Story A

Story A

きみが歌ったならきっと僕は泣く

 彼女の歌を聴いたのは、高校の文化祭が最後だ。当時、付き合っていることを隠していた僕たちは、学校ではあまり話すこともなかった。どうして隠そうと思ったのかは、あまり覚えていない。ただ、きみは照れくさいからだと言っていた気がする。そしてそれに、僕も頷いた。ただそれだけだったと思う。

 あれから随分と経った。僕は、実家に帰ることになって、一人暮らしの部屋を片付けている。大学生になって初めて一人で住んだこの部屋に、何が必要で何が不必要なのかもわからず持ち込んだ物たちの中にそれはあった。
 一枚のDVD。高校最後の文化祭で僕が録ったものだ。表面が白いディスクの端のほうに、小さく隠すように書いた、『えりな』という文字。それが彼女の名前であることは僕にはわかる。だから、手に取って思わず作業が中断した。
 たしか、えりなが組んでいたバンドの練習も見せてもらえたことがない。僕が彼女の歌を聴いたのは本番当日だ。どうしてもそれを残したくて文化祭の演奏をビデオに録ることにした。だけど、僕が彼女と付き合っていることは内緒の話で、そうなるとビデオを僕が回す口実がない。それに早くに気づいていた僕は、文化祭の実行委員でもないのに、舞台発表のビデオ担当やるよ、と、あえて先生に声をかけていた。どうせ暇だしねーなんて言って。僕は昼過ぎから始まった演劇部の公演から全て、録画を任された。
 えりなはずっとバンド仲間と文化祭を楽しみ、出番が近づくと音楽室にこもって練習していた。僕はずっと暇だった。だから体育館でビデオを回していた。付き合っていることを周囲に話していれば、きっと二人で居られたのに。
 そんなことを思い出しながら、片づけ最中の部屋の、まだテレビと繋いだままのビデオデッキにディスクを入れた。見るのは、文化祭以来だ。本番ではビデオを必死に回していて、実はあまり、えりなの歌を覚えていない。一枚多くディスクにコピーをして持ち帰ったものの、いつでも見られるからという理由で、そのまま見ることはなかった。
 えりなの歌を聴くのは、これが二度目ということになる。
 えりなとは、文化祭が終わってすぐに、別れてしまったから。誰も、僕たちが付き合っていたことなんて知らないまま。

「ねえ、これ何て読むの?」
「どれ?」
 文化祭の実行委員が作った手作りのパンフレットを見ながら、前日にえりなたちが演奏する曲のタイトルを見て話したのを覚えてる。えりなが詞を書いて、ギターの子か誰かが曲を作っているって言ってた。
「これこれ」
 僕はパンフレットに書かれた一曲目の曲のタイトルを指さした。
「あぁ、ホトトギス草」
「え? これ、ホトトギスって読むの?」
 それからだ、時鳥草の読み方を覚えたのは。そして当たり前のように、家に帰ってどんな花なのか調べた。名前は聞いたことがある、けどピンとこない。インターネットで調べて出てきたその花は、お世辞にもきれいだと思える花ではなかった。どちらかというと、おどろおどろしい赤紫の斑点がやけに気になって、その柄がどうも、僕の好みではなかった。
 文化祭の日体育館で、ビデオを回しながら、あの花のイメージが強すぎてあまり覚えていなかった『時鳥草』という曲を、僕はこれからゆっくりと聴く。申し訳ないけれど、演劇部の舞台も、その後の他のバンドの演奏も早送りした。そして、えりなたちの番が来た。
 テレビの画面を見ながら、とても緊張している僕がいる。映っているのはまだ、演奏準備をしているえりなたちで。それを見ながら僕は、とてつもなく胸を締め付けられる気分だった。どうしてだろう、泣きそうだ。
 気づくとリモコンの一時停止ボタンを押していた。画面は途中で止まった。赤いギターを手に、これから歌おうとしている彼女を、僕はじーっと見て、もう一度リモコンの再生ボタンに指を移動させた。

