欠けた月夜とジキルとハイド

一軒家、夜の部屋。窓辺から双子の少年が月をみて笑う。
白髪の赤目がいう
「あのゆりかごはもう使い物にはならないね」
部屋の隅には、二人用のゆりかご、オートクチュールで、ふたつがぴったりひっついた形をしていた。ところどころ、焼け落ちてしまっている。月の光にてらされて、記憶の中の出来事と合わせて奇妙な哀愁を誘う
「あのサボテンは、夜に咲くんだ、花がね」
黒髪の白髪がいう、二人は双子だった、そっくりな見た目をしていた。
「父さんは買ったのに、一度も世話をしない」
「でも、母さんはいつも見ていたね、花が咲かない、花がさかないと」
一人がゆりかごをもってきて、窓辺のテーブルでゆらした。そして二人は同時に涙を流した、まるで月から滴がこぼれおちたようだった、あの日、あの時、黙り込んでいた自分たちは、ゆりかごの中でゆれている赤ん坊だった。
「私はあなたになれない」
「私もあなたになれない」
二人の背後には、二人の馴染みのない白い部屋の中、食卓テーブルの奥、壁の上部には、彼等の母と父、そして彼等の写真がかざられていた。

記憶の中……彼等の傷心の理由はそこにある。ボロアパートの中、とある日、一年ほど前に、日々の暮らしにこまって、テーブルごしに双子を向かい合い、父と母はいった。その食卓テーブルにはめずらしくも、いつもカウンターにあるはずのサボテンがかざられていた、そしてその下には、ゆりかごがあった。風にゆれる玄関の、さびた蝶番の結合部の軋む音。
「これは、私たちが生き残るための作戦よ、あなたたちは正しい事をするの」
母親は赤目にいった。
「ユル、あなたは、弟を守るのよ」
父親は黒目にいった。
「お前たちはジキルとハイドだ、いつも読み聞かせていただろう、ナル、少しの間我慢をするんだよ、そうすれば、一家……一家は必ず生き残る」
不況のあおりをうけて、父の事業は大失敗をした、救ってくれる人は誰もいなかった、そんな恐怖は常にあったが、父は戦い抜いたのだ、誰が、双子のどちらがそれを責められよう。保険のためだ、全ては保険のため。
「あなた、誰が私たちを……天国へ、あるいは地獄へ連れて行くの」
「スラムの人間をやとった、あれもまたジキルとハイド」
父はいう、そして母も続けた。
「ひとつの物語がおわるのよ、私たちを信じて。純粋な心を、優しい心を失わないで、だから私たちは、それをあなたたちに託したのよ」
「次の日曜が勝負だ……」
二人は笑顔で笑った、だけど向かい合って黙り込んだ双子は、その奥底に潜む、暗い影に気づいていた。やっぱり玄関のドアの蝶番が揺れていた、風の通る暑い夏の日だった。
「僕らは子供ではなかった」
追憶の中、赤目は黒目の声をきいた。
「そうだね」
静かに答えた、次の映像は……燃え上がるアパート、放火による殺人事件、この街を残酷なニュースが駆け巡る、ある一家の住むアパートの炎上……双子を助けたのは祖父だった、祖父はサボテンもゆりかごもひろってきて、祖父に強くしかられた。双子は冷静だった、燃え盛るアパートの中、外に住人はいない、死んだのは両親だけだった。担架に乗せられる中で、見下ろしながら、アパートを見送った。
「母さんが」
「父さんが」
作戦は成功した、ジキルとハイドは、両親の魂を受け継いだ。両親もまたジキルとハイドだった。彼らはすべてをみていた、あれは自殺だ、だが綿密な保険金のための自殺だ。彼らは物置で、一番安全な場所で、燃え盛る火の中で、自分たちのために死んだ両親をみていた。
「あなたたちは、私たちにようにならないで」
「いいかい、このことは忘れるんだ、お前たちは何もみていないし、何もしていない、私たちは自分で死んだんだ」

この街で、あのアパートで、二人だけ助かった彼等を、新聞は奇跡としてもてはやした。だが、誰が気がついただろう、彼等はあの放火事件のすべてをしっていて、今も黙って毎夜月を見上げて、窓辺に置いた花瓶のサボテンの花が咲くのを待っている事を。

そして彼らは、月を見上げて、サッシに手をかけて、こう語る。
赤目が語る
「あれは父さんだ」
黒目が語る
「そうじゃなくあれは母さんだと思う」
二人の背後で何者かが語る。
「両方よ」
その肉界は悪魔の形をしていた、そして醜い匂いを放つ、それがジキルとハイドだと、誰も気がつかない、それは彼等にしか見えない記憶。彼らが喜ぶとき、彼らが苦しむとき、彼等が常に出会う、彼らの母であり、父だ。ジキルとハイドは語る。
「あなたたちは、黙り込んで生きる事を選んだ、それは幸福、だけど、私たちは、貴方たちの未来が決して明るくないと知って、貴方たちに未来を託した、それは不幸」
サボテンの花が咲いた、そこに母親の面影も、父親の無頓着も存在しなかった。

欠けた月夜とジキルとハイド

欠けた月夜とジキルとハイド

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-08-24

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