそろと逃げていく男二人。
 入れ替わりに、意を決したようにヴァイに
 近づく少女二人。
 
「ヴァイさん、これ、受け取ってください」
「彼女はいるんですか?」
 
「ああん?」
 と答えるヴァイと少女二人の間に割って入る
 オンドレイ。
「お嬢ちゃんたち、今日は遅いからもう帰りな、
 封筒は受け取っておくからさあ」
 
 年齢は若そうだが人相の悪い3人に阻まれて、
 少女二人は帰っていく。
 
「おれは女だって、彼女なんているわけない
 だろが」もう何回目だ、とぶつぶつ言いつつ
 車に乗り込むヴァイ、残りの3人もそれぞれ
 の車に乗り込む。
 
  オンドレイの実家は、銭湯をやっている。
 もう夜の11時を回っている。走り終わった
 あとに、ひと風呂浴びてそれぞれの家に
 帰るのだ。
 
 当然、ワルター、オンドレイ、ヤーゴの3人
 は男湯、ヴァイは女湯に入るのだが、客が
 少ないと、ヴァイは男湯にやってくる。
 
「サンボの試合、来週だっけか」
 ヴァイが湯船にのびのびと浸かっている。
 近所のおじさんもいるが、いつものことなの
 でおじさんも気にしていない。
 
「ヤーゴの怪我はもう大丈夫なの?」
「うん」
 
「少し筋肉付いたよな?」
 ヴァイがヤーゴに尋ねる。怪我を治している
 間に筋トレしたとヤーゴが答える。
 
「もう一人誰が出るんだっけ」
 今度はワルターが誰となく聞く。
 
「アナ・ボナでしょ」
 ヴァイとオンドレイが同時に答える。
 
 脱衣所でも、ヴァイは涼んでいつまでも服を
 着ない。16歳の男3人は、ヴァイに早く
 服を着てほしいと思っている。
 

市民大会

  サンボと呼ばれる格闘技のオープンの
 大会が行われている。対象は、16歳
 から18歳。たいていは各学校のクラブ
 で参加するが、民間クラブの参加もある。
 
 少し変わっているのは、団体戦が、一般
 クラスになっていることだ。つまり、男子
 も女子もエントリーできる。体重制限など
 もない。
 
 団体戦は、全部で128チームが参加して
 いる。優勝するには、7回勝たなければ
 ならない。
 
 ヴァイ・フォウ、ワルター・テデスコ、
 オンドレイ・ズラタノフ、ヤーゴ・
 アルマグロの四人は、すでにウォーミング
 アップを始めている。
 
 そばにいるのは、顧問役として来ている
 ニコロ塾の塾長、ニコロス・ニコロディ。
 アナ・ボナの遅刻には慣れている。それ
 ほど機嫌が悪そうには見えない。
 
 4人とも、黒の道着に、ニコロ塾という
 銀文字が胸に刺繍されている。4人とも
 黒帯だ。
 
 アナ・ボナが、道着に着替えて試合会場に
 降りてきたようだ。身長150センチ弱、
 体重は、おそらく今日のために少し増して
 いるだろうが、おそらく52キロ前後だ。
 
「おっす」
 
 アナは露骨に機嫌が悪そうだ。
 
「おまえ寝起きかよ」
 
 ヴァイの問いかけに、そんなことないよ、と
 大あくびをしながら答える。ニコロ塾長と
 目が合い、はい、と言ってストレッチを
 始めるアナ。塾長とアナはほぼ同じ身長だ。
 
 塾長も道着を着ており、アナのアップを
 手伝う。打ち込みを20本の5回ほど行い、
 投げ込みを綺麗に受ける。
 
  ウォーミングアップも終わり、塾長が
 5人を集める。
 
「ベスト16でキムラ塾と当たるな、わかって
 いると思うが、そこが勝負だ」
 
「おやっさん、まずは一回戦でしょ」
 ヴァイが塾長の話を遮る。塾長は、その通り
 だな、でもここでは先生と呼べ、と答え、
 オーダーを発表する。
 
 先鋒がアナ・ボナ、次鋒がヤーゴ・アル
 マグロ、中堅がワルター・テデスコ、
 副将がオンドレイ・ズラタノフ、
 大将がヴァイ・フォウ。
 
 ほぼ体重順のオーソドックスなオーダーだ。
 今日の大会は、試合ごとにオーダー変更も
 可能だが、塾長は変えるつもりはないと言う。
 
 場内アナウンスが10分後の試合開始を
 告げる。ニコロ塾は、第一試合場の、
 8試合目だ。少し時間がある。
 
 5人制の試合時間が4分のため、2時間ほど
 ありそうだが、フルに戦う試合ばかりでは
 ないため、進行状況をいちおう気にして
 おかなければならない。
 
  1時間半ほど経過して、試合状況を監視
 していたヤーゴが呼びにくる。いよいよ
 一回戦だ。
 
 並んだニコロ塾を見て、相手側の先鋒が、
 明らかに余裕の表情になる。その選手も
 男子の軽量級だが、女子が相手なら余裕
 ということだ。
 
「あれ?」
 
 相手の副将と大将、どこかで見た顔だ。
 相手もこちらに気づいたようなそぶりだ。
 確か、ヘイゼル山で見た二人だ。
 
 その時は、顔が老けて見えたのでまさか
 18歳以下だとは思わなかった。
 多少は腕に自信があるということか。
 
 先鋒戦が始まる。アナは、開始早々
 組際の左足払いで有効を取る。そして
 いったん離れたあと、
 
「たーぁはっ!」
 
 組際に左の払い腰で一本勝ち。
 当たり前のように開始戦に戻り礼をする
 アナ。あっけに取られる相手チーム。
 
 次鋒のヤーゴも開始1分とかからず
 上四方固めで一本勝ち。中堅のワルター
 は自分より背の高い相手に合い四つ
 からの右内股で一本勝ち。
 
 副将のオンドレイの相手は、ヴァイが
 肘撃ちを決めた相手だ。オンドレイも、
 試合中に肘撃ちをする素振りを見せる。
 もちろん反則だが、
 
 相手は嫌がって半身になる。そこを
 狙った右体落としで一本勝ち。
 
 そして大将のヴァイ。相手の大将は、開き
 直ったのか、思い切って飛び込んでくる。
 右手でヴァイの奥襟を叩きにくるが、
 余裕で受け止めるヴァイ、ニコリとして、
 
 左手を突っ張った直後の左足払い。
 やっぱりー、と叫びながら受け身をとる
 相手の大将。
 
  けっきょく、2回戦、3回戦もほぼ
 全員1分以内に一本勝ち。そして、
 キムラ塾との対戦となる。
 
 キムラ塾も、似たような戦績で圧倒的に
 勝ち上がって来ている。両チームが並び、
 声援が聞こえてくる。キムラ塾がかなり
 有名なチームだからだ。
 
 オーダーは、先鋒トウドウ、170センチ
 90キロ、次鋒ミワ、172センチ65キロ、
 中堅ホンダ、175センチ80キロ、
 副将キムラ、180センチ100キロ、
 大将タナカ、182センチ120キロ。
 
 キムラ塾もオーダーは初戦から変えていない。
 ポイントゲッターは、トウドウ、ミワ、
 キムラだ。残りの二人も、並みのチームなら
 軽くポイントゲッターになれる。
 
「はじめ!」
 
 先鋒戦が始まる。トウドウもアナも左組手
 だ。開始から、左自然体でお互い素直に
 組み合う。
 
 アナは、悪い形にならないように、トウドウ
 の左手、釣り手の位置をしっかりと下げる。
 これが上がってくると、首を制されて
 技が極まり易くなる。
 
 逆に自分の釣り手の位置をじわじわと上げ、
 左の払い腰を狙うアナ。足技の応酬から
 一気に体を開いて払い腰に入る。
 
 が、さすがにトウドウの90キロの腰は
 思い。戻り際に左足払いで崩し、そのまま
 押し込む。なんとか耐えようとするが、
 押し込まれて有効を取られてしまうアナ。
 
 そのまま寝技に持ち込もうとするトウドウ
 だが、アナは寝技の守りはうまい。
 待てがかかる。
 
 開始線に戻り、トウドウがキムラ塾顧問、
 キムラの方を見て、キムラもうなずく。
 そのペースで行けという意味だ。
 
  試合が再開し、アナが大きく両手を挙げて
 さあ来い、と声を出す。そのまま先ほどの
 形を期待したトウドウだが、アナは簡単に
 組まず、トウドウの右手袖口を左手で掴む。
 
 そのまま押し込んでトウドウの上体を
 起こさせるアナ、動きながら右釣り手を
 確保してパタパタと煽りながら突き出す。
 
 押し込まれて体勢を立て直そうと上体で押し
 戻すトウドウの前に、アナの姿が消える。
 股下に潜り込んだアナ、引き手を手前に
 落とし、完全にアナの腰に乗ってしまう
 トウドウ。
 
 体が綺麗に回転する。
 
「一本!」
 
 アナの右背負い投げが決まった。
 
 会場が一時騒然となる。腕を組んで座る
 キムラ塾塾長、マサコ・キムラの眉がピク
 ピク動くが、顔色は変えない。
 
 礼をしてアナが戻ってくるが、ニコロ塾の
 ニコロス・ニコロディも負けじと顔色を
 変えず、アナに「よし」とだけ言う。
 

死闘

  引き続き会場は騒然としているが、
 次鋒戦が始まる。
 
 ニコロ塾のヤーゴ・アルマグロと相手の
 次鋒ミワは、体重別の階級だと同じだ。
 ヤーゴもけして弱い選手ではないのだが、
 このミワは、少し別格だ。
 
 キムラ塾は、超高校生級のリチャード・
 キムラがやはり目立つが、このミワも
 かなりの選手なのだ。
 
 ヤーゴはそれをよく分かっていて、自分
 から組みに行き、先に仕掛けて、そして
 寝技に引き込む。
 
 そのまま寝技で取れればいいが、ミワの
 腰も強く、守りも堅い。しかし、その
 寝技で時間が稼げる。
 
 待てがかかり、ヤーゴが開始線に戻り
 ながら、ニコロ塾長のほうを見る。
 塾長は頷く。
 
「いいよ、そのまま寝技狙っていこう!」
 アナが大きな声を出す。
 
 まだ試合を控えている3人は少しナーバス
 なようだ。しきりに小刻みにジャンプしたり
 足を払ったりしながら見ている。
 
 ヤーゴは右組、ミワは左組で、いわゆる喧嘩
 四つの組手となる。引手を持たせると、ミワ
 の左内股が飛んでくる。引手を持たせずに、
 ギリギリの技を出し、そして寝技に持ち込む。
 
 このまま行ってくれ、とニコロ塾の皆が
 祈るが、ミワの右手が引手ではなく、ヤーゴ
 の襟を掴む。そして、そこから強引に左内股。
 もつれこんで、ヤーゴが有効を取られる。
 
「いいよ、気にしなくて! 寝技続けよ!」
 アナが声を掛ける。
 
「ヤーゴ! 相手の引手をしっかり引くか、
 釣り手を落とすかしろ!」
 ニコロ塾長も思わず声が出る。
 
 両襟からの内股が防げそうになく、ヤーゴは
 かなりやりにくそうだが、そこに左足払いが
 飛んできて、有効を取られる。
 
 それでも有効で耐えてくれればマシなので、
 両チームの声が大きくなっていく。
 
 ミワが、今度は襟でなくヤーゴの両袖を
 掴んだ。
 
「切れ!その形はいかんぞ!」
 ニコロ塾長が叫ぶが、
 
 両袖からミワが潜り込み、低い左袖釣り込み
 腰でヤーゴの体が綺麗に回転する。一本負け
 だ。しばらく立ち上がれないヤーゴ。
 
  中堅戦は、ワルター・テデスコ対、キムラ
 塾のホンダだ。このホンダという選手は、
 おそらく引き分け役だ。
 
 強い選手がいるチームというのは、その強い
 選手に鍛えられて、引き分けがうまい選手が
 育つ可能性がある。
 
 危なげない試合運びで、安心して見ていら
 れる。しかし、ニコロ塾側はそうではない。
 このホンダ選手、返し技がうまい。実際
 今日の試合もほんとどそれで勝っている。
 
 ワルターに、優勢勝ちでもいいからなんとか
 勝ってもらいたい、攻め続けて、どれかの
 技が掛かればいい、しかし、あまり攻め過ぎ
 て返しを食らうとまずい。
 
 かと言って、守り過ぎると指導の反則を取ら
 れる可能性もあるし、引き分け役といえど、
 ホンダはそれなりの技も持っている。
 
 サンボというのは、自分から技を掛ける際は、
 ある程度技のセンスのようなものが必要に
 なるが、技を耐える力、というのは普段
 強烈な技を受けていればけっこう身に付く。
 
 ホンダもふだんから3人のポイントゲッター
 に鍛えられているのだろう、ワルターの
 技を難なく凌ぐ。が、ワルターもある程度
 わかっているのか、返し技を食らうような
 中途半端な技はけして入らない。
 
 4分の試合時間が過ぎ、引き分けとなる。
 
  オンドレイ・ズラタノフの番が回ってくる。
 腿や腕や顔を手でバシバシと叩き、気合を
 入れている。
 
「よしこいやおらー!」
 
 キムラ塾の副将、リチャード・キムラ相手に
 大きな声を出す。キムラ塾顧問のマサコ・
 キムラは、このリチャードの母親だ。
 
 オンドレイは、ニコロ塾の中では身長も
 体重もあるほうだが、キムラはまた一回り
 大きい。しかし、100キロの巨体にも
 関わらず、スピードがある。
 
 そのキムラに、オンドレイは序盤から積極的
 に技を出していく。お互い右組手の相四つ、
 必ず相手の右手、引手から取りに行く。
 
「そうそう! 組手妥協すんな!」
 
 ニコロ塾陣営から声が飛ぶ。オンドレイは、
 技に入り、潰されるが、そのあとの寝技を
 耐える。キムラは寝技もうまい。
 
 が、試合時間4分というのは意外と短い。
 寝技は固めるまでにけっこうな時間を要する
 ので、寝技で取りきるのかどうかの判断が
 必要となってくる。
 
「その三角気をつけろよ!」
 
 うつ伏せのオンドレイに三角締め、あるいは
 腕を縛ってからの抑え込みを狙うキムラ。
 頭部側から脇に踵をねじ込んでいく。
 
 オンドレイは、なんとか凌いで待てがかかる。
 今日の試合は審判が比較的早く寝技で待てを
 かける。
 
「さあこい!」
 
 相四つで組み合う。相手の釣り手を充分に
 落としていい形にさせない。そして技を出し
 ながら、前に出る。
 
 焦ったキムラが右の払い腰にいくが、それを
 腰でしのぐオンドレイ。
 
「いいよ、いいよ! どんどん先に技出そ!」
 
  2分が経過して応援にも熱が入っていく
 ニコロ塾。
 
 開始線に戻って顧問の方を見るキムラ。
 
 はじめ! の声に再び試合場中央で相四つに
 組み合う二人。キムラが、右の小内刈り、
 大外刈りでオンドレイの右足を狙う。
 
 オンドレイも足払いなどを返しつつ、
 キムラの足をとる素振りを見せる。
 
 キムラがオンドレイの右手を切った。釣り手
 を切られて、オンドレイもキムラの引手を
 切りにいく。下がり気味のオンドレイに支え
 釣り込み足で追い込みながら、
 
 キムラの引手の左手を釣り上げ、右組手の
 まま腰を回転させて足先を延ばし、左の払い
 腰に入った。ふわりと宙に舞うオンドレイ
 の体。
 
「一本!」
 
 何だ今の技は? あっけにとられるニコロ塾。
 畳を叩いて「くそー!」と悔しそうなオン
 ドレイ。
 
  ヴァイの背中を叩いて下がるオンドレイ。
 おれに任せろ、と返すヴァイ。
 
 開始線に立つヴァイ。その眼前に、身長
 182センチ、体重120キロの、キムラ
 塾大将タナカが立つ。
 
「はじめ!」
 
 の声に、無言で両手を挙げるヴァイ。大将戦
 が始まった。
 

大歓声

  比較的静かな立ち上がり。
 しかし、ヴァイが静かな時、それは何かを
 狙っているときだ。
 
 キムラ塾大将のタナカが右組手、ニコロ塾の
 ヴァイ・フォウは左組手だ。170センチ
 弱のヴァイに対し、180センチを超える
 タナカは、ヴァイの左奥襟を掴みに行く。
 
 喧嘩四つの場合、相手が大きければ通常は
 襟を掴んで相手の脇下を突っ張っていく。
 距離を取って技を防ぐのだ。しかし、
 ヴァイは、左手で相手の右袖口を絞り、
 それを下へ落とす。
 