 彼女の歌を聴いたら、きっと僕は泣くだろう。そう思ったけれど、聴きたいと思った。思い出したからだ。これが、彼女から僕への別れの曲だったことを。
 
「好きだけど、仲良くなればなるほど傷つけてしまう気がして怖い。私はきっと、束縛してしまうし、他の人と話しているのも見たくないって我儘を言ってしまう」
「え? でも、そんな風にえりなから言われたこと一度もないよ? 俺」
「うん、だって、がんばってたもん。極力一緒に居ないようにしてたから。誰にも付き合ってるって話してないし」
「それは照れくさいから、じゃなくて?」
「違うよ、付き合ってるって周りにも認められたら、ぜったい私、独り占めしたくなるもん」
「なんだよ、それ」
「だからもう、付き合うのやめるよ」
「ちょ、それはちょっとひどくない? 付き合って欲しいって言ってきたのは、えりなのほうからで。俺もだんだんと好きになって、今は俺だってえりなのこと大切にしたいって……」
 そんなちょっと照れくさい話をしようとしたら、俺の言葉は遮られた。
「もっと優しい子と付き合いなよ」

 彼女からそんな話を始めたのは、文化祭の次の日。今まさに僕が見ようとしているのと全く同じディスクを、えりなに渡そうと会った時だった。
 彼女は自分から、僕のことをずっと好きだったと言って。そんなことを言われたら、今まで気にもしなかったのに僕も、えりなのことが好きになって。照れくさいっていう二人の関係を、卒業して大学生にでもなったら、笑って並んで歩けると思っていたんだ。
 なのに、彼女は僕との別れを勝手に決めて、勝手に歌にして歌った。

 再生ボタンを押すと、映像がまた動き始める。ざわつく体育館の声が、えりながマイクに口を近づけると、すぅーっと静かになっていく。ドラムのスティックを叩く音がして、演奏が始まると、えりなは優しく歌い始めた。
 思い出したくなかったから、見なかったのか、僕は。そう思っていたことさえも忘れていた。えりなはとても繊細な子だったから、大切にしたいって。そんな風に初めて思えた人だった。もう随分経つのに、心の中って成長しないもんなんだな。僕は、その歌を聴いて、やっぱり泣いた。泣いてしまうのに、ディスクは実家に持って帰ることにした。
 ディスクをケースに戻すと、また見える、ディスクの端に書いた『えりな』の文字が愛おしかった。

※二宮愛衣 2018-10-01

生まれ来る日のあなたへ

 いつもの時刻、バスの停留所。1番前に並ぶのが好きなんだ。だから、いつも乗る予定の1つ前のバスが走り去ったぐらいのタイミングでバス停に着く。


 男が泣くもんじゃない。

 そう言われて育ってきた俺は、いつも何処か気持ちが張りつめていて。実際、負けず嫌いだし、カッコ悪いとこ見せたくない性格だし、空回りも多いけど、気づくと何かに遠慮して生きていた。

 小学1年生の頃、体育の授業の時に運動場で転んで肘を擦りむいて。少し血が出ていたけど、大丈夫と連呼しながら、喉乾いたからと水道まで走って行った。喉なんか全然乾いてない。水を飲むふりをして、俺は必至で痛みを我慢しながら擦り傷を水道水で洗った。誰にも気づかれないように、反対の腕も洗って、痛くて出てくる涙を隠すように顔も水で洗った。今日は暑いなーなんて言いながら、みんなのところに向かう。早く早くと手招く先生に、本当は痛いですって言いたかったのに。そのまま俺は、痛みを我慢しながら授業でボールを蹴った。
 父の言うところの男というものはきっとこれで、ある意味間違いではないのかもしれない。だけど、俺はきっと勘違いをしている。縁日で持ち帰った金魚が死んでしまった時も、1番仲の良かった友達が引っ越すことになった時も、俺は無表情だった。心の処理が苦手だった。平気なフリをするのばかりが上手になって、そんな日の夜はいつもベッドに入っても、なかなか眠れなかった。
 高校2年の時だった。母が亡くなった。事故だった。泣きそうだったけど、泣かないように我慢していたのに。俺の目の前で父が泣いていた。いつも、男が泣くもんじゃないと言っていた父が、だ。よくわからなかった。なんで泣くんだろうって。でも悲しいんだ。今朝、家を出る時にはお弁当を作ってくれて。いつもみたいに、弁当箱が横にならないようにって、通学バッグの持ち方を注意されて。わかったよ、って面倒くさそうに返事をしながら靴を履く俺に、行ってらっしゃいって声をかけた。

