ある男の蛇行した生涯 序幕(TES V:Skyrim 二次創作)

 第四紀 一七一年。サマーセット島、改めアリノールを統治するエルフの国家アルドメリ自治領は、シロディールを本拠地とする帝国へ最後通告を贈る。これに応じなかった皇帝タイタス・ミード二世へ事実上の宣戦布告を行う。
 翌年、一七二年。アルドメリはシロディールへと侵攻開始。その二年後には帝都を略奪するに至る。
 しかし、一七五年に降伏を要求するアルドメリに対して皇帝は密かに帝都奪還を画策――のちに赤輪の戦いと呼ばれる。それに見事成功を収めるもこれ以上の悲惨な戦争に耐え兼ねた皇帝は、アルドメリとの間に白金協定を結び、休戦へと至る。
 しかしながら、この白金協定によりタムリエル大陸北部スカイリム地方では鬱屈した信仰をノルドたちが余儀なくされ、一七六年に起きたマルカルス事件が引き金となり、反帝国思想が強まり始める。
 それから時経て二〇一年、ウィンドヘルムの首長ウルフリック・ストームクロークによってスカイリム上級王トリグが決闘の場で殺害される。これを皮切りにウルフリックは自身と共に立ち上がった反帝国主義者を率いてスカイリム独立解放軍を指揮する。帝国領土内における内戦の始まりであった。
 そして、同年。ある男がスカイリムへと国境を渡ろうとしていた。

 はらはらと雪が降る。
 灰色の空には白い綿菓子のような雪が小さく舞っては地面に触れて溶けていく。長らく居付いた土地をいよいよ離れたのだと男は感じた。
 まばらに舗装された街道をもう何時間と歩き続けてきた男は、ようやくにして目的の場所へとたどり着いた。何分も前から視界に見えていた大きな門のような建物が、彼の眼前まで近くなってくる。この関所さえ超えれば、一息がつける。ふうと息を吐いて男は、頭のフードを更に深く被ってから関所で呆然としている衛兵の前に進んだ。
「このあたりはずいぶんと寒いな」男は衛兵へ気さくに声を掛けて緊張を解させる。「通りたいんだが、構わないか?」
「この付近で寒いと言っていたら、この先に進むのは難しいな。北を目指せばもっと冷え込むぞ。それと通るには必要な物がある」そう言って衛兵は目の前で腕を組んで見せる。暇そうではあるものの、仕事には熱心なようだ。
 男は懐に手を滑らせてから一枚の紙を取り出し、開いて自分でも確認をしてから「勿論分かっているとも。これで十分かな?」と紙を差し出す。
 衛兵は男から紙切れを預かり、真剣に内容へと目を向ける。時折衛兵は男と紙とを見比べて訝しげに喉を鳴らした。男は背負っていた荷物をぐいと持ち直し、フードから覗かせる顔をにこりとさせて見せる。その内心は幾ばくかの緊張と、そしていざという時の覚悟を孕んでいた。「上手くいくはず」と「あてにはしていない」という両方の信頼が男の中で交錯していた。
 すると、衛兵は詰所前のテーブルに置いてある羽ペンを手に取って、先をインクで浸してから男が渡した紙にすらすらとサインを入れていく。
「スカイリムへは何をしに?」視線を手元から逸らすことなく尋ねる衛兵に男は小さく安堵の息を漏らして回答する。これが最後の試練のようだ。
「例の大戦のお蔭で住むところを失くしてね。シロディールでは転々と暮らしていたんだが、それも難しくなってきてな。にっちもさっちも行かない時、向こうに住む友人が手紙を寄越してくれたんだ。こっちで働ないかと。その厚意に与ろうってわけさ」
「最近までは何処に住んでいたんだ?」抜け目ない質問だ。男は演者さながら流暢に返す。
「ブラヴィルだな。酷い街だった。悪人どもには住みやすかったのかもしれないが、そういうわけで自分には合いそうもなかった」この切り返しに衛兵はちらりと男の顔を覗く。よく言うよ。衛兵は一瞥した男の姿に呆れた笑いを零してから紙を差し出した。
「ようこそ、スカイリムへ。せいぜい掻き回さないことだ」
「勿論だとも。シロディールよりマシであることを願うばかりさ」
 男は紙を受け取ると中身にさらりと目を通す。『シロディール=スカイリム間通行手形』とある題目の一番下には真新しい下手くそな字で通行許可承認者の欄に名前が加わっていた。その字の様子だけで自分のこの選択――このかつてない辺鄙な土地へとやってきたことに早くも後悔の念が浮かぶ。
 それをおくびにも出さず、男は衛兵にひと言感謝を加えてから関所を通り抜けて行った。振り返らずに進んでいくが、背後からは尚も視線が刺さっているのに気付いている。それもそれそうだ。自分があの衛兵の立場なら手形に何か細工がないかと小一時間は粘っていたかもしれない。自分という種族(・・)はそう見られがちだ。そして大抵は間違っていない。今回に関してもあながち誤りではなかったのだから。
 幸いにも、衛兵が真面目に見えたのは格好だけであったようだ。「公的」に用意されていないこの紙切れを見抜く能力も気力もなかったところを見ると、さっさとこの仕事を終わらせて一杯やりたかったのだろう。この寒さの中では、それも仕方ない。
 とはいえ、そのお蔭で男も強硬手段に出ずに済んだわけだ。やる気のないろくでなしは大歓迎だ。その方が、こちらも仕事がしやすい。男は道の先に馳せる思いを胸に、外套を整えてから雪降る山道を進んでいった。

 どれほど歩いただろうか。雪は降り止んだものの、辺りには溶け切らないで積もったままのものも見受けられる。スカイリムという極寒の地にやってきたというその実感が湧いてくるようだ。しばらく歩けばリフテンという街に辿り着くはずだが、未だその気配はない。そもそも野生の獣以外にここ数時間遭遇していない。行商人や山賊にさえ遭わないというのは、流石の男でも不安を覚えて来た。ここまで辺鄙な土地なのか。
 荷物から小瓶を取り出してそれ一気に喉へと流し込んだ。寒さが極まる此処スカイリムでは必須だろうと用意しておいた保温の薬。これでもう三本目になる。薬代をケチっていくつか店から拝借(・・)してきたのだが、二、三軒回っても五本しか手に入らなかった。こんなことならば自作できるようにしておけばよかったと後悔が押し寄せるが、今さらどうにもならない。
 体の芯が温まってきた頃合で男は歩を少し早めた。この辺りで野宿は勘弁したい。せめて何処かに雨風、加えて寒さをしのげるような野営地を見つけなければ、このまるで馴染みのない土地で自分は力尽きることになってしまう。
 それは御免だ。此処まで逃げのびるまでに多大なる犠牲を払ってきた。ひと財産を(なげう)ってまで生きることを選んだのだ。此処で物語を終えてしまうならば、いっそ今生の贅を尽くして愉悦の中で死に絶えた方がマシだ。もはや振り返れないところまで来ている。二十年、三十年先の未来を掴むためにも、男は小瓶を放り投げて一層力強く歩んでいった。
 更に一時間ほど歩いた頃、少しずつだが辺りに色づいた落葉がちらつき始めていた。寒さが少し落ち着いてきたのを肌で感じる。しかし、未だ人っ子一人出会わない。どうかしているぞ、この地域は。一人悪態をついて男は懸命に足を進めていく。気が遠くなるほどの旅路にもはや彼の限界は近づいてきていた。
 すると、男の鼻がすんと煙の臭いを嗅ぎ分けた。思わず足を止めた彼は顔を振りながらその臭いの出処を探す。確かに感じる。薪を焼く香ばしさ。加えて肉が醸しだす旨味漂う香り。誰かが近くでキャンプをしている。この極限下に於いて男はそれを確信した。
 辺りを見回す男の目が、紅葉を蓄える木々の隙間から立ち上る煙を捉えた。薄く、しかし風がない今は真っ直ぐと空へと伸びている。この様子だと野営の主は他者に気付かれないよう休息に浸っているようだ。
狩人か、はたまた山賊か。何者であるかなど、男にはどうでも良かった。何はともあれ疲れと空腹が同時に解消される予感を満たすために煙の根元を目指していた。
 煙の下、そのすぐそばの草むらで男は身を潜めながらその場所に目を凝らす。そこには男たちの一団が座り込んで腰を落ち着かせていたり、荷を解いては中から武器やら鎧やらを取り出して手入れをしていたりと静かながら慌ただしくしていた。
 山賊か。いや、それにしては装備に一貫性がある。青を基調としたキュイラスを身に着け、皆一様に手斧や鈍重な武器を備えている。となると兵士か。だが、彼らは漏れなく疲労の表情を浮かべているのが見て取れる。この休戦下の最中に疲弊した兵士たちだって。こいつらが何者であるかは分かりようがない。それに分かる必要もない。
 男もまた十分すぎるほど疲れていた。此処までおよそ休みなく歩き続けてきたのだから仕方がない。この野営地をとりあえずの休憩場所とすることは叶わなさそうであるものの、使える物を補充(・・)させてはくれそうだ。
 影の中を進み、男は一団の死角を忍び歩く。慣れた足運びで木の葉を無音で踏みしめながら、男は人気のないテントの一つに入り込んだ。その瞬間、むせ返るほどの汗と泥の臭いに声が出そうになった。酷い臭いだ。この中でこいつらは寝泊まりをしているのか。吐き気のしそうな想像に男は頭を振って呼吸を最小限に抑えながら、荷物の一つを軽く物色する。が、碌な物がない。数枚の金貨(ゴールド)が荷物の底で静まり返っている以外では、空の酒瓶と食いかけのパン、到底価値がありそうもない――十字型の剣を模した――アミュレットくらいしか見当たらなかった。
 とんだハズレを引いたもんだ。藁にもすがる思いで潜り込んだこの場所は、窺い知れるに相応しい廃墟のようだ。無一文同然の男にさえ、この場所から何かを得るのは難しい。
 虫の息となっている連中にこれ以上の期待は出来ないか。辺りの気配に注意しながら男がテントから顔を出すと、そこから覗き込める位置に数頭の馬が見えた。シロディールでは見かけないようなガタイの良い馬たちだ。足が速そうには到底思えないが、疲れた足の代わりとしては十分すぎる収穫になるだろう。
 しかし、どうしたものか。馬屋から盗み出すのとはわけが違う。他の馬の面倒を見ているか、暇つぶしにうたた寝する馬屋の主人たちが相手ならまだしも、此処にいる連中は疲労困憊に見えても真っ当な戦士たちに見える。気付かれずに近づくことは出来ても、音もなく奪い去るのは至難の技となるだろう。一斉に弓矢の的となれば無事で済むはずがない。連中が揃って気を引かれるような『何か』でも起きない限り、眼前の宝には手を伸ばすことさえ叶わなかった。
 諦めるべきか。男の脳裏にそんな思考が過った瞬間、あらぬ方向から叫び声が上がった。
「敵襲だ!」どたばたと兵士の様相をした男が野営地中を走り回りながら同じことを叫んでいる。
 敵襲だと。男はテントの外へ出て、出来るだけ静かに、そして素早く兵士たちの目に入らない場所へと目指す。再び草むらに潜り込んだ彼は、そこから状況を冷静に見据えた。連中が敵だと呼ぶそれ(・・)が、怒号を上げながら野営地をたちまち戦場へと変えていく。視界の中で剣を振り回すそいつらだが、今度ばかりは男の記憶にも明らかな存在だった。
 赤を基調とした革製の鎧。剣と盾を器用に扱い、中には魔法を駆使する者も見られる。そして、何より目に付く不細工極まりないスカートを模した鎧から覗かせている、見るに堪えない男の筋骨隆々とした生足。シロディールの帝国軍兵士。あんなダサい恰好をしている連中は他にはいない。
 だが、恐るべきはその様相ではなく、青い鎧の一団を瞬く間に取り囲む帝国兵士共の圧倒的兵力だ。気が付けばそこら中に連中がはびこっていた。
 とはいえ、これは好機だ。他ならぬ神が――祈る神がいるわけでもないが――与えたもうたチャンスに違いない。今ならば馬の一頭を預かることも、この場から逃げ遂せることも些か楽だろう。
 意を決して男は草むらを抜け、馬の下へと急ぐ。白と茶色の斑模様の一頭に狙いをつけて、彼は猛然と向かった。狼狽えるその馬の顎を軽く撫でて素早く宥めると、男は手際よく括り付けられた手綱を解いて見せる。
 が、しかしであった。次の瞬間、男の後頭部に強烈な衝撃が走る。それは鈍く、激しい痛みを伴うものだった。思わず男は患部を手で押さえ、地面にうずくまる。そして、自分をこのような目に遭わせた輩を見定めようと、苦痛で閉じそうになる瞼を懸命に開いて睨もうとした。すると、視界の端からまともとは言い難いボロを纏った男が現れた。そいつは鈍器代わりに使った薪をこれ見よがしにひょいと彼の目の前に落として、男が手を付けようとしていた馬の手綱を取った。
「くっ、・・・貴様」苦しげに声を上げながら男がそう言うと、ボロを纏った卑怯者はふんと鼻を鳴らしながら笑みを浮かべて返した。「悪く思うなよ。俺もこいつに当たりを付けてたんだ。早い者勝ちだな」
 高笑いこそしないものの、腹の中ではしてやったような顔でボロ纏いの男が馬に飛び乗る。尚も地面で苦しい喘ぎ声を出す彼は鋭く馬泥棒を睨みやるが、今にも走り出そうとするそいつに飛び掛かるには頭の重みが邪魔をしている。このままではまずい。
 だが、そこへ風を切る音が二人の間を掠める。一本の矢が狙いを外れて木に刺さっている様へと二人して視線を奪われる。そして、その隙に第二の矢が鋭く飛び込む。今度は馬の喉を正確に射抜いた。堪らず大きく嘶いた馬は前足を上げて痛みと戦うが、程なく騎手たる泥棒を乗せたまま横転した。
 受け身も取らずに落馬した男は打ち付けた背中を押さえて声にならない悲鳴を上げながら弓なりに体を逸らせる。そこへすぐさま帝国兵士の一人が近づき、泥棒を後ろ手に取った。
 まずい、非常にまずい。この状況はどう見積もっても最悪の状況でしかない。命からがら逃げのびた先でこんな間抜けな最期を迎えるなど御免だ。後頭部の痛みに堪えて男は立ち上がろうとする。が、起こした上半身が視界を持ち上げたその時、男の顔面を大きな拳骨が直撃し、再び体が地面から離れなくなった。
 そして今度は意識さえも暗い闇へと沈んでいった。