 タナカはそれを嫌がり、袖を切って離れ、
 再びヴァイの左奥襟を狙って釣り手を確保
 しようとする。
 
 妥協しないヴァイ、タナカの右手を再び
 捕まえ、袖を絞って下へ落とす、が、
 その間に、タナカがヴァイの右手袖口を
 掴んだ。
 
 引手を確保して、タナカが有利な組手と
 なる。あとは釣り手を掴むだけ。強引に
 腕を持ち上げて襟を掴みに行く。
 
 ヴァイは抵抗するが、力敵わず奥襟が
 掴まれそうになったその瞬間、ヴァイの
 体が回転し、同時に捕まれていた右袖口
 を上から掴みなおす。
 
 左の袖釣り込み腰でタナカの巨体が浮く、
 そして回転して落ちる、
 
「技あり!」
 
 惜しい、もう少しで一本の技だ。歓声が
 あがる。
 
 タナカはすぐうつ伏せで守りに入り、ヴァイ
 の寝技を警戒する。そして待てがかかり、
 立ちあがる二人。
 
 技ありを取られて少し焦り気味のタナカ。
 まだ時間がある、と声を掛けるキムラ塾陣営。
 
 今度は襟を取り、喧嘩四つの体勢を作る
 ヴァイ。引手の取り合いになるが、その間も
 押し込んでいく。一瞬引手を掴んだヴァイ、
 すぐ押して大内刈りに入る。
 
 腰で受け止めるタナカ、タナカの釣り手を
 下から跳ね上げて、引手を持ったまま左へ
 回り込み、体をずらせてタナカの右足を
 跳ね上げる。
 
 重い相手に対して正面からではなく、ずら
 して入る左内股だ。タナカが肩口から畳に
 落ちる。そこに体を被せるヴァイ。
 
「有効!」
 
 立て続けに重量級相手にポイントを重ねる
 ヴァイ。このタナカ、ここまでの戦いは、
 組んで、大技を掛けて一本勝ちを続けてきた。
 ここにきてまさかの苦戦だ。
 
 しかし、ニコロ塾はヴァイが一本勝ちしな
 ければ、内容で負けてしまう。
 
 キムラ塾からは、しっかり組んでいけ、今の
 はまぐれまぐれ、と声が飛ぶ。
 
 顧問のマサコ・キムラに声を掛けられて、
 リチャード・キムラが立ち上がり、アップを
 始める。
 
  再び組み合う二人、襟を掴んで突っ張りな
 がら前に出るヴァイ。しかし、引手を取る
 のを警戒する。襟だけから、足払いや
 大内刈りを掛けるが、タナカは揺るがない。
 
 ヴァイのさきほどの左内股を警戒して、
 タナカも簡単には引手を取りにいけない。が、
 ヴァイは少し疲れたのか、技数が減る。
 
 下から突っ張っていた釣り手を、上から持ち
 かえるヴァイ。突っ張りが無くなり、前へ
 出るタナカ。しかし、引手は妥協しない
 ヴァイ。
 
 隙を見つけて、引手を持たずに右の大内刈り
 を放つタナカ。ヴァイが、引っかかった足を
 外しつつ、体を回転させる。
 
 タナカの前に出る力がそのまま回転する力に
 変わる。右の一本背負いで、タナカの体が
 完全にヴァイの腰に乗っていた。
 
「とぅーりゃ!」
 
 の声と同時にニコロ陣営が「よいしょー!」
 と合わせる。
 
 一瞬の間を置いて、「一本!」
 
 の声で、第一試合場は、まるで決勝戦のよう
 な大歓声に包まれていた。
 
 
  ニコロ塾長が、大会の係員に、代表戦の
 選手を告げる。アナも調子が良かったが、
 ここはやはりヴァイだ。
 
 ニコロ塾が先鋒戦と大将戦で一本勝ち、
 キムラ塾が次鋒と副将戦で一本勝ち、内容で
 完全に並んだので、双方のチームの代表で
 決着を決めるルールだ。
 
 キムラ塾側は、リチャード・キムラだ。
 審判3名が並び、入場を促す。礼をして開始
 線の前に一歩進む二人。
 
「はじめ!」
 
 代表戦が始まった。開始から両チームの選手
 達が必死に声をかける。
 
 キムラは右組み、ヴァイは左組み、釣り手の
 取り合いから始まる。
 
 釣り手だけの強引な内股を二度ほど見せる
 キムラ。その後引手争いがまた始まるが、
 スッと両襟を掴むキムラ、右内股のフェイン
 トから、外掛け気味に右足を掛けて、
 
 押し込んでいく、不意を突かれ、バランスを
 取りつつも無理と判断して体を返すヴァイ。
 
「有効!」
 
 副審の一人が打ち消すが、もう一人は有効を
 示し、キムラのポイントとなる。
 
 そこからすぐに寝技に移るキムラ、うつ伏せ
 で守るヴァイ。しかし、キムラの縦三角は、
 やばい。オンドレイはよくこんなものを耐え
 ていたな。
 
 早く待てがかかれと祈るヴァイ、必死に脇を
 こじ開けられないように守る。
 
 かろうじて待てがかかる。しかし、寝技を
 恐がっていては何もできない。
 
 再開から、不十分な組手でも技を放つヴァイ、
 右一本背負い、左袖釣り込み腰、右肩車、
 左小内刈り、右抱き込み小内、
 
 次々と技を掛け、潰されて、寝技を耐える。
 
 キムラは試合運びもうまく、攻められている
 時でも、指導が来そうなタイミングで
 技を返してくる。
 
  寝技もまじえて試合時間が3分を過ぎる。
 ヴァイの攻撃の手が緩んだ時、キムラが動き
 出す。襟を取った右大内刈りから、体を
 逆に回して右釣り手のまま左払い腰だ。
 
 咄嗟に反応するヴァイだが、
 
「技あり!」
 
 しかし、さっきオンドレイの試合を見て
 いなかったら、確実に一本を取られていた。
 冷や汗を感じながら寝技を耐えるヴァイ。
 
 待てがかかり、はじめの声で再び攻め続ける
 ヴァイ。
 
「あと半分!」
 
 時間が残り30秒を切る。
 
 キムラも必死だ。巨体から、低い一本背負い
 なども繰り出してくる。巻き込まれないよう
 に必死に耐えるヴァイ。
 
 残り20秒だ。突然右組手に変えるヴァイ。
 相四つで組み合う。懐深く技を警戒する
 キムラ。若干腰が引き気味なのを見て、
 ヴァイの釣り手がスルスルと首奥へ移動する。
 
 瞬間、ヴァイの体がキムラの真下へ、
 引手方向に体を少し捻って、足裏を相手の
 足の付け根あたりそっとに添える。
 
 右の巴投げだ。キムラの体が一瞬宙に浮き、
 足を送ってなんとか耐えようとする。
 
「たぁりゃー!」
 
 全身を声にして技を放つヴァイ。体を
 捻るキムラ。皆が審判に注目する。
 
「技あり!」
 
 副審の一人が一本を宣言するが、もう一人が
 技ありを宣言し、それが確定する。会場は
 歓声と怒号が飛び交う。
 
 すかさずキムラの首を狙うヴァイ。立て立て
 と叫ぶニコロ塾長。
 
 しかし、
 無残にもブザー音が試合終了を告げる。
 

曼陀羅とダイス

  ニコロ塾は、けっきょくその大会で
 ベスト16で終わったわけだが、
 ニコロス・ニコロディ塾長の機嫌はその後
 どんどん良くなっていった。
 
 ひとつには、キムラ塾がそのあと決勝まで
 進み、けっきょく優勝したこと。そして、
 他のチームが、引き分けはあったものの、
 キムラ塾から一勝も挙げられなかったこと。
 
 翌日の個人戦、ニコロ塾はエントリーして
 いなかったが、キムラ塾はポイント
 ゲッターの3人とも優勝する結果となった。
 
 一方キムラ塾の塾長、マサコ・キムラの
 機嫌が少し悪かったのは、それだけ今回の
 メンバーに自信があったからだ。
 
 でも、今回の苦戦をそれほど深刻に考えない
 のは、地方大会とは言え、こういったことが
 起こり得るのを経験上知っていたから。
 
 キムラ塾は、その後曼陀羅大会で
 優勝し、宙域大会で優勝し、宇宙大会で
 ベスト4となる。団体戦は、特にトウドウ
 選手の活躍が大きく光った。
 
 リチャード・キムラは、宇宙大会個人戦で
 優勝してしまった。その時は、ニコロ塾
 と戦った時より数段強くなっていたが、
 
 彼が市民大会後にさらに練習に打ち込んだ
 理由に、ニコロ塾との対戦での経験や、
 ニコロ塾の対戦相手が実は女性だと後で
 知ったことなどが、少なからず影響して
 いた。
 
 
  ヴァイ・フォウたちが、ダウンヒルや
 サンボの大会を行っていたのは、いったい
 どこの都市なのだろうか。
 
 太陽系から、約4光年の位置に、ケンタ
 ウルス座星系というのがある。この、
 太陽系とケンタウルス座星系のちょうど
 中間地点にある都市。
 
 単純に、中間都市、とも呼ばれるが、
 現在人類は、太陽系以外の恒星系として
 ケンタウルス座星系にしか進出して
 いない。
 
 従って、中間都市といってもひとつしか
 ないのだが、今後進出する恒星系が
 増えるごとに、呼び方を検討しないと
 いけなくなるかもしれない。
 
  その中間都市に、曼陀羅型都市、と
 呼ばれる宇宙構造都市がある。
 
 太い円柱型、と言えばよいだろうか、全体
 構造は、直径300キロ、幅が200キロ。
 
 元々、バームクーヘン型都市、とも呼ばれ
 た時期があったが、直径100キロの
 無重力ユニットで中央部が埋められた
 ため、曼陀羅型と呼ばれるようになった。
 
 半径50キロから150キロの部分は、
 回転して重力を生むようになっている。
 そのドーナツ型の構造は、4分割され、
 内部は階層化されている。
 
 その100キロ幅を、10階層に区分
 されているのだが、かつて恒星間を
 移動した、移動都市と呼ばれる建造物は、
 その中が50階層にも分割されていた
 らしい。
 
 つまり、過去の建造物に比べると、かなり
 余裕のある造りになっている。階層の
 地面から天井までが、約8キロほどある。
 
  この曼陀羅都市が、中間都市と呼ばれる
 宙域に、1万基ほどある。
 
 この曼陀羅型とは別に、キューブ型都市、
 というものがある。300キロ立方の
 都市だが、実際は、100キロ立方の
 都市が27個集まって出来ている。
 
 そのほかに、螺旋型、というのもあるが、
 それは後ほど訪問する機会があるだろうか。
 
  曼陀羅型都市は、4つのブロックに
 分割されている。それぞれ、セイリュウ、
 スザク、ビャッコ、ゲンブと呼ばれる。
 
 曼陀羅型都市は数が多いので、一般に
 番号で呼ばれるが、ヴァイ・フォウのいる
 場所は、曼陀羅都市9999番、ビャッコ
 ブロックの、10階層のうちの9層目、
 ということになる。そこが舞台だ。
 
 ビャッコブロックは、約1億人が住む。
 10階層にそれぞれ1000万人が
 住むが、上層にいくほど面積が狭く
 なるので、人口密度が上がる。
 
 他のブロックも同様に一億、曼陀羅都市
 中央の無重力ブロックにも、1億の人が
 住むため、曼陀羅型全体で約5億人が
 住むことになる。
 
 
 「あいつ、絶対10年に一人の逸材だよ」
 
 ヴァイの置いたグラスが思った以上に大きな
 音を立てたため、隣に座るオンドレイが
 周りの客に目で謝る。
 
「でも、それに勝ちかけるって、ヴァイねえ
 もほんと凄いって」
 ワルターの言葉に、お前もうそれ5回目
 じゃねえ? と返すオンドレイ。
 
「でもなあ、フォーナインで最凶と言われる
 レディースチームから毎年勧誘がくる
 ぐらいだからなあ、総長直々に」
 ヤーゴが久しぶりに口を開く。
 
「大将、えんがわ握ってくれない?」
 ヘイゼル山の麓、パイン市のパイン駅近く
 にある、居酒屋のカウンターに並ぶ4人。
 
「そういやあさあ、また秘密結社の活動ある
 よね」
「来週だっけか」
「へいえんがわ」
「そろそろ決着付けないとな、うめぇこれ」
 
 そこへもう一人到着する。
「ごめんごめーん」
 アナ・ボナがやって来て、ヤーゴの隣に
 座る。5人で乾杯しなおす。
 
「キムラ塾にしばらく通ってたんだって?」
 ヴァイがアナに尋ねる。
 
「うん、キムラ塾長から、軽量級の背負い投げ
 の防ぎ方を叩き込みたいって」
 
「キムラ塾のトウドウだったら一発食らえば
 もう憶えるだろ」
 
「他の選手のレベルアップもあったんじゃない」
 答えるアナ。
 
「そういやあさあ、アナねえは軍に行くとか
 聞いたよ?」
 ワルターが真ん中で声を上げる。
 
「うん、おれ、軍事の適正あるの判明したんだ」
 この4人といると、なぜか一人称がおれ、に
 なってしまうアナ。
 
「一番上の兄貴もだろ?」
「うん、まあ兄貴とおれは軍事と言ってもだいぶ
 分野が違うけど。兄貴はどちらかというと
 戦略系、それも作戦立案とかで、おれは人型
 機械の操縦」
 
「かっけえ!」
 喜ぶ男3人だが、
 
「近いうちに衝突があるって?」
 ヴァイが深刻そうに聞く。
 
「らしいけどね。でも、まず訓練から入るから、
 実戦出るのはだいぶ先だと思うよ」
 
 彼らの国では、飲酒は年齢ではなく、適正に
 より飲める量などが制限される。ふだんは
 サンボのトレーニングなどもあり、ほとんど
 飲まない彼らだが、久しぶりに遅くまで
 飲むこととなった。
 
 アナはすでに18歳までの教育課程を全て
 終えているが、他の4人は高校に行って
 いない。
 
 そのかわりに、ニコロ塾の寺子屋に午前中
 通っているのだが、翌日は寺子屋もサンボ
 の練習もなかった。
 

歴史の舞台

  幼い皇帝の前に、タイナート家の3人
 の将軍が控える。
 
 上将軍のトキコ・タイナート、副将軍の
 フィオラ・タイナート、同じく副将軍の
 ザイラ・タイナート。
 
 場所はフクハラ京、帝都の中心地にある、
 皇居の執務室。
  
 小さな丸顔に大きな切れ長の瞳、長い黒髪、
 トキコ上将軍が立ち上がり、命じる。
 
「敵軍はすでにこの都に迫ってきています。
 ザイラ副将軍、一軍を率いて、これを討伐
 せよ」
 
 仰せのままに、と返事をし、小顔でスタイル
 の良いザイラ副将軍が立ち上がり、一礼して
 下がってゆく。
 
「敵はこの都まで迫っておるのか」
 5歳になったばかりの皇帝が声を出す。
 
「前皇帝陛下のようなことにはなりませぬ」
 トキコ上将軍が答える。前皇帝は、前回の
 親征時に不幸にも命を落としていた。
 
 
  タイナート帝国第3宇宙軍が航行する。
 その真紅の旗艦、レッドデーモンの戦闘用
 艦橋に立つザイラ副将軍。
 
「閣下、敵接触まであと1分です!」
 
「作戦どおり、線形鶴翼から球形鶴翼へ展開
 せよ」
 
「自軍敵軍とも射程内入ります!」
 
「砲撃開始、一点集中から敵を殲滅せよ!」
 ザイラ副将軍の指示とともに戦闘が開始
 される。
 
  一方こちらはフイ共和国宇宙軍の漆黒の
 旗艦、ゴブリンクロウのブリッジに立ち、
 艦隊を指揮するヨシツネ・ミナコーレ将軍。
 黒装束、褐色、長身の美男子だ。
 
「立体魚鱗陣で微速後退! 序盤耐えれば必ず
 我々が勝つ!」
 
 タイナート帝国軍の球形鶴翼陣による圧倒
 的火力の前に、フイ共和国軍はかなり
 押されるが、
 
 大量のシールド艦を全面に押し立て、かつ
 ローテーションをかけていた。シールドの
 切れそうな艦を後ろに下げ、補給する。
 その他の砲艦などの攻撃系艦も、
 順次ローテーションさせた。
 
 一点集中攻撃を継続していたタイナート
 帝国軍も、いったん敵軍から距離をとり、
 弾薬やシールドの補給の必要がでてきた。
 
 帝国軍は、全軍が鶴翼陣で戦っていたため、
 控えがいない。
 
 その敵軍の状況を把握したヨシツネ将軍。
 
「よし、私が人型機械で出る!」
 
 これも漆黒の巨大人型機械、ベンケイに
 乗り込むヨシツネ将軍。艦隊指揮を副官に
 任せ、高機動艦を引き連れて出撃する。
 
「敵上方を迂回し、敵軍斜め後方から敵軍
 中央、旗艦を狙う、みな、我に続け!」
 
 高機動別動隊の動きを隠すかのように、
 フイ共和国軍は魚鱗陣から散開し出す。
 が、その後球陣となり、相手鶴翼の
 ふところに飛び込む動きだ。
 
  帝国軍が共和国軍の別動隊の動きを
 察知したとき、ザイラ副将軍は状況が
 もはや手遅れであることを察した。
 
「旗艦を残し、全軍撤退! 急げ!」
 
「しかし閣下!」
 
「急げ、お前たちも撤退せよ」
 
 殉死を覚悟した数名のオペレーターと
 副将軍を残し、人がいなくなる。
 
 敵巨大人型機械と高機動艦が迫る。
 旗艦レッドデーモンの双眸が開かれ、
 拡散放射砲を放つが、簡単に敵機を
 捉えることはできない。
 
「神は我を愛さなかったか……」
 
 大量のレーザ光と砲撃を受けて、レッド
 デーモンが閃光に包まれる。轟音と
 閃光が止んだあと、ザイラ副将軍を弔う
 かのうようなピアノ曲がどこからか
 流れてくる。
 
  ここでいったん10分間の休憩。
 
  再び幕が上がり、帝都フクハラ京。
 トキコ上将軍が報告を受けている。
 
「おそらくヨシツネが最前線に戻って来たかと」
 
「やはりそうか」
 上将軍が報告に応え、皇帝のほうを向く。
「皇帝陛下、ここはもはや、親征しかござりま
 せぬ、敵艦隊が来れば、帝都も危険となり
 ましょうゆえに」
 