 あぁ、なんで、あの時俺は、行ってきますって言わなかったんだろう。

 そんな俺を変えたのは、祖母の言葉だった。目を開けることのなく横になる母の前で、座っているだけの俺に言ったんだ。
「明日から笑顔で頑張るために、今日は泣いていいんだよ」
 強がりなんてものは、全然カッコよくない。
 俺はよく他人から褒められた。強い子。そう言われていた。男の子だし、一人息子だし、頼もしいわね、って母がよく言われていた。本当に頼もしいって思ってくれていたんだろうか。母の顔を見ているとそう思えた。
 だってね、母の口癖は「無理しないでね」だった。いつもそれを普通に受け止めていた。会話の隙間を埋める、繋ぎの言葉みたいな感覚だった。でも実際にはその言葉にいつも救われていた。何も母には話していないのに、辛い時にいつもそれは俺の耳に届く。
「無理しないでね」
 もっと早くに、この俺の勘違いに気づいていればなあって。そしたら母は、俺のことをもっと、誇りに思ってくれたかな。散々泣いて、母とお別れをして、俺は亡き母の写真に笑顔を見せた。
「無理は、してないよ」



 今日、クリスマスイブは俺の生まれた日で。母が俺を産んでくれた日だ。バス停で待っている間にスマホに入れてある母の写真を見ていた。いつも数分、道行く人を眺めて過ごすこの時間が、今日はあっという間だった。友達がクリスマスパーティーと俺の誕生日パーティーと、開いてくれるっていうんで、今夜は夕食は要らないよと、父に声をかけて家を出てきた。母と3人でのクリスマスパーティーは明日の予定だ。母がいなくなってからも、もう3年、ちゃんと毎年やってるパーティー。結果的には男2人なので、何をするでもなくリビングのソファでテレビ見ながら過ごすだけなんだけど。
 やってきたバスに乗り込む。そんなに混んではないけれど、いつもだいたい席は埋まる。今日も俺は空いてる席に座った。乗り口のすぐ前の席だ。今年は例年に比べ、暖かいクリスマスだって天気予報で言ってた。暖房の効いたバスの中は暖かかった。ゆっくり動き出したバスは、数メートルも進まないうちに止まった。何だろう?ブザー音がして、バスのドアが開く。振り返ると女性がひとり、乗ってきたんだ。視線を前に戻そうと思ってなんとなく気づいた。おなかの大きい人だった。バスの乗り口のすぐの所に立つと、床から天井まで伸びる手すりに掴まった。席、空いてないんだろうか。動き出したバスの中で、なんとなく後方にも目をやる。どこも、空いてないんだ。
 席は、すぐに譲ろうと思った。背中から降ろしていたリュックを手に持って、立ち上がった。ちょっと、照れくさかった。なのでとても小さい声になってしまったけれど、女性に顔を近づけて言った。
「どうぞ、座ってください」
 大きなおなかに目がいく。体を包むようなコートを着ていたけれど、それでもその膨らみはとてもよくわかる。
「ありがとうございます」
 女性も、ちょっと照れくさそうに俺にお礼を言うと、ゆっくりと席に座った。手にしたリュックを背負い直すと、俺は小さく会釈した。もうすぐ、産まれるのかな。年内かな。年明けかな。だとすると、俺と同じ星座の子かな。いや、もうちょっと先なのかな。わかんないや。もちろん、聞くつもりもない。ただ、心の中で呟いた。

