ことば

ことば

茸SF小説です。PDF縦書きでお読みください。

 「あのおじいちゃん、湯船につかると、必ずどこかのことばでなにか言ってから、上がるのよ。」
 「どこの人」
 「なんでも、施設長がオーナーに頼まれたっていうの」
 「社長の知り合いか、それじゃかなり、お金をつんでるのね」
 「きっとね、もっともよい待遇で接しなさいと言われている」
 「貴賓さんね」
 「そう」
 その老人施設は、ほかの施設と比べるとかなり整っており、それぞれの個室はホテル並である。しかし、決してバカ高くはない。その中でも特別室というのがある。二階の1号と8号室と三階の11号と18号室の四室である。その中で角部屋の8号と18号室は南向きで山並みが見える部屋で貴賓室と呼ばれ、調度品がほかの部屋とちょっと違い、ほとんどが無垢の木でできている。入っている人は貴賓さんと呼ばれている。その二つの部屋は社長の一存で入室者が決まる、かなり費用のかかるとこである。特別室には部屋に食事が運ばれるのだが、8号室の老人は食堂でみなと一緒に食事をすることを希望している。
 老人の名は加藤一雄、色が白く背が高く、外人のように掘りの深い顔立ちで、ちょっと目立つ。年は九十九だと言うが、杖もつかわず、すべて一人でできる。ただ、風呂にはいるときは、何かあるといけないので、看護師が見守っている。
 「絵美ちゃんがね、昨日は加藤さん湯船の中でフランス語で一から百まで数えていたって」
 桜葉絵美は週一回通いでくる看護師である。とある大学の文学部フランス語科をでてから看護大学に入り直しているので、フランス語は自由である。週三日医大付属の病院に勤めているが、一日だけこのケアハウスを手伝っている。
 「フランス人かしら」
 「あの人日本語たどたどしいものね、だけど、加藤さんという名字よ」
 「帰化したのじゃない」
 「そうかもしれないわね、あんなに背が高いし」
 「でも、今日はフランス語という感じじゃなかったわね、どこかの言葉だった」
 「いろいろなことばが話せるのでしょう、なにやっていたのでしょうね、きっと外交官や、商社マンで活躍したのでしょう」
 「きっとそうよ」
 加藤さんが、風呂から上がってきた。背もまがっておらず、筋肉もおちていないし、とても九十九には見えない。
 加藤一雄は部屋にもどると、パソコンを開いた、
 インターネットで、アフリカのイボ人の住む町を開いた。彼は、その映像のイボ人が話す言葉に耳を傾け、自分でも口に出して復唱している。
 こんなことをしているとは誰も知らないだろう。
 加藤さんは日本の言葉の難しさを痛感していた。だからわざわざ、現地に乗り込み、このような生活をしているのである。彼は日本の中をよく旅行している。北海道や沖縄にもよく行く。アイヌや、沖縄の言葉、それぞれのところの方言を学ぼうとしている。中国やアフリカには千を越える言葉がある。それでもさほど苦労はせず覚えることができた。だが日本のことばは難しい。難しい言葉の国には詩人が育つという。情緒の豊かな人が多いといわれるが、今の日本はどうだろう。
 この老人用のケアハウスは、地元の土建業を営む男が福祉に興味を持ち、今のように政府が福祉政策をうちだす前に造ったものである。かなりよい施設で、テレビでも紹介されたことがあり、なかなか入るのに時間がかかる。ふつうは二年か三年は待たなければならないだろう。
 その社長の二見忠夫が加藤一雄と知り合ったのは一年半ほど前である。二見が行きつけのそば屋でいつもの蕎麦を食べているときだった。隣のテーブルで、ちょっとぎごちなく蕎麦を食べている加藤さんを見て、どこの国からおいでになったのかと尋ねたのである。加藤さんは日本人だが生まれはフランス、世界を転々としてきたので、日本語があまりうまくない。ということを言った。加藤さんは二見に住みやすい家を探していることも言ったのである。その時、年を聞いて驚いた。九十八だという。とてもそう見えない。まだ六十代かと思ったそうである。
 と、そのとき、加藤さんの方から、いきなり、お宅に今日空いたところがあると思うが、入れないだろうかと、言った。確かに、昨日、入っていた人が亡くなり、一部屋空いた。貴賓室である。だが、どうして知っているのだろう。外には誰にも言っていないはずである。
