連載 『芥川繭子という理由』 51~55

時枝 可奈

  1. 連載第51回。「善明アキラという男」1
  2. 連載第52回。「善明アキラという男」2
  3. 連載第53回。「白き蟷螂」
  4. 連載第54回。「伊藤織江について」1
  5. 連載第55回。「伊藤織江について」2

昔から、架空のバンドを創作して妄想するのが好きでした。
自分の理想とするバンド、そのメンバーならこんな事を話すだろう、
こういう風に生きるだろう、そんな思いを会話劇にて表現してみました。
既に完成しており、かなり長いです。気長にお付き合いいただけると嬉しいです。

連載第51回。「善明アキラという男」1

2017年、2月某日。



伊澄翔太郎が語る、善明アキラという男。
タイトルは『喧嘩』。


「分かりやすく言うと、狂犬。
相当危ない男だった、若い時のあいつは。
時枝さんが喧嘩の話好きじゃないからそんなに言わないようにしてたけど、
俺達4人の中で一番場数踏んでたのはアキラだろうしな。
単純に竜二にはノイがいたし、大成には織江がいたから。
当時まだ付き合ってないとは言っても、血生臭い事に巻き込むには大切すぎただろうし。
ガキの頃の反動でおかしくなってたって話前にしたと思うけど、その点俺とアキラはホント考えなしに暴れ倒してたんだよ。
でもその暴れ方が例えば街の不良とかヤンキーとか暴走族とどう違うかって言うと、誰が一番強いとか、縄張り争いとか、抗争とか、そういう理由が何一つなかったって事だよな。
だから別に負ける事を怖がってないんだよ。
一人で大勢を相手にする事に対して全く怯まないし、躊躇しない。
殴る事も殴られる事も同じようなもんだってよく話してたし。
殴ったら殴られるし、蹴られたら蹴り返すだろ?
やった分は絶対自分に返ってくるもんだろうし、だったら俺達は自分がさんざんやられた分、やってやろうじゃんかっていう、単純で馬鹿な法則に乗っ取って喧嘩してた所があって。
そういう子供みたいな発想のまま体だけデカくなって、勉強出来ない、常識ない、でも喧嘩したい、負けてもいいから人殴りたい、って。
怖いだろ? でもまじでそういう思考回路だったし、そういう奴だったよ。
そういう、うん。…ビターな青春時代?
あはは、無理やり素敵な言い回しにしてみたけど、相当ぶっ飛んだ話してるな、今な。
まあ、全然人の事言えたもんじゃないけどさ。
…竜二だって大成だって、俺もそうだけど、何も違わないからね。
同じように生きて、同じように考えてたから。
たまたま、ノイだったり織江だったりが側にいたかいないか、それだけの違いだもん。
だって喧嘩するのにこちら側に何も正義がないって完全にヤバイ奴だろ、衝動的だったわけだし。
ああ、自分から手は出さないよ。でも出させるように仕向けてたもん。同じ事だよな。
織江なんかは今でもアキラの事ネジが一本ない奴だったって言うもん。
あ、聞いた?そうなんだよな。そうそう。
誰と喧嘩して勝とうが負けようが、それを武勇伝にしてよそで吹いて回ったりはしなかったし、ヤバイ奴らがいるって意味では噂になってたらしんだけど、結局それは頭のおかしな4人がいるって言われ方してただけで、一目置かれるとか、そういう格好良い方向で有名になりようがなかったよな。
でも庇うわけじゃないけど、本当は根っからそういう人間ってわけじゃないんだよ。
俺だから分かるし言えるのかもしれないけど、本当はそういう自分が好きじゃなかったと思うしね。そこは俺達皆そうだし。
突き動かされるように街へ出て喧嘩して、ゲラゲラ笑ってんだけど、それでも俺はアキラがどうしようもなく優しくて良いやつだって知ってるから、なんか苦しいよな。
多分こればっかりは他人に伝えようがないし、だから、頭おかしいくせに良い人振ってんじゃねえよって、そう言われちまうとその通りかもしれないとも思う。
ちゃんと更生しましたよ、あの時はごめんねさいねっていう、そういう話でもないんだよな。
でも、…うん、なんて言ったらいいのかな。
病んでたんだって言えば聞こえの良い理由になるのかもしれないけど、そんな在り来たりの説明だと、あいつにぶっ飛ばされた奴らに悪い気もするしな。…難しいな。
もともと他人に理解されようと思った事がないから、上手く説明する言葉を考えてこなかったもんな。
俺はいつも思った事そのまま口に出して人と揉めるのが落ちだし。
だからあえて、アキラって男の事を俺の目を通して説明しようとすると、まあ確かにぶっ飛んでぶっ壊れた狂犬だったけど、そんなの一時期の一場面でしかないのにな、って。
そういう思いはあるよ。
…当時の自分は、うん、そうだな、好きじゃないな。
自分なんだけど、自分じゃないようなね。
今でも、私生活でもバンドでもなんでもコントロールできない事が嫌いなのは、そういう時代を経て苦しかった思いが強いからだろうな。
うん、…だから、…きっとアキラもそうだったと思うよ。
普通に生きられるなら普通に生きたかっただろうし。
それはだって、ガキの頃から4人ともがずっと思ってたからさ。
だからカオリと出会って何かが変わったのは間違いないし、ノイが死んだ時にも、生きるって事に対して真剣に向き合うようになったのも、間違いないしな。


命を脅かされる事で湧き出て来るギリギリの力みたいなのが、格好付けすぎかもしれないけど、…そういうものがガキの頃からあって。
それを今度は抑えきれなくなってたって事なんだろうなって。
相変わらず恐怖はついて回るし、悪夢で飛び起きるし、だけど。
…周りは平凡に暮らして来たんであろう、しょうもないボンクラ共で溢れかえってた。
やれどこそこの服が格好いい。どんなゲームが面白い。どんな漫画が面白い。何組の女子が可愛い。
知らん知らん、全然興味ねえ、うるせえ、気持ちが悪いって、本当にそう思ってた。
そういう空間や人間や時間に慣れ染まる事がとにかく怖くて、逆にこいつら何も怖いもんないのかなって。
まあ、これ全部後付けだけどな、あはは。
当時だって、多分今だって、昔を思い返して『あの時はああだったよなー』なんて笑って話せる事は、実はそう多くはないんだよ。
今俺がこうやって、いかにも分かり切った顔で話してる事全部、例えば俺なんかは誠が側にいてくれたから、あいつと話をして、少しずつ少しずつ整理していったから他人事みたいに言えるってのがあって。
だから言ってて自分で思うもん、『ああ、そう言えばそうだったな』って。
アキラの事はいくらでも言えんだよな。でも当時の自分の事を振り返る時はどうしても、モヤが掛かってるような薄暗い場面を手探りしながら話すしかなくて。
誠が色々話を聞いてくれて、『きっとこうだったんだね、そういう事だったんじゃないかな』って返してくれた言葉をそのまま時枝さんに話してるようなもんだよ。
うん、あれ、いつの間にか誠の話になった。…なんだっけ。
そうそう、だから、一時期はほんと学校行くの嫌でアキラと一緒にいることが多かったな。
一緒にって言っても別につるんで喧嘩しに出掛ける事はないんだけど、ふらっと街へ出て因縁付けて来る奴探して歩いてると、やっぱり向こうからアキラが歩いてくるんだよ。
そうするとさ、ああ、そっちへ行ってももう目ぼしいワルはいないなって分かるわけ。
いるならもうアキラが倒してるから。あはは。
だから目が合う距離まで近づくと、お互い笑って手だけ上げて進路変えるんだよ。
俺あっち行くから、お前そっちな、って。
面白いだろ?


単純な腕力だけなら、誰だろうな。竜二かな。
でも俺達の喧嘩って力比べで勝つというよりも、さっき言ったみたいな恐怖心の無さみたいな勢いで、うん、勢いで押し切ってるような感じだったと思うんだよ。
誰だって殴られると痛いし、ボコボコにされて地べた転がるなんて嫌だろ。
でもそれを嫌がらない、あるいは『頼むから転がしてくれよ』って思ってるような奴怖いだろう。
アキラなんて5、6人がこんな、鉄の棒みたいなの持って振り上げながら囲んだって怯まないんだよ。想像してみろよ、絶対怖いから。
だから普通じゃないんだろうな、きっとな。うん、それでも勝つよ。殴られて頭から血を流して、フラフラになっても、でも負けない。
最後の一人か二人はどうせ逃げちまうしな。
今だから言えるけど、相手の武器取り上げてなんの躊躇いなしに殴れるのはアキラと大成だよな。
本当に危ない喧嘩してたもん、あの二人は。
俺ってよく手が早いとか好戦的って言われるけど、全然そんな事ないって。
あはは、まあまあ、手は出すけどさ、ちゃんと分かって殴ってたもん。
あの二人は誰かが側にいて止めてやんなきゃダメだってさすがに気づいた。
ハタチぐらいになってからだけどな、あはは。
あははは!うん!そお!
…ん?大成が?…ああ、俺なんだ?
へえ。いや、どうだろ。昔と今ではまた違うんじゃない?
やっぱりあいつの人としての器とか凄さを知っちゃってる分、そうそう殴り合いなんてしたくないよな。尊敬してる部分も、もちろんあるし。
昔から4人の中では大成が一番まともだったんだよ。だけどそういう人間的な遠慮とか抜きにしてさ、単純に一番喧嘩したくなかったのはやっぱりアキラかな。
うん、嫌だ。絶対嫌だ。怖いもん普通に。
例えば大成の持ってる怖さってさ、言うなれば普段は人間がしっかりしてるからこそなんだよ。
だから最後の最後、本気で決断した時のあいつの行動力はシャレにならないんだよな。
誰にも止められないと思うよ。俺も竜二も、うん、二人でも無理だと思う。
そういう怖さはある。絶対怒らせちゃいけない奴だって。
だからあいつと竜二が揉めた時だって、もうこれは言葉では絶対に止まらないんだなって、覚悟した部分もあったし。
でもそうなるまでに大成は絶対色々考えてるし、重たい決心もしてるはずだしな。
ただアキラは軽いんだよ!あいつは軽い!
すーぐ行くもん。あはは、そんな奴怖いって!すぐ来るから!
ええ、俺?いやいや。だから俺ちゃんと考えてるってば。
あははは、なんでだよ、俺じゃないよ!アキラの話してんの!


…話?
なんの話?ああ、ああ。どんなって言われてもなあ。
学生ん時はあんまし喋ってないかもしれないな。
喋っててもきっとそんな面白いバカ話じゃなかったんだろうな、覚えてないもん。
高校上がってからはそもそも学校にいない時間の方が多かったし、街で会っても挨拶交わして進路変更だし。
間に織江やノイを介して会話する事はあっても、二人で何か楽しくお喋りっていうのは、
ほとんど記憶にないな。思春期って奴じゃないの?
…ああ、うん、カオリと出会ってからは確かに色々と変わってきたかもしれない。
あの狂犬が女に目覚めたからね!っはは。
ああ、そうだと思う。早い段階でカオリに出会て良かったよな。
幸せな事だよ、あれだけの人に出会えて、死ぬまで一緒にいられたんだから。
あ、話って言えば、だからそうだよ。
カオリに対しての話はよく聞いた。聞いたっていうか、聞かされてた。
うるせえなあって思ってたから具体的には覚えてないんだけどな。
だって俺一人だけ女いないからね?その頃。
…いやいや、それはまた話が違うだろうが。…違うだろうが!
あははは。
ん?えーっと、16とか17とか。
まだカオリも19、20だし、まあ子供と言えば子供なんだけどな。
でも当時既にカオリは人気者だったよ。ライブやればいつも箱はパンパンだし、雰囲気のあるオッサン連中といつも話してたから、メジャーな事務所から声掛かってたんだと思うけど。
前にこの話したな、そう言えば。
そうそう、出会った日に告白したやつな。
んー、顔ねえ。似てる人はちょっと見たことないかもしれない。
独特な顔ってことでもないけど、うーん。
織江とも誠とも繭子とも違うな。
一番特徴的だったのは目の下の隈。不眠症らしくて、いつも寝不足だってイラついてたし。
だから人相はすげえ悪いよ。その代わりアイドル級に綺麗な顔だったけどな。
きっと今でも、タイラーに入ればセンター取れる(笑)。
あはは!やばいか!
…お人形さんみたいに整ってて、真っ白でな。
でも目付き悪いし目の隈が酷いから、最初見た時ジャンキーかと思ったもんな。
おまけにそんなに年変わんねえのにガッツリ墨入れてるし、金髪だったり、赤髪だったり。
だから知り合いになってちゃんと話すまでは、なんだこのヤバイ女は!?って。
アキラもよくこんな女に告ったなって。あはは、うん、まじでそんぐらい。
でも、ほんとな、思い出すと悲しくなるからアレだけど、嫌んなるくらいイイ女だったよ。
俺もずっと好きだったし。
あの人がいてアキラを受け入れてくれたから、あいつは本格的に楽器触ったようなモンだしさ、色んな意味で特別、頭上がんないし。
あと、今でも思い出して一人で笑ったりするのがさ。
あのー…、そのー…。
カオリがね、ある時俺んとこ来てさ、言うわけ。
『なんか、ごめんなー』
って。何が?って聞いたらさ、
『いやあ、なんか4人いてさ、あいつ一人だけ受け入れるって、そういうの、なんかお前らの関係を、破壊しかねないだろー?』
ってさ。これマジだからな。マジでそういう事言って来るんだよ。びっくりしてさ。
え?ってなって。それはつまりどういう事?え?もうそういう事になってんの?って。
どこだっけなーあれ。どっかの、ビルの屋上なんだよ確か。
学校じゃないしな、ライブハウスかなあ。まあどっかの屋上で煙草吸ってたら、そうやって言われて。
俺もまだそこまで色々経験積んでないからね、多分顔赤くしてたんじゃないかな。
カオリは普通に、申し訳ないねって苦笑いしてさ、俺から煙草一本抜いて。
『まあ、あれだよ。分かりやすく言うとさ、そういう事だから、ごめんな! いただきました!』
って! あははは!その顔がまた可愛いんだよ、腹立つなーと思って。ふふ。
俺?なんて答えたかなあ。…ああ、あ、違う!俺聞いたんだよ。
「(アキラ)どうだった?」って。うん、あえてね。
そしたらカオリさ、ここ、眉間に皺寄せてさ、ちょっと泣きそうな顔になって。
『壊されるかと思ったんだよ』
だって。めっちゃくちゃ笑ったもん。カオリもだけど。
いい思い出だよな、思い出すと辛くなるけど、いい思い出。…なあ」


伊藤織江が語る、善明アキラという男。
タイトルは『カオリ』。


「やっぱり、愛情の物語だと思うなあ。あそこ二人は色んな意味で凄かったよ。
とりあえず見た目がやっぱりそのー、カオリは突き抜けてたし、今でいうと出来上がってるっていう表現になるのかな。
アキラは確かに男前なんだけど、カオリと出会った頃はまだまだ全然おぼこい印象残っててさ。
人前に出て人気も実力もあって、大人達から熱い視線を浴びてたカオリと、そこらへんブラブラしてる喧嘩小僧だもんね。
だから最初は釣り合うわけないんだけど、だんだんとアキラの雰囲気が大人びていって、カオリに追いつくの。
そのうち彼の存在感がカオリを追い越す時が来て…。
こればっかりは運命みたいなのを信じるしかないね。
こういう事ってあるんだなーって。
それはでも、あの二人に限った事じゃないけどね。
生きてれば色々、必要ならざる神の手の存在を感じる時は、往々にしてあるよ。
…なんてまあ、今これ格好付けて関係ない事言ったっぽいけどね。あはは。
よくさ、繭子にしたって誠にしたって、二人のルックスを褒めるでしょ。
それはきっと誰も異論ないと思うんだけど、ここだけの話、冷静に顔の綺麗さだけ見たら、やっぱり誠だよ。
それはそうだよ、あの素材でしかもプロだもん。…でもこれ内緒ね。
それに立ち居振る舞いとか、放ってる清らかな神聖さとかそういう見方を加味していいなら、きっと繭子の方が多くの人に選ばれる美しさを持ってると思う。
ただね、麻未可織の魅力ってね、凄いんだよ、やっぱり。
一般人には得難い魅力というか、努力の先にあるわけじゃない、その人だけのもの?
だからなんかね、言いたくなるの。あはは。言いたくなるんだよ、いい女だなあって。
カオリの事皆好きだったし、お世話になったしね。
それにあの人が笑うと、心底ほっとして嬉しいんだ。なんでだろうね。
そういう人っていない? 周りでも、これまで出会った人でもいいんだけどさ。
機嫌を伺うとかそんなんじゃなくて、笑顔にしたくなる人っていうか。
普段これでもかってくらいイラついて、オラついて、不機嫌さを隠さない人なのにさ。
例えばアキラが二言、三言囁くように話しかけるだけで、キャッキャ言って笑うのよ。
その顔が可愛いのなんの!
うん。大好きだなぁ、今でも当たり前のように、大好きだね。


時枝さんは一年取材続けて来たけどもさ、それでもうちのメンバーについて知らなかった事やエピソードがどんどん出てくるでしょ?
それと同じでさ、カオリの事もアキラの事も、語り尽くす事は出来ないよね。
子供の頃の話は私なんかより他の人の方が詳しいからあれだけどさ、カオリと付き合いだしてからのアキラは明らかに変わったと思うんだよ。
もしかしたら大成にも同じ事が言えるのかもしれないって思う時あるけど、特別そういう言われた方した事は私自身はないし、大成からも聞いてない。
だけどアキラは変わった。それは間違いないと思うよ。
だって私とノイは陰であの人の事デビルマンって呼んでたからね、…うん、あはは。
そうそう、こないだね、言ってたね。ビックリマンね。
だからあれってアキラが学生時代から好きだったみたいだけどさ、デビルマンの主人公ってフドウアキラって言うのよ。そんなの尚更でしょ。
ビックリマンじゃなくてデビルマンだよねえ!って言って笑ってたもん。
うん、当時はちょっと笑えない程怖い時もあったのよね。
実際、血みどろになってるとこ、何回も見てるし。
それでもなんか、悲壮感よりも爆発しそうな勢いとかエネルギーみたいなのに溢れててさ。
どこかで、…仕方ないのかな、こういう日々を過ごすしか発散しようがないのかなって、
うん、諦めたてた部分もあったかな、漠然と。
だってどうしようもないしね、私らには。
まあ、よくは分からないけど喧嘩に負けたって話を聞いた事はないし、血塗れでも本人が笑ってるんだから、中学の頃みたいに暗い目をしてないだけマシかーなんて、開き直るしかなかったよ。
…朝、学校行くでしょ。
そしたら、アキラと翔太郎が校舎から出て来るの、入れ違いに。
おはようって笑ってすれ違って一日そのまま会わないとか、ざらにあって。
大成に、あの二人はどこに行ったの?って聞いても、知らないって言うし。竜二も。
もちろん4人ともいない日だって一杯あったし、…まあその結果4人とも中退なわけだけど。
あ、別の学校の生徒が押し寄せて来る事もあったよ。
授業中に他の生徒がそれに気づくでしょ、したら先生が窓開けてさ。
『善明かー、伊澄かー』
って聞くわけ。あははは、ほんとだって。
校門から、野太い声で『ゼンミョー』って叫び声が聞こえてきて。
そしたら皆口々に、あいつどこ行った、善明どこ行ったーって騒ぎ始めて。
その内スタスタと玄関から出ていくアキラの後ろ姿が見えて、そのまま早退。
え、もちろん喧嘩だよ。喧嘩相手が攻めて来てるの。そうそうそう。
まだいる時はいいのよ。いない時の方が多いからね。
アキラも翔太郎もいない時は、『じゃあ』って言って竜二と大成が出ていくの。
勘弁してよって思ってたけどね、当時はもちろん。
でも…うん、当時からやっぱり、人とは違う生き方してるよね。
うん、らしいと言えばらしい。ね。
格好良くはないよ!なんでそんな風に思うの?
頭のおかしい連中だってずっと陰口叩かれてたんだから。
私は心配で仕方たかったけど、おかげでライバルいないから気楽だったよね。
でもそんなアキラでも、カオリと出会って、…変わったねえ。
笑う事が増えたよ。
アキラって笑うと目がなくなるの。
その笑顔が私好きだったー。
カオリと同じでさ、笑うとこっちまでニンマリしちゃうのよね。
アキラはカオリに全てを捧げるつもりだったと思うけど、人生って分からないよね。
カオリに好かれたいがために始めたドラム。
それだって、消去法に近いじゃん、翔太郎がギター上手いもんだから、じゃあドラムって。
ドラムが良かったわけじゃないでしょ、そんなの。
でもそこで、出会っちゃったんだものね。
凄いなあ。
いつの時代も彼らは暴れん坊だったけど、そのいつの時代でも、カオリだけは彼らの狂騒を抑え込めた、唯一の人だったよ。
…いつだったかははっきり覚えてないけど、カオリに聞いた事があるの。
なんでアキラなの?どこが良かったの?怖いとは思わなかったの?学校中の嫌われ者だよ?
そしたらカオリ大笑いしてさあ。
『そうだよねえ、普通は、翔太郎に行くよねー』
って。いやいや行かないしって言って。あははは、うん。


『いつまでも子供のままいてくれそうじゃん、アキラって。アタシがいつまでたってもバカだからさ、あんまり頭の良すぎる奴や、器のデカい親分肌の奴や、とことん突き抜けて優しい奴が相手だと息苦しくなるんだよね。劣等感かな?…でも、その点アキラっていつまでもガキでいてくれそうだろ? だからきっとあいつしかいないんだよ。アタシと最後まで遊んでくれんのは』


…うん、…うん、そう。凄いでしょ。凄い人なんだよ、カオリは。
当時は私も、それが翔太郎と竜二と大成を言ってるって分かってなかったけどね。
ただ周りにいるそういう男達じゃダメなんだよって嘆いてるんだろうなーって、そう思ってたし。
でも二人とも、全然バカじゃなかったよ。
勉強は出来ないけどさ、思いやりのある優しい人達だった。
あー…あはは、やばいね。この流れはやばい流れだ。
あはは、うん、まあ勘弁してよ。


カオリが死んだのってね、今から11年、12年か、前の2005年なの。
うん、癌で。…だけどカオリの癌が初めて分かったのは、もっともっと前で。
手術して、治療を続けて、転移が見つかって、手術して、でも転移して。
クロウバーにアキラが参加しなかったのはカオリの側にいたかったからだって、
私達はそう思ってるんだ。
私前にアキラの話をした時、あえて言わなかったの、覚えてる?
当時何を考えているのか分からないし直接聞いてないけど、って。
うん、直接は聞いてないよ。でも、そんなの見てりゃ分かるよ。
いくら保険に入ってたとは言えタダじゃないんだから、
カオリの治療費を少しでも肩代わりしたい気持ちがあっただろうし、
そもそもがバンドやるような気持ちにはなかなかなれなかったと思う。
でも、今、時枝さんには分かってもらえるだろうから言うんだけどさ…。
こういうアキラの気持ちってさ、推測で人には言えないよね。
うん、言えなかった、私には。
きっとアキラだってカオリにはそんな事絶対言ってないと思うし。
車いじったりバイクいじったり、大成と仲良くそうやって遊んでたのは本当だし、
カオリの実家(自動車整備工場)を継ぐんだって言ってた事もあるし。
結局最後にはアキラも、ドーンハンマーをあの4人で組むんだけどさ。
そこには、『ただ楽しいだけの夢と希望がありました』っていう、
そういう話じゃなかったんだよって、時枝さんには、分かってて欲しいかな」



池脇竜二が語る、善明アキラという男。
タイトルは『一番』。


「『かつて泣いてすがった自分の弱さを忘れる事はねーよ』
って、これ、アキラの言葉でさ。
カオリがもうダメだって分かる頃には、アキラも同じように癌にやられてたんだよ。
膵臓癌。そう、発見が遅れちまう事で有名なやつな。
腰が痛てえっつって病院行ったら、余命半年ですって言われて帰って来て。
おいおい、ウソつくんじゃねえよって皆して笑って。
手術すりゃいいだろ、抗がん剤とか、いきなり余命半年ってお前。
…カオリをずっと見てっからさ。
なんつーか、言いたくねえけどそうでも言わねえとおかしくなっちまいそうでよ。
でもアキラ自身は、そんなに落ち込んでないんだよ、不思議なもんでな。
医者がそう言うんだから、そうなんだろうよって。
俺の前では最後まで言わなかったけど、絶対あいつ、
カオリと一緒に死ねる事をどっかで甘んじて受け入れてたよなって思うもん。
それを死ぬまで言わないところがアキラなんだけど、…でも俺だってそう思うよ、きっと。
運命ねえ。…そうかもしれねえなあ。
俺はそういうのよく分かんねえけど、だけどそれは今にして思えばって事だろうなあ。
その時はさ、アキラの父ちゃんや母ちゃんの前では口が裂けたって言えねえもんな。
あはは、うんうん。
死にかけた事は何度もあるけど、自分の死が確定した経験は俺だってねえし、
その時になってみないとアキラやカオリや、ノイの凄さって実感できないよな。
あいつは最後まで強くあろうとしたよ。
本当の意味で、強かったと思う。
真似出来るかって言われたら、自信ねえわ。
さっき言った、自分の弱さを知ってるから余計に、歯を食いしばれ、負けるなって。
自分に言い聞かせる事が出来たんだと思う。
分かってるけど、…分かってっけどさ、…やっぱ真似出来ねえよな。


調子の良い日なんかにさ、ギター持ち込んでキング(エルビス・プレスリー)歌ったり。
ふふ、だって話す事と言ったらどうしたってガキの頃の思い出話になるわけさ。
あの時はやばかったねえだの、死ぬかと思ったねえなんて話をさ、
これから死を迎える奴真ん中にして喋るんだよ。
これがまた辛いんだ。
やっぱり、俺達はどこを切り取っても4人だったなって思うし、
だからこそ共通の話題はそこへ行きついちまうわけだ。
話題が暗い方向へ行ってしんみりし過ぎると、いつも翔太郎が上手い事言って笑わせてくれんだ。
分かるだろ?俺はそれに乗っかって馬鹿言って、大成が冷静に突っ込んで。
それ見てアキラが楽しそうに笑う。
その一連の流れがさ、これで最後かも、今日で最後かもとか、そういう嫌な想像駆り立てんだよ。
人はさー、時枝さん。本当はいつだって笑ってるのが良いだろ?
だけどよ、笑ってる顔を見るのが辛い時だってあるんだって初めて知ったんだ、俺。
もう喋る事すら嫌になって、最後はギター持ち出して、歌って。
病室で幼馴染が顔を突き合わせて歌を歌うなんてさ、そんな出来過ぎたドラマみたいな話があんのかよって。
それまでは俺も思ってたけどよ、ああ、こういう事かって分かっちまった。
もう、喋るのもつらい。泣くのも辛い。笑うのも辛い。
だけど、そばを離れたくねえんだ。こういう事なんだなあって思ったよ。
男同士顔見ながら歌う歌じゃねえけどよ、よく歌ったのが『好きにならずにいられない』って曲。
知ってる?うん、有名だもんな。
俺が弾いて歌う日もあれば、翔太郎が弾いて皆で合唱する日もあった。
おかげで俺めちゃくちゃ物まね上手いからね。…あはは、そうそう。
ある時なんかさ、いきなり病室のドアが開いて、偉そうな感じの医者が飛び込んで来るわけ。
なんだ!?って思ったらさ、俺達の事見ながら言うわけ。
『死んだはずのエルビスがここにいるのかと思った!』
って真顔で言いやがるわけ。…ホントだって!翔太郎に聞いてみろよ!
だってさ、あいつそれ聞くなり『こいつ今死んだって言ったか』っつってユラアって立ち上がるんだよ。
やばいやばい!って俺と大成で止めて!あはは!いや、ホントだって!
でもまあ、おかげでアキラは大喜びで手叩いてるしよ、そんなんも忘れらんねえ思い出の一つだよな。


