死にたがりごっこ

すごろく

 自殺未遂をしようとし始めたのは、高校生になりたてぐらいの頃だ。自殺ではない、自殺未遂である。
 ドアノブに結んだ太い縄を自分の首に巻いてみたりだとか、包丁を刃先が当たらない限界まで首元に近づけてみたりだとか、そういう自殺しそうな素振りをしてみるのだ。リストカット程度は何度かやったけれど、水をたっぷり溜めた浴槽に、その血が滲みだしている手首を浸けてみたりはしない。ようは自殺しようとするふりをするだけで、自殺する気はこれっぽっちもない。そんな感じ。
 自分のことながら、原因も理由もはっきりしない。母と父が妙に険悪で罵り合いばかりしているせいかもしれない。姉が毎晩のように男をとっかえひっかえ自分の部屋に連れてきて、乳繰り合って嫌な嬌声を上げているせいかもしれない。でも日々の中で不満なのはその程度。虐待されているわけでもない、いじめられているわけでもない、レイプされたわけでもない、不治の病にかかっているわけでもない、悲惨な背景なんてない。死にたがられる正当な言い訳は見つけられない。そもそも死にたいとも思わない。痛いのは嫌いだ。それでも手首に剃刀をさっと押し当ててみるのは、頭の片隅にいつもとある妄想があるからだ。
 風呂場でそうして自傷行為に勤しむ私を「誰か」が見つけて、こう言うのだ。「そんなことはやめなさい」。その「誰か」は、母であったり、父であったり、姉であったり、親戚のおじさんであったり、見知らぬ誰かであったりする。私はなぜだかそれをずっと待っている。どこも傷ついていないのに傷ついたふりをして、「誰か」に泣きつける瞬間を。
 最近のマイブームは、放課後の学校の誰もいない屋上にこっそり忍び込んで、フェンスの外側、つまりあと一歩でも踏み出せば転落するという、壁のぎりぎりの端に立つこと。
 そこでフェンスに身体をもたれかからせて、徐々に橙色に染まりつつある空を眺めながら、「誰か」が声をかけてくることを妄想する。それは同世代の女の声であったり、同世代の男の声であったり、若い女の声であったり、年配の男の声であったりする。つまり振り返ってそこに立っているのは、同級生の女子生徒だったり、同学年の男子生徒だったり、新人の女教師だったり、ベテランの男性教師だったりするわけだ。そして彼らは私に言う。「自殺なんて良くないよ」、「そんなことをしても何の意味もない」、「あなたにはまだ未来や希望がある」、「若ければなんだってできる」――。どこかのドラマで聞きかじったようなお粗末で安っぽい典型文。でも私はそれを心待ちにしているのだ。それが来るとき、私は嬉々とした心持ちで、だけれど顔は嘘の涙でぐしょぐしょにしながら、やれ「私なんかでも生きてていいのか」だとか、やれ「本当に生きてたらいいことある?」だとか、同じような飽き飽きするくらいの典型文を吐き捨ててやるのだ。
 そうしたら私は――私はどんな感情になるのか。
 よくわからない。何で私は死にたがりを演じたいのか。死にたがりを演じたところで何があるのか。しかし私は死にたがりになりたいと思っている。死にたくはないのに、「誰か」の目の前で死にたがってみたいと思っている。
 ただそれが叶う日はなかなか訪れない。今日も特に誰かが声をかけてくる気配なんてなく、そろそろ帰ろうかと自分の中で諦めムードを漂い始めていた。
 が、そのとき、背後で屋上のドアがぎーがしゃんと開閉される鈍い音が聞こえた。こんなことは初めてで、私はつい身体をびくつかせた。とっさに振り返りたかったが、我慢して、ゆっくり振り返った。
 ちょうど屋上のドアの前に立っていた、同学年くらいの女子生徒と目が合った。慌てて逸らした。ついに何か声をかけられるのか、と期待と不安が混じった感情の中で身構えたが、それらしき声は聞こえてこなかった。
 おそるおそるまた目を戻してみると、その女子生徒はドアの前から移動していて、なぜか屋上の隅っこに立ってポケットをまさぐっていた。そこでその女子生徒が、桜木というクラスメイトであることに気づいた。桜木はクラス内でも不良を称されて避けられ気味の生徒で、いつもだるだるに着崩された制服と、プリン色に染められた髪の毛が特徴的だった。