「余は親征を恐れてはおらぬ、早く父上の
 元へ向かおうぞ」
 
「そんなことを仰られてはなりませぬ、ここに
 いるフィオラ副将軍とわたくしとで、必ず
 勝利を手に入れまする」
 
 
  完全に帝都の守備を放棄し、全軍で出撃
 するタイナート帝国。旗艦ブルーデーモンに
 フィオラ副将軍が乗艦するが、
 
 トキコ上将軍と幼き皇帝は、白色の旗艦
 ノーマスクや、金色の親征艦プラジュニャに
 は乗艦せず、二人とも一般の高機動艦に乗る
 こととなった。
 
 フイ共和国のヨシツネ・ミナコーレ将軍が
 率いる共和国宇宙軍はもう帝都間近に
 迫っている。
 
「敵艦隊捕捉!」
 
「作戦どおり、斜線陣で正面より当たる」
 
 共和国軍は、前回の戦闘と同じ、立体魚鱗陣
 の構えだ。縦深陣に対し、鶴翼のような横陣
 ではなく、同じく縦型で当たる。
 
 戦闘が開始される。開始から、鶴翼陣ほどの
 派手さはない。
 
 だが、左側に重点を置いた斜線陣は、じわ
 じわと相手を斜めに押し込んでいた。頃合い
 だと断じたトキコ上将軍は、副将軍へ指令を
 だす。
 
 蒼い旗艦ブルーデーモンのブリッジに立つ
 フィオラ将軍が叫ぶ。
「高機動部隊、全速前進! 左から相手後方へ
 まわりこむ!」
 
 ザイラ副将軍がやられたことを、やり返す。
 魚鱗陣の後方は弱い。後衛の補給部隊を
 潰せば、勝てる。
 
 が、しかし、共和国軍の反応は早かった。
 ブルーデーモンの後方からの突撃に対して、
 共和国のシールド艦や砲艦が、いつの間にか
 反転してこちらを向いている。
 
 球形陣に変化したのだ。
 
 しかも、巨大人型機械、ベンケイが待ち受け
 ていた。防御の弱い高機動艦が次々と破壊
 されていく。
 
 必死に転回を試みるフィオラ副将軍の旗艦
 ブルーデーモンであったが、ついに砲撃の
 嵐に捕まる。
 
「私は……、自由になれるのか?」
 
 フィオラ副将軍の体が砲撃で出来た亀裂から
 艦外へ放り出された。
 
  フィオラ副将軍の突撃は失敗に終わったが、
 それでもまだ敗北とは言えない状況だと
 見ていたトキコ上将軍の前で、状況が変わり
 出す。
 
 球形陣と見ていた敵の陣形が、するすると
 ほぐれ、その先端が帝国軍旗艦のある
 位置まで延びてくる。
 
 ヨシツネ考案の、球形車懸かりの陣であった。
 半包囲されつつ旗艦を狙われる帝国軍。
 共和国機動艦が、帝国旗艦ノーマスクと、親
 征艦プラジュニャの位置にまっすぐ向かう。
 
 陣形を崩され、次の手も持たず、もはやこれ
 までと判断したトキコ上将軍。
 
「全軍、旗艦ノーマスクと親征艦プラジュニャ
 を全力で護衛せよ! 一部機動艦は、散開
 しつつ各方面へ撤退せよ!」
 
「陛下、宙の向こうにも都はござりまする」
 
 そう皇帝に告げて、
 トキコ将軍は、太陽系でも半獣半人座星系
 でもない方向へ、艦を向けるよう指示した。
 

秘密結社

  幕が下りて、周囲が明るくなる。
 金剛石の四人、ヴァイ・フォウ、オンドレイ
 ・ズラタノフ、ワルター・テデスコ、そして
 ヤーゴ・アルマグロが、それぞれ伸びをして
 立ち上がる。
 
「やっぱ何回見ても面白いな」
「毎年ベンケイのデザイン新しくなるのズルい
 よな。そんで毎回模型売れてるらしいし」
 オンドレイとワルターが話す。
 
「けっきょくあの後皇帝とトキコはどうなんの
 かな?」
「ヴァイねえは毎回そこ気にしてるし」
「いや、そこだろふつう」
 
 今回の演劇は、実際の中間都市周辺での出来
 事をある程度元にしている。それも、人類が
 中間都市の宙域に着いて少し経ったぐらいの、
 4万年ほど前の歴史だ。
 
 そのまますぐ会場を出て、外で時間を潰す。
 ここからが彼らの本当の任務だ。ニコロ塾の
 実体は、秘密結社の禍福社。そして、その
 実行部隊が、金剛石の裏の顔だ。
 
  そして、その3人が出てきた。金剛石が
 狙う対象、それは、今回の舞台に立っていた
 人物たちだ。
 
 並んで歩いてくる3人、左から、フィオラ・
 タイナート副将軍を演じていた、イレイア・
 オターニョ、紺地に桜の花の浴衣だ。
 アゴ周りが少ししっかりしているが美人だ。
 
 真ん中が、トキコ・タイナート上将軍を演じ
 た、モモ・テオ、白地に山の絵の浴衣。
 
 右端が、ザイラ・タイナート将軍を演じた、
 マティルデ・カンカイネン、赤と黄の紅葉柄
 の浴衣を着ている。
 
 3人とも髪をまとめて、それらしく歩いて
 くるが、言っておくが、こいつらは全員男だ。
 
「待てーい! おれたちは、金剛石だ!」
 
 知ってる、と短く答えるモモ・テオ。
 オンドレイがイレイアの前、ヴァイがモモ・
 テオの前、ワルターがマティルデの前に立つ。
 ヤーゴも後ろで身構える。
 
 浴衣の3人のほうが、金剛石のそれぞれ3人
 より少し背が高い。
 
「そのほうら、我らがタイナート家の者と知っ
 ての狼藉か?」
 モモ・テオの言葉に、
 
「その話はもう終わってんだよ!」ヴァイが
 叫んでモモ・テオに掴みかかるが、
「我らと尋常に勝負致せ!」とつられてセリフ
 がおかしくなるワルター。
 
 モモ・テオの肩口を掴みかけた瞬間、手首を
 掴まれふわっと一回転して地面に叩きつけら
 れるヴァイ、すぐ回転して立ち上がり、今度
 は体の重心位置に気をつけて踏み込みながら、
 脇のあたりを掴む。
 
 そこから渾身の一本背負いを放つが、この
 モモ・テオ、その投げを柔らかく受けて、
 まったく崩れる気配がない。
 
 他の技も試すが、まるで暖簾に技をかけて
 いるかのごとく、力がうまく伝わらない。
 
 その間にも、オンドレイがイレイアに数発
 殴られ、ワルターがマティルデの回し蹴りを
 頭部に受けて、ふらついている。
 
 形勢悪しと見て、撤退を決意するヴァイ。
 
「おまえらなあ、季節感ないんだよ!
 ダッセーな!」
 ヴァイの言葉に動揺する浴衣の3人。その間
 に、ワルターに肩を貸して逃げ出す金剛石。
 
「木の打ち込みだけじゃなくて、竹の打ち込み
 もやった方がいいよー」
 となにやらアドバイス的なことをくれるモモ
 ・テオ。うるせえ、と返して逃げていく
 ヴァイたち。
 
 その様子を見守る6名の黒い影。
 
 
  宇宙構造都市曼陀羅型9999番、外周部
 のビャッコブロック、1層目から公共交通
 機関で戻って来た金剛石の4人は、翌日
 ニコロ塾の寺子屋に出る。
 
 塾長のニコロス・ニコロディが語る。 
「前のサンボの大会でもそんなに悪くはなかっ
 ただろ、お前たちはけして弱くはない」
 
「おやっさん、なんか飛び道具的なものを
 使うのはダメなんですか?」
 そう問うワルターに、
 
「駄目だ。まずは相手の心を制す。我らは単
 なる過激派でもゴロツキでもない」
 ニコロディが諭す。
 
「いい芝居見せられて、コテンパンにやられて、
 心を制せられているのは今のところ……」
 オンドレイが誰となく言うが、ニコロディは
 相手にせず、
 
「もう少し打撃系の技と投げ技のバランスが
 必要だな。そして、もっと序盤から畳み
 かける」
 
「そうだ、おやっさん、モモ・テオの奴が、
 タケの打ち込みがどうの言ってたよ」
 ヴァイだ。
 
「リチャード・キムラも強かったけど、なん
 つうか、捉えどころがないんだよな、
 モモ・テオは」
 
「それは、おそらくアイキの技術がからんだ
 投げ技に対する防御のテクニックだな」
 ニコロディがどこかを見ながら答える。
 
「固定された木人への技の打ち込みはやって
 おるわな、それを、しなる竹を相手にやる、
 という練習法が古い文献に残っとる、
 やってみるか?」
 
「面白そうだね」
 ヴァイは乗り気だ。
 
「じゃあ具体的にはあとで考えるとして、
 金剛石の活動の理論的背景をもう一度
 おさらいするか」
 
  半獣半人座星系から、反発展主義と呼ば
 れる危険思想が中間都市にも入って来た。
 モモ・テオ一派は、その芸風から、反発展
 主義者であると指摘されている。
 
 それに対し、いち早くモモ・テオ一派に挑戦
 状を叩きつけて抗争を開始したのが金剛石だ。
 と同時に、ニコロ塾では反発展主義そのもの
 の研究も開始している。
 
 ニコロ塾は、比較的いろいろな思想を勉強
 する。それも、かなり踏み込んだところ、
 つまり、その主義を表明する程度にまでだ。
 
 反発展主義に関してどこまで踏み込むかは
 わからないし、人によっては節操がない、
 と言うひともいる。しかし、ヴァイたちは
 ニコロディのそのやり方を受け入れていた。
 
 考える前に、まずやってみる、飛び込んで
 みる、というのは、なんとなく彼らの性に
 あっていたのだ。
 
 少なくとも、学校で習う眠たくなるような
 話よりは、幾分か面白く、かつ自分の
 ためになるような気がした。
 

休日

  中間都市曼陀羅型9999番、ビャッコ
 ブロックの9層目、パイン市は、層の
 だいたい200キロ四方あるうちの東寄り
 に位置している。
 
 その南西に隣合っているのが、アマー市、
 モモ・テオが住むアパートがある。
 
 彼と一緒に舞台に立っていた、イレイア・
 オターニョはその西隣のトウ市、
 マティルデ・カンカイネンは一層下の
 最下層に住んでいる。
 
 ビャッコブロックの最下層は、主に水田
 地帯が広がり、農作物ユニットの色合い
 が強い。そこから層が上がるごとに、工業
 地帯、そして商業地帯が増えていく。
 
 それは、どのブロックにも共通の傾向だが、
 ブロックごとにも特徴がある。スザク
 ブロックは、年間の平均気温が高めに設定
 され、ゲンブは逆に低く設定されている。
 
 セイリュウとビャッコは、どちらも温度に
 関しては過ごし易い程度で設定されている。
 
 セイリュウブロックは、政治と経済の中心
 として、新しくて優れた都市設計となって
 おり、基本的に良くない部分は排除する。
 
 ビャッコブロックは、文化の中心として、
 古いものと新しいものが同居し、一般的に
 悪いと思われているものも排除しない。
 
 したがって、ビャッコブロックは、最上層
 にも煌びやかな神社仏閣が立ち並ぶ景色
 となり、雑多な繁華街も存在する。逆に、
 セイリュウブロックの最上層では最新の高層
 建築だけが立ち並ぶ。
 
  モモ・テオは、アマー市の駅から歩いて
 13分ほどの、2階建ての賃貸テラスハウス
 に父とともに暮らしていた。
 
 父は約10年前、モモ・テオが10歳の時に
 離婚し、モモ・テオの4つ上の兄と3つ下の
 妹が、母親に引き取られた。
 
 父は地元の伝統演劇を行う劇団に所属し、
 役者業と演劇指導を行う。実入りがそれほど
 よくないこともあり、日雇いの仕事も
 時々やっていた。
 
 今日は月曜日で、父は朝からパチンコと呼ば
 れる賭博を行う店舗に出かけたようだ。
 
 モモ・テオはだいたい週末の金曜、土曜、
 日曜が仕事で舞台に立ち、水曜と木曜は
 舞台合わせやスタジオに入っての練習
 となる。
 
 月曜と火曜は一応休みであるが、家や近所
 で色々とトレーニングや稽古を行う。
 
 早朝は近くの河川敷まで軽くジョギングし、
 近所の神社まで戻ってきたら、八極大小架と
 太極24式の套路をじっくり行う。套路中
 に震脚と呼ばれる技法を使うので、家の
 中などではできない。
 
 帰ってきて軽めの朝食を摂り、少し休憩。
 その後、今日は近所の学校の道場を借りて
 いるので、そこでトレーニングを行う。
 
 時間が合えばイレイア・オターニョも呼ん
 だりするが、今日は一人だ。いずれにしても、
 一人で行うトレーニングが多い。
 
  サンボの基礎トレーニングとなるが、
 まずは寝技の基本的な力を付けるためのもの
 を行う。マットの上で腹ばい、あるいは
 仰向けで、頭方向または足方向に移動する。
 
 その後全ての方向の受け身の練習を行う。
 そして、アイキの基礎練習の後、投げ技の形
 を、足の位置や体勢をミリ単位で意識し
 ながら行う。
 
 その道場ではできないが、ブロック上層の
 ジムを使用できる場合は、動きをトレース
 してもらい、後で自分でチェックする。
 
 同様に打撃系の技についても形、つまり
 実際の技の動作を何度も繰り返すという
 練習を行う。
 
 その後剣術の素振りと槍術の形を行い、
 だいたい一時間から一時間半で午前中は
 終わりだ。
 
  モモ・テオは昼食も少し軽めにとり、夜に
 しっかり食べる。食事は、植物性のものを
 基本とし、肉は鶏肉以外はほとんど食べない。
 
 そこは徹底していて、例えば、牛乳ではなく
 豆乳であり、牛乳から作られるヨーグルト
 ではなく、豆乳ヨーグルトを選ぶ。デザート
 は洋菓子ではなく糖分の少ない和菓子。
 
 食事は基本的に家で自炊するが、そこで使う
 油も植物性だ。そして、舞台がある日も、
 劇団にきちんとメニューを考えて料理した
 ものを出してもらい、市販の弁当などで
 済ませたりはしない。
 
 若いころからそういったことを徹底すること
 で、生き方が全然変わってくる、ということ
 をモモ・テオの先人たちがすでに長い年月を
 かけて証明していた。
 
  昼食後に短めの昼寝をして、午後からは
 近くの公民館を借りている。そこで、舞踊
 の稽古だ。
 
 お辞儀の練習から始まり、立ち座りと歩法の
 練習にかなり時間をかける。そして、動作を
 伴う表現力の練習、扇子と呼ばれる小道具
 を使用した練習。
 
 舞踊の稽古が終わると、一般的な各種ダンス
 の練習を行い、休憩を挟んで歌のボイス
 トレーニングをする。男性の声も女性の声も
 出せるので両方練習する必要がある。
 
 歌のトレーニングが終わると、芝居のための
 言葉の基礎練習を行い、伝統演劇の発声
 含めた練習をする。そのあたりでいったん
 家に帰り、市営のプールへ泳ぎにいく。
 
 休み中なのだが、なにかと忙しい。
 
 プールから帰ってくると夕食の支度をして
 父とともに食べる。食べて少し休憩すると、
 近くの大きな運動公園に出かける。
 
 ほとんど人影のない公園の一角、フェンスで
 囲まれた小屋の扉の暗号キーを入力して開く。
 地下への階段があるので、そこを降りていく。
 
 2時間ほどして、再び出てくるモモ・テオ。
 家に帰っていく。
 
  モモ・テオの住む賃貸テラスハウスは、
 かなり築年数があるため広さの割に賃貸料が
 安かった。モモ・テオは一階のキッチンの隣
 の部屋、父は2階を使用して寝起きしている。
 
 モモ・テオの仕事からすると、もっと上層の
 良い部屋を借りるまたは購入することさえ
 出来そうだったが、まだそういう気持ちに
 はならなかった。
 
 今の環境が、仕事に対して良い動機を与えて
 くれていると感じていたし、自分の表現力
 にプラスになっているとも思っていた。
 
 安い布団、あまり物がない質素な暮らし、
 古い住居、農地と町工場が混ざった街並み、
 レトロな雰囲気の商店街。
 
 パチンコ店、競馬場、競輪場、競艇プール、
 怪しい雰囲気の映画館、古いサウナ、
 ポン引きがうろつく風俗街、飲み屋が続く
 繁華街、バー、パブ、スナック、クラブ。
 
 そしてそこで蠢く種々雑多な人々。
 
 そういった、ここにあるすべてのものが、
 自分の向かう華々しい方角に、後ろから押し
 出してくれているような、そういう感覚が
 あるのだった。
 

非公開

  翌日火曜日、モモ・テオは、朝からキムラ
 塾を訪問する。キムラ塾は、アマー市の南、
 構造都市南壁付近に広がるサウスナイン市に
 あった。
 
 キムラ塾で、リチャード・キムラと複数種目
 の非公開練習を行う。ストレッチやウォー
 ミングアップを行ったのち、
 
 まずは道着を来て、サンボの試合形式の練習
 だ。リチャードが体重100キロ前後あるの
 に対して、モモ・テオは73キロほど。
 
 身長はリチャードが180センチに対して、
 モモ・テオは172センチ。したがって
 リチャードのほうが筋力では勝るのだが、
 モモ・テオは右の相四つでそのまま組む。
 
 組んだ際のモモ・テオの腕にはほとんど
 力が入っていないが、釣り手の位置などを
 いい所には持ってこさせない。鎖骨あたり
 から上には上げさせないのだ。
 
 お互い細かい足技で牽制しあうが、
 
 モモ・テオが右の背負い投げに入り、
 リチャードが一瞬反応するが、体が完全に
 担がれた状態で浮き、そこから一回転する。
 
「やぁあー!」
  
 バーンと足がマットに当たる音がして、
 試合であれば一本だろう。超高校生級の選手
 をなぜこうも簡単に投げられるのか。
 
 まず、モモ・テオは組手がうまく、妥協
 しない。牽制の足技からじわじわと組手の
 いい形を作られる。
 
 が、腕に力が入っておらず、動作で形を
 造っていくので、牽制から技へのつなぎが
 非常にスムーズなのだ。だから、簡単に
 言うと、技にいつ入られたかを認識する
 のが難しい。反応が遅れる。
 
