首輪物語(作・さよならマン)

お題「首輪」で書かれた作品です。

首輪物語

 小さなランプの灯の下で、リリィの痩せた身体が苦しみ悶えていた。
ㅤ買えるだけの薬を与えて、遠くの町まで出て医者を呼んだけれど、病は全然治まることなく、むしろ勢いを増しながら妹の幼い体を乱暴に蝕んでいった。
ㅤリリィは日に日に衰弱し、元気な姿はもはや懐かしい思い出に変わりつつあった。
ㅤ「絶対、助けてやるからな。リリィ。約束通りに……」
 冷たく青白んだ手を握り、僕は言った。その晩、僕は身支度を整えて、家を出た。

  *

 「待ってよ!ダグ!」
ㅤリリィの手を離れて無我夢中で走って来たダグが、僕の脚に思いきりぶつかった。ダグは何が起きたかも分からないみたいに、分厚い舌を出しながら大きな目で僕を見上げて、荒い呼吸を数回繰り返した。それからまた、すぐに走り始めた。
 「お兄ちゃん何してるの!早く捕まえて!」
 息を切らしたリリィが、遠くから叫んだ。僕はダグを追いかけて、後ろからお腹を持ってさっと抱き上げた。ダグはダルダルの頬を震わせて、二度吠えた。
 「駄目じゃないか、ダグ。ちゃんとリリィの言うことを聞いてあげないと」
 「……聞いてあげないとじゃなくて、従いなさいでしょ」
 すっかり疲れ切ったリリィが、膝に手を置いて項垂れながら言った。
ㅤダグを飼い始めてからもう半年にもなるのに、未だにここまで手が掛かるとなると、流石にちょっと気の毒だな、という気もした。リリィのしつけ方に何か問題があるようにも思えなかったし、むしろ誰よりも努力してダグを飼育してきたと言うのに。
 「手の掛かる犬だ」と僕は言った。
 「ええ」と、リリィは応えた。「でも私、がんばって手懐けるから」
 リリィは笑ってダグを受け取ると、優しく地面に下ろした。ポケットからエサの干し肉の切れ端を取り出して、見せつける。ダグは短い脚でぴょんぴょん跳ねてそれを取ろうとしたけれど、リリィはいじわるそうに笑って、ダグの口が届かないように干し肉を持っていた。
 「えへへ、これが欲しい?」ダグはよだれを垂らして、キラキラした瞳でエサを見つめている。
 「じゃあ、私について来なさい!」
 リリィはそう言って、走り出した。ダグがワンと吠えて、その後を追った。そんな「二人」の様子を見ながら、僕は内心、平和な心持ちで笑っていた。今日も変わらず、青く澄んだ空が頭上に広がっている。僕は軽いあくびと背伸びをして、我が家へと戻った。

  *

ㅤ「ただいま」
ㅤ「ああら!お帰りなさい!」
 帰るなり、母さんがキンキンした声を出しながら、踊るような仕草で返事をした。
ㅤ「今晩はご馳走よ!リリィの好きなお肉のパイをたくさん作ってあるわ!」
 「そう。きっと喜ぶよ」
 僕が適当に言うと、母さんはとても満足そうに笑って台所に戻り、楽しそうに挽肉をこねていた。なんだか母さんは、昔よりも何倍も元気になっているような気がする。もちろんそれは良いことなのだけれど、一日中元気いっぱいで居られるせいで、正直僕もリリィも疲れてしまうくらいだ。朝の牛乳配達のおじさんが母さんを見て、「壊れた玩具みてえだ」と呟いていたのが、妙に印象に残った。まあ、他の人から見たら、そんな風に思っても無理はないかもな、と思った。
 僕は二階にある自分の部屋に戻り、机の引き出しを開けた。本や色々なガラクタが入っていて、その奥の方に、例の首輪を入れてある。僕はそれを取り出して、改めてじっくり眺めてみた。一見、普通の首輪のようにも見えるけれど、よく見ると、輪の外側に沿って小さな文字がびっしりと書き込まれている。虫眼鏡で大きくして見ても、その文字がいつの時代のどこの言葉なのか、さっぱり分からなかった。まあ、分からなくたって別に問題じゃない。ちゃんと「効き目」がありさえすれば良いのだ。
 僕は首輪を持って、一階に下りた。「うまくいけばいいけど」と、ひとりごとを零した。