 加藤さんは身分証明書のようなものをだし、年収がいくらあるということをいった。
 二見にとって、貴賓室に入れたい人はその時いなかった。しかし、しばらくとっておきたいと思っていたので、首を横に振ろうと思ったとき、加藤さんは、
 「二年でいいのです、そのあとは、外国に行きます」
 という。百歳までということだ。
 それで、一度、事務所の方にきてもらうことにした。収入を示すものなどを持って加藤さんは現れ、不思議なことに必要とする書類はすべて整えてもっていた。
 「お仕事はなにをされていたのです、ずいぶんご資産をお持ちですが」
 「父方がベルギー人で、地主でした。母は京都の生まれです。どちらもとうになくなっています。父の資産のほとんどはスイスの銀行に預けてあります」
 その書類も持っていた。彼はベルギーの大きなアンティーク屋のオーナーになっており、経営は自分の子供たちが行い、彼は旅行をして楽しむ身分ということである。それならば、それこそケアーハウスではなく、いいホテルでいいのにと思うのだが、加藤さんは、このケアハウスがいいという。
 人柄は信用できるし、病気もないということ、それに二年ということなので二見は引き受けることにしたのである。慎重な二見にとって珍しいことである。
 彼は大きな皮のトランクを一つと、リュックを一つもって、やってきた。
 ヘルパーさんがトランクを運ぶのを手伝って、二階の8号室にもっていくと、加藤さんは、皮のトランクを開けて、中のものを部屋の中に並べだした。
 取り出しものは、ガラスや陶器、木でできている茸だった。
 加藤さんはヘルパーさんに「これ皆日本を旅行して買ったものです」と説明した。
 茸が好きなのですねと、ヘルパーさんが尋ねると、彼はうなずいて、「はい、この形はもっとも親近感のあるものです。世界中のものを集めています」と笑顔になった。
 ヘルパーさんは集めたものをどこにおいてあるのか聞こうと思ったが、あまり個人的なことを聞いてはいけないことになっており、止めてしまった。しかし、加藤さんは「フランスにあります」と言った。
 何にもない部屋が、茸だらけになった。
 そうして一年半がたち、彼はこのケアハウス、二見園で最も理想的な入所者として過ごしている。たまに都内にでたり、旅行をしたりしているが、多くはこのケアハウスで仕事らしきことをしている。部屋の中の茸も増えたが、テレビやステレオがおかれ、テーブルの上には茸に囲まれてパソコンがあった。それに、細かな細工をするペンチや小さなハンダコテ、様々な小さな電子の部品が箱に入れられている。それを使って何かを作ったり、パソコンに向かって何かを打ち込んだりしている。
 「加藤さん、お風呂の時間ですよ」
 看護師の絵美さんが8号室に声をかけた。
 「はい、今行きます」
 加藤さんはすぐに顔をだした。青いジャージを着て背筋をピントたてて、ともかくすごい。と絵美さんは思う。
 「絵美さん、日本語はどうしてこう難しいのでしょう」
 「そうですか、でも、加藤さんお上手ですよ」
 「いち、にい、さん、し、ごう、ろく、しち、はち、きゅう、じゅう、これは日本の数字の読みですね」
 「そうですよ」
 「でも、じゅうからおりていくと、じゅう、きゅう、はち、なな、ろく、ごう、よん、さん、にい、いち、になりますね」
 絵美さんはなんだろうという顔をしている。
 「四と七は読み方がかわりますね」
 「あら、ほんと、気にしたことがないわ」
 「どうして、そうなるのでしょう」
 「さあ、きっと、言い易さでしょうね」
 「そうか、でも、四がよん、七がなな、誰が決めたのでしょうね」
 「加藤さん難しいこと考えるのですね」
 「日本の数字を覚えなければなりません」
 「どうして」
 「私の使命です」
 「ひい、ふう、みい、よ、いつ、む、なな、や、ここのつ、とお、と数えます」
 彼はまた分からない事を聞いた。
 「つをつけることありますね、ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、ななつ、やっつ、ここのつ、とお」