 組手から牽制、そして崩し、技の形を作る、
 そして掛けて投げる、そこの流れを、完全に
 殺気を無くして行える。
 
 なので、背負い投げの釣り手の袖口をしっか
 り掴んでいるのにも関わらず、いつの間にか
 脇下に折りたたまれて、担がれている。
 
 これがほかの技も同様で、流れるような
 動きで技に入るので、翻弄される。
 
  もうひとつには、サンボ選手特有のリズム
 が無いのだ。ある強さに達すると、サンボ
 特有の癖が出てきて、ふつうはむしろそれが
 強さにつながる。
 
 しかし、あるレベルを超えてくると、その
 癖が弱点となってしまう。モモ・テオは、
 他の格闘技にも熟練しているのもあり、
 殺気ごとサンボ特有のリズムを消す。
 
 これがふつうのサンボ選手にとっては非常に
 やりづらかった。リチャード自身は、他の
 種目もたくさん練習しているが、それでも
 モモ・テオのリズムは掴みにくい。
 
 サンボのルールで相対していても、まるで
 異種格闘技戦をやっているように感じるのだ。
 なので、なるべく気持ちをニュートラルに
 して、無心で戦うようにする。
 
 特に、背負い投げでやられたからといって、
 その防御に拘り過ぎると、背負い投げとは
 別の方向に崩す技に弱くなってしまう。
 
「たぁあ!」
 
 しかし、そうは言ってもなかなか簡単には
 防御できず、右の小内刈りを食らってしまう。
 
 リチャードもモモ・テオに技を掛ける。
 まず決まらないが、以前ほど簡単にポイント
 をずらされてしまうようなことはなくなった。
 
  では、強引な技に入ってもつれ込むと
 どうなるか。モモ・テオは寝技もうまい。
 
 サンボの立ち技は、技に入るセンスのような
 ものを要求される。従って、長年練習した
 からと言って、必ずうまくなるという保証は
 ない。
 
 しかし、寝技は、積み重ねが効く。センス
 よりもどちらかというと知識が要求される。
 
 モモ・テオがリチャードより3つ年上、
 ということもあるのだろうか、寝技の
 面でもモモ・テオが勝っていた。
 
 まず知っている技数が多い。それに加えて、
 モモ・テオは、立ち技にしても寝技にしても
 左右の技をほぼ同じレベルで使いこなす。
 それは、中々に珍しいことだった。
 
 しかし、モモ・テオからしてみると、武術
 というのは彼にとって舞台のためにある、
 美しさを追求するという意味では、左右の
 バランスは保つべき、という思いがあった。
 
  少し場所を変えて、次はムエタイの
 スパーリングを行う。二人とも、ムエタイ
 を専門とする選手ではない。
 
 だが、打撃系のスピード感が投げ技系の競技
 にもプラスになったし、逆に投げ技系の
 競技で鍛えた体幹は、打撃系にも通用した。
 
 キムラ塾自体も、特にどちらかに拘って
 いるわけでもなく、あらゆる武術を念頭に
 置いている。
 
 リチャード・キムラについては、現在は
 確かにサンボ競技に重点を置いているが、
 今後どういう方向に進むかははわから
 なかった。
 
 そして、そもそも二人とも身体能力が
 高いので、すでに現時点で並みのムエタイ
 選手では勝てないレベルになっていた。
 
 ここでも、リチャードはモモ・テオの
 スピードに翻弄されてしまう。横で見て
 いた塾長のマサコ・キムラは、もう少し
 アジリティのトレーニングを増やす必要性
 を感じていた。
 
 ミクスドマーシャルアーツ、つまり打撃、
 投げ技、寝技、何でもありのトレーニングも
 追加してみよう。
 
  最後に、剣術着を来て剣術の試合形式の
 練習を行う。これに関しては、完全に
 モモ・テオのほうが勝っている。
 
 モモ・テオとリチャードは、スピードの点
 では大差ないかもしれない。しかし、
 攻めの間断がない、無限に溢れるような
 攻撃のアイデアが次々出てくる点で
 モモ・テオが勝っていた。
 
 リチャードは、ほぼ何もできないまま、
 ポイントを取られてしまう。 モモ・テオ
 の実力は、この中間都市で見てもかなりの
 ものだったのだ。
 
 モモ・テオも、サンボやムエタイで今後
 食べていこう、という気にはならなかったが、
 剣術についてはその道でやっていくことも
 まんざらではないと思っていた。
 
 ただ、本当にやるなら、かなり我流の部分が
 多いので、他の都市の色々な流派を回るなど
 して、きちんと学ぶ必要があるとも認識して
 いた。
 
 マサコ・キムラとも今後のトレーニングの
 方向性を少し話し合ったのち、キムラ塾を
 出る。
 
  昼からは、趣味のひとつである書道だ。
 空きの時間があれば、水泳か書道をやりたい。
 小さいころから続けていた書道は、この歳で
 師範代クラスの腕前になっていた。
 
 モモ・テオの書の一番の特徴は、オリジナル
 の象形文字を書くことだ。これは、用紙に
 筆と墨で行うのだが、
 
 3次元書道も得意だ。それは、元々子ども
 向けの玩具から発達したものであるが、
 筆のようなデバイスを使い、ボタンなどで
 アクティブの時だけ奇跡が描かれて、
 端末などにその情報が取り込まれる。
 
 ボタンとダイアルを使い色も塗り分ける
 ことができる。それで、既存の文字や
 オリジナル文字を3次元で描くのだ。
 

恩を仇で返す

  それは、おとぎ話だった。
 鰐にいじめられていた兎を、ある青年が
 助けた。
 
 恩を感じた兎は、その青年を海の中へ案内
 する。青年が到着したのは、海底にある
 ドラゴンズパレスと呼ばれる宮殿。
 
 そこで、ルールサスと呼ばれる姫と、多く
 の美女に出迎えられた。青年が今まで
 見たこともないような豪華な寝室。
 
 青年は、夢のような月日をルールサス姫と
 美女たち過ごす。連日の歌や踊り。それは、
 永遠に続くかと思われた。
 
 しかし、ある日青年は夢を見る。それは、
 昔別れた恋人の夢だった。その恋人を
 探し、知っているのと少し違う街を彷徨う。
 
 けっきょく恋人は見つからないのだが、
 同じ夢を毎夜見るうちに、青年は、もと
 いた街に帰りたい気持ちが強くなる。
 
 ある日そのことをルールサス姫に告げた。
 
「では、土産にこの箱をあげましょう。
 どうぞ中をご覧になって」
 
 そう言われ、青年は箱を開ける。中から
 煙が噴き出し、辺りが見えなくなる。
 煙が消え去ったとき、そこに、ルールサス
 姫と、そして別の姫が居た。
 
 その後、兎が新たに訪問者を連れてくる。
 新たなルールサス姫が、その男性を
 出迎えた。
 
  金剛石の4人が、大きく伸びをして、
 会場を出て行く。
 
「つまりそういうことだよ、帰ると言い出した
 青年を、性転換して宮殿に残させた」
 ヤーゴ・アルマグロが解説する。
 
「だから、箱から出てきた煙が消えたあとに
 出てきた女性も、モモ・テオだったわけだ」
 
「おう恐い」とワルター・テデスコ。
 
「とすると、あの宮殿にいた美女全てが
 そういうことなのか?」
 とオンドレイ・ズラタノフが聞くと、
 
「今んとこそういう解釈が一般的だな」
 ヴァイ・フォウが替わりに答える。
 
  そして、いつものごとくモモ・テオ一派
 を待ち受ける。
 
 そこは、中間都市曼陀羅型9999番から
 一番近い、キューブ型都市の中にある劇場
 だった。
 
 劇場を出ると、向こうに金色に輝くテルオリ
 神の像が見える。高さ30メートルの像を
 上から見下ろす形だ。
 
 大きく両手を広げた姿。しかし、その着て
 いるものが明らかに部屋着に見えるので、
 今も論争が続いていた。
 
 そこに、モモ・テオ一派の三人が出てきた。
 3人とも、太ももあたりが太く、裾部分が
 細くなった青い生地のズボンを履いている。
 
 その生地は、全体的に白くまだらに色落ち
 していた。そして、左からイレイア・オター
 ニョ、モモ・テオ、マティルデ・カンカイ
 ネンの順で並んでやってくるのだが、
 
 イレイアは青、モモ・テオは白、マティルデ
 は赤の、それぞれダボっとした長袖丸首の
 シャツを着ている。
 
「俺たちは金剛石だ!」
 
 だから知ってるって、と小さくモモ・テオが
 答えて、3人と4人が対峙する。
 
 だが、ふだんいるビャッコブロックと違い、
 ここは無重力だ。曼陀羅型9999番の
 無重力ブロックで多少練習はしてきたの
 だが、やはり勝手が違う。
 
 少し開けた場所だからというのもあるだろう
 か、突き飛ばされると、その飛ばされた
 先にあるものを蹴って戻ってくるか、泳ぐ
 かしないといけない。
 
 それが、どうにももどかしかった。なんと
 いうか、もう決定打どころではない。
 一撃も与えられそうにない。
 
 ヴァイ・フォウが頃合いと見て、
「おまえらなあ、もっと見た目気にしたほう
 がいいぞ! ナウなヤングか?」
 
 との言葉に、3人が大きく動揺する。
 それを見て、
 
「今だ、ずらかるぞ!」
 金剛石の4人が慣れない無重力空間を跳ねた
 り泳いだりしながら逃げていく。
 
 そして、その様子を見守る8人の黒い影。
 
 
  後日、金剛石の4人が向かったのが、
 螺旋型と呼ばれる構造都市、そこで、
 モモ・テオ一派の公演があった。
 
 そこまでの移動方法である。中間都市には、
 リニアモーターケーブルというものがある。
 全長1億キロ。
 
 太陽系の地球の公転半径の、だいたい3分の
 2の長さだ。そして、曼陀羅型9999番は、
 半獣半人座星系よりの端にある。
 
 一方螺旋型都市は、リニアモーターケーブル
 の丁度中央に位置する。そのため、5千万
 キロを丸一日かけて移動することになるのだ。
 
 リニアモーターケーブルの中央に近づくと、
 ケーブルから離脱し、螺旋型都市のある
 方向へ航行する。今回は大型のシャトル。
 
 距離数千キロの段階で、その大きさが掴める。
 直径1000キロ、長さ2000キロ。
 大型シャトルが、その螺旋構造の中心部
 へ進んでいく。
 
 螺旋構造は、その内側で何重にもなっていた。
 
  宇宙港に着いた金剛石の4人は、小型の
 シャトルに乗り換えて、劇場へ向かう。
 劇場に着いた4人は、シャトルを降りる。
 
 そう、4人は、宇宙空間へそのまま降りる。
 宇宙スーツと薄型の宇宙ヘルメットを
 装着し、背中に背負ったブースターで
 移動する。
 
 この螺旋型都市では、人々は宇宙空間の
 家に住む。家を出ると、もう宇宙なのだ。
 
 劇場も、宇宙空間の中に設置されている。
 役者の衣装も宇宙スーツの機能を有している。
 
 観客用のフレームが劇場を覆うように
 設置されて、そこに掴って観る。接触通信
 で演劇の音声が聞けるが、無線の音声も
 提供されている。
 
  演目は、先日の兎の恩返しの、男女を
 逆にしたパターンだった。気密空間のと同様、
 派手な演出であったが、今回は4人とも宇宙
 スーツで気密外にでるのが初めてだったため、
 あまりそれどころではなかった。
 
 今回は、思想的活動は無しで帰ろう。この
 状況ではどんなに弱い相手であろうと戦える
 気がしなかった。
 
 ヴァイ・フォウの提案に、3人が同意する。
 まあ、こういうものを見ることができた
 だけでもいい経験だ。
 
 自分たちがやっているのとまったく異なる
 生活が、実際に存在することが確認できた。
 

遊郭の恋

  サンテリが遊郭に通うようになったのは、
 確か大学2年の終わりごろだ。そのころ、
 学業も部活動もうまくいっておらず、卒業
 後のイメージも全く持てていなかった。
 
 要は、色々なことが本当にどうでも
 よくなっていたのだ。
 
 その日も、遊郭に来て、適当に相手を選び、
 そして事を終え、下のカウンターでいつもの
 ようにのんびりして、呼び込みのおばちゃん
 と雑談などして帰るつもりだった。
 
 そこに、レイがいた。
 
 確か、学生なのか、どこに通っているかなど
 ということを話したと思う。
 
 年齢は自分より少し下。物事をけっこう
 はっきり言うタイプで、勝気な感じだった。
 特に、自分がすでに遊び終えた後だった、
 ということもあり、レイの方もあまり気を
 使っていなかった。
 
 それが却って気に入ってしまう原因だった
 と思う。なにごとも熟考してしまうサンテリ
 に対して、性格も正反対に見えた。
 
  そして、その次からは、レイの元に通う
 ことにした。
 
 遊郭といっても、庶民向けのものなので、
 学業や部活動の合間にアルバイトなどをして、
 月に2回ほど通うことができた。
 
 他の遊女がいる部屋が殺風景なのに対して、
 レイは小物や雑貨なども自分で選んでいる
 ようで、壁にも色々と賑やかに写真や行事の
 フライヤーなどが貼ってある。
 
 若い女性が実際に住んでいる部屋にいるよう
 で、趣味も合って居心地が良かった。
 
 それに、レイといると遊女に対するイメージ
 が変わった。意外と、育ちがいいのだ。あま
 りその辺を根掘り葉掘り聞き出すことは難し
 かったが、
 
 書道を幼いころからやっていて、師範代の
 資格があるらしい。それと、茶道と呼ばれる
 伝統作法も心得ているらしい。
 
 地方から出てきていて、実家は名家だったが
 途中でグレて実家を飛び出し、こういう仕事
 をしている、といったあたりが推測だ。
 
 なにかとストレートにものを言うレイだった
 が、何度か通ううちに、サンテリのファッ
 ションについてもうるさくなった。。
 
「もっと、ちゃんとしたものを着て」という。
 確かに、遊郭が近所ということもあり、いい
 加減な服装で行くときもあった。
 
 ストレートに言われるのは辛い部分もあった
 が、反面何となくうれしい気持ちもあった。
 
  そう、サンテリは、彼女に惚れていた。
 そしてそれはもう、今まで出会ったどんな
 女性よりも、という程度に達していた。
 そこからサンテリの葛藤が始まる。
 
 彼女を好きになればなるほど、彼女が他の
 男性とも、どこかの見ず知らずの男性とも、
 自分と同じ行為を行っているという現実に、
 向き合わなければならなかった。
 
 そういった時期にある映画を見た。耳が
 生まれつき不自由な若い女性、その女性に
 恋をする青年の物語だ。
 
 恋人同士となった二人に、耳が不自由だから
 将来のことも考えたほうがいい、と意見する
 者もいた。それに対し、その主人公は、
「だから何なのだ、耳が不自由だから何だと
 いうのだ」と返すのだ。
 
 そう、遊女だから、他の男とも行為をした
 から何だというのだ、好きという気持ちが
 それで揺らぐのなら、最初から好きに
 ならなければいい。
 
 そういう思いがサンテリの中で生まれた。
 
  サンテリが通う大学は、その国内でもかな
 り有名なところで、いいとこ育ちの学生が
 たくさんいた。
 
 サンテリの持つ葛藤を相談できるような知り
 合いはほとんどいなかったが、一人だけ学費
 を稼ぐのに水商売の接客業をやっている者が
 いた。
 
 その友人は、コジモといったが、ある日
 コジモの家で、酒を飲む機会があった。
 その時、サンテリはその話をした。
 
 サンテリは、それでも反対されると思って
 いた。しかし、コジモはすぐ賛成した。
 さらに、「付き合えばいい」と言ってくれた。
 遊女かどうかなど、関係ない。
 
 反対されることばかり気にして、付き合う
 という発想がそれまで出てこなかったのだ。
 
  庶民向けの遊郭とはいえ、場末の雰囲気が
 漂うとはいえ、レイは勝気な雰囲気の美人
 だった。
 
 なので、自分が交際を申し込んだところで、
 断られる可能性も高いし、他に恋人がすでに
 いる可能性も充分あった。
 
 しかし、サンテリは、ある日思い切って
 聞いてみた。レイは、回答をはぐらかした。
 だが、「二人で遊びに行ってあげても
 良いよ」という。
 
 そこから、サンテリは努力した。ファッショ
 ンについても勉強し、外しのテクニックと
 いうのも学んだ。ヘアーサロンに行って髪型
 も整えた。
 
 サンテリは車を持っていなかったので、
 近くの大きな町の鉄道駅で待ち合わせること
 にした。そこでレイと会い、食事をする。
 
 ふだんのレイは、ふつうの女性で、そして
 だれよりも可愛かった。
 
 レイは、しょうがないからサンテリと一緒に
 居てあげる、という態度だったが、しかし
 明らかに喜んでいた。楽しそうだった。
 
 もしかして、ふだんは色んなことをストレー
 トに言ってくるのに、そういう気持ちは
 照れてしまってストレートに表現できない
 だけなのでは?
 