 産まれてくる赤ちゃんへ。お母さんは大事にしなよ。

 なんだか泣きそうだったけど、我慢した。男はこんなところで泣くもんじゃない。だから代わりに笑顔を作った。無理はしてないよ、大丈夫だよ。



※二宮愛衣 2015-12-23

神様、明日の僕に伝えてください

 たしか去年は、

「レンタカーでいいから車で北海道を一周したいね」

 とか言い合って。

「1人で運転は疲れるから私も免許やっぱり取ろうかな」

 って、君が言って。

「大丈夫だよ、1人で」

 って僕が言った。

 隣でずっと、楽しんでもらえたらそれでいい。楽しそうな君を見ているのが僕は何より楽しいし嬉しい。さすがに北海道一周できるほどってのは無理かもしれないけれど、それでもちょっと長めの休暇取れるように、毎日仕事頑張んなきゃね。そうやってお互い毎日を頑張って、結果、今僕たちは一緒にはいない。

 何のために毎日残業してたんだろう、って。そんなことを思ったら働く意味さえわからなくなるから、考えるのはもうやめたんだけど。早めに予約してあった北海道の旅行は、キャンセルするのもなんだかなって思って両親にプレゼントした。それはそれは大いに喜ばれた。
「三十二年ずっと一緒にいて、初めてだねプレゼントなんて」
 母は大口あけて笑いながらちょっと涙ぐんでいた。

 ごめんね。

 大事に大切に楽しみたいと思って予約した旅行だったから、どうしてもキャンセルなんてしたくなくて。もしかしたら行けることになるかもしれないとか、どこかでそう思っている自分がいたりもして。そんなものを、そうやって喜んでくれて。
 なんだか僕は、親孝行をしているフリをする親不孝者だ。
 お土産に買ってきてくれた有名な焼き菓子を、食べる勇気がなかった。僕にはこれがどんな味に感じられるんだろう。リビングに置きっぱなしだと申し訳ないなと思って、自分の部屋には持ち帰った。
「ぜったい美味しいから、これ」
「試食したの?」
「ううん」
「食べてないのにぜったい美味しいって、おかしいでしょ」
「空港で、人気No1って書いてあったんだから。味は間違いなしだと思うよ」
「なんだよ、それ」
 そう言って僕は母にお礼を言いながら笑った。そして封を開けないまま、そのまんま、だ。
 全てが、そのまんま、なんだ。
 僕の気持ちも。君の笑顔も。そのまんま、なんだ。なのにどうして今僕は1人なんだろうか。君が去年の誕生日に贈ってくれた腕時計の秒針が、まるで心音のように音を刻んで、とてつもなく涙が出た。
 後悔ってのは好きじゃない。だけど必要なこともある。毎日笑って、辛いことや悲しいことがあっても笑って、そうして幸せを呼び込むものだと思って生きてきたけれど、たまにはいいですか?休んでも。

 神様、明日の僕に伝えてください。

 明日からまた、笑うから。今日だけは泣かせてください。もう逢えない彼女のことを、想わせてください。

 あの日喧嘩したことや。あの日泣かせてしまったことや。あの日傍にいてやれなかったことや。あの日何も言葉をかけてやれなかったことや。勇気も自信も今よりもっともっと無くって、笑顔が好きなんだって言いながら、悲しませてしまってたことや。
 自分よりも彼女のことをもっと想ってあげればよかったって思ったこと。もう、想ってあげられないこと。
 ちゃんと、大切に明日からは笑顔でいるから。そろそろお別れを、きちんとしなきゃって思ったから。

※二宮愛衣 2015-09-25

なんなのっ!?

 はじまりは或る日の朝だった。

 目が覚めたらね、誰か居るわけよ。だって独り暮らしだよ?俺。誰だろうと思って、音のする方に行ってみたわけね。台所だったんだけど、人が居んのよ、やっぱり。恐る恐る、廊下の端に置いてあるゴルフバッグから5番アイアンを取り出して。あ、なんで5番アイアンかっていうとね、たまたま手に取ったらそれだっただけ。選んでる余裕なんてないからね。もう息止めて、じゃなくて息は止めてないわ、たぶん。息殺しながらそっと覗いてみたのね。そしたら、女子が居たの。20歳過ぎぐらいの。
「え。誰?」
 声をかけたらさ、振り向いたのね。全然知らない子。何か作ってるんだよ、勝手に人んちの台所で。
「おはよう。」
 すごい笑顔でさ、俺にそう言うわけ。
「お、おはよう。」
 自然と手にした5番アイアンは自分の後ろに隠してた。なんか、襲おうとしてたみたいでイヤじゃん?ていうか実際、変なやつだったら防御しなきゃとは思ってたけどさ。