 遠くで誰かが呼んでいる。
 声は、聞こえない。言葉は、分からない。
 だが、呼ばれている気がした。自分の名ではないのに。自分そのものであるかのように。
 
 耳慣れない声。でも、聞き慣れたような言葉。
 誰なんだ。お前は。誰なんだ。俺は。
 闇から何かが覗き込む。紅玉のような眼と闇に溶ける黒い姿。吐き出す息が熱い。酷く熱い。
 噴き漏れる炎と共に聞こえない、分からない言葉が零れる。
「お前は――」

 視界が曇っている。ざらついたガラスのように瞭然とはいかない光景が映る。薄らと開かれた目がようやく光を拾って、少しずつ世界を鮮明にし始めていた。数回の瞬きの内に顔を起こすまでに頭が回復した。が、まだ体はぐらぐらと揺れているような気がする。
 いや、気がするのではない。揺れている。地面が。というよりは――
「馬車・・か・・・?」
 気付かぬ間に男は馬車に乗せられていた。だけではない。
手の自由が利かない。手首の位置で両手が縛られている。それどころか体が異様に軽くなっている。荷物も、外套も、防寒のために用意したほとんどの衣服がはぎ取られている。そのせいで酷く寒い。そして、懐に忍ばせていたオリハルコン製のダガーさえ消えている。必要として持ち込んでいたおよそ全ての物が奪い去られていた。
 受け入れ難いこの事実に男は思わず立ち上がりそうになるが、補装もままならない山道を下る馬車の揺れで座席に大きく尻餅をついた。
「そこ!静かにしろ!」馬車の御者を務める帝国兵士が素早く男を叱り飛ばした。尻に響く痛みと寒さとで身を縮ませていると、男の覚醒に眼前の兵士が口開く。
「やっと目を覚ましたか。国境を越えようとしていたんだろう。違うか?」
 同じく手を縛られたその兵士に男は一瞥をくれてやる。長い金髪を無造作に伸ばし、髭を蓄えたむさくるしい容貌のこの男は、如何にも典型的なノルドだ。此処スカイリムでは珍しくない。少しばかり田舎訛りの混じったこのノルドに男は顔を背けて無言で返す。返答の無い男を見定めるように金髪のノルドの兵士は視線を上から下へと流してから、言葉を続ける。
「俺たちやそこにいるコソ泥と同じで、帝国の罠に嵌められたってわけだ。哀れだな」ノルドの言葉に男は尚も押し黙る。すると、コソ泥と呼ばれた男が代わって返す。
「この『ストームクローク』共め!お前たちがやりたい放題にするまでスカイリムは良い土地だった。帝国が支配していた時は、少なくとも今よりくつろげるような時代だったってのに」怒りを露わにして悪態を吐くその盗人に、無視を決めていた男は目を見開いた。この男、あの時自分を殴った野郎だ!
「てめえ!あの時はよくも・・・俺の頭と馬を!」
「ああ、そうだな。あの時はよくも邪魔してくれたな。俺が先に目を付けていた馬をまさかお前がタッチの差で奪おうとするなんて。だが、運が良かったのは俺の方だった。気付かないお前と振り回しやすい棒きれが目の前にあったんだからな」
 この状況でよくもまあ「運が良かった」などと言えるものだ。どちらにとっても帝国兵士に捕まるなどという結果に恵まれた要素など有ろうはずもない。二人揃って運に見放されたも同然だ。いや、この間抜けなコソ泥に出くわしてしまった自分の方がよほど不運だったか。いずれにせよ、此処で言い争ったところで最悪の状況は変わらないままだ。
 コソ泥は男から再び兵士の方へと向き直り、悪態を続けた。
「全く、お前たちを探す帝国軍共に気付いていれば、もう一足早くあの馬をかっぱらってからさっさとハンマーフェルへとおさらばしていたものを。連中の目的はお前たちだろうが」コソ泥の言葉に兵士は「これで固く結ばれた兄弟姉妹だな、コソ泥」と答える。その返しにコソ泥は苦虫を噛み潰したような顔を浮かべて、呆れたようにかぶりを振りながら今度は正面に居る男に目を向けた。
くつわとして布で口を塞がれているようだが、見たところ兵士たちのように鎧を身に付けてはいない。一層豊かな茶髪を後ろに掻き上げたその男の目には、力強さと溢れんばかりの怒りが込み上がっているようだった。野心が炎のように灯って内側から燃え上がって映る。
「こいつは何だってこんな目に遭ってるんだ?俺よりもおしゃべりで小五月蝿いってわけか?」とコソ泥の言葉を耳にした兵士は、無礼極まりないとばかりにそいつの脛を蹴り上げてから口を塞がれた彼に代わって答えた。
「言葉に気を付けろ。お前は上級王ウルフリック・ストームクロークに口を聞いているんだぞ」
 厳しい視線と容赦ない蹴りを受けてコソ泥は涙目になるが、その言葉を聞いて顔が徐々に青くなっていった。「う、ウルフリックだって?ウィンドヘルムの首長の?でもって反乱軍の指導者の・・・待てよ。そのあんた(・・・)が捕まったってことは、俺たち・・・なんてこった!どこに連れていかれるっていうんだ?」
 顔面が蒼白となるコソ泥に国境を越えたばかりの男も些か不穏さに気付き始める。反乱軍の指導者だって。スカイリムで何かいざこざが起きていることは耳にしていたが、今よりも最悪な状況になる要素なんてあるのか。
「何処に行くつもりかは分からんさ。だが、ソブンガルデが待っている」
「そんな・・・嫌だ!死にたくない!」
 いよいよ兵士とコソ泥の間のやり取りに異様な緊迫感を覚える。ソブンガルデが何なのかは不明だが、どうやらエセリウス――いわゆる死後の世界を指しているのだとすれば、このコソ泥の狼狽にも納得がいく。
 死ぬ?こんなところで?流石に黙っていた男にも、この寒空の中でさえ冷や汗が浮かんでくる。冗談ではない。
「おい、馬泥棒。お前、生まれは何処だ?」おもむろに聞いてきた兵士の言葉に涙を堪えながらコソ泥は返す。
「ろ、ロリクステッド。故郷はロリクステッドだ。ホワイトランの西にある・・・何で今、そんなことを」
兵士は空を仰ぎながら目を閉じて答える。「ノルドは死に際に故郷を想うものだ」
 潔く死の覚悟を始める兵士にウルフリックと呼ばれた男も目を閉じた。奴もまた同じく望郷に思いを馳せているのだ。そんな二人の姿に流れの男とコソ泥は顔を合わせて腹の底からゾッとした。ストームクローク(こいつら)といると死ぬ。そんな事実をまざまざと見せつけられているようだ。
「これはテュリウス将軍!死刑執行人がお待ちです」
 ストームクローク共の様子に気圧されていた男は、不意に言葉を発した帝国兵士の声に正気を取り戻す。声が向けられた先に目をやると、一人の初老の男が馬に乗っている姿が目に留まった。他の兵士共とは明らかに異なる出で立ち。『将軍』と呼ばれたその男の名こそ知らぬものの、帝国軍将校を務める者というだけで背筋が凍る思いだった。
 そして、その将軍と向かい合う形で別の誰かが馬に跨っているのが見えた。ほんのわずかな間しか見えなかったが、あれはアルトマー(ハイエルフ)か。黄色い――想像以上に――肌をしたエルフで、他のエルフ種と比較して高身長であることが特徴的だ。
 流れの男はアルトマーにあまり良いイメージを持ち合わせていない。連中は等しく高慢ちきだ。自分たちが神の子であることを――事実がどうであれ――疑いもしない。世界を支配する義務があると考えているらしい。思えば帝国とアルドメリ自治領との間の大戦も連中の傲慢さがゆえに――。
 そこでふと気づく。あのエルフが自治領から送り込まれた奴とすると、サルモール――アルドメリ自治領の連合政府――の使者か。それが帝国とグルになってスカイリムに居付いているだと。どうもこの土地に蔓延る戦乱は、大陸中にとって大きな問題になっているようだ。そして、その扇動者が今まさに自分と同じ馬車で運命を共にしている。
「軍政府長官のテュリウス将軍か・・・それにサルモールも一緒のようだ」どうやら金髪の兵士も連中の存在に気付いていたようだ。
「あれはやっぱりサルモールの奴なのか」流れの男は声を落として聞き返す。
「あの装いで連中でないということもないだろう。胸糞悪いエルフ共め・・・賭けてもいいが、この奇襲の件だって奴らが関わっているに違いない」
 獣のように歯を向けてエルフの悪態を零す兵士。ストームクロークがサルモールにどのような感情を抱いているかは明白だった。
 これは本当に最期かもしれない。男が馬車の座席に力なく体を預けると、コソ泥が急に発狂し出した。
「ああ!ショール様、マーラ様、ディベラ様、キナレス様、アカトシュ様・・・とにかく神様!どうかお助けえ!」
 コソ泥は縛られた手を必死に握り合わせて空に向かい命乞いをする。こうはなりたくないが、そうしたくなる気持ちも分からないでもない。状況は刻々と最悪の方向へと下っていっている。
 そうこうしているうちに馬車に大きな影が差した。男がふと見上げると、それは要塞の砦門が作り出したものだと気づいた。何処かに辿り着いたが、何処かまでは分からない。このスカイリムに関する土地勘は全てガイドブックに頼り切っていた。それも今となっては荷物ごと消失してしまっている。
 男の疑問が顔に浮かんでいるのを察してか、金髪の兵士は思い出話に更けるかのように口を開く。
「ヘルゲンだ。スカイリムの南方に位置するな。昔ここの女の子に夢中なってね。ヴィロッドはいまだにジュニパーベリーを混ぜてハチミツ酒を作っているのだろうか」
 ヘルゲン、ジュニパーベリー。耳慣れない言葉がいくつかあったが、どうもスカイリムの南にいるらしい。男の最初の目的地はリフテンだったが、そこも南に――正確には南東に位置する要塞だったはずだ。具体的な配置は把握できないものの、国境付近をなぞるように此処までたどり着いたわけか。そう遠くないところであれば良いが。