 私の存在に気づいていないのかというほど、彼女はもう私に見向きもせず、ポケットから何か小さな箱とライターを取り出した。「あ、煙草だ」とそこでようやく感づいた。桜木は箱から煙草を一本取り出すと、ライターで火を点け、悠々と吸い始めた。桜木の口から吹きだされた煙は、舞い上がった埃のように空気中に広がり、霧散していく。
 その間、私はただ無言で突っ立って、フェンス越しに彼女の優雅ともいえる動作を見つめていた。どう動けばいいのかも、何を言えばいいのかも、皆目見当もつかなかった。
 そうこうしているうちに、桜木は煙草を根元まで灰にしたようで、地面にぼとりとその残骸を捨てると、踏みつけることもなく、つかつかとまたドアの方へと移動し始めた。ああ、このままだと私はただの背景で終わってしまう、そんな意味不明な情動にかられて、気づけば声を発していた。
「あの、私のこと気づいてますか?」
 それは思ったよりも大きな声で、しなしながら語尾は不自然に上擦っていた。
 桜木が立ち止まり、ようやく私の方を見た。刺してくるような冷たい視線に怯む気持ちがあったが、私の口は、私の感情とは裏腹に勝手に言葉を続けた。
「私が今何をしようとしてるのかわかってますか?」
 桜木は何も言わない。ただじっと氷のような冷え冷えした目で私を見ている。
「・・・・・・何も言わないんですか?」
 桜木はそれでも何も言わない。
「飛び降りますよ。そしたら死にますよ。何か言うことはないんですか?」
 自分でも言っていることがなんだか支離滅裂だと思った。だがそう言わざるを得なかった。普通は多少驚きのリアクションがあってもいいはずだ。動揺してもいいはずなのだ。私は「誰か」のそれを待っているのに。安直で陳腐なドラマを期待しているのに。そして今がその最大で絶好の機会のはずなのに。桜木は眉毛一つ動かさない。ただ唇はゆっくりと動いていくのがわかった。
この期に及んで、私はそれでもまだ待ち侘びていた。彼女の口から、つまらない典型文が飛び出すことを。そして私は泣きながらフェンスを飛び越えて、優しい笑顔を浮かべる彼女の胸に飛び込むのだ。嘘くさい妄想を、私は止められない。その妄想が真実なるのを心臓が張り裂けそうなほど願っている。その生暖かい幻想を喉から手が出そうなほど欲しがっている。
 しかし桜木の口から零れだした声は、存外低くて、そしてその言葉は、冷凍庫で保管していたようにかちかちに凍っていた。
「どうせ死ねないくせに」
 それだけ言い残した桜木は、屋上のドアを勢いよく開閉して出ていった。
 取り残された私は、フェンスの隙間に指を指し入れながら、ただ項垂れていた。
 そっと首を後ろに回して、下の景色を眺める。今まで思っていたよりも、ずっと高く感じられた。
 怖いな、と思った。
 途端になんだか情けないような感覚で胸がいっぱいになって、そこにいるのが耐えきれなくなり、フェンスをよじ登り、屋上の内側へ戻った。
 自棄でその場に寝転がりたい衝動にもかられたが、それは抑えて、ふと桜木が煙草を吸っていった屋上の隅っこへと足を運んだ。そこには桜木の吸い殻が残されていた。吸い殻にはまだ微かに火が灯っていて、細い線のような煙を立ち昇らせていた。
 私はその吸い殻を踏んづけた。強く力を込めて踏んづけた。ぐりぐりと地面と靴をこすり合わせるように、執拗に踏んづけた。
 足をどけると、煙草の火は消えていて、煙も立ち昇っておらず、ただ黒焦げた灰が、シミのようにタイルの床にへばりついていた。
 それでもまだ私はそこから動けなくて、漂うヤニ臭い残り香を嗅いでいた。

死にたがりごっこ

死にたがりごっこ

  • 小説
  • 掌編
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  • 青年向け
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