 サンテリは、いつしか、「この女性と結婚
 したい」そう思うようになった。いや、それ
 は、出会ったときに実はすでに心のどこかに
 持っていた思いかもしれない。
 
  3か月ほどだろうか、毎週末会い、遊郭
 でも月に一回ほど顔を出す。レイを担当する
 呼び込みのジェマおばさんとも仲良くなれた。
 
 サンテリは、厳選した蝶の飾りの付いた
 指輪を購入し、思い切って告白した。
 
 レイは、
「こういうのを買うときは、相手の好みを
 きちんと分かってからにしたほうがいい、
 出来れば一緒に買いにいったほうがいい」
 
 というようなことを言い、その意匠があまり
 気に入らなかったようだが、指輪そのものは
 受け取ってくれた。
 
 レイは、少し照れているように見えた。
 
 全ての物事を、本当にその世界のすべての
 物事を肯定的に受け取れる人間がいるとする
 ならば、それはその時の自分だろうと思う。
  
 あらゆるものが自分を、自分たちを祝福
 してくれているように見えた。
 
  それが、若干の幻影を含んでいたことが
 すぐに判明するのだが、それでもサンテリは
 前へ進むことを止めなかった。
 
 まず、実家の反対に遇った。考えを変え
 なければ学費は出さないと言われ、サンテリ
 は大学を辞めて家も出ることにした。
 
 もうひとつには、仕事を辞めてサンテリと
 一緒に住むことを約束してくれたレイの、
 銀行口座の名義がレイ本人のものになって
 いなかったことだ。
 
 レイが言うには、かなりの金額が店側に没収
 されるかたちになったらしい。サンテリの
 アルバイトではとても稼ぐことができない額。
 
 それでも、サンテリのなけなしの貯金で
 二人で地方に移り、生活を始める。
 
  地方で安いアパートを見つけ、そして
 仕事もそれぞれ見つけた。自分の求めていた
 暮らしが、そこにあるはずだ。
 質素で辛くても、好きな相手と暮らす。
 
 二人の間に子どもも欲しかったが、残念
 ながら一人目は流産となった。いや、
 希望は捨ててはいけない。
 
 そんな中、大不況がその地方を直撃する。
 サンテリが職を失い、そんなに強くもない
 体で日雇いの仕事を探す。
 
 レイは、流産のショックと過労がたたり、
 精神を病んでしまう。以前より10キロほど
 痩せてしまった。それでも知恵をふり絞り、
 工夫して生き抜こうとする二人。
 
 ついには、家賃も滞納し、水道光熱費も
 滞納し、明日の食べ物に困ることとなった。
 近くに助けを求める相手もいない。
 
 ある寒い冬の日、二人は決断する。
「生まれ変わっても、また三人で」
 
 そうして、二人は冬の暗い海の中へ
 消えていった。
 

襲撃と護衛

  遊郭の恋は、比較的人気のある演目だ。
 主役のサンテリを、モモ・テオの幼馴染みで、
 スペースオペラでヨシツネ・ミナコーレ将軍
 も演じていた、ヨイチ・サクラゴウチが
 演じる。
 
 遊女のレイをモモ・テオ、呼び込みのジェマ
 おばさんをイレイア・オターニョ、大学の
 友達コジモをマティルデ・カンカイネンが
 それぞれ演じていた。
 
 遊郭の世界を、豪華絢爛な舞台装置と
 衣装で色彩豊かに描かれており、それを
 美男美女が演じているため、というのが
 おそらくその人気の原因であるが、
 
 物語の設定の、学生も通える庶民向けの
 遊郭、というのに少し矛盾が生じているの
 ではないか、という指摘もあるにはある。
 
 また、この物語の特徴として、日によって
 ストーリーが異なる。二人がそのまま幸福に
 暮らすパターンもあれば、そもそもサンテリ
 が告白できない、というのもある。
 
 サンテリとレイが全く逆の立場、つまり男性
 がいる遊郭に女性のレイが訪ねていく、と
 いうストーリー展開もあり、気になる客は、
 観る前に副題を確認する。
 
 オリジナルの出典は、数万年前の太陽系だ
 とも言われているし、宇宙世紀前の伝統演劇
 の演目をベースにしているという説もある。
 
  金剛石の4人、とくに男性の3人には、
 少し重い内容だったようだ。なんとなく
 ぐったりした足取りで会場を出てくる。
 
 そこは、ビャッコブロックの2層目で一番
 大きな劇場。外に出て、ターゲットが出て
 くるまで時間を潰す。
 
 遊郭で行われる行為とはいったい何なんだ
 ろうか、ということを想像しているワルター
 ・テデスコの気持ちを読み取り、
 
「おまえ何考えてるんだよ! 舞台のうえで
 実際そんなことやってるわけねえだろ!」
 ヴァイ・フォウがその丸刈りの頭をはたく。
 
 その後、オンドレイ・ズラタノフとヤーゴ
 ・アルマグロも同様のことを考えていること
 を見抜き、順番に頭をはたく。
 
「気合いを入れろ気合いを」
 
  すると、遠方にモモ・テオ一派の三人が
 出てくるのが見えた。四人とも立ち上がり、
 肩をぐるぐる回したりしながら近づいて
 いく。
 
 いつものごとく、左からイレイア・オター
 ニョ、モモ・テオ、マティルデ・カンカイ
 ネンの順で並んで歩いてくるが、
 
 イレイアが、白地に青の縦ストライプの
 ジャケット、同じ柄のズボンだが、丈が短く
 ほぼショートパンツの長さだ。
 
 モモ・テオは、イレイアとほぼ同じだが、
 青の縦ストライプではなく、左半分が青の
 ドット柄、右半分が赤のドット柄。
 
 マティルデは、赤の横ストライプだ。
 そして、3人とも、黒のとんがった革靴
 を履き、文字がいっぱい書かれた紫の
 ティーシャツを中に着ている。
 
 ジャケットにはパットが入っているのか、
 肩の部分がやたらと張っている。髪型は、
 3人とも鳥の嘴のように尖がらせている。
 ベルトの余った部分がやたらと長い。
 レンズの丸いサングラス。
 
  ショートパンツの3人と金剛石の4人が
 対峙しようとする前に、何者かが割り
 込んできて、ショートパンツ3人の前に
 立つ。
 
 3人とも帽子にマスク、背は中ぐらい、
 若そうな格好、一人は手に刃物、もう一人
 は鉄パイプらしき棒、最後の一人は手に
 携帯端末を持ち、撮影しているような構え。
 
 状況を瞬時に理解した金剛石の4人、
 ヴァイ・フォウが、まくっていた袖を
 延ばし、ひざのまくっていたスパッツも
 延ばす。対刃装備だ。
 
 他の3人も慌てて対刃グローブを付ける。
 おまえらなんで先に付けてないんだ、と
 小言を言いつつ、撮影している帽子に
 マスクの人物の背後から蹴りを入れる。
 
「先に撮影許可を取んないとなあ」
 
 携帯端末の人物がヤーゴにのしかかられる。
 ナイフの人物がヴァイに切りかかるが、
 簡単に手首を取られる。
 
 鉄パイプはワルターとオンドレイに挟まれて
 何もできない。
 
「おまえらなにもんだ!」
 とナイフ持ちが声を上げるが、
 
「質問はパンチの後に受け付けまーす」
 と言い終わらないうちにヴァイのパンチが
 ナイフ持ちの口元に入り、悶絶する。
 
「よーしそこまで!」
 
 気づいたら黒い完全装備に銃を持った数人に
 取り囲まれていた。
 
「警察? 来るの早くない?」
 ワルターの声。
 
 
  帽子にマスクの3人は取り押さえられて、
 金剛石の4人も事情を聴かれているが、
 役者3人を助ける形になったので、特に
 お咎めは無さそうだ。
 
 金剛石の4人がニコロ塾の人間であることは
 包囲する前に分かっていたようだ。完全装備
 の警官は合計10人。
 
「ところでさあ、お兄さんたち、実は警察じゃ
 ないでしょ?」
 オンドレイが聞いている。
 
「ああ? よくわかったな。市警には連絡は
 入れてるけど」一人が答える。
 
「いやー、警察の方々にはふだんよくお世話に
 なるので、市警の機動隊とも装備が違うしな」
 
「詳しい話はニコロ塾のおやっさんに聞いて
 みな」と隊のまとめっぽい男性が言う。
 
「え、もしかして軍の特殊部隊?」
 まあそうだな、という答えに、金剛石の男
 3人が、すんげー、と声をあげる。
 
「でも、こんなとこで何やってんすか?」
 あとこの3人何者なんすか、というヴァイの
 問いかけに、
「まあ要人警護で駆り出されてるようなもんだ」
 背後関係はこれから洗う、と答えてくれる。
 
 そろそろ帰っていい、と言われて帰ろうとす
 る金剛石4人に、モモ・テオが声をかけた。
 
「その方たち、我らになにか申し残すことは
 ないか」
 
 あまり乗り気じゃない雰囲気のヴァイ、
「あ、いや、その、今回は一周回ってオシャレ
 かな、と言おうと思ったけど、やっぱごめん、
 言葉が無いや」
 
 動揺してお互い耳打ちし出すショートパンツ
 の3人。心なしか、肩を落として帰っていく。
 
  翌日、ニコロ塾長が状況を話てくれた。
 モモ・テオは、今や軍の要人となっていた。
 詳細は塾長も知らされていないが、
 
 モモ・テオの兄、そして妹とともに、近々
 重要な作戦に参加する可能性があるらしい。
 彼らにしか実行できない戦術があるという
 のだ。
 
 そして、金剛石の方針も180度変更となる。
 芝居のあとに、特殊部隊とともにそれとなく
 彼らを警護だ。
 

昔話

  舞台の上は暗く、ゴミの山のようなもの、
 その頂上に、椅子が置いてあり、ゴミの山
 から頭を出した街灯が辺りを照らす。
 
 椅子には黒い全身タイツの人物が座り、
 本を開いている。その人物が、本を読み
 あげる。
 
 むかーしむかし、あるところに、おじいさん
 と、おじいさんが住んでおりました。色々
 と複雑な事情がありました。
 
 おじいさんとおじいさんは、山へ芝刈りに
 行きました。芝刈りに行く途中の竹林で、
 二人のおじいさんは不思議な竹を見つけま
 した。
 
 その竹は、ふしと節の間が、金色に輝いて
 おりました。気になったおじいさんたちは、
 竹を切ってみました。
 
 すると、中から可愛い女の子が出てきました。
 おじいさんたちは、その女の子を連れて
 帰り、大事に育てることにしました。カグヤ
 姫、という名前も付けました。
 
 大きくなるにつれ、カグヤ姫はおじいさん
 たちに無理難題を言ってくるようになり
 ました。
 
 トリュフ、フォアグラ、キャビアを食べたい、
 から始まり、ブランドものの鞄がほしい、
 留学がしたい、メイド喫茶で働きたい、アイ
 ドルになりたい、家がほしい、ホストクラブ
 に通いたい、
 
 それらの願いを何とか二人で頑張って叶えて
 いきましたが、月に行きたい、と言われて
 少し困りました。
 
 二人のおじいさんは、不眠不休で頑張り、
 自らの質量の一部を後方に射出し、その
 反作用で進む装置をこしらえました。
 
 それに3人で乗って、月に到達し、また
 元の惑星へ帰ってきました。しかし、カグヤ
 姫は、そうじゃない、と言います。月に
 行きたいというのは、住みたいということ
 のようです。
 
 二人のおじいさんは頑張りました。静止
 衛星軌道から蜘蛛の糸をより集めた太い縄
 を垂らし、宇宙昇降装置を完成させたのです。
 
 これにより、反作用装置よりもより大量の
 物資を宇宙に運ぶことができるようになり
 ました。カグヤ姫はまだなのか早くしてと
 言っています。
 
 おじいさんたちは急ぎました。
 そこからまずは宇宙空間に都市を建設し、
 たくさんの人に移住してもらって都市機能
 のテストをします。
 
 宇宙空間での工業力を得たら、いよいよ月面
 に都市の建築を開始しました。完成した都市
 に、カグヤ姫を招きます。
 
 しかし、カグヤ姫は、すぐに火星に行きたい
 と言い出しました。ふとなぜ行きたいのかを
 聞くと、そこに天体があるから、と答えま
 した。
 
 ゆく川の流れは絶えずして、人の煩悩もその
 尽きるところを知らずといいます、カグヤ姫
 は、あの竹林をもう一度見ろと言います。
 
 二人のおじいさんが行ってみると、そこに、
 無数の黄金に輝くふしがありました。仕方が
 ないので切ってみると、無数のカグヤ族が
 這い出してきます。
 
 そして、それぞれが無理難題を吹きかけて
 きました。ものごとを実現する力とは
 あくまでも手段で、我らこそは存在の本質で
 ある、とのたまうのでした。
 
 おしまい。
 
 
  街灯のあかりが消え、別の街灯がつく。
 そのゴミの山にも椅子があり、全身タイツの
 人物が別の本を読み上げる。
 
 それは、遠い、とおーい未来のお話です。
 あるところに、おじいさんとおばあさんが
 暮らしていました。
 
 おじいさんとおばあさんが川へ洗濯にいくと、
 上流から、どんぶらこ、どんぶらこと、
 大きな妊婦が流れてきました。
 
 おじいさんとおばあさんは急いで妊婦を
 川から助け上げました。妊婦はやがて、
 元気な男の子を産みました。
 
 人から生まれたので、ヒト太郎と名付け、
 3人で大事に育てました。ヒト太郎は、
 大きくなると言いました。
 
 おじいさん、おばあさん、そしてお母さん、
 僕は、煩悩から解脱して宇宙の真理を
 悟るため、旅に出たい。
 
 おじいさんとおばあさんとお母さんは、
 何か育て方を間違えたのかと心配になり
 ましたが、それでもヒト太郎を応援する
 ことにしました。
 
 それぞれ得意のおはぎを作り、ヒト太郎
 に持たせます。高性能な移動住居も
 与えました。
 
 航行中に最初に接触してきたのは、
 犬という動物から進化したイヌ太郎でした。
 こんなおいしいおはぎを食べられるなら、
 ぜひ仲間になりたいと言います。
 
 イヌ太郎は、巨大な宇宙船に乗っていました。
 移動住居をマウントし、宇宙船で移動して
 いると、今度は鳥から進化したキジ太郎
 と出会いました。
 
 キジ太郎も、おはぎの作り方を習うために
 仲間になります。キジ太郎は、巨大な
 移動都市を持っていました。法律にも
 やたらと詳しいのです。
 
 移動都市を拠点に巨大宇宙船で活動を始めた
 3人は、次に猿から進化したサル太郎と
 出会いました。
 
 サル太郎は、伸縮する棒の使い手で、とても
 強く、ヒト太郎にもその技術を教えました。
 
 次に4人が出会ったのが、阿修羅族から
 進化したアシュラ姫でした。アシュラ姫は、
 ヒト太郎のおじいさんやおばあさんと同じで、
 顔が3つ、腕が六本ありました。
 
 アシュラ姫は、楽器を弾くのが得意で、皆の
 前で演奏してくれたり、楽器の弾き方を
 教えてくれたりしました。アシュラ姫は脳を
 3つ持つので、同時に3個の楽器が弾けるの
 です。
 
 昆虫から進化した仲間もたくさんできました。
 鎌の助、兜丸、蜻蛉姫などは、高い戦闘能力
 を有し、とくに装備なしで宇宙空間で活動も
 できました。
 
 サンマ彦は、非常に料理が得意で、世界の
 あらゆる食材であらゆる料理を作ってくれ
 ました。特に海鮮料理は絶品です。
 
 ナマコ姫は、もうすでにヒトの形をして
 いない知的生命体でしたが、ここには
 とても書けないような技を色々と披露して、
 太郎達を満足させてくれるのでした。
 
 アント兄妹が仲間に加わることで、小さな
 科学デバイスから巨大な工業設備まで、
 なんでも作ることが可能になりました。
 
 クラゲ太は宇宙の始まりや未来について
 詳しく語ってくれました。意識の本質や
 輪廻に関する質問にも答えてくれました。
 
 銀河系中心では、気の合う仲間が簡単に
 見つかります。これも、母がヒトだけの
 共同体から抜け出してくれたおかげです。
 
 ヒト太郎は、全ての煩悩を、実際に叶える
 ことで解決したのでした。
 
 おしまい。
 
 
  また別のゴミの山の街灯がともる。
 むかーし、むかし、あるところに……。
 

恐怖の屋敷

  吾輩は、猫の名探偵である。
 名前はアンニョロ・マジストレッティ。
 
 今日も事件のために、その大きな屋敷を訪れ
 ている。外は雨。傘は差さないが、帽子と
 外套で問題ない。
 
 玄関を入ると、吹き抜けの天井から数体の
 人形が首に紐を付けられてぶら下がっている。
 思わずニョッとする。
 
 食堂まで来るように言われているので、
 その道筋を観察しながら進む。巨大な蜘蛛の
 巣が至るところに張ってある。中はどこも
 薄暗い。
 
 廊下の鹿の壁掛けがケケケと笑ったような
 気がした。食堂に着く。
 
 そこには4人掛けの、この屋敷の造りにして
 は小さなテーブルがあり、3人が椅子に腰
 かけている。
 
 この家の主人、レンツォ・タリアピエトラ、
 妻のドナータ・タリアピエトラ、中年、
 小太りで薄毛のダルダーノ・ザンペリーニ。
 
 依頼主の彼らは夕食中であったが、一緒に
 いただくとする。赤ワインとパン、チーズ
 に、トマトとナスのビーフシチューだ。
 
「ところで、客人が居なくなったと伺いました
 が」
 
「そうなんですのよ」タリアピエトラ夫人が
 答える。しかし、外に出てはいないらしい。
 
「では家の中の捜索に入る前に、夕食を摂り
 ながら、お三方のお話を伺ってみましょう。
 まずはご主人から」
 
 そう促されて、タリアピエトラの背後から
 モクモクと巨大な死神のような姿が現れ、
 それが語りだす。氏も何か語っているようだ
 が、死神の声で聴こえない。口の動きから、
 同じ内容の様だ。
 
  私は、国務省に勤めている。この国は、
 現在他の大国の軍隊が駐留している。その
 軍隊のトップと会議を行い、非公開の条約
 を結ぶこと、それが私の仕事だ。
 
 我が国は、数年前に戦争に負け、しばらくの
 間戦勝国が駐留することとなった。その後、
 一応独立した形になってはいるが、実際の
 ところまだ駐留軍が権力を握っている。
 