 「違う数え方です」
 「ひとつがひい、ふたつがふう、みっつがみい、不思議です」
 「そういえばそうね」
 そんな話をしながら、風呂場についた。加藤さんは裸になると、体をきちんと洗って、いつもの丸い湯船につかった。
 看護師さんやヘルパーさんは、補助の必要があるときは風呂場の中まで付き添うが、加藤さんの場合には、脱衣室で待っている。
 絵美さんが待っていると、加藤さんの声が聞こえる。湯船の中で、どこの国のものかわからない言葉が聞こえる。いつものことである。フランス語ができることはよく知っている。そのとき、加藤さんは流ちょうなフランス語で百まで数えて、あがってきた。そうか、いつも百まで数えて暖まって出てくるのだ。
 絵美さんはやっとわかった。加藤さんはたくさんの国に行って、たくさんの国の数字を言うことができるのだ。
 加藤さんが出てきたので「ずいぶんたくさんの国の数字を話せるのですね」と聞いた。
 「いや、一つの国にいくつもの言葉があるでしょう、世界には八千もの言葉があるようですね、大変です」
 そんなに言葉があるのだ。
 「それで、さっきの続きですが、ひいふうみいよお、いつむうななや、ここのつとお、の次はじゅういちじゅうにじゅうさじゅうしとなりますね、なぜ、とおひとつ、とおふたつ、とおみっつにならないのでしょうね」
 「たしかに、だけど、言いにくいですね、せっかちの人には無理ですね」
 「フランス語の数字は面倒ですよ、絵美さんは知ってるでしょう」」
 加藤さんはそう言って、絵美さんをみた。絵美さんは加藤さんがなぜ自分がフランス語をやっていたことを知っているのか不思議に思った。
 「フランス語の数字は足し算のようで難しいですね」
 「でも、日本の数字を言うのはもっと難しいかな、私には」
 こうして彼は8号室に戻った。
 絵美さんは職員待機室にいくと、ヘルパーさん一人と、看護師さんが一人、お茶を飲んでいた。看護師の役割は本来の健康管理と、人により入浴などの手伝いであるが、ヘルパーさんは部屋の中の用事や、買い物、食堂への案内を担当している。給食はキッチン担当の人がいる。ヘルパーさんはもう六十になろうとしているおじいさんだ。昔ガードマンだったそうで、いざというときには頼りになる人だ。かなり力には自信があり、何かあると彼に頼む。
 「絵美ちゃん、加藤さんの入浴当番だったの」
 「ええ」
 「あの人学があるねえ、部屋がとってもきれいで、ゴミ一つ落ちていない、電子部品を買ってきて何かを作っているようだよ、細かいことが好きなようだね」
 絵美さんも彼の部屋に入ったことがあるが、確かに、一般に売っていないようなテレビとステレオをもっている。
 「よく自分で掃除しているよ」
 「まめな人ですよね、お風呂も、必ず百数えて出てきます」
 「そう、ぼくがいくと、そのテレビやステレオの位置を変えてくれと言うことがあってね、偉く重い装置だけど移動してあげるんだ、ただ、茸の置物がたくさんあって、それをどけてからじゃないとできないんだよ」
 「大変ね」
 「いや、大変じゃないけどね、それが、夏は北の壁際、冬は窓際なんですよ」
 「テレビは何をみているのかな」
 「わからないけど、不思議なテレビで、細かいチャンネルがたくさんあるんだ、ずいぶん大きなリモコンを使っていたな、見ていたのは時代劇だった」
 「日本的なものが好きなのね」
 「ベッドメーキングなどで貴賓さんの部屋に行ったことが何度かあるけど、いつもヘッドホンをかぶっていて、音を出していなかったな」
 「耳が遠い訳じゃないけどね」
 もう一人の看護師さんの峰山さんが補足した。
 「何かぶつぶつ言っていたわ」
 「語学の練習かしら」
 いずれにしろ、看護師さんたちは加藤さんがとてもよい入所者として認識しているのは確かである。
 「たまに、旅行に行くけどどこにいくの」
 ヘルパーの石田さんは行き先を知らないらしいが、看護師たちは知っている。行き先を必ず把握しているのも役目だからだ。入所者により違いがあるが、契約により旅行の途中で体がおかしくなったときには看護師さんがそこに駆けつけることになっている。そのための費用を払ってもらっている。加藤さんは、実はその契約をしていないのだが、行くときには必ず行き先を書いていく。
