天神さん

天神さん

茸幻想小説です。PDF縦書きでお読みください。

 澤田工務店は小規模ではあるが、親爺の親爺、祖父の代から八十年、私で三代目のこの地域に根ざした小回りのきく店である。家庭のファシリティーの管理、取り替え、それに解体など一手に引き受けており、それなりに信用を得ている。
 祖父はまだ小さかった私に、古い家を解体していて、壁の中から猫の骨が出てきたことを何度か話してくれた。今で思うと、ポーの黒猫をもじった作り話だったのかとも思うが、もしかすると本当のことだったのかとも思う。明治時代に建てられた洋館の解体を頼まれ、一階の和室の床の間の壁の中から、大人の猫の骨と三匹の子猫の骨が出てきたそうである。それも、そこで子供を産んで、そのまま閉じ込められた様子だった。その家に住んでいた家族は離散し、行方が分からなくなり、放置されていた家だそうである。子供心に怖い、悲しい話だと思ったものである。
 今の建築では壁の中と言っても、隣の部屋の音がよく聞こえるような薄いものでは、中に入れるのはせいぜい、呪詛でも書いた紙ぐらいだろうが、昔の塗り壁は、かなり厚いものでもあり、贅沢な家では確かに人一人ぐらい、塗りこめることができる。
 古い家の解体となると、その家の歴史を一緒に消し去ることになり、始める前はそれ相応の、厄払いをするものである。
 祖父は私が中学を出る頃亡くなった。私は大学をでて、編集者になるつもりで、それなりの出版社に勤めたのであるが、程なく、親父が脳卒中で倒れ、命は取り留めたが、半身がだめになり、仕事が出来なくなった。悩んだ挙句親父の仕事を受け継ぐことにした。親父は体が不自由だったが、頭はしっかりとしており、いろいろと教わり、家に戻って五年後には私一人で店を動かすことができるようになった。さらに十年、親父が亡くなる頃には、それなりの人を使う店にまでなった。

 私はある不動産屋から、一軒の家の解体を頼まれた。私が五十を過ぎた頃である。
 その家は明治の終わりごろ、かなりの資産家が、お妾さんのために建てた家であった。その資産家は妾の家にもかなりの金をかけた。あまり大きくない家なのに、その頃、千円であったとも聞く。木造の平屋だが、半分洋館がついているような造りで、その洋館には暖炉やすばらしい本棚がしつらえてある書斎があり、洋式の寝室、それに食堂があった。
 どうもそのお妾さんという人もただ者ではなかったようだ。かなりの才女であり、変人でもあり、小説を書く人だったそうだ。その家の設計も、おそらく、妾の希望によるものであろう。
 書斎の本棚に並んでいた本は、その方の好事家には涎の出るようなものだったということだ。その本がどのようなものであったのか、実は知己の古本屋が聞いたという話では、日本はもちろん外国の珍美的な小説本や、外には出せない本、発禁本の類だったそうで、お妾さんによって集められた物だということである。発禁本と言うと、政治的な発現が含まれ禁止された本もあるわけであるが、そのお妾さんが集めた本は、そうではなく、いうなれば、好色本である。しかも、かなり文学性の高いものが集められていたようである。いろいろな国のものがあり、そのお妾さんはそれらの国の言葉の知識があったということになるのだろう。
 妾である女性の書くものもポルノグラフィーであったようである。現代では、女性であからさまに性のことを書く作家はいくらでもいるが、その当時はそのような女性がいても、名前は表に出さなかったものと考えられる。
 古本屋の主人の話では、ほとんどの本が三部、八部、十部と小部数で、その当時は相当のお金をかけて作ったものだろうということである。妾を囲っていた資産家が、自分のために書かせたようなものであったろう。