アキラさ。
あいつが一番ボロボロにされただろ。
…ああ、だろって言っても分かんねえよな。うん、実際そうでさ。
でも体が大きくなり始めて、喧嘩三昧やり出した頃から、
もう誰も手がつけらんねえくらいの悪童だったんだよ。
昔の自分を振り切りたかったんだと思うけど。…でもさ。


『いっつも泣いて、土下座して、謂れのねえ許しを請う。
ガタガタ震えて、逃げ回って、鼻水垂らして、祈ってた。
もう嫌だ、なんで俺達ばっかりこんな目に合うんだ。
そんな自分をどれだけみじめに思ったか分からねえよな。
だけど、そういう自分を忘れちゃいけないっていう風にも、思うんだよなあ』


そう言ってあいつは笑うんだよ。


『俺ら喧嘩だけは強くなっただろ。今なら俺さあ。
どんだけの奴が来たって、笑って突っ込んでいける自信あるんだよ。
でもよー竜二。でも俺、まだまだ弱いと思うんだ。
よく分からねえけど、お前ら見てると震えがくる時あるしなあ。
いつかカオリも、織江も、誠も、繭子も、父ちゃんも、母ちゃんも。
本当はノイだって、…それに、世話になったお前らの事も。
俺は、ぜーんぶ守れるような男になって、あの頃の自分に感謝したいんだ。
よう頑張ってくれた。よう踏ん張ってくれたなって。そういう男になりたかったんだ』


アキラってそういう奴なんだ。
それを自分の死ぬ間際に言えちゃうような奴だったからさ。
俺らどっかで、あいつを弟みたいに感じてたんだけど、
ああ、こいつ凄えスピードで俺追い越してったんだなーって、
悔しかったし、嬉しかったよ。
その内、アキラんとこの父ちゃん母ちゃんはもちろん、俺の家族や、
伊澄の家も、神波の家も、伊藤の家も、入れ代わり立ち代わりアキラの顔見にくるようになって。
なんだか慌ただしいな、もっと休ませてやってくれよって思ってた矢先に、
パッとあいつはいなくなったんだ。
苦しまずに行ったと思う。
それまでが酷かったけど。
でも行く時は早かったよ。
その時にはもうカオリはいねえし、走って追いかけてったんだなって思うようにした。
辛かったぜえ…。
ノイの時とも、カオリの時とも違う。
俺達はきっと自分が死ぬ事よりも、失ったものの大きさに潰された。
ぺしゃんこになっちまったよ。


…あれはいつ頃の事かなー。
何かのきっかけで俺が泣き出しちまって。
言葉になんねえで、ひーひー言って泣いてんだよ。
そしたらアキラ、俺の頭を拳骨でぶっ叩いて言いやがった。


『不細工だなぁ竜二、お前に涙は全然似合わねえな。まず可愛くねえし、色気もねえし、あとうるせえ。いつだって最後はお前が笑っててくれたから、俺達はやってこれたんだぞ。翔太郎も大成もナイーブな奴なんだから、俺かお前がなんとか笑かしてやんねえとさ。そうだろ?駄目だろ?俺が死んだらあいつら笑わせてやれんのはもうお前だけだぞ。なのにお前が泣いてどうすんだよ。お前は笑えよ。そいで歌え。な、頼むよ竜二。ノイと約束したよな?ノイにもカオリにも俺にも聞こえるようによ、ずーっとでかい声で歌い続けてくれよ。俺達はちゃんと聞いてっからな。お前だったらキングなんか目じゃないよ。俺が保証する。竜二、お前はテッペンに行ってくれ。お前は一番になれる。絶対になれるから。俺には分かってっから。おい、竜二。一番になれ、竜二』




関誠が語る、善明アキラという男。
タイトルは『優しさの形』。


「もちろん立ち聞きするつもりなんてなかったけどね。
突然声が聞こえて固まっちゃったんだよ。
病室にいるのがアキラさんと翔太郎だっていうのは分かってた、うん。
もうほんと、ノックする寸前にね、『なんで何も言わないんだよ』って聞こえて。
アキラさんの声だったよ。
瞬間的に、翔太郎のそれに対する返事を待っちゃった事で完全にタイミング逃したの。
そしたらもう入れなくなってさ。


…織江さんがさ、日記をずーっとつけてるのは知ってるよね?
うん、前にさ、私、伊藤姉妹にかなり影響を受けて生きてきたって話したと思うけど、
実は私も彼女に習って日記つけてるんだよ。
私の場合は、何か覚えておきたい事や覚えておかなきゃいけないって感じた言葉や出来事を綴るだけだけだから、
日記って呼ぶにはあまりにも飛び飛びだけどね。
だけどその日記にさ、その日の事はちゃんと書かれてたよ。
翔太郎がね、ボソリと言ったの。


『お前のいなくなった後の世界を想像できないんだ。だってずっと4人だっただろう? 俺の目にはお前ら三人が映ってないと駄目だろ。
お前がいなくなったら、それはもう俺の世界じゃない。そんな恐ろしい世界は想像できない』


うん、翔太郎がそう言ったの。
あはは、そらーもうね、うん。…うん。
でね、アキラさんが言うわけ。


『残される者の気持ちは、理解できるよ』って。『カオリを失って、この先何十年も生きていかなきゃなんねえって考えるときっと、今のお前みたいな顔になるんだろうな』


だからこの日の事は私一生忘れない。
日記に書いた言葉が一言一句あってるわけじゃないけど、
その時にはまだ生きてたアキラさんの声や、呼吸や、仕草なんかを感じ取れるからね。
それって私、大事だよなあって思うよ。
言葉を扱ってる時枝さんなら分かると思うけどね。
記憶ってさ、いつか平面的になるでしょ。ね。
正面から見たその人の顔はいつまでも思い出せるけど、
記憶の中でどれだけその人の動きを立体的に再生出来るかっていうと、いつかは怪しくなるじゃない。
そういうの、私すごく怖いんだ。
だから、日記付けてて良かったって心底思うし、そこはまた織江さんに感謝だね。
あの人って13歳から毎日日記書いてるんだよ、…うん。
翔太郎達に出会ったその日に日記帳を買って、そこから毎日。
もちろん長文じゃないって言ってるけど、どうだろうね。
織江さんも、想像を遥かに超える大きな愛情を持ってる人だからさ。
実家の本棚とか物凄い事になってそうだよね。
…うん。…うん。そうだね。


アキラさんの言葉は、だから私は忘れない。
特に入院した日から亡くなるまでの間に交わした会話や聞いた言葉は、
私がそこにいたのであれば全部覚えてるよ、内容はね。
あは、そりゃあ言い回しとか、だよ、だぜ、くらいは違うかもしれないけどさぁ、
でもきっとそこも間違いなく覚えてる気がするんだよねえ。
なんか、とにかく必死だったんだ、毎日。
そうだね、あーはは、そこだけは役にたったね。
勉強なんてただ要領良くやればいいだけじゃんって思ってたけど、
物覚えが良くなったのは確かに学校の勉強のおかげかもしれないね。
…無意識に話を逸らしちゃうね。ごめんね、脱線ばっかりして。


過ぎ去ってく毎日がどうしようもなく怖くてさ。
時間て本当に止まらないんだなって、思って。
1月だったの…。
天気の悪い日なんかは一日中暗くて、寒くて。
だけど病院の中は汗が出るくらい温かい空気がこもっていて。
窓の外を見るとどんより青黒い空が広がってたりして、
そんな嫌な日でもさ、どうしようもなく毎日が大切だと感じてた。
アキラさんがいなくなるのは今日かもしれない、明日かもしれない。
毎日そんな事を考えながら病院に通って。
泣きながら帰って。眠れなくて、何度も翔太郎に電話して。
悲しいね、って何度も話をした。
大切な人が亡くなるのは何度経験しても慣れないし、辛いねって。
まだ亡くなってもないのに私そんな事言って彼を困らせてた。
だけど翔太郎は怒りもせず、辛抱強く私を受け止めてくれてた。
本当は誰よりも泣きたいし誰よりも悲しいはずなのにね。
…その日、病室でね、アキラさん、翔太郎に向かって言ったんだ。


『頭の出来の良いお前はきっと俺を忘れないだろ。ガキの頃の俺、ドラム叩いてる俺、カオリの側で笑ってる俺、今ここでベッドの上に座ってる俺。お前は絶対忘れないだろ。だから俺の事考える時一緒に思い出してほしいから言うよ。ごめんな。ありがとう。お前は、誰にも負けんなよ。それから、絶対に追いかけて来るなよ。死ぬまで生きろ。竜二と大成を頼むぞ。織江と、誠と、繭子を頼んだぞ。お前は自分の目に映る人間全部を幸せに出来る男だと思うから。お前はそういう器の男だって俺は思ってんだ。だからさ、お前は自分の才能を信じて世界を獲りに行け。俺の代わりに、世界を獲ってくれ。お前より凄い奴なんて、この世のどこにもいやしないから。翔太郎、一緒に行けなくてごめん。ほんとにごめん。お前の不器用な優しさの形に、俺はちゃんと気づいてた。お前らに繋いでもらった命をこんな風に終わらせてしまう事をどうか許して欲しい。これが俺の最後の泣き言だ。翔太郎。ごめんな。ありがとう」


泣くのを通り越して、叫び声をあげそうになった。
私の知ってる限り、『世界を獲る』っていう言葉を最初に口にしたのはアキラさんだよ。
初めて聞いた言い回しだったし、その場面は衝撃的過ぎてはっきり覚えてる。
翔太郎はね、後々になって、私にアレは楔だったって言ってたよ。
先回りして色んな退路を断たれたって笑って言ってたけど、私それ聞いた時ヒヤっとしたもんね。
…うん、…うん。そうだね。
それでさ、その後帰るわけにもいかなくなって、病室に入ったわけ。
…あはは、だってそのまま泣いて帰るなんて余計辛いじゃん。
顔も見たいしさ、なんなら二人とも抱きしめてやろうぐらいの愛情に満ち溢れてたしさ。
ま、実際はただガン泣きしてたけどねえ。…うん。


だから、その日だよね。
前に時枝さんに話をした、アキラさんとの思い出の日。
うん、そうそう、実は同じ日なんだよ。
翔太郎が先に帰っちゃって、アキラさんと二人になって。
…今思えば、用事って言ってたけど、まあ、うんまあ、翔太郎が用事って言えば用事だよね!あはは。
…何言ってんだろ。
…ふー。
そう、あいつはお前にちゃんと、優しく出来てるかって、言われてさ。
なんでこの人自分の恐怖を脇に置いてまで私の事心配してんだろうって、思って。
さっきまで翔太郎の心配してるし、皆の心配してるし、
付き合いの短い私に向かって「一番心配だー」なんて言うしさ。
頭がこんがらがっちゃって。
大丈夫です、誰よりもちゃんと優しいですって答えたのは覚えてるけど。
私も泣いちゃって、胸が痛くて、正直その後しばらく精神的に崩れたんだ。
立ち直るまでに時間かかったなあ。
これも前に、時枝さんには話したと思うけどさ、アキラさんがいつも私を気にかけてくれてたって言ったでしょ。
私が彼らに会えたのは、自分の両親が死んで、めちゃくちゃになってた私を翔太郎が見つけてくれたからなんだけど、
反対側から見ればさ、『あの翔太郎が女を連れて来ただと!?』みたいな感じだったんだって。
なんか、意外でしょ、面白いよね。
学生時代からモテた人だから、普段女っ気がないのにびっくり!って事じゃないんだよ。
だけどある時アキラさんが言ったのがね、『お前無理しなくていいからな?』って。
あはは。え!? どういう意味ですか!ってそう、そう、言ったよ私も。
当時の私は暗い顔の子供だったし、全然笑ってないしさ。
翔太郎は翔太郎で、女連れで行動するような人じゃなかったらしくて、私達二人から只ならぬ雰囲気を感じたらしいの。
ある程度出会いの事情は竜二さんだって織江さんだって知ってたけど、その上で何か、…例えば恩義とか、義理とか感謝とか、そういう感情でここにいなきゃいけないって思ってるなら、そんな事ないんだからなって、言ってくれたのが始まりかな。
翔太郎ってさ、アキラさんと違ってそういう事は言わないんだよね。
そういうなんていうか、安心させてくれる言葉で気づかってくれるのがアキラさんで、
何も言わないけど色んな可能性を後押ししてくれるのが翔太郎でさ。
チラッと言ったけど、ややこしい問題に直面して助けてもらった後も、翔太郎の口から『俺について来い』的な言葉は言われてないの。
家に帰るもよし、ついて来るもよし、好きにしたらいいって感じで。
当時は今程喋る人でもなかったし、私自身なんだって良いやって自暴自棄になってたし。
そういう私をきっと見兼ねたんだろうね、カオリさんもすごく心配してくれて。
色々話を聞いて相談に乗ってくれた。
たくさん声を掛けてくれて笑わせてくれたのがアキラさんとカオリさんで、
直接的な言葉は少ないけどずっと側で支えてくれたのが翔太郎と、織江さんだね。
もちろん、ノイちゃんだって竜二さんだって大成さんだって皆優しかったよ。
だけど自然体な人達の集まりだし、優しさにも色んな種類があるからさ。
それぞれ皆なりの距離感があって、私は物の見事に彼らの魅力にドハマりしたんだよね。
飢えてたのもあると思う。
それは、認める。
だけど彼らじゃなきゃ私は心を開かなかったとも思うし、『無理しなくていいんだからな』って、逃げ口を開けてくれてたアキラさんがいなかったら、もしかしたら息苦しさを感じていたかもしれないよね。
私はすぐに翔太郎を好きになったし、全然嫌な目には合わなかったけどさ。
実はアキラさん、ずっと心配だったんだって。
アキラさんは翔太郎をよく知ってるから、私を故意に傷つけるような真似はしないって分かってる。でも私がそれを理解するにはまだ幼いんじゃないか。これまで同様、勝手に気持ちが先走って、勝手に落胆して、勝手に傷ついて去っていくことになるんじゃないかって。
心配してくれてたみたい。
気になる事があった日はいつも、それを周りに悟られないようにこそっと私の所へやって来て、『お腹痛いのか? ウンチ出ないのか?』って。
結局は皆にバレて、頭叩かれてたけど。
うーん…、あはは、うん。あーあ!…まだほら、こんなに泣けてくるよ。


きっと、もう最後だって分かってたんだろうね。
だからアキラさん…。


『俺な。乃依の事やカオリの事があってめちゃくちゃ辛かったし、今も強烈に辛いけど、まあ、こうしてお前と話出来てるだろう?やっぱりこういう時、俺一人が苦しいわけじゃないって思える奴らが側にいるのって、有難いんだなって。それはもう昔っから分かってて。俺な。実はな、翔太郎や、大成や、竜二、織江達の事はそんなに心配じゃないんだよ。…俺になんかあった時。…あいつらは勝手に泣いて、勝手に支え合って、勝手にやってくだろうって俺には分かるんだよ。実際今がそうだし。あはは。ごめんな。だけど、俺はお前が一番心配なんだ。お前が一番心配なんだ、誠、お前が。なあ。翔太郎は、あいつはちゃんとお前に優しいか?自分勝手な人間の集まりみたいなもんだから、分かりにくいとは思うんだけどさ。ちゃんと皆良い奴だろ? ただお前には翔太郎しかいないって、俺は思ってるから。あいつはちゃんと誠に、優しく出来てるか?』

連載第52回。「善明アキラという男」2

2017年、2月某日。



神波大成が語る、善明アキラという男。
タイトルは『約束』。
(伊藤織江、同席)


-- おはようございまます。大成さん、やはりどこか気乗りしないご様子に見えてしまいます。
「ん? ああ、そんな事ないよ」
-- もしそうであれば仰って下さいね。
「大丈夫」
-- (見つめる)
「あはは」


カメラに映らぬよう少し離れた位置に座る伊藤に目をやると、彼女は私には一瞥もくれずに神波を注視している。怒っているわけでも温かく見守っている風でもなく、とても心配しているような表情に私には見えた。
普段からサングラスを装着している事の多い神波に対して彼女は、彼の顔色だけでなくその動き一つ一つから感情を読み取る事が出来るようになったと教えてくれた。
今伊藤の目には、神波がどのように映っているのかとても気になる所ではあったが、そんな私達の思いを他所に、神波は静かに話を始めた。


「昨日から、今日何話そうかなって。どうやって、どこから話せばいいのかなってずっと考えてるんだけどね。なかなか上手く整理出来なくて」
-- 今日でなくとも構いません。話していただく時間も長い短いは関係ありませんし、極端な事を言えば一言だって良いわけですから。
「そういうわけにはいかないよ。でも翔太郎みたいに上手く話すのは難しいだろうね」
-- 待ちます。というか皆さんのご予定が最優先ですから、私が合わせます。
「ありがとね。いい歳して何言ってんだって思われるだろうね」
-- 思いません(笑)。
「…んー、アキラとはさ。相棒って言う言い方本当は俺は好きじゃないけど、それに近い距離感だった時が確かにあってね。ずっと4人だった俺達の関係が2対2になった時代があって」
-- はい。
「その時代の事をどうして今も話せないかって言うと、これはある程度配慮が必要な話になるんだけど、昔の俺達の○○で○○〇が、〇○○○たからなんだよ」
-- え。…え? それは、もう解決してる話ですか?
「うん、もちろん」
-- 良かったです、…驚きました。
「だろ? うん、相手のある話だしね。俺達の一存でべらべらと話すわけにはいかないんだよな。まあ、…その時にね、その、〇〇た〇〇〇に対する考え方とか扱い方に対して、ちょっと竜二と俺とで意見がぶつかってさ。お互い全然譲れなくて。袂を分かつじゃないけど、顔合わせれば罵り合って殴り合う時期があったって事なんだけど。その時翔太郎はあいつの側にいて、俺の側にはアキラがついててくれたんだ」
-- なるほど。そういう事でしたか。
「うん。…はは、今でも思ってる事なんだけどさ。翔太郎とアキラってどこか似てて。子供の頃はずっと翔太郎にベッタリだったアキラがさ、まるで示し合わせたように同じタイミングでふた手に分かれて、お互いを見守るような形で動いてくれてさ。…昔からアキラはずっと、翔太郎をヒーローみたいに言ってたよ」
-- ヒーロー…。
「ほら、前にさ、ガキの頃の話をした時に、翔太郎の才能が開花した話しただろ。そういうのとか、それ以外でも、あいつがまだ小さくて抵抗する力が弱い頃、いつもボロボロにされて泣いてるのを見兼ねて突っ込んでいくのも翔太郎だったし。…憧れがあったように思う。だから似てて当たり前な部分もあるんだけど。…大丈夫?」
-- すみません、この話は私全然大丈夫じゃないです。
「あはは。そっかそっか。そうだね」
-- ヒーローかぁ。本当に、胸に迫るものがあります。
「想像力が良すぎるのも善し悪しだね」
-- あはは、面目ないです。
「俺と翔太郎は竜二をヒーローだと思ってたけどね」
-- あはは、ドロップキックですね。なるほど、素敵な御関係ですね。
「アキラがさ、俺の側にいる事も最初はなんだか申し訳ないように思えて、俺は突き放すような態度をとってたんだけど。それでもいっつもニコニコして俺んとこ来るわけ。想像できないと思うけど、当時は織江とかノイを近寄らせたくない程周りが、そのー…血生臭いというか、自分達も含めて大分と荒んでた時期だったからさ、あいつのそういう変わらない態度に救われてる事にも、気が付いてはいたよね。大袈裟な言い方だけど、高校生活を途中で諦めて、クロウバーになる前の、先の見えない無軌道な年代というか。怖い物なしの暴れん坊なんだけど、そのくせ何一つ自信がなくて、何一つ持っていないような無力感もあった」
-- 17、8、9の頃ですね。
「丁度その辺りだね。色々布石みたいなのはあったけどね。カオリにはもう出会ってるし、楽器も触り始めてた。あっちは名前だけのクロウバーで遊んでたし」
-- 複雑な年頃に、複雑な関係になってしまったわけですね。本当に仲の良かった、あるいは深く強い絆で結ばれていた皆さんだからこそ、反目し合ってしまった状況はとてもお辛かっただろうと想像出来ます。
「原因ははっきりしてるからさ、どっちかが折れるしかないんだけど。まあ、俺も竜二も若いし今より頑固だったね。俺の側にアキラがいてくれなかったら、どうなってたかなって考えるんだよ。その時はまだ織江とは付き合ってないし、高校もやめてるから顔を交わす機会が減ってるのもあって、仲は悪くないけど今みたいに毎日一緒にいるわけじゃない。そういう時に見るアキラの屈託のない笑顔って言うのかな。邪気のない雰囲気って言うか、うん。…なんか、うまく説明出来てる自信ないけど」
-- そんな事ありません。精神的な支えだったのがよく分かります。状況的には敵対しあっていますが、やはり時を経て部外者の立場から見ると、そんな状況にも関わらず4人の結びつきの強さを感じる事が出来ます。
「そうかな?」
-- 竜二さんの側に翔太郎さんがいて、大成さんの側にアキラさんがいた。確かに2対2だったのかもしれませんが、私にはそれでも4人に見えます。それはでも…敢えて言いますけど、翔太郎さんとアキラさんの心配りが大きいですね。
「そうだね。今にして思えば2対2になる必要はないもんな。それこそ、3対1の状況だって在りえたことだからね」
-- そうなっていたらと思うとぞっとしますね。
「だから、…アキラには『お前どう思う?』って聞いてないんだ。意見が割れるのが怖くて。口では『お前別に俺といる必要ないぞ』って言うんだけど、あいつ笑って『必要ってなんだよ。そんなの今まで要らなかったろ』って」
-- (何度も頷く)
「そういう時間があったからだろうね。…当時俺達の間にあった問題というか事件というか、そこについては俺も怖くてアキラとは話さないんだ。でもそれ以外の、バイク組み立てりとか、カオリの事とか、楽器の話とかたくさん話をしたな。…変なのがさ、まだ高校行ってる頃ってアキラほとんど学校にいなかったからさ、その時2人でいた時代が一番あいつと話をした時代でもあるんだよ。それは竜二と翔太郎も似たような感じだと思う。翔太郎もさ、高校中退するまでは学校外で暴れ倒してたクチだから。ライブハウスでアキラがカオリを見たのもその頃だし、いい格好見せたいからって翔太郎巻き込んで楽器演奏したのだって、その頃の距離感が理由だしね。面白いよな、こうやって話してみると。やっぱり、物事には理由ってあるよな。なんとなくその場のノリとか勢いで動いてるだけなんだけど、振り返ってみれば、あの時はこうだったよなっていう思い出に、ちゃんと理由はあるもんなあ。…まあ、だから、そういう距離感ってどっかで大人になっても残ってるもんでさ、竜二との関係を修復出来た後も、やっぱりアキラはそのままのアキラでいてくれたって言うか」
-- そのままの、と仰いますと?
「…んー。俺と竜二か仲直りしました、と。その瞬間何事もなかったように竜二と『イエーイ』っていうノリになったら、多分俺が傷つくとか考えたんじゃないかな。『やっぱり無理させてたんだな』って思うんじゃないかって」
-- …繊細な話ですね。
「女々しいだろー?」
-- 誰がですか?
「俺」
-- ええ?どこにその要素ありました?
「俺がそう思ってショック受けるだろうなって、アキラに気を使われたって事だからさ。そう見えてとか思われてたってのは、やっぱり女々しいと思うんだ」
-- いやいや、そこは今アキラさんの優しさにスポット当てる所です。
「あはは、そうかそうか」
-- 素敵な人ですね。私皆さんから話を聞いて、色々勝手に誤解してた事に気付きました。
「例えば?」
-- 皆さん口を揃えて『狂犬』だと仰るものですから。
「狂犬だよ」
-- ほらー!あはは!
「だよな?」
(伊藤を見やり、彼女も笑って頷く)
-- なんでそんな事仰るんですか。めちゃめちゃ優しい方じゃないですか。
「優しい狂犬だよ、だから」
(一同、笑)
-- 誠さんが以前仰っていました。アキラさんが一番、自分の事を気にかけてくれていたんだと。
「そうだね」
-- アキラさんもご自身でそう仰ってたんですか?
「んー、いや、そういうワケじゃないけど。やっぱり色々声を掛けてる場面は見てたからね。カオリもそうだし。というか、竜二なんかはさ、頼られると俄然張り切るんだけど自分から動こうとはあまりしないわけ。どちらかと言えば翔太郎もそのタイプなんだけど、あいつ頭良いから自分で考えて先回りして上手い事導いてやるような、ちょっと分かりにくいタイプなんだよね。でもアキラは普通に馬鹿だからさ、気になる事があるとそのまま聞きに行っちゃうんだよな、直接。カオリもそう。要は…そういうこと」
… え!? 今軽く衝撃受けましたけど。
「あはは、なんで?」
-- 特別な深いつながりがあるのかと思ってました。
「そりゃ、あるに決まってるだろ。実際親身になって誠の事気にかけてたのは事実なんだから。ただそれはアキラの距離感の話であってね、じゃあその時竜二は全く興味を示さないのか、翔太郎はずっと放置してんのかって言うと、そんなわけないよって事」
-- ああ、…ああ、なるほど。
「あはは!面白い人だね」
-- すみません。日を追うごとに馬鹿が露呈してってますね。
「そんな事ないよ。全然馬鹿だなんて思ってないよ。翔太郎は変なあだ名付けてたけどね」
-- あだ名?
「繭子がね、『全然トッキー浸透しないなあ』ってぼやくんだ。それ聞いてあいつ、『時枝さんはそんなファンキーなキャラじゃない』って言うわけ。『じゃあピタっとくるニックネーム付けてくださいよ』って繭子が言って」
-- 光栄です。
「『ムキミ』だって」
-- ちょっと!私、可奈って言うんです!凄いあだ名付けやすい名前だと思うんですよ!
「漢字で書くと『剥き身』ね。すごい、さらけ出してる風だから、ムキミなんだって。良かったね」
-- わざわざ説明していただかなくても分かります!もー!
「涙出るくらい笑っちゃった。ピタっと来た」
-- もー!織江さんも何とか言ってくださいよ!
(「良かったね。可愛いよ、ムキミ」)
-- 駄目だ。続けましょう。