 「彼は、北海道に行ったり、九州に行ったり、茸の置物を集めて、温泉に入って、美味しいものを食べて、好きなことをしている人よ」
 峰山さんが羨ましそうだ。
 「いいねえ、そんな身分になりたいね」
 ヘルパーの石田さんがそう言ったのだが、絵美さんも峰山さんも石田さんが、悠々自適の生活をしていて、ボランティアのつもりでここで働いていることを知っていた。彼は大きな会社の部長だった人だ。
 「旅行は言葉の研究だって言ってたわ」
 絵美さんが言うと、峰山さんは、
 「茸や温泉じゃないの」と、不思議そうである。
 「温泉も入っているわよ」
 「加藤さんは秋葉原も好きだね、よく行くよ」
 皆もそれは知っていた。
 「メイド喫茶にも行くのかしら」
 絵美さんが笑うと、石田さんは首を横に振った。
 「どうかな、、電子部品や器具が好きなようで、たまにダイオードなんか買ってきている。あそこにある立派なステレオ装置は市販品じゃなさそうでね、もしかすると、自分で組み立てたのかもしれないよ」
 「だけど、音楽が聞こえてきたことはないわね」
 「さっきいったように、いつもヘッドホンだからね」
 「でも、立派なスピーカーが無駄ね」
 「ここでは使えないのだろ、きっと大きな音が出るんだよ」
 石田さんは、そう言うと帰り支度をはじめた。
 八月二日、絵美ちゃんが当番の時に、加藤さんは湯船に浸かって「ひいふうみよいつむなな」と漢数字を唱え始めた。百まで数えると、晴れ晴れした顔をして、脱衣場に現れた。
 「気持ちよさそうですね」
 「はは、漢数字を覚えましたからね、最後です」
 加藤さんはジャージを着ると、絵美ちゃんと8号室に向かった。
 「もうすぐ二年になりますので、私は旅に出ます、8号室を引き払うことになります」
 「そうなんですか、ちょっと残念、どこに行かれるのですか」
 「故郷に帰ります」
 「何県なのです」
 「フランスの育ったところに寄ります」
 「日本ではないのですね」
 「ええ、八月の八日の日曜日にでます」
 「一週間ありませんね、私が加藤さんに会えるのは今日が最後になりますね」
 「お世話になりました、部屋にちょっとよってください」
 8号室にはいると、加藤さんはテーブルの上に積み上げてあったリボンのついた箱の一つをとると、絵美ちゃんに渡した。茸の置物はトランクにしまったようで、部屋には見当たらない。
 「これ、記念とお礼です、私が作りました」
 「本当に出てしまわれるのですね」
 「ええ、でも、また来ることになるでしょう」
 「8号室にですか」
 「いえ、このハウスではなく、日本にはきます」
 「残念ですけど、お元気で」
 「はい、楽しく過ごせました、ありがとうございました」
 絵美ちゃんは加藤さんに見送られて、8号室を出た。
 ところが、絵美ちゃんは、ちょっと急いでいたことも会って、加藤さんのプレゼントを自分のロッカーに入れたまま家に帰ってしまった。 
 絵美ちゃんが次に二見園に来たときは、加藤さんが出た後だった。
 一仕事終わって、職員の控え室に行くと、峰山さんと石田さんがお茶を飲んでいた。
 「絵美ちゃん、加藤さん昨日出ていったわ、みんな、こんなものもらったのよ」
 峰山さんが、緑色に輝く茸の形をしたものを見せてくれた。そこで、やっと絵美ちゃんももらったものがロッカーに入ったままであることを思い出したのだ。
 絵美ちゃんがロッカーから包みを取り出して開いてみると、やっぱり同じような茸の形をした光ものだった。
 「なんだろうね」
 石田さんも青く光る茸を持っている。
 「照明装置じゃないよ、暗いところじゃ光らない」
 「置物じゃないの」
 「そうかもしれない」
 「これ、所長もほかの看護師さんやヘルパーさんももらったのよ」
 「そう言えば、テレビやステレオは持っていったのかしら」
 「いや、8号室に置いたままだ、次に入った人に使ってもらいたいと言っていたようですよ」
 「おもしろい人だったわね」
 峰山さんが言うと、みんなうなずいた。