  *

 夕食のパイをもぐもぐ食べながら、リリィが怪訝そうな声で言った。「ねえ。お兄ちゃん」
 「ん?」
 「ダグの首に、何か変な輪っかが付いてたんだけど」
 「ああ」
 僕は出来るだけなんでもない風に答えた。「なんでもないよ」
 ダグは部屋の隅っこの方にちょこんと座っていた。いつもなら夕食を欲しがって暴れまわり、テーブルの上をぐちゃぐちゃにしたりするのに、見違えるような大人しさだ。やっぱりちゃんと効いてくれたらしい。
 「どう見たっておかしいわ。今まで首輪なんて付けてなかったのに。それに、いきなりあんなに大人しくなっちゃって」
 あっはっは、と、母さんの大笑いが響き渡った。
 「リリィのしつけが効いたんだよ。あんなに頑張ってたじゃないか」
 「でも、昼間はいつも通りだったじゃない。私の言うことなんて、結局ひとつも聞いてくれなかったわ」
 「ダグは気まぐれなんだ。ようやくリリィの努力に免じて、良い子になってくれたんだよ」
 「なんだかいやな言い方ね、それ」
 むっとした表情を浮かべながら、リリィは新しいパイを手に取って齧った。
 「ほらほら。まだまだたっくさんあるから、好きだけ食べなさいよ!」
 助け舟を出すように、母さんが声を張り上げてそう言った。
ㅤ「おいで」
ㅤ僕はダグに声を掛けて、呼び寄せた。走ってきたダグを抱き上げて、リリィに顔を向けさせた。ダグはいつものように舌を出して息をしていた。
ㅤ「ほらな。いつものダグだ。変なところなんかないよ」
 リリィはしばらくの間、じいっとダグを見つめていたけれど、やがてふっと微笑んだ。それから、半分に割ったパイを片方差し出して言った。
 「まだよ、ダグ。まだ食べちゃだめよ」
 ダグは今にも食らいついてしまいそうな顔で目の前のパイを見ていたけれど、言いつけだけはちゃんと守っていた。よだれが垂れるのを見て、リリィはたまらずに吹き出した。
 「いいわ!」
 目にも留まらぬ速さで、パイが消えた。ダグは数回、不器用そうにあごを動かしてパイを噛み砕くと、すぐに飲み下してしまった。
 「よく我慢したわ!良い子ね、ダグ!」
 リリィは嬉しそうにダグの頭を撫で回していた。母さんはその光景を、満面の笑みで眺めていた。僕も笑顔のまま自分の分の夕食を取り終えた。それから家を出て、裏手のお墓に回り、花瓶から抜いてきた花を一輪、その前に置いた。
 「父さん」僕は呼び掛けた。「ようやくダグがおとなしくなったよ」
 そうか、と父さんは言った。リリィは元気かい。
 「元気だよ」
 そうか。それは良かったな。
 「うん」
 その時、どこかで男達がひそひそと話す声が聞こえてきた。
 ————魔女さ。魔女の仕業さ。ああ。ああいう酷いことをするのは魔女だけさ。奴が消しちまったのさ。ああ。村長さん、あれからずっと嘆いているようだよ。可愛くて評判だったのになあ。かわいそうになあ。ああ。まったくだ。まったくだよ。
 歩いてきた男達と目が合い掛けて、慌てて逸らした。僕はそそくさと、家の中に戻った。

  *

 翌朝、僕は早めに起きて、一足先に階段を下りた。いつもならうるさく吠えて皆を起こしてしまうダグが、ちゃんと静かに座っていた。僕はいくらか安心したけれど、念のためにダグに歩み寄り、頭に手を置いて言った。
 「ダグ。今日もちゃんと言うことを聞くんだぞ。いいね」
 首輪に書かれた文字が、微かに紫色の光を上げた。ダグは尻尾を振って、ワンと鳴いて応えた。
 「ああこら、吠えちゃだめだ。まだみんな寝てるんだから」
 「私は寝てないけど?」
 びっくりして後ろを見ると、リリィが腕を組んで僕らを見下ろしていた。
 「やっぱり、おかしいと思ったわ!なんなのよ、その首輪」
 僕はやれやれとため息をついて、立ち上がった。
 「じつは貰ったんだよ」
 「誰に?」
 「魔女さ」
 リリィはうんざりした顔で言った。
 「そんなところだろうと思ったわ!もうあそこには行かないでって、あれほど言ったのに!危ないからって!」
 「だけど、ほら。一度だけだよ。あの時に貰ったんだ。リリィの病気を治してもらったじゃないか。親切な魔女だったろ?覚えてないか?」
 リリィは少し口ごもった。
 「それはありがたいことだけど、でも……もう、他のことでは魔女の手は借りない。そうだったでしょ?」
 それを言われてしまえば、もう僕に言い返せる言葉もなかった。
 「ああ。ごめん。悪かったよ。でも、悪気はなかったんだ。ダグが何も言うことを聞かないのが、あんまり気の毒だったからさ」
ㅤ「気の毒だなんて!私はね、ダグの世話が楽しいの。ダグは私の力で良い子にしてあげるんだから、余計な心配はいらないの!」
ㅤ「わかった、わかったよ。首輪はもう使わないから」
ㅤ「ええ。そうしてね」
 僕はダグの首輪を外した。するとその途端、ダグは今まで溜め込んできた活力を一気に解き放ったように、すごい勢いで走り出して部屋を駆け巡った。そしてそのまま、リリィのお腹に飛びついた。
 「ダグ!やっぱり、ダグは元気なのが一番ね!」
 ワン!ワン!
 その時、でたらめに動き回ったダグの前足が、偶然、リリィの首元の輪に引っかかってしまった。
 「あ」
 首輪は思っていたよりもあっさりと外れてしまった。ㅤㅤ「キャア!」そう高く叫んで、彼女はダグを乱暴に放り投げた。
 「何、この犬……」
 「ダグだろ。リリィ」
 「誰よ、リリィって!」
ㅤ彼女は床に尻をついて、怯えた顔でこちらを見上げていた。
ㅤ「誰なのよ!あんた!」
ㅤ「大丈夫。すぐに思い出すから」
ㅤ床に落ちた首輪を拾い上げて、僕は静かに呟いた。
ㅤ「すぐに思い出すからさ」

首輪物語(作・さよならマン)

首輪物語(作・さよならマン)

やんちゃな飼い犬「ダグ」に振り回される妹。気の毒に思った僕は、ある秘策を持ち出した。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-09-02

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