「当時は全然楽しくなかったよ。でも今になって思い返すと、あの頃が一番楽しかったかもしれないって思えたりするから不思議なもんだよな」
-- 揉めていた時代なのにですか?
「うん。例えばさ、よく大人になって言われるのが、サラリーマンやってると夏休みが恋しいって言うじゃない。そういう感覚かなってちょっと思うんだよ。人から見ればバンドマンなんて遊んでるように見えるかもしれないけど、体力的には今が一番きついもんね、40歳ともなると。勝手に自分を追い込んでるんだから自業自得だけどさ、あの頃は自分達を縛る強制力みたいなのは何もなかったからね。何をするでもなく目的もないままダラダラ生きてたから、具体的なアキラとのエピソードを話そうとするとさ、どうでもいいような思い出しか浮かんで来ないんだ。いきなりモヒカンにしてきた話とか、バイクでスッ転んで肘の骨にヒビが入ったりとか、ビックリマンチョコを箱買いしたいから日雇いに入ったりとか、カオリのライブを小屋の外で耳を澄ませて聞いてたりとか、二人で翔太郎に喧嘩打って返り討ちにされたりとか、本気の竜二と睨み合って背中ゾクゾクしたりとか。もちろん、よく知らない奴らと揉めて喧嘩もした。一つ一つはさ、思い出というには小さすぎる取るに足らない事ばっかりなんだけど、それでも不思議と忘れないんだ、あの頃を。俺としては美化しすぎてるかもしれないとも思うね。悪かった時代の思い出自慢ほどくだらない事はないもんな。当時は自分達を決して好きではなかったし。…でも、確かにそこには俺とアキラが並んで立ってた。ただそれだけで、それだけなのに楽しかったんだって思えるんだ、今は」
-- はい。素敵な思い出だと私も思います。
「そうだろ? 生きてる、生きてたって実感出来るのはやっぱり凄い事なんだって、あいつが死んだからこそ思える事だよ」
-- はい。
「アキラさ。自分が進行の早い癌にやられたって分かった日の晩、俺のところに来てさ。だけど、何も話さないんだよ」
-- わざわざ訪ねて来られたんですか?
「そう。前のスタジオでさ、皆の前で打ち明けたその日の晩にね。当時俺が住んでた部屋にはふた部屋分の長さのベランダがあって、その右端と左端に立って、煙草吸ってた。俺は普通に何か言いたい事あるんだろうなって思って、あいつの言葉を待ってたんだけどね。缶ビール飲んで、煙草吸うだけ。俺の方から何か聞いてやった方が良いのかなって、ちらちらあいつの横顔見るんだけど、別にそんな思いつめたようでもない普段のアキラの顔がそこにあって、空を見たり、知らない家の屋根を見てたりで。段々と考えるのが辛くなってきて、俺もどこか視点を定めずにぼーっと、何かを見てた。もしかしたらアキラも、俺に何も言わず、何も聞かず側にいてくれたあの頃はこんな気持ちだったのかなって思うと、また心苦しかったりしてね」
-- ご自分の体の事は一言も仰らないわけですか?
「うん、言わない」
-- 会話自体なかったという事ですか?
「そうだね。その時は、何も話さなかった。話はあったのかもしれない。言えなかったのか、言わなかったのか分からないけど。ただベランダの端と端で並んで立ってただけ」
-- とても、特別な時間だったのだと思えますね。
「確かにね。…今はもう俺煙草やめたけど、今でもたまーにベランダに立つとさ、反対側にアキラを見る事があるよ。…あはは、ごめんね、泣かせるつもりではないんだけど」
-- ごめんなさい、いい迷惑ですね。
「いやいや、…俺なんてもうさんざん泣きまくったからね。アキラが死んだ後になって、あの日俺の部屋に長い事いたんだけど、一言も話せなくてって話を竜二達にしたらびっくりしてた。俺は絶対あの二人のトコにも同じように顔出してるもんだと思ってたから、あの二人の反応にこっちが驚いたよ。二人は、アキラはきっとカオリの所へ行ったんだろうって思ってたらしい。時期的にはもうその当時、カオリは長い間入院してる頃だったからね」
-- そうだったんですか。
「うん。だからその事が余計に悲しく思えたよ。それこそ、竜二達と揉めてたあの頃の俺達を思い出してしまって。何とも言えない切ない気持ちになった。一杯助けてもらっておきながら、俺はアキラの支えになる事は出来なかったなって」
-- そんな事はないと思います。…私が言えたセリフではありませんけど。
「あはは、ありがとね。でもさ、…入院中のあいつとサシで話をした時に、言われた言葉があって。約束についてなんだけど」
-- 約束。はい。
「うん。…多分あいつ自分が死ぬのを受け入れてる節があったからさ、後悔しないように、全員にちゃんとあいつなりの言葉を残してるんだよね。それはホントに偉いなーと思うんだけど、俺にしてみりゃそれがまた厄介でさぁ」
-- 厄介?
「アキラがもう自分で笑っちゃって。俺の顔見て『お前にはもう敢えて言う事何もない』って」
-- 何もない…。
「愕然とするよな。その時は何言ってるかもわからないんだよ。それまでの間に皆と色々話してる事すら俺は分かってないからね。その日病室に顔出して、椅子に座るなりそんな事言われて、『へっ!?』ってなったもんな。ベッドの上で胡坐掻いてさ、煙草吸いてえなあって。外(喫煙所)行く?って聞いたら面倒臭いから俺はいいや、お前ひとりで行って来いって言うんだ。お前が吸いたいんだろって俺が返すとさ、俺の顔まじまじと見て、笑い始めて。『お前にはもう敢えて言う事何もねえなあ』って。どういう意味だよって聞くとさ。あいつ、言うわけ…」
-- 大成さん。
「あいつ」
-- 大成さん、もう…今日の所は。


『大成。お前は俺の夢だ。夢だったよ。ジジイとババアになるまでカオリと仲良くさ、お前らのように生きる事が俺の夢だったんだ。本当言うとよ、お前はもういつだって自由になればいいと俺は思ってんだ。バンドなんか辞めちまえよもう。誰に付き合う理由だってねえんだよ、本当は。お前の人生なんだからさ。お前は優しい奴だからいつも俺を庇ってくれたよな。悪かったと思ってる。心から感謝してるよ。そんなお前の横に織江が特別な人としている事が、俺は何よりも嬉しいんだ。あの織江だぜ、お前分かってんのか』


(伊藤が堪え切れない様子で下を向く)


『だからお前は何よりもまずあいつを幸せにする事を考えろ。竜二や翔太郎の事なんて気にすんな。あいつらはなんとでもなるから放っておけばいい。だけどお前は絶対、織江を幸せにする事だけ考えて生きろよ。自分の優しさを言い訳にして、織江を悲しませるような事だけはしてくれるなよ。…って、そう言ってやろうと思ってたけど。考えてみたら、お前はそんな事とっくに分かってる男だったわ。だからもう、俺からお前に言う事なんて何もねえよ』


「恥ずかしい話だけどさ。その時まで俺はバンドの事しか考えてなかったんだよ。もちろん、織江は大事だ。でもそんな当たり前の事は、当たり前すぎて何も考えていないのと同じだった。アキラに言われて初めて自分の中のスイッチが入ったように思うよ。そうか、そうだよな、分かるよアキラ、約束するよって。…カオリを失ったアキラから言われたその言葉がずっと、俺の生きる力になってるんだ。厄介だって言ったのはさ、それでも俺はバンドをやめられずに、今でもこいつに迷惑ばっか掛けてる馬鹿な男だって事なんだよ。もうどうしようもねえ馬鹿だって分かってんだ。だけどそれでも俺は。…俺はさ…」



何度も言うように、私は善明アキラという男に直接お会いした事はない。
そして出会わなかった人間に対してこれほど胸を焦がすような気持ちになるとは、正直夢にも思わなかった。私の目に映るドラムセットには、眩い程の輝きを放つ芥川繭子という奇跡が座っているからだ。それも、私がこの仕事を始めた10年前からずっとだ。それでも尚色褪せない存在としてすぐそこにある善明アキラの息吹を、私は今、悔し涙と共に感じている。何故彼は、生きてこの世にいないのだろうか。
善明アキラに会いたい。
何度も、答えのない問い掛けと胸を抉る渇望が私を強く揺さぶった。
以下に掲載させていただくのは、そんな私が矢も楯もたまらない気持ちに突き動かされた挙句、ご自宅へ突撃してお話をお伺いするという暴挙に出て、収録させていただく運びとなった親御さん達の言葉である。



『池脇竜雄氏の言葉』
「…病室で、横たわってるあいつにだけ聞こえるように、耳元で言ったんだよ。俺達がすぐに追っかける。寂しいのは今だけだ。堪えて待ってろってな。そうすっとアキラ笑って、寂しくなんかないっすよって、そう言ったんだ。小せえ声だった。…俺は黙って頷いて廊下に出ると、思いっきり病院の壁をぶん殴った。ココ、今でも骨がつぶれてそのままだろ。…なんでかなぁ。なんで俺がテメエのガキの友達によ、まだ大丈夫っすよなんて、気を使われてんだろうなぁ。もう、何でアキラなんだよって。溜まらんかったですよ、ずっと」


『伊澄友穂さんの言葉』
「あー…。んー。それはね…子供が4人いて、1人死んだんだと。…想像してみて。…あと3人いるからいいだろって思えるかって話だよね。…ね。私らはずっと、皆で力合わせて4人の子らを育てて来たんだよ。ウソも良い格好も言わないよ。本当に、地獄を生き抜いたんだよ。それなのにまさかアキラだけあんな目に合うなんてさ、とことんこの世界はおかしいよ。公平だとか不公平だとかを嘆く気持ちは今更ないけどさ、でも、やるなら私らを先にやれよって。子を持つ人の親としてそこは、うん、心から思ってるかな。私としては、後を追わなかったあの子らを褒めてやりたいし、まどかを褒めてやりたいよ」


『伊澄銀一氏の言葉』
「何というか。…取り返しのつかない、敗北に似た悔しさがありました。俺達は、色んな事に負け続けた人生を送ってきました。環境とか、人間とか、金とか、色んな汚えもんに負け通しでしたが、それでも歯を食いしばってやってきました。最後まで立って、笑って生きる事が勝つ事なんだと、信じてやってきました。それはガキ共だって同じです。その結果がひどいもんですよ。何故、俺達じゃないんだろうと。まさかアキラを失う事になるとは、思ってもみませんでした。あの時の悔しさは例えようがありません。俺らにはただ、あいつを守ってやれなかった敗北感だけが残りました。それは今も消えません。こいつ(友穂さん)の言う通りです。あいつらは、4人いないと駄目なんですよ」


『神波響子さんの言葉』
「強い子でしたよ。自分の死に際において、残される者の心を想像する事の出来る、強靭で優しい心を持つ子でした。あの子、私に最後まで大成の事お願いしてましたから。何があってもあいつから目を離さないようにしてね。あいつが幸せになれるまでおばちゃんも長生きしてねって…。どこまでも強くあろうとしたアキラみたいな子ですら、病にはあっけなく倒れるんですよ。人の強さって一体何なんでしょうね。私達はあの子らに、何もしてあげられないんだなと、心の底から怒りと悲しみに打ちのめされました。アキラを返して欲しい。今でもそう思っていますよ。私の心と魂を投げ売っても全く惜しくはありません。あの子達にはそれ以上の価値がありますから」


『善明まどかさんの言葉』
『本当に、可哀想な子だよねえ。…これからだったもんねえ。竜二も翔太郎も大成も、3人ともいい男でしょ? アキラだっていい線行ってたと思うんだぁ、親バカかもしれませんけどね。これからたくさんいい夢見れるねって、思ってたんだけど。やっぱり人は病気には勝てないってことなんだよね。…あの子らはずっと4人でいましたから、感覚としては、アキラが一人置いてけぼりを食らったと言うよりは、あの子ら3人がアキラを失った思いの方が強くて、苦しいでしょうね。アキラはまあでも、転んだってただで起きない子だったしね。今頃カオリちゃんと仲良くやってると思いますよ。大好きだったチョコレートのお菓子もあっちじゃタダで食べ放題だろうし、痛い事する奴もいないだろうし。もうじき私らだって行く。今はそれが楽しみですよ』



昼前だというのに曇り空でとても寒い日だった。
私はその日初めてお会いした善明和明氏に対し、ご自宅の玄関先で、嫌がる氏に無理やり抱き着いて離れないという愚行を冒した。
怒られるのを覚悟で白状すれば、私は大声を上げて泣いた。
氏は途中から観念したように、モゾモゾと体を捩るのをやめた。
私を善明家へと案内して下さった池脇竜雄氏のご協力と、和明氏の奥様であるまどかさんの事前の口添えもあり、すんなりとご自宅の中へ通される流れは出来上がっていたのだが、私は一目会うなり凍り付いたように動けなくなってしまった。
写真でしか見た事のないアキラさんと、お父様である和明氏はとてもよく似ておられた。
和明氏のお顔を見た瞬間私は、夢にまで見たアキラさんとの邂逅と現実を錯覚し、混乱し、自制心やその他諸々の、社会人として必要な何かが突然ぶっ壊れた。
お会いしたかった、と繰り返しながら咽び泣く私を狼狽えながらも受け止めて下さった、和明氏の寛大さに感謝を述べさせていただくと共に、頭のおかしな人間が現れたいう異常な恐怖を与えてしまった不敬とご迷惑に対し、改めて深くお詫び申し上げます。



『善明和明氏の言葉』
「…海に出て、魚取るしかしてこんかった男ですから、何も大した偉そうなことは言えねえけどな。それでも、うちの母ちゃんは子育て間違わなかったと思うんですよ。あいつら皆とんでもねえ悪タレだし、そりゃあ人様の恨み買ってたとは思うけどね。けどやりすぎる事はあっても、テメエから悪事を働くような輩じゃなかったですよ。あいつらぁー、泥に塗れた…、うん、生き様だったもんね。言っていい話なのか分かんねえけど。だからだと思うけども、アキラもやっぱり、思いやりとか男気のある、いい男だったと思います。あいつは確かに死んじまったけど、でも言っちまえばそれだけでなんですよ。アキラは俺らの子だし、何があってもそれは変わらねえ。生きてようが死んでようがアキラはアキラだ。それはずっと変わらねえ。そうでしょう? だからもうそれでいいんですよ、俺らはね。ただー…、ただねえ。これは俺達も本当に辛いんだが、確実に他のガキ共の中にある大事な部分が、アキラと一緒に死んだように思えたんですよ。…酷いもんでしたよ。伊藤んトコのノイちゃんでしょ。麻未さんトコのカオリちゃん。そこへ来てアキラだ。どんどん、どんどん、あいつらの中から生気というか、若くて、光り輝くような、あれはなんつーかなあ、エネルギーというか、まあ分かりやすく元気でもいいんだけども。そういうものが物凄い速さで外へ逃げ出て行くのが分かったんですよ。あの時の、心臓を抉り取られるような辛さはだけはもう、ほんっと。…俺達には、どうしようもなかったですよ」



いつだったか、伊澄翔太郎は私にこう話した。
「アキラが特別だったわけじゃないんだ。例えばそれが竜二でも、大成でも、多分俺でも同じ事で。…誰か一人でも欠けてしまった事が、全部の終わりだし、全部の始まりのような気がするんだよ」
彼のその言葉を思い返し、ここへ来て私は納得する。
人との繋がりは単独で起こりえないという自明の理でさえ、その誰かの顔を思い出す事が出来て初めて成立するのと同じだ。彼らは片時も善明アキラを忘れたことはないだろう。それは今回一人一人から話をお伺いして改めて伊澄の言葉を思い出した時、私などでは到底推し量れない絆と愛情の強さに打ちのめされる思いがした。



この日、神波大成は最後に、これまで誰にも話したことのないという善明アキラの言葉を、私に教えてくれた。


「はっきりとした意識を持ったあいつと話をしたのはその日が最後なんだ。でも昨日の事のように思い出せるよ。普段生きてるとさ、段々年も食うし、そのうち言いたくたって言えない言葉が色々出て来ると思うんだよ。恥ずかしいとかキャラじゃないとか、ガキくせえとか男のくせにとか、いい歳してとかさ。でもその時のアキラにはきっとそういう下らない格好付けた発想は、もうなかったと思うんだよね。だから嬉しかったなぁ俺。あいつね、俺に言ったんだ。『だからもう、俺からお前に言う事なんて何もねえよ。でも敢えて例えるなら翔太郎はヘッドロココだ! 竜二はスーパーゼウス! だけど大成お前は、あのクソ美味いウエハースチョコみたいな奴だったと思うよ。甘ったるいのにいっくらでも食えたもんなぁ。お前も覚えてるだろ、ダブりまくったシールに文句垂れながら二人で死ぬほど食ったよな。…大成!最後までこんな俺の側にいてくれてありがとう!俺の事、絶対忘れないでくれよ!お前がいつか死ぬ時はもう一度、俺の事思い出してくれよ!約束だぞ!』

連載第53回。「白き蟷螂」

ノイズの酷い、荒く古ぼけた映像がある。
斜め上から見下ろす形で、恐らくは天井に設置されたカメラで撮影された物だと思われる。
画面奥、鉄製の防火扉の前に一人の男が立っており、5メートル程離れた正面に立つ女性の後ろ姿が映っている。背を向けている女性はもちろん、男の顔もはっきりとは識別出来ない。男は自分の右胸辺りを握って立ち、微かに頭部が動いている。しかし女性の方は微動だにしない。2、3分動きのないそのままの状態が続き、やがて女性の背後から三名の男性が現れて男の方へ詰め寄った。



2017年、1月下旬。
バイラル4スタジオ、会議室にて。
長机を挟んで3対1の構図で座る、繭子を除いたドーンハンマーと、URGAの座談である。
URGA(U)×ドーンハンマー・池脇(R)、伊澄(S)、神波(T)。


U「年末の少し前に、事務所の大掃除をした時にDVDを見つけて。…そうか、今なんだなって思って。だけどタイミングを逃したまま時間だけが過ぎて、今日ようやくここへ来て、話をしようと決心しました。竜二君。クリスマスの朝に、二人で話をした時に、一度だけアキラ君の名前が出たでしょ。竜二君はあの時の会話を覚えてる?」
R「…」
U「覚えてない?」
R「…繭子の前にドラムを叩いてたって話か?」
U「うん」
R「覚えてるよ。それが?」
U「あの時、私『アキラくんでしょ、知ってる』って返事したんだけど、竜二君は何も感じなかった?」
R「何もって?」
U「違和感みたいなものは、なかった?」
R「え、何の話してんだよ」
S「お前無駄に顔が怖いぞ。どういうのを違和感って言ってんの?その時のあんたの様子?言葉?」
U「言葉(笑)」
S「知ってるってことがか?」
T「別に…、変じゃないと思うけど」
U「そうなのかな」
R「…」
S「え?」
T「なんだよ、俺頭悪いから全然分からないんだけど(笑)」
U「難しい話では、ないよ」
S「今思った事なんだけど。例えばさ、俺に関して言えば、実際にあんたと顔を会わせて話をしたのは、去年のアルバムを手伝ってもらったあの時が、実は初めてなんだよ」
U「そうだったね」
S「…そういう話?」
R「アキラには会った事があるって言いたいのか?」
U「うん」
T「ええっ?」
S「えー」
R「ウソだよな?あいつが死んだのはもう10年も前だぞ?」
U「うん。ウソじゃない」
R「そんな事今まで一度も言わなかったじゃねえか。あいつからも聞いた事ねえしさ。一体なんの話をしてんだ?」
S「なんで今まで言わなかったんだ?」
U「言えなかったんだよ。言わなかったんじゃなくて、言えなかったの」
R「ちょっとちょっと、ちょっと待てって、本当の話をしてんのか?本当にアキラと会った事あるってのか?見かけたとかそういう事じゃなしにか?」
U「うん」
S「え、ごめんな。それは、誰の何に関する話だ?」
U「アキラ君と、竜二君かな」
(伊澄と神波が真ん中の池脇を越えて顔を見合わせる)
S「席、外した方がいいんじゃないか?」
U「ううん、大丈夫。…大丈夫だと思う」
R「あはは、混乱して来た。なんかちょっと怖えんだけど」
U「その年末に見つけたDVDの中身っていうのはね、実は防犯カメラの映像なの。まだ私が以前の事務所で歌っていた頃の話。映像に記録されていた日付を見たら、2002年の、11月17日だった。なにか、意味があると思う?」
S「17日?」
T「それって」
R「ノイが死んで2日後だ」
U「(大きく息を吸い込み、長くゆっくりと吐き出す)。そういう事なんだね。それは流石に知らなかった。私も今初めて知った」
R「なんだよ。え、ノイが死んだ2日後に、アキラと会ってるってそう言いたいのか?」
U「うん。そうみたいだね」
R「話したのか?」
U「うん」
R「その映像ってのには音声も残ってんのか?」
U「ううん。テレビ局の駐車場に出る廊下の物だから、本当に記録用のカメラ映像。音はないの。あのね、昔私をマネージメントしてくれてた人が、もし何かあった時に証拠になるかもしれないからって、局に頼んで貰ったものだったみたい。今私の事務所の社長をしている、母からはそう聞いた」
R「アキラ、何かやらかしたのか」
U「ううん。怖い事は何も。強いて言えば、許可なくテレビ局に入った事は、まあ許されないかな(笑)」
S「14年前か。一応前の4人の時代ではあるな」
T「…」
S「アキラは、あんたに会いに行ったのかな」
U「うん」
R「え、なんで今まで言わなかったんだよ」
U「だから。言えなかったんだってば」
R「どういう事だよっ」
S「うるせえな。どういう話をしたのか、覚えてる事を伝えに来てくれたってこと?」
U「うん。年末にそのDVDを見返して、鮮明に思い出したよ。アキラくんね。私の前に姿を見せた時にはもう、少し泣いてたんだよ。あまり上手ではない、使い慣れていない感じのする敬語で、だけど力強い目で、私に言ったの」


『初めまして、善明アキラと言います。僕はここから一歩も動かないので、話だけ聞いてください。あなたはデビュー以来、とても温かい素晴らしい歌声で、多くの人間の心を震わせているんだと、いつも聞かされています。もし、この先、いつか、この先、そんなあなたの前に、…池脇竜二という男が現れる事があったら。もし、その男が、あなたの目の前に立つ事があったら、その時はどうか、どうか、たった一度でも良いですから、その男の事を見てあげて欲しいのです。池脇竜二という男の頑張りを見てやって欲しいのです。もしかしたら、現れないかもしれません。その時は忘れて下さい。突然の事で、失礼な事をしていると分かっています。でも、もし、もしあいつがあなたの前に立った時は、…その時は思い出してほしい。そして、その時あいつはきっと、…きっと死ぬほど頑張ってるはずだから、笑顔で、その、あいつの頑張りっていうものを、見てやって欲しいのです』


R「…」
T「何だよそれ…」
S「…」
U「…当時私は、目の前に現れた善明アキラという人も、池脇竜二という人の事も知らなかった。駆け付けたスタッフとマネージャーが間に入って、その場は無理やり引き離されたから、その後彼がどうなったかは知らない。それに、その後彼の顔と名前が完全に一致したのは、彼が亡くなった後だったの」
R「…」
U「同じレコード会社という事もあって、周りにあなた達のファンもいたから、若くして亡くなった事は自然と耳に入って来た。だけどその時私はもう既に、大切な人と出会っていたし、あまりにも急な出来事で何をどう受け止めていいのか分からないのもあって、アキラくんの言葉を真剣に考える余裕はなかった。彼が亡くなったと聞いた時、同じバンドのメンバーに池脇竜二という男性がいる事を知った。自分なりに向きあうべきかどうか、考えてはみたけれど、その時にはもう私の中で現実味が薄れていた事もあって、結局は理解をしないまま時間はあっと言う間に過ぎていった。だから今でも、彼が亡くなった事に対して少し後ろめたさを感じる」
T「え?」
R「なん」
U「私がたった一歩を踏み出して、どういう事だったのかと話だけでも聞きに行っていれば。直接私が行くんじゃなくたっていい。そういう冷静な判断をしていれば、彼の思いを10年以上も眠らせる事はなかったんだと思うと」
R「いっ」
U「それが! …良いとか悪いとかじゃなくて」
R「…」
U「彼が亡くなった事で私の中では、解明されることのない不思議な体験として、小さなしこりが胸の中にあり続けた。今から数年前、私のコンサートを見に来てくれていた大成君とオリーと知り合えた事で、ドーンハンマーの存在が私の中に居場所を作った。少し、ドキドキした。だけど実際には一昨年、オリーに誘われてこのスタジオへ招かれて、そこで初めて真正面から池脇竜二という男の絶唱を聞いたのが最初。ドーンハンマーというバンドの熱気を浴びたのも最初。その時私は素直に、凄い人、凄い人達がいるなーって、そう思ったよ。嬉しかった。前にも言ったけどさ、どこか私に似てるなって思ったし、大きなものを背負ってる人の横顔だなって思って、嬉しかったんだよ」
R「(小さくため息)」
U「誤解しないでほしいのは、あなた達4人の音を体で感じた時に抱いた衝撃は、お伝えした通りウソ偽りはないし、嫉妬して、打ちのめされて、たくさん考えさせられる切っ掛けにもなったし、今の私の糧となった事は間違いありません。だけど、そこにアキラくんの言った言葉の意味が、全く影響しなかったかと言えば、それもゼロではないと思う。特に、やっぱり竜二くん。14年目にしてようやく、真正面からあなたの歌声と人柄を感じた時、そりゃあやっぱり、初めて会った気がしなかったよ。こういう人が実は、私の意外とすぐ身近な所にいたんだなあっていう驚きと、ああ、あの時のアキラ君が私に何か、思いを託そうとした人が、今目の前にいるんだっていう、懐かしさと、ようやくと言う思いを感じた。でもその時はまだ、竜二君が大切な人を失っていることを私は知らないし、言い方は色々だけど、あなたが自ら私の前に立ったわけでもなかったから、アキラ君との事は言えなかった。きっと、あなたには誰かいい人がいるんだろうし、失ったとはいえ、私の中にも大切な人はいる。だから、言えなかったんだよ」
R「…」
T「(乱暴に涙を拭く)」
U「それに、核心的な事は聞けず終いだったし、私の前に立つという言葉の本当の意味だって、私には判断がつかなかった。ところがだよ。自分でもびっくりだよ。去年、あの日、竜二君は他には言いようのない意味で、私の前に立ってくれたよね」
R「…」
U「オリーから妹さんの事を聞いて、『END』を一緒に歌って、そして時枝さんからの依頼であなたとの対談が決まった時、近づいてくる運命の足音を聞いた気がした。それは単なるあなたのブーツの音だったのかもしれないし、私の心臓の音だったかもしれない。対談が始まってからも、今日言おうか、今言おうかと迷いながら、それでも私はまだ悩んでた。だって、もしかしたら竜二くんはすでにアキラくんからその話を聞いちゃってるのかもしれないし、皆知ってる話なのかもしれないって思ったら、あえてカメラの回ってる前で、今言うべき事じゃないのかもしれないって、そう思ったの。だから、対談の最中に、アキラ君の事知ってるよって言ってみたんだけど、竜二君はそこで立ち止まらずに通り過ぎた」
S「…」
T「(涙を拭う)」
U「…あの日、二人でたくさん話をしたね」
R「(何度も頷く)」
U「何ひとつ、私、ウソ言ってないよ」
R「ああ」
U「最後の最後、真剣な目をした竜二君が立ち上がった時、私は照れて笑っていたけれど、本当は、胸が張り裂けそうだった。色んな人の思いがぐるぐると私の中を駆け巡った。その中にはもちろんあの時のアキラ君もいて、泣きながら私に訴えかけた言葉がよみがえって来た。『その時あいつはきっと、きっと死ぬほど頑張ってるはずだから、その頑張りを見てあげて欲しい』」
R「(両手で顔を覆う)」
U「本当は、私達二人ともが、こうなる未来を望んでたわけじゃなかったよね」
S「(URGAから視線を外す)」
U「2年前。あの人がこの世からいなくなって私一人が残された時、喉が千切れても構わないと思った、心の底から愛してるよって叫んだ、その気持ちは今も消えずにここにある。それでも、たった一度しか会えなかったけど、アキラ君の涙と言葉も私の中からは消えなかった」
R「(涙を拭う)」
T「(俯いている)」
U「クリスマスの対談で、竜二君が私に言ったの」

