森の教会

森の教会

問題解決の方法を私は知っている。それは神になりなさいということなのです。人間は神になれば問題は解決するのです。
私は私の知らない私に出会うためにはどうすればいいのだろうか。私は私の知らない言語を語ればいいのではないか。私は私という人間の創作性を十分に発揮しているのか。私にはまだ寝っている才能があるのではないか。
深夜に森へ行くことがあります。森には何があるのでしょうか。森をずっと奥へ奥へと深く突き進んでいきました。そこには何と一軒の家がありました。何でこんな所に家があるのだろうと不思議に思い中へ入っていきました。
その家の中には年代物の生活用品がたくさんありました。そして多くは40年前の品物ばかりでした。不思議な年代物の妖しいきらめきにうっとりしていました。旅館がなかったことですし、ここで泊まろうと考え、ゆったりと寛ぐことにいたしました。
そして、その家にはキリスト教に関わる神具がたくさんあり、居間にはキリストの祭壇がとても重厚な造りで漆が黒光りしていました。何かここはキリスト教の信者が集団生活をしていた施設ではないかと感じました。そして、やけにだだっ広い食堂、居間等がその事実を象徴しています。
そして祭壇の前で礼拝のミサを1人で進行していきました。礼拝はとても美しく清められていき、私が神父と信者の両方を演じながら進んでいきました。さあ、私は神を信じるのです。
不思議なことに祭壇の上の方を見ると、そこにあの世にも美しいキリストの像がありました。すると奥の方から信者が数人こちらに来て、その信者と牧師さんは本格的にミサを始めました。アーメンアーメンとお互い礼を言い、向こうは何の不信もなく私に心を打ち解け身の上話をいたしました。夜も更けてきて外はしんと静まり青い月が高々と輝く、不思議な神隠しを起こす気配がうっすらと漂よう、辺りにはほおほおとふくろうが泣いていた。
そこには森の独自の清らかな穢れなき完全な善良の心だけが存在している安心感が漂っていました。その信者の信頼できる態度に大いに安心していました。
ミサは威厳に満ちた牧師によって行なわれ、まさにこの世ではなくなる時の広々とした進行を示し、信じる心をさらに強くしていった。
牧師は神を信じますかと言いました。何の疑いもなく信じますと答えました。
あなたの神はどこにいますか。
私の神は、私の中にいます。
牧師の何という美しい言葉なのでしょうか。神とは創造なのです。私は神の力によって創造できるのです。
その時キリストの像は幽かに振動し、何かこの世界ではない存在の何らかの初まりを予言した。何かキリストの像が血を流しているのに気がついた。血がこの世の現実とは思えない幽玄な妖しさをもって、この世ではない速度を伴いそっと垂れている。
これは神の啓示なのです。神は人間を愛してくださるのです。
そしてキリストの像は何か不思議な天国の愛の輝きを強めました。部屋はふわーっと美しい輝きに満ちて明るい未来への期待、愛、夢の成就、病気の治癒という奇跡を起こしたのです。
私の心は平安、安心、解脱、澄み渡りました。何という現実を離れた神の至上の愛なのでしょう。肉体と精神が解きほぐれてこの世の苦しみの意味を知ったのです。この世の苦しみはまさに神の啓示だったのです。
神の啓示に対して私が真理の答えを提示すれば、この世のものとは思えない体験をすることになりました。そう天国への道が優しく差し伸べられる。
私の時世は無常なのです。私は私を知らなくてはならない。そして私は神を知らなくてはならない。
牧師はあなた程神に愛されているものはいない。大丈夫です。心の平安を抱えています。
キリストの像はこの世界を浮遊し始めました。何という神々しい光景なの。キリストの像は青く神々しく輝き、世界を清める存在となって空間を移動している。
何という奇跡なのか。信者は感動のあまり泣き、天を見上げキリスト像にお祈りをした。キリスト像にお祈りして深く感謝の気持ちを表した。
そしてキリスト像と一緒に信者1人1人の所に行き、救いの実践を行った。
信者1人1人が癒され病気が治り、身体と精神が復活していくのを感じていた。
私の所へキリスト像がやって来ました。ああ、キリスト像は私の懐へ飛びこんできました。

森の教会

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  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-08-25

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