肇の憂鬱な一日
白い息が空へと消えていく。
灰色の空がつくる冷たい空気は、マフラーと手袋をしていても私を十分に凍えさせた。
私は昼でも燦々とするイルミネーションを横目に、事務所へ足早に向かった。
事務所へ入ると、空調が作り出したぬるい温かさに包まれる。
マフラーと手袋を鞄にしまいこみ、中を見渡した。
やっぱり今日は人も多いように感じる。
クリスマスだからか、ほとんどの子がオフを貰っていた。私もその一人だ。
特に友達と約束していることもないから、私は事務所へと何の目的もなくやってきたことになる。
そうだ、プロデューサーさんに挨拶はしていこう。
いや、何かを誘ってみるのはどうだろうか。
買い物でもいいし、何処か出かけるのもいい。
私は空想を描きながら、プロデューサーさんを探し始めた。
道中にその姿はなくて、結局プロデューサーさんの部屋まで辿り着く。
コンコン、とノックをする。
すぐに「どうぞ」と返ってきた。
「失礼します」
ドアを開け、机をみる。
「プロデューサーさん、あの――」
「Pくん遊びに行こうよー!折角のクリスマスなんだよー!」
「みりあも!みりあもー!」
「ちょっ、忙しいって言ってるだろ。今日は外せない仕事があるんだ。ごめんな」
「えー。デートしようよー」
「プロデューサーさん。デートなんて、しませんよね……?うふふ……」
「し、しないって。……だぁーもう莉嘉離れろよー!」
……何やら賑やかだった。
プロデューサーさんはたくさんの他の子に囲まれていた。
「――って、肇じゃないか。どうかしたのか?」
「い、いえ。何でもありません」
「何だ?具合でも悪くしたか?」
「あ、あの。本当に何でもないんです。……失礼しました」
「あ、ちょっと、肇!」
プロデューサーさんに呼び止められたけれど、私は部屋を出ていってしまった。
しばらくして、また部屋からは賑やかな声が聞こえてくる。
私は逃げるようにして、その場から立ち去った。
……馬鹿だな、私。
心からそう思う。
プロデューサーさんを誘おうだなんて。
プロデューサーさんは私だけのプロデューサーさんじゃない。仕事だってあるんだし、私のためだけに時間を割いてくれるなんて、傲慢もいいところだった。
プロデューサーさんはみんなのプロデューサーさんなんだ。
……今日はどこかでじっとしていよう。
窓を眺める。灰色はより濃くなって、いつの間にか白い雪が降り始めていた。
事務所の玄関へと戻ってきた。
「肇ちゃん」
声がかかって、振り返る。
加奈ちゃんと藍子ちゃんがそこにいた。
厚着をしているところを見ると、これから二人も外へ出るのだろうか。
「これから用事?」
「いえ。少し外を歩きたくなりまして」
「それなら、私達と散歩しませんか? 今日は特別な日ですし、きっと楽しいですよ」
「肇ちゃんがいいなら、一緒に行こうよ!」
「――はい。散歩、私も混ぜてください」
私はすぐに頷いた。
少し陰鬱な気分を忘れたかった、というのもあるかもしれない。
商店街を私達は歩く。
周りには赤や緑や、色とりどりの装飾に溢れ、見ているだけでも楽しい気分になってくる。
実際に子供はそんな飾りに目を輝かせて、あちらこちらと動き回っている様子だ。通り過ぎていくカップルも笑顔を見せている。
藍子ちゃんの言った特別な日とはまさにこのことだと思う。
ここには幸せが溢れかえっていた。
「わあ、綺麗……」
「はい。……本当に綺麗ですね」
広場のような空間にそびえる大きいもみの木。LEDが取りつけられていて、人の視線を一挙に集めている。
綺麗に輝いていて。
人の目をひいて。
「――私も、ああなれたら」
「え? 何か言いましたか?」
「あ、いえ、気にしないで下さい」
「肇ちゃん元気ないよ? どうかした?」