『もっとやれる、もっとだ、もっと!って常に思ってる気持ちの先端部分はきっと、歪んでイビツな形をしてるだろうなって』

U「あああぁ、この人は一体どれ程の悲しみに耐えて、今日まで生きてきたんだろうか。アキラくん、私ちゃんと見てるよ、今ちゃんと竜二君が目の前にいるよ。私をここまで育ててくれた大切な人にもありがとうを言いたい。今私と、竜二君の中にはとてつもない悲しみと葛藤しかないけれど、それでも、私達は今向かい合ってここにいるよって。叫び出しそうで怖かった」
R「(涙を拭う)」
U「アキラ君が私の前に現れるほんの二日前に、竜二君は大切な人を亡くしていたんだね。あの時の私には知りようもない事だったけれど、全てがつながった今あの時のアキラ君の顔を思い返すと、背筋が凍る思いがするよ。本当に彼も凄いと思う。自分だって大切な友達を亡くしたばかりなのに、それなのに彼は、いつ現れるかも分からない友達の事を私に託して行ったんだよね」
R「…」
T「…」
S「…」
U「あの日から、あなたはずっと今日まで、大声で叫び続けていたんだね。自分の時間に置き換えるとよく分かる。本当に長い間、よく、頑張ってこれたねえ。アキラ君の希望通りの、とても笑顔ではいられないけれど、私は竜二君を心から尊敬する。あなたは誰にも負けない素晴らしい人だと思う。素晴らしい友に、素晴らし家族に恵まれた、素晴らしい歌うたいだと思う。それが、出会ってからこれまで私が見て来た、あなたの頑張りです」
R「(押し殺した声が漏れる)」
T「…」
S「…」
U「『いろどり橋』で、アキラくんのお母さまにお会いして、我慢なんかしちゃだめだって言ってもらえた事も。きっと、たった一日だって恋人を忘れた事はないんだろうなって思える竜二君の人柄も。あなたの常に側にいて、一緒に泣いて笑って生きて来た翔太郎君や大成君と出会えた事も。今のURGAを一緒になって作り上げてくれたあの人も。私は会った事はないけれど、竜二君の隣に今もいる素敵な女性の存在も。全部、全部、大切だね」
R「(何度も頷く)」
U「私達、きっともう十分幸せだよね」
R「…ああ。間違いねえな」
U「そういう意味では竜二君こそが、『白き蟷螂』だったね」
R「はっ。そんな大層なもんじゃねえよ。何より、辛い事や苦しい事に耐えて来たのは俺だけじゃねえから。こいつらだって皆そうだ。確かにノイは俺にとって掛け替えのない人だった。でもそれは同時にこいつら皆にとってもそうなんだよ」
U「うん」
R「俺達は色んな物を失い続けて生きてきた。だけど、だからって俺達は一度も何かを我慢したことはねえよ」
U「…そう?」
S「(俯く)」
R「だから…俺はあんたを」
U「…私を?」
R「…」
T「ああああ」
R「…」
T「外でやってくれる?」
S「(こらえ切れず、爆笑)」
U「(涙を拭いながら、笑って視線を外す)」
R「…ああ、お前らまだいたのかよ」
T「クソがぁ。ああああ(両手で涙を拭いながら)、こんなの完全に貰い事故だわ」
U「確かにそうだね(笑)」
T「泣いたー、あああ、もう!」
R「ははは、(鼻をすする)。あああ、でも、聞けて良かったよ。うん」
S「あの野郎はなぁ」
U「でも、3人のリアクションを見る限り、皆知らなかったって事だね、結局ね」
T「知らなかった。なあ?」
R「ああ」
U「…翔太郎君も?」
T「…」
R「あ?」
S「…いや。ホント、つくづくあいつ、生きてんなあーって思って。アキラ」
R「(荒々しく両手で顔をこする)」
T「ふふ」
S「あいつ本当何なんだよ(笑)。うん、俺も知らなかったけどさ、でもよく言う気になったなぁ。14年間黙ってた事を言い出す勇気って相当なもんだよな。別にさ、余計な誤解を招く恐れもあったわけだし、言わなくたって良かったって見方もあると思うよ」
U「うん。実はね、繭ちゃんのおかげなんだ」
S「繭子?」
U「昨日うちに来てくれてね、たくさんお話をしたの」
S「へー」
U「電話がかかって来てね。私のお家に呼んで、二人でいーっぱい話をした。本当言うとね、翔太郎くんの言うように、もしかしたらこのまま黙っていた方が良いのかもって、私の中ではちょっとそっちに傾きかけてたんだよ」
S「俺でもそう思うよ」
U「あなたなら墓場まで持って行ってくれそうだね(笑)。それに、せっかく竜二君と腹割って思いのたけをぶちまけたのにさ、そういうの全部ひっくり返るんじゃないかっていう怖さも、うん、あったしね」
S「あ、それで俺らも同席してるわけか。フォロー要員として」
U「…相変わらず頭良いなぁ!」
R「あははは!」
T「なるほどねえ」
S「出来が違わぁな。こんな筋肉ダルマ焼酎と一緒にしないでくれるか?」
R「あははは!(嬉しそうな笑顔)」
U「えー、怒って良いと思うけど。普通そこは笑わないと思うんだけど。君達ってホント独特だよねえ(笑)」
T「ふふ。それで、繭子なんて言ったの?」
U「ああ、うん。具体的な話の内容は言えないけどね。繭ちゃんの、竜二君に対する思いとか、昔から私に対して抱いてくれていた思いを聞かせてくれたの。やっぱり、物凄く良い子だね」
R「ありがとう」
U「一つ私の方から意地悪な質問をしてみたの。竜二くん達と一緒に生きてて、困る事はないの?って」
S「うん」
R「そりゃ一杯あるだろうな」
U「ないんだって」
R「え?」
U「ないんだって(笑)。一つも?って聞いたら、ないですって。即答するからさ、『ん、なんかこの子意固地になってないか?』って思ってもうちょっと突っ込んで聞いてみたりもしたの」
R「うん」
U「だってさ、好き嫌いの問題じゃなくてさ、男と女なわけでしょ。あえて恋愛の話は置いといてもさ、もう絶対的な属性の差っていう物があるわけだから、何か一つや二つくらい、困った事にもなるでしょうって」
R「あるだろ」
U「ないんだって(笑)」
S「あはは!あー、もう」
T「繭子らしいね」
U「でもよくよく聞いて見るとさ、理解できる気がしてさ」
S「何でだよ。あいつ人丸め込むの上手いからなあ」
U「そんな言い方しない(笑)」
T「話盛るしねえ」
S「そうなんだよ、誰に似たんだかさあ」
R、T「お前だよ!」
U「(一瞬面食らって、爆笑)」
S「うるせえなあ。でもさ、フォローすんのも変な話だし言っていいのかもちょっと迷うけどさ、別に俺達だってないよな?」
R「(考える様子)」
T「あー、確かに」
U「なんでちょっと迷うの?」
S「だってそれは俺達が困った事にならないように繭子が気を使ってくれてるって事だろう。それを無視して、別に俺らも困ってねえよなんて言ってたら、すげえ馬鹿な大人って事になるんじゃないの」
R「あー、はいはい」
U「…すごっ」
S「ん?」
U「もうね、全く同じ事言ってたよあの子。え、2人は何、付き合ってんのか?」
S「ふふ」
T「(URGAを見ながら)今日イチ怒ってんじゃん」
R「あははは!」
U「もー、だからなんでそこで笑っていられるのよ、君は(笑)」
R「はー、お腹痛い。なんか良いなと思って。URGAさんとこいつらが笑って絡んでる姿をこんな間近で見られて、すげえ不思議だもんなんか。今でもちょっとウソなんじゃねえかって思うし」
U「またその話かあ?」
T「俺もそれ分かる。お互いそうなんじゃないかな。だから俺なんかは織江を挟む機会が多いから、今はもう話してる時にそこまで緊張とかないんだけど、翔太郎や竜二と親し気に話してるのを見てると、いまだになんかぐっと来るんだよね」
R「分かる」
S「分かる分かる。最初はめちゃくちゃ緊張したけどな、今はもうなんていうか、この人も相当気を使うし場の空気をうまい事コントロール出来る人だから、自分自身が話をするだけならすぐ慣れるんだよ。でも他の奴らと絡んでる姿はなんか、ぐっと来る」
R「分かる。いや、俺は俺で、自分が話してても時々ぐっと来るけど」
U「もう新曲作れ!『ぐっと来る』っていう新曲作れ!」
(一同、笑)
U「でも本当、凄いよね。繭ちゃんもさ、そう言ってたんだよ。私は何も考えずにただ楽しく生きてます。それでいて困った事にならないのは、私が何かを我慢してるわけでも避けてるわけでもなくて、あの人達がひたすら優しくて気を使ってくれてるからだと思いますって。凄いなーと思って。どういう関係性を築けばこんな風に言えるんだ?って、教えてもらいたいくらいだよって。そしたらさ、彼女言うわけ。大切な物とか大切な人って、そんなに一杯ないですからねって」
R「どういう意味?」
U「そこがどういう意味って言う話よりもさ、彼女の中にあるそう多くはない大切な事意外はどうでもいいんだっていう心の広さとか器の大きさみたいな所が、凄いなあと思うんだよ」
R「ああ、うん」
U「それってさ、きっと私なら相手を睨んじゃうような場面でも繭ちゃんなら全然気にしないでいられるって事なんだと思うの」
R「…うん、そうなのかな(笑)。分かんねえけど」
U「それと同時にね、きっと君達もそうなんだろうなって思った」
R「いやあー?」
T「っはは、自分達を器の大きな人間だと思った事は生まれてこの方一度たりともないけどね」
S「あははは!ないない、あるわけがない」
U「えー、でもそれでいてさあ、お互いを傷つけずに同じ時間を生きていけるってどうなのよ。凄すぎない?人間どこかしらで我慢を重ねて生きて行くものだし、そのおかげで強くなる部分だってきっとあるでしょ。皆が皆同じ方向を、向こうと思ったって向けるわけじゃないし」
S「んー」
R「(天井を見上げて考える様子)」
T「(池脇と伊澄を見やって)言ってもいい?」
S「どうぞ」
R「よろしく」
U「あはは」
T「誠の話なんだけどね」
S「(苦笑)」
R「(頭頂部を指で掻く)」
U「(ニコニコしながら)うん」
T「全然関係ない話かもしれないけど、今あのグレープフルーツの話思い出して」
S「(突然吹き出して笑う)」
U「なんだなんだ、そんなに面白いの?」
R「あー(嬉しそう)」
T「もう大分前の話なんだけど、誠が実験した事があって。それは何かって言うと、香水の代わりにトイレの芳香剤みたいな強烈な匂いを漂わせて俺達の周りをウロウロしたらどんなリアクションをされるか、みたいな事なんだけど」
U「(声を上げて笑いたいのを遠慮しながら)随分と、変わった子だね」
T「ありえないぐらいのインパクトなんだよ。普段誠がそんな風になる事まずないからさ、あれ、何だこの匂いは、何かの間違いじゃないかって、ちょっと信じられなくて」
R「あれグレープフルーツなのか。もう超臭いんだよ、まじで半端ないぐらいの、寄るな!触るな!ってぐらいの、酸っぱいし、苦いし、鼻が痛えし、何か、刺激臭?」
U「だろうねえ、だって等身大トイレの芳香剤でしょ?」
S「物が何なのか分からないんだけどな、例えるならそんな感じ」
T「何かね、普段の俺達って実は、そんなに、ギャーギャーとスタジオ内で喋ってるわけじゃないんだけど、さすがにこれは皆からガンガンに突っ込まれるだろうって、盛り上がるだろうなって、あいつもそれを期待しての事だったらしいんだけど」
U「ふふ、うん」
T「だーれもなーんにも言わなかったんだって」
U「何もって、何も?無視って事?」
T「うん。結果的にそうなって」
U「なんで!?」
T「まず俺と織江はね、ありえないって分かっててもさ、もし万が一誠がそれを良いと思ってたり、好きだと思ってたりするかもしれないから臭いとは言えないってなって。何か不可抗力的な事があったのかもしれないし。相手は年頃の女の子だから、これって何の匂いって聞く事すら出来ないって(笑)。勘のいい子だからね、それだけで傷つくんじゃないかって。それに、例えここで黙ってたって翔太郎が何か言ってくれるだろうから、俺達は黙っていようって」
U「優しいー。さすがだね」
T「でも結局その後竜二も繭子も何も言わないし、翔太郎もな?」
S「うん、その日は、うん。言ってない」
U「それは翔太郎君も大成君と同じ気持ちでってこと?」
S「うーん、…どっちかって言うと俺は、面倒臭いなと思って」
U「はあっ!?」
R「あはは!」
S「こーわ。おい(池脇を肘で突く)」
U「なんでそんな事言うのよ。え、言ってないよね?」
S「本人に?言ってはないけど、別にそんな事くらいで俺は何にも思わねえもんだって」
T「(両腕を広げて見せる)これぞ、我らが伊澄翔太郎でございます」
S「汚なっ!」
T「いやー、俺これ良い話だなと思ってて」
U「あはは、なるほど。その程度の事は何も問題にしないよって?…ははー(笑)」
T「だから、臭いとか変な匂いとか、相手がどういうつもりでとか、そこを全く見ないでいられるぐらいの関係だったり、お互いの人間性だったりも重要だけど、本当ありえないぐらい強烈だったあの日の誠を見ても『まあそれはそれとして』って明らかな欠点をどこかへ押やれる凄さってのを、俺と織江は感じたんだよね。今繭子の話しててそれ思いだしたんだよ。なんか、そういう事なんじゃないかなって思って」
U「いいねえ。結構器大きいじゃないかー、このこのー」
S「いやいやいや、待てって。そりゃどっちが優しいんだって話になったら圧倒的に大成だと思うぞ、俺は」
R「あはは、俺もそう思うわ」
S「なあ?」
U「んんー(笑)。私はちゃんと言ってあげるのが優しさだと思っちゃうかも」
R「うん、だとしても言う人間って大事なんじゃねえかな。俺が言うと傷つくかもしんねえけど、こいつ(伊澄)だったら誠も平気だろうな、とか」
U「なるほど」
S「だから面倒なんだよもう、そんな事」
R「台無し(笑)」
U「(笑)」
S「世間の流行とか全然疎いからさ、あいつが『これ流行ってるんだ』って言えばそんなもんかと思うし、俺が臭えって思ってても世の中には受け入れられてるのかもしれないだろ。そんな事いちいち考えるのも面倒くさい。そんな事で何も変わらないって」
U「でも超ー!臭いんだよ、自分の恋人が」
S「うん、だからそこを面倒臭いと思って取り合わない俺よりもさ、あいつ頭おかしいんじゃねえかなって心配してやってる織江の方が優しいだろ?」
R「あははは!」
T「んな事言ってねえから(笑)」
U「あー、そっかそっか。でも、実際どういう心境になるの?そんな、嗅いだ事ないけどありえない程臭い事に気づいた瞬間って」
S「いや、本当、何も。そりゃあドブ臭いとかなら言ったかもしれないけど、そこがグレープルーツってのがあいつの詰めの甘さだよな。自分を殺しきれないというか」
T「お前、厳しいなあ(笑)」
S「はは、でもそれより強烈だったのがさ、『最終的にただの臭い女として一日が無駄に過ぎた』って言ったあいつの一言が一番笑った。そん時の悲しい顔見た時、俺アキラより面白い奴初めて見たって思って」
(一同、爆笑)」
S「でもこれ繭子の良い話と全然繋がらないと思うけど」
U「そんな事ないよ。同じだと思う」
T「だろう?」
S「そうかあ?」
U「うん。繭ちゃんも言ってたようにね、本当に譲れない事以外はどうでも良いと思ってるからそんなに簡単に傷つかないし、お互いがお互いをちゃんと大切に思い合ってる事もうまく作用して、何も問題が起こらないっていう事なんだろうね。起こってたとしても、気にも留めないっていうかさ」
S「(神波を指さし)遠慮して傍観、(自分を指さし)気付いても関わろうとしない、(池脇を指さし)そもそも気付かねえ。これのどこに器のデカさがあんだよ」
(一同、爆笑)
R「いや俺気付くから、そこまで鈍感じゃねえから!」
S「お前が今更俺に何言ったって駄ー目(笑)」
T「(手を叩いて笑う)」
R「ああああ?(怒った振り)」
U「面白いねえ、君達は見てて飽きないね。こういう姿を見てるとさあ、楽曲制作でああいう即興音楽的なスタンスがぴたっと嵌る理由が分かるよ。各々音源持ち帰って、一人で頭捻って考えてって、そういうの、似合わないね」
T「いやいや(笑)」
S「そこは単純に技術的な問題だろ。似合う似合わないじゃなくて、出来ないんだから」
U「はいはい(笑)」
R「(苦笑)」
T「あはは」
S「ただでもそれで言うとさ、もう別に喋らなくても良いって思ってるとこもあって」
U「普段?」
T「ああ、スタジオ内とかでね」
S「そう。コミュニケーションって、いる?」
U「おお? そりゃいるでしょ(笑)。え、いらないと思ってるの?」
S「でも、…うん、いらないかな、もう」
U「なんでー!」
R「(腕を組んで下を向いたまま楽しそうに笑う)」
U「ええ、ここ(池脇)も笑うって事は全員そんな感じって事なの?」
S「さっき大成が話した誠って奴の実験の切っ掛けは、そもそも俺らが全然喋らない事が理由としてあって。俺達自身はそれが普通だったし、困る事もないんだけど、見ててあまり気持ちのいい空気じゃなかったらしくてな。曲作りとかは普通に喋ってるし会議だってしょっちゅうやってるし、意識して見れば普通に話してるはずなんだけど、練習中はとにかくなんか、鬼気迫るというか」
U「うん。それは今もそうだよね」
S「そう。それをあいつなりに改善しようとした結果凄い臭い女を演じたっていう事なんだけど、問題はさ、そもそも改善されなきゃいけないような関係じゃないんだよ、俺達は」
U「うん。なんとなく、話は見えたぞ(笑)」
S「そうなんだよ。だから極端な言い方すると他所で誰が何を喋ってようが、それを俺が又聞きしようが、雑誌の紙面で初めて知ろうがどうでも良くて」
T「どうでも良いわけじゃないぞ(笑)」
S「ああ、そっか。そこはもう、根っから信頼してると思うんだよ。言い方本当気持ち悪いけど、疑う事すらしないというか」
R「(大きく頷く)」
T「そうだね。言い方や表現の癖は色々あるけど、180度考えの食い違うような事は絶対に言わないと思ってるし、そこを再確認したいとは、もう思わないかな」
S「面倒臭いよな。だから今回、今いないけど時枝さんの取材でもさ、そういう意味じゃあ編集者泣かせだと思ってんだ。だって俺ら同じ事しか言わないし、『そうだな』『確かに』っていう相槌打ってるだけな事めちゃくちゃ多いからな」
R「あははは!」
S「普段生きてて、完璧に波長が合うなんて事にはそりゃならないけど、それでも一番根っこの部分をお互い知りすぎてるから、上の方の、ここらへんの、上澄みみたいな部分でいくら食い違おうが揉めようが、また言い方アレだけど、どうでもいいというかな」
U「そこの部分が繭ちゃんの言う、大事な事ってそんなに多くはないという感覚と同じなんだろうね」
S「そうなのかなあ、多分ね。それもあるし、初期の頃なんかはあいつともそんなに意味なくダラダラと喋ったりしなかったから、適度な距離を保ってたのもあるし」
U「ああ、言ってたかもしれない、それも」
S「最近はわりとなんでも話せる所まで近づいたと思ってるけど、どっちかって言うとあいつの方が線引いてる部分があるからな。でもまあ、その方がこっちも色々ボロが出なくて助かるというか(笑)」
T「あはは、それは全くその通り」
S「ふふ、うん」
U「ねえ、聞いてもいいかなぁ」
R「うん?」
S「何」
U「昨日繭ちゃんとお話しててね、竜二君と私以外によく名前が出たのが、その誠さんという人の事」
S「ああ…。うん」
U「ちょっと…思う所もあって」
S「ん?」
U「繭ちゃんがね、泣き出しそうな勢いで、凄くいい人ですから、素敵な人ですからって、私に言うのね」
S「…うん」
R「(目をぎゅっと閉じている。眉間の縦皺に力が漲っている)」
U「ちょっと、圧倒されるぐらいで。なんとなく繭ちゃんは今日、本当はそれを伝えに来たのかなっていう風にも思ったぐらいでさ。これはひょっとして、私は彼女達に余計なストレスを与えてるんじゃないかって、考えたりもしたの」
S「いやいや。あはは、何言ってんの。考え過ぎだって」
U「そお?」
R「だから…」
S「…」
R「やっぱり根っから優しいなあと思うのはよ、大成も翔太郎もあえてこの場でしなくても良い話をしてくれてるって所で、あんたも今この話を切り出しやすかっただろうっていう思いもあって。やっぱり、そういうのはありがてえなーって」
U「ふふ、うん。凄い人達だよね」
S「(神波を見ながら首を振る)」
T「(伊澄を見やって苦笑する)」
R「今、カメラあるっちゃあるけど、この場は俺らだけだし言えるけど、もう俺らなんてただのオッサンだし、俺とこの人(URGA)がどうとか、翔太郎だとか、そんな話で今更…。なんつーか…、ああ、なんて言ったらいいかさ」
U「…うん」
S「…」
R「一番駄目なのはよ、関係ねえ繭子や誠がそういう俺らの個人的な話に変な気を回して、居心地を悪くしちまう事だと思うんだよ。俺はやっぱりそうしたくてあんたの手を掴んだんだけど、そこも、あいつらには関係ねえだろ、本来は」
T「関係ねえとは思ってないんじゃないか?」
R「良いように考えてくれてたらそれにこした事はねえよ。けど、ちょっと俺自身ややこしかったり、誤解を与えてた面もあるだろうし、誠なんかは自分の体の事もあったから気弱になってここを疑ってた時もあるし、今はホッとしてるのかもしんねえけど、そうやってホッとしてる事すらどっかで気に病んで、後悔してんじゃねえかとか、俺は…」
T「まあ、そうかもな」
R「分かんねえよ、それが、あいつらの中でどんくらいデカい問題なのか、別にそれはそれとして、大した事ではないって思ってんのかもしれねえし。それは外から見てたって分かんねえだろ。だから一番いいなって考えてたのは、皆が腹割って言いたい事言えて全部を笑いに変えられたらなって。都合の良い事言ってんじゃねえよって自分でも思うから、テメエじゃ何も、言えなくて」
S「一番うるさい男が今日は口数少ないと思ったんだよ(笑)」
R「悪かったよ。ただ黙って聞いててやっぱり、うん。ありがてえなあって、そこは感じてんだよ。大成がさ、いきなり誠の話を始めたのもきっとそうなんだよ。繭子と同じで、誠をこのままはしておけねえって考えてくれてたんだろうなって感じたし、翔太郎もそれが分かるから、嫌でも話乗っかってんだろーな、とか思ったら」
T「あはは」
S「お前さあ、今日メソメソしすぎじゃない?仮にもお前うちの顔なんだからさ、屁こいてゲラゲラ笑ってりゃあいいんだよ」
R「(慌てて顔をこする)オウッ」
T「あとお前その言い方だと、URGAさんの肩身が狭い感じになるから。いちいち思った事全部喋るんじゃないよ(笑)」
R「オウ、すまん」
U「あははっ」
S「ん?」
U「ごめんごめん、堪え切れなかった。でも分かった。こりゃー、傷なんてつかないわ」
S「何?」
U「世界を包むブランケットボイスと称されたこのURGAさんを(笑)。ほわっと包んでくれる綿毛のように皆優しいんだね。そんなのさぁ、傷つきようがないよね。愛情しか感じないもん。繭ちゃんがウソついてないんだって事は君達自身が証明したね」
S「いやー、ああー、んんー。ええーっと、…はあ!?」
(一同、笑)
R「いやー、ちょっとさ、時枝さんじゃねえけど、誠とか繭子の話になるとどうにも感情移入しちまってな、駄目だ」
U「そうなんだ?」
R「付き合いの長さはそのまま、あいつらを見て来た時間だろ。いい思い出も悪い思い出も、両腕一杯あるから。さっきも大成の言ったグレープフルーツの話聞いてて思い出したのが、あの、なんて言うのあれ、あれ?」
U「(池脇の手の仕草を見て)…CD?」
R「あ、うん、そうなんだけど」
T「ああ、…もしかしてヨーコのやつか?」
R「それ!それ!」
S「(一拍置いて、吹き出す)」
U「ヨーコ?」
R「俺と大成が前にやってたクロウバーのさ、ドラムスで渡辺ってのがいるんだけど」
U「うん。知ってるよ、何度も会ってるし、春のツアーでも一緒にお仕事する予定だし」
T「ウソ!」
R「まじか!おおー、良かったあ、え、何で?」
U「オリーの紹介。ってかなんで大成君知らないのよ(笑)。それで?」
R「の娘がさ、ヨーコって名前なんだけど。ヨーコが生まれてまだ1歳かそこらの時に俺達は誠と出会ってて。んで、誕生日かな、周りがやれ服だオモチャだって、分からねえなりに買って来て渡してる中でさ、誠がね、CD-Rみたいなのにリボン付けて渡すわけだ。その中身ってのがな、色んな声色と口調でさ、15分以上ずっと『いないな~い、ばあ!』って言ってるだけの音源なんだよ」
U「あははは、それはいいなあ。すごい。温かい贈り物だねえ。好きだなあ、そういうの」
R「そうだろう?もーさー。それ、俺もいいなあって思って」
U「うん。分かるよ」
T「(伊澄を指さし)一人だけ馬鹿笑いしてるけど」
S「懐かしい」
R「なんか、色々考えちまうよな、そういう気持ちのあるプレゼントって人柄がはっきり出るし。例えば手編みの帽子とか手袋とか、そういうのはきっとヨーコの母ちゃんが作りたいだろうし、既製品買って渡すのだってそこはちょっと迷うだろ。どうせ現金が一番嬉しいんじゃねえかって思ったりとか(笑)。でも出会ってまだ間もない誠がさ、どんな顔で、どんな笑顔でそれ15分以上録音して、どんな気持ちでやってたんかなあとか想像すると泣けてくるんだよ俺。ヨーコの母ちゃんは看護師だからよ、共働きでずっと忙しくしてる人だったから、誠はそういう事も知ってて、ヨーコが少しでも寂しくないように、母ちゃんの負担が減るようにとか、そういう事考えてやってくれたんだろうな、とか、あいつも、早くに…」
S「泣くな気持ち悪い!」
U「(爆笑しながら、目尻を拭う)」
T「本人はただ楽しい事思いついてやってるだけなんだけどね、きっと」
R「若気の至りだとは言ってたけどよ。でも、優しい奴だからなぁ」
S「何が一番面白いってさ」
U「っはは、いや、面白い話にしてくれなくていいんだけど。せっかくじんわり感動してるのに」
S「ええ?いや、面白いって、ほんとに」
U「だからぁ」
S「誠がそれをさ、録音してる後ろに俺とアキラがいたんだよ。もうほんと5分超えたあたりから俺笑いが堪え切れなくてさ。はなっから映像なしの声だけで『いないいないばあ』やる事に無理あるなって思ってたし、そもそもプロの声優でもなんでもないあいつがどれほどのレパートリーを持ってるんだって話だよ。結果やっぱり何回かに一回同じ声の奴が登場するからさ、俺もう歯を食いしばって笑い出すの我慢してるわけ。それでも10分は頑張ったけどついにもう限界が来て、『お前さっきから何回同じ奴出てくんだよ』って言っちゃって。誠が怒って『もー!』って叫んで。アキラが『そこは別に良いじゃんかよー』とかフォロー入れてんの」
(一同、爆笑)
S「その声はもちろん音源にも録音されて。でさ、ヨーコ。最後に俺が突っ込んで誠が怒って、アキラがフォローしてる部分になるとヨーコがめちゃくちゃ笑うんだって。ケラッケラ言って一番笑うって。のぞみちゃん(ナベさんの奥様)からそれ聞いてショック受けてる時の誠の顔が凄くってさ、やっぱりこいつ本気で面白いなぁって」
(一同、爆笑)
S「だから、うん。俺は繭子が何言ったか知らないけど、誠に対して繭子の思ってる事とか、あんたに伝えたい部分ってのは、きっとそういう事なんだと思うよ」
U「うん?…ああ、うん。分かってるよ。それはもう正直言われなくても分かってるよって。翔太郎君が選んだ人でしょ、間違いないじゃないかって、ちゃんとそうお答えしておきました」
S「あー、いや、俺がどうとか言いたいわけじゃないよ」
U「だからね、こういう事なの。そういう話をする、されるっていう事はきっと繭ちゃんにとっては皆と、誠さんに対する惜しみない愛情だなと思うし。自惚れかもしれないけど、そこには私も含まれてるかもしれないしね。彼女だって今後の環境の変化を控えて色々と考えないといけない事が山積みなのに、わざわざ会いに来てくれて、そうやって橋渡しを買って出てくれるんだって思うと、もうキューンとしちゃってさ。これは私も負けてらんないぞと、皆の為に出来る事はちゃんとやろう、悩んでる自分は格好悪いぞって、そう思って。本当に昨日、アキラ君の話をしようって決心したんだよね」
R「ああ、そっかそっか、そこへ繋がるわけだ」
U「そ」
T「それってでも、俺なんかは申し訳ない気もするけどね」
U「なんで?」
T「そこもさ、なんていうか、影響とか言うと失礼な言い方になるのかもしれないけどね。例えば竜二と対談してなけりゃ、とか。あるいは昨日繭子が電話なんてしてなけりゃ、とかさ。こうしてURGAさんを動かした色々な事柄に対して、本当はちょっとストレスかもしれないって思うし、相手によっては実際にストレスになり得たわけだからね」
S「(腕組みしたまま大きく頷く)」
U「ん?ん?…なんだって?よく分からないんだけどな」
T「そっとしておいてあげられたはずなのに。色々巻き込んでるなと思ってさ」
U「ぬあああー。底なしかー?神波大成ー」
T「何だよもう(笑)。あんただってそこらへんで遊んでる暇人じゃないんだからさ。内容が内容とは言え自分で考えて動いてもらうには、ちょっと申し訳ないクラスの人だとは思ってるよそりゃ。思うよな?」
S「思う」
U「はああ、オリー、幸せだろうなぁ(顔を斜めに、うっととした表情)」
(一同、爆笑)
T「やめてくれよ」
R「(顔を赤くして、机を叩いて大笑い)」
S「(腕組みをしたまま咳き込み、そっと目尻を拭う)」
U「3人の中でさあ、言ってない事ってないの?隠し事というには大袈裟だけど、私みたいにタイミングを逃し続けて今日まで言わずに来た事とかさ。カメラに向かって正直に言ってみなさいな、いい機会だから」
T「いや、だから」
S「なんか時枝さんも似たような事言ってたな」
T「言ってた、そんなわけないのに」
U「ん?」
R「逆に話してない事だらけだよ、そんなのは」
T「さっきも言ったけど今更何を聞きたいとも思わないし、あんたら二人の事だって報告は受けたけど『なんで』っていう理由や経緯は知らないからね」
U「そうかそうか、そうなのか。…でも翔太郎君は、知りたいでしょー?」
S「出た(笑)。そんな事言っていいならお前だよ(池脇に視線を飛ばす)。結局リディア・ブラントって何だったんだよって話になるぞ」
U「あらららら(笑)」
T「それなあ」
R「あー。ああ、うん」
S「さっきもお前、誤解がどうとか言ってたのはそれじゃないのか?」
R「まあな」
U「誰にも何にも言ってないの?」
R「言ってない。あ、織江は知ってるけど、聞かれないのに俺から言う事もねえしさ」
S「あんたは知ってんのか?」
U「一応は、そこクリアにしておかないとさすがに不味いでしょ?」
S「何だったんだよ、全部ウソなのか?」
R「いやいや、そういう言い方はやめようか。実際今はもう付き合ってるわけじゃないし、だからって俺達のアメリカ行きにそれが影響を及ぼす事もない。だからまあ、言う必要もねえかって思ってたんだけど。あのー…、要するにリディアは、同性愛者なんだよ」
S「おっとっと」
T「(固まる)」
R「あはは、うん、まあ、難しい話ではあるんだけど。PV撮影の時に初めて会った時はそんな事は知らなかったし、試写会であいつが喋った俺達への思いや、インタビューで答えてくれた内容は、今でもウソじゃないって思ってる。俺となら上手くやれるんじゃないかっていう好意を抱いてくれて、一歩踏み出したわけだけど、やっぱり違和感は消えずにずっとあったみたいで。何度も話合った上で、自分を殺して生きるのはつまらねえよなっていう結果に至ったっつーか」
T「なるほど」
R「アメリカはそういう部分でこっちよりは全然開けてるとは言っても、色んな奴がいて足を引っ張り合う事もあるからさ。業界的にも、これからっていう時期に余計なゴシップで躓くのもつまらねえし、昔自分を支えてくれた…って自分で言うのは気持ち悪いけど、そういうバンドと実際に出会えた事なんかにも運命を感じたり、色々タイミングが重なって、そうなってみるのも楽しいかもしれないって、そういう事だったらしい。この春から新作の主演映画の公開が控えてるから、とりあず今はまだこの話はオフで頼む」
S「(頷く)」
U「この話を聞いた時に色々腑には落ちたんだけどさ、一つだけ気になって。あちらの思いはそうだとして、竜二君はそれを打ち明けられてどう思ったの?って」
S「腹立たないのかって?」
U「そう」
R「織江と同じ事言うからさ(笑)」
T「ああ、その話だったのか」
U「やっぱり聞いてた?」
T「いやいや、珍しく家ん中で機嫌の悪い日が続いて、どうしたって聞いてみたら『竜二の話だから竜二に聞いて』って言われてさ。あー、じゃー、いいかって(笑)」
S「そりゃそうだ!」
R「違えねえ」
U「(笑)、でもやっぱりオリー怒ってたんだ?」
R「うん、正直。有難いけど、別にいいのにって俺なんかは。あいつ、ウチの竜二を何だと思ってんだ!って向こうの事務所まで乗り込む勢いだったんだよ。ニッキーの名前使えば出て来るだろどうせ!ちょっと言(行)ってやるから!とかって。待て待て俺は子供かっつって。だってよぉ、別に誰も悪くねえだろ。付き合う?って言われて、付き合うって答えて。やっぱごめんって言われて、分かったって。ただそれだけだしな」
T「まあね(笑)」
S「相手ハリウッド選手だぞ。向こうじゃ日常茶飯事だろうな、そんな事」
R「まあでもそれは人ぞれぞれなんじゃねえかな。リディアに関して言えば、それでもちゃんとしてんなって思ったのはさ、別に自分がレズだって、言わなくても良いだろ本当は。別に、遊びだったでも、他に好きな奴出来たでも、断る理由はいくらでもあっただろうにさ。そこが女優だって言われちまうと何も言えねえけど、泣きながら、自分がずっと思いを寄せてる女の写真も見せられて、何度も謝られて。そういうのひっくるめて全部ウソだったとしてもよ、そこまで大芝居打ってくれんなら俺は全然構わねえ。そもそもウソだとも俺自身は思ってねえから。繭子風に言えば、そんな事で俺は傷一つつかねえ」
S「何だったらハクがついたくらいの」
R「そうそう」
S「いいじゃないか、それでこそだ」
R「(頷く)」
U「それもだから、竜二君らしいなあと思ってさ。だってね、そこには相手への優しさしかないわけだよ。今こうやって笑顔で話出来てるけどさ、その時点では本当に彼女の事を愛してたんだって思うとさ、そりゃオリーの反応は分かるよ。この人の事を良く知っていればいる程私の何百倍も『おい、フザケんな!』って思っただろうなって。私だって今がどうとか関係なしに、男池脇竜二の本気を真横で感じて震えが止まらなかったんだからさ、リディア・ブラントがなんぼのもんじゃい!って」
(一同、爆笑)
U「でもそこはもう、彼は何も考慮してないでしょ。普通そんな風に振舞えないと思うんだよ。あるいは、最初からそこまで好きではなかったか、なんだけど。でも竜二君って、こう見えてちゃんとしてる人だと思うしね」
T「してないしてない(笑)」
S「してないぞ。全然ちゃんしてないぞ」
T「この際はっきり言っとくけど、こいつやることやってるからね。…又聞きだけど」
R「あははは!」
S「ちゃんと首輪嵌めて、こんくらいの(10センチ程の)短いチェーンでがっつり握ってないと」
U「絶対ウソだよ(笑)」
S「いやいやいやいや」
U「私こんなに我慢強い人見た事ないもの。それにね、なんて言うか、今ここまで言ってしまう事にちょっと抵抗を感じる部分もあるにはあるけど、おそらくは、多分。うん、きっと、限りなく近い距離を平行線で歩いていくんだと、私は考えていて」
T「ん?」
S「…うん」
U「前にね、オリーから、伊澄翔太郎っていう男性の偉大なる名言を教えてもらった事があって」
S「(苦笑して首を傾げる)」
U「優先順位の話だったと思うんだけど。…1番と2番は単なる前後でしかない。2枚の紙をピッタリ重ね合わせてもそこには1番2番が出来る。だけどそこにどれだけの差があるというんだろうか?って」
R「(咽かえって笑う)」
T「(懐かしそうに目を細めて伊澄を見やる)」
S「(カメラを避けるように顔を伏せる)」
U「言い訳の天才だなって」
(一同、爆笑)
U「思ったんだけど! 思ったんだけど! …でも、今はよく分かるんだ。私にとって彼の言葉は救いになった。今の私には言い訳でもなんでもなくて、結局人は出会う順番で大事な事を決めてしまっている事が多いけれど、本質はそうじゃないだろうって、そういう事も教えてもらった気がするんだよ。オリーにね、どういう時に、彼はその言葉を言ったの?って聞いたらさ。彼女物凄く照れながら、大成君に告白された時だって言ってた。誤解しないでね、別に彼女が、大成君と他の3人を天秤にかけて迷ってたって話じゃないからね。でも、その時彼女にとって皆は本当に大切な人達だったようだから、大成君を選んでしまう事で何かのバランスが壊れてしまうんじゃないかって、彼女なりに思ったみたい。結果的には拍子抜けするぐらい何も変わらなかったんだけどって、笑ってたけどね。その時どういう質問をしてみたの?って聞いたら、もうとても私の口からは言えないって笑って首を振ってた。もし翔太郎が覚えているなら、彼に聞いてくださいって。…翔太郎君、覚えてる?」
T「(伊澄を見やる)」
R「(腕組みしたまま空中を見つめている)」
S「…恐ろしいくらいの長い沈黙があって、あいつが言ったのは…。『私だって…大好きな人に大好きだって言いたい。きっとこの先彼以上に人を好きになる事はないと思う。だけど、大成が1番だと口に出す事で、他の皆が2番以下になるのが、私はどうしても嫌なんだ』」
U「(押し黙る)」
R「(微笑)」
T「(微笑んではいるが、何も言えない)」
S「…お前一体何に悩んでんの?って。…言って。大成が好きなんだろ。それしか考えなくていいだろって。…あいつは優しい奴だからね、そもそも大切な人間が多すぎるんだよ。ノイも、大成も、俺達や、マーやナベだってそうなんだろうな。そうやって大切な人や友達に囲まれて生きる事はきっと幸せだろうけど、そこに1番や2番っていう順番を付けて誰かを特別視するっていう発想が今はどうしても嫌だって。…でも笑うだろ、それがあいつ、18とか19とかなんだよ。その年でそんなんだからさ、マジでお前何言ってんの?って。男に告白されてそんな反応か!? …まあ、あんまり全部喋り過ぎるとさすがにそこまでは誤算だって事になるだろうから、言わないでおいてやるけど(笑)」
T「ありがたい」
S「ふふ。でもガキなりに。…俺もだけど。ガキなりにすげえ悩んでたのは覚えてるよ、お前の嫁さん。もうだって、完璧に答えを出してる状態ですら、うん、優先順位の話してたからな。だから俺も、そうやって言ったのかな。多分な」
U「翔太郎君にしてみたら、彼女の思い詰めた気持ちは嬉しいけど、なんか複雑だっただろうね」
S「っはは!そりゃそうだよ。もちろん言いたい事は分かるけど、大成と付き合う事と並列で俺らの事気にしてんのがそもそも変だしな、嬉しいなんて思わないって。そんな事で悩んでくれるなよってこっちが気ぃ使うわ。本来そんなのは誰に気をつかうような事でもないんだし。そんなのはさあ、好きにやってくれよと。もうやりきれないよそんな事言われたって」
R「(優しい顔で笑い、肩を揺する)」
T「しかもそん時俺ら」
R「(やや慌てて)まあ、それはいいや」
T「…ああ、そうか」
U「何?」
R「ううん」
U「何よ」
R「また今度な」
U「…えー(伊澄を見やる)」
S「だからあんたも、平行線じゃなくていいんじゃないか?」
U「(目を見開く)」
S「別に何も決めてかからなくても。自由でいいんじゃないか?」
R「(目を閉じる)」
U「…」
S「俺は別にこいつ(池脇)の事なんてどうでもいいんだよ。だけどあんたが何かに遠慮して、誰かに遠慮して、選択肢を減らす理由なんてどこにもないと思うぞ。そんな生き方しか出来ないくらいなら、こいつの所になんて来なくていいよ。こんなボンクラには勿体ない」
T「(何度も頷く)」
U「うん。…ありがとう。(深いため息)君達は、本当に…」
R「…」
(一同、沈黙)
S「ガキのくせにさあ。あいつなんであんなに我慢強かったのかね。俺らなんてほんと、好き放題やって来たからさ」
U「…オリーの事?」
S「そう」
R「そうだなあ。バイラル作った時点であいつは完成されてたけど、本当はもっと前から、伊藤織江の凄さは発揮されまくってるよな」
T「うん。ありがたいとか言っておいて自分で話戻すのも悪いけどさ、あいつと付き合う事になったすぐの頃って、本当に俺気を使われたからな。デートとかいらないからね、皆と今まで通り遊んで来な、普通にしてなよって」
S「あははは!」
R「あー…もう、なあ…」
T「いやいや俺が、俺から付き合ってくれって言ったんだけどって(笑)。そういう人なんだよね。だから今でもまだ、びっくりする事よくあるよ」
S「あはは、うん」
U「そっかー(微笑んで天井を見上げる)。凄いなあ」
R「他人事みたいな顔してるアンタだってな」
U「んー? 私はー、オリー程優しくも我慢強くもないよ。もっと打算的だし、すぐ弱音吐くし、野心家だし、ビビリだし、冷徹だし、短気だし、自分大好き人間だしね」
R「っははは、そうなのか(笑)」
U「いろどり橋でさ、アキラ君のお母さまと我慢の話をしたでしょ。『白き螳螂』の流れで。あの時もさ、あれは私がそうだよとか言いたかったんじゃなくて、若くして亡くなった最愛の息子とその親友を同じように愛してこられたお母さまの笑顔を見ていて、かけて下さった言葉を聞いて思わずって感じだったんだよ。つい口を突いて出たというか。後でちょっと反省した。知った風な事言ったな、偉そうだったなって」
R「何言ってんだって。おばちゃんべらぼうに褒めてたよ。大絶賛だった」
U「やめてよー(笑)」
R「マジでマジで。人柄もそうだし、よくあんな古い詩知ってたなって」
U「だってそれはさあ、身内だからねえ」
R「(不思議そうな顔をする)」
U「…あれ?」
R「(伊澄と神波を見やる)」
S「なんの話してんの」
T「『白き螳螂』っておばちゃんが昔良く言ってたあの牝カマキリの奴?」
S「ああ、はいはい」
R「そー、だけど。…身内? え、誰と?」
U「え!? アキラ君じゃないよ?」
R「びっくりした!冷や汗出た今!」
(一同、笑)
U「えっとー。…は、いや何がびっくりだってそれは私の方だよ。そもそも『白き螳螂』っていう名前で書籍化はされてないし、あの詩が収録されてる本は全然別の名前だからね。よく知ってる人今もいたなって、こっちが驚いたんだから。えっと、あの詩を書いたのは私のおばあちゃんです。祖母です」
S「そ」
R「ウソー!?」
S「(耳を塞ぐ)」
T「(耳を塞ぐ)」
U「(耳を塞ぐ)」
R「え、本当に?」
U「知らなかったのかあ」
T「それほんとなら凄いね。俺ら子供の頃からよく聞かされてたもん、あの詩」
S「なあ、牝カマキリ超コエー!ってこいつ(池脇)とアキラ、馬鹿だから」
T「あははは!」
R「えええ(まだ驚いている)」
U「うん。だから驚いたのはこっちなんだって。なんか、あの場はそういう雰囲気でもなかったから言えなかったけどさ」
R「え、URGAさんのおばあちゃんって、アメリカ人だよな?」
U「そう。マーガレット・レイ・リンク」
S「あー、そんな名前だった気がする」
R「あ、レイだ」
U「そ。そこから私のミドルネームは来てるからね」
R「すげえなあ。こんな事ってあるんだな」
S「今日、これ(カメラ)見た時枝さん一人でパニックになるだろうな。情報量が多すぎるって」
(一同、笑)
S「もう最終的には全員実の兄妹でしたってとこまで話こじ付けて仕上げるか?」
(一同、爆笑)