 我が国には憲法があるが、その憲法も、
 駐留軍と我々国務省との間で作った非公開
 条約の前では無意味だ。
 
 実際、駐留軍が何か事件を起こしても、この
 国の法律で裁くことはできない。非公開条約
 のほうが優先されるからだ。
 
 だから、この国では政治家は何の権力も
 持たない。権力は我々国務省がもっている。
 気に入らない政治家は、必ずマスコミなどを
 使って失脚させる。
 
 最近そのことについて、客人から、非公開
 の内容を公開して世の中の人々に知らせる
 べきだとの意見をもらった。そんなことを
 したら、我々が権力を失うではないか。
 
「なるほど。では、次に奥様のお話を
 伺いましょう」
 
  タリアピエトラ夫人の背後から、モクモク
 と巨大な女性の夢魔が現れ、話し出す。
 
 わたくしは、時々選挙の時などに、選挙管理
 委員をやっておりますのよ。票の集計なども
 行っていますわ。
 
 ええ、集計にはそれ用の機械と、カウント
 するためのプログラムがありますわ。
 もちろん、選挙ごとに毎回プログラムの
 パラメータをいじりますわよ。
 
 そりゃどこだって、まともな選挙なんてこの
 国のどこだってやっておりませんことよ。
 政治家だって労働組合だってそうでしょう。
 
 ええ、まともな選挙などしてしまうと、まと
 もな政治家が当選してしまうでしょう、そう
 なると、失うものがたくさんあるのではない
 かしら。
 
 そりゃあ、国民は得るものがあるかもしれ
 ませんけれど、我々が失うでしょう。まあ、
 多少は当選させてあげてますけど、オホホホ。
 
 そうねえ、客人は、あまりそういう状況を
 好ましく思っておられなかったようですわ。
 全く困ったお人で。
 
「なるほど、では、ザンペリーニさん、
 お話をしていただけますか」
 
  ザンペリーニが驚いたようなオドオドした
 ような仕草をするが、すぐ背後にモクモクと
 巨大な人物が現れ話し出す。フォーマルな
 衣装、端正な顔立ち、どこにも隙の無い、
 完璧な立ち居振る舞い。
 
 私は、ネットワーク上では英雄として扱われ
 ています。主に、他の民族に対する差別的な
 発言を様々なネットワーク上の場所に書き
 込んでいます。
 
 ええ、この年齢まで仕事にも付かず、結婚も
 していません。でも、私はこの国の英雄なの
 です。
 
 先日私の両親がついに亡くなりました。
 それで、タリアピエトラ夫妻に、私が本当
 の娘です、と訴えました。つまり、本当の
 娘の生まれ変わりが私であり、輪廻転生を
 失敗してこの姿になった、と伝えたのです。
 
 夫妻には、一人娘がいましたが、それは、
 全然赤の他人が輪廻転生をしたもので、
 完全に他人である、とも伝えました。
 
「なるほど、よくわかりましたありがとう
 ございます」
 
「そうするとタリアピエトラご夫妻、この
 ザンペリーニ氏があなた方の娘という
 ことでしょうか」
 
「はい、間違いありません」
 夫妻が答える。 
 
 その根拠となるものは、と尋ねようとすると、
「この方がそう言っているので間違いあり
 ません」とすかさず答える。
 
  猫探偵のマジストレッティは、ダイニング
 の隅に一辺が1メートル半ほどある立方体の
 箱が置いてあるのに気づく。
 
「この箱は何でしょう、中を確認しても
 よろしいでしょうか?」
「ええ、それはシュレーディンガーの箱ですわ、
 どうぞお開けになって」
 
 箱を開けると、中に若い女性が眠ったような
 姿。脈を確認しようとすると、手に手帳の
 ようなものがあったので、中をさらっと確認
 して、それをポケットにスッと入れる。
 
 最後のページに、この国を変えるには、愚か
 な政治家をうまく使うしかない、という
 ようなことと、どこかの連絡先が書かれて
 いた。
 
「なるほど、この方が客人ですね?」
 
 家の外に、車が何台か到着し、騒がしくなる。
 
「あなたが開けたシュレーディンガーの箱は、
 ある量子状態に反応して毒が噴射される仕組
 み、中の人物が生きている状態と、死んで
 いる状態が併存する」
 
「箱を開けて量子状態を確定させたあなたが
 殺したことになるわ」 
 
「君も英雄となって罪を償いなさい」
 
 死神と夢魔と完璧な人物が一度に話し出す。
 そして、入って来た警察に猫探偵が逮捕
 された。
 
 
  数か月後、私は刑務所の中にいた。
 今、面会で人と話している。あのメモの
 内容を元に、指示を出している。
 
 もうじき、世の中が変わる。
 

透明な季節

  モモコとイリコとマティコが制服姿で
 河川敷を歩く。朝の学校までの道のり。
 梅雨明けの空は全てのものが輝いて見えた。
 
 途中の大きな樹のある広くなった場所で、
 鞄を置いて歌いながら踊り出す3人。
 山のふもと、田舎の景色。ゆっくり流れる
 時間。
 
 やっと教室に辿り着く3人、すぐに朝礼が
 始まる。すでに校長が台の上に立っている。
 先生たちも並ぶ。200人ほどの学生の列。
 
 慌てて加わる。
 
「あー、あー、ちょ、ちょ、朝礼を」
 
 誰かの携帯端末だろうか、メロディが
 なり始める。
 
「あー、えー、ちょ、ちょ、朝礼をは……」
 
 今度は校舎のスピーカーがビートを
 刻み始める。
 
「ちょ、ちょ、ちょちょちょヒアウィーゴゥ」
 校長がカクカクと踊り出し、2小節後に
 先生たちがそのカクカクダンスに加わる。
 
 同時に生徒たちが煙幕に包まれる。数秒後、
 生徒たちの衣装は制服から民族的なもの
 に変わっていた。
 
 200人の生徒は、4つのグループに分け
 られている。黄色を基調とした男性の
 グループ、灰色の衣装の男性のグループ。
 
 水色の女性のグループ、白の女性のグループ。
 黄の男性と水色の女性のグループは、
 金の刺繍も入り、装飾品も付けて派手な
 イメージ、かつての海上都市レムリアの
 雰囲気だろうか。
 
 灰色と白のグループは少し落ち着いた感じ、
 男性の方は独特の髪型。女性は、ヒラヒラ
 とした白の衣装に花弁の柄。
 
 それぞれのグループがダンスミュージック
 に合わせて順に踊り出す。まず黄色の
 男性のグループ、マティコが赤い衣装の
 男装でリードする。コミカルな動き。
 
 次に水色の女性のグループを、青い衣装の
 イリコがリードする。早い手の動きが
 特徴的な魅惑的なダンス。
 
 そして灰色の男性のグループを、黒い衣装
 の長身の美男子がリードする。力強い
 動き、武術の形のような舞い。
 
 そして、いったん静かな曲調に変わり、
 白い衣装の女性のグループを、同じく白の
 衣装、山に花弁柄のモモコが躍る、伝統
 舞踊の雰囲気。
 
 しかし、途中から曲調が段々と盛り上がり、
 白い衣装の女性たちは徐々にトランス状態と
 化していく。着衣がはだけ、ストリップ
 ダンスの様相を呈してきた。
 
  その劇場のフロアは、一階がフリース
 ペースとなっており、観客は自由に踊ったり
 歌ったりしながら参加できる。
 
 劇場の二階と三階は、着席して落ち着いて
 観ることができる。
 
 今まさに4つのグループが同時に踊り出し、
 それぞれのグループの頭上に巨大な立体
 映像の4柱の男女の神々が現れ、空中を
 ぐるぐると回りながら踊り出す。
 
 やがて煙幕の中で先生と生徒たちが居なく
 なり、モモコ、イリコ、マティコと黒い
 衣装の男性だけが残る。
 
 曲調が数分おきに変わり、4人は入れ替わり
 で踊る。ディスクジョッキーが選んだ曲に
 合わせての即興のダンスだ。
 
 立体映像の神々は、この4人の動作を
 トレースしているようで、よく見ていると
 同じ動作をしている。
 
  やがてその4人がいなくなり、
 ディスクジョッキーのブースが出てきて
 ダンスフロアとなる。その後、ピアノ
 ソロやオーケストラの演奏と続き、
 
 フロアが落ち着いたあと、再び朝礼の
 場面となり、次は異なる地域の神の
 ダンスが始まる。
 
 このフロアの隣にも同じサイズのフロアが
 あり、そこは悪魔のダンスがテーマと
 なっている。
 
 そこにモモコとイリコとマティコが夢魔
 の衣装で登場し、ダンスを見せる。そこは
 男装なのか女装なのかよくわからない、
 化け物じみた、妖怪じみたダンサーたちが
 おどろおどろしい舞いを繰り広げる。
 
 
  モモ・テオたちが、一風変わった現代劇
 やミュージカル風のダンスショーに出演
 するのは、全体のだいたい半分ほどで、
 それ以外は、ほとんど伝統演劇だ。
 
 例えば、その次の週末は、地元のお祭りに
 合わせて舞台で伝統舞踊の演目がある。
 3人で、静かな曲に合わせて静かに舞う。
 
 夕方のまだ明るいうちに屋外の舞台で舞い
 を披露し、そのあとはたいてい禍福社の
 夜店が出て、同じく禍福社が手配する
 花火なども上がる。
 
 舞い終えたモモ・テオたち三人は、バンカラ
 風の格好で祭りの中を歩く。金剛石の4人が、
 出店で焼きそばを売るのを手伝っていた。
 
 重力ありの宇宙構造都市は、比較的惑星時代
 の文化を強く引き継いでおり、構造都市
 ごとに特色がある。
 
 こういった祭りの風景は、曼陀羅型
 9999番以外にも観ることができるが、
 全体として比較的珍しいもののため、
 遠方からも観光客が訪れたりする。
 
 ビャッコブロックは、この9層だけでなく、
 どの階層でも様々な祭りが毎年行われて
 いるからだ。
 
 特に8層目で行われる、アホウ祭りの中の
 アホウ踊りは、大通りを数万人の市民が
 踊る総踊りが中間都市の中でも特に有名だ。
 
 そして7層目では、巨大な神輿同士がぶつ
 かり合うケンカ祭り。毎年死傷者が出る
 ぐらいの激しい祭りだが、その地元出身者
 は必ずその時期に帰郷して祭りに参加する
 という。
 
 
  モモ・テオは、恒星系の惑星上での
 暮らしに強い憧れを抱いていた。彼は、
 太陽系にも半獣半人座星系にも知り合いが
 いて、その知り合いが送ってくる映像を
 見てさらに憧れを強めた。
 
 まず最も違うのが、地平線や水平線だ。
 惑星が球面上に居るのに対して、宇宙構造
 都市は円柱の内面に住む。
 
 惑星上に住む人間には、それはそれで見て
 みたい風景となるようだが、星系内には
 そういった宇宙構造都市も存在するため、
 興味があれば行くことができる。
 
 しかし、中間都市に住む人々は、どれだけ
 長生きできたとしても、どちらかの恒星系
 に辿り着くことはできない。
 
 死んだ後の骨をどちらかの恒星系の惑星上
 で自然葬や墓に入れるサービスまで存在する。
 けして出来ないこと、には人々はどうしても
 強い気持ちが湧いてしまうようだ。
 
 したがって、モモ・テオに限らず、中間都市
 に住む多くのひとが、そういった惑星の
 暮らしに憧れる。
 
 人類が、自らの力で、資源以外何もない
 宙域に、恒星や惑星を再現できる日はくるの
 だろうか。
 

蛮夷

  ロロ・ボナは、アナ・ボナの兄だ。
 モモ・テオも3つ下の兄弟であるが、弟
 なのか妹なのかの判断が難しい。
 
 父のノア・テオと母のテッサ・ボナが離婚
 して、モモ・テオと父が一緒に住み、
 ロロ・ボナとアナ・ボナは母と一緒に
 住むことになった。
 
 身体的特徴は、どちらかというとモモ・テオ
 が母のものを受け継いでおり、背もそこそこ
 あって体格も良い。
 
 ロロ・ボナとアナ・ボナは父の身体的特徴を
 受け継いでいるようで、ロロと父はほぼ
 同じ160センチ前後の身長だった。
 
 この兄妹たちから見る限りでは、父と母の
 性格はどちらも一度言い出すと後には引け
 ないタイプで、実際にそんなにお互いを
 嫌っているわけではないようなのだ。
 
 兄妹たちはしょっちゅうお互いの実家を
 行き来していて、それぞれが持っている
 漫画や小説を借りたり返したりしている。
 
 父と母が結婚した当初は、家族で劇団を
 運営していた。
 
 父とモモ・テオは今も演劇と絡んだ仕事を
 しているが、母とロロ・ボナ、アナ・ボナは
 今のところそれほど演劇とは縁のない生き方
 をしている。
 
  ロロ・ボナは、年少のころから軍事の
 才能を示していた。この時代、学校の試験
 だけではなく、簡単なアンケートから一日
 かけたテストなどで、個人の適正がかなり
 のところまでわかるようになっていた。
 
 その才能も、前線で戦うというよりは、
 スパイを多用した諜報活動による情報収集
 からの戦機の判断、政治や経済の状況を
 背景とした兵站の確保方法など、戦術より
 も戦略面で光っていた。
 
 歴史や文化的考察による和戦両面からの
 外交アプローチのコメントなどもオンライン
 上にあげている。
 
 しかし、ロロにとって軍事は、漫画や小説
 などの趣味の延長で、自身は数学や物理が
 得意なこともあって、エンジニアか何か
 になるつもりだった。
 
 
  最近一部の人の間で、ロロ・ボナの評価
 が上がってきた。
 
 タイナート帝国という国が勃興し、辺境の
 各都市を併合していっている。それに早く
 から目を付け、警告を発していた。
 
 中間都市の各国は、最初それを無視していた。
 辺境で勃興した国の国力などたかが知れて
 いる、という理由だったが、けっきょくは
 それは希望的観測に過ぎなかった。
 
 中間都市は、太陽系と半獣半人座星系を繋ぐ
 経路にあるが、それに直行する形で、資源
 宙域が広がっていた。過去には、暗黒物質と
 してその存在を予言されていたものだ。
 
 たとえ人口が少なくても、豊富な資源と
 政治的、文化的傾向により、脅威となり得る
 国が興り得る可能性がある、とロロ・ボナ
 他何人かの研究者も指摘していた。
 
 タイナート帝国が中間都市から約1か月の
 距離に到達したころに、どの程度の脅威かが
 明確になってきた。
 
 現存の中間都市連合軍が通常の戦闘を行えば、
 必ず負けるとの仮想戦闘結果が出た。
 そこに至って、中間都市連合国はやっと外交
 担当者と軍事担当者を変更した。
 
  当初ロロ・ボナは、国交のない辺境国にも
 スパイも含めて人を送り、文化的交流も
 交えながら情報をとるべきである、場合に
 よっては外交努力で懐柔を行うべき、
 
 と主張していたが、完全に態度を硬化させた
 タイナート帝国に対しては、戦力を集中
 させて一戦して勝利し、その後すぐに講和
 条約を結ぶべき、との意見に変わっていた。
 
 もはや日和見は許されない状況であり、
 タイナート帝国建国の歴史的経緯から見ても、
 何らかの有利な状況を作らない限り帝国側
 が妥協することはないだろうとの判断だ。
 
 連合国のトップは、この考え方を採用した。
 
 そして、ロロ・ボナは、連合国参謀本部に
 特別研究員として迎えられる。彼の献策は、
 新戦法による敵主力の殲滅または撃退と、
 新技術による都市防衛だ。
 
 これらの案において、戦術面で適正を見せて
 いたのが、彼の弟のモモ・テオと、妹の
 アナ・ボナだった。彼らは、戦略のマクロ
 面を充分理解しつつ、戦術面で素晴らしい
 適正を見せた。
 
 それに関しては、連合軍の内部でもほとんど
 知るひとがいないまま、計画が進められて
 いた。ただ、仮想戦闘計算では、かなりの
 適正と成功率が示されていた。
 
 もともとロロ・ボナが民間人で、ほとんど
 見向きもされていなかったことが、彼の
 案を採用するにあたり、情報隠ぺいの面で
 プラスとなった。
 
 しかも、公式には、いまだに軍の参謀から
 その時点で最良と思われる既存のプランを
 採用していることになっている。
 
 知っているのは、政治と軍のトップ、そして
 当事者含めたごく一部の人間。
 
  新しい公演のための充電期間に入るとして、
 モモ・テオはふだんの公演を減らしていた。
 アナ・ボナは、すでに軍属で訓練を繰り返し
 ている。
 
 その二人に召集がかかった。いよいよ、
 タイナート帝国軍の主力が中間都市に接近
 していることがわかったからだ。
 
 帝国は、まず軍事用の移動都市を中間都市
 から2週間ほどの位置に接近させており、
 そこから移動基地を4日ほどの位置へ接近
 させ、艦隊を出撃させるようだ。
 
 その数、およそ1万隻。対する連合軍側は、
 7千隻。同時に、帝国側は別動隊を出して、
 中間都市そのものを攻撃するという予想が、
 軍の機密として一部関係者に出されている。
 
 中間都市の防衛にはおよそ3千隻。帝国側は、
 中間都市の軍事関連の情報をかなり入手
 できているらしく、主力とは別で中間都市を
 攻略する場合、都市攻略に充分な戦力を用意
 している可能性がある。
 