 さて、その家を取り壊すことになり、不動産屋を介して、資産家の子孫が私のところに依頼した来たのである。建坪はおよそ八十坪である。三十坪分が洋館で、残りは立派な日本屋敷で、いい木が使われている。洋館のほうは、あとから建て増ししたようであり、これも良い材料が使われていたが、かなり工期は急いだようで、ちょっと雑なところも見られる。しかし、それも金をかけたものであることは事実であった。
 洋館はその女性の書斎になっていたようである。それは十五坪ほどの書斎、十坪の食堂と五坪の寝室からなっていた。書斎は一方は庭に面しており、外に出られるガラス戸になっていて、一面は高価な木で作られた作り付けの書架になっている。脇に暖炉があり、書架の反対側に書斎机と椅子、その隣に本箱が一台ある。書斎机と本箱の間には壁に嵌め込まれた楕円形の鏡があった。人の顔がはいる程度の小さな鏡だが、厚い茸の浮き彫りのある木枠は貴重なものである。
 家の中にはほとんど物が置いていなかったが、その洋館には暖炉に付随した火をたく道具だとか、ちょっと壊れたソファーがあった。本棚に本は全くなく、その知り合いの話では、とある神田のある古本屋がすべて高値で買い取ったそうだ。さらに本はすべて一括して、ある本愛好家の手に渡っているようである。
 日本家屋のほうには、昔ながらの料理の道具や、箪笥があり、それらの処理も任された。その家具はかなりの高値になり、わが社としては非常にありがたい副産物であったのである。
 
 そこに住んでいた才女は本当の名前かどうかわからないが、泉美と呼ばれていたということだ。ペンネームは男の名前で妖美(ようみ)葉夢(はむ)という。その名前で何冊もの限定本をだしていた。泉美はそこに十年ほど暮らしていたようだが、謎の失踪をとげている。事件性はなかったようで、大きな報道はなされていない。
 建物の持ち主は篠川貴という実業家で、泉美が住まなくなって、長い間その建物を使わずにそのままにしておいたようであるが、篠川貴が亡くなった後、その息子が、戦後復興期にその建物を不動産屋に委託して貸しにだしている。その時の条件が書斎の本をそのままにしておくことであったいうことである。それは、篠川貴の遺言書にそうあったからである。
 その屋敷は瀟洒なこともあり、借り手はすぐみつかった。それなりに名の知れた探偵小説家だったとのことである。その作家は引っ越してから、書斎の本棚に自分の持っている本を入れるため、泉美の集めた本を廊下にならべた本棚に移した。ところが、その作家は次第にからだが衰え、おかしなことを叫びだすようになり、入院生活をしばらくしていたが亡くなった。何でも、夜遅くまで執筆をするために、薬を服用していたとのことである。その頃は珍しい、覚醒剤を吸っていたらしい。その家に住むようになって五年後のことである。
 小説家一家が引き払うと、泉美の集めた本は、また、書斎の書架に戻った。次に住んだのは、とある会社の部長一家だった。関西から本社に転勤になり、その家を選んだ。妻がお花の先生をしていることから、日本家屋を住居と妻の仕事場にし、洋館は息子と娘に使わせた。寝室と食堂は大学生の娘の部屋として、広い書斎はベッドを入れて高校生の息子の部屋にした。不動産屋は書斎の本は移動させないようにと念をおしたが、高校生の息子が、その本を持ち出し、古本屋に持ち込んだ。幸い古本屋の主人が目利きで、高校生が持つような本ではないことから、親に連絡して、結局本は書斎の本棚に戻った。アメリカで出版されたポーの大鴉の貴重本であったからだ。それからも、何回かその息子は本を古本屋に持ち込んで金にしようとしたが、そのたびに見つかって、失敗している。
 息子は大学受験の勉強をしていることになっていたが、親の部屋と離れていることをいいことに、夜遅くまで、ヘッドホンをかぶって、音楽を聴いていたり、酒を飲んで煙草を吸って、好きなことをしていた。ある日、夜中に借りてきたDVDを見ていると、部屋がもやってきて、息子は朦朧となって大声を上げた。その時は姉が弟をしかりつけ、父親も駆けつけて、息子をベッドに縛り付けた。
