海底くらし

 海の底には、水晶でできたクジラがいるという。
 それは或る学者によれば、カリ長石や黒雲母などの結晶が集まった岩をたねにして、何百年、何千年もの時間をかけて、石英の結晶がクジラの形に大きく成長しているという話である。
 何千メートルというほど地下深く、岩の中でうまれたそのクジラは、マグマの熱で海底まで押し上げられ、やっと地中から出ることができる。クジラは、太陽の光が僅かさえも届かないような深さの海で、自ら泳ぎ、光るクラゲを食べる。これはクジラ自身が光るための養分とするためだという。
 クラゲを食べれば食べるほど、クジラの体は強く光を放つ。そうすると他のクラゲ達も、クジラの光に寄ってくる性質があるので――きっと自分らの光と似ているからだろう――クジラは、寄ってきたそれらを食べるのである。するとクジラの光はまたいっそう明るくなる。その繰り返しである。
 クジラはそうして輝きを増していくが、体の大きさは生まれてから変わることがない。彼らは生きている間じゅう(果して生きていると言えるのか、たいへん謎ではあるが)ひたすらにクラゲの光を取り込み、より明るく輝き、そうして終いには自らがその明るさに目を眩ませ、粉々に砕けてしまうという。
 岩から生まれ、岩へ帰るのである。
 クジラの光は、死んでなおしばらくの間保たれる。海底に住む人魚はこれをセキエイクジラと呼び、時にはその死体を利用していた。
――とある地質学者の手記より


 昔から、この海には人魚が棲んでおりました。
 その顔や姿は人間によく似ておりますが、腰から下はうろこに覆われた魚の尾。彼らは、人間の間では古くから、輝くばかりの美しさをもつ生き物だとされておりました。
 人魚と一口に言っても、その中には様々な外見があるもので、いくらかは見た目によって、その住む場所を見分けることができました。珊瑚礁の人魚は白い肌に銀の髪、尾にはエメラルドブルーのうろこ、また浅海の人魚は黄色の肌に金の髪、プルシャンブルーのうろこといったふうにです。なかでも深海の人魚は、珊瑚礁や浅海に住む人魚とは、ずいぶん違った見た目をしておりました。彼女らは大抵、くすんだ緑の髪に灰色の肌をもち、その尾には、黒曜石のように真っ黒なうろこがきらめいているのでございました。
 まれに浅海のほうへのぼって来る深海の人魚を、浅い海の人魚たちは度々嘲り、くすくすと笑いました。人魚らはみなその外見などの美しさについて、各々一家言あるのが常でございましたが、特に深海の外では、声の美しく、うろこのより青いものが美人であるとされていたからでございます。けれども深海の人魚たちは、そんなことを気に留めることはしませんでした。彼らは自分らの黒曜石のごときうろこを誇り、その艶やかさのみを美しさの物差しとしていたからです。

 ある日のことでございます。ひとりの人魚が海の底を泳いでおりました。彼女は、人魚の街から自分の家へ帰る途中でありました。
 彼女は名前をグラナといいました。彼女は、深海の人魚のなかでもひときわ美しい黒々としたうろこをもち、また他の誰よりも長生きでございました。
 深海の人魚の寿命は、浅海のものより個体差の大きいのが特徴的でありましたが、それでもたいていは他の海に棲む者たちの倍近く――おおよそ、百五十年ほど生きるのが常並みでありました。けれどもグラナは、特別老いた見た目でないにも拘らず、その歳は四百を超えました。それである者は、彼女のことを変わった者として、人間の言葉を借りて魔女と呼ぶこともありました。
 彼女は厚手のマントに体を包み、腰には大きな鞄をさげ、片手にはランタンを持っていました。
 彼女の持つランタンには、水晶のかけらがひとつ入っておりました。セキエイクジラの死体からとれる、光を放つ不思議な水晶です。グラナは、寿命で死んで落ちてくるクジラの死体から、そういった水晶の欠片を採取して他の人魚へ売る、クジラ採りといわれる仕事をしておりました。
 そこは空からほとんど光の届かない海底でしたから、人魚たちはたいてい、たまに落ちてくる水晶クジラの欠片や、もしくは光る魚やクラゲを捕まえて、明かりにしているのでした。もっとも、魚たちの光の届く範囲など知れておりましたから、やはりクジラの欠片は大事な明かりのもとであったのです。