 そこで男は思わず腹の底で笑った。心からというわけではない。ただ自分を嘲るように、だ。
 こんな状況下で目的地へ辿り着けることを心配している場合か。明日どころか今日の命さえ危うい只中だというのに。どうしてこうなってしまったのか。自分を取り巻く不運など今に始まった試しではないが、殊更に極まっているように思える。男は自身の中で、ある種の覚悟(・・)が始まっていることに気が付く。
 とうとうその日を迎えることになってしまいそうだ、友よ。
「へっ、幼い頃は帝国軍の防壁や塔がこの上なく頼もしく思えたもんだがな。今となっては俺たちの監獄そのものだ」
 『()』たちの、だな。金髪兵士の愚痴に、男は胸の内で同じ言葉を引用して訂正を加える。各々がそれぞれの形で腹を据え始めているようだ。不思議な一体感を男は覚えた。つい先刻、顔も種族も知らなかった者同士が、名前もまともに知らないままに同じ場所で最期を迎えようとしていることに。
 すると、要塞の一所で馬車が止まる。前を行っていた別の数台も同じであるようだ。
「何なんだよ!なんで止まるんだ!?」変わらず狼狽えたままのコソ泥は顔を振り乱して現実から目を背けようとするが。
「どうだと思う?一巻の終わりさ」金髪の兵士の言葉がコソ泥にとどめを刺す。
「行こう。神様を待たせちゃまずいからな」
 諦観の面持ちで兵士は重い腰を持ち上げながらそう告げる。コソ泥は尚も自分が反乱軍ではないことを叫ぶが、帝国軍は耳を貸す気も無いようだ。流れの男もまた、兵士を追う形で馬車を下りる。死の恐怖が無いと言えば嘘になるが、一人で死ぬよりかはマシのように思えた。死んでから向かう先まで同じとも限らないが、無縁の死に場所で孤独でないことは唯一の救いなのかもしれない。
 馬車を下ろされた一同は帝国兵士の前で整列させられた。反乱軍こと、ストームクロークの連中は皆揃って自由が利かない状況だが、一人残らず胸を張って帝国軍の一人一人に鋭い眼光を向けている。この期に及んでこれほど殺気立っていられるのは、流石ノルドと言ったところか。或いは、万事休すたるこの状況においてもまだチャンスがあると信じて止まないのか。
 生憎だが男にそれだけ余裕はない。視界の隅に映り込む黒い目出し帽を被った処刑人の姿を前に、もはやそんな気力まで湧いては来ない。幾度となく技と魔法で危機的状況を脱してきた彼だったが、これほど絶望的な状況下で「死ぬほど苦しい思い」と天秤にかけながら「呆気ない命」を賭けるのは馬鹿らしかった。
 せめてあの処刑人が首を落とすのに手間をかけないことを祈るばかりだ。
「名前を呼ばれたら処刑台に進むのよ。一人ずつね」
 鉄製の帝国製鎧を身にまとった女兵士が冷たい風を叩きつけるかのように叫んだ。まるでトロールさながらに筋張った顔と手足を持っている。戦場でこんな奴に出会ったら裸足で逃げ出したくなるな。男は笑いそうなり、喉を鳴らしてそれを誤魔化した。
「ウィンドヘルムの首長、ウルフリック・ストームクローク」
 トロール顔の女兵士の隣で男の帝国兵士がリストを読み上げる。ウルフリックは何も言わないまま――言えないだろうが――処刑場へと向かう。
「リバーウッドのレイロフ」
 その名に応えて同じ馬車に乗っていた金髪の兵士が歩み出た。レイロフ、それが奴の名だったか。知ったところでどうしようもない。もう一時間もしないうちに聞かなかった名前になるだけだ。何も発しない彼を、男もまた無言のまま送り出す。
「ロリクステッドのロキール」
 名は知らなかったが聞き覚えのある地名を耳にして男はコソ泥の方を見た。まさにこの世の終わり然としたそいつは酷く息を荒げ、この寒さの中で汗を吹き出している。そして、それが限界に達したのか、ロキールと呼ばれたコソ泥は兵士たちに向かって飛び込むように前に出た。
「俺は反乱軍じゃない!やめてくれ!」そう言って奴は死ぬ物狂いで連中の脇を抜けて走り出した。
 静止を呼びかける女兵士の言葉にロキールは聞き入れるはずもなく、必死で足を動かした。まさか命まで取りはしまい。そんな微かな希望に賭けたのかもしれない。
 しかし――。
「射手!」
 女兵士の号令に数名の兵士が一斉に弓を構える。そして、同時に放たれた矢の一本が見事ロキールの頭部を突き刺した。撃ち抜かれた拍子に奴は顔面から地面へと転倒したが、痛みは一瞬だっただろう。遠目にもはっきりと広がって見える血だまりの中でピクリともしない奴の姿に、その死を悟った。
 この状況で逃げ出すことの愚かしさをロキールは身を以て証明してくれた。男にとって終始碌でもない奴ではあったが、その教訓を残してくれたことだけは感謝してやった。
 何事もなかったように帝国兵士は再びリストに目を通すが、リストと流れの男の姿とを見比べて困惑しているようだった。それもそうだろうな。自分はそこに載るはずもない存在に違いない。考えあぐねた結果、兵士は自分を「そこの囚人」と呼びつけて一歩前に出るよう言った。
 そして、その通りにしてやった彼は、ストームクロークの兵士たちよろしく真っ直ぐと兵士たちを睨みつけた。
「何者なんだ?」
 リスト手にした兵士の言葉に彼は何も言わない。それは兵士にとって言葉通りの質問だった。「何」処から、「何」故、「何」のために、此処(スカイリム)へ来た「者」なのか。そう疑問が過るのも仕方がない容姿を、男は備えていた。
 彼らノルドと変わらない人間であるが、人間として区別するにし難い姿。肌は青みがかっており、その表面の所々に鱗が見える。手には鋭い爪。腰からは地面まで届くほどの長い尾が垂れ下がっている。顔は面長。というより、前面に突出しており、頭から二本の角と頭部を飾るようにして羽毛の毛並みがまばらに生えている。呼吸の最中に時折覗かせる牙は、いずれもナイフのように鋭く、噛みつかれれば肉を削ぎ落しかねないほどに危険に映る。
 トカゲ。彼らをまともに知らない者たちは、口々にそう呼ぶ。
 だが、彼は歴とした人種だった。亜人という枠でこそあれ、確かに人間である。
 アルゴニアン。男はこのスカイリムでは非常に珍しい、トカゲによく似た種族だった。

 スカイリムで勃発した帝国とノルドとの間で起こった内戦。この戦が始まる以前から帝国軍に身を置き、兵士の職務に勤めてきたハドバルは、歴史的瞬間に立ち会うというその栄誉に複雑な想いを抱いていた。
 大戦の時代、彼は幼い時分ですらない。それは、このムンダス——人々が住まうこの世界——に自分が遣わされる以前の時代だ。しかし、悪辣なエルフ共ことアルドメリ軍に奪われた帝都を皇帝自らの指揮で見事奪還——のちに赤輪の戦いと呼ばれるこれを制したという物語に心揺さぶられたことをいまだに覚えている。
 だからこそ、ハドバルは帝国兵士となった。あの痛ましい大戦によって訪れた、混沌の時世を正すべく。そう自らの剣と盾に誓ったのだ。
 レイロフ。彼は同郷の友であり、帝国軍の同僚であり、スカイリムの兄弟だった。棒切れで始めた訓練も、いつしか斧と剣になって激しく切磋琢磨するようになった。いつの日か、時と場所は違えても、名誉の下に死してソブンガルデで再会しようと約束した。
 勝利か、ソブンガルデか。真のノルドの選択に栄光ならざる道などない。二人の絆を示す誓いだった。
 今日、ハドバルは自らの号令によって友を、兄弟を、かの処刑台へと送り出す。レイロフはそんな自分に一瞥もくれなかった。
 彼がかねてより、帝国への不信感を口にしていたことは知っていた。強き帝国の時代は終わった。今の帝国の未来に光はない。そう吐き捨てる度にレイロフを宥めてきた。今はそうかもしれない。だが、そうはさせない。俺たちがそうさせないんだ、と。
 しかし、ウルフリックがトリグ上級王を殺した日、レイロフが帝国軍の鎧を脱ぎ捨てるのをハドバルは止められなかった。ウルフリックはスカイリムの全ノルドの代弁者だ、と。彼がそう口にしたことを、ハドバルは否定出来なかった。だからと言って、彼と共にウルフリックに下るなどという選択肢はハドバルに無かった。
 代弁者だと?叫ぶだけなら誰でも出来る。だが、その責任は?その代償は?
 誰が払う?誰に払わせる?エルフは払いなどしない。払わざるを得ないのは帝国だ。この混沌の時代にか?馬鹿げている!
 そう、叫んで止めるべきだった。しかし、ハドバルは一人去るレイロフの背を見つめることしか出来なかった。二人の間には深いクレバスが出来たのだ。幅はなく、飛び越えようと思えば飛び越せてしまえる。だが、反対側へと飛べば、元いた場所へは戻れない。だから、向こうが飛ぶのを待つしかない。自分が譲れないなら、奴がそうするのを期待するしかないのだ。時間はクレバスを、より深く、より大きく広げていくだけだった。
 そして今日、それが叶わなかったことを知った。またもハドバルは、レイロフの背を見ていることしか出来なかった。
 仕方がないんだ。奴が選んだ道だ。俺が選んだ道だ。この運命を呪う理由などない。互いの名誉にかけて歩んだ道の先なのだ。願わくば、それでも尚、我らをソブンガルデの地で巡り合わせてくれ。ハドバルの想いは、その一つに尽きる。
 彼は今、感傷の海に浸る思いであった。情けなくも目頭が熱くなってくる。噛み締めた奥歯だけが、ハドバルを現実に引き留めていた。そのはずだった。だが、彼は今、目の前の男に唖然としている。涙も引っ込むほどに正面に立つ現実に困惑を抱いていた。
 何故こんな男が此処に?今一度、ハドバルは問いかけた。
「お前は、何者なんだ?」