「てか、何してんの?どちらさま?」
「まあまあ、いいじゃない。それよりサンドイッチできたから、食べてから行けば?仕事。」
 それはもう美味しそうなサンドイッチで。少しトーストされた食パンに、肉厚のあるチキンと鮮やかなグリーンのレタス、キレイにスライスされたトマト、とろけてるチーズ、なんかいろいろ挟んであるのが見えるわけ。
「え。これ作ったの?」
「うん。そう。」
 
 そういえばね、昨日晩メシ食った時間がすごく早かったから超おなかすいてんの。人間すごいよね、食べ物目の前にするとそういうの一気に思い出すよね。それまでなんとも思ってなかったのに、あ、俺おなかすいてるわ!みたいなさ。
「ほら、食べてみて。」
 サンドイッチの乗った淡いブルーの皿を手に取って、俺に差し出すわけ。ていうかその皿、うちのじゃないよね。そんなのないもん、うち。食べやすいように半分に切られたその切り口からすごい美味そうなチキンが見えてんのっ!香ばしい香りがしてくんのよ。
「じゃ…あ、一口。」
 そっと、後ろに回してた5番アイアンを床に置いてね。結局俺はその一切れを手に取って、食べてみたのよ。
「超美味い!」
 一口で止まるわけないよ、あれ超美味かったもん。どっかの有名なカフェとかで食べてるみたいな感じ。ソースがね、いいんだよ、きっと。チキンと合ってて。だって朝はさ、コンビニのおにぎりとかそういうの多いじゃん?それが朝からカフェのサンドイッチ食べられるんだよ?そりゃあ食べるよ。全部食べたよ。食べましたよ。

「うわあ、美味かった。ありがとね。」
 そう言って顔を上げるとさ、居ないんだよ、さっきの女子が。
「え。あれ?」
 部屋を見回して。女子が立っていた台所の隅から隅まで覗き込んで。その後別の部屋も覗いてみたけど誰も居なくて。玄関は鍵がかかったままなんだよね。
「え。どゆこと?」
 もう1度台所に戻ってみたら、無いんだよ。淡いブルーの皿。でもしっかりおなかはいっぱいになってるんだよね。床にはさっき置いた5番アイアンが転がってて。なんか俺ニワトリみたいにキョロキョロしてるだけよ。だっておかしいでしょ?急に女子が消えたら。っていうか女子が俺んちに居たこと自体がまずおかしいんですけど。
「え。なんなのっ!!!」

 声に出したとこで、目が覚めた。5番アイアンを握りしめた状態でさ。
「え?夢?まじで?」
 その日はね、サンドイッチ食べましたよ。俺単純なんで。



※二宮愛衣 2013-04-24

星の夜の待ち合わせ


「もしもし?」

 電話の声は近い。近いけど、遠い。
 逢いたいのに逢えない距離に僕たちがいるのは、僕のわがままからだ。そしてそれを、理解してくれるあなたがいるからだ。

「良かった、声が元気そうで。」
 僕はそう言った。けど、実際には良かったとは思ってない。わかるんだ。元気なのではなくて、元気そうに振舞ってるだけなんだってこと。
「ごめんね、どうしても星の観測の研究を続けたくて、わがまま言って。」
 ううん、いいよ。ってあなたは言う。好きなことを思う存分やってほしいとあなたは言ってくれた。そしてそれは、あなたの本心ではなく嘘だとわかっていながら、僕は甘えた。1年だけ。たった1年。だけど、とても長い1年。僕は大好きなあなたから離れて南半球の星のきれいな街に飛んだ。
「まだこっち来て3日なのに、もう声が聴きたくなっちゃった。」
 それは、甘い囁きのようにも聞こえるかもしれない。だけど僕はあえて、あなたが口にするより先に言った。本心だよ、もちろん。言わなくてもいい言葉なのかもしれないけど、あなたが寂しくなってそう口に出してしまう前に、僕から言いたかった。