 勿論、かつては人魚らも魚たちと同じように真っ暗闇の中で暮らしておりましたが、浅い海へ行けるようになった人魚たちの目は明るい所へ慣れるため、昔と比べるとやはりいくばくか、暗闇に弱くなってしまったのでした。
「なあ、どうも今年はクジラが少ないな。いつもは一年に四、五は見るのに、今年は冬になっても小さいのを一匹しか見ていないよ。地中で、何かおかしなことがあったのかね」
 グラナは、丁度隣を泳いでいたエソ――エソというのは魚の一種です。深海の生物は、クジラ採りにとっては仕事を手伝ってくれる仲間のようなものでした――に、そう語りかけました。
 エソはひとつ首を傾げて、辺りを見回しました。辺りはグラナのランタンで淡く照らされておりましたが、ずうっと向こうのほうは光が届かず真っ暗でした。けれども深海の魚は、暗い場所でも目がよくきくのです。とはいえ、その時エソに見えた景色は、辺りに生き物の気配などない、一面に広がる砂丘だけでしたけれど。
 エソはまた首をひねって、答えました。
「きっとそうでしょう。一昨年あたりから、死体どころか生きているのさえ、あまり多く見ませんものね。クジラが生まれにくくなっているのか、それとも別の場所へ移動しているのかもしれませんね」
「セキエイクジラが、別の場所へ?」
 グラナは眉をひそめ、ふと立ち止まりました。彼女の尾びれが静かに砂を巻きあげると、そこの砂の中へ隠れていたエイは驚いた様子で、あたりの砂を大きくまきおこし、それから何も言わず暗闇へ去ってゆきました。
「三百年近くクジラを見ているが、過去にだってそんな話は聞いたことがない」
 エソはそう呟くグラナに構うことなく、すいと泳いで行き、やがて暗闇の中へ姿を消しました。
 グラナはひとつため息を吐きました。商人として、売り物が採れないのでは仕事にならない、というのは勿論のことでしたが、クジラに関わる者として、この異変はやはり気にかかるものがありました。
 けれども原因が思い当たらぬことには、何をすべきかも分かりません。しばし考えたことろで、グラナはひとつあてを思いつき、北へ行くことにしました。
 彼女はいったん街のはずれにある家へ帰り、出かける準備をしました。腰にさげるかばんの中には、書くものと、先の平たいたがね、小さなハンマー、丈夫で大きな袋、袋より薄い布でできたマスクなどを入れました。いずれもクジラ採りに使う、グラナの使い慣れた道具たちでした。それから、ランタンの中の水晶を新しいものに取り替え、ウミナシの実を二、三個、マントの内側のポケットに入れておきました。
 次の朝、グラナは出発しました。向かうのは街がある方角とは反対側で、緩やかな谷と丘がつづいておりました。グラナはその砂丘の上を、北へ向かってまっすぐ泳ぎます。彼女は途中で出会ったサメやエソなどと、とりとめのない話をしては別れたり、途中立ち止まって、腹ごしらえにウミナシを食べたりもしました。
 そのような道中、グラナは真っ白な棘をもったウニと、大きなタカアシガニに出会いました。グラナが声をかけると、ウニが口を開きました。
「こんな所へ人魚が来たと思えば、クジラ採りさんか」
「ああ。近ごろクジラが少なくて参っているんだ。どこかで見はしなかったかい」
 グラナがそう尋ねると、二匹は少しの間考えました。
「そういえばこの間、火山の向こうのほうで、大きいのが泳いでるのを見たぜ」
 そう言ったのは、タカアシガニのほうでした。ウニも頷きました。
「ああそうだ。あれは、ずいぶんと明るいと言っていたな。周りにやたらとクラゲが集まっていたとか」
「火山の向こうというと、北のほうかい。丁度よかった」
 グラナは頷いて言いました。このまま北のほうへ向かえば、そのクジラを見ることができるかもしれません。もう少し詳しい話が聞ければよいのですが、彼らはもうクジラの話に飽きてしまっていて、この辺りでは珍しいらしい、ウミヘビの話にふけっておりました。それでグラナは二匹に軽く礼を言い、また進み始めることにいたしました。