 二人の帝国兵士の前でアルゴニアンの男は、憮然と立ち尽くす。男兵士からの問いかけに、彼は未だ何も回答しない。白い眼球に青黒い瞳が針のように鋭く立ち、それが貫かんばかりに帝国兵士たちを見続けていた。
 奴はぞっとしている事だろうな。傍から見てもアルゴニアンにあまり耐性があるようには見えない。シロディールではそう珍しい種族ではなかろうが、此処スカイリムとなると話は別らしい。揃いも揃って冷ややかな視線を寄越してくる。
 そう怯えるなよ。どうしたところで今の俺より不利な状況になることも無かろう。

 問いかけにひと言も発しないまま自分たちを睨みつけるアルゴニアンに、ハドバルは息を呑む。質問は聞こえているはずだ。にもかかわらず、無言を貫く姿勢に思わず緊張が走る。よもやこの状況で何か企んでいるとでもいうのか。
 最後の質問から一分は経っている。アルゴニアンとの間の沈黙に、ハドバルもそうだが隣に立つ女隊長も耐え兼ねているようだった。そして苛立ちが最高潮に達したのか、腰に下げた剣に彼女が手を掛けようとした時、アルゴニアンはふんと鼻を鳴らさんばかりに顔を背けてようやく返した。
「俺が何者かだって?その質問に何の意味がある?俺はアルゴニアンで、アンタ方がイメージしている通りのレッテルを貼られた男だ。それ以上の事実が必要なのか?」
 卑屈な言葉を返した奴に女隊長は露骨に舌打ちをして見せるが、剣に添えた手を離すのが見えてハドバルもほっと胸を撫で下ろした。
 確かに、連中(アルゴニアン)ときたらこのスカイリムで良い印象を決して与えてはくれない種族だ。盗賊に山賊、厄介なウィザード、詐欺師で嘘つきで卑怯者。おそらく多くのノルドが、そんなイメージを実体験と共に連中へと抱いている事だろう。
 自分(ハドバル)に関して言えば、その限りではない。彼らの手先の器用さは、時折にしても目を見張るものがある。宝飾品を作らせればノルドでは彼らに並ぶ余地もなく、魔法や錬金術でも活躍の機会は実に多い。あとはその指先に宿る才能を脱獄や金庫破りの鍵開けに使わず、挨拶代わりにポケットの中を物色しないでくれさえすれば、もっと多数の者がアルゴニアンという種族に嫌悪を抱かずに済むのだが。良い能力が必ずしも善い事に使われるわけではない、ということを彼らは暗に証明してくれているのだろう。
 だが、彼の回答は望んでいた答えと違う。お前がアルゴニアンで、如何にも小悪党であることは聞くまでもないことなのだろう。しかし、お前が何者かについての説明にはならない。何故スカイリムのこの一団に紛れて、お前がこの場に居合わせているのか。そこが重要なのだ。
 ウルフリック率いるストームクローク軍に与する不届き者らは、様々な理由からその手に武器を握っている。かつての帝国が損なわれたことへの怒り。白金協定におけるタロス崇拝禁止に触れて、サルモールに家族を連れ去られた憎しみ。祖先の代から守り続けたスカイリムの土地を傲慢なエルフ共に汚されゆく怨み。それはノルドだけに留まらず、スカイリムで生活する一部の他種族をも扇動するに至った。事実、エルフでさえストームクロークへと下る者も僅かながらにいるのだ。
 しかしながらハドバルは、自身の記憶に限れば反乱軍の兵士でアルゴニアンを見かけたことはなかった。彼らや猫人族ことカジートといった亜人種にとって、この内戦はおよそ蚊帳の外で繰り広げられる揉め事に過ぎない。それどころか、火事場泥棒に勤しむ者もいれば、帝国と反乱軍の両方に顧客を持つキャラバンさえある。連中にとっては、さながら書き入れ時のようでさえある。内戦など勝手にやってくれ。火の粉が掛からない程度に。奴らの狡猾な眼差しからそんな声が聞こえてくる。
 そんな既成観念のなかでこの男と遭遇した。ウルフリックその人が陣頭指揮するストームクローク軍の一個小隊。少数と言えど精鋭と疑うべくもない兵士揃いだ。そして、その隊に相応しくはノルドと言わんばかりに他の種族は見当たらなかった。このトカゲを除いて。
 ふとした疑問だった。何故アルゴニアンがこの場に、と。しかし、ハドバルは頭に掛かった霧を振り払う。それはさしたる問題ではないだろうが。重要であるのはこのリストだ。そして、そこにアルゴニアン(こいつ)はいない。今ここでこの男が何者であるかを精査することもないだろう。
「リフテンの港で働く親戚かアルゴニアン?」
 なけなしに返したハドバルの言葉に男は再び無言で通す。その不躾な態度に隣で舌打つ女隊長へハドバルは半身寄せてから耳を打つ。
「隊長どうしますか?こいつはリストにありません」
 無罪放免、というわけにはいかないだろう。しかし、何者であるか、何をしてこの中に紛れ込む羽目になったかは詳しく調べる必要がある。それをこの場で突き詰めるには、待たせている団体が多すぎる。何かしらの嫌疑として当面は鎖で繋いでおく。それが順当ではなかろうか。
 だが、このような事態において、判断を下すことは彼の役目ではない。これほど単純かつ明快な収拾への決断でさえ、上官がそばに立つ状況では指示を仰ぐ。この徹底こそ軍の規律を保つ秘訣だ。
 指示に対する答えを用意し、ハドバルは彼女の耳から顔を離す。が、隊長は視線をアルゴニアンへと向けたまま、聞こえても構わない素振りで声高いに返す。
「リストは関係ないわ。死んでもらうだけよ」
 淀みなくきっぱりと返した隊長の発言に、ハドバルは思わず口が小さく開いた。
 なんだって?死んでもらう?
 予期せぬ返答にハドバルは見開いた目を戻せなかった。一体何の罪でこの男を処刑台に向かわせるというのだ。だが、程なくして彼は気づく。視界に掠められたサルモール高官の服を纏ったエルフの姿と隊長の意図に。
 此処で片を付けるつもりなのか。つまるところ、この不幸なアルゴニアンもストームクロークの一員として数え、まとめて始末しようと。
 ウルフリック・ストームクローク。かの男が仕出かした事はここ数十年の間で見ても比類ない大罪だ。スカイリム上級王を殺害し、その罪で囚われた身でありながら脱獄し、あまつさえ多くの者たちを扇動して帝国に反旗を掲げた。
 帝国の反逆者。許されざる所業の数々は、その一点に収束する。
 この反乱を容認することは言語道断である。規律や統治の維持の問題だけではない。これを野放しにしておくことは帝国の弱体を認めることと同義であるのだ。それは如何に大戦の傷跡が残る今日であっても許されることではない。
 ウルフリックを早々に捕らえられたことは、ここ最近での幸いとしては最高位のものだった。サルモールの偵察が連中をダークウォータークロッシングで発見したという情報を寄越したときは、何処まで信用すべきか兵士の間では小さく騒ぎを起こしたが、テュリウス将軍の即断があればこそ、この一網打尽が叶っている。彼もまたエルフたちに心底信頼を寄せていないことは明らかだが、帝国軍将校としての有能さは公私に左右されない厳格さ所以なのだと思い知らされる。
 ところが、だ。反乱軍を捕らえた後、小隊長が一人の伝令へ処刑準備のためにヘルゲンへの移動を指示したときは、流石に小さくないどよめきを起こした。多くの者は彼らを帝都まで連れていくであろうことに辟易の表情を浮かべていたものだから、予想だにしない近場での解決に顔を綻ばせてさえいた。ハドバルもまた、長い旅を経ずしてこの件が終結することに安堵して見せたが、心中においては疑念が渦巻いていた。
 奴ほどの大罪人を裁くのに、何ゆえヘルゲンを選ぶのか。確かにダークウォータークロッシングから近く、かつウルフリックの居城たるウィンドヘルムと奴の意見に賛同を示していたリフテンを除くとなると、そこ以外の選択肢は無かったと言える。しかし、せめてスカイリムの首都ソリチュードまで連行と凱旋を果たし、より多くの衆人環視のなかで国家反逆罪の重さを示すほうが有効ではないか。帝国は何者にも屈しない。そう声高に宣言するのに、この小さな要塞では相応しくないように思えていた。この瞬間までは。
 ウルフリックの捕縛はスカイリムに限らず、大陸全土においても最新の重大情報だ。未だスカイリムの端まで伝わっていない最高鮮度が保証されている。おそらく、一部どころか大部分のストームクローク軍には、このニュース——彼らにとって最悪の事実が耳に届いていないことだろう。ヘルゲンまでの移動が事もなく済んだことは、その根拠を裏付けている。
 しかし、これを帝都、あるいはソリチュードまでとなると話は違ってくるだろう。今こうしている間にも情報が広まり、即刻にも奴を取り返さんと奪還部隊が組まれているやも知れない。ウルフリックを捕らえんがために今回組まれた帝国軍の兵力も決して低くはないものの、この度の作戦は早さが命であったため、部隊の編成は瞬時に最大にして最少という最も適切な兵力に留められた。ゆえに奇襲を行うに素早く、かつ効果的に立ち回る事が出来た。だが、同時に現在の部隊は更なる兵力による奇襲と包囲に弱くもある。
 当然、連中はそうするだろう。ウルフリックは奴らの御大将だ。彼の首が転がれば、その怒りは頂点に達するが、しかし即座に替わりが得られるものでもないはずである。つまり、彼を失うことが、今のノルドの勢いそのものを殺すことになる。それだけはストームクローク軍の皆が避けたいはずなのだ。
 それも時間の問題。となれば、帝国軍に選択肢はない。即座に処刑を執行。ウルフリックの死をスカイリム全土に公表する。勢いが増す前にこの内戦に終止符を打つ。
 ヘルゲンは相応しかったわけではない。ヘルゲンを置いて他には無いだけなのだ。サルモールの眼前で、我らが帝国としての意地を示すには、ウルフリックの(しるし)無くして為し得ない。ストームクロークの意思は、ここで全て潰えるのだ。一人(・・)残らず。
 このアルゴニアンは不幸だったのだ。スカイリム解放を謳う反乱軍の中にトカゲ男が一匹紛れ込んでいることに誰もが違和感を覚えるだろうが、残らず処刑を済ませた後で罪人――正確には被疑者だが――を一人連れて凱旋など、如何に間抜けな姿で映るだろうか。「たかが」体裁の問題とはいえ、今の帝国には「されど」として受け止めねばならない。アルゴニアンの男の死は、ウルフリックと、そして我ら帝国軍に会った時から定められていた。
 リストなど関係ない。呼ばれた者が死ぬのではなく、死ぬ者をリストに書き込むだけなのだ。
「分かりました、隊長」
 ハドバルは、その心中に淀む心を可能な限り表に見せず、返事をした。上官の命令に対してだけでなく、帝国の総意にも。この内戦など大事の前の小事に過ぎない。永遠ではなかろう休戦に胡座をかくつもりなど、帝国にはない。
 決着(けり)をつける。そのための犠牲は、何を置いてもやむなし。兵士も、指揮官も、人民も、あるいは皇帝さえも。そして、罪状不明の男など言わずもがな。そこに善も悪もない。あるのは、ただやり遂げねばならない正義だけだ。
「かわいそうに」そう言いかけてハドバルは口をつぐむ。その亡骸を彼の故郷で在ろうブラックマーシュに送り届けることを静かに胸に誓って、アルゴニアンの男が処刑場へと進むのを見届ける他なかった。その姿に、思わず先刻同じように送り出したかつての友を重ねる。今の帝国の未来に光はない。以前の言葉も同時に蘇るが、今度は頭を振れなかった。ただ胸の内で「そうではないんだ」と言い聞かせることしかできなかった。
 馬車に乗せた罪人は、皆揃って処刑場へと向かった。残った者はいない。残らずリストに(・・・・・・・)数えられている(・・・・・・・)。まもなく戦争が終わる。誰がこの戦の勝者だったのだろうか。それもおそらく、まもなく分かる。

