白い花と共に眠ろう

 それは、偶然のような必然。
 そう言切れるのは、恐らく私の抱く、くだらない感傷から。
 捜査の為に探偵が家を飛び出して、一週間がたっていた。
 ドコで何をしているのか、今回はまったく知らされていない。
 感染症の流行が同業の医者同士で囁かれていたから。
 私は往診に忙しく出歩いていたからか。
 それで、声をかけそびれたのか。
 いやまさか。
 彼は同行してほしいと思ったら、私の予定などお構い無しだ。
 だからつまり、今回の依頼遂行に、私と言う存在は必要がないのだろう。
 そう思えば冷やりとした鋭利な痛覚が、擬似的に私の胸部を襲うが、どうしようもないことなのだ。
 ただ。
 ただ、一つどうしても譲れないのは、彼がちゃんと休息や食事を摂っているだろうか、ということだった。
 彼は捜査に夢中になると、寝食を忘れてしまう悪癖がある。
 それと。耳鳴りの聞こえる静かな部屋は…。
 そこまで考えが及んだ時、ふと目の前の光景に、私はあっと声をあげてしまいそうになった。

 それは、偶然のような必然。

 パークの入り口近くの通りだった。
 そこは人が行き交う賑やかな通りであったため、路上での花売りや、マッチを売る物乞いの数が多かった。
 その中で、年若い青年が、花を売っていた。
 足元にはバイオリン。
 薄汚れてみすぼらしい彼は、花を配り、硬貨を受け取り優雅に頭を下げる。
 そして足元のバイオリンを手にすると、客である女性に向かい、即興で美しい曲を奏でだした。
 それは、甘く、切ない、ラブソング。
 奏で終えるとどこからともなく拍手が沸き、花を買い求める姿が増えた。
 その演奏から、彼はきっとドコか名のある名門の出身であったのではないかと、予想ができそうだった。
 事実、花を買い求めた女性が、そんなことを囁きあっている。
 今や没落した彼は、花を売りながら、唯一つ手元に残された愛器を奏で、健気に暮らしているのではないか。
 そんな幻想を想像しながらか。憐れみの視線を送りながらも、彼の演奏に酔いしれる大衆がそこにあった。
 私も、ゆっくりと、その青年に近づく。
 彼が没落した名門出身ではないことも、ましてや、現在の生活の糧がこの花売りではないことも、私は知っている。
 何故なら彼は、それは、一週間ぶりの。
 私を認めると、青年は灰色の眼を僅かに見開いた。
 その表情がなんともおかしく、私はソブリン硬貨を彼に手渡した。
「花を、貰おう」
 私は、きっと微笑んでいたに違いない。
 彼は一瞬、呆気にとられていたが、ニヤリと笑った。
 刹那の間であったその笑みは、彼らしい、私をからかう時にみせる、皮肉の笑み。
 硬貨をポケットへ仕舞うと、彼は、白い無名の花を私の胸元にさした。
「にあいますよ、サー」
「ありがとう」
 私は礼を述べると、その場を立ち去ろうとした。
 その時。

 ワト スン

 バイオリンの高い音が、私の名を呼んだ。
 思わず振り返るが、その時にはもう、また短いラブソングを奏でられ、大衆が聞きほれている。
 だがその音は、まるで機嫌のいい彼が私を呼びつける声によく似ていた。

 その夜。
 私は寝室に戻ると、胸にさしてもらった白い花を見た。
 あの様子じゃ、潜入捜査はまだ続きそうだ。
 その花弁を、私は優しく、撫で上げる。
 どうぞ、彼が無事私の元へ帰ってきますように。
 そんな祈りを花に籠め、私は夜の眠りに付く。  
 


(終)


2010.9.2
2010.9.3加筆
不良保育士コウ

白い花と共に眠ろう

白い花と共に眠ろう

19世紀の探偵と相棒の医師の二次創作。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-03-06

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