 さて、そのまま北に向かってまっすぐ進み、広い丘をふたつ越えたところに、ぽつんと家が建っておりました。その家は、街によくある貝や珊瑚をつなぎ合わせたものではなく、礫を固めてレンガのようにした、四角く丈夫な、それでいてこぢんまりとした造りをしておりました。
 グラナは家の前に立つと、戸に取り付けられたサメの歯の飾りを、二、三回叩いて鳴らしました。しばらくして、ゆっくりと扉の向こうから出てきたのは、男の人魚でございました。
 灰色の肌と黒いうろこは他の人魚と同じ様でしたが、彼の緑色の髪は他の誰より明るく澄んだ色で、片手に持ったランタンの光を集めて、ぼんやりと光っているようにも見えました。
「やあ、誰かと思えばグラナかい」
 その人魚は名前をペリドットといい、長い間セキエイクジラのことを研究している、深海では数少ない学者でした。もう三百歳になるという彼は、グラナの親しい友人でありました。彼は彼女を家の中に招き入れました。
「今年のクジラが少ないことは気づいているだろう。何か原因は分かっているのかい」
 グラナがそう聞くと、ペリドットは頭を掻いて答えました。
「確かに少なくなっているのは事実なんだが、原因を探ろうにも、資料が少なくてね。水や地中の温度の変動なんかは調べているんだが、細かいことは何も分からない。強いていえば、火山の活動が活発化していることくらいだが、まあ、直接的な要因とは言い切れない」
 グラナはそれを聞いて、残念そうにため息をつきました。その時ふと、ペリドットが人差し指を立てて、こう言いました。
「ああ、そうだ。一昨々日、西の丘へクジラが降ったそうだが、聞いたかい」
 グラナが飛びつき、それを先に言わないか、と言い立てて詳しいことを尋ねますと、ペリドットは申し訳なさそうに笑い、こう言いました。
「僕も昨日エイに聞いたきりだから、詳しい状態なんかはまだ知らない。だから砂煙が落ちつく頃に行こうかと考えていたんだよ」
「それならもしや、今から出るところだったかい。すまないね。すぐに出ようか」
 グラナがそう言うと、ペリドットは少し考えてから
「それでもいいが、グラナ、ここへ来るまでだいぶ泳いだろう。見に行くのは明日にしよう、今日は泊まっていくといい」
 と言いました。グラナはそれにしたがうことにしました。もしかしたらそのクジラは、タカアシガニらの言っていた大きなもののことかもしれません。グラナは期待を募らせ、眠りにつきました。
 次の日、グラナとペリドットは早くから準備を始め、家を出ました。
 彼らはペリドットの家からまっすぐ、西北西へ十何キロか進んだ所へある丘へ向かいました。そこは丘というよりも高台と呼ぶにふさわしいもので、斜面は陸の高台に比べるとやはりゆるやかでございましたが、その高さと、頂上の広さは、ともに千メートルほどありました。
 上へと泳いで、丘の頂上へ着くと、向こうのほうの地面に、ぼんやり光る大きなものがありましたので、くだんのクジラの死体はすぐに見つけることができました。
 近づいてみるとそのクジラは、どちらかといえば小さな個体のようでした。頭のほうは地面に埋もれかけて、胴体の中央は粉々になって、全体に辺りの白い砂がうすくかぶっておりました。
 死んで海底へ沈んだセキエイクジラの体には、光に集まる習性をもつ生き物が群がります。それは例えば、クラゲやエビ、また他の多くのプランクトンや微生物などです。それらはたいてい、浅い海にいるものとは姿がずいぶん異なり、光の少ない海底の中でも、特別珍しいものばかりでした。彼女らが目にしたそのクジラには、十数匹のクラゲと小さなエビが数匹、辺りに集まっておりましたが、それは決して多いとはいえませんでした。
 二人はしばらくクジラを見つつ、それぞれ何かを紙に書き記しておりましたが、やがてグラナは、ペンを持つ手を止めて、クジラにかかった砂を手で軽く払いはじめました。
「やはり、ずいぶん暗いな。明かりには使えない」
 グラナのいう通り、そのクジラにはほとんど光がありませんでした。ウニやタカアシガニが言っていたものとは、違う個体でありそうでした。大きかったというあの個体は、もう他の場所へ移動してしまったのでしょう。グラナはため息を吐きました。