その後も尽きない会話は続いたようだ。
しかし煙草を吸いに会議室を出た伊澄がそのまま戻って来なかった為、
この部分で区切りとさせていただいた。

連載第54回。「伊藤織江について」1

2017年、3月10日。


私にとっては、急と言えば急な話だった。
いつからその日に向けて調整されていたのかその時の私には知る由もないが、
伊藤織江が仕事を休んで一週間旅行に出かけると言う話を聞いた。
もちろんバンドメンバーも事務所のスタッフも事前に知らされており、
その事を聞いて慌てたのは私一人だった。
仕事人間と言えば聞こえはいいが、
伊藤に対しては誰もが「働きすぎ」だと感じていた。
休みを取って一週間の旅行と聞けば喜びをもって笑顔で手を振る場面のはずが、
私の胸を過ったのは心細さとも呼べる不安だった。
これまでも伊藤と一週間会わない事はいくらでもあった。
しかし「一週間会えない」と聞かされて急に不安を感じたのだ。
バンド取材に対する不安要素という意味でない事は分かっていた。
個人的な話で恐縮だが、その頃私は問題を抱えており、茫然とする事がよくあったそうだ。
そうだ、と他人事のような言い方になるのははもちろん自覚がないからで、
人に指摘されてようやく気付く程、自失している場面も多かったという。
私が伊藤の旅行を聞いたのは彼女の出発予定日の2日前、3月8日の事である。
まだ就業中で社内にいる時間帯に電話を受けられた事は運命だと言えた。
「一週間休暇で留守にします」
私はとてつもない報告を受けたような衝撃に戸惑い、
いつですか、とかなり深刻な声で返事をして電話越に笑われた。
3月10日と聞いた時、私は泣きそうになりながら、
ついて行っていいですか、と考えるより先に申し出ていた。
まだ行先も聞いていないのにだ。
私の不穏な空気を電話の向こうで感じ取ったのだろう。
考え込むような沈黙の後、伊藤は笑いもせずにいつもの優しい声で、
「お休み取れる?」
と言ってくれた。
私は心底救われたような気持になり、すぐに上司に頭を下げて一週間の休暇を願い出た。
穴を開ける事は承知の上だから、当然有給ではなく欠勤扱いで構わないと懇願した。
自慢ではないが記事を書くスピードは編集部内で誰にも負けない。
もちろん、休暇中も時間が取れれば記事を書いてメールで送ろうと思っていた。
その点においては、一週間という日数であれば取り返せるという自信も私にはあった。
すぐに伊藤へ折り返し、許可が下りた事を告げた時初めて行く先を聞くと、
「京都」
との返事。
へえ、いいですね。
「でも実家に帰るだけだよ?」
そうなんですか。
私は嬉しさのあまり深く考えらずにいたが、不思議な話だった。
伊藤織江は生まれも育ちも東京のはずだ。
例えばそれが京都旅行ならば、素晴らしい考えだと喜ぶだけで良い。
しかし彼女の口から聞いた内容からすれば、それは「帰省」と呼ぶべきものだった。
日本をしばらく離れる事が決まった時から、彼女は今回の帰省を計画していたそうだ。
聞けば伊藤の実家は今、確かに京都にあるという。
もともと父親の兄弟が京都で農家を営んでおり、10年程年前病で他界した折、
伊藤の父がその地盤を引き継ぐ形で京都へ引っ越した。
東京で生まれ育った彼女にしてみれば、実家が地方へ移動した珍しいパターンと言える。
これまで何度か帰省はしていたが、忙しさもあり纏まった時間を家族と過ごすのはとても久し振りとの事だった。
本当は神波も今回の帰省に付き添うはずだっただが、伊藤の方から遠慮したという話を聞いて、後先考えず同行を願い出た自分を思い切り恥じた。



そして当日。
東京から新幹線に揺られて京都駅へ到着するまでに2時間弱。
そこから在来線に乗り換えて鈍行列車で30分強。
目的地の駅へ到着し、ホームに降り立って真っ先に思ったのは、
「京都であって京都ではなし」といった感想だ。
伊藤の実家は観光名所ひしめく京都市内からは趣を異にした郊外都市にあり、
そこは周囲を山々に囲まれた盆地と呼ばれる地形であるらしかった。
3月に入ったとは言え降り立った地はまだまだ肌寒く、
忠告通りコートを羽織ってきて正解だった。
「風光明媚というか、田舎でしょ」
となぜか照れたように笑った伊藤と並んで立ち、私は首を横に振る。
まるでその土地の人間のような顔で笑う伊藤に、初めて訪れた土地に対して嫉妬した。
「あなたがいれば、どこだって天国です」
私がそう言うと、伊藤は目を丸くして私を見つめ、5秒後、盛大に吹き出して笑った。
ポケットに手を突っ込んだまま体をくの字にして声高らかに笑う美女に、
移動中であろう通りすがりのサラリーマンが好奇の目で私達を見た。
実は長い電車移動の最中、ずっと言おうと考えていた言葉だった。
はっきり言えば、私はこの時より随分前から伊藤織江に心酔していたのだ。
彼女が側にいるだけで、何時間でも電車に揺られていられると思った。
「何が」や「どこが」というポイントを挙げるのが嫌なくらい全てが好きだ。
あの関誠や芥川繭子をして「完璧」、「人として理想」と言わしめる女性なのだ。
知れば知るほど、のめり込んでいく自分に気づいていた。
もやは私にとって伊藤織江は、バイラル4の代表でありドーンハンマーのマネージャーという裏方の存在ではなくなっていた。
彼女の後ろをついて歩くだけで少し、自分が誇らしく思えた程だ。
改札を出て駅構内から外は、ホームから見渡せた山々とは打って変わって、
そこそこの交通量を見せる駅前繁華街だった。
どうやって移動するのか伊藤の決断を待っていた所へ、
「織江」
と彼女の名を呼ぶ声が聞こえた。
見れば60代ぐらいだろうか、背が高く質の良い衣服を身にまとった淑女が満面の笑みで立っていた。一目見て伊藤の母親だと分かった。
「久しぶり」
と伊藤は一歩を踏み出し、彼女と抱き合った。
「こちら、東京の出版社にお勤めの時枝可奈さん。うちのを御贔屓にしてもらってるの。時枝さん、母です」
私は涙が込み上げるのを必死に抑えながら、深々と頭を下げた。
しかし長すぎたせいだろう。
なかなか顔を挙げない私の頭を抱きしめて、
「恥ずかしいからやめなさい」
と言って伊藤は優しく笑った。



駅前の繁華街を抜けて車で走る事10分、
先ほど駅のホームから見えたスケールの大きな田園風景が目の前に広がる。
車を運転する伊藤織江の母は、名を冴(サエ)さんといった。
なるほど、お洒落な母の名前にして織江と乃依ありという事だ。
「遠かったでしょ」
と前を向いたまま冴さんが言う。
「まあね。でも新幹線で2時間掛からないからね、今」
伊藤がそう返すも、
「でも京都駅からここまでまた電車に乗って30分でしょ。そこからまた車に乗って家まで30分よ。はい、3時間超えました!」
と冴さんはお道化る。
つられて私達も笑い声を上げる。
「時枝さんはずーっと東京?」
「はい」
「出版社なんてお洒落よねえ」
「いえいえ、そんな」
「どう?最近の業界は」
「うーん、正直まだ底が見えないですね。やはり昨今の出版不況は…」
「いやいや、本気にしないで。この人に業界の事なんて分からないから!」
「ええ?」
「馬鹿にしてえ、もー」
久し振りの再会とは思えない二人のやり取りに、素敵な親子関係だなと眩しく思う。
お腹が痛くなるまで笑い、涙を全部拭ってようやく私は笑顔になれた。
「わざわざ織江について来てくれたの?」
バックミラー越しに私を見ながら、冴さんが言う。
「無理やり同行を願い出たんです」
「へえ、物好きねえ。こんな田舎、3日で飽きると思うわよ」
「お母さん、シティー派だもんね」
「東京が恋しいわー」
「東京でもまた是非、お会いしたいです」
「会っていきなりそんな嬉しい事言ってくれるの?やっぱりやり手のビジネスウーマンは口説き文句がシャレてるわね!」
「いちいち言葉が古いの!」
時枝、爆笑。



伊藤の実家に到着したのはお昼の12時前だった。
周囲にちらほら田畑が点在する静かな住宅地に、その家はあった。
近所の風景に溶け込んでいる為一見分からないが、とても綺麗な外観である。
聞けば数年前にフルリフォームをしたそうだ。
冴さんは口では東京が恋しいと言うし、生まれ育った街である以上本音もあるだろうが、
この場所を終の棲み家に選んだという事に間違いはない。
駐車場に車を停めて折り立ってすぐ、「お父さんは?」と伊藤が訪ねる。
「朝から田んぼ出てるけど、もうお昼だしそろそろ戻るよ」
「そっか。中入ろうか」
「はい。お邪魔します」
「なーんにもないけどね、ゆっくりして行ってね」
冴さんはそう言うと、自慢げに玄関の扉を開けてくれた。
その後、仕事場から戻って来たお父様にもご挨拶し、4人でお昼ご飯を頂いた。
久し振りに味わう種類の緊張で胸が一杯になったが、
それを上回る幸せな時間を過ごすことが出来た。
今日から始まる一週間が、とても素晴らしい思い出になる予感で胸が高鳴る。
都会の喧騒を離れて、といった表現で田舎を評する声をよく耳にするが、
そういった都市部と比較した環境面とは全く違う部分で、
この穏やかな生活に私は溶け込む事が出来たように思う。
暮しとは、人の営みの事だ。
交通事情や仕事環境や街の活気も確かに、営みを左右する要因ではある。
しかしやはり最も重要なのは人間自身だろう。
午前の仕事を終えて田んぼから戻って来た伊藤織江の父・恭平さんは、
娘の姿を見るなり鼻の下を伸ばして喜んだ。
ルックスは北大路 欣也そのままの人だ。
似てると言われませんかと初対面でも確認してしまう程雰囲気が近い。
しかし娘を見つめる眼差しの温かさと、
寡黙ながら笑顔を絶やさない人柄を見ているだけで、
ここでの暮らしがいかに穏やかで充実しているかが分かった。
「一週間、お世話になります」
と私が頭を下げた時、
「末永く娘を、よろしく見てやってください」
と言われた。
御両親ともに、深々と頭を下げていた。
私はもう涙を堪えるのを諦めた。



初日の夜。
夕飯の後お風呂をいただいて、伊藤の部屋でくつろぐ。
普段使用されていない部屋だけあって、小ぶりの机と本棚以外は何もない。
おかげで、綺麗に掃除されてはいるが殺風景と言えなくもないのだが、
並んで敷かれた布団の上で胡坐をかいて座る伊藤がそこにいるだけで、
寂しさなど微塵にも感じないのだから彼女の存在感はすごい。
「疲れた?」
戻って来た私を見るなり彼女はそう言った。
「全然です。フワフワしっぱなしです」
「それは疲れてるって事だよ」
「自覚ないです。ああ、綺麗な部屋着ですね。ジェラピケですか」
「そうみいたいだね。私のじゃないよ、お母さんの」
「そうなんですか!綺麗なピンク」
肌触りのよいタオル地で出来た、膝丈のワンピースだ。
「私下着以外は一泊分の服しか持ってこなかったの」
「荷物少ないとは思いましたけだど、郵送されたわけじゃないんですね。何故ですか?」
「仕事しないし、人と会う約束もないしね。背格好が似てるから、いつもお母さんの服を勝手に拝借してるのよ。ここへ来る時はそう決めてる。身軽だからね」
「なるほど」
「だからしばらく野暮ったい私をお見せする事になりますが」
「望む所です」
「なんでよ」
そう言うと伊藤はケラケラと笑い、布団の上に横たわった。
「カメラ回していいですか?」
「え、どうして?」
「大成さんに頼まれたので」
「ウソ? ウソだよね」
「聞いてませんか?」
「聞いてないよ、ウソでしょ」
「冗談だったのかなあ。でも私も今すっごく織江さん撮りたいです」
「おばさんを揶揄うんじゃない」
「需要と供給です。ちょっとセットしますね」
「おいー」
「…びっくりされてませんでしたか?」
伊藤の顔を見れないまま、私は尋ねた。
「…涙? んー。まあね、少しくらいは。でもうちの親も、こっちへ来るまで東京でそれこそ馬車馬みたいに働いてた人達だからね。皆それぞれ色々あるって事ぐらい、分かってるよ」
「余計な気を使わせてしまって、すみません」
「なんのなんの。私と違って、見るもの触るものに新鮮なリアクション取ってくれるって、あの二人も大喜びしてたよ」
「あはは、やはり採れたてのお野菜は美味しいですね。意識して春キャベツ食べたのなんて何年振りだろうって」
「多分気付かないだけで絶対口にはしてるんだろうけど、忙しくしてるとなかなか気づかないよね。美味しいものは東京でたくさん食べられるけど、旬の物を家で食べるって今となっては贅沢に感じるもんね」
「子供の頃は、それが当たり前だったんですけどね」
「うちにいっつも送って来てくれるから、今度からは時枝さんにもお裾分けするね」
「いえいえ、そんなご迷惑お掛けできません!」
「事務所にどーんと送られてくるんだよ。それを皆で分けっこして持って帰るの。ってもあれか、今年からは…」
「ああ。お父様たちも仕送り先が減って、寂しくなっちゃいますね」
「そうだね」
代わりに私がいただきます!
例えその場のノリでも、笑ってそう言えたら良かったのだろう。
思いついてはいた。しかし、言えなかった。
私がおどけた時に見せるであろう伊藤の微笑みが簡単に想像できて、
それがあまりに寂しすぎて、無理だった。
伊藤の言うように、やはり疲れていたのだろう。
部屋の入口脇に三脚を立てただけで、布団の上に座って伊藤と話をしているうちカメラの電源を入れる前に眠ってしまった。
朝目が覚めると既に伊藤の姿はなく、昨晩手にしていたはずの私のビデオカメラは、三脚の上に乗せられていた。



