変わらない日付。

 かび臭い匂い、これは私の汗だ——呼吸を整える、そんな言い訳で、座り込んでしまった。そのダンサーには未来が近づいていた。ダンサーには絶望が近づいていた。ダンサーは踊る事しかできないのに、踊る事が出来なかった。未来を閉ざしたのは自分だ、未来を開いたのは自分だ、矛盾する想いに爪をたてた、羅針盤は揺れなかった、針は文字で書いたから、踊り方は絵で描いたから。歌いたかったのは何だ、踊りたかったのは何だ、思い出せないから、夢を見るふりをして、30秒だけ異世界へ飛んだ。

「いつまで起きてるの」
「もう少し」
キッチンから優しい母の声、階段を降りるのがめんどくさいのは、冬のせいにしても、夏でも同じ、昨日の練習がつかれたと叫んだ。今ではもう遠い記憶。体をおこし、学校にいけば友がいて、自分にとって満足な、ありふれた日常の記憶。汗をかいていたのは、悪夢を見たから、毎日が辛かったからじゃない。そのころの大切さなんて、今じゃないとわからない。だけどあの時、そのころでさえ、今と同じように苦しんでいたはずなのだ、苦しんで結果がでるか、でないかは分からない。

 瞳を開けた。さっきと別の匂いがしている、ここは一階なのに、下の階から母親のスリッパの音が響いてきそうだ。さっきはかび臭かった練習用の部屋は、食パンの焦げた匂いでメルヘンチックな香りになった。深呼吸をする、肺にたまった息は、溜息から自分をけなしたような笑いに変わった。いつのまにか眠りかけ、膝を抱えた掌で、自分の腕に爪を立てた。

 目を覚ますと、息が詰まる現実。ガラス張りの部屋、まがりなりにもダンスルームのある一軒家、防音装置や、丈夫な床、これがあればいい、何不自由ない生活だ。努力に結果がついてくるなんて、結果が評価されるなんて、普通はあり得ない事なんだ。私にはそれがある。その部屋と時間さえあれば、時間を奪い取る闘争心さえあれば、違うものは違うという勇気があれば、自分の時間と空間を護れる、あの時の生意気な自分を護れる、思い出したいことがある。思い出せない事がある。思い出せそうで、思い出したらすべてに飽きてしまうような、生意気な学生時代の記憶がある。大会が近くて、眠れなくて、その時だけ本気をだして、それが嫌で、いつか、いつかと思ったら、いつのまにか、休み方を忘れてしまった、だから10分だけ眠る。そうじゃないときっと、日付が変わりそうもないから。もう一度、フローリングに響く、ダンス靴の音を聞かせて。

変わらない日付。

変わらない日付。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-08-20

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