 それから、8号室には誰も入らなかったが、ほかのところは満室で、忙しい日々が続いた。加藤さんのことなど忘れていたのだが、次の年の8月に大変なことが起こった。
 NASAがこんなことを発表した。
 隕石らしい集団が太陽の方向から地球に向かっている、しかも地球を通過するだろう。もし、地球にぶつかれば、地球はひとたまりもない。
 NASAも打つ手がないと言っている。あと一週間という猛スピードでやってくるという。なんだか、アメリカの映画のようだ。
 世界の多くの人々は恐れをなしたかというと、意外とそうでもなかった。逃げようがなく、ただ、宗教に頼る人たちは多く、幸いにもどのような宗教の指導者も落ち着いていたので、混乱は少なかった。
 後三日にせまったとき、また驚きの発表がNASAからあった。隕石ではないということだった。これを聞いた人々は喜んだ。やはり神はいるのだと、改めて感謝をささげたのである。しかし、隕石ではないことはわかったが、それが、どこからか来た宇宙船の船団だということがわかったのである。地球はまだ、月にさえ自由に行くことができない。ということは人間より遙かに進んだ生き物たちである。
 これまた、悪い噂が流れはじめた。人間が奴隷になるというものである。ほんの少しの人間が、それだけ知性があるのなら、倫理が発達していて、乱暴なことをしないだろうと言った。しかし、それは人間の中でのこと、宇宙で通じるかどうかは分からないだろうと、信じる人は少なかった。
 宇宙船団はスピードを落とすと、月に着陸をした。その様子は、地球の望遠鏡で確認がされた。
 政府はいつものように生活をするようにと、鎮静にやっきとなっている。人民ももう騒いでもしょうがないとあきらめているのか、そんなにあわてていない。
 二見園もそうだった。いつものように動いていた。
 絵美ちゃんが新しく入った8号室のおじいさんを風呂に入れて戻ってくると「8号室のテレビが自然について、どこかの映像を映しだしているのだって」と周りの人に言っている。。
 「なんだい、それは、ちょっくらいってくるか」
 それを聞いた石田のおじいさんがテレビの様子を8号室に見に行った。
 ケアハウスの所長から準備室に電話があった。入居者共々、職員は食堂に集まって、テレビを見るようにということであった。政府からの呼びかけのようである。NASAから、これから月に着陸した宇宙船団から、一艘の小型宇宙船がNASAの上空に来るという報告があり、宇宙人とのコンタクトが中継されるということである。
 まるで、未知との遭遇みたいだ。
 これは見なければならないだろう。みな食堂のテレビの前に集まった。石田さんも8号室の人と一緒にやってきた。
 「8号室のテレビどうでした」
 隣に座った石田さんに聞いた。
 「どこの景色だかわからないけど、きれいな湖ときれいな林が映し出されていましたよ、何のチャンネルがわからくてね、チャンネルを変えることができなくて、いじっていたら、NHKになりました。海賊放送かもしれません。」
 「そうでしたか」
 今時テレビの海賊放送というのは珍しい。
 食堂のテレビではNHKのニュースで、キャスターが今までの状況を、映像を交えて説明していた。
 月に着陸した宇宙船の様子を、宇宙基地から電子望遠鏡でとらえた様子を映している。いくつかのクレーターの中に豆粒のような宇宙船が等間隔で並んでいるのが見えるが、それだけで、それ以上は倍率が上がらないようである。
 アナウンサーが、NASAにたいして、使者を乗せた宇宙船を今日、日本時間の午後の一時に着陸させたいと宇宙船団が言ってきているとのことを説明した。二日前に予告がきており、準備が整えられてきたということだ。NASAではケネディー宇宙センターを指定し、準備を整えているとのことである。
 どの星からきたのか、目的は何か、何も明らかになっていないようだ。ただ、やってくるのは一人乗りの宇宙船であるらしい。流ちょうな英語でコンタクトをとってきたということである。
 アメリカ政府は国連とともに、その宇宙人をもてなすつもりのようである。全世界の報道人を迎え、初めての異星人とのコンタクトを地球の世界をまとめるきっかけにしたいという思いもあるようである。
