クレイアニメ

 小さなころから、変なものを作るのが好きだった。思い出すまで忘れていたこと。トラウマといえば、この話と、もう一つ、遠く昔の記憶、交通事故の後遺症で、ときたま痛む腰。

 それはもう5年も前の頃、地元の大学に通い、暇人だった私は、二年生のある夏休み、終わりに近づいたその一時期に、なぜだか精神的にも肉体的にも、とても疲れていた。アルバイトの居酒屋はよくしてくれたし、労働時間も長くないし、勉強のノルマも大変ではなかた、なのになぜか、つらかった、それを見抜いて、大学で仲の良かった友人が、大丈夫かという、そしてたまに私を散歩に連れ出すのだ。

 そもそもそのころ私は、いまでもひまを見て撮影している、私の趣味のひとつ、ストップモーションアニメという、写真の一コマ一コマを撮影し、一コマずつものを動かして、それをつなげて作るアニメーション動画にこっていて、数分の短い作品をつくってばかりいた。学校ですらストーリー作りをして、毎日インターネットで短時間の作品を考えていた。インターネット上では、SNSや、動画サイトを利用したりもして、コンスタントに発表していたが、実際、才能のある人のようにはいかず、自分的にも、ピンとくるものもなく、評価はうけなかった。専門的な勉強が必要なのか、それでも独学でがんばってはいたが、常にまよっていて、その時期丁度いいアイデアが思いつかなかったので根詰めて徹夜続きだったのだ。

 何日も何日も、一切自分の趣味もせず、倦怠感にさいなまれていたのだった。風呂に入り、リラックスしたりしても、バイトのない日、友達と遊んだりしても、私の悩みは、何かを表現したい、という事に向けられていた。私の創作欲は、つねに私の悪い記憶に支えられていて、だけどある時期からそうではなかった。そうではなくなったからこそ、そんな時期があった。気分がひどく落ち込むのだ、悪い記憶を引き出すときに落ち込んでいたら、何もできない、体が重い。それまでの私には自分で何かコツコツ作りためるような、こっそりとした活動、それしかなかった、それが出来なくなることのストレスもあった。休日やひまのあるときに、自分の空想を表現する。そんな事がストレスの解消、それがうまくいかない、何か圧迫感を感じてしまう、そんな時期ばかり続いていた。

といっても、ある時友人と温泉にでかけてすぐに解決したのだが。そこで友人と件のトラウマについて話をしたのが、もしかしたら関係しているのかもしてない。

 その後、順調に、つまり、私の人生において重要な、ある小さなショートムービーコンテストで賞を受賞するほどの作品を、ひとつ作り上げるのだが、その時私が力をいれていたストーリーは、年度の特性をそのまま世界観にした内容で、それは、どこか、私の奥底で眠り続けていた世界の再現でもあった。
 
 それは“創造”をテーマにしていた。それはまず、粘土細工で作られた人々が、粘土から何かを生み出し、毎日その生み出した何か、をどう使うか考えている、という風な世界観。毎日の日没と日の出をクレイアニメでつくった太陽で表現した。私の中でも重要な、何かを“生産すること”生れ落ちる事にのみ価値感の重点が置かれていて、必死に細かな動作を一コマ一コマ作り上げていたのだ。
 
 それは、いったいどこに発端のあるアイデアかと考えると、私の悪い記憶、といい記憶、に支えられていた。子どもの頃、父の再婚でできた家族にいじめられていた記憶……義母と義弟に、私は大学生の丁度同じとき、それまで、義弟が意地悪するのは、私が嫌いだからだとおもっていた。だが、友人
とてもポジティブな友人が出来たことで見方を変えたのだ。私はこれから無理をして家族にあう必要もないし、弟の意地悪について、ひょっとしたら、と思うこともあったのだ、それは、母よりも先に、わざと母に見せるように意地悪をする事があったからだ。例えば、食事中にマナーが悪い事を、特に私のマナーが悪くないのに注意したり、足音の注意を母より先にしたり、それは私の勘違いでもいいのだが、とにかく私は、その両方の、いい記憶、悪い記憶の操作方法を考えた、それが“生産的”かどうかはわからなかったが、クレイアニメの中で私は、ただひたすらに、これまでと、これからの希望に満ちた、私の力でどうにでもなる世界を想像し、創造したのだった。

クレイアニメ

クレイアニメ

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-09-07

Copyrighted
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