 大丈夫だよ。あなたより僕の方がすごく逢いたいんだから。

 それで安心してくれればいいなって。勝手な僕の解釈かもしれないけど、「僕はあなたを置いて離れてきてしまったけれど、あなたと同じように思ってるんだよ」って、伝わればいいなって。
 そんな僕に、子供みたいだとあなたは笑った。
「ねえ、こっちに来て思ったんだ。毎日さ、待ち合わせしない?」
 当たり前のようにあなたはどういう意味かと問いかけた。
「毎日同じ時間に空を見るんだ。晴れの日も雨の日も、同じように同じ時間に。できれば夜がいいな、寝る前とか、逢いたくならない?」
 少しあなたは黙った。どうしたんだろう?ってちょっと不安になった。とても素敵な提案だと思ったのに。
 僕は、あなたを苦しめてるのかな。辛くさせてしまっているのかな。いつも温かくて、僕を労わってくれて。そんな優しさに甘えてばかりの僕は、やっぱりひどいやつなのかな。だんだんと不安が大きくなってくる。
 あなたの鼻をすする音が聞こえたからだ。
「ごめんね。ほんとにごめんね。本当は怒ってるよね?寂しいよね?もし1年耐えられなくて、他に好きなやつができたらちゃんと言ってね。」
 そこまで言うとあなたは怒った。
 辛いし寂しいし、今すぐ逢いたい。だけど、怒ってない。と、大きな声でそう言った。そしてまだ続けて言った。だからこそ、待ち合わせできるのはとても嬉しいって。
 ありがとうって伝えたかったけど、なんだか言葉にできなかった。照れくさかったのかもしれない。代わりに僕は、さっきよりも元気な声で言った。
「どうしようか。そっちの時間で0時ちょうどにする?」
 そう言って僕は腕時計をちらっと見た。
「たぶん、時差はほぼ1時間のはず。こっちのほうがちょっと早いから俺は1時になっちゃうけど。もともと俺は日本人なわけだし、そっちの時間の0時にしようよ。1日の最後の時間で、1日の始まりの時間で、なんかちょっといい感じじゃない?」
 僕の提案を喜んではくれたけど、逆に僕が1時になるのをちょっと心配された。
「あのね。俺の仕事は星空とにらめっこすることなの。星の観測に来てるんだよ?むしろ遅い時間のほうが俺にとっては好都合なの。」
 そう言うと、そうだった…。とあなたは笑った。
「にらめっこって言ってもさ、一応仕事だから、観測の。でもちょうど0時に手が空きそうな日は電話するね。おやすみだけでも言いたい。」
 僕たちの待ち合わせは、その日の夜からスタートすることに決めた。

 晴れの日も、雨の日も。雲がかかって重いようなそんな空の日も。荒れ狂った嵐の日も。たとえ見えなくても、夜のその空のもっと向こうには必ず星が光ってる。あなたが隣にいないから、その愛おしい姿が見えないように、手に届かない遠く光る星が見えない日も、毎日のその空にはいつでもそこに、間違いなくそれはあるんだよ。だってすべてが繋がっているんだから、さ。あなたと僕もさ、繋がっているんだから。

 だから、ね、待ち合わせしよう。今夜0時。空を見てね。



※二宮愛衣 2014-08-24

逢いたい理由。

 何度目かのコールで電話は繋がった。少し騒がしい電話の向こう、聞こえてきたあなたの声。独りがちょっと寂しくなるこんな、独りの時間。あと2時間ほどもすれば日付も変わる。

「もしもしー?どした?」
 賑やかなその声は優しい。それだけでまず満足する。
「あ、今・・・外だった?」
「うん。ちょっと飲みに出てて」
「そっか、ごめん」
「あ、いつもの、あれだよ?高校んときの友達」
「うん。わかってるよ」
「で、どした?」
「ううん、なにも。またかけるよ」
「そう?」