 この一戦に敗れた場合、中間都市側は、全面
 降伏という事態も考えなければならなかった。
 

模擬戦

  中間都市連合軍の艦隊の特徴は、標準化だ。
 砲艦、盾艦、空母、機動艦、補給艦、すべて、
 全長2キロ、縦横400メートルの標準外殻
 フレームを使用している。
 
 中間都市周辺の国交のある国では、それら
 以外の様々な形状を試し、データをもらい
 つつ、中間都市では標準化したものを
 使用する。
 
 外殻フレームは、民間船でも使用され、
 信頼性が向上されている。内部モジュールを
 入れ替えることで、各機能を持った艦艇に
 なるのだ。
 
 推進装置などは、民間でも使用され、軍艦
 用にチューニングされて利用される。
 
 従って、数週間の時間稼ぎがあれば、民間船
 を改装して軍事用に転用し、そういった艦を
 5千隻ほどならすぐに準備できる。
 
 今回は、その奥の手を使用しないで対処する
 ことを目ざしている。
 
  中間都市連合軍は、移動基地を出発させ、
 都市から一日あたりの距離に留める、
 そこから艦隊を出撃させ、二日の位置で
 敵艦隊を補足する予定だ。
 
 基地の長大なカタパルトで次々と艦が出発
 していく。基地から出る際はなるべく
 自身の推進力を温存する。
 
 艦隊の構成は、全7千隻のうち、盾艦が
 3千隻、残りの砲艦、空母、機動艦、補給艦
 がそれぞれ1千隻の、防御主体の構成だ。
 
 モモ・テオは、盾艦の中の一隻にいる。
 外見は他の盾艦と同じだが、艦隊操作専用の
 モジュールがある。
 
「テオ少尉! どうですか?」
 メカニックが話しかける。
 
「うん、体の固定のほうは問題なさそう」
 システムが模擬戦のころより少し新しい。
「ではこのあと加重テストやります!」
 
 モモ・テオは、今回少尉待遇で参加している。
 彼用に新たに開発された艦隊操作システム
 で、艦隊の陣形をリアルタイムに決める。
 
 尉官のモモ・テオの操作に対して、この艦
 とは別の旗艦に乗る佐官と将官が、陣形予測
 を確認して承認を出すことで、実際の軍事
 行動となる。
 
 艦の各方向への急加速テストをしたのち、
 直前の模擬戦を行う。決戦は明日。システム
 自体は訓練時とほぼ同じのため、最終調整
 のみ行う。 
 
 現場で本番までの直前の細かい調整を行う
 ところは、演劇と似ていた。
 
「モモ、まずは自軍オンリーでやるよ!」
「了解」
 
 イザムバード・ビーチャム中尉、モモ・テオ
 より一歳年下だが、軍歴は長い。身長は
 モモ・テオより少し低く、細身。肩まで
 伸びた髪、女性っぽい顔立ちの男性。
 
  イザムバードは、幼少のころから操艦
 技術の高さを見出され、神童扱いされていた。
 数年前軍に入ったころにはすでに中間都市で
 ダントツの腕だった。
 
 イザムバードのスタイルは、艦隊操艦用の
 インターフェースに自作のモディファイアを
 使用し、かつ陣形も事前に作成したものを
 使用する。
 
 それでもAIよりは充分に強いのだが、モモ・
 テオの登場により、状況が変わった。即興で
 リアルタイムに最適化される陣形に、なか
 なか勝つことが難しかった。
 
 そして、今はモモ・テオの模擬戦の相手を
 しつつ、コーチ役兼、予備の艦隊操艦士
 として従軍する。
 
 多少の葛藤はあったが、モモ・テオと
 模擬戦を行うことで、確実にイザムバード
 自身の実力も深まっていったことは確か
 だった。
 
 自作の陣形に加えて、各陣形間をつなぐ
 メタ陣形を加え、かなりモモ・テオとも
 戦えるようになっていた。
 
 しかし、相手陣形を崩したあとの混戦
 状態での対応が、モモ・テオのリアルタイム
 でデザインされる陣形よりは少し効率が
 悪かった。
 
 ただ、モモ・テオは今回の戦いが終われば、
 軍属を離れて一般に戻る可能性が高い。
 実戦も含めてなるべく多くのものを吸収し、
 自分が第一線に立った時に活かしたい。
 
 今後は後進も育てていかないといけない。
 
 
  モモ・テオのその才能に気づいたのは
 ロロ・ボナだったが、きっかけはオンライン
 ゲームだった。
 
 クリボイド、という宇宙空間に都市を建設
 していくゲームだが、物理計算エンジンを
 採用しており、かなり厳密に現実世界を
 模擬実験できる。
 
 サーバ毎でユーザが作成したものを少し
 づつ試し、良ければ全てのサーバに採用
 される方式もあり、それによりキャラ
 作成方法やスキンなどが豊富だった。
 
 そうした流れで、ゲーム内の宇宙船の種類も
 多く、宇宙空間での艦隊戦も行えるように
 なっていた。
 
 最初モモ・テオは、兄同様あまりゲーム内で
 の艦隊操作がうまくなかった。ロロ・ボナが
 見ていると、艦隊戦で勝つというより、
 
 数千という艦艇を、様々なフォーメーション
 に組み替えて遊ぼうとしているようだった。
 そこで、艦艇の種類があることと、その特徴
 や配置の仕方で相手艦隊との相関が変わる
 ことを教えた。
 
 しばらくすると、事前登録した陣形と、
 リアルタイムの修正で、弱いAI相手に
 勝てるようになっていた。
 
 モモ・テオが不満だったのは、もう少し自分
 のイメージを形にしやすい操作インターフェ
 ースがあれば、もっとやれそうだったこと
 である。
 
 いくつかの異なるソフトウェアインター
 フェースとハードウェアインターフェースを
 試すうちに、三次元筆によるデザインに
 辿り着いた。
 
 兄弟二人で、左手の特殊筆と、右手の操作
 デバイスにより入力する方法を作り出した。
 
 それで、一年ほど遊んでいるうちに、
 対人戦で連勝しだした。あまりの圧倒的な
 勝ち方に、ロロ・ボナはモモ・テオにオン
 ライン上での対人戦を止めさせた。
 
 その新規性から、実戦での応用の可能性が
 あることをその時から直感していたのだ。
 カスタムゲームで人を募り、非公開の艦隊
 模擬戦のみ行うようになる。
 
  しかし、ロロ・ボナは、そういった事態が
 本当に訪れるところまではあまり予想して
 いなかった。辺境諸国の脅威もあるには
 あったが、自分たちが生きているうちに侵攻
 してくる可能性はあまり高くなかった。
 
 ロロ・ボナもモモ・テオも、演劇の合間の
 息抜きであって、そのまま機会が無ければ埋
 もれてしまっていい才能だと思っていたのだ。
 

沈黙する艦隊

  連合艦隊本体が、タイナート帝国艦隊と
 ほぼ睨み合う位置にまで来ていた。
 
 両艦隊とも、これだけの規模であるからだ
 ろうか、それまでやっていた急接近を止め、
 少し様子見をしながら微速接近となっている。
 
 モモ・テオ少尉とイザムバード・ビーチャム
 中尉がそれぞれの持ち場に着いている。
 専用の艦隊操艦モジュールが入った盾艦だ。
 
 モジュール内には、モモ・テオ専用と
 イザムバード専用の操作席がそれぞれ2基
 づつある。
 
「モモ、いつでも操作を俺に渡していいからな、
 リラックスしていこう」
「了解、序盤だけ多めの助言求む」
 
 モモ・テオの艦隊操作方法は一般のそれより
 集中力を要する。戦闘が一時間を超えてくる
 と、イザムバードのパフォーマンスレベル
 と同等にまで落ちてくる。
 
 それ以外にも、不測の事態に備えてイザム
 バードもいつでも交替できるようにしていた
 が、声の調子から、モモ・テオより自分の
 ほうが緊張していることが感じとれた。
 
 両艦隊は、射程範囲が近づいてきたことも
 あり、散開状態から陣形を形作る。まず
 連合艦隊側は立体魚鱗陣、帝国側は鶴翼陣。
 
「射程範囲まであと5分!」
 オペレーターが叫ぶ声が無線を通して聞こえ
 てくる。中間都市から二日の地点で艦隊戦が
 開始されようとしていた。
 
 
  一方、中間都市近傍、その数分前から、
 すでに戦闘が開始されていた。
 
 連合艦隊守備隊は、移動基地を数時間の距離
 に置いて、総数2千隻、盾艦1千、砲艦5百、
 空母5百という構成だ。連合標準の、宇宙
 空間に溶け込みそうな紺色の艦体色。
 
 奇襲を行ったのはタイナート帝国艦隊別働の
 機動艦5千隻。急襲用にチューニングされて
 いるが、多少のシールド装備と武装も持つ。
 横に長い左右非対称、赤い角ばった艦形。
 
 守備隊が半球陣で守りの体勢に入るのに
 対し、帝国別動隊は5隊に分かれてどこから
 でも回り込む形を作る。
 
 3隊で正面を攻めつつ2隊を両側から周り
 込ませる陣形を取りそうだ。数の面からも
 守備隊が勝てる見込みは無いが、盾艦が
 多いため、シールドが持つ時間の分だけは
 耐えそうだ。10数分といった所。
 
  すると、守備隊基地の方面から、3隻の
 機動艦が急接近する。この機動艦は、標準的
 なものと同様、シールドモジュールを艦首に
 ひとつ備えているが、標準的な武装を
 備えていない。
 
 代わりに、人型機械のモジュールを備えて
 いた。1隻が中央の帝国3隊、残りの2隻が
 それぞれ回り込もうとしていた帝国2隊へ
 接近し、そこから各艦6体の人型機械が
 飛び出す。
 
 通常の人型機械は大きくても30メートル
 ほど、しかし、今回飛び出した人型機械、
 アンダカ、と呼ばれる。全長は100
 メートルを超え、直径も100メートル近く
 あるずんぐりした黒い体。
 
 体に対して小さめの腕が前後に4本、短か
 過ぎて目立たない足。しかし、抜群の運動
 性能とシールド装備、武装を持っていた。
 どちらが前か後ろか判別が付きにくい。
 
  アンダカの一台に乗るのは、アナ・ボナ。
 既に帝国別動隊の旗艦の姿を捉えていた。
 急接近する。
 
 敵旗艦は、通常の帝国機動艦と似たような
 デザインであるが、ほぼ倍程度の大きさを
 持っていた。赤銅の艦体色。
 
 アナ・ボナが乗るもの含め6機のアンダカが
 敵旗艦目がける。守備隊半球陣を攻撃して
 いた帝国艦たちも反応しだす。
 
 アンダカの残りの5機は、遠隔操作だ。
 最寄りの移動基地で5人のパイロットが操作
 を行っている。守備艦隊についても、旗艦
 に十数名が乗るだけで、残りは遠隔操作だ。
 
 アナ・ボナは、移動基地と通信をとりながら
 機体を操作する。
「射程範囲、粒子砲の掃射開始します」
 
「移動基地了解!」
 
 守備艦隊の旗艦ともいつでも通信できる状態。
 アナ・ボナの兄は、中間都市の曼陀羅型1番、
 無重力モジュールにある参謀本部にいたが、
 兄ともいつでも通信可能だ。
 
  帝国機動艦の旗艦がいる隊から10キロ
 前後の地点で、アナ・ボナの操縦する
 巨大人型機械アンダカの、腹部にある砲
 が火を吹く。
 
 何かが敵艦隊を薙いだように見えたが、特に
 大きな変化は無い。同時に残りの5機も同様
 に砲を使用する。そして、さらに接近して
 一斉掃射する。
 
 が、その後すぐ離脱、乗って来た高機動艦に
 帰艦し、移動基地の方へ高速で戻っていく。
 
 帝国旗艦内では混乱が生じていた。
「遠隔艦との通信がどんどん途絶えていって
 います!」
 帝国旗艦内でオペレーターが叫ぶ。
 
 連合軍の、新技術、加速ニュートリノ砲の
 効果だった。加速されたニュートリノが、
 通信受像機を破壊する。発信は可能でも
 受信が不可能となる。
 
 この時代、通常の電磁波通信は敵側の電波
 攪乱装置だけでなく、自軍側のものによって
 も通信を阻害された。
 
 したがって、ニュートリノ通信が戦闘中の
 主な通信方法になる。当然冗長化されては
 いるのだが、完全に使えないケースは
 帝国軍内で想定されていなかった。
 
 では、通信が途絶えた遠隔艦はどうなるか。
 現在の帝国軍内の仕様では、通信不可に
 陥った遠隔艦は、人工知能による個別の
 操作に移ることなく、完全に停止する。
 
 帝国軍別動隊の、タイムアウトを起こした
 遠隔操作の機動艦が次々と停止していく。
 
  連合軍守備隊の半球陣にまわりこみを
 かけていた帝国の2部隊にも、アンダカの
 6台づつが襲い掛かる。
 
 アナ・ボナが操る機体よりも、接近する必要
 があったが、機体のもつシールド機能も
 フルに活用しながら接近し、加速砲を放つ。
 
 次々と停止していく帝国艦。アンダカは、
 すぐに空域を離脱していく。人口知能
 による継戦のケースも想定しており、移動
 基地に戻ったあとにもう一度出撃して戦闘
 する準備をする予定だ。
 
 残った守備隊の球形陣は、今のところ損害
 無し。帝国別動隊が次々と停止していくのを
 見て、降伏勧告を出し始める。
 
 連合軍側は、今回のこの新兵器開発にあたり、
 ニュートリノ通信の受像機を強化している。
 万一帝国側が同じ兵器を使用しても、かなり
 接近しないと効果を発揮しない。
 
 かつ、遠隔操作不可の場合の対策も行って
 いた。基本的には通信無しの人口知能による
 集団戦闘は難しくなるので、個々の戦闘を
 継続しつつ退避、そして撤退を行う。
 

無形陣

  連合軍と帝国の本体側の戦闘も開始
 されていた。
 
 形状がほぼ統一されている連合国の艦に
 対し、帝国側の艦は様々な形だ。
 ハンマーのような艦首の盾艦、ずんぐり
 した卵状の空母、細長い長方形の補給艦。
 
 帝国の砲艦は、連合国の艦と形状が似て
 いるが、幅が少し細身。機動艦は別動隊と
 同じで横長の左右非対称。艦体色はどの
 艦種も赤をベースとしている。
 
 立体魚鱗陣の連合艦隊に対し、立体鶴翼の
 帝国艦隊。連合側は、機動部隊を後方から
 分離させ、敵後方へ回らせる。
 
 それに気づいた帝国側は、球形陣を取る。
 連合機動部隊は突入を直前で回避。そも
 そもそれほど速度が出ていない。
 
 帝国の球形陣と思われていた陣形が、
 ほどけていく。螺旋上の球形車懸かりだ。
 連合側を半包囲しながらそのほどけた
 先端が後方の連合艦隊旗艦を狙う。
 
 しかし、先ほどの連合機動部隊が、5百
 隻ほどで球形陣を組む。機動艦と思われた
 艦種は実は盾艦であった。中途半端な
 位置に居座る連合の球形陣。
 
 車懸かりの先端が、包囲を邪魔される。
 そのうちに、連合機動艦が車懸かりの
 尻尾側へ回り込む。
 
  そこからモモ・テオの無形陣が
 始まった。操作席、1メートル立方の立体
 画像システムの中に、3次元筆デバイスで
 新たな陣形を描く。
 
 帝国の一瞬乱れた陣形に対し、最適防御
 と最適攻撃の解を出す。そして、それを
 リアルタイムで忙しく更新し続ける。
 陣形デザインと艦種の塗り分け、オイラー
 角、艦速を与える。
 
 帝国艦隊は、何らかの陣形に戻そうと
 試みるも、連合機動艦数百隻により常に
 分断される。付かず離れずの連合の
 無形陣は効率的に攻撃を行い、
 
 帝国側の砲艦と盾艦は常に敵のいない方向
 を向く。帝国空母の間には常に味方が
 いて、連合艦に接近できない。
 
 いったん陣形を崩されたうえでモモ・テオの
 無形陣に張り付かれると、もう立て直す方法
 はなかった。序盤から車懸かり陣で散開
 ぎみとなったことが悪手となったようだ。
 
 連合側が1割の損害に対して、帝国側が
 7割の損害となった時点で、連合側が
 降伏勧告を出す。
 
 少し予想していたが、あっけなく勝って
 しまいほとんどアドバイスらしきことを
 していないイザムバード・ビーチャム中尉。
 
 この程度の相手なら、今の自分でも簡単に
 勝てた可能性が高いが、損害を1割に抑える
 ことができたかどうかはわからない。
 
 そして、もし、自分と同程度の才能が、帝国
 側に居たとして、モモ・テオに鍛えられて
 いないだけだったとしたら……。
 
 同程度の才能相手に数で劣る艦隊を率いて
 中間都市の命運を掛ける、ゾッとする話だ。
 
 
  中間都市近傍では、アナ・ボナが
 再度出撃していた。帝国別動隊の残軍が、
 降伏勧告を無視して連合移動基地に向かう
 姿勢を見せたからだ。
 
 人型機械母艦に戻って調整後にすぐ再出撃
 となった。
 
「アナ、相手は無策だ、無理はするな!」
 アンダカ用機動艦の艦長が声をかけるが、
「了解、だけど、決着付けます!」
 
 帝国側別動隊、5千隻あった艦艇は、ほぼ
 全て停止している。動いているのは、有人
 艦と思われる10隻だった。
 
 その後ろに連合国守備隊の3千隻も包囲する
 かたちで迫っている。移動基地自体にも
 数百隻の護衛艦がいる。
 
 その10隻がこちらに突っ込んでくる。おそ
 らく、お互いの通信は出来ておらず、視界
 だけを頼りに編隊を組んでいる。
 
「有人だからって手加減しないよ」
 アナ・ボナが自分に言い聞かせる。
 
 18機のアンダカが展開する中に防御を無視
 して帝国機動艦が突入してくるが、連合国
 守備隊からの援護射撃も入る。アナ機の
 回りは避け、他の遠隔機には当たっても
 いいぐらいの砲撃だ。
 
  この手の人型機械に対抗するなら、一番
 効果的なのは空母だ。この時代の空母は、
 全長3メートルから10メートルの戦闘用
 ドローンを多数搭載し、
 
 中距離から近接攻撃力ではかなりのものが
 あった。攻撃範囲は、ドローンの航続距離
 などで決まる。
 
 砲艦は、だいたい中距離から遠距離が
 攻撃範囲、それに対して機動艦は、推力に
 重点を置いているため、たいていは中から
 近距離の攻撃手段と、申し訳程度のシールド
 装備、というかたちにならざるを得なかった。
 