 足元に散らばって落ちている、うすくぼんやりと光っている水晶の欠片にも、辺りの白い砂がかぶっていました。地面に落ちたときに巻きあがった砂が積もったのでしょう。
 ペリドットは何かをぶつぶつと呟きながら、クジラを観察しています。
「私のほうでは、まともな商品にはなりそうにない。学者先生には、何か収穫になったかね」
 グラナはそう訊ねましたが、ペリドットはその言葉に答えず、やはり何かぶつぶつと呟きながら、クジラを眺めては砂をどかし、砂をどかしてはクジラを眺め、また何かを書き記していました。
 その時ペリドットがううん、と唸るのを聞き、グラナはすいと近寄りました。それから彼がいる辺りの場所をよく見て、首を傾げます。それは地面から掘り出された上顎のあたりでしたが、特にどうといったこともないのです。ヒビのない、きれいなままの上顎でした。ペリドットは言いました。
「割れ方がおかしいだろ。尾のほうは内側のたねまでぼろぼろだし、比べて頭や顎はすっかり綺麗なままだ」
 言われてみれば確かにそうだ、とグラナは思いました。
 セキエイクジラの体は鉱物ですから、他の生きものに襲われるということは、滅多にありません。稀に水面近くにのぼっていったものが人間の船にぶつかって、頭や胴体だけが大きく割れることもありましたが、それならば海底に着くまでにばらばらになって、全身がひとまとまりに落ちたりはしないはずでした。それに、これほど明かりの弱いうちに自ら死んでしまうことなど、これまでにありませんでしたし、たいてい割れるのは外側の水晶だけで、内側のたねまで粉々になることも珍しいのです。グラナはその原因を色々に考えようとしてみましたが、前例のないことが多く、すぐに行き詰まってしまい、うまい考えはひとつも浮かびませんでした。
 それでもペリドットのほうはしばらくクジラから離れる様子がありませんでしたので、グラナは何か他に手がかりがないか、辺り一帯をぐるぐるとうろつきはじめました。クジラが落ちてきたのを見た生きものが近くにいれば、話を聞けるかもしれません。
 そう考えてグラナはふと、泳ぐ尾を止めました。足元に何か、弱いクジラの光を反射している、小さな欠片が落ちているのが見えたのです。そっと拾ってみると、透明の細長い円錐形のガラスのようで、質感などはクジラの破片によく似ておりました。けれど、それ自体はクジラのようには光らずに、内側がくり抜かれたように空洞になっているのでした。
 また辺りの地面をよく見てみると、同じような欠片が他にも四つほど落ちていました。グラナはそれを失くさないように拾い集め、ようやく観察を終えたらしいペリドットのもとへ持っていきました。
「なるほど、水晶と違って光らないし、形も人工物のようだ。少し調べたいから、二つほど預かってもいいかい」
 ペリドットがそう言うので、グラナは五つのうち二つを、彼に預けました。それからペリドットの了承を得たのち、グラナはクジラの欠片の一部を袋に詰め、残ったクジラにひとつお辞儀をし、丘を発ちました。
 次の日、グラナは街へ行きました。深海の人魚の街は、ペリドットの家からは随分遠いところにありましたので、半日ほどかかってようやく着きました。街には、貝や珊瑚をつないで作った新しい建物と、礫造りの古い建物が集まって、何もない砂丘よりずっと賑やかでした。
 昨日採れたクジラの欠片は、明かりにこそ使えませんでしたが、加工すれば十分装飾品として使えそうなものばかりです。それで彼女は、街に住む、馴染みの加工屋のところへ向かっておりました。
 グラナは目当ての店を見つけると、そのドアをノックし、大きな声で言いました。
「おうい、ガブロはいるかい。グラナだ」
 奥から出てきたのはガブロと呼ばれた男性その人でございました。彼は真っ黒なうろこの所々に白い斑があり、また濃い灰色の顔には、しわが深く刻まれているのが目を引きました。グラナは水晶の入った袋を彼に渡し、
「これならいくらで売れるかい」
 と尋ねました。ガブロはグラナをドアの中に入れ、袋の中身を机の上にあけると、ルーペなどを取り出して、欠片を一つ一つ確認し始めました。
「ずいぶんと暗いね。確かに明かりには向かなさそうだが、髪飾りなんかにすれば、若い娘たちに人気は出そうだ」