二日目の朝。
恭平さんが運営する田んぼを見せてもらった。
何年振りかも思い出せない程久し振りに畦道を歩いた。
前を行く伊藤は両手を後ろに回し、リラックスした様子でゆっくりと歩く。
東京では見る事のない、社長ではない伊藤織江の姿。
一人の女性として。一人の娘として。
そのどちらであれ、私の目に映る素顔の彼女はとても美しかった。
伊藤家所有の農地は家から歩いて5分程の所にあり、
「ここからあそこまで、全部」
と伊藤に指をさされても把握できない程広大な敷地面積だった。
「えー、ちょっと、規模が」
「あそこに林があるでしょ。その手前の畔から、端はあそこ。奥行はあの道路まで」
「本気で言ってます? リアルに東京ドーム何個分とかの世界ですね」
「そこまで特別広いってわけじゃないよ。ね?」
私達の後ろをついて来ていた恭平さんを振り返る。
「2個分」
と彼は短く答え、伊藤は目を見開いて私を見た。
「広かった」
肩をすくめて微笑む伊藤に私は照れ笑いで返す。
目の前に広がる広大な田園と、雄大な山並みに飲み込まれるような幸せな錯覚を味わう。
3月と言えば米農家にとっては一年の始まりであるらしかった。
田に植えるための種籾をある程度まで育てる「育苗」という作業が行われており、
整然と並べられた小さな緑の苗達を眺めるだけでうっとりとしてしまう。
私は特別農業に興味があるわけではない。
しかしこれから田に植えられていくであろう苗達は、
ひとつひとつが恭平さんと冴さんの手によって育てられたのだ。
ここにも人の営みの息吹を感じる。
東京で、バイラル4スタジオで、魂を削ってバンドが己を研鑽し続ける日々の反対側で、
彼らは苗を育て、米を育てて生きている。
私は今とても当たり前の話をした。
しかし正直私はこれまで、その当たり前の日常を想像せずに生きてきた。
伊藤織江と知り合い、彼女のご両親を通して見た「当たり前の風景」に、
恥ずかしながら私は震えるほどの感動を覚えた。
そこへ、私達の側を通りかかった農作業の服を来た男性が立ち止まる。
こちらも恭平さん達と同じく60代ぐらいに見えた。
その男性は立ち止まってこちらへ歩みよって来ると、それに気づいた伊藤の顔を見るなり、
「おりんちゃんか?」
と言った。
伊藤はしばらくその男性をじっと見返し、やがて両手を口に当てて、
「イバラギさん!」
と言った。
少し離れた場所にいた恭平さんがこちらへ戻って来る。その横には冴さんもいて、二人は満面の笑みだ。
伊藤は紅潮した笑顔を私に向けると、現れた男性を紹介するような仕草で言った。
「親戚のおじちゃんなの。茨木さん」
「ご親戚の方ですか!初めまして、東京から来ました時枝と申します」
茨木という男性は、被っていた帽子を取ると恥ずかしそうに頭を下げて、
「茨木ですう」
と関西訛りの口調で挨拶してくださった。
何気にこちらへ来て初めての関西弁である。
「え、偶然?」
と伊藤が両親に尋ねる。
「そんなわけないでしょう、昨日電話で話したの。会いたいって言ってくださって、こんな朝早くから」
「えー。ありがとう」
伊藤はそう言うと茨木さんに抱き着いた。
茨木さんはシャイな人らしく、顔を真っ赤にして恭平さんに助けを求めた。
「おりんちゃんは変わらんなあ。すぐ分かったわ。いくつなったん?」
「あはは、もう40」
「嘘やろ!? おりんちゃんが40! 恭平、そら俺らもガタガタなるわけやで」
恭平さんと冴さんが声に出して笑う。
圧倒されていた私を見て、冴さんが話して下さった。
「茨木さんはね。うちの人のお父さんの、弟さんの息子さんなのよ。まだ子供の頃に家族でこっちへ引っ越して、この辺りで農業を営んでいてね。うちの人の弟と仲が良かったのもあって、一緒にこの道40年以上の大ベテランってわけ」
「そうなんですか。もとは東京の方なんですね」
「もとはね。でも子供の頃から京都だし、本人はもう完全に関西人よね。乃依の事はご存じ?」
「もちろん」
「茨木さんよく東京へ遊びに来て、織江や乃依と遊んでくれたのよ。あの通り、物凄く可愛がってくれてた。いかにも関西人らしく口は達者だけど、嫌味のない本当に優しい人よ。あの人がこっちにいるのが分かってたから、私達も安心して移り住めたのよね」
「織江さんの笑顔が物語ってますよね。…おりんちゃんですって」
冴さんと話をしていた私が笑うと、伊藤は照れ笑いを浮かべた顔で振り返り、
「何年振りだろうね、そう呼ばれたの」
と冴さんに尋ねる。
「さあね。あなた、たまあに帰っては来るけどすぐにとんぼ返りするでしょ。茨木さんも寂しがってたのよ。ねえ、茨木さん」
急に話を振られた茨木さんは赤い顔で大袈裟に頷いて見せた。
「せや。タイショウは元気にしてるか?」
「元気よ」
「リュウも、ショウちゃんもか」
「皆元気よ。茨木さんも、元気そうで良かった」
伊藤の声が涙で上ずり、茨木さんの目もキラキラと滲んでいるのが分かった。
子供の頃から姉妹を可愛がっているという事は、池脇達ドーンハンマーの面子を知っているという事なのだろう。
聞き慣れない彼らの愛称を知って、私まで胸が熱くなる思いだった。
「時枝さん」
恭平さんが私の名を呼ぶ。それだけで私は嬉しい。
「はい」
私と冴さんの側まで来ると、楽しそうに話し込んでいる伊藤と茨木さんを見つめながら恭平さんは言った。
「織江はしっかりしてる子だけどね。あんまり自分の事は喋る方じゃないから、私らもずっと心配だったんだ。東京でのあの子の様子を、聞かせてくれると嬉しいんだけどね」
「是非、私でよければ」
「ありがとう。じゃあ、行ってくる」
そう言うと恭平さんは冴さんに頷いて見せ、茨木さん達の方へ歩きだした。
「いってらっしゃい」
「いってらっしゃい」
冴さんと共にそう声を掛けて背中を見送る。
伊藤は父親の肩を揉んで声を掛け、茨木さんに会釈する。
「晩飯食おな」
茨木さんはそう言うと、頷く伊藤に向かって片手を挙げ、恭平さんと共に畔道を歩いて仕事に向かった。
「あははは!びっくりしたー!」
伊藤は明るく笑って、涙を拭いた。
寒さの残る野風に吹かれて、伊藤の長い髪が地面と平行になる高さまですくい上げられる。
今更ながら、彼女が冴さんの服を着ている事に気付いた。
白と青のボーダーニットと、ベージュのフレアロングスカートだ。
確かに普段伊藤が好んで来ている服装とは印象が大分違うのだが、
不思議と、伊藤織江という女性本来の姿がそこにあるようで、
とても清らかで美しい反面、胸の奥がぎゅっと締め付けられるのを感じた。
この地へ来て度々、私は伊藤の持つ爽やかな女性らしさにハッとしては、
一抹の不安と寂しさを感じていた。
手を掴んで今すぐ東京へ連れ帰りたくなるような、そんな焦りにも似た寂しさだった。



二日目の夜。
恭平さん、冴さんでの二人暮らしが長い為か、
キッチンのそばに置かれたダイニングテーブルは少し小さめで、
大人4人が座るとお互いの距離がとても近く感じられた。
どんな料亭にも負けない、心の籠った素晴らしく美味しい晩御飯を頂いた後、
温かい緑茶で心までホカホカになりながら、静かに語られる思い出話に私は聞き入る。
伊藤姉妹の幼い頃の話。
神波達と知り合ってからの話。
学生時代の話。
成人して社会に出てからの話。
仕事の話、そして神波との結婚。
笑いの絶えない幸せな記憶であったが、
やはりそれでも乃依さんの名前が出る度に優しい空気が生まれる事が、
新参者の私には辛く感じられた。
思い切って口を開く。
「私は音楽雑誌の編集者をしておりまして、東京では織江さんをはじめバンドの皆さんに大変お世話になっています。去年の今頃から取材を開始して丁度一年が経とうとしています。その中で強く感じているのが、バンドの持つ演奏技術の高さや音楽的な才能もさる事ながら、とても人間的な魅力に溢れている方達だという事です。私がこんな事を言うと笑われるかもしれませんが、織江さんが大成さんとご結婚された時、嬉しかったのではありませんか?」
私の投げかけた問いに、冴さんはパっと明るい笑顔になってこう言った。
「綺麗に喋るわね!」
私は反射的に両手で顔を覆った。
「すみません! 仕事みたいですよね!」
「いいのいいの。よく分からないけど今、久しぶりに東京の風を感じたわ」
「お恥ずかしい」
「職業病みたいなもんだよね。時枝さんて凄いのよ。相手の本音や深い部分にある気持ちを引っ張り出す事にかけては、私の知る中でピカイチだもの」
娘の言葉に冴さんは頷き、
「そのようねえ。…もちろん、嬉しかったですよ」
と言った。
私は顔を真っ赤にしてお茶を啜る。
「私らはね」
と言葉を繋いだのは、恭平さんだ。
「全く彼らをその、所謂バンドマンとして見たことはないんだよ」
「…そうなんですか」
彼は普段言葉を多く発するタイプではないそうだ。
今朝自分から私に話を聞きたいと申し出た責任を感じていたのだろうか。
家族が驚きの表情を浮かべる程饒舌に、素直な気持ちを聞かせて下さった。
「子供の頃から皆を知ってるからね。うちにも、何度も遊びに来てくれたよ。よく覚えているのがね、皆いつも正座なんだよ。こっちはもちろん足を崩しなさいって言うんだけど、照れ笑いを浮かべたまま決して崩さない。織江に聞いてびっくりしたんだが、茶の間だけじゃなくて、この子の部屋にいる間もずっとそうだったと言うんだ。なんだか、今時の子にしては感動するくらい真面目だなあと思ったのをたまに思い出すよ。中学卒業くらいまでは、よく東京の家で見かけたもんだけど、高校に上がるとめっきり顔を見なくなってね。母さんと、どうしたのかなあって話してた。思春期だし、友達の顔ぶれだってそりゃあ変わるもんだろうとあえて織江に聞いたりはしなかったけどね。それがある時、街でタイショウを見かけてね。懐かしくて声を掛けたんだ。拍子抜けするくらい変わってなかったよ。いや、変わっていたのかな。とても精悍な顔つきをしていてね。高校生なのに、もう大人の男の顔をしていたよ。元気にやってるのかって聞くと、『元気です。いつも織江さんにお世話になってます』って頭を下げて言うわけだよ。同級生なんだよ? 相変わらずだなと思ったのと、まだ付き合いは続いてたんだなって分ると嬉しくてね。またうちへ遊びに来なさいよって言うんだけど、ありがとうございますとは言いながら、その後もしばらくは、姿を見せる事はなかったな」
「確かに、若いのに気ばっかり使う子達だった。神波さんの所も、だいぶ苦労なさったからねえ」
冴さんのしんみりとした言いように、コラ、と恭平さんは静かに窘めた。
他所様の苦労を勝手に語るもんじゃない、と言う意思が感じられた。
「大丈夫よ。時枝さんはぜーんぶ知った上で、ここにいる人だから」
伊藤がそう言うと、冴さんは湧き上がる感情を堪えるような顔で頷き、湯呑みを両手で握った。恭平さんが続ける。
「織江達が成人して、ちょくちょく雑誌やテレビなんかで彼らを見かけるようになってからは、もちろん私らも喜んではいたんだが、どうもそういう芸能人感覚は、理解出来なくてね。真面目で、いつも真剣に何かを考えていて、考え過ぎて眉間に皺の寄るような、若いくせに年寄りみたいな、そんな織江の友達であり、ボーイフレンドであり。いつ会っても言葉遣いはみんな丁寧だし、思いやりのある言葉で私らに接してくれていた」
冴さんが嬉しそうに笑って、頷く。素敵な思い出が甦って来たのだろう。
恭平さんは続ける。
「だから当然二人が結婚すると知った時、物凄く嬉しかった。私は、乃依を亡くした時の彼らの悲しみようを思い出したよ。リュウの絶望的な涙、アキやショウちゃんの叫び声が昨日の事のように蘇ってきて。…タイショウと織江が幸せになってくれて本当に良かったと、親としてこんなに嬉しい事はないと思ったし、それは今でも思ってるんだ」
微笑みを浮かべて聞いていた冴さんはギュッと目を閉じたかと思うと、
立ち上がってキッチンのシンクに向かい、緑茶のお代わりを湯呑みに注ぎ始めた。
その背中はやがてブルブルと震え、しばらくは戻って来られないように見えた。
私は自分の太ももを右手で力一杯捻り上げ、堪えろ!堪えろ!と念じていた。
私が泣いて良い場面ではない、理解したつもりになって泣いて良い場面ではない。
そうに自分に言い聞かせた。
「二人でこの京都の家に挨拶に来てくれた時、いつにもましてタイショウは無口だったな。まだリフォーム前の傷みの多い家でね、タイショウが私らの前に正座した時、恥ずかしいぐらい床が軋んだんだ。それでもあいつは押し黙ったまま笑いもせず、何も言わない。私も母さんも二人が何をしにこんな所までやって来たのか知っていたから、敢えてこちらからは何も言わずにタイショウの言葉を待ったんだ。もの凄い顔をしていたよ。緊張とかそういう事ではなかったんだろうね。色々と彼なりに思う所があったんだと思う。待ってるこちらが苦しくなるほどの沈黙があって、正直私なんかは、もう良いよって、何度もそう言いかけたんだ。気持ちは痛いぐらい伝わったし、言葉なんて、そんなに大事じゃないって思ってるような古い人間だからね。だけど、いきなりだよ。タイショウが奥歯をぐっと噛み締めたまま泣き出したんだ。それで、ボロボロと涙を流しながら言うんだ。『本当は、精一杯格好付ける気でやって来て、この有様です。私にはどうしても、あなた達に向かって、お嬢さんを下さいとは言えません。私が、伊藤になります。よろしくお願いします』。そう言って頭を下げた。きっと乃依を失った私らの気持ちを考えての言葉なんだろうね。その時までそんな事は一切考えなかったんだが、タイショウがそう言った瞬間不覚にも、私も母さんも声を上げて泣いてしまったよ。なあ、母さん」
冴さんは鼻をすすると何とか小さく笑い声を上げて、再びテーブルに戻ってきた。
私は顔を上げる事が出来ない。
先ほどから伊藤が私の背中を優しく撫でている。
この世で一番暖かい手だと感じていた。
「まあ、なんて言ったらいいか分からないけどさ」
と、娘によく似た口調で冴さんは言う。
「子の幸せを願うのが親ってもんでしょう。だから同じように、目の前のタイショウが幸せである事も願っていたし、同じように喜んでもいた。だけどあの子が伊藤になるって言い出した時、心から嬉しかったと同時に、ダメだダメだ、こんなことでは女手一つで頑張って来られた神波さんに顔向けが出来ない!って思ったよ。それに、嬉しかったのはきっと、タイショウが伊藤になるっていう可能性なんかよりも、そう思ってくれていたあの子の気持ちだよね。あの子は本当に親思いだし、友達思いのいい子だから。乃依や、亡くなられたお父様や、大切なお母様の事を思いながら泣けて仕方なかったあの子が、それでも『伊藤になる』って言った事は、あーはいそうですかありがとうとは、受け入れられないよね。こんなに優しい子が織江と一緒になってくれるんだっていう、そういう嬉しさで、胸が締め付けられる思いだった」
「ああ。その事があってから余計に、織江の事よりもタイショウやリュウが本当に幸せかどうかを考えるようになった。それに、まあリュウも酷かったが、…ショウちゃんがね。乃依の死を前に混乱してしまって、言葉にならない叫び声を上げていたのを私らは見てるからね。この子達はこの先どうやって生きていくんだろうって心配になるぐらい、嘆き、悲しんでくれた。私らにとっても、あの子達は本当に特別だから。…東京で織江はちゃんと、彼らの為にやっているか、タイショウは幸せか。皆頑張ってるか。こっちへ来て辛いのは、そういった事がすぐに分からない事なんだよ」
「織江はめったに帰ってこないし、電話もすぐに切ろうとするしね。忙しいのは分かるけど、もう少しちゃんと色々聞きたいものよね、親としては」
拗ねたように言う冴さんの言葉に恭平さんは苦笑いしながらも、頷いた。
伊藤はハンカチで涙を抑えながら笑い、
「こっちはこっちで、色々あるのよ」
と言った。
「色々ねえ。あ、誠や繭子は、いくつになったの?」
「誠は今31、繭子は29になった」
「あはは、あの子一体、いつまで20代でいる気なの!?」
冴さんの言葉に俯いていた私まで吹き出して笑った。
「長いよねえ。知り合った時はあの子達二人とも10代だもん。繭子なんて12月に29になったばかりだよ」
「二人とも元気なの?」
「なんとかね。頑張ってるよ、二人とも」
「そう」
私は自分の出番が回って来たのだと悟り、涙に濡れた顔を挙げた。
ノーメイクが幸いしたが、それでも恥ずかしい程泣いた事に変わりはない。
無かった事には出来ないと知りながら、私は努めて明るく話し始めた。
恭平さんや冴さんの期待した通りの報告が出来たかは分からない。
しかし私なりにこの一年で感じた伊藤織江という女性の勤勉さ、優しさ、温かさ、そして強さを、時に涙で声を詰まらせながら話した。
今度は伊藤が黙って立ち上がり、キッチンで湯飲みを洗い始めた。
恭平さんはそんな娘を窘めようとしたが、彼女の横顔を見て声を掛けるのをやめたようだ。
私に向かって、すまないね、とでも言いたげな苦笑いを浮かべて頷いて下さった。



三日目。
朝、お手洗いを借りて2階の部屋へあがろうと階段に足を掛けた時、
一番上の段差に腰を下ろして壁にもたれている伊藤と目が合った。
「どうされました?」
と私が声を掛けると、彼女は目をパチクリさせて、
「え?」
と言った。
「はい?」
と私が聞くと、伊藤は右耳からイヤホンを抜いた。
「ごめん、何か言った?」
「こちらこそ。何を聞いていらっしゃるんですか?」
「ネムレ」
「ん?」
「『NAMELESS RED』」
「あはは。ようやく、発売日が迫りましたね」
「二転三転したもんね。ぎりぎりになって、収録曲変えたいって言いだした時はスケジュール組む私の身になれ!って思ったけどね」
「あははは。でも、仰りはしなかったんでしょうね」
「言えないよね。遊んでるわけじゃないし」
「確かに」
私が階段の上まで辿り着くと、伊藤は立ち上がって二人で部屋に戻る。
カメラの電源を入れた。
それには伊藤も気付いている。
あまり映り込むような物がないとは言え、実家の部屋だ。
プライバシーを考慮して、伊藤が部屋の中央に座ると彼女の横顔がアップになるよう調整した。
午前中の明るい時間帯は部屋の電気を消しているため、モニターの中の伊藤は少し薄暗く映り、
却って芸術的な程白く美しい横顔のラインが浮かび上る。
「昨日、長話に付き合ってくれてありがとね」
と、伊藤は言った。
「いえいえ」
「それから、ごめんね」
「ええ? 相変わらず泣いてばかりで申し訳なかったのはこちらのほうですよ」
「ううん、そんなのは平気」
「では」
「一年前にさ、詩音社の取材を受ける事にしたのは、あなたを利用する算段もあったんだって私が言った事、覚えてる?」
「はい」
「ふふ。今回もそうよ。どうせ実家に戻ったら、お母さんからあれこれ聞かれるに決まってるだろうなあ。お父さんは聞きたいけど聞きづらそうな顔をするんだろうなあ、とか。日本を出ちゃうからさ、顔見せに来ないわけにはいかないし、もちろん私もちゃんと顔を見ておきたいっていう気持ちもあったけど、どうも私は自分の話をするのが下手なのよね。苦手なのもあるし。本当は大成も来たがったんだけど、もうちょっとギリギリにしようよって私から説得したの。久しぶりに二人で来たらきっと質問攻めにあって、あの人疲れちゃうからね。だからさ、時枝さんがついて行きたいって言った時、じゃあ私達の代わりに全部喋ってもーらおっとって。あはは、いい加減腹立つでしょ、私」
「全然立たないです」
「あなたも大概だねえ、人が良すぎるって言われない?」
伊藤は呆れたように眉根を下げて笑った。そして、
「何を言っていいか分からないのよ、ほんと言うと」
と彼女は続ける。
「聞かれた事だけ答えていれば良い気もするんだけど、それだけじゃダメな気もする。だけど私は自分から語れるような何かを持っているわけじゃないし、困るんだよね。だから昨日は本気で助かった」
「あんなの、あと10倍は喋れますよ、私」
「あはは」
「織江さんを心から尊敬しています」
「ありがとう。でも、時枝さんだから分かってもらえると思うんだけどね、例えばバンドと自分を考えた時に、虚しくなる瞬間は確かにあるのよ」
伊藤は両膝を抱えて顎を乗せ、彼女と時枝の丁度真ん中あたりを見つめながら話し始めた。
「『NAMERESS RED』の一曲目、『SUPERYEAH』を初めて聞いた時にもそれを痛感した。あの人達は他人に語って聞かせる夢もなく、したり顔で熱い言葉を話す事もせず、好きなように歌って叫んで、それでも、これでもかというくらいに私の胸を打つ。何だ、こんな事が出来ちゃう人達なら、私必要ないんじゃないのって思うの。忙しくて目が回りそうな時なんてよくそんな事考えるよ。私ホントに必要かなあって。年末にさ、翔太郎と『合図』で話した時なんて分かりやすいと思うけど、とにかく皆優しいから気を使って私を立てようとしてくれるんだけど、これって私が幼馴染じゃなくても、同じように思ってくれるのかな、とかさ。いつもじゃないよ。そういう風に思っちゃう時もある、って。そういう話」
「分かりますよ。とてもよく分かります。そういう意味ではきっと私の方が、強く抱いている感情だと思います。皆さんの側で皆さんのお話を聞いて、皆さんの努力を見て皆さんの本気を感じて。そうやって私の記事は出来上がります。だけどその記事にあるのは私自身ではなくて、皆さんのありのままの姿です。もちろん記事を書き上げた瞬間の達成感はあります。だけど私は他人の人生、他人の夢に乗っかっているだけなんじゃないかって、辛くなる事もあります」
「似たもの同志だね」
「違いますよ。織江さんは違います」
「どうして?」
「私は自分の意志で、自分がどうしても読みたくて、書籍化の企画を通す前に皆さんの伝記を書き始めました。そうでもしないと、私は自分を見失いそうになっていたからです。私は今でも『Billion』のファンですし、素敵な記事を一杯読んできましたから、大好きです。だけどいざ自分がバンドの側に立って取材を進めるうちに思ったのが、私は理想の雑誌編集者になりたいわけじゃないんだって事です。…織江さんは、これまで物凄く苦労と努力を積み重ねて来られた方です。その原動力はどこにありますか?」
「苦労と努力…。んー、どこって言われるとな」
「分からない?」
「何が苦労で、何が努力だったのか、覚えてない」
「織江さんらしいですね」
「なんで? 私のどこに苦労の痕を感じ取ってるのか分からないけど、そりゃあもちろん疲労はあるよ。でも苦労ってなんだろうなって思うと、『だって勝手に好きでやって来たじゃない』って自分で突っ込み入れちゃうもんね。例えば英語の勉強だって、会社経営の勉強だって、それは夢とか目標じゃなくて今やりたい事をやっただけだもん。必要だと思う事をやっただけで、どこかへ至るための偉大な一歩だとか、大きな目標を掲げた事が今まで一度もないんだよ」
「だからですよ」
「ん?」
「だから、私と織江さんは違うんです。織江さんは、私からすれば紛れもなく『ドーンハンマー側』の人です。ただ、やりたい事をやって来ただけ。そして今があるんです。その結果、織江さんは社長であり、大成さんの奥様なんです。竜二さんや大成さん、翔太郎さんや繭子と何も変わらない。彼らに必要とされているかを外から見て考える必要などなく、彼らの中にあなたはいます。織江さんはドーンハンマーです」
伊藤は膝の上から顔を上げると、数秒空中を見つめた。
やがて私の目をしっかりと見つめて、頷いた。
「ありがとう」
私がペコリと頭を下げて応えると、伊藤はニッコリと微笑んでこう言った。
「じゃあお礼に、良いもの見せてあげようか」
言葉の意味は分からなかったが、私はこの時既視感のようなものを感じていた。
それはどこかで見たというよりどこかで感じた事のある気持ち、と言い換えるべきものだった。実態はつかめないし、それが何なのか考えるより先に伊藤が立ち上がり、私を部屋の外へ連れ出した。
だがその『良いもの』は、隣の部屋の事だった。
扉の前に立って、伊藤はトントンとノックする。
返事はない。
「どなたの部屋ですか?」
「ノイ」
私は驚いて、扉を見つめる。
伊藤は扉の前に立ったまま、少し話をした。
「うちの親がこの家に越してきてリフォームをした時に、お母さんがこの部屋をノイの部屋にするって言いだしたの。もともと誰も使ってない部屋なんだけど、小さな部屋二つの壁を壊して8畳程の一つの部屋にしたの」
「へえ」
「もちろん、この部屋を作った時には、もうノイはいないんだけどね。なんだかとてもうちの親らしいなと思って」
「素敵だと思います、私も」
「入るね」
部屋の中に向かってそう言うと、伊藤は扉を開けた。
私は少しびっくりして半歩後退りした。
部屋の真ん中に誰かがいるような気がしたのだ。
「びっくりするよね。まあ狙ってやってるんだけど」
部屋の真ん中には、黒いベースが立てかけてあった。
「あれは」
「入って。そう、うちのタイショウのベース」
伊藤の口から聞くタイショウという呼び名がとても可愛らしくて、思わず胸がきゅんとする。
「なんか守り神みたいでしょ、真ん中にどーんと鎮座しちゃってさ」
「確かに、そう見えますね」
「これは大成が自分で置いてったの。このベース、本当は今竜二の物なんだけどね。下手くそだったけどノイはギターが好きだったから、じゃあ俺はその横でベース弾いてやるって、竜二が大成に習い始めてさ。そしたら大成が大事にしてた自分のやつを、このベースを竜二にあげたんだ。なんかそういうの嬉しいよね。はっきり言うとここにあっても邪魔なんだけど、自分がこの家にいない間は、代わりにこいつを置いておこうって大成が提案して、竜二がわざわざ東京から持って来てくれたの。だから絶対にどけたくないんだ。可笑しいのはね、この裏側見て、ここ、ここほら、全員のサインが入ってるの。アキラのもあるし、カオリのも、誠と繭子、マーとナベのもある」
「ああ、本当ですね。これは世界一レアで思いの籠ったベースですね!」
伊藤はスカートのポケットに手を入れると、白いサインペンを取り出した。
「はい。時枝さんも書いて」
「え、無理ですよ」
「嫌なんだ?」
「嫌なわけないですよ」
「じゃあ、書いて」
私はなるべく他の皆さんの邪魔にならない場所を選び、出来るだけ目立たないように自分の名前を書いた。申し訳ない気持ちを抱えたまま伊藤にサインペンを返すと、思いがけず近くに彼女の顔があって照れた。
伊藤は肩で私の体を押して、「ありがと」と言った。
こちらこそと私が言おうとする前に彼女は立ち上がり、
「お腹すいたな。畑になんか獲りに行こうか」
と言って部屋を出ていった。
私はベースに向かって深く頭を下げると、伊藤の後を追って部屋を出た。
キッチンで立ち仕事をしていた冴さんにも声を掛けて田へ向かう。
畦道を歩きながら、前を行く冴さんに聞いてみる。
「どうして翔太郎さんだけショウちゃんって、ちゃん付けなんですか?」
すると冴さんはピタリと立ち止まって、キョロキョロと周囲を確認する。
やがて私の方に近づいてくると、小声でこういった。
「お気に入りだから。これ内緒ね」
私はこの地へ来て一番の大声で笑った。冴さんは少しだけ困った顔をして、
「でもね、タイショウがやっぱり特別だからね。だから『アンタがタイショウ』のタイショウ。ここ大事よ」
「違うでしょ! タイセイだからタイショウなんでしょ。適当な事言わないの。時枝さんピュアだからそのまま記事に書いちゃうよ」
「あらま」
私はお腹を押さえて大笑いした。
遠く離れた地で聞く彼らの名前はとても新鮮に胸に響く。
しかし印象は少しも変わらない。
いつだってどこだって彼らは素敵だ。それが今、とても嬉しい。
畑で獲れた旬の野菜で贅沢な昼食をいただくと、
その日は伊藤と二人で何もせず、大の字に寝転がってだらだらと一日を過ごした。
不意に、仰向けになって天井を見上げたまま、伊藤が言った。
「今急に思い出した。カオリの話していい?」
「もちろん」
「前にさ、誰のインタビュー撮ってる時だか忘れちゃったけど、時枝さんが言ったの。『何でUP-BEAT?意外です』って、そんなような事を」
「あー、えーっと。繭子が翔太郎さんの歌を褒めた時ですね」
「ああ、そうだね。繭子はその時、そうかなーなんて曖昧な返事してたと思うけど。あれね、本当はちょっと素敵な裏話があって」
「へえ、どのような」
「知り合ってどのぐらいの頃だっかたまでは覚えてないけど、カオリにね、『お前らは普段どんな音楽聞いてるんだ?』って聞かれてさ」
「それは、織江さんがですか?」
「そうそう、私とノイね」
「ああ、はい」
「私音楽の話はそんなに得意じゃないしさ、カオリを前にしてウソでもパンクロックが好きだなんて言えないよなって観念して、UP-BEATって答えて」
「あ、え!? 織江さんが好きなんですか!」
「うん。もう子供の頃からずっとファンでさ。私東京の自分の部屋にポスター貼ってたもん。色褪せても破れちゃっても補強して、ずーっと」
「へえー。でも、織江さんならば、うん、意外ではないですね」
「あはは。ギターの岩永さんが好きでね。お母さんに言われたもん。あんたこんな男前に惚れこんじゃうと、現実と向き合えなくなるよって」
「あははは!」
「でもびっくりしたのがさ、大成と初めて会った日に『いた!岩永さんより男前いた!』ってお母さんに報告したんだって。そこは私覚えてないんだけど」
思わずエビのように丸くなってお腹を抱える。
「まあ、そこは別に良いんだけどさ。でね、カオリに白状した時、ちょっとドキドキしたの。どちらかというと王子様的な、そういう格好良さのあるバンドだったし、硬派なイメージではなかったからね。だけどカオリはニッコリ笑って、『いいね、アタシも好きだよ』って言ったの。嬉しかったし、ますますカオリが好きになったのを覚えてる。口は悪いしぶっきら棒だけど、心底優しい人だから、例え私がどんな音楽を好きだと言った所で、カオリはニッコリ笑ってくれただろうなって、そう思って」
「素敵な話ですね」
「まだ序の口」
「あはは」
「ノイが亡くなった時ね」
「…」
「皆酷かったんだ。私も含めてね。辛くて辛くて、泣いて、叫んで、暴れて、…泣いて。お葬式の時も、お父さんも言ってたけどさ、皆もう、壊れたような感じになってた。だけど唯一、カオリだけは涙を見せなかったんだ。後になってね、彼女が言うわけ。『誰か一人くらいは、しっかり立って見送ってやんないと、あの子も心配だろうと思ってさあ。…スゲー泣きたかったけど、お前ら皆バカだから』って。ありがとうって、私何度も頭を下げてお礼を言って。そしたらカオリが笑って、…あ、昔のスタジオでの話なんだけどね。カオリが笑って、アコースティックギターを抱えて、UP-BEATの夏の雨っていう曲を歌ってくれたの。私、カオリがUP-BEATを好きだって言ったのはどこかでウソなんだろうなって思ってたから、びっくりして。広石(ボーカル)さんの歌声ってハスキーでセクシーな低音が魅力なんだけど、その時歌ったカオリの力強い声は、もう、なんか、叫び声だったよ。ワンコーラス歌って、サビを歌い始めた瞬間、カオリが泣き始めて。曲自体は前向きな失恋ソングだと思うんだけどね。『サヨナラ、スイートレイディー』っていう歌詞があって。歌い始めた瞬間カオリの目から大粒の涙が溢れた。ずっと、ノイの為に我慢してくれてた涙が溢れたんだと思って、私達も大泣きして。…それまでUP-BEATなんて聞いてこなかった大成達も聞くようになって、今じゃカラオケ好きな繭子まで歌い出す始末だよ」
この時私達は寝転がって天井を見つめているので、
伊藤がどのような表情を浮かべていたのか私には分からない。
長い沈黙の後、今頃きっと、皆鬼みたいな形相で練習してるな。
とポツリと伊藤がつぶやいた。
ふり絞った声で、「そうですね」と私が言うと、彼女は呑気な声で天井に向かい、
「がんばれー」
と言った。