 時とは常に残酷だ。感情によっては遅くも早くもなるかと思えば、それは変わらず同じ速度で一つずつ刻んでゆく。変わって思えるのは自分だけで、周囲や現実は何ら変わらないのだと告げているかのようだ。
 今は、いったい一秒を何秒で刻んでいるのだろう。そして、それがあと幾度繰り返されたら、俺はあの処刑台へと向かわされるのか。憮然としながらも手を縛られたまま整列するノルドたちのなかで、アルゴニアンの男は血が染み付いた処刑人の斧を眺めていた。
 人はいずれ死ぬ。その当たり前の事実に直面するのは、いつだって突然だ。ノルドの連中は、「死を恐れはしない」とばかりに勇敢にも戦場へと飛び込んでいく。いつだってそうだ。そんな死にたがりに尊敬も憧れも抱きはしないが、大したものだと思うこともあったのは事実だ。だが、今はどうだ。死に行こうとするのではなく、死に向かわせられるという今は。
 アルゴニアンは、横目に反乱軍の一人を見やる。まだ髭の整え方も心得ていない若造のようだ。帝国兵士の一人一人に恨み節でも吐きそうな勢いで睨み付けている。しかし、その手はかすかに震えていた。縛られた手首の痛みか、あるいは死の恐怖か。食い縛られたむき出しの歯は、それを隠すための擬態なのだろう。
 とはいえ、アルゴニアンの男にも哀れむ余裕があるわけではなかった。こうして処刑を目前に控えるのは、都合二度目になる。前のときは、幸運にも逃げ延びることが出来た。払った代償は、自分の命でさえ、まるで足りないほど甚大ではあった。しかし、生き残ることは出来た。預かった第二の人生に、悔いのないよう生きることをあの日に誓った。今一度、彼は謝る。友よ、誓いは果たせそうにない。
 整列を終えた罪人たちの前に立つ帝国兵士らが、大きく地面を踏んで直立の姿勢を取る。そこへ一頭の馬と、それに跨がる男が現れた。先刻、ストームクローク兵士が言っていたテュリウス将軍である。改めて目の前に置いて、その男が放つ気質にアルゴニアンは息を呑んだ。なるほど、内戦鎮圧の命に相応しい者を皇帝は選んだのだな。大戦の折りには、方々で奴の耄碌(もうろく)を蔑む連中がいたものだが、どうやら君主としての衰えは未だ無いのだと、この帝国将校を眺めていると感じられる。
 しかしながら、その将軍の陣頭指揮によって自分が死の淵にあるのも事実なのだと思い出す。逃亡は無駄だ。馬泥棒が既に証明している。兵士はぐるりと三重に処刑場を囲んでいた。抜け道は期待できそうにないな、と彼はいよいよ天を仰ぎ始めた。祈る神がいるわけでもないが、空の青さに慰めを求めずにはいられなかった。
 馬から降りた将軍は、威風堂々とした振る舞いで一人の罪人の前に立った。それは、まさに帝国の仇敵たるウルフリックの眼前であった。二人の身の丈は頭二つ、あるいは三つ分くらいに差があったものの、周囲の者たちはウルフリックを見上げるテュリウスを小さく感じることはなかった。むしろ、筋骨隆々としたノルドたちの中で一際縮んで感じるはずのインペリアル人である彼が、誰よりも巨大に感じられた。彼の放つ威圧に耐えられているのは、帝国兵士どもを含め、ウルフリックただ一人のように思える。
 しばし無言の睨み合いが続いたが、先に静寂を払ったのはテュリウスであった。
「ウルフリック・ストームクローク」
 名を呼ぶ。ただそれだけで空気が爆ぜて聞こえた。そこかしこで喉が鳴る音が聞こえた。
「ここヘルゲンでさえ、お前を英雄と呼ぶ者もいる。だが、声の力で上級王を殺め、玉座を奪おうとする者を英雄とは呼べない」
 帝国兵士らの心から「そうだ!」と叫ぶ声が聞こえてくる。実際、いくつかのヘルゲン住民は声に出していた。
 声で殺める。アルゴニアンには、それがどういう意味を為すのか分かっていない。だが、ウルフリックがくつわを噛まされていることが、その事に起因するのだとすれば、筋は通る。しかし、その上でなお彼には理解出来なかった。声で、直接的に? 奴が火でも吹くというのか。考えても謎が深まるばかりだった。理解が及ばぬまま、処刑の儀式は進み続ける。
「お前がこの戦争を引き起こし、スカイリムを混乱に陥れた。だが、ここに帝国がお前を倒し、平和を取り戻す」
 見事な演説だったと言わんばかりに周囲の観衆からはさらに声と拍手が鳴り響いた。テュリウスが言っていたいくつかの反乱軍贔屓もこの中に紛れているかと思うと、アルゴニアンの男は鼻で笑わずにはいられなかった。結局は勝ったものが正義か。いつの時代も、国も思想も違えても、それだけは普遍なのだな。
 その時だった。遠くで何か遠吠えた。オオカミより大きく、クマよりも鈍い声。兵士たちにどよめきが起こるが、テュリウスはそれを「どうってことはない」と一蹴して、儀式を続けさせた。そこへ一人の修道女が立ち、祈りを始める。これから旅立つ魂を安らかにエセリウス——天国とでも言おうか——の地へと送り出すためのものだ。教会では当たり前のように耳にする詠唱だが、信心に欠けたアルゴニアンの男には、ただ死への覚悟を焦らすべく時間稼ぎをされているような思いだった。
 そこへ一人のストームクローク兵士が前へと躍り出た。一瞬、帝国兵士たちに緊張が走って見えたが、その男から抵抗の意思が感じられない様子を見て各隊長は部下たちの剣を下げさせる。男の足が処刑台へと向かっていたからであった。
 祈りを唱える修道女の正面を敢えて通り抜け、兵士の男は処刑台に跪きながらその行動の意味するところを口にした。
「タロスの愛のために、黙ってさっさと終わらせろ」
 その一言に修道女は顔を赤くさせながら憤慨を込めて「お望みのままに!」と吐きつけると、再び兵士たちの後ろへと下がった。アルゴニアンの隣では、尚も若造が小さく震えている。これから起こる事への予感が、そうさせているのだろう。
 跪く兵士の背中を女隊長が足蹴にして、男の体を台座に押し付ける。兵士の眼前には、これから自らを受け止める小さな籠が置いてあった。兵士にとっては、さながらソブンガルデへの入り口にでも見えているのだろうか。斧を振りかざす処刑人を気にも留めず、今際の言葉を発した。
「我が父祖たちが微笑みかけている姿が見えるぞ。帝国! 貴様らに同じことが言えるか!」
 言い終わるや否や、兵士の首がゴトリと落ちる。処刑人はどうも勢い余ったらしい。籠に収まるはずの首は、宙で半回転しながら地面へと落ちてしまった。そして、転がる頭はストームクローク兵士たちの前で睨むようにして止まる。浮かんでいるのは怒りか、憎しみか。はたまた不甲斐なさや、志半ばの悔しさか。その表情が何を意味するのかアルゴニアンの男には分からない。ただただ、怯える自分がいることに気づくばかりだ。
 ふと隣の若造が気になった。こんなものを見せられたとあったら、いよいよこいつは卒倒し出すんじゃないかと思った。血飛沫を上げた首のない戦友というのは、いささか刺激が強すぎる。
 だが、予想は裏切られた。若造の震えは止まり、いまやその手は強く握りしめられている。怯えを含んでいた目は、まるでこれから戦地に赴かんとする兵士のように煌々とさえしている。この一瞬で何があったのかと甚だ見当もつかないアルゴニアンの男であったが、その疑問も次第に晴れた。周囲のストームクローク兵士たち、彼らもまた同様の変化を見せていたからだ。つい先まで惨憺たる感情の波を引き起こしていたというのに、さながら凪のただ中であるかのように静まり返っている。
 覚悟を決めたのか。いや、多くはとうに覚悟を済ませていたことだろう。ならば、年配から隣の若造まで、皆一様に静寂の中に熱を帯びているのは何故なのか。アルゴニアンには、ノルドのことなど解りはしない。解ろうとした試しもない。理由はどうであれ、もはや死に怯える者は居なくなったわけだ。自分を除いて。アルゴニアンの男は、そう胸のうちで付け足した。
 そこからは早かった。リストに読み上げられた者たちが一人ずつ処刑台へと素直に向かう。一人、また一人と首がかごの中に収まる。それに合わせて首のない体が山となって積まれていく。おざなりに。しかし、兵士たちに尚も恐怖の色はない。それがむしろ観衆らを恐怖に駆り立てた。これほどの戦士たちを、これほど早くに逝かせて良かったのか。そんな迷いを覚え始めているのだろうか。
 だが、帝国軍は毅然としていた。なかでもテュリウスの気迫は一層増すばかりだった。そんな奴の前をストームクロークの兵士たちは睨み返して処刑台に向かう。これから死ぬ者たちが渾身に込めた殺意を、テュリウスは臆することなく受け止めているのだ。殺す者と殺される者。気圧されれば、その立場は容易に覆されてしまうだろう。
 くつわを噛ませれたままのウルフリックは、この世を去っていく一人一人に何も言わないでいる。「何も言えない」の間違いではないかと思うだろうが、そうではない。唸ることくらいは出来るだろうし、左右に配置した帝国兵士など見向きもせずに抵抗することだって出来るはずだ。しかし、奴は何もしない。何も言わない。ただ、ソブンガルデとやらに旅立つ同士たちの背中から目を逸らしもしなかった。兵士たちの死にも、己の行いの全てにも、およそ後悔がないのかもしれない。
 一つ目のかごから積み重なった頭が危なげに落ちそうになる。二つ目を用意してから間もなく、とうとう隣に立っていた若造が呼ばれた。アルゴニアンの男には脇目もくれず、最初に処刑された男のように堂々と死地へ赴く。そして、処刑台に自ら頭を垂れて、次の瞬間には首が落とされた。一瞬の出来事だった。若い命さえ、事切れる時はいつだって突然で一瞬だ。まだ二十そこらの小僧の分際で、己の命を差し出すのにあれほど達観していてどうする。やれることは多かったはずだ。やりたいことも多かったはずだ。この三十を過ぎたこの自分でさえ、まだ死にきれない思いであるのだから。
 その思いとは裏腹に女隊長が呼びつけてきた。名もない「アルゴニアン」として、男は重い足取りで処刑台を目指す。すると、再びまた何処かで遠吠えが聞こえた。群衆もまた再度どよめく。しかし、帝国軍は早々にこれを片付けてしまいたいのだろう。何があっても処刑を続行するつもりで、アルゴニアンの男を急かした。足はより重たく感じられていた。
 反乱軍の一団にノルド以外の人種が紛れていることにようやく気づいたのか、聴衆から小さくざわついているのが聞こえてくる。
 そうだろうよ。俺はお前たちが思ってるような奴じゃないさ。この土地で起きてる戦争なんざ、ついさっき思い出したくらいだよ。どうだっていいんだ、こんな事。
 そう声高に宣言してやりたかったところだが、帝国兵士たちのぎろりと睨む目がそれを許してくれそうもなかった。袋のネズミだな。いや、袋のトカゲか、と自身を嘲る。他に許されていることもないため、己の身に起きている滑稽さを笑うほか無かった。
 男は思い返していた。自分のろくでもない経歴を。成るべくして成った最後なのかもしれない。この歳までやりたいことをやり尽くしてきたのだから、先の若造よりかは幾分マシな人生だったと言えるか。いや、言えるものか。もっと生きて、もっと稼いで、もっと食って、飲んで、暴れて、掻き回して、笑って、泣いて。それも叶わぬ願いとなる。
 頭を下げ、処刑台に首を置く。眼前には血みどろのかごと、いくつかの頭部。あの若造の頭が一番上にあった。程なく二番目となるだろう。そして走馬灯を見る間もなく、処刑人が斧を振り上げた。
 その時だった。
「一体・・・あれはなんだ!」
 テュリウスの声が空に上がる。その言葉に兵士たちの目は、みな上を向いた。
 地面を黒い影が通り抜ける。雲のように大きく、雲ではあり得ない速度で。それはアルゴニアンの頭上を過ぎ去ると、ヘルゲンの町を一巡した。帝国の女隊長が砦の見張り兵に報告を促している。だが、塔の上にいる兵でさえ、それは見上げなくてはならないほどの高みで町と人々を見下ろしていた。
 そして、処刑台の前にそびえる砦にそれは降り立った。激しい地鳴りが響き、その衝撃は地震のごとく大地を震わせた。あまりの揺れに処刑人は斧を握る指が緩んで、手から零れ落としてしまった。それはアルゴニアンの男の顔の前で地面を切り裂く。
 ただならぬ状況に今から処刑されるはずの身で彼は立ち上がった。彼はそれを見上げ、それは彼を見下ろす。皆の視線が奪われていた。
 黒く巨大な体。重厚な鱗と幾つもの鋭い棘が歪に並び、眼は煌々と紅く光っていた。口から火の粉を漏らし、その顎は人ひとりなど容易く平らげてしまいそうに裂けている。長く伸びた尾はその凶悪性を示すかのごとく空を切り裂いて振り回され、一目には空を舞うに重たいはずであろう翼だが、それは紛れもなく大空を掴んでヘルゲンへとその巨体を運んできたのだ。
 その姿を目にして誰もが絶句するなか、アルゴニアンの男はその存在を、他に形容する言葉が見当たらないかのように溢した。
「ドラゴン・・・」
 彼の呟きに周囲の者たちにも同様の認識と恐怖が走る。だが、伝染が広まる間もなくドラゴンはその大きな顎を開いた。そして、鳴いた。叫んだ。音は壁となり、一帯を激しく打つ。人も。建物も。大地も。叫びは力となって響き渡り、空さえ引き裂いた。そして、裂けた空から炎が降り注いだ。再び大地が震える。そこかしこで爆発と衝撃が起こり、建物は破裂したかのように崩壊し、その影響の全てによって人間は阿鼻叫喚の渦に巻き込まれた。
 アルゴニアンの男は、爆発によって五フィートほど浮き、後方へと投げ出される。ふらつきながらも縛られたままの手を地面について再度立ち上がろうとする彼が見上げたとき、砦の上に奴はもういなかった。それは空へと舞い戻り、なおも炎の雨を降らしている。煉獄のなかで男は体を起こし、視界を埋め尽くす非現実に立ち尽くすしかなかった。
 一体、自分は何処へやってきてしまったんだ。逃亡の果てに辿り着いた先は、災厄の光景。細切れの一瞬が永遠に感じられるほど、それは男の脳裏に焼き付く。
 時とは、常に残酷。夢ならば早く覚めてくれと願う、この瞬間を何よりも長引かせていたのは、彼の自身であった。