 そのようなことが何回か続き、息子は高校に行かなくなった。父親と母親は息子を毎日のように説教したといわれる。ともかく両親は一流大学に入れたかったのである。
 書斎には夜になると茶色っぽい粉が舞うようになっていた。ある夜中、息子は家を抜け出すと、コンビニエントストアーに行って、雑誌を万引きした。それが見つかって、親が呼ばれた。はじめてのことでもあり、親は金を払って、何とか許してもらい、息子を連れ帰った。家に戻ると、父親は息子を殴り、母親も散々悪口をいって嘆いた。
 次の夜、息子は包丁で両親を刺し殺した。血の着いた包丁を持ったまま夜道を彷徨っていた。その息子を見回りに出ていた警察官が保護し、その惨事がわかったということである。娘は寝ていて全く気がつかなかったらしい。弟の部屋である書斎から、いつも埃臭い匂いが漂ってきていたと娘は言っていた。息子の血液からは覚醒作用のある物質が検出された。今で言う、マジックマッシュルームに似た物質だったそうである。
 それ以来、その館を貸すのをやめ、そのままになっていたということである。この話は、取り壊しを頼まれた後に、その館を管理していた飯田不動産屋の主人の父親に聞いた話である。不動産屋が私どもの会社に依頼に来た時に、その父親が取り壊す前に話しておきたいことがあるといっていたというので、もう九十近くなる不動産屋の前の主人のところに行ったわけである。そこで今述べてきた話が出たのである。その老人、飯田東良は最後に、
 「もう、何もないとは思うが、お祓いなどをしてから壊しなさいよ」
 と言った。
 その後、その館の本を買った神田の古本屋の主人と話をすることができた。その前にやはり飯田東良から同じことを言われたそうだ。本の神社というものは知られていないが、学問の神様、菅原道真を祀った天神さんの神主に頼むことにしたそうである。北野天満宮の宮司を呼ぶのは無理なので、近くの湯島天神に聞いたら、やってくれたと言っていた。私はそういうことを信じないほうだが、壊す作業員が怪我をしないように、私の住まいの近くの神社に行って、お払いをしてもらった。
 
 館の中の道具や、装飾品を処分するのに一月かかり、その後、最初に日本家屋の部分から外し始めた。外し始めたというのは、そこに使われていた木材の質があまりにも良いものだったので、使いたいという業者に売ったのである。もちろん持ち主や不動産業者は私のところで一切自由にしてよいという条件であったため、すべて内の儲けになった。解体は一週間で終り、洋館の部分になった。そこでも、棚板、床板、窓枠などとても高価なものであり、飾りつけも使えるものがあったため、一つ一つ取り外した。大きな作り付けの本棚の木は樫の木であったが、長い間寝かした分厚いもので、それだけの木を今探すとなると大変である。
 うちの大工が、本棚の中の板を取り外そうと始めたときである。急に部屋の中がもやってくると、働いていた二人とも急に息苦しくなり、その場に倒れ、救急車で病院に運ばれた。二人とも急性肺炎であった。その原因というのが、もちろん肺炎球菌の仲間によって起されたのだが、その前に、茸の胞子が肺に入り込んで、免疫性を弱くしたためにおきたということであった。急遽、知り合いの会社に応援を頼んで二人きてもらったのであるが、今度は、中の一人が棚板を外す時に用いた木槌を自分の手の指に振り下ろしてしまい、骨折を起こし、もう一人は、すべって床の上に転がり頭の打ち所が悪く、病院に入った。
 私も現場を見たのだが、みなベテランの鳶のものがなぜそのようなことをしたか理由がわからなかった。
