音楽が嫌い

 音楽が嫌いだ。正確には、喜怒哀楽を揺さぶろうとしてくるものが嫌い。そんなものは小説でも漫画でもアニメでも映画でもそうなのだけれど、あれらのものは無理やり見つけられることは少ない。自分が嫌だと思って避ければ、大概は目を逸らすことができる。しかし音楽は違う。音楽はそこらじゅうに勝手に流れていて、近場のコンビニに入るだけで、その不快な雑音を鼓膜にねじ込んでくる。
 ありきたりな恋愛を歌う曲は嫌いだ。どれだけ「君」を想われても、俺はそいつのことをこれっぽっちも知らない。前向きに生きろと応援してくる曲も嫌いだ。自分の人生観を他人に押し付けることがどれだけ馬鹿らしいことなのかがわかっていない。後ろ向きにでも生きていていいと言ってくる曲も嫌いだ。誰も生きていない方が幸せに決まっているだろう。ならいっそのこと死んでしまってもいいという曲も嫌いだ。うるさい、お前がさっさと死ね。反社会的なことや風刺的なことを歌う曲も嫌いだ。お前がそれを歌ったところで何か変わるとでも本気で思っているのか。歌詞がわからない洋楽も嫌いだ。内容を理解できない自分の頭の悪さを思い知らされる。クラシックとかジャズとかの音だけの曲も嫌いだ。ただの音の重なりを芸術だとかなんとか褒め称えるのにはもううんざりだ。
 好きな音楽なんてない。音楽が嫌い。すべて嫌い。例外なく。
 それでも音楽は聞こえる。それでも音楽は鳴り響き続ける、と誰かが歌っている。
 俺は耳を塞いで、速足で人混みを抜けていく。音楽に聞き惚れてアホみたいに突っ立っている人々の横をすり抜けて、俺はただ苛立ちに任せて小石を蹴る。壁にぶつかる小石の音は大音量の音楽どもに飲み込まれて聞こえない。
 俺は今にも発狂してしまいそうな自分の感情と、ずっと高鳴っている自分の心臓を抑えて、とにかく人間と音の波の中を突っ切った。
 気づけば俺は見知らぬ場所に立っている。誰もいない、猫一匹いない静かな川辺に、ひとりぼんやり佇んでいる。
 もう音楽は聞こえてこない。聞こえてくるのは風の音と、それで揺れる水面の音だけ。
 俺はそれらを聞きながら、ただ自分の中身がすっかりそのまま空っぽになってしまったような虚無を感じていた。
 ふと俺は口ずさんでいる。あれだけ嫌っていた音楽のメロディを。ありきたりな愛の歌を。
 俺のその小さな歌声はすぐに風に掻き消される。だから俺はそれよりも大きな声で歌っている。どこかで聴いた、曲名も知らない音楽を。
 いつの間にか風の音は聞こえなくなっていて、揺れることもない水面はただじっと俺の下手くそな歌声を見つめていた。

音楽が嫌い

音楽が嫌い

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-09-25

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