 ほんの数秒前まで、スカイリムの空は澄みわたる青空だった。まばらな砂糖菓子のような白い雲、空に届かんばかりの山々。処刑の目前にも関わらず、その自然の壮大さだけは忘れようもない景色として、男の記憶に刻まれるはずだった。
 だが、もはや夢だったと思う他ない。火のように赤い空。その空を覆う灰色の雲。噴石さながらに降り注ぐ炎。飛翔して我々を威圧し、全ての命を軽々に刈り取る怪物。それが今の現実。耐え難く、受け容れ難く、しかし避けようのない現実。嘘のような真。
 神よ。俺はそれほどまでに愚かな人生だっただろうか。そうでないと言うなら、こんな最後はあまりにも酷すぎやしないか。脳裏でそう呟くアルゴニアンの男は、まだ立ち上がることが出来なかった。いま自分が生きているのか、死んでいるのかさえ定かではない。仮に生きていたとしても、それはほんの誤差に過ぎないように思える。数秒前だろうと数秒後だろうと、大した問題ではない。少なくとも、もう一分も続く気はしなかった。
 すると、一つの炎弾が男に向かって飛んできた。彼は「そら見ろ」と小さく溢して、それがやってくる様を眺めていた。そうする他に術がないように思えた。思わず、口元が緩む。死を目前に浮かぶ最後の表情が力ない笑顔とは、我ながら情けない。だが、その自嘲も数秒もすれば終わる。アルゴニアンは潔く己の死を受け容れ始めた。
 しかし、その寸前で片腕を凄まじい力が引き上げた。体ごと投げ出されるのではないかと思うほどの力は、彼を炎弾による死の悲劇から救いだし、殺しきれない勢いを地面へとアルゴニアンの男共々に打ち付けて新たな悲劇へと見舞った。またも体に痛みを覚えながらも、自身が生きていることを確認して力の正体へと振り返った。
「何をぼさっとしている! いくら神でも、そう何度もチャンスはくれないぜ!」
 そう叫んだのは、ヘルゲンまでの道のりで同じ馬車に乗っていた反乱軍の一人、レイロフだった。流石はノルドと言うべきか、大の男一人を片手で振り回しておいて事もなげに避難を促してくる。男は自分の掴まれた腕に残った指の跡を見て、その見事な救出に辟易の顔を浮かべた。
 しかし、奴の言う通りだ。これは好機だ。今しがた命を救われたことに対してだけではない。この大惨事のおかげで斬首からも免れた。そのうえ、今まさに阿鼻叫喚にまみれた現状は、上手くいけばこの場から逃げおおせるチャンスですらある。それは、おそらくストームクロークの連中にとっても同じなのだろう。
 「こっちだ」と言って先導するレイロフは、目の前に見える一際高い石造りの塔を目指していた。この火の雨が降り注ぐなかでは、身を守るのに最も適した場所とも言える。アルゴニアンもレイロフに続いて行き、彼が先んじて開いた扉を自分が入るとほぼ同時に激しく蹴り閉じた。後ろから誰かが来るなど毛頭考えもしていなかったが、戸を叩く音もしない様子を見ると、やはり一帯では最後の生存者だったか。
 たかが数ヤードほどの距離とはいえ、この塔に着くまでに全力疾走をしていた。肩で息をし、取り込む空気は熱を帯びて肺を余計に温めた。一度息を止め、そのあと大きく吸い込む。そして、ゆっくりと空気を吐き出す。あとはそのまま深呼吸をして呼吸を整える。長年の経験でこうした状況でのクールダウンに心得があったのは幸いだった。おかげでようやく周囲に目を回せた。
 同じように塔へと避難してきた者たちが何人かいる。物資を漁る者。折れた足を抱えて苦悶に顔を歪める者。それを手当てする者。そして、そこには奴がいた。
 ウルフリック。ストームクローク軍を名乗る反乱分子、その先導者。いや、扇動者というべきか。思えば、自分の身に降りかかった不幸は、この男が始めたことによって巻き込まれたところに起因する。奴が呑気にあんな場所で野営していなければ。そんな想いがアルゴニアンの男に不条理の火を着けた。しかし、それをすぐさま鎮火させる。ウルフリックは既に手の拘束も、そして当然ながら噛まされていたくつわも外していた。声で王を殺めた。真偽はともかく、自由になった仲間に囲まれている奴へ食って掛かるのは得策ではない。
 レイロフはウルフリックへと近寄り、何かを話していた。退避の段取りか、あるいはこの機に乗じて帝国兵に一泡ふかせるつもりなのか。しばし会話のやり取りをしている二人へ、さりげなく縛られた手を上げて仲間たち同様の自由を提供してもらえないかと主張してみせるが、見向きもされなかった。
「・・・分かりました。そのように進めます」話が一段落ついたのか、レイロフがそう話を切るとウルフリックは「頼んだぞ」と一言だけ告げてから他の部下へと気を向けた。そして、レイロフはアルゴニアンの男に、塔の上へと向かうよう促して自らも階段を駆け上がるが、途中で足を止めて階下のウルフリックに一言加えた。
「ウルフリック首長。伝説は・・・本当なのでしょうか」
 レイロフの声には、そこはかとなく怖れの色が見えた。如何なる伝説に対する畏怖なのか。アルゴニアンの男には知りようもなかったが、ウルフリックはそんな彼へ鋭い眼光をそのままに返す。
「伝説は村々を焼き払ったりはしない。寓話や逸話の類いではないのだ。気をしっかり持て」
 その言葉を受けて、レイロフには何かたかぶるものを感じたのか。なにも言わないまま強く頷いて、アルゴニアンの男に上へと目指すよう急かした。
 言われるがまま上っていくと塔の二階、踊り場のように少し開けたところが見えてきた。一人の反乱軍兵士が崩れた瓦礫を取り除こうとしている。更なる上階へと向かうためには瓦礫が道を塞いでいるようだった。レイロフがそれを手伝おうと向かうが、それは突如として壁から生じた衝撃によって阻まれる。
 塔の壁を黒く鋭い棘が貫いた。石造りとは思えないほど容易く崩壊し、塔の横腹に巨大な風穴が開く。衝撃の正体は、あの黒竜の頭部だった。歪にくねった角が石壁をパンくずさながらに砕いたのだ。それだけでも衝撃的であるというのに、その怪物はだめ押しに口から真っ赤な炎を吐き出して視界を炎に埋めてしまった。あまりの熱にレイロフもアルゴニアンも階段から転げ落ちそうな勢いで下がった。ひとしきり炎を吹いたドラゴンは、満足したか否かはともかく、再び灰色の空へと消えていった。あとに残ったのは増えた瓦礫と、黒焦げの死体。数秒前で確かにそこにいた人物は、無惨という言葉でさえ生ぬるい、過熱した悲惨を帯びてピクリともしなかった。
 夢なら覚めてくれ。考えた直後に無駄だと察する。この熱が嘘であるはずがない。だが、現実だとして受け止めきれるものか。夢も現もあったものではない。目の前の焼死体は、下手をすれば数秒前の自分であり、下手をせずとも数秒後の自分のように思えてならない。
 しかし、その数秒後においてレイロフは塔に開いた風穴へと駆け出し、そこから身を乗り出した。地獄以外に何か見えるものでもあるのかと、アルゴニアンの男も足元を確認しながらにじり寄ってレイロフ同様に顔を覗かせた。見えたのは想定通りの景色と、想像よりも凄惨な現状だった。火の手は更に広がり、叫び声がまばらに響いては消えていく。石造の建物はかろうじて形を保っているものの、木造の何かだったものは炭と灰のどちらかと、これからそうなるであろう火が灯ったものしか無かった。
 見渡す限りの惨劇にアルゴニアンの男は目を背けたくなるが、レイロフは視界の奥に見える一軒の崩落しかけた家を指し示す。
「道の反対側にある宿が見えるか」その問いかけにアルゴニアンはただ「ああ」とだけ返す。だが、レイロフは直後に指を正面の屋根が抜け落ちた家へと指を向け直し、信じられないことを口にした。
「あの屋根を飛び抜けて、そのまま進め!」
 アルゴニアンは、しばし呆然とする。しかし、かぶりを振って言われたことを反芻すると、すかさずレイロフの正気を疑って見せた。「し、正気か!? ここからあそこに飛び込めって!?」
 だが、レイロフは「他に道は無いだろう!? 通りを抜けようとすれば空からは丸見えだ! 喰われるにしろ焼かれるにしろ、あの怪物の思う壺だ!」と言ってアルゴニアンの肩を押し、塔の穴から引き下がろうとする彼を前に出した。距離はおよそ十五フィート。助走と高さを活かせば、届かない距離ではない。とはいえ、ここから地面まではその倍以上の高さがあった。見張りに使うための塔なのだから、いかに二階といえども高さは十分すぎる。当然、死ぬには「十分」の高さという意味だ。
 なおも「馬鹿げてる」と首を振るアルゴニアンにレイロフは、「俺も下に外の様子を伝えてからすぐに追う。チャンスは限られてるぞ、トカゲ。ふいにするなよ」とだけ言ってから階下へ逆走していった。
「おい! せめて手の縄を・・・くそっ」
 言い終わる間もなくレイロフは姿をくらまし、残されたのは自分と焼けた死体だけになった。アルゴニアンは不安げに再度塔の外を見やる。屋根に開いた穴と、こことの距離を確認し、助走に使える距離を見る。かなりギリギリだ。しかし、あの空飛ぶ大トカゲがまたここへやってくれば、決心は今以上に揺らぐだろう。
 彼には意を決する以外に選択肢はなかった。再び誰もいない空間に向けて悪態を吐きだし、助走を限界まで確保する。そして、心のなかで三つ数えた。だが、あと一つというところでドラゴンが吠えたのが聞こえてきたため、飛び出しかけた足を引っ込める。恐ろしい。なんて恐ろしいのだろうか。地獄に飛び出していく覚悟なんてものは、いくら待っても得られるものではない。それでもアルゴニアンは、今一度三つ数える。今後こそ数え終えた彼は、穴の外に向かって一気に駆け出す。一歩。さらにもう一歩。縛られた手は、思う以上に加速の阻害になっていた。だが、もう止まれない。最後の一歩で乗せられる全ての勢いを込めて、体を塔の外へと投げ出した。
 アルゴニアンの男は、自分の運動能力に多少の自信があった。それは生業柄の特技でもあり、必須の能力とも言えた。自身の身の丈を悠に超える塀を乗り越える、さらにそれを上回る崖からの無傷での着地。造作もないことだった。だが、今まさに挑む決死の飛び降りについては、初めての経験となる。見事成功させたならば、酒場で語り回るにふさわしい武勇伝であり、今後の仕事のうえでも大きな自信となることだろう。稼げるだけの助走によって得られた跳躍は、彼の体をどうにか屋根の穴にまで届かせられそうだった。しかし、男は着地を間近に控えて、一つ憂いを浮かべていた。
 目標までは届きそうだ。だが、目標の下に床があるとは限らないぞ。
 時すでに遅し。彼は、もはや祈るだけだった。そして、その祈りが通じたのか、着地点に床があったのを見て「よし!」と叫んだ。そんな彼を嘲笑うように、足がつくその場所へ酒瓶が転がってきた。がしゃんと大きな音を立てて酒瓶が割れ、中から跳ね散らかったハチミツ酒が男のブーツと床の間に滑りを帯びて濡らした。それは当然の出来事であるかのように、彼の足を滑らせて着地の姿勢を崩させ、そのまま前に倒れてしまった。挙げ句に激しくあごを打ち付ける始末だ。
 頭の一点に対して生じた衝撃は、たちまち足先まで広がり、全身の痺れに及んだ。直後に訪れた痛みは、彼が経験してきたもののなかでも上から数えた方が早いところへ加わるものだった。いい歳をしてむせび泣きたくなる衝動に駈られるものの、痛む暇さえ噛み殺して素早く体を起こした。のたうち回ることさえ後回しにするべきだった。