 次の日のことである。書斎を覗いてみたら、棚板に茶色の茸が生ており、部屋の中に胞子を撒き散らしている。埃のように見える。最初の二人が吸い込んで肺炎をおこしたものである。私がマスクをして茸を除去したのであるが、次の日になると、また茸が生えていた。しかたがないので、一週間ほどそのままにしておいたところ、棚板どころか、床の上までびっしり茸が生えた。
 清掃会社に委託することにして、茸の除去と消毒を行なった。それでも茸はすぐに生えてきてしまった。
 その洋館の入口にみなで集まって、どうしたらよいか考えていると、不動産屋の九十になる元主人、飯田東良が一人の身なりの良い紳士を連れて、車で乗り付けてきた。
 「実は澤田さん、お願いがあって来たのだが、家の解体をちょっと止めてくれないかね」
 不動産屋の元主人はそう言った。
 私はもちろん承諾した。今おかしなことが起きていることは確かで、期日までに解体できるかちょっと危ぶんでいたこともあり、こちらのほうが助かったのである。
 「それはかまいませんが、持ち主も了承されているのでしょうね」
 「もちろんですよ、それに、この方を紹介したいが」
 紳士を見た。もう七十にはなるだろう、ふっさりとたくさんある白髪をボブカットにしているところなどは、よほどのしゃれものだということがわかる。
 「澁田神泉さんです、例の本を買われた方」
 「こちらは澤田さん、工務店をなさっているのだが、文学部を出て一時出版社にいたのですよ、二十年前より店を継がれてね、渋田さんの話はわかってくれますよ」
  と私を紹介した。
 「よろしくお願いします」
 その紳士は私に向かって丁寧におじぎをして、ゆっくりと話し始めた。。
 「神田の古本屋から、ここから出た本を買いました。本を昔から集めていましたが、こんなに貴重な本を安く買えたのは驚きでした。それまで妖美葉夢の本は一冊だけ持っていました。耽美的な文章に凝った本で、確かに昔は好色本といわれたかもしれませんが、今読むとかなり高貴な文です。私の本棚の一番いいところに置いてあった本を他に移して、そのコレクションを置いたのです。ところが、その棚に茸が生え始め、本が胞子でまみれてしまうようになりました。ともかく何度か胞子を拭き、茸を取り払い、きれいにして、棚に戻したのですが、すぐ元に戻ります。
 それで古本屋に問い合わせてみると、何かいわれがあるようで、天神様にお払いをしてもらったということでした。どのような家から出たものか聞くと、なんと、妖美葉夢の家だったというじゃありませんか。妖美葉夢は茸が好きだったとみえて、表紙の絵はみな茸をあしらったものでした。アールヌーボー調の好きなものです。それで、依頼主の人に連絡したのですが、すべて飯田東良さんの不動産屋にまかせてあるということで、連絡を取ったわけです、すると、葉夢の家の解体がうまくいかず、なぜか遅れているということもお聞ききして、ここに来た次第です」
 私は色々な因縁が渦巻いていることに改めて驚きました。
 「実は、解体に携わった職人が怪我をするし、家の本棚に茸が生えてしまって、なかなか除去できず、困っていたところです」
 それを聞いて、神泉はやはりという顔をした。
 「棚に本を戻さないと、茸は治まらないと思います、葉夢は茸をイメージとして好んでいたようで、彼女の書いた小説の中に、何度となく不思議な茸の話が出てきます」
 この館から本を動かすなと言う遺言は何を意味するのだろうか。それを今壊そうとしているのだから何か起きても不思議がないのかもしれない。
 「それで、一度、本を棚にお返ししたいのです。このままでは本がだめになるかもしれませんし、一度戻して、それから良い解決策があればと思っているのです」
 「澤田さん、解体は急がないので、どうですかな」
  飯田東良の言うことに私は頷いた。
 「それでは明日、本を運びます」
 「はい、棚をきれいにしておきます」
 私がそう言うと、神泉は丁寧にお辞儀をして、戻って行った。
