旅立つ君へ…
簡単な事じゃない。
未来で目覚め、生きていける保障もないのに、この時代を生きないと決断するのは……。
夢で彼女は言ってくれた。間違っていない、と。
でもそれは、ただの自己暗示にすぎないのかもしれない。
彼女の姿は、そう言ってもらいたいだけの、僕の願望の現われなのかもしれない。
「父さん、どうしたの? これ……」
目の前に並べられたオードブルと、ホープの好物、そして母の写真がテーブルの上に飾られていた。
「ああ……ケータリングだけどな」
「いや、そうじゃなくて……すごいご馳走だね。何かあったの?」
ホープが尋ねると、彼の父は物悲しげな笑みを浮かべた。
「いや……お前の好きなものをご馳走したかったんだ。今日で……」
そこで言葉を詰まらせた父親を見て、ホープは小さく息を吐き出しながら目を伏せた。
「うん、そうだね。僕がこの時代に居られるのも、今日で……」
言葉にして言ってしまうと、それが永遠の別れの挨拶になってしまう。お互い、そう思っているからこそ、最後の言葉が出てこなかった。
「ありがとう」
ホープが声を絞り出して言うと、彼の父は頷いて答えた。そして、テーブルに飾った妻の写真に視線を移す。
「三人そろって食事するのは、久しぶりだな」
写真の中の母親の笑顔は、とても幸せそうだった。これが家族の最後の晩餐だというのに、時が止まった母親の笑顔は、永遠に変わらない。
「さあ、食べよう。お腹が空いただろう?」
「あ、うん」
出来る限り普通に接していようと、ホープは微笑んで頷き、席に着いた。正面には微笑んでいる母の写真。右には、相変わらず厳格そうな顔の父。小さい頃、こうして両親の顔を見て食事をしていたことを思い出していた。
あの日を境に、全ての幸せは奪われた。当然のように続くと思っていた生活が一変し、自分の命を狙うものに追われ、見知らぬ人たちと逃げ、グラン=パルスへ降り立った。めまぐるしく変わる出来事が、すべて嘘であってほしいと願った。そこには、無条件で愛を注いでくれる人も居ない、安全な場所もない。助けることが出来なかった母親の面影ばかり追いかけて、心が安らぐことなど一時も無かった。ファルシを倒したところで、クリスタルになる運命を変えることも不可能で、自分に与えられた選択肢は、悲劇でしかなかった。
「お前が決めたことだから、父さんは反対しないけれど……」
過去を思い出していると、不意に父親が言葉を漏らした。ホープは、食事の手を止めて父親に視線を移す。
「寂しいと思うのは……許して欲しい」
ホープは胸の奥に痛みを感じた。寂しいと口にすることに、許しを請う父。許しを請うのは、大切な家族を置いていく自分の方であるのに……。
「父さん……ごめん」
謝罪の言葉しか出てこなかった。寂しい思いをさせること、置いていってしまうこと。父親は、どんなにか我慢していたことだろう。
「僕が未来で目覚めることで、大切な人を救えるかもしれない。未来で崩壊するコクーンを救うことが出来るかもしれない。ただ、その可能性のためだけに……僕は、タイムカプセルに入ることを選んだ。父さんに、親孝行してやれなくて、ごめん」
ホープが俯くと、父親は息子を宥めるように肩を撫でた。
「私は、母さんを守ってやることが出来なかった。それは、今でも辛い。お前にも、悲しい思いをさせた。だから、お前は後悔のない人生を生きなさい。大切な人を救える可能性に人生を懸けるのは……私にとっても救いなんだよ」
「え……?」
「信じているよ、お前のことを。未来で会うことは出来ないが、せめて私が居る間は、お前のことを見守っている」
「父さん……」
「さあ、食べよう。美味しい料理が冷めてしまう」
「父さんに、ひとつだけお願いがあるんだ」
「なんだ?」
「もし……この時代に、僕を訪ねて来た人が居たら、悲しまないでって伝えて欲しい」
「……」
「僕は、あなたを救うために未来で生きている。だから、自分を責めないで欲しい……って」
「ああ、分かった」
あの時のように、未来で目覚めても、絶望に打ちひしがれるのかもしれない。
あなたを救えても、あなたが帰る場所は、僕の生きる時代ではないかもしれない。
けれど、今ここで待っているよりも可能性はある。
クリスタルになる運命から逃れることが出来たように。
僕らが人として生きる時間を与えられたのなら、その意味を見出してみせる。
僕は、もう……あの頃のように、ただ悲しみに耐えて立ち尽くしている子供じゃない。
* * * * *
「もう、眠りにつかれました……」
「そうですか。もし可能でしたら、タイムカプセルに、これを入れてもらえませんか?」
「これは……?」
「あの子が小さい頃に、家族で撮った写真です。カプセルの中なら、色あせたりしないでしょう」
「ええ、そうですね。分かりました」
「ホープが目覚めるとき、私たち家族が一番に迎えてやりたいんです……」
旅立つ君へ…