「そんなこと、ないですよ」
「あ、そうだ!」
藍子ちゃんが何かを思いついたようだ。
「肇ちゃんにおすすめしたいスポットがあったんです。行ってみませんか?」
「私に、ですか?」
藍子ちゃんは頷く。
私も応えるように頷いた。
裏路地を抜けて、雑踏から遠ざかる所。
藍子ちゃんのおすすめしたいスポットというのは、どうやらお店のようだ。
大通りに建ち並ぶ店の雰囲気とはうって変わって、ここのお店は随分と年季を感じる。
足を踏み入れる。
私はすぐに目を丸くすることとなった。
「……すごい」
お店で売られているのは器やお皿だった。
しかもほとんどが焼き上げられたもののようだ。
所狭しと並べられたそれらに、私は心踊らずにはいられない。
「肇ちゃんならきっとこのお店を気に入ってくれると思いましたから」
「はい!気に入りました!」
「ふふっ、肇ちゃん。おおはしゃぎだね!」
私はたくさんの器を手に取り、その感触を確かめる。
心地いい。
丁寧で、熱意が直に感じられる。
私が一番惹かれたのは、少し茶色がかった器だった。
私が理想とする器はこれなのかもしれない。
「それがいいの?」
「はい。何故かはよく分からないんですけど……でも、何だか惹かれてしまって」
「ほう。珍しいもんだ」
不意に声が奥から聞こえてくる。
その内現れたのは白い髭を携えたおじいさんだった。
「若いもんがそれに『惹かれる』なんとな」
「あの……?」
加奈ちゃんが少し怖がりながら尋ねる。
もちろん私も彼が誰かはわからない。
藍子ちゃんがおじいさんの隣に駆け寄り、私たちに紹介する。
「この方はこの店の店主さんです。以前は陶芸をしていて、ここの商品は全て弟子の作品だそうです」
「君かい?若くして陶芸家を志す女の子というのは」
「は、はい」
藍子ちゃんも合わせて頷く。どうやら、私のことをいつかに話していたようだ。
おじいさんは顎をさする。
「珍しいものだな。先日も買った若造はいたが……彼は惹かれたわけではなかった。だから君みたいな子は本当に珍しい」
悲しげに呟いた。
「若者はあのような脚光を浴びるような物を好むと思っていたが」
指差した先で、路地の隙間から先程の商店街が見えた。
確かにそうだ。
若い子達はきっと、ああいう派手なものを――。
「君は違うのだね」
何故だろう。
そんな意味ではないとわかっているのに。
違うというその一言は、私を否定する言葉に思えて仕方なかった。
「ありがとうございます。この器は大切にします」
藍子ちゃんと加奈ちゃんは二人でお金を出して、この器を私にプレゼントしてくれた。
私は遠慮したけれど、結局は二人の思いに甘えることとなった。このお礼はいつか返しますと約束して。
そして、しばらく歩いて。
雲間から夕暮れが町に光をさす頃。
街角であの姉妹と遭遇する。
「ん?やっほー!三人で散歩?」
「はい。私の誘いで町を散歩しているんです」
美嘉、莉嘉姉妹だった。
変装のためか、お揃いの帽子と眼鏡をかけている。
私達もある程度の変装をして隠しているけれど、この二人はそれでも余りあるオーラを放っている。
実際、女の子達からも憧れられていて。
そう、まるでそれは、闇を晴らす太陽のような――。
「あっ、そうだ! Pちゃんが藍子ちゃんと加奈ちゃんを呼んでたよ!」
「えっ、私達を?」
「そうそう! あのね、Pちゃんがねー」
「わ、わわわ! 何でもないから!」
「あ、う、うん。な、何でもないない!ただのデートのお誘いかもよー!」
「それもおかしいでしょー!」
姉妹はあたふたとしている。
私達三人は首をかしげ、その様子を眺めていた。
「それじゃ肇ちゃん、ばいばい!」
「また一緒にお散歩しましょう」
「はい。またいつか」