 その日、わが社の手の空いている者は総出で、書斎を掃除をした。次の朝もまた茸が生えはじめていたので、改めて拭いた。その後、本が届いた。
 革装の本も多く、本棚に並べると壮観である。
 本が戻ったその日から、書斎に茸が生えることはかった。
 しかし、日本の家屋と繋がっていたところは、仮の入口をしつらえ、青いシートを被せただけで、雨が降らないことを祈った。
 この洋館のを永久に保存するわけにはいかず、どうしたらよいかと思い悩んだ。
 私は飯田東洋に電話をした。洋館の書斎の部分を、本を買った渋田神泉氏の屋敷に移築できないか相談した。しかし、渋田氏は高輪のマンション暮らしだから無理だろうということであった。
 知り合いの古本屋の主人にそのことを相談した。
 「茸の神社か、天神さんに祈祷してもらいなよ」
 などと、無責任な答しか返ってこなかった。
  茸の神社を調べてみると、滋賀県諏訪湖の脇に菌神社があるが、謂われなどを読んでみると今回の件とはちょっと違うようである。今回は本に憑いたものを払ってもらう必要がある。愛書家の本に対する執着は相当なものと聞く。私も小説には興味があるが、本そのものに強い執着はない。書痴には好きな本なら枕に頭をならべて寝たいくらいのことを思っているらしい。
 それで、近くに天神さんがないか探した。恵比寿天神という、それなりに古い神社が歩いて二十分ほどのところにあることが分かった。そこに連絡をしてみると、珍しいことに女性の神主であった。戦前、神官は男の職業であったが、今は少ないながら女性の神主もいるということである。しかも神主は大学の教授だった。おうおうにして神主さんは地元の小学校や中学校の先生をしているものである。
 恵比寿天神の神主は八雲まゆといって、勤務校は私の出身大学だった。八雲の住まいは神社の近くではなく、新宿の大学の近くのマンションだった。電話で話した限りでは父親も大学の教授で神官を勤めていたそうで、あとを継いだということであった。
 電話で概略は話したのだが、まず会って詳細を話すことにした。
 私は、八雲まゆに会いに大学を訪ねた。卒業してもう三十年近くになる。我家から遠くないにもかかわらず、なかなか訪れる機会がなかった。来てみれば懐かしい。キャンパスには昔なかった建物もいくつか建っており様変わりしていた。研究室を訪ねると、八雲は細身のからだを地味な紺色のスーツに身を包み、卵形の顔に笑窪をよせて迎えてくれた。
 「お邪魔します、ご相談に乗っていただいてありがとうございます」
 私が挨拶をすると、椅子をすすめられた。
 「はじめまして、八雲です、電話でお聞きしたご用件ですが、詳しく教えてください、私でできるかどうかわかりませんが」
 とても好感がもてる。
 私はいきさつを詳しく話し、現場の写真を見せた。
 「興味のある話です、私は日本文学と日本史、それに宗教学をミックスしたような領域の研究をしています。神官でもありますので、そのような奇妙な出来事はいつも気にしております。神官は神を感じなければいけないのですから」
 確かにその通りである。
 「私も、この大学の文学部を出たのですが、卒業研究はフランス文学で」
 「そうですか、それじゃ、久保田先生ですね」
 「ええ、だいぶ前にお亡くなりになりました」
 「そうですね、篠田さんはフランス文学を卒業されて、すぐに今のお仕事をはじめられたのですか」
 「いえ、出版社にいたのですけどね、おやじが他界したもので、家を継いで二十年以上になります」
 「何をしたらいいのか、今はわかりませんが、少し調べさせてください、文献など当たってみます、それと、実際の場所にいってみたい」
 「はい、いつでもどうぞ」
 「今度の土曜日にうかがいます」
 ということで、細かな打ち合わせをした。
 
 当日、八雲まゆは赤い車で現場まで乗り付けてきた。白い神主装束である。髪を後ろで束ねているので白い卵型の顔がまさに雛人形の首のようである。大学の研究室であった時とは全く印象が違う。