「それはよかった。しかしどうもね、今年に入ったあたりから、明かりになりそうなクジラが全くと言っていいほど採れないのさ。砂丘のエソは、別の場所へ行ったんじゃないかだなんて言っていた。学者先生にも原因は分からんようだ」
 グラナの文句を聞き、ガブロは顔を上げて言いました。
「そんなに採れないなんて、今年は大変だろうなあ。また採れるようになるのを待って、別のものを売ったりはしないのかい」
「そういうわけにはいかないさ。私はこれまでセキエイクジラに頼って生きてきたのだから、これ以外の仕事はきっとできない。私にとっては、そういうものさ」
 ガブロはそういうものか、というふうにため息を吐きました。
 そうしてガブロの品定めが終わり、グラナが代金を受け取ったところで、ドアを叩く音が聞こえました。ガブロは一瞬ドアの方を振り返り、
「ちょっとすまない」
と言い、玄関の方へ出て行きました。グラナは荷をまとめつつ待っていると、ガブロが戻ってきて、こう言いました。
「おうい、グラナ。五日前、クジラが死んだところを見たって子が来ているぞ」
「本当かい」
 グラナが驚いて表に出ると、そこには仕立て屋で見覚えのある、おとなしい少女が立っておりました。少女はうつむきながら、小さい声でこう言いました。
「あのう、私が見たの、丘のてっぺんに落ちた、小さいやつなんです。おかあさんが、クジラ採りさんにぜひお話ししなさいって。でも、あのクジラ、ほんとうに暗かったので、クジラ採りさんのお役に立つかどうか……」
「仕立て屋のとこの子だろう。あのクジラのこと、気になっていたんだ。よかったら話を聞かせてくれないか」
 グラナが愛想よくそう言いますと、少女はぱっと安心した表情になりました。ガブロは二人を中に入れ、少女はクジラを見たときのことについて、まだ少し緊張した様子で話し始めました。
「おかあさんと、西の街まで荷を届けに行ってた帰りだったんです。丘を越えようとしたとき、少し上の方にクジラがいるのに気がついたんです。なんだかあんまり綺麗な泳ぎ方じゃなくて、少し尾びれの動きがおかしくて……。それでしばらく見ていたら、泳ぎながら落ちてきて、あわてて離れました。そうしたらクジラが丘の上に、頭から地面につっこむみたいになって、その、何メートルも横滑りになっていったんです。あんまり砂煙がすごかったから、それから後はよく見えなかったんですけれど……」
 グラナは腕を組み、話を聞いておりましたが、どうにも引っかかるところの多い話でした。
「どうもありがとう、とてもいい参考になったよ」
 グラナは少女にそう言うと、少女はほっと息を吐いて、よかった、と言いました。
 グラナは少女を見送った後、ガブロにこう言いました。
「なあガブロ、後でさっきの水晶で、ひとつあの子に何か作ってやってくれ。勿論、そのぶん金は渡すからさ」
 ガブロはグラナと目を合わせ、勿論だとふっと笑いました。
 そうして、グラナは町を後にしました。グラナは帰る途中、あの少女の言っていたことについて、えんえんと考えこんでおりました。
(妙な所の多い死体、死ぬ前の変な泳ぎ方。進みながら地面に突っ込んだということは、落ちた時には、まだ生きていた可能性があるが、果してあり得るか……)
 彼女の疑問は、家に着いて寝る時になっても、消えることはありませんでした。

 それから二日ほど経った日のことでした。ペリドットがグラナの家を訪ねてきたのです。珍しいことに驚いていると、ペリドットはこう言いました。
「つい昨晩、セキエイクジラを見たというサメに会ってね。呼んだ方がいいかと思って寄ったんだが、今すぐ来られるかい?」
 グラナは驚いたまま慌てて頷き、急いで出かける準備を済ませました。それからペリドットのほうへ出て行くと、彼はふと、思い出したように言いました。
「ああそうだ。あの欠片だが、モアサナイトというものの結晶のようだ。近頃人間が作り出したもののようだから、きっとその破片か何かだろうね。めったに見ない代物だが、そこまで純粋でもないものだ」
 ペリドットはそう言いますと、余った欠片を一つ、グラナに返しました。グラナは、それが人工物だというのに少し違和感を覚えながらも、その欠片をマントのポケットへ仕舞いました。