 あと五分で、宇宙船が来るはずである。映像を捉えるべく、日本のNHKをはじめ、最先端の技術を投入しているとのことであった。
 アナウンサーが大きな声をあげた。
 今、月から小さな宇宙船が飛びたったということである。予定の一秒前である。そして、着陸予定の一時調度には、ケネディー宇宙基地の予定の場所にその船は着陸していた。すごいスピードである。
 小型宇宙船は真っ赤な色で、大きさは大型のバスほど、形はまん丸である。解説者が驚きの声を上げている。月までの距離は38万キロ、ということは時速2300万キロである。光の速度は秒速30万キロメートルであるから、ほぼ光の速度である。
 しかし、船団はもっと速い速度で月に到達していると解説者は言っている。確かに最初は流星群だと言っていたと思ったら、あっと言う間に月に着陸した宇宙船団だったわけだ。
 絵美さんたちは、そんな難しいことはどうでもよかった、どのような宇宙人が現れるのか、画面にくぎづけになっていた。
 「よく、まん丸なのにころがらないね」
 石田さんが言った。確かに、足もなにもないのに揺れてもいない。ころんと、とまっている。どこが入口なのかもわからない。
 まん丸な真っ赤なガスタンクのような宇宙船の中腹にぽっかりと黒い穴があいて、中から宇宙人が出てきた。
 「えっ」
 と世界中の人が驚いた。
 出てきたのは大きさは人間ほどの茸の形をした宇宙人だったからである。
 宇宙人は滑るように進んで、出迎えた人の前にきた。大写しになった。出迎えたのはアメリカの大統領だ。茸の宇宙人はどこにも目がない。しかし、わかっているようで、日本式のお辞儀をした。手がないので握手ができない。大統領はいつもの癖だろう、手を伸ばしている。バカな大統領だ。トランプ大統領だ。茸はあわてることなく、姿を変え、人間の形になった。手をさしのべてトランプ大統領と握手をした。顔が大写しになった。
 「あ、加藤さんだ」
 絵美ちゃんが叫んだ。「ほんとだ、ほんとだ」という声が食堂いっぱいに響いた。
 所長さんはびっくりして何も言えない。
 新しく8号に入った篠原さんは「加藤さんて誰です」と隣の人に聞いている。
 絵美ちゃんはとっさに理解した。宇宙人はとっくに地球にきていて、地球の言葉を学んでいたのだ。そう、正しく気持ちを伝えるには、それに相手のことを正しく理解するには、言葉を正しく知らなければならない。地球のことばは八千もあるといっていた。加藤さんはそのすべてを学んだのだ。
 でも、なぜ湯船の中で百まで数えていたのだろう。
 「加藤さんが茸の置物を集めていた意味がわかったわね」
 峰山さんが言った。自分と似ている茸の置物を一生懸命集めていた加藤さんは結構地球人と似た気持ちを持っているに違いない。
 アナウンサーが言っている。
 「これから、会議室に行き、世界の代表と会談が始ます、その様子も放送します」
 これではいつものことができそうもない。
 「所長、今日の予定はどうしましょう」
 所長は皆に言った。
 「入所者のみなさん、これから、いつもの予定通りに生活します、食事、薬は時間通りです、ただ、宇宙人との放送が続きますので、ご自分の部屋でテレビを見るなり、ご自由にしてください」
 何人かは食堂のテレビの前に残ったが、多くの人は部屋に戻った。絵美さんたちも職員控え室に戻った。絵美さんはアイパッドをつけると、テレビモードにした。
 加藤さんがそこに招き入れられた人々と握手をしている。席に着くと、国連総長が祝辞を述べた。その後、加藤さんがマイクを自ら持って話し始めた。
 いろいろな地球の言葉で、「こんにちわ」を言った。その後、「ここは地球ですが、我々の星はこの星の意味で言うと森球になります、森と湖からなる星です。我々の形は地球で言うと、茸の形をしています、しかし、菌類ではなく、地球で言う動物に当たります。言葉はいらなくて、言うならば脳波通信で、個人がありません、我々森球の住人は個体はありますが、意識は一つです。このように体を変形させることが出きるので、物を作り出すのはたやすいことです。八つの腕をはやすこともできるし、歩くのも何本もの足をはやして走ることもできます。しかし、元の形は、茸の形です。我々は、地面よりちょっと浮いて移動します。底に無重力を作り出す臓器を持っているのです。
