狂気のエンターテイナー

「私、立派な役者を目指しているんです」
あるサイバースペースの施設に、新しい役者が配属された、新人で、オーディションにうかったばかり、大きな仕事がこれが初めてだという女性役者だ、さっそくヘルメットをつけ、コンピューターへ接続し、神経や痛覚なども接続する、それは透明なカプセルのような見た目で、中にはベッドとシーツがおかれていた、彼女はそこに寝転がった、次第に意識はコンピューター内に入り込み、さらにその奥底で、命じられた通り、彼女はある役を演じる事になった。
「あなたは、母親を殺した人間です」
意識が目を覚ますと、なぜか彼女は現実とも夢ともつかない世界で、警察に囲まれている。そこは廃屋らしく、警官たちは手に手にピストルと懐中電灯をもち、あるいは警察犬を連れている人もいた。
「新しい役者は人殺しだ」
「いくらなんでも、そんなことをしてまで“役者”であることをつきつめたいか!!」
彼女は、自分の右腕の凶器にきがついた、彼女は血がべっとりついた刃物をにぎっている。
「うそだ、うそだ……こんな状況“演目”にはなかった、私は、私は何を、いったい今まで何を!!」
警官たちは何をいっている?私はサイバースペースで、役に染まり切って、染まり切った故に、犯罪をおかしたのか?狂気、狂気だ。先輩から聞いたことがあった、役にのめり込んだために、役柄通りの恋が発展することもあるし、まるで殺人鬼のような自分の本性に気づくこともある。もしそれがサイバースペース内の出来事だとしても、自分はいつのまにかその世界で人を殺したのだろうか、思い出せない、ただおかしな頭痛と、頭に響く声が聞こえる。
「バグが起りました、あなたはスキャンダルを抱えてしまった、現実世界に戻ってください」
やはり彼女がいた空間はサイバースペースらしかった。意識は一瞬、モニターの電源を切る時にような眩しい点滅が繰り返されたが、しかし彼女がサイバースペースに接続するための空間ーーカプセルの中で―—目を覚ましても、彼女の意識は混沌としていた、彼女はわけもなくわめきちらした。周りの職員が彼女をとめた。
「いえ、私は何もしていません、私は人を殺してもいないし、犯罪を犯してもいないし、私は何も発信してはいない、ただ、私は役者を演じろと頼まれたんです、そうすれば、私の生活は安全だからと」
ある白衣の男が、彼女の腕をおさえて、瞳を見つめて真剣な顔で話しかけて来た。彼女はベッドの上で、縦に半分開いたカプセルのような装置にこしかけ、そこでやっと、あたりの景色が今までと違う事にきがついた。
「おちついてください、あなたの演技は終わりました。あなたはその顔と演技によって立派に“都市伝説の女”という役を演じ終えました、だからもういいいんです、いいんです」
いいんです彼女はヘルメット型の装置を頭から外される。すると周りには、職員らしき青の制服を着た人々が彼女をとりかこんでいた、それは見覚えがあった。サイバースペースアクター、役者を頼まれたときに接触した職員らしき人物たちの顔も見えた。それから白い別室にうつされ、ベッドの上で医者や職員にかこまれ、彼女はバグや、彼女が演じた日々の丁寧な説明をうけた。しかし、バグのせいか、一部の記憶が消えているらしかった。
「あなたは現実に生きている」
医者に何度も目を見つめられ、そういわれて、彼女はとっさに、初めの説明を思い出した——サイバー空間は、その時代、想像だにしないような成長をとげていて、意識やコンピューターの階層は重層的なものになり、彼女がアプローチした世界は、その特殊な世界だった。その世界への接続者たちは、現実と思う世界さえ、コンピューターの中の世界だということを忘れてしまった、あるいは忘れたふりをしてしまっているのだ。
数年後……ときおり彼女はまるで現実と空想がまじりあってその境界がなくなるかのような妙な感覚に襲われることはあったが。その後の彼女の生活は、役者としての生活は順風満帆とはいえなかったが、訴訟により慰謝料をえて少しばかり生活に余裕はあったという。

狂気のエンターテイナー

狂気のエンターテイナー

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-08-25

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