 彼らは西へまっすぐ進み、以前クジラの落ちていた丘を越えて、ずっと進み続けました。細長い山脈をようやっと越え、尾の疲れはじめた辺りで、グラナはペリドットに、いい加減どこまで進むのかを聞こうとした、その時でありました。
 ペリドットが、ぱっと真上を指さし、グラナの視線はそちらに向かいました。
「セキエイクジラだ」
 それは、これまでに見たことのあるセキエイクジラとは比べ物にならないほど大きく見え――それでいてその光も、どのクジラよりずっとずっと強く明るく、彼女らのいる山の斜面を照らしているのでした。彼女らは呆然として、ただただクジラを見上げておりました。
 そのときです。ぱっと、閃光が辺りを照らしました。
 それとほぼ同時に、ぱん、と鋭い音が辺り一帯に響きわたります。その音は辺りの水を細かく震わせ、まるでうろこが裂けるようなするどい響きでした。
 彼らはその音が、クジラが割れる前兆であることを知っていました。グラナは閃光のおかげでまだ目がちかちかしていましたが、クジラにおかしな様子がないか見落とすまいと、じっと上を見つめておりました。
 ガラスの割れるような、鋭い音が何度か続きます。やがてクジラはゆっくりとひれの動きを止め、頭を下にしてぐらり、と傾きました。
 クジラはその重みのまま、ゆっくりと、ずうっと真下へ沈んでゆきます。それからずうん、と低く響く音をたてて、割れたクジラは谷の傾斜を、砂を巻き上げながら、ゆっくりと滑り落ちてゆきました。
 クジラの落ちていったその先にある谷は、とても深いものでした。それでグラナ達は砂を吸い込まないようマスクを着け、急ぎ谷の底へ降りてゆきました。
 谷の底は一面が、クジラの光に照らされた砂煙で、何も見えない状態でした。グラナはペリドットに言いました。
「一刻も早くあれの様子を見たいところだが、この砂では明日にならないと、まともに見られなさそうだ」
 ペリドットは頷き、彼らは斜面を登った所にある平地に、簡単なテントを立て、そこで眠りにつきました。
 次の日起きてみると、砂煙はだいぶ落ち着いておりましたが、視界が良好と言えるほどではございませんでした。それでもグラナとペリドットは、砂煙が落ち着くのを待ちきれず、テントを片付け準備をし、谷の底へ降りてゆきました。
 そのクジラは改めてみても、やはりこれまでに見たことのあるセキエイクジラのなかでもひときわ大きく、まぶしいほど明るいものでございました。とりわけ体長は、ゆうに三十メートルはありそうなものでした。
 以前見たクジラとは異なり、ひびは全身に入っておりましたが、顎から前半身にかけてが、特に大きく崩れているようでした。大きく砕けた部分はやはり、内側の岩まで脆く、崩れやすくなっているようです。
 そうしてグラナとペリドットが、またそれぞれクジラを観察し、色々と書き取っていた時でした。
「ああ、学者さんにクジラ採りさん。あそこに、おかしなウミヘビがいるのです」
 反対側から歩いてきた大きなエビがそう言って、彼らのほうへと駆け寄りました。クジラの死体にはあまりいない種類のこのエビは、おそらく明かりに誘い寄せられたのではなく、元からこの辺りに住んでいたのでしょう。
 二人は急いで、エビの案内した、クジラの胴体の反対側、そのちょうど真ん中辺りに近寄ってみました。その中には、光って見えるウミヘビが一匹、割れたクジラの断面から顔を出しておりました。
 そのウミヘビは、大きさなどはむしろウツボというにふさわしいようなもので、その細く大きく裂けた口は、胴体の太さの倍ほどありました。黒と白がまだら模様のようになった細長い胴体は、するするとクジラの死体から泳ぎだし、やがて一メートル弱ほどのすがたをあらわしました。グラナははじめ、ウミヘビが光って見えたのはクジラの光を反射しているからだと考えておりました。けれどもそうして見ると、見間違いなどではなく、その体の白い部分は自ら光っているようなのでした。
 グラナとペリドットは、その見慣れないウミヘビに驚き、しばらく呆気にとられておりましたが、ウミヘビがまたクジラの断面から岩の中へ潜っていくのを見て、はっと我に返りました。