 「八雲先生、お忙しいところありがとうございます」
 「いえ、私も大変興味のあることです」
 と車から降りてきた。真っ赤なハイヒールが神主装束と不思議な雰囲気をかもし出している。
 「まず、見せてください」
 私は八雲教授を書斎に案内した。
 八雲まゆは、書斎に入るなり、薄い唇をむっといった感じで引き締め、
 「これは、結界が出来ている」
 と眉をひそめた。私はおやっと思った。結界ということばは仏法の世界ではないだろうか。私の懸念を察したようで、八雲は私に「神道でも結界は仏教と同じように使います、ここは何者かが自分の領域を作りだして、他を入れないようにしています、この部屋だけですから、棚の本を守るためでしょう、本の背があまり焼けていない、普通はこんなことはありません,私どもの住むところの空気が入っていないのです」
 確かに、もう何十年もここに置いてあったのに、皮装本の背表紙に日焼けが見られないし、押されている金箔文字も剥げていない。布装丁の本の活字もきれいなままである。赤い活字も色落ちしていない。赤は光で色落ちしやすい。
 「どうしたらよいのでしょうか」
 「何が結界を作って入るのか調べ、それが何かわかれば、取り除くことができないわけではありません、ただ、私はそのようなことを今までしたことはありません、私のもっている古文書を一応は見てまいりましたので、それにのっとってやってみますが、今日はちょっと試して見ます、果たしてうまくいくものかわかりません」
 八雲はいったん車に戻ると、木笏(もくしゃく)、烏帽子と浅沓(あさぐつ)をもってきた。浅沓に変えると、私より背が高くなる。
 「私なりにやってみます」
 彼女は笏をもち、書架に向かって腰を二度折り曲げてお辞儀をすると、低い声で唱え始めた。私と話をして居る時と全く異なり、祈りの声は腹にズーンと押してくる低音で、気味が悪いほどである。言っていることは私にはわからない。
 五分ほどしか経っていないが、いきなり頭をあげ、彼女は眉間にしわをよせ、額に汗をたらした顔を私のほうに向けた。
 「違いました、全く違いました、方角も」
 そういうと、書架と反対側の壁のほうを向いた。書斎机があったところである。机と椅子、それに本箱はすでに売ってしまったので、壁の作り付けの鏡が目立つ。
 彼女はそちらのほうに向かって、始めからやり直した。低い声で、しかし大きな声でうなる。今度は長い、十分経っても終わらない。顔から汗が噴出している。
 やっと顔を上げたときには二十分も経っただろうか、私のほうも立っているだけで疲れた。
 「すみません、神道ではこの結界を和らげることは出来ません、キリスト教でも仏教でもありません、その葉夢という方、その者が神の位置にいらっしゃいます、自分で結界を作っておられるのです、私の道からお願いをしましたが、聞いてくださいません、その方に直接話しかけが必要です、どこに葬られていらっしゃるのでしょうか」
 そういえば、妖美葉夢が行くえ知れずになっていることは話していない。そのことを言うと、八雲は「遠くではないようなのですが」と考え込んでしまった。
 彼女は書斎から出ると、隣の寝室に行った。私もついていくと、彼女は寝室の書斎側にある作り付けの洋服ダンスの扉を開け中を見た。
 「ずいぶん、浅いですね」
 壊す家なのでよく見なかったが、いわれてみると確かにそうである。普通もっとゆったりと作るものであろう。
 「この中が結界の境になっています、どうしてでしょうね」
 そういいながら彼女はまた書斎に戻った。
 壁に近づくと、彼女の結わえた髪の毛が逆立った。まるで感電したようにである。真っ青になった彼女はその場に倒れた。
  私はあわてて、そばに行き、彼女を揺り動かした。彼女は荒い息をはじめ、目を開けたので、携帯で救急車を呼ぼうとすると、「大丈夫です、判ってきました」と、ゆっくりと身を起こした。顔つきがどこか変っている。