 帝国軍の別動隊の動きは、数の面で少し
 勝っているため攻略を狙ったものとも言え
 なくもなかったが、どちらかというと中間
 都市周辺を急襲することで艦隊本体を動揺
 させる狙いもあったと言える。
 
  回避運動を取りながら、敵の武装を狙って
 アンダカ機の通常の加速砲を放っていたアナ
 ・ボナだが、帝国側の命知らずな戦い方に
 苛立っていた。
 
「辺境で苦労したからなんだっての!」
 接近した艦の戦闘ブリッジあたりを撃ち抜い
 て離脱する。
 
 敵旗艦を守るかたちで複数艦が交錯するが、
 それらを回避して旗艦へ接近する。
 
「こっちだって! ただ平和に暮らしていた
 わけじゃないんだよ! 舐めんなー!」
 
 敵旗艦のブリッジと推進装置を数発撃ち抜き、
 離脱する。人の叫び声が聞こえたのは、
 おそらく幻聴だ。
 
「なんでそんな生き方しか選べないんだよう!」
 気づくと、アナ・ボナは、操縦席で泣いて
 いた。
 
「ボナ少尉、残りは自分たちで片づけます!
 帰艦してください!」
 遠隔機パイロットから通信が入る。
 
「了解」
 ボソッと答えて、提案に応じるアナ・ボナ。
 オーンと鳴る幻聴の残音が耳から消えない。
 
 
  モモ・テオのいる宙域でも、似たような
 ことが進行していた。帝国艦隊は、損害率が
 7割を超えても、降伏もしなければ退却も
 しない。
 
 モモ・テオは、解析データにより敵有人艦
 の場所を探り、なるべくそこを避けるような
 艦隊操艦を行っていたが、これだけの数
 である。
 
 しかも、敵艦隊は、有人艦を防御するような
 素振りもない。むしろ先頭に突っ込んでくる
 ような有様だ。そこに至って、モモ・テオも、
 ただ相手を殲滅することに集中する。
 
 連合側損害率2割、帝国側8割で推移する。
 その状況を見て、
 
「モモ、あともう少しだけど、残りはおれが
 やる! 全てを背負い込む必要はないよ」
「わかった、頼む」
 
 陣形遷移の動きが鈍ったと見たイザムバード
 ・ビーチャム中尉が、モモ・テオと交替する。
 いったん艦隊を球形陣でまとめ、相手の
 出方を見守るイザムバード。
 
 モモ・テオは、大きく息をついて、腕で視界
 を覆いながら、操作席のシートにもたれ
 かかった。実際の戦場の空気は、考えて
 いた以上に重かった。
 

講和

  ふたつの宙域で行われた戦闘は、
 いずれも連合国側の勝利で終わった。
 
 すかさず帝国側に良い条件で講和を成立
 させる。その後、中間都市とその周辺の
 国家は、少なくとも宇宙資源が存在する
 宙域の情報収集に手を抜かないことを
 決めた。
 
 連合軍が戦闘後、今回の戦いがいかに
 際どいものであったかを詳細に公表した
 からだ。
 
 今回の戦闘も、タイナート帝国が接触して
 きた際に、たとえ数万年前のことであった
 としても、中間都市としていったん謝罪の
 意を表明するだけでも回避できた可能性
 が高いこともわかってきた。
 
 国が滅ぶかどうか、文明が亡ぶかどうか
 ということを考えれば、高額のスパイを
 雇うことなどは、はるかに安く済む。
 謝罪するだけなら無料だ。
 
 兵器産業が一時的に経済が潤うということ
 もあるが、本当に一時的で、むしろその
 あとの不況のほうが恐ろしいことも歴史が
 証明していた。つまり、戦わずに済んだ
 ほうがトータルでプラス。
 
 人類同士に限らず、外からの知的生命体
 が攻撃的であった場合、人類はどう対処
 すべきか。このテーマには、なかなか
 答えが出ず、人類の住居範囲が拡大する
 ごとに重くなっていくようだ。
 
 
  アナ・ボナは、戦闘後に体調を崩して
 実家近くの病院に入院している。
 
 入院当初は母のテッサ・ボナが病院に
 寝泊まりして看病していたが、話を聞いた
 金剛石の面々が病院に来るようになった。
「おばさん、おれらもなんかできること
 やるから」
 
 学校に行ってもいなければ、定職にも
 ついていないので、こういう時に便利だ。
 
 週末はアナ・ボナの知り合いがたくさん
 見舞いに来る。平日の夜はヴァイ・フォウ
 がテッサ・ボナに代わって寝泊まりし、
 昼間は残りの金剛石の3人がいること
 になった。
 
 アナ・ボナは、一時期体重も10キロ
 ほど減り、何も食べられず、2日ほど
 集中治療室にいた。そのあと、少し
 回復して個室に移っている。
 
 母のテッサ・ボナは、仕事は休みにして
 いたが、自身の体調もあって、体の
 調子が許す範囲で看病に通うことにした。
 
 アナは、どちらかというと昼間比較的
 静かだが、あまり睡眠はとれておらず、
 夜になると泣き叫んで半狂乱状態となった。
 話しかけても返事をしない。
 
 ヴァイは、そういう時は背中をさすったり
 抱き留めたりを繰り返した。
 
  兄のロロ・ボナや、テッサ・ボナが
 いない時間帯に父のノア・テオも訪ねて
 くる。
 
 モモ・テオも病室に来た。しかし、なに
 やら暗く重い雰囲気を纏わりつかせている。
 目に隈を作り、鋭い目つき。
 
「おまえなあ、そんなもん纏わりつかせて
 病室入ってくんなよ! 厄払い行け、
 今すぐ行け」とヴァイが言い放つ。
 
 モモ・テオも、そうだな、と同意してすぐ
 病室を出て行く。
 
 夜のアナ・ボナの状態はあまり変わらなかっ
 たが、調子の悪そうな時は体をさすりながら
 ニコロ塾で習った妖魔退治のお経を口の
 中で唱える。
 
「おまえなあ、小さな体で全てを抱え込む
 なよ、おれらもみんなついてるからさ」
 
 そうして2週間もするうちに、回復の兆し
 が見えてきた。言葉にも反応するように
 なった。そして、一週間で退院、その後
 の一週間で、体重もかなり戻し、状態
 もほぼ元通りとなった。
 
 
  数年後の夏。
 モモ・テオとイレイア・オターニョは、
 マティルデ・カンカイネンの実家に来ていた。
 
 大きな農家の民家で、母屋は200平米ほど
 ある。敷地内にはマティルデの姉弟の家
 もあり、大家族だ。
 
 そこに、4泊5日でお邪魔する。
 
 そこは、中間都市曼陀羅型9999番、
 最下層の田園地帯。家の近くには何でもある。
 
 そこそこの堤防幅がある川、神社、池、
 駄菓子屋、温泉、小さな商店街、古書店、
 怪しいビデオ屋、お寺、学校、いつも
 香りが漏れてくるソイソースの工場。
 
 小さな用水路の横を通ると、人影を見て隠れ
 るのはオタマジャクシかドジョウか。
 
 そういうところに、マティルデの姪を連れて
 歩いて出かけたりもするが、だいたいは襖と
 障子と縁側のある部屋でのんびり寝転んで
 いる。扇風機がウンウン回っている。
 
 寝転んでいても、こういう田舎の家では
 どこでもそうなのかわからないが、時間ごと
 に食べ物が供される。
 
 モモ・テオは、久しぶりに演劇からも稽古
 からもトレーニングからも戦争からも解放
 されていた。
 
  ロロ・ボナが結婚し、同じく最下層で
 家を借りて暮らし始めた。この夏、盆あたり
 に家族で集まることになった。
 
 モモ・テオは、父と住んでいた実家を出て、
 2階建ての移動住居を借りて最上層に住んで
 いる。週末だけ9層目に戻ってきて、実家の
 洗い物や掃除をする。
 
 イレイアもマティルデも、最上層の移動住居
 で暮らし始めていた。3人で集中して
 仕事をし、休暇の期間も多めにとるように
 している。
 
 中間都市の色々な場所にヴァケーションで
 出かけるのも面白いのだが、こういう
 田舎でのんびりするほうがなんとなく性に
 合っていた。
 
 かと言って、こういう田舎で生まれ、その
 ままそこで一生を暮らす生き方も、まるで
 想像がつかないのだが。
 
 アナ・ボナも元気にしている。今は軍属を離
 れ、雑貨屋で働きながら、次に何をやるか
 考えているようだ。細かいところは言って
 くれない。
 
  マティルデの実家の最終日は、祭りが
 ある。田舎の小さな祭りだが、出店も来る。
 そう、禍福社も店を出すので、彼らも来る。
 
 少し季節感のずれた浴衣を来て、3人で祭り
 の中を歩く。10はあるだろうか、そのうち
 のひとつで、金剛石の4人が店番をやって
 いる。行列を前に忙しそうだ。
 
 いまだに、よくわからない活動を日ごろから
 やっているようだ。何かもめ事があれば
 顔を出してくる。
 
 花火も上がり出した。良く見えるという
 高台に3人で向かう。すでに何人かが
 コンクリート樹脂の段差に腰をおろして
 いる。
 
 モモ・テオとマティルデが腰を下ろして
 落ち着くと、イレイアが座らずに何か
 歌いながら舞いだす。
 
 こちらを煽るような調子に、モモ・テオは
 その手には乗らないと、フフっと笑うが、
 ふいに強烈な既視感に襲われ、軽い
 眩暈を感じる。
 
 が、すぐに収まった。どこから来た既視感
 か、記憶を探るが、なかなか見つからない。
 
 過去のどこかか、それとも未来か。
 

雨将軍

  直前になって雨がさらに激しくなって
 きた。この季節の、この時間帯には非常に
 珍しい雨量だ。
 
 内応者の2名が施設の門を開ける。外にいた
 人影が、すぐに何かを渡し、その2名はそれ
 を頭から被る。
 
 門の前には、200頭の馬と、それに騎乗
 する同じ数に人々、馬が時々いななくが、
 雨音に完全に打ち消される。
 
 内応者の2名がそれぞれ馬の後ろに乗り、
 その軽騎兵部隊を指揮している人物が大きく
 手を挙げ、そしてそれを振り下ろす。
 
 それを合図に、200名の軽騎兵が施設に
 突入していく。手榴弾様のものを投げ込んで
 いるのは催眠ガスの煙幕デバイスだ。
 
 着込んでいるのは、それ専用の装備とマスク
 ではなく、一般の宇宙スーツだ。あたりは
 泥でぬかるんでいるが、あまり気にしない。
 
 隊は4つに分かれ、それぞれの場所を目ざす。
 そのうちの二つは、東西にある対空砲の
 設置された塔だ。
 
 5人ほどが守るが、煙幕デバイスを投げ
 込んだあとに下馬して突入し、あっという間
 に拘束する。
 
 内応者を一人乗せた隊は、指揮所へ向かう。
 もう一隊は、食糧庫だ。暗号で施錠された扉
 がいとも簡単に開いていく。
 
 対空砲塔が制圧された数秒後には、上空に
 数百軒の移動住居が姿を現し、しかし雨で
 気づかれてもいないかもしれないが、そこ
 から何かが落下してくる。
 
 落下傘が開き、その落ちてきたものが人型に
 展開していく。折り畳みアンドロイドが、
 400体空より降りてきて、催眠ガスで倒れ
 た人間を拘束しつつ食糧庫へ向かう。
 
  指揮所が制圧され、この敷地内で抵抗する
 ものはいなくなった。折り畳みアンドロイド
 が食料を運び出し、次々と移動住居に載せて
 いく。
 
 充分食料を載せた移動住居は、浮遊し、
 どこかへ飛び去っていく。約200トンの
 食糧全てが運び出されるころには、あたりは
 明るくなっていた。
 
 雨も上がったようだ。
 
 敵兵一人の拘束を解いて、騎馬隊に引き上げ
 の合図がかかった。施設を出て、荒れ地を
 しばらく駆けると、そこは草原の海だ。
 
 そこを4時間ほど走り、空を飛んで行った
 移動住居たちと落ち合う。100マイルは
 あるだろうか。
 
 深夜から明け方の雨雲は嘘のように消え去り、
 朝日が眩しい。濃緑色の宇宙スーツをみな
 泥だらけにして、200頭が軽快に走る。
 
 騎乗する彼らにとってそこは、よく知った庭
 みたいなもの、と言ってもそんなに間違い
 ではなかった。
 
 
  駐屯地。
 
  先ほどの200人が整列している。いずれ
 も精悍な顔つきの若い男女。その前に立つの
 は、ディサ・フレッドマン、以前より身長も
 伸び、髪も伸びている。
 
「では小隊に分かれて指示を受けてください、
 分かれ!」「よし!」
 
 そして、立体通信機の前に立ち、
「こちら、ウンドゥルハーン臨時駐屯地、
 対象兵站地にて200トンの食糧取得、その
 後全員無事帰投ずみ、本日の作戦0127、
 兵站地攻略、これにて終了します!」
 
「よし!」の声でお互い敬礼し、通信を切る。
 
 遠くでは、アンドロイド達が巨大輸送機に
 先ほどの食糧を運び込んでいる。ボム・
 オグムが声を掛ける。
 
「お疲れさん」
 背はそれほど伸びていないが、体は一回り
 大きくなったように見える。纏めているが
 髪も伸ばしてより女性ぽくなったようだ。
 
 いったんそれぞれの移動住居に戻り、
 30分ほど休憩してからまた移動となる。
 が、ここからの移動は移動住居を使う。
 
 広大な敷地に、簡易のマウントポイントが
 造られ、200軒の移動住居が大人しく
 停家している。2階建てとなった我が家
 に戻るディサ・フレッドマン。
 
 ボム・オグムも、隣にある2階建ての
 移動住居へ入っていく。馬はすでに
 移動住居1階の厩舎に戻してある。
 
 ディサが所有する馬、アカネマルは、その
 黒い馬鎧の隙間から真紅の毛並みを覗かせ
 ていた。
 
 2階に上がると、以前より大きくなった2匹
 がカタカタと音を立てて出してとせがむが、
 もう少し落ち着いてからだ。
 
 
  太陽系においても、反発展主義者による
 反乱が起き、一時は3か所ある海上都市が
 占拠される事態にまでなったが、
 
 太陽系の宇宙空間では、思想の爆発的な
 広がりを見せなかった。その理由として、
 すでに類似の思想がそれなりの信奉者の
 数とともに存在したこと。
 
 その類似の思想集団の協力が得られなかった
 こと。けっきょく、そういった事件は地球上
 で起きたのみで、太陽系内の宇宙空間では
 とくに大きな変化がなかった。
 
 アース連邦は、宇宙からの支援を受けて、
 反乱軍を容易に抑えていった。最終的に、
 反乱軍の本拠地は、食料不足により陥落した。
 
 太陽系の反発展主義者が望んだよりもかなり
 早く、人々はふだんの生活を取り戻して
 いった。
 
  その後、半獣半人座星系の影響を受けて、
 太陽系からも次の恒星系を目ざす計画が
 持ち上がった。
 
 半獣半人座星系からはシリウス星系、太陽系
 からは、バーナード星系を目ざす。
 中間都市からウルフ星系を目ざす案も実は
 出ていたが、資源宙域が途中であるか
 どうかの確認が必要そうだ。
 
 バーナード星系までは6光年、期間で1万
 2千年、シリウスまでは9光年、期間は
 1万8千年を想定している。
 
 半獣半人座星系にかかった時間よりは、
 かなり短くなる予定だ。今後も、恒星間を
 移動する速度はどんどん光速に近づいて
 いくだろう。
 
 太陽系から15光年以内に、恒星系は
 40を超える。今後、宇宙船や移動都市の
 航行速度があがるにつれ、人類が進出する
 宙域も爆発的に増えるかもしれない。
 
 その先にいったい何があるのか、太陽系
 発祥以外の知的生命体にどこで出会うのか。
 まず、銀河系の大きさが10万光年、その
 隅々まで人類ははたして到達できるのか?
 
 銀河系だけで、2千億を超える恒星の数、
 そういった銀河が、銀河系近辺で100、
 宇宙の中にゆうに1兆を超える数だけ
 存在する……。
 
 
  ディサ・フレッドマンとボム・オグムは、
 再び日常生活に戻り、朝から馬を走らせ
 ていた。
 
 ボムは、けっきょく動物系の地上監視員の
 資格を猛勉強の末取得した。ディサと同じ
 地域で丁度担当者が空く情報も入手して
 いたのだ。
 
 ブラックキングと名付けた、漆黒の毛並みの
 巨馬を操る。南シナ海を臨む海岸沿いの道。
 そのままホーチミンという街まで馬でいく
 つもりだ。
 
 上空には、二つの移動住居が浮遊するが、
 1階分しかない。どちらも1階と2階が分離
 するタイプで、分離したほうはそれぞれ
 折り畳みアンドロイドが探査に使用している。
 
 今浮いている分にも折り畳みアンドロイドが
 乗っていて、ペットの世話などをしている。
 
 連邦政府の方針により、道にはほとんど
 人影が見えないが、移動住居は時々飛んで
 いるのが見える。
 
 ボムが指さす方向に、雨雲が近づいて
 来ているのが見えた。高波にだけ気をつけ
 れば、雨の海岸沿いもまたいいものだ。
 
 完
 

遺伝子分布論 102K

遺伝子分布論 102K

現代より、十万年以上が経過した、宇宙歴102000年、 人類の生活圏は、太陽系外の恒星系にまで広がっていた。 人類の未来の生活を、淡々と描く。 果たしてそこにドラマは生まれるのか。

  • 小説
  • 長編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-10-08

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