二人に別れを済ませる。
二人はプロダクションの方へと向かっていった。
……そして、一人になる。
すっかり太陽は姿を隠し、黒が空を覆う。
地上はそれに負けじと、たくさんの光を灯す。
街灯、イルミネーション、木の装飾。
幻想的な空間だった。
七色に輝く、それはもう綺麗な。
私は何処へ向かうでもなく、ただ歩く。
そして、考えてしまう。
私がこんな気持ちになってしまっているのは、きっと今朝からのこと。
プロデューサーさんを囲んでいたあの子達。
私はみりあちゃんのように無邪気にはなれない。
私は莉嘉ちゃんのように弾けることはできない。
私はまゆちゃんのように想いを簡単に伝えられない。
私は彼女達とは違う。
彼女達が持つものは、私にはないんだ。
じゃあプロデューサーさんは私のことをどう思っているんだろう。
輝く彼女達に囲まれる中で、ただ一人の私のことをどう思うのだろう。
私は一体――どんな色を持っているんだろう。
――ああ、そうか。これは、嫉妬なんだ。
プロデューサーさんに私と違う接し方ができる彼女達に対しての、嫉妬。
……子供っぽいな、私。
少し鼻の奥がツンとした気がした。
「あ、いたいた」
私はいつの間にかベンチに座っていた。俯いて、ただ呆けていた私にかけられた声は、すぐに私を覚めさせた。
頭を上げて顔を見合わせた相手はプロデューサーさんだった。
「探したんだぞ肇」
「ど、どうしたんですかプロデューサーさん。今日は外せない仕事があったはずでは……」
「肇がいなきゃ終わらないんだよ。ほら、プロダクションに戻るぞ」
「……え?」
一体、なんだというんだろう。
プロデューサーさんの後ろを黙ってついていく。
問いてもプロデューサーさんははぐらかして、答えなかった。
そして、プロダクションへ戻って来た頃、プロデューサーさんは口を開いた。
「加奈や藍子から聞いたぞ。『今日の肇ちゃんは元気がない』って」
「そ、それは」
「誤魔化しても無駄だぞ。俺はプロデューサー何年やってると思ってるんだ?」
いや、と、プロデューサーさんは付け足す。
「何年肇を見てきたと思ってるんだ?」
「――ッ」
「さ、そろそろ中庭だ。目をしっかり開いて見ろよ」
そして、プロデューサーさんは中庭へと続くドアを開けた。
涼しい風が横を通り過ぎていく。
その空間を見て、私の瞳は揺れていた。
「これが俺の外せない仕事、だったんだ」
中庭にはたくさんのもみの木が置かれていた。サイズは少し小さめで、プロダクションの廊下を通り抜けれるくらい。数十本という木々が中庭に並んでいた。そして、そこにはたくさんの装飾がついていた。色とりどりの玉が飾られている。あの玉は……クーゲル、といっただろうか。
「あの玉はいま182個あるんだ。さて、あと一個加えると何の数になる?」
「……このプロダクションのアイドルの人数、ですか?」
「正解だ」
プロデューサーさんは笑顔で振り向いた。そして、コートのポケットから、クーゲルを取り出した。
「これが最後の一個。肇の分だよ」
手渡されて、私は言葉を失ってしまう。
感情が溢れて、胸が苦しい。
「あそこが空いてるかな」
プロデューサーさんが指さした方に、私は向かった。
コードが伸びていて、クーゲルと組み合わせるようだ。
隣には緑色とピンク色のクーゲルがあった。藍子ちゃんと加奈ちゃんのものだろうか。
私はそれに挟まれながら、クーゲルを取り付けた。
そして、すぐにそれは輝き始める。
「――わぁ」
遂に口から出た言葉はとても単純なものだった。
同時に、涙が私の頬を伝っていた。
「これで183個。ようやく完成したな」
「……」
「肇?」
私の体は震えていた。寒いんじゃない。胸は驚く程に温かくて、鼓動は二倍速になっている。