続く。

連載第55回。「伊藤織江について」2

3月13日。
帰省四日目。

午前中急な雨に見舞われ、昨日に引き続き家の中で過ごす。
京都市内に出て観光という案も出たが、特に興味をそそられなかった。
というより、この家から離れるのが嫌だったのだ。
夕方前に雨は止んだが、ダイニングテーブルで女三人会話が弾んだ。
「さっき繭子から、『お土産期待してるー』っていう、ただそれだけのメールが来ました。なんて返しましょうかね」
何か面白い返事は出来まいかと考えあぐねている三人のもとへ、「おーい」と呼ぶ恭平さんの声が聞こえた。
玄関へ向かうと、「虹が出てる」という。
伊藤も冴さんも腰に手を当てて溜息をつく。
東京でも虹は見れますけどね。
そう言いながらも伊藤はサンダルを履いて外へ出た。
私と冴さんも後を追う。
しかし結論から言えば、東京では決して見る事の出来ない虹であった。
恭平さんに続いて歩く事3分。
伊藤家の農地に差し掛かろうとする頃には、彼がわざわざ皆を呼びに来た理由が理解できた。
初めて見る程巨大な虹のアーチが、広大な農地の中で完璧な半円を描いているのだ。
空にかかる虹の始まりと終わりを視認する事は、東京でなくとも難しいと思う。
実際私はこの日まで一度も見た事がなかった。
しかし今目の前に、大きな虹の始まりと終わりが広がっている。
「すごー!」
と伊藤が叫ぶ。
雨が上がり茜色に染まりつつある空に、くっきりとした虹のアーチ。
右と左、どちらが始まりでどちらが終わりかは分からない。
しかし走って追いかければ、その虹に飛び乗る事が出来るかもしれない。
そんな想像を駆り立てる程の、見事な天然芸術であった。
伊藤も似たようなことを考えたらしく、腕を振って、
「なんだか、走りだしたくなるね」
と言って笑った。そしてうんうんと頷き返す私を指さしながら、
「君ィ、『持ってる』ねえ」
と言ったのだ。
いやいや、違う違う。『持ってる』のは、織江さん。あなたですよ。
正面から冷たい風が吹き荒び私達をなぎ倒そうとする。
しかし伊藤は両手を広げて虹から目を離さない。
「すごーい!」
髪をなびかせ、風を浴び、夕暮れ空と虹の真正面に立つ伊藤の背中を見ていた私を、
突然言いようのない悲しみが襲った。
私は想像する。
伊藤がそれを拒まむという事をしなければ(そして彼女はきっと拒まない)、
あるいはこの場所で生きていく可能性もあったのだという、彼女の人生の分岐路。
もし神波大成と結婚していなかったら。
バンドが彼女に声を掛けていなければ。
もしも乃依さんが生きていたならば。
実家をこちらへ移す際、一緒に来て欲しいとご両親が彼女に頭を下げていたら。
今とは違う全ての可能性が、伊藤織江の人生をこの場所へ導いていたかもしれなかった。
人の世の営みに、「たられば」などない。
しかし東京で見る事のない彼女の素顔を、この地に来て私は何度見ただろうか。
気が付けば自然な微笑みを浮かべている彼女を見ていると、
多様な形を持つ幸せの可能性を、
ここにだってきっとある幸せの可能性を、
誰にも否定することは出来ないのだと思い知らされた。
それは過去の話でも「たられば」でもなく、
この先彼女に待ち受けている未来かもしれないのだ。
私は伊藤の背中に縋り付きたい気持ちを必死に抑えて、語りかける。
「幸せのカタチは人それぞれですよね」
彼女は髪の毛を押さえて振り返り、私を見つめた。
「織江さん」
「そうだねえ、そう思うよ」
伊藤は泣いている私の事など全く気にせずそう言ってくれた。
私は決心した。
「織江さん。ご相談があります」
伊藤は完全に私の方へ向き直り悪戯っぽい微笑を浮かべると、
「おー。やーっと来たかぁ。よし、この伊藤織江に任せなさい」
と、そう言ってくれた。
「あんた、まだ自分の事伊藤って名乗ってんの?」
気が付けば娘の側へ歩み寄っていた冴さんが虹を見上げたままそう突っ込むと、
伊藤は笑って言い直した。
「あはは、そうでした。この、神波織江に任せなさい」
「よろしくお願いします」
私は深々と頭を下げてそう言った。



その日の夜。
この地へ来て初めて、お酒を飲んだ。
しかし私は勧められて頂いた一杯だけにして、早々に話を始めた。
「カメラ回ってるけど。いいの?」
「平気です。私にタブーはありません」
「竜二かっ」
「あはは」
「…いい笑顔するじゃないの。じゃあ、聞こうかな?」
「はい。…もしかしたら薄々気付かれてはいるのかなあと思ってましたが、私、庄内と付き合っています」
「うん」
「やっぱり」
「うん。繭子の方が早かったけどね」
「なはは、繭子にはバレてる確信がありました」
「人がくっついたり離れたりする距離感に、もの凄く敏感な子だからね」
「なるほど」
「いつから付き合ってるの?」
「皆さんの密着取材を始めるひと月ほど前に、プロポーズされました」
「あはは、それは知らなかったよ、びっくりだ」
「今の仕事を初めて10年です。去年30になりました。5年庄内と交際して、もちろん、結婚も視野に入れて、私が満足のいく仕事が出来る日まで待っていてくれた事も知っていました。自分としても最後の総仕上げのような形で、大好きなバンドに全力でぶつかって、最高の記事を残そうと思い今回の企画を立ち上げたんです。一年も、はっきりとした返事を待たせるという結果になって庄内も初めは驚いていましたが、彼自身ドーンハンマーを愛している事もあって、最後は納得してくれたように思います」
「庄内さんが、初めてうちを『Billion』に取り上げてくれた人だからねえ」
「そう聞いています」
「ごめんごめん」
「いえ。…私が今のような状態になり始めたのは、皆さんがPV撮影の為に渡米された頃です。2週間以上皆さんとお会いできず、私としては溜まっていた業務をこなす期間であったり、他のバンドの記事を書いたりでとても忙しくはしていたのですが、どうにもおかしいんですよ。仕事中ぼんやりと上の空な事があったり、勝手に物足りなさを感じたり、イライラしてしまって気持ちも入らず、その間私が書いた記事は全て没になったりして、庄内とも喧嘩ばかりでした。自分が悪い事ははっきりと分かっています。取材を受けてくださった他のバンドの皆さんや、事務所関係者の方々にご迷惑をかけたという自覚もあります。正当化したいわけではなくて、そのような状態に陥った事が、私自身で考えるきっかけになったと言いますか。私、その頃から今日まで、誰に見せるでもなく自分の為に皆さんの伝記を書き続けています。たった一行でも、一言でも、何かバンドや皆さんに関する文章を書いてからでないと眠れなくなりました。そういう状況にあった私に対して、今思えば一番早く釘を刺して下さったのは翔太郎さんでした。その鋭さは本当に衝撃でした。『最近、あんたちょっと変だよ』って直球で言われましたから。泣き虫なのは昔からだし、人前で泣いて馬鹿にされるのには慣れっこでしたけど、変だ、おかしいって言われて正直、よっぽどなんだなって反省しました。面白いのが、その後誠さんにも、帰って来られてすぐ見透かされた事です。『他のバンドの取材中も、きっとドーンハンマーの事が気になってばかりで煙たがられてるんじゃないかって、心配してたんだよ』って言われて、恥かしくてたまりませんでした。その頃にはもう、どうにも修正しようがないぐらい、正しくその通りの状態だったからです。ああ、私はバンドと離れたくないんだなと認めざるを得なくなって、ますます悩むようになりました」
目の前に水の入ったコップが差し出される。
無言の伊藤に、無言のまま会釈で受け取り一息に飲み干す。
急かすわけでも、話が長いと叱るわけでもなく、
私の話す内容を受け止め、どう答えようか思案してくれている表情に思えた。
そんな伊藤の横顔に私は少し落ち着いて、話を続けた。
「…幸せはどこにだってあるんだと、この地へ来て織江さんと過ごしながら、自分に言い聞かせています。今月一杯で予定通り取材を終えて、それを記事にして、発売して、私の役目は終わりです。雑誌編集者としての仕事に区切りを付けて、ほっと一息ついて、そして庄内と結婚する。そこにきっと幸せはある。それは分かっています。庄内の事は、変らず今でも尊敬しています。男性としての魅力も感じます。思い出もたくさんあります。悲しませたくなんかありません。その部分と、仕事と、皆さんに対する私の気持ちが、私の中でずーっと喧嘩しています。こんな状態のままでは約束通り庄内と結婚する事も、あえてBillionに残り編集者を続ける事も出来ない気がして、自分でもよくわかりません。最近、大成さんが仰った、誠さんの話をよく思い出します。答えなんて全く見えていなかった誠さんが、15年連続で翔太郎さんを落とし続けている努力はきっと、誰にも真似出来ないんだよって。私はこの10年、何をしてきたんでしょうね。いや、何がしたいんでしょうか。庄内に対しても、自分が心血を注いだつもりでいた大好きなこの仕事に対しても、私はずっと…。私の努力は一体どこに向かっていたんだろうかと」
衣擦れかと思う程静かに優しく笑う、伊藤の声が聞こえた。
しかし彼女の目は、私を見ているわけではなかった。
人と比べたって仕方ないのに。
聞き取れない程小さかったが、彼女は確かにそう呟いた。
膝を抱えて丸くなり、とても私の近くで耳を傾けてくれていた伊藤が、
急に体を開いたので驚いた。
両足を前に投げ出し、両手を体の後ろについて、天井を見上げる。
部屋着の裾が捲れたのが目に入り、私は無意識にそれを直した。
伊藤は照れ笑いを浮かべて自分でも太ももを隠す。
「まずは、その重たくて苦しそうな枷を、何とかしようか」
と彼女は言った。
言葉の意味が理解できず、伊藤が見上げている天井を私も見つめて答えを探した。
「結論から言おうね」
「…」
「あなたはうちに来なさい」
その瞬間私の中で爆発した感情を、一言で表現する言葉はこの世に存在しない。
まず衝撃があり、喜びの涙があふれた。
パズルのピースが嵌る音が聞こえ、
感動が身体の中心から湧いて出て、ブルブルと全身を震わせた。
愛情を感じた。優しさを感じた。許された気がした。
そして最後に、伊藤織江の底知れぬ器の大きさにひれ伏す思いがした。
いつから彼女は考えていたのだろう。
夕刻、私が相談を持ち掛けた時『やっと来たか』と彼女は言った。
昨日私に打ち明けた、たまには自分の存在意義を疑う時もあるという話。
その時感じた既視感に似た感情の意味も、私はこの時理解した。
いつだったか、差し入れの為に伊澄に買った煙草の代金を受け取ってしまった日、
伊藤に返そうとして申し出たにも関わらず、うまく躱され返しそびれた事があった。
その時感じた混乱と同じなのだ。
あの時もきっと伊藤は、事情を瞬時に理解して、お金を私の財布に収めさせた。
昨日もそうだ。私の中にあるなにがしかの悩みを想像し、
私が話しやすいよう自ら悩みを打ち明ける素振りを見せてくれたのだ。
きっと彼女は否定するだろうが、私の目に映る伊藤織江という人は、
自分の存在意義を疑うような弱さを持ってはいない。
他人の弱さを理解出来る、優しい心を持っている人なのは間違いない。
しかし彼女自身はそんな事で立ち止まり、思い悩むような人ではないだろう。
それは伊藤織江なりの、優しい嘘だと私は理解した。
そして白のサインペンだ。
いつから彼女は、冴さんのスカートにあのペンを忍ばせていたのだろう。
良いもの見せてあげると言った時の『じゃあ』には本当は意味がない。
初めから私に、べースの裏に名前を書かせるつもりで持っていたに違いないのだ。
白のサインペンなど、黒い物に書く時以外使う機会はないのだから。
あのベースの裏に名前を書くということ。
尻込みする私に「嫌なんだ?」と確認するという事。
いつからだろう。いつから私は彼女に手を差し伸べられていたのだろう。
伊藤の真似をして無意識に天井を見上げた事だって、
溢れる涙がすぐに零れないように気遣ってくれたのではないかとさえ思う。
きっと笑って、「そこまで行くと妄想がすぎる」と言われるだろう。
しかし彼女ならそのぐらい平気やってのけるだろうと、私には思えた。

「ちょっと自分の話をしてもいい?」

泣き止まない私に、彼女は言った。
せっかく上を向いていたのに、涙はすぐに零れ落ちた。
そうだ、こういう人だった。
出会って間もない頃に行った彼女へのインタビューでも、私は泣き崩れた。
その時も伊藤は私を気遣い、私が泣き止むまで自分の話を語って聞かせてくれた。
自分の話をするのが苦手だと言ったじゃないか!!
それでも伊藤織江という人は、こういう人なのだ。

「意外に思うかもしれないけど、世間的に誰が一番モテるのかって言うと、圧倒的に竜二なのよ。ボーカルだし意外でもないのかな。身内感覚でいくと翔太郎な気がしない? でもね、バンドとして世間一般を相手にした時、ぶっちぎりで人気なのが竜二で、次が大成なのよ。こっちの方が意外かな? 顔面はもう余裕で一番だけどね。あはは、アキラが生きてたらいい勝負だろうね。翔太郎はもちろんね、もう平成の伊達男の名を欲しいままにしてるから分かってると思うけど、実は男性からの人気が凄まじくてね。業界評とか、ファンレターとかファンメールとか、実は翔太郎に来るのは7割が男なの。それってきっと本人は誇りに思ってると思うんだよ。あの子さ、あ、あの子だって。翔太郎はさ、男でも女でも関係なく皆を平等に扱いたがるし、大事にする人だからね。恋愛とか男女間の話に限っていえば、がっかりして去っていく女の子を一杯見たよ。でもさ、そういうの関係ない男の人からしてみたらさ、あの子は、ああー!…もういっか、あの子は超格好イイらしいの。ストイックだし、めちゃくちゃギター上手いし、余裕かましてるかと思えば、ちゃんとステージでは汗だくになって本気を出すし。でも逆に竜二なんかはね、ものすっごいモテるのに、もう、なんだろうか、全然誰にも見向きもしないのよ。ノイの事があるからだって私達は分かるけどね。知らない人にしてみれば、どんだけ落ちないんだこいつって思うだろうね。もちろん人間同士としてはちゃんと相手してあげるのよ、無視するとかそういう話じゃなくてね。でも自分のファンや、同じ業界内でアピールしてくる女性とか、それこそ割と有名な女優さんなんかが来たって全く興味を示さないの。なんなら私の知る限りだと、誠に出会ってピクリとも反応しなかった男は竜二だけだと思うよ。女の私ですら惚れるぐらい魅力的なのにだよ? 竜二は、本当にあの子も、そういう風には見せないけど、いつも明るくて、人当たりが良くて、…でも死ぬほど悲しいぐらいに一途なんだよね。うちに秘めた思いをぐっと握りしめて、耐え忍んで生きていくような子。だから、今竜二が幸せな顔をしてる事が、何よりも驚いたけど、私は何よりも嬉しいんだよね」

伊藤は傍らに置いたワイングラスを持ち上げて、半分以上残っていた白ワインを飲み干した。いつだったか、伊藤はあまりお酒が強い方ではないと聞いていたが、涙の向こうに見えた彼女の飲みっ振りは、とてもそうは思えなかった。

「…フウ。最後に大成。私のタイショウ。ふふん。良いニックネームだと思わない? 私好きなんだ。家でもたまに呼んだりするの。本人は、冴さんに見えてくるからやめてって言うんだけどね。なんかさあ、皆寡黙だって思うみたいね、大成のこと。全然寡黙じゃないけどね。でも、…あの人の優しさってちょっと突き抜けててさ。バンドの一員として世間に認知されている物静かで音マニアのベースマンなんて姿は、もうほんの少し、あの人の人間性のほんの一部分でしかないんだよ。私は大成の妻だし、大成の魅力を誰よりも知ってるし誇りを持ってるから、もっとそういうの引っ張り出してあげたい気もするんだけど、でもそれもなんか変な話じゃない? バンドマンなのに私がそこ以外の魅力を喧伝するってのもさ。皆それぞれ優しい男達だけど、それでも私は大成から直接色々な愛情をもらって来たからね。そこはやっぱり特別だけど、でも難しい感情にはなるよ。一応社長だし。彼の中にある、誠に対する責任感とか、亡くなったアキラとの約束だとか、伊藤の家に対する愛情とか、繭子に対する思いとか…もうそのうちさぁ、優しさを人に与え過ぎてあの人自身がすり減って消えちゃうんじゃないかって心配になるくらいだよ。あはは、本当に。実を言うとね、これはうちの両親にも言ってないんだけどさ。私、一度大成との子供を流産してるの。平気平気、もう何年も前の事だし、立ち直ってるから。うん、その時もね、絶対、色々辛かったはずだし、喜んでくれてた分残念な気持ちも大きかったんだけど、大成は泣かなかったんだ。考えてみたらそれはやっぱり凄いなと思って。大成はね、自分の悲しみには絶対負けない人なの。それが分かって、私は彼に愛されてるなって実感した。あの時自分が泣いたらきっと私が辛い思いをするって、そう思ったんだろうね。絶対泣きたいくらい悲しいはずなのに、一滴も涙をこぼさずに、私を支えてくれたから」

伊藤は後ろに倒していた身体を起こすと、私の肩に手を置いた。
「時枝さん」
「はい」
「今言った彼らに対する私の気持ちは、私だけの物だよね」
「はい」
「あなたはあなただけの思いを胸に、生きて行くしかないんだよ」
「はい」
「私ね。もちろん繭子も含めて、あの人達の為にならなんだってやるよ」
「はい」
「人を利用することにためらいもない」
「はい」
「だけど私一人の力にはどうしたって限界もある」
「はい」
「アメリカ進出にあたって、リディア・ブラントという名前を利用した」
「はい」
「関誠という、綺麗で、世界一優秀な頭脳も手に入れた」
「はい」
「あとは時枝さんだけ。だからあなたはもう、うちに来ちゃいなさい」
「織江さん」
「そう、織江さんが死ぬほどこき使ってあげるから」
「織江さん」
「だからおいで。一緒に行こう」



いつの間に眠ったのか覚えていない。
泣いて、泣いて、思い出しては、泣いて。
とても嬉しかったのは覚えている。
伊藤の言った重苦しい枷は、確かに取れたように思う。
しかしその結果考えねばならない事が洪水のように私の中を巡り、
気がつくと真暗な部屋で天井を見上げていた。
今、何時だろう。
いつ横になったのだろう。
枕もとの携帯を探り当てる。
液晶画面が光り、隣で寝息を立てているはずの伊藤がいない事に気付いた。
私は体を起こし、彼女の姿を探す。
部屋にはいないようだ。
私は立ち上がり、扉を開けて一歩外に踏み出した。
静かに、泣いている声が聞こえた。
おそらく隣の乃依さんの部屋だ。
私は動きを止めたまま考える。
声を殺して泣いている伊藤に対しに、馬鹿な質問以外に、
今言える言葉を持っているのか。
すぐに思い直して部屋に戻る。
私は布団の上に胡坐をかいて座わり、項垂れてスマホを見つめながら、
繭子へメールの返事をしていなかったことを思い出した。
突然電話が鳴る。
死ぬほど驚いてスマホを布団の上に投げた。
電話は見た事のない番号からで、登録されていない相手であった。
時刻は深夜2時半だ。
普段イタズラ電話などかかって来ない事もあり、
きっと意味のある電話なのだと感じて液晶画面を指でなぞった。
「もしもし」
オドオドした声で言う。
「ああ、ごめんな、こんな時間に」
「…竜二さんですか?」
「ああ。寝てたんじゃねえか? ほんと、ごめんな」
「いえ、起きてました。どうされたんですか、こんな時間に」
「さっき、織江から聞いたよ」
「あああっ」
「あはは、なんつー声出すんだよ。まあ、あれだよ、なんて言うかさ。ハッキリ言っちまうと、そんな焦って答え出す事ねえのになって思うよ。俺なんかはね」
「はい」
「もちろん、あんたがうちへ来るって事に関してだけ言えば、何の問題もねえよ。ウエルカムだ」
「あああぁ…」
「だからこんな時間に電話で変な声出すなよ、ムラムラすっから」
「ウソばっかり」
「ウソじゃねえよ。アンタがもし本気でうちへ来たいと言うなら、歓迎する。だけど問題はそこじゃねえよ」
「はい」
「あんたがうちへ来るという事は、詩音社と庄内を傷つけるって事だ。その事をとことん考え抜いた方がいい」
「はい」
「10年世話になった会社を出る。好きな男に寂しい思いをさせる。その結果どうなるのか。自分が何をしようとしているのか。そこを蔑ろにしちゃいけねえよ。前を向くのはいい。けど前だけ見て、自分を育てたこれまでの日々をなかった事にするような生き様は、格好悪いよな。切れちまった絆ってもんは二度と繋ぎ直せない。だけどあんたが今立ってる場所からじゃ、どう転んだって寂しさは残るもんだ。そうだろ?」
「はい」
「ただ言えんのは、少なくとも庄内は、あいつはそんな簡単にあんたを忘れるような奴じゃねえよ。俺はそう思う」
「竜二さん」
「あんたと庄内がどういう約束を交わしたかは知らねえ。けどよ、別に10年でも20年でも待たせてやればいいじゃねえか。40になった私とは付き合えねえのか、50になった私とは結婚出来ねえのかって、笑って言ってやりゃあいいんだよ。もしも、まだあんたがあいつを好きでいるんなら、別れる事はねえ」
「…ありがとございます」
「それとな」
「はい」
「織江の事は、悪いけど許してやってくんねえかな」
「え?」
「あいつなりに、懸命に考えた末の事だからさ」
「どういう意味ですか。許すってなんですか?」
「あいつ、泣いてたからさ。あんたに酷い事をした、酷い事言っちまったって。あんたを試すような言葉を吐いて傷つけたかもしれないって、泣いて後悔してたから。そんな事であんたは怒らねえよって俺は言ったんだけど、どうにもな…」
「…」
「聞いてる?」
「はい」
「織江なりの優しさなんだよ。テメェで後悔するのが分かってて、それでも言わずにはいられないっていう、不器用な優しさっつーか。あんたがどういう結論を出すにせよ、俺達が格好つけてしゃしゃり出て、一緒に悩んで、一緒に解決してやるわけにはいかねえだろう。自分自身で悩み抜いて答えを出すしかねえ。自分だけの道を行くしかねえ。だから織江は、少しでもあんたが答えを出しやすいように、あえて極端な言葉を言って聞かせたんだと思うよ。そうすれば、考える方も気が楽になるだろ。来るも来ないも結局は自由なんだ。後はあんたが織江の言葉を受け止めて、どんな答えを見つけるかだ。けど分かってやってほしいのはさ。あいつ本当は、人を利用したりすんのなんか大嫌いだよ。俺達があいつに面倒な事押し付けてるだけなんだ。それでもあいつは、全部自分で背負い込もうとするぐらい、誰よりも優しい奴だから」
「竜二さん」
「ん?」
「私、必ずバイラル4に行きます」
「…そうか」
「はい。ちゃんと庄内と話します」
「そっか。ならあいつらには、俺の方からきっちり言っとくよ」
「はい、よろしくお願いします」
「半端な真似はするなよ。気合入れろよな」
「はい」
「いつまでだって、待っててやるから」
「…はい」
「じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい」