 ううん、なにも。
 頑張って答えたそれは、嘘でもなんでもなくて。本当に特に用があったわけではない。
 いつも何気に電話を手にしてしまう。気づいたら、毎日のように電話をかけてしまっている、私。毎日電話するよーって約束しているわけでもないのに、嫌な顔ひとつしないでいつも電話に出てくれる、あなた。今日は逢ったのに、なんて日でも、家に帰るとまた、声が聴きたくなる。
「また、かけるね」
「うん、じゃあ」
 騒がしい街の音と共に聞こえていたあなたの声が電話口から聞こえなくなると、また、寂しくなっちゃうんだ。

 先週あなたとコンサートに行った、ふたりが大好きなアーティスト。そのCDをかけて。私はキッチンに立った。あなたと一緒に選んで買ったアールグレイの紅茶を入れようとお湯を沸かして、手にしたのはあなたがプレゼントしてくれたカップで。
 いつでもどこでも、生活の中にあなたが居すぎて。慣れてきたはずなのに、まだまだ足りなくて。また、やっぱりスマートフォンを手にする。電話、はさすがに。友達と飲んでるって言ってたし。1度テーブルに置いて、まだ沸かない電気ポットをじっと見ていた。
 どうして独りの時間は落ち着かないんだろう。

 2ヶ月前まではこんなじゃなかった。独り暮らしを快適に過ごしてた。自由で、何も考えずにやりたいことやって。でもどうしてだろう、あなたと出逢ってから、遠足に行く前の日の子供みたいに、毎日が落ち着かない。
 楽しいのに。いっぱい楽しいのに。
 なのにどうして、涙が出てくるんだろう。
 電気ポットのお湯が沸いてふと我に返った。紅茶、入れよう。茶葉をスプーンですくってティーポットに入れる。お湯を注いでいたら、スマートフォンの音が鳴った。画面に表示されるLINE、あなたの名前。慌てて画面を開いた。

-明日は、夜まで時間大丈夫?イルミネーション観に行こうよ-
 明日はふたりとも休日で、映画を観ようって約束していて。イルミネーションも観るんだったらもっと長く一緒に居られる。あなたからのそんなメッセージだけで笑顔になれる。あんなに気持ちがいっぱいいっぱいだったのに。急いで私は返事を入れた。
-時間は大丈夫。楽しみにしてるね-
 既読がついて、すぐに返事が来た。
-温かい服装で来てね。風邪ひくから-
-うん、ありがとう-
 今度は、数分してから既読がついた。あ、そっか。友達と一緒って言ってたんだ。その後いつもの可愛いキャラクターのスタンプが届いて。その画面を見たまま、また寂しくなった。ここで私がスタンプを返したら、これでまた会話も終わり。せっかく送ってきてくれたメッセージも、こんな風に考えてしまうから自分が嫌になる。友達と飲んでる時に、時間作って送ってきてくれたメッセージなのに。いろいろ考えていたら、スタンプを返すのに5分もかかった。

 入れてあった紅茶は時間が経ちすぎて、飲んでみたら少し濃いめで苦かった。ちゃんと美味しく飲みたいのに。あなたと一緒に選んだのに。CDだって、3曲目になっていた。あなたが大好きなんだ、って言ってた曲は2曲目で、もう終わっていた。
「私も、誰か誘ってご飯でも食べに行けばよかったなあ」
 声に出してそんなことを言ってみるけれど、結局友達と逢ってたって、このお店にまたあなたとも来たいなあとか、カラオケで曲を探してる時にも、あなたの歌った曲のタイトルを見ると思い出してしまったり、するんだ。
 ねえ、もう1回だけ、電話してもいいかな?
 心で問いかけて。返事のこないその問いかけの答えを自分で勝手に決めて、スマートフォンを手にする。