 ほっとした私は、「水でも持ってきましょうか」と聞くと彼女が頷いたので、車から水筒をもってきた。
 水を一杯飲んだ八雲が立ち上がると、
 「すみませんでした、澤田さん、あの鏡取り外せますか」と聞いた。
 「出来ますよ、取り外して、売り物にするつもりでした、今外しましょうか」
 そう尋ねると、彼女は頷いた。
 「何が起こるかわかりませんが、お願いします、私は取り外している間、祈っております」
 道具を持ってくると、鏡を取り外すべく周りの壁に刃金を打ち込んだ。てこを鏡の後ろにいれぐいと引くと鏡が浮き、外れる状態になった。鏡を引っ張ると、鏡の後ろは壁だと思っていたので、現れてきたものを見て、思わず「ぎゃ」と叫んでしまった。
 俯いて祈りをささげていた彼女の目も鏡の後ろに釘付けになった。
 鏡の後ろは穴になっていた。その穴から皮膚が張り付いた頭骨がこちらを向いていた。口の中から干からびた茸が数本垂れている。
 私は手に持っていた取り外した鏡を見た。マジックミラーだった。壁の中から部屋の中が覗けたである。
 「葉夢さん、泉美さんでしょう、壁の中から自分の集めた本を眺めていたのです、寝室にもう一度行ってください」
 八雲は私を伴って、寝室に行った。洋服タンスをあけ奥を手で押すと「やはり」と言って開いたところを見た。そこは細長い一畳ほどの部屋になっており、骨となった葉夢が椅子に腰掛けて鏡のあったところから書斎の書架を見つめていた。
 「本がお好きだったのです、寝る前に、集めた本をここから眺めて、きっと幸せにしたっていたのでしょう、もしかすると、小説の案を考えたりしていたのかもしれません、ほらごらんください、穴から自分の作った、集めた本が一望できるのです。その日、見ている時に、何か起きたのです、心臓の発作であったり、脳溢血であったり、何かは分かりませんが、でもご本人は本を見ながら幸福だったに違いありません」
 「この館の持ち主のご子孫に連絡して、どこぞに葬ってもらいましょうか」
 「ええ、それがいいと思います。それに、この本をお買いなった方に、この書架も一緒に持っていってもらえないかお聞きになったほうが良いでしょう」
 「なぜ、茸だったのでしょう」
 「妖美葉夢の事をちょっと調べたのですが、なかなか載っていませんでした。「古今妖婦録という本を見つけ、その中に葉夢のことが述べてあったのですが、作品の中に必ず茸が出てきたと書いてありました」
 あの収集家の澁田氏が言っていたことと同じである。
 その後、資産家の子孫が妖美葉夢の墓をつくった。それも、恵比寿天神の墓地である。八雲まゆが引き受けてくれたのである。葉夢の本は書架ごと、澁田神泉が引き取った。作り付けの書架だったのでその木を使って立派な本棚をこしらえ、そこに葉夢の集めた本をいれたのである。
 その洋館も無事解体が済んだ。
 八雲まゆとはその後付き合いができた。彼女は今、小説を書き始めている。幻想的な歴史小説のようである。それに、なぜか本を集めるようになって、茸の本の収集にせいをだしているようである。
 彼女が「葉夢は私が引き受けました」と言っていたのが耳に残っている。ふと、あの祈祷のとき、倒れた彼女に葉夢が乗り移ったのではと、私らしからぬ思いに駆られた。

天神さん

天神さん

古い家の解体作業を依頼された。その書斎には集められた本が残っていた。本を売り払った後の本棚の棚板から茶色の茸が生えてきた。

  • 小説
  • 短編
  • ミステリー
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-08-24

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