私は泣きながら繭子にメールを打った。
我ながら面白い返事が書けたと思う。
『お土産は私だよ』。
繭子からの反応は『クソワロタ』だった。
返事は一分後に来た。



3月14日。
帰省五日目。
朝一番に、私と伊藤の顔を見比べた冴さんは開口一番こう言った。
「そろそろちゃんと、気分転換してきなさい。車使っていいから」
冴さんの愛車は久し振りに見た黒のHONDA・ザッツで、早朝ドライブデートでハンドルを握るのは、伊藤織江だ。この辺りでは唯一だというコンビニで飲み物とサンドイッチを買い、交通量の多い国道を避けた山間の府道や旧国道などを選んでゆったりと走る。雪が降るとこの一帯の積雪量は凄まじく、一度積るとなかなか溶けてくれないそうだ。さすがに3月は降らないでしょうと私が言うと、降るって、と真顔で答え、見た事はないけどね、と付け加えて伊藤は笑った。
その日、私達は特に意味のある話をしなかった。
昨日の会話をなぞり、再確認するだけになる気がしたからだ。
それでなくとも、本当は表に出したくないであろう秘めたる思いをも、伊藤はあえて私に語って聞かせてくれた気がするのだ。
私としては感謝と共にやはり申し訳ない気持ちも強くあって、彼女からこれ以上何か大事な言葉を引き出そうという気にはならなかった。


時折聞こえてくる鼻歌。
交差点にて左右を確認する横顔。
仕事の失敗談を話す私を見るきらきらした目。
丁寧にカメラに収めていく。
伊藤ももはや嫌がりはしない。
この映像がどういう意味を持つかなど、私も彼女も考えていなかった。
今を生きる彼女がいて、今を記録する私が隣にいた。
それだけだった。
この旅は私にとって、
伊藤織江という人間を語る上での集大成になると思った。
一年間彼女を見て来た。
もちろん彼女だけを見て来たわけではない。
常にバンドの側にありながら、主張せず、驕らず、それでいて誰よりも率先して行動し、誰からも必要とされてきた。
職場を離れて社長ではなく、夫の元を離れて妻ではない彼女の、
ただ一人の女性としての姿を見る事が出来たのは、
私自身の生き方を見つめ直す時間という意味でも、とても重要な事に思えた。



3月15日。
帰省六日目、京都市内を観光してお土産を買った。
その日の夜、ついに明日この地を離れるのだと意識した瞬間、淋しさに襲われる。
茨木さんもやって来て、とても賑やかで笑い声に溢れた夕食となった。
恭平さん達にとって何より嬉しいのは、伊藤が日本を発つまでの間に、もう一度神波と共にこの家へ帰って来るのが分かっている事だ。
そうでなければ、この日の夕食はとても涙なしでは済まなかっただろう。
なんなら、すぐにまた来ると分かっていても、茨木さんは泣いた。
淋しいと言って泣いたのではなく、伊藤がとても綺麗になったと言って泣いたのだ。
私は茨木さんの関西弁と涙の勢いに微笑ましく彼らの様子を見守っていたのだが、
台所に立つ冴さんの後姿を見た時、どっと涙がせり上がって来るのを感じ、必至に気持ちを切り替えようと努力した。
しかし、照れ笑いを浮かべながら茨木さんの腕をポンポンと叩く伊藤の頬に涙が零れたのを見て、恭平さんと私は同時に視線を外した。
茨木さんはきっと、伊藤の美しさを褒めたいわけではないのだ。
幸せそうに、笑顔で、ただ生きてくれている事が嬉しかったのだと思う。
彼とて、長年苦楽を共にしてきた従兄弟である恭平さんの弟さんと辛い別れを経験してる。
そして伊藤乃依の死を悼んでいる。
綺麗になったなあ、いやあ、凄いなあ、綺麗やわあ。ほんま綺麗やあ。
茨木さんの声と言葉を思い出す度に、私は今でも胸の詰まる思いがする。
おりんちゃんはやっぱ凄いなあ。ええなあ。綺麗やわあ。なあ。ええわあ。
生きててくれてありがとう。
それだけで嬉しいよ。
幸せになってくれよ。
頑張れよ。
私には、そう聞こえて仕方がないのだ。



伊藤の部屋。
カメラの電源を入れる。
慣れたもので、撮られていることを知りながら伊藤は特に構えもしない。
レンズを見る事もしなければ、あえて口を開く事もない。
私とカメラがただそこにある。そういうものだと思っている。
それが私には嬉しかった。
「あっと言う間だった気がします」
「久しぶりにのんびり出来たけど、終わっちゃうとそんな感じするね」
「明日の晩にはもう東京です。私はスタジオには行かず、社に顔を出しますね」
「それがいいね。急な連休のお礼もした方が良いし、今後の相談もあるし。庄内さんとはちゃんと時間かけないとね」
「はい。色々と、ありがとうございました」
「こちらこそ。ちゃんとお土産渡してね」
「すみません、買ってもらっちゃって」
「いいのいいの、連れ出した責任もあるしね」
「もー、敵いません、あなたには。誰も」
「そういう話ではありません」
「はー。帰りたいような、帰りたくないような」
「あはは。取材、あと何日? あと何回、なのかな?」
「そうですね。あとは、最後にやはり、繭子ともう一度じっくり時間を取って話をしてみたいです。今はまだアキラさんとの思い出や、先月収録させていただいた皆さんのお話が凄すぎて、なかなか気持ちの整理が難しかったりとか、描き方に迷いを感じていたりするので、そこをもう少しクリアにしてから、繭子と向かい合えたらなと思います。私はずっと初めから、最終回は繭子だと決めていたので」
「そうなんだ。てっきり武道館だと思ってた」
「あああ、そうですね。エピローグとして、武道館でのライブ模様も書きたいですね。というか当然書きますけど」
「時枝さんの本領発揮だもんね、ライブレポは」
「そう思いたいですね。しかし一年の密着取材という意味では、やはり最後は繭子ですかね。芥川繭子という女性に出会わなければ、私は今ここにいなかったですし、織江さんと出会う事もなかったので。彼女がずっと若い時、歯を食いしばって立ち上がり、一心不乱にドラムを叩いてくれていなければ、私の人生はどこへ向かっていたのかも分かりません」
「そうかあ。そうだね。それは私も、大成達もそうだよね」
「皆さんはまたちょっと、別格なんであれですけど」
「ううん。同じだと思うな」
「そうなんでしょうかね」
インタビュアーらしからぬ、煮え切らない言葉を返す私に対し、それでも伊藤はきちんと一拍考える間を置いて、
「きっと、そうだと思うよ」
と自信に満ちた笑顔を返してくれた。
「聞いても良いですか?」
「どうぞ」
「織江さんはこれまで、特別ご自分の仕事を苦労だと思わずに突っ走って来られました」
「うん? 突っ走ってたかどうかは自分じゃ分からないけどね」
「一生懸命前だけを見て来られた。休む事もなく」
「そんなに格好良く持ち上げてもらっても凛々しい顔出来ないよ。こんな格好だし、せめて東京で言ってもらえれば」
「冗談で言ってるわけではありませんよ?」
伊藤はカメラから顔を背けて明るい笑い声を上げ、
「なら、オーバー過ぎます。普通に生きて来ただけです」
と私に訴える。
「どうしました、急に」
全く取り合わない私に、
「それはこちらの台詞だけど!?」
と笑い声を含んだ声色で突っ込みを入れる。
「ええ?」
尚も芝居がかった私の反応に、伊藤は呆れたように首を横に振って笑う。
「なんかもう、演出過多だって。私をそんなに前に出さないでよ。気持ちは嬉しいよ、有難い事だとも、有難い人だとも思う。でもその情熱は私じゃなくてドーンハンマーに、どうか向けてやって下さい」
「…うーわお!」
「あははは!」
感激しすぎて意味の分からないリアクションしか取れない私に、伊藤は体を揺さぶりながら笑ってくれた。こんな不様な記者に対して勿体ない対応だなと、泣きそうになりながら改めてそう思っていた。
「やはりそうやって、織江さんの一番深い部分には大成さん達の存在があるわけです。ずばり織江さんにとって、ドーンハンマーというのは何ですか?」
「何ですか。…何でしょうかねえ。…何だろうねえ。…何が良いかなあ?」
「あはは」
「翔太郎がいたらさ、『社長、ここは大事な場面ですよ』って脅されるトコだよね」
「間違いないですね」
仕事中の伊藤と接しているだけでは決して気付かなかったであろう事柄の一つに、彼女は普段ゆっくりと話す人だという点があげられる。
口調が遅いのでなく、言葉を選んでいるという意味だ。
仕事中の伊藤は驚く程先々の段取りまで計算した上で行動しており、その都度必要な会話の内容や受け答えも、ほぼ彼女の中では事前に決定しているんじゃないかと思う程だ。
そのぐらい彼女の放つ言葉には淀みがないし、迷いもない。
だが帰省している間の伊藤はその必要がないせいで、とても穏やかにゆったりと話す印象だ。それでもやはり彼女のもつ聡明さは常に発揮されているのだが、ここへ来て感じる伊藤特有の間のようなものが、常に心地よく私を包み込んでくれている。
とても意味を理解しやすく、とにかくずっと耳を傾けていたくなる話し方をする人だ。
「ドーンハンマー」
「…」
「正直、取材とか、こういうインタビューでしか口にしない名前では、あるかな」
「はい」
「だけど面白いのがさ、その名前を口にする事で、並んだ4人の姿がドン!とイメージ出来るの。それは何か、名前の付いた絵画を見ているような気がして」
「ああ、それは少し、分かる気がします。でも、良い事ですよね、それは」
「良い悪いは分からないけど、楽だよね、全員の顔が一度に出て来るから」
「あはは!」
「でも本当は、一人一人、全然違う生き物だからさ」
「…はい」
「アキラだった時代もあるし、もっと言えば、クロウバーって口にすればそこには、マーとナベがいるわけだしね」
「なるほど、確かにそうです」
「友達ー…だったでしょう。まあ今でもそうだけど」
「同士であり、戦友であり、仲間ですよね」
「そう。少なくともビジネスパートナーではないね。あ、今思いつく選択肢全部潰したね?」
「ごめんなさい。つい」
「あはは。ほんと、皆が子供だった頃に出会って、一緒に遊んだ人達だから。笑った顔も、泣き顔も、怒った顔も、照れた顔も、大暴れして鬼みたいな顔も、血まみれの顔も、辛い事にも歯を食いしばって耐えてた顔も、全部見てきた。だから、去年の暮れに、彼らが自分の口から語ったような辛い過去を、私が初めて聞いた時の衝撃というのは…。それはもう、ねえ」
「物凄い衝撃だったと思います。お幾つぐらいの時に、聞いたんですか?」
「えー、大成と付き合う時だから、18とか19とか」
「ああ。まだ半分子供じゃないですか」
「うん。そう、私自身まだ子供っぽい部分が残ってて、普通に、可哀想とか、辛かったんだね、みたいな感想しか言えなくてさ。本気で、心の底からは理解しないまま、重要な部分を通り過ぎちゃった感じはずっとしてた。モヤモヤが残ったまま処理し切れにず大人になって。その事で私の中で彼らに対する気持ちが変わってしまったとかはなくて、相変わらず彼らの事は大好きだったし、変らず一緒にいたしね。だからって言うとまた別の意味になるけど、竜二と大成がクロウバーを組んだ時って、もともと友人関係だったマーとナベもいて、皆すごく楽しそうでさ。夢が叶う瞬間だったわけだから、幸せそうな彼らを見る事が出来て本当に嬉しかったよ」
「そうですよね。辛い事があっただけに、そこを乗り越えた今があるんだっていう」
「私自身はそう思って見てたんだけどさ。…でもそこに翔太郎とアキラがいない違和感というものも、頭の隅っこには確かにあって」
「はい」
「本当はこの話をするのは、私ちょっと嫌なの。マーもナベも私大好きなのに『お前らは違う』って言ってるように自分で聞こえちゃってさ、そういう空気がホント嫌いだし」
「分かる気がします。ですが、本当は全然違いますものね」
「全然違うよ。違うけど、…ううーん、違わないの。あはは、なんて言ったら良いか分からないから避けてる部分もあるんだろうけどね」
「表現は確かに難しいですよね」
「彼ら自身が選んだ事なんだし、実際どう思われようと本人は気にしないだろうけどね」
「そうですね」
「だから…。クロウバーが終わった事は本当に残念だったし、寂しかったんだけど、その後しばらくして翔太郎とアキラが重い腰を上げて、4人でバンド組んで、昔のスタジオで初めて音合わせした時にさ。私その場にいたんだけど、目の前から霧がパー!って晴れた気がしたたのは、もう、ごめん、認める」
「謝る事なんてないと思いますけど」
「うん。…モヤモヤが全部取れたというかね。当時の私には音楽とか楽曲の基準なんて全然分からなかったけど、どんな音が鳴ってるかとかどんな歌を歌ってるかっていう事は二の次でさ。その時私が思ったのは、『私はこの4人が頑張ってる姿を誰よりも見たかったんだ!ずっと見たかったんだ!』って。そこに気が付いたの」
「頑張っている姿…ですか」
「うん。ちょっと簡単には『辛い経験』とか『悲しい過去』だなんていう決まり文句で表現したくないくらいの地獄を彼らは生き抜いたって、私は思ってるからね。その事で個人的にずっと思ってたのは、ただ生きてるだけじゃないんだぞって事なの。本当に彼らは凄いんだ!本当に彼らは頑張ってここにいるんだ!それを皆もっと分かってよ!って。でもそれって言葉では誰にも伝えられないし、他人に伝えるべきじゃないんだろうけど、4人が爆音鳴らして笑った姿を見た時に、『ああ、コレコレ、この姿を皆見て!』って思った。それは誰にって事でもないんだけど、漠然と」
「なるほど。…ごめんなさい、気にせず続けてください」
「あはは。ちょっと私も今、興奮しちゃってますが」
「ふふふ」
ここへ来て、URGAの口調を真似て笑わせてくれる伊藤の温かい人柄に、またも私は救われる思いがした。やがて少しの沈黙を挟んで、彼女は続けた。
「もともと言葉では何も、愚痴とか弱音とか吐かない人達なの」
「はい」
「でもさ、昔大成の部屋に泊った時にね、彼が夜中に物凄い声で叫んで飛び起きたわけ。びっくりしちゃってさ。私も凄く怖くて。だけど落ち着いて話を聞いてみて、私その時初めて、子供の頃の傷とかトラウマが全く消えていないんだっていう事を知ってさ。そんな大事な事にも気づけない程普段の彼らは強いし、弱さを見せずに頑張って生きてるんだよね。その努力とか前向きな力は、本当はどういう形で実を結んだって構わないんだけど、彼らにとってはその行きついた先が音楽だったって事なんだよ」
「はい」
「…勝手に、克服してるもんだと思ってたり、過去の事だと決めつけてた自分に寒気がした。ああ、私はきっと、知らずに彼らを傷つけていたに違いないってね」
「だけど、そうと分かるような顔も、きっと皆さんはなさらないんでしょうね」
「そうなんだよねぇ。…うん、そう」
「喧嘩されたり、怒られたりしたことはありますか?」
「言い争いは何度もあるよ。喧嘩と言うよりは意見のぶつけ合いがヒートアップする事は今でもよくある。でも怒られた事は一度もないかな。私も、彼らに対して怒った事はないと思う。前も言ったけど、特に音楽やバンドについて口出しする事はないし、日常生活や健康面だけだもんね、私が気にして見てるのは」
「そうなんですね。バンドの事で言うと、以前竜二さんが仰ってました。

『もっと行こう、もっとやれる、もっとだ、もっと!って常に思ってる気持ちの先端部分はきっと、歪んでイビツな形をしてるだろうなって自分達でも思うんだよ。そこはきっと誰にも理解されないくらい、形容しがたいカタチをしてるんだろうなって思ってる』

って。URGAさんはその言葉を聞いて泣いておられました。私は正直その場面を見た時あまりピンと来ていなかったのですが、織江さんの仰った事を聞いて今きちんと理解ができた気がします」
「そう? なら良かった」
「今も、決して逃れられない悪夢を振り切り続けるために、生き続けるために毎日彼らの音楽は鳴っているんですね」
「そうかもしれないね。でも、もちろんミュージシャンとしてあれだけの事が出来る人達だから、リハビリ感覚で音楽をやってるわけじゃないという事は、分かってね」
「もちろんです!」
「後出しみたいで格好悪いけど、竜二の言った言葉の意味は私にも分かるな。異常な程練習に固執する人達でしょ。きっと彼らの心の一部分は、他人が見ても理解できないような、人とは違う形としてるというのは、私もその通りだと思うしね。…それに、その部分なんだと思う。きっと、彼らが本当に大切にしてる部分って」
「…はい」
池脇竜二がURGAを別世界の人間だと言った意味が少しだけ理解出来た気がする。
彼らにとって音楽は、芸術やエンターテイメント以上の意味を持っているのかもしれない。
止まったら死ぬと言わんばかりに恐ろしい程繰り返される練習量も、そこを思えば納得出来る。
「物凄く抽象的な話だし、理解しがたいかもしれないけどね。でも彼らが彼らとしての真価を発揮出来るのは、同じ気持ちで同じ歪な部分を持っている人間が三人もいるからだし、彼らを心底敬愛して、彼らの背中だけを追い続けた繭子がいるからだよね。だから、音楽的な話で言えばアキラよりも繭子の方がずっとドラマーとしてのキャリアがあるし、上手いんだと思う。じゃないとおかしいしね。今、ドーンハンマーを引っ張ってるのは繭子なんじゃないかなあ」
「なるほど、そうかもしれませんねぇ」
「…じゃあさ、実際私は何だって話をすると、彼らの為に道を舗装してるだけなんだよね。少しでも走りやすいように、前に進みやすいように。だから私にとって彼らは何って言われると、結局は彼らにどうしてそこまでするの?っていう話になっちゃうけど…、もう分からないよ。だってただ好きなんだよ、出会った時から」
「出会った時からですか」
「初めて話しかけたのは私だけどね。…ああ、んん、まあ、うん」
「何ですか? 話し辛い事なら」
「ふふ、ううん、逆。私喋りすぎだよねって思って」
「聞きたいです。皆さんが13歳の時のお話ですよね。織江さんの通う学校へ、転校してこられた」
「そう、中学一年。私物心ついてから初めてノイと離れて生活する事になって、慣れないうちはいつも不安で心ここにあらずな感じだったの」
「ああ、そうですよね。心配ですよね」
「体の事もあったけど、単純にいつもくっついてたあの子が側にいない事で私自身も、バランスを崩してたというかさ。…だからちょっと変な、変わった子だと初めは思われてたみたいでさ。彼らが転入してくる5月頃には少しクラスで浮いてたの」
「織江さんがですか!?」
「そんな特別な話でもないよ。皆13歳だからね。やっぱり少しでもおかしな部分があると、すぐに弾きたがる残酷な面があるでしょ、子供同士って」
「許せないなあっ」
「私のクラスにはアキラがいたの。…ここが奇跡なんだけど、彼ら4人はいつもアキラのいる私のクラスで一緒にいたの。今日はここ、明日は竜二の教室、とかじゃないの。毎日うちの教室だった。誰とも口を利かずに4人でじっとしてるんだけど、でもちゃんと周りを観察してたんだろうね。ある日ね、私の体操着を入れてる袋がなくなってたの。自分の机の横に引っかけてたんだけどね」
「ええ!?」
「うん。あれー、どうしたっけなあって思って。でも次の日学校来たら戻ってるの」
「え?」
「うん。でもなんだかちょっと汚れてるの。意味が分からないんだけど、戻って来たしまあいいかと思って。どうでもいいと思ってた部分もあるかな」
「あはは、なるほど」
「でね、ある日机の中に入れてたペンケースがないの。…でも次の日にはあるの。そういう事が何度か続いて。なくなるんだけど、でもちゃんと帰って来るのね。だから私は何も分からないし、何が行われてるか実感が全くないままで。結局それが何だったのかが分かったのは、本当に偶然、校舎裏の焼却炉の前でクラスメートと喧嘩してるアキラと大成を見かけたからなの。怖くて隠れたんだけどね。でもアキラが私のスニーカーを持ってるのが見えて。その時は興奮して、怖くて、なんだなんだ、なんで私の靴?ってパニックで。でも、いざ授業が終わって帰ろうとしたら、下駄箱にちゃんと私の靴は入ってて。でもちょっとだけ汚れてるの。次の日も、私のクラスに4人は一緒にいるんだけど、別にいつも通りで、静かだし、私を見るわけでもないし。でも…なんとなく分かっちゃった。私その時嫌がらせされてたんだなって。でも彼らが全部取り返して、黙って戻してくれてたんだなって。だってさ、その時見た喧嘩、アキラがもし私の靴を取ったんだとしたら、普通は戻さないよね。戻したっていう事は、それは取り返してくれたからだって、分かっちゃった。そんなんさあ、そういうの見ちゃったらもう、気になって気になって。何で私嫌がらせされてるのとか、正直そこはどうでもよくて。彼ら4人の事がさ、気になっちゃって」
「…信じられない。本当にそんな人達がいるなんて」
「あはは、そうだよねえ。ノイにその事話したら、会いたい!って無邪気に笑ってた」
「可愛い!ですがその頃の皆さんも、環境が変わったばかりであまり記憶に残っていないというお話をされていましたね」
「うん。損得勘定とか正義感より、あの人達って条件反射で動くからね。覚えてないって言われても、でも私はしっかり見てるからね。そりゃあ当時は私も事の真相に確信があったわけじゃないよ、どういう人達なのか全く分からなかったし。だからこそ、興味が湧いたんだろうね。ちょっと不気味だけど、悪い連中じゃないのかもって」
「なるほど。そこで例の名言『仲良しなんだね』という言葉が生まれたんですね」
「普通の事しか言ってないのに名言って」
「実際、皆さんが織江さんを助けてくださってたんですか?」
「うん。そうみたい。アキラ以外全員否定したけどね」
「あの人達らしいですね」
「本当はアキラも否定するつもりだったんだって。だけど、他の三人が否定したのを聞いて、なんかシュンとしてる私が可哀想だから、もう白状したって言ってた。可愛い奴でしょ」
「あー、素敵な人ですね」
「相当ぶっ飛んだ奴だけどね、心根は皆優しいよ」
「はい。その後嫌がらせは止んだんですか?」
「嫌がらせって言っても、聞いた話だけど私の事を好きだった男の子が友達と二人してちょっかい掛けてきてるだけだったみたい。だからその後大成達と一緒にいるようになって、諦めたのかな、何もされなくなったよ」
「そうだったんですか、浮いてるなんて言うからいじめられてるのかと思ってドキドキしました」
「あー…、あ、なんでこんな話してるんだっけ!?」
「あはは!出会った時から皆さんの事が大好きだったと」
「ああ、そうそう。うん、そんな感じかな。…私がいなくたって、彼らはきっと世界に飛び出してたとは思うんだよ。けどまあ少しくらいは、日本でも格好付けさせる事が出来たんじゃないかなあって、思ってるけどね」
「織江さんのお力は偉大だと思います。お世辞でもなんでもなく、少なくともこの業界を見て来た私からすれば、あなたの尽力は計り知れない物をバンドにもたらしたと断言できます」
「あはは。ありがとー。じゃあもの凄い太字でなんか、テロップみたいなの出しといてね」
「分かりました。画面一杯に出します」


『伊藤織江こそ、』(テロップ1)
『至高!』(テロップ2)


「そういう意味で言うと。アキラが死んだ時、繭子が側にいなかったら皆どうなってただろうなって。それを真剣に考えた時の恐怖ったらないよね。だから…うん。繭子は…神様が使わした天使なんだと思うよ」
「…はい」
「私たちは天使を掴まえたんだと思う」
「なるほど。いいですね、天使か…」
「…格好つけすぎたぁ」
「あははは」
「ま、いっか」
「あ。また一つ思い出した。翔太郎さんが、繭子の加入時にどう思って彼女を見ていたかって聞いた事があって。結構前なんですけどね、最初の渡米直前とかなので」
「うん。なんだって?」
「『毎日、嬉しかった』って」
「ああ!うん! そうだよね。そうだよねえ」
「繭子は涙が止まらなくなって、そこでインタビュー終わりましたもん」
「そっかそっかあ。…じゃあ最後キリよく、大成の事も何か一つ思い出していただいて、綺麗に終わりましょうか?」
「さすが社長、そこはちゃんと平等に」
「ううん、今普通に女房面してみたんだけど、どうかな」
「あははは!いやーもう、これ以上ないですよ。織江さんが奥さんだっていう時点で大成さん一人勝ちですもん」
「うそうそ!うそうそうそ!やめて!」
「いやいや、本当に」
「誠を敵に回したいの?」
「…怖ーわ!」
きっと階下で眠る恭平さんと冴さんが目を覚ましてニンマリする程、私達の笑い声は大きかったことだろう。実際はこの日の記録映像を見た繭子も関誠も、とても羨ましがっていた。伊藤織江は彼女達にとっても掛け替えのない憧れの存在なのだ。
「織江さん。一週間、お世話になりました。少し早いですが、…一年間ありがとうございました」
「この一年は本当早かったね。お疲れさまでした。よく頑張ったね」
「これからもよろしくお願いします」
「こちらこそ」
「じゃあカメラに向かって、最後に一言お願いします」
「私が?…そうかあ」
三角座りをしていた伊藤は膝の間に顔を埋めた。
しかしすぐに私を見やって、苦笑い。
私が肩を竦めて微笑み返すと、伊藤は諦めたようにケラケラと明るく笑ってカメラを見据えた。そしてレンズに向かって人差し指を立てた。



「俺達が、ドーンハンマーだァー! …どーん!…恥っず!」



(注釈)
今回に関してのみ、時枝の発言に「」を用いたが、
あくまでバイラル4スタジオ側の勧めでそうさせて頂いた事を付け加える。

連載 『芥川繭子という理由』 51~55

連載第56回~ https://slib.net/85613

連載 『芥川繭子という理由』 51~55

日本が世界に誇るデスラッシュメタルバンド「DAWNHAMMER」。 これは彼らに一年間の密着取材を行う日々の中で見た、人間の本気とは何かという問いかけに対する答えである。 例え音楽に興味がなく、ヘヴィメタルに興味がなかったとしても、今を「本気」で生きるすべての人に読んで欲しい。 彼らのすべてが、ここにあります。

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