 二人があわてて岩を覗き込むと、ウミヘビは、岩をまるで柔らかい木の実のように、その鋭い歯で噛み砕いて穴をあけて潜ってゆくところでした。
「セキエイクジラを食べるウミヘビなんて、これまでに聞いたことがあるかい」
 グラナはようやっとそれだけ言うと、ペリドットは首を振り、言いました。
「それに外側の水晶でなく、そのたねの岩の方を食べるなんて」
 二人は顔を見合わせ、どうすべきか、少しの間話し合いました。
 グラナは水晶の割れ目から覗いた、比較的大きなままの岩の塊にそっとたがねをあてて、その上からハンマーを打ち下ろします。
 岩は音をたて、真ん中に大きなヒビが入りました。そこをこじ開け、覗きこんだグラナとペリドットは、同時にあっと声をあげました。そこには、さっきのウミヘビと同じ生き物が、三匹ほど顔を出していたからです。ウミヘビは岩から顔を出すと、先ほどと同じように、すいと泳ぎ出しました。
 ペリドットは急いで、丁度先ほど捕まえたフクロウナギに、ウミヘビをどうにか二匹捕らえさせました。残った一匹は、また岩の中に潜るかと思いきや、地面の中に逃げ込んでしまいました。
 グラナはウミヘビが逃げないよう、一匹ずつその首に紐を結びながら、その細長い体をじっと眺めました。ウミヘビはどうやら、魚などよりもセキエイクジラに似て、その体は方珪石と黒曜石からなっているようでした。グラナはウミヘビの顔を見て、何か引っかかるものを覚えました。
 少しの間考えて、それからはっとしました。彼女はウミヘビの口をたがねで開き、そのまま固定しました。それからマントの中からあの三角形の欠片を取り出し、見比べてみると、明らかにあのグラナイトの欠片は、人工物などではなく、ウミヘビの歯そのものでございました。ペリドットもグラナの手元を覗き込み、あっと声をあげます。
 グラナは興奮して言いました。
「やはりそうだ。クジラの周りに散らばっていたのが、このウミヘビの歯だったんだ。それでクジラの内側の岩だけをウミヘビが食べるから――あのクジラはあんな死に方をしていたのだ」
 ペリドットも納得したように頷き、記録を取る少しの間黙ってから、しみじみとこう言いました。
「けれど、きっとこのクジラはまっとうに、寿命を迎えたんだろうね」
「ああ。こんなに明るいからだで、あんなに綺麗な音をたてて事切れたんだ。こいつは立派なクジラだよ」
 グラナはウミヘビに紐を結び終わると、荷をまとめはじめました。
「結局クジラの少ない理由は、分からず仕舞いか」
 グラナはマスクを外しつつ、そう呟きます。気がつけば辺りの砂煙は、すっかり落ち着いておりました。それを聞いたペリドットは、観察のメモをとる手を止めて言いました。
「ああ。だが、ウミヘビを見つけられただけでも大きな手がかりだ。クジラと似た鉱物の生き物ってことは、クジラが減った原因ともきっと関係があるだろう」
 それを聞くとグラナは感心して、「いかにもだ」と笑って言いました。
「学者さんの調査が終わり次第、あたしは作業を始めることとしよう。手伝いが要れば呼んでおくれよ」
「ああ。助かるよ」
 ペリドットはにこりと笑って、そう答えました。その時です。
「雪だ」
 グラナが、ぽつりと呟きました。ペリドットはその声に、ぱっと上を見上げます。
 暗いくらい海の底で、光るクジラのもとに静かに降り始めた、その白く小さな欠片たちは、やがて視界いちめんを白く埋め尽くしてしまうほどに、しんしんと舞い落ちておりました。
 深いふかい海の底に、ひとつの音もなく、真っ白な雪が降り続いています。
 その美しさに、彼らはもう一言も話さずに、雪の中にただ立ち尽くしておりました。

 お終い

海底くらし

海底くらし

水晶でできたクジラと、クジラと共に生きる人魚の話。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-09-05

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著作権法内での利用のみを許可します。

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