 倒壊寸前の家屋の二階は、そこら中にハチミツ酒の瓶が転がっていた。ほんの一時前まで、ここでノルドたちが浴びるようにこれらを飲み干していたのかもしれない。だが、アルゴニアンの男は瓶を跨いで避けるどころか、丹精込めて醸造されたであろうこれらを露骨に怒りを込めて蹴り進んだ。その先にある階下へと抜け落ちた穴を目指す最短の道筋に対して、ノルドへ払う配慮など知ったことではなかった。
 今度こそ綺麗に着地をした男は、一階を見渡す。どうやら思っていたよりも、屋根はその責務を果たして家屋を守っていたらしい。散乱した家具はともかく、床はまだまともな形で保たれていた。何かの衝撃で外れてしまった扉をすぐそばに据える玄関口を見つけ、出口の脇まで走り寄ってから壁を背にする形で外を確認する。周囲に炎はそれほど見られない。あのドラゴンも。
 今がチャンスだと思った彼は、屈み気味に外へと出る。そのすぐそばの通りで声がした。一人の帝国兵士が少年を抱えて逃げていた。しかし、そこへドラゴンが颯爽と現れて、獲物を狩るタカのように急滑降して着地した。地を揺るがす衝撃は、アルゴニアンの男がいる位置にしても立っていられないものであり、子供を抱えた帝国兵士を浮き上がらせるなど造作もなかった。そのせいで兵士は投げ出され、抱えられていた子供は兵士の腕から離れてしまった。ドラゴンと兵士、その間に残された子供、という位置取りになっている。
「ハミング! こっちにこい!」
 兵士は少年を呼ぶ。少年は酷く震えていたが、彼にソブンガルデへの追想など早かったようで、背後で火を口に蓄えるドラゴンを見向きもせずに走り出した。兵士は、自身の胸へと飛び込む少年を抱え直し、倒壊した家屋の瓦礫に身を投げた。瞬間、赤黒い血のごとき炎が、先まで兵士たちのいた場所を灰色に染め上げた。間一髪で獲物を逃し、ドラゴンは不服そうに口から黒煙を吐き出すと再び空へと帰っていく。別の獲物に鬱憤を晴らしに向かったのだろう。
 奴が去ってから、瓦礫に飛び込んだ兵士は少年と共に(すす)だらけになって出てきた。少年の表情には、未だに恐怖の色が映って見えるが、兵士はその頭をぐしゃぐしゃと撫で回して「たいしたもんだ」と褒めてやった。
 それでようやく真っ黒になった顔に笑みを見せるが、次第に涙で濡れていった。どうやら父親を亡くしたらしい。この状況で何も失っていない者などいるはずもないだろう、とアルゴニアンの男は縛られた手首にむず痒さを覚えながら彼らの前に出た。
「小僧、命があっただけマシだろうが。ノルドの男が容易く涙を見せていいのか?」
 影から突如現れたアルゴニアンに兵士たちは驚いて見せる。だが、兵士の方は男と面識があった。男もまた兵士のことを覚えていた。
「お前は、あのときの・・・。どうやら無事だったようだな」と帝国兵士のハドバルは、リストになかった男に笑って見せるが、「これが無事に見えるのか」と訝しい表情を浮かべてアルゴニアンはあちこちの火傷や擦り傷を誇張した。
 ハドバルは救いだした少年を、同じく近くで身を潜めていたノルドの老人に託し、すぐに避難するよう伝えた。少年は自らの英雄と離れ難そうに涙を浮かべるが、アルゴニアンの顔を見てから煤だらけの腕で乱暴に拭ってこらえ、キッと睨んだ。先の言葉が身に染みているようだ。
 老人は、最後にハドバルへ神々からの祝福を祈り、少年と共に崩れかけた外壁を目指して茂みに消えていった。どうやらこの男とこの街の連中は顔見知りのようである。帝国軍のご立派な思想に基づいて市民を守っただけではなかったわけだ。
「行くぞ、囚人。俺とお前だけだ」そう言って瓦礫にまみれた家屋を抜けようとするハドバルをアルゴニアンも追う。なぜ老人たちとは違う経路で避難しようとしているのか、彼には分かっていない。分からないまま付いて行くのも癪なのか、アルゴニアンは思ったままにハドバルへ疑問を投げ掛けた。「何故あの年寄りたちと違う方向に行くんだ。此処から抜け出すんじゃないのか」
 ハドバルは、アルゴニアンの方を見もせずに、「そうしたいのは山々だが、テュリウス将軍の無事を確認しなければな」と返す。「その忠臣ぶりには舌を巻くが、そこに俺は必要なのか」とアルゴニアンは聞き返すが、「お前は囚人だろう。野原に放つには些か心配だ」と言われてしまった。この状況でさえ軍人としての倫理観が揺らがないハドバルに、またも舌を巻いた。未だに縛られた手が解放されていないことにも納得が及んだ。
 アルゴニアンの男は、致し方なしにハドバルに追従して倒壊寸前の家屋を抜けていく。途中に香ばしい匂いを漂わせる死体がいくつも見られたが、もはや同情さえも火にくべてしまった方が良さそうに思えた。転がっている連中にいちいち一憂の念を向けていたら、いざ自分のために掛けるそれ(・・)まで投げてしまいそうだ。
 吹きさらしの壁を飛び越えたアルゴニアンとハドバルは、ここヘルゲンへと入るのに使った砦門の正面にある大通りへと出た。やって来たときは冷ややかな視線が馬車に積まれた罪人に向けられ、スカイリムの冷たい空気がより強く感じられたが、今はもう誰もが何処に目を向けて良いのか分からないまま、焼けつく空気にむせているようだった。意識がない幾人かの市民や兵士を守るため、健在の兵士らが必死に空へ矢と魔法を放っている。そのほとんどは空を華麗に泳ぐドラゴンを捕らえられていないが、いくつかは見事に命中している。しかし、その全てが有効打にはなっていない。さながら霧雨を浴びている心地ですらあるようだ。
 その無駄な労力を働くなかには、ハドバルの意中たるテュリウスの姿もあった。この惨劇のなかでさえ、彼の鬼気は止まること知らない。構えた剣は決してドラゴンに届かないものの、眼前に降りてきたならば矢のように飛び出していきそうだ。
 ハドバルはすぐさま彼のもとへと向かい、言葉を掛ける。悲鳴と恐怖の声が響くなかで、二人はしばし怒号のように会話をし、テュリウスが「ソリチュードに向かえ! そこで合流するぞ!」と叫び、視線は再び空にある竜へと戻った。どのようなやり取りがあったのかは不明だが、最後の命令らしき言葉に肩を震わせ、拳を握るハドバルを見れば、おおよそに想像がついた。此処を死に場所とはさせてくれなかったのだろう。ハドバルはしばし奥歯を食い縛ったように悔しさを露にしたが、「了解」と静かに答えてアルゴニアンの方へと向き直る。そして、火の手が回って塞がった正門とは逆の方へと向かった。
 壁のアーチをくぐった二人は、控えめな規模の砦と、兵士たちの訓練場へと出る。しかし、その光景は尚もって悲惨極まれるものだった。空には未だにあのドラゴンが飛んでいるというのに、訓練場は帝国軍と反乱軍の兵士が剣と斧をぶつけ合っていた。
「どうかしているぞ、お前ら!」アルゴニアンの叫びは虚しく、兵士たちの耳には届いていない。仮に届いていたとしても、眼前の敵を無視など出来ようはずもないだろうが。だとしても、非日常と異常をごちゃ混ぜにしたようなこの状況に、ただ混沌への怒りを吐き出さずにはきられなかった。
 こんなことをしている場合でない、とアルゴニアンはハドバルだけでも諌めようとする。縛られたままのアルゴニアンにとっては、この男が唯一の生命線なのだ。こいつまで行ってしまったならば、この混沌に一人取り残されてしまうのだから堪らない。だが、アルゴニアンが冷静を促す言葉をかけるより早く、ハドバルは飛び出していった。「おい!」と引き止めようと伸びる腕だが、突き出た両の肩では両の腕を満足に伸ばし切れず、果敢に飛び込むハドバルの背中さえ掴めなかった。やはりノルドに関わるとろくなことがない。そう思った矢先、ハドバルが剣を振り下ろした敵が見えた。それは、つい先まで避難した塔で行動を共にし、決死のダイブを強要させた男だった。
「レイロフ! この裏切り者め! どけ!」ハドバルの剣は迷いなくレイロフの首に目掛けて振られていたが、それを彼は斧の刃で受け止める。二つの刃はたちまちに欠けて、双方の剛力さを示すが、両の刃が食い込んだままに二人は互いに片腕で相手を制止し合っていた。「俺たちは逃げるぞ。今度は止めないだろうな、ハドバル」
 二人の間でしばし圧し殺しきれない殺気がぶつかるが、周りの喧騒をも掻き消すほどの金属音を響かせながら双方はつき離れ、ハドバルは「いいだろう。お前たち反乱軍全員、ドラゴンに喰われちまえばいい」と吐き捨ててからレイロフの横を通り過ぎていった。レイロフも、それに鼻をふんとだけ鳴らして砦の方へと向かった。
 このまま此処で馬鹿げた殺し合いしないで済んだことに、アルゴニアンの男は安堵の息を漏らすが、状況は何一つ変わっていないことを思い出す。周囲の混乱に巻き込まれて死ぬのだけは御免だ。とりあえずは、目配せをして自分のところへ来るように促しているハドバルのもとへと足を進めようとした。従う理由も義理もないが、自分は囚人(・・)であるらしいので、そうせざるを得ない。舌打ち混じりに一歩進める。その時だった。
 空を裂く音。剃刀のように鋭い翼が空気を縦に両断する。それは轟音を立ててアルゴニアンの前へと立ち塞がった。黒いドラゴン。今までで最も近く、それは彼の視界を覆った。目の前にあるのは、死そのもの。引き裂かれたように大きな口と牙には、鮮血がどろりと滴っている。既に多くが、この死の象徴によって犠牲となったのだろう。そして、次は自分の番なのだ。瞬間、斬首台に頭を垂れた自分が甦った。処刑を免れたわけではない。先送りにされただけだった。生を実感しなおしていたところであったが、今一度覚悟を取り戻さなければならないようだ。アルゴニアンは脳裏を抜ける逡巡を振り払って、その時を待った。
 しかし、ドラゴンとアルゴニアンの男との間で僅かだが、確かな間があった。それは時間にしてほんの数秒でしかない。だが、それでもその数秒は、まるで時が止まったかのように静かだった。一人と一頭の視線は互いに外れず、各々の瞳を覗き込んでいた。男は恐怖でそれを眺めていたが、ドラゴンはどこか憂いを纏っているようでもあった。そして、アルゴニアンの男は己が耳を疑うことになる。
――ドヴではないな・・・。不届きな輩め――
 それは、声のように聞こえた。耳に届く一瞬、世界のすべてが静寂したかのようだった。だが、再び一帯を包む家々が焼ける音、苦痛に歪む声が戻ってきた。そして、眼前のドラゴンは口のなかに炎を蓄え始めていた。ハドバルとの間に立つドラゴンを通り抜けて彼のもとへと行くことは絶望的だ。アルゴニアンの男は、咄嗟ながらも最善の選択をし、レイロフが逃れていった砦の扉へと走り出した。
 ただでさえ凶悪な頭部を持つドラゴンは、背後を見せた男にまるで侮蔑の表情を浮かべたように唸る。ついには、その煌々と輝く口から禍々しい炎弾が放たれた。それはアルゴニアンの背中を正確に射ぬかんと飛んでいく。だが、寸前のところで彼は扉を蹴破り、すかさず砦の中へと飛び込んだ。炎弾は砦の外壁にぶつかり、外で大きな爆発が起きた。幸いにも砦は攻城兵器の使用を想定されているのか、炎弾の直撃に対しての内側から見た損傷は見られない。外については、もはや確かめられる状況ではない。
 いずれにせよ、アルゴニアンの男は命を繋いだ。
「あるいは・・・死にそびれた、か」煤だらけの体を起こすことも出来ないまま、うつ伏せで男は自らの境遇をぼやいた。繋がったのは、自らの死を歌う物語だけなのかもしれない。