私はプロデューサーさんの方へ振り返る。
ああ、今の私はきっとだらしない顔をしているんだろうな。
でも、伝えなきゃ。溢れ出る想いを少しでも。
「ありがとう、ございます……!!」
涙ぐみながら、声を振り絞りながら、そう言った。
プロデューサーさんは優しい笑顔で頷いた。
中庭で私とプロデューサーさんはベンチへと腰掛けている。それ以外に人影はない。
「メリークリスマス」
私が泣き止んだのを見計らって、プロデューサーさんはもう一つサプライズを用意してくれていたようだ。
「プレゼントだよ」
プロデューサーさんはリボン付きの箱を手渡した。私に解くよう促す。
中を開いて、私は仰天することになる。
「あ、こ、これって……」
「本当は髪飾りとかぬいぐるみとか、可愛いのがいいかなぁって思ったんだけどな。まぁ理由があって――」
「プロデューサーさん、あ、あの」
「ん? どうしたんだよ」
私は鞄の中から、加奈ちゃんと藍子ちゃんから貰った器を取り出した。
それを見て、今度はどうやらプロデューサーさんが仰天したようだ。
「う、嘘だろ」
「被ってしまいましたね……」
とんでもない偶然だった。
私が今持っている二つの器は、全く同じものだった。
もちろん手作りだから多少の違いはあるけれど、デザインや形状は全く変わらないものだ。
「そんなことあるかよ……」
「え、えっと、理由って何でしょうか?」
言葉を割り込んで聞けなかったが、どうやらプロデューサーさんのプレゼントには理由があるらしい。
「まあ大した理由じゃないんだけど、……そうだな。この器は肇に似ているんだよ」
「わ、私に、ですか?」
うん、とプロデューサーさんは頷く。
「丁寧に作られたこの器は肇の少しぎこちないけれど、硬い意思のようなものを感じるんだ。でも、それは『表面上』だな。大事なのは『中身』なんだよ」
「中身……」
「ほらここ」
プロデューサーさんは器の模様を指差した。
その模様は、真っ直ぐに伸びる竹だった。
「肇はまさに、竹、なんだよ」
私は息を呑んで、プロデューサーさんの次の言葉を待った。
「肇の折れない芯。でも、たおやかにしなる。肇が持つ最高の素質だな」
「最高、だなんて……」
「肇は色んなユニットを組んでるだろ。『ビビッドカラーエイジ』とか『月下氷姫』とか。そのどれもは違う雰囲気なのに、肇は遜色なく染まれる。こんなこと、誰にもできたことじゃない」
「……わ、私なんて」
「肇は肇らしいアイドルになれば良いんだ。肇にしかない才能は、絶対にある。それに――」
胸に深く、深く言葉が染み込んでいく。
「それに、どんなアイドルになりたいかを決めるのは、肇自身だ。誰かと比べるもんじゃない。俺はそれを全力で応援するし、支える。……これじゃ、だめか?」
プロデューサーさんは優しい顔をして、私の顔を見つめた。
私は胸に手を当て、息を落ち着かせる。
今度は、しっかり言わなきゃ。
「プロデューサーさん」
「ん?」
「これからも、よろしくお願いします。私はきっと、輝いてみせます!」
少しの間、視線だけが重なる。
そして、いずれは笑顔を作り出した。
「しっかし、これどうするか。同じ器が二つあってもなぁ……」
「あ、ではこれはプロデューサーさんが持っていてください」
「俺が?」
「はい。お願いします」
「わ、わかった」
プロデューサーさんは器を受け取った。
知ってか知らずか。
器とはいえ、担当アイドルと同じ物をもっている、ということになるのだけど。
……プロデューサーさんが気づくまでは、黙っていることにしよう。
二人はしばらくその場に留まった。
雪が降る冷たい夜に、優しい温かさを直に感じながら。
二人を取り囲む光の中で確かに、藤色が一つ輝いていた。
肇の憂鬱な一日