「もしもし?」
 数コールであっさりと電話に出てくれたその向こうはやはり騒がしくて。やっぱりやめておけばよかったと後悔する。邪魔してばっかりで、きっとそのうち嫌がられるよね、こんなじゃ。
「もしもし?どしたのー?」
 やっぱりその声は賑やかで優しくて。
「ごめん何度も。飲んでるの邪魔して」
「べつに、大丈夫だよ。みんな好き勝手飲んでるからさ。あ、ちょっと待ってね」
 そう言うと、電話の向こうであなたは誰かと話をしていた。騒がしい中でなんとなく聞こえてくる会話。そして騒がしい音が少しずつ遠ざかって、さっきより少し、静かになった。
「もしもし、ごめん、おまたせ。で、どしたの?」
「うん、えっとね」
「うん」
 だから、用があるわけでもないから。何か言わなきゃと思って、考えて。
「明日、イルミネーション何処に行くのかなと思って」
「え?それはー、内緒」
「内緒?」
「明日のお楽しみ」
「そっか、そうなんだ」
「うん、楽しみにしてて」
「わかった、ごめんね、ほんとに何度も」
「いいけど、それだけ?」
「うん、ほんとにごめん」

 そしたら、電話の向こうからゆっくりと笑い声が聞こえてきた。クスクスと笑うそれは電話越しにくすぐったくて。その後のあなたの声がまたくすぐったかった。

「逢いたいよ、俺は」
「え?」
「今ね、すごく逢いたいよ」
 何も言えなくて。黙ったままの私にあなたはまたクスクスと笑う。
「理由とか考えなくていいよ」
「理由?」
「何処のイルミネーション見に行くか聞きたいからだけのために電話かけてきたんじゃないんでしょ?」
「あ、それは・・・気になった、からだよ。どんな服装で行こうかなって思ったから」
「そう?だったらいいけど」
 強がってそう答えた私のことをまるで解っているようにまた、小さく笑う。優しく。電話の向こうで。耳元で。そしてまた、くすぐったいあなたの声がする。
「あのね」
「うん」
「電話、かけてきてくれるじゃない?」
「うん」
 ゆっくりとあなたが話すから。子供みたいに私は相槌をうちながらそれを聞いていた。
「そしたらさ」
「うん」
「いいよ、逢いたいって、それだけ言ってくれれば」
「え?」
「行ける時は逢いに行くから」
「でも・・・」
「俺はいつでも逢いたいよ。そう言ってくれる時があるんだったら俺はいつでも逢いに行くよ?」
「ほんとに?」
「うん」
「でもやっぱり、そんな我儘はだめだよ」
「我儘じゃないよ、逢いたい時に逢いたいでしょ?」
「そうだけど」
「じゃあ、今は?どうして電話かけてきたの?」
 ほんとに、私の我儘じゃないのかな。言ってもいいのかな。
「ほら、早く」

「うん、・・・逢いたい」
「了解」

 楽しそうなあなたの声だった。

「じゃあ、えっとね。うーん、30分!いや、ここからだとえっとね、40分だけ待って?急いで行くから」
「いいよ、急がなくて」
「俺が急ぎたいの!」
 涙を止めてくれるのも。心を落ち着かせてくれるのも。笑顔にしてくれるのも、全部あなたで。私はこれからも逢いたい時に逢いたいと、我儘ばかり言ってもいいのかわからないけれど。とにかくあなたが来たら、もう1度アールグレイの紅茶を入れ直して、一緒に飲もう。電話の声を思い出すと照れくさくて、だけど嬉しくて。たぶんすごく今ニヤけた顔をしている自分がまた恥ずかしくて、誰にも見られてないのにそれを隠すように、独りの部屋で両手でほっぺをおさえる。そして私は、時計の時間を気にしながら、あなた専用のカップを棚から取り出した。



※二宮愛衣 2014-12-11

Story A

Story A

短編集 Story A。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-10-01

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. きみが歌ったならきっと僕は泣く
  2. 生まれ来る日のあなたへ
  3. 神様、明日の僕に伝えてください
  4. なんなのっ!?
  5. 星の夜の待ち合わせ
  6. 逢いたい理由。