ある男の蛇行した生涯 序幕(TES V:Skyrim 二次創作)

ここまでご拝読いただきまして誠に有難うございます。
原作を知る方が分かるように完結の目処を言うと、メインクエストを主軸としながら様々なサブクエストや追加配信されたコンテンツを交えながらストーリーを展開していく所存ですので、比較的超大作なるかと思われます。
クエストにおける区切りの良いところで次作へと移行しますが、そうで無い限りは同作品内でチャプター分けする形で更新していきますので、しばらくは此方の作品から新規配信をご確認ください。
更新自体は非常に不定期となってしまうかと思いますが、長い目でお付き合い頂ければ幸いです。
私の作品を通じて、TESシリーズに興味が湧かれましたら是非ご自身でもお手に取って、その壮大な世界を自分の目で確かめて頂きたいです。
それでは、末永くよろしくお願い致します。

2018/9/18
更新が遅くなり、申し訳ありません。
日頃から書き続けているので、すでに次回更新分の書き上げもまもなく終わりますが、出来上がった下書きを校正して更新可能な状態に仕上げるための時間がなかなか取れず、このような速度となっております。
今後もこのような状態は続くかもしれませんが、月に2回は更新できるように努めて参りますので、今後ともよろしくお願い致します。

ある男の蛇行した生涯 序幕(TES V:Skyrim 二次創作)

ある一人の男が極北の地へと流れ着く。彼の到来と共に伝説の災厄もまた訪れた。運命とは常に突然で、そして受け入れ難く、しかし立ち塞がるものだ。その道程を辿る物語。 ※当作品はベセスダ・ソフトワークス様が開発・販売を手掛けるゲーム、The Elder Scrolls(以下、TES)シリーズの第五作『The Elder Scrolls V: Skyrim』を原作とする二次創作小説です。 作中の展開はおよそ原作に沿ったものにするつもりですが、所々に実際のゲーム上では為されない進行・演出など加える予定です。私としては自身の駄文を通じてTESシリーズを知ってもらい、実際のその魅力に触れて頂く助力となればと思っております。 2018/9/18 更新

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • アクション
  • 青年向け
更新日
登録日
2018-07-27

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

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