 さて、私が地球に来たのは、地球の皆様とは仲良く宇宙で暮らしていきたいからで、挨拶のためといったらよいでしょう。条約を結ぶとか、書面をかわすということは我々はしません、信頼関係で成り立つようにしたいのです。我々は地球の方たちとただ話をしたいのです。私が一人の人と話をしたとすると、それは、我々全員の脳に伝わり、共有されます。もし、我々に害が及ぶような人たちがいるとすると、我々はそこから離れるだけです。
 我々の星は地球から余りにも遠く、光の速度で1億年ほどかかります。しかし、目的のところまで光ではない、別の単位で宇宙船を飛ばすことができます。ここまで地球でいう五年で来ました。我々は五十年の旅に出ました。このあたりが最後です。これから引き返します。我々の寿命は地球の人間の倍ほど、地球でいう200年ほどです。その間に、皆五十年ほど宇宙の旅をして戻り、余生を過ごします。
 ここに来るまでに三つの生き物のいる星をみつけました。皆友好的で、今でも連絡します。我々はそのような星を見つけると、船団で訪れる十年ほど前に一人が言葉を覚えるためにその星の住人の形になって生活をして、それから、皆で観光にきます。
 地球のみなさま、私は十年前にアメリカにきて、その後世界中を旅し、最後は日本で言葉を学びました。地球のようにたくさんのことばがある星は初めてです。でもそれは楽しいことでした。仲間は皆知識を共有していますので、地球の言葉を話すことができます。観光させてくださいますでしょうか」
 そう、加藤さんは締めくくった。
 もちろん、歓迎され、そのあと、森球人たちの船はいろいろな国に着陸した。彼らは茸の形のまま、町の中を歩き回った。
 彼らは何も食べず、空気の中の成分を同化させて生きていた。しゃべるのが好きで、会う人と話をした。地球人も茸と話をするという経験は初めてのこと、面白がって、皆会話を楽しんだ。ただ、茸を食べるのにためらうようになったため、茸産業が下火になったようである。
 森球人たちの話は、地球人の発展の役に立った。地球の宇宙工学者たちは宇宙船の構造を教えてもらったのであるが、全く異なった理論で、とても理解できず、同じ物を作ることを断念した。地球は地球のやり方で発展するしかないことがわかってきた。ただ、新しい多くの発想を学んだことは確かである。
 その後、加藤さんがまた、二見園を訪れた。
 「絵美さん、お世話になりましね、日本の言葉は難しいから、とても面白かった」
 「加藤さん、どうして、お風呂の中で百を数えたのです」
 「お風呂はいいですね、温泉もいい、実は湯に浸かっているときがもっとも仲間と通信しやすいことがわかったのですよ、とくに、このケアーハウスのお風呂は、我々の通信システムの交差するいい場所にありました」
 これで納得できた。
 「我々が、星にかえっても、差し上げた私が作った茸の形の通信で、話ができます、声だけじゃなくて、表面に画面が映ります、たまに話をしてくださいね」
 「8号室のテレビに映っているのは、もしかしたら、森球の景色かしら」
 「あのテレビも私が作ったのです、チャンネル0がありますので、そこに合わせれば、我々の星の放送が映ります」
 そうだったのだ、何かの拍子に、8号室のテレビはチャンネル0になっていたのだ。
 その後、テレビはみなが集まる部屋に移された。
 ということで、あと一月、日本の町や村にも茸たちが歩いていることになる。
 こんなに平和な星と星の付き合いができるとは思ってなかった。きっと、地球のいろいろなところの指導者もみならうことだろう。地球も平和になるのではないだろうか。ことばは平和のためにあるものなのだ。

ことば

ことば

とても元気なおじいさん、ケアハウスのお風呂に入ると、必ずいろいろな国の言葉で100まで数えている。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-08-10

Copyrighted
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