茗荷の舌 第10話-キウイフルーツ

茗荷の舌 第10話-キウイフルーツ

子狸の摩訶不思議なお話。PDF縦書きでお読みくださ


 熊野神社の石段から富士山が見える。富士と同じような形をした大室山が富士山の前にあり、本体のかなりの部分を隠しているので少し残念だが、冬などは真っ白に雪をかぶった富士がとてもきれいだ。夕日が山間に隠れそうだ。まだ雪をかぶっていない富士や周りの山並みがぼんやりとシルエットに浮かび、橙色に染まり始めている。
 熊野神社の境内には小笹の間からたくさんの黒い実をつけた宝鐸(ほうちゃく)草(そう)が生えている。その葉っぱを摘んでいると、日野高校の制服を着た女子高生が茶色の袋を持って社の裏の小山に上がっていった。背がすらっと高く姿勢がいい。このあたりでは見かけたことのない子である。
 かなり昔のことであるが、この神社はその小山の上にあったということだ。上まで古びた石段がついているが、天辺まで上るのは結構大変だ。昔の人はそこまで上がって神社にお参りをしていたのだ。
 小山の頂上にはすでに社のあともなく、木々に囲まれた少し平らな草地があるだけだと思ったが、あの女子高生はこの夕暮れ時に何しにいくのだろう。
 昨日、多摩子さんが染色に使いたいので宝鐸草を採ってきて欲しいと電話をかけてきた。熊野神社の笹原の中に宝鐸草が群生しているのを多摩子さんは覚えていたのだ。「宝鐸草は毒だから佃煮にしないでね」とも言っていた。
 そうこうしているうちにズックの袋は宝鐸草の葉でいっぱいになった。
 先ほどの女子高生が小山から足取り軽く降りてきた。僕のほうを見て軽くお辞儀をしたようなので、僕もお辞儀をした。女の子はあっという間に石段を降りていった。
 家に帰ると前の家のおばあさんが飼いはじめた子猫が遊びに来ていた。雄ネコでまだ生まれて数ヶ月といったところで遊び盛りだ。我が家の白の後をついてどこにでも行く。猫穴から白と一緒に入ってきて白の餌を食べるだけではなく、一晩泊まっていく事もしきりである。白もまだ若いので一緒になってじゃれあって満更でもなさそうだ。
 子猫には白地に少し黒い模様がある。腰のところに大きな黒い楕円の斑点が左右に二つある。それが腎臓のようなので、「ジンゾウ」と勝手に名づけてやった。自分の家では「ちいちゃん」とか呼ばれているようだ。
 ジンゾウが白と一緒に餌の茶碗に首を突っ込んでいる。子猫の割には尻が大きいので腰の右左にある大きな黒い斑点が伸びてなおさら目立つ。
 「ジンゾウ、うまいか」
 と、声をかけると、白と一緒に振り向いた。
 二匹とも食べるのをやめて、のそのそと僕のところへ来ると、宝鐸草の袋に顔を突っ込んだ。袋があると必ずといって顔を突っ込んで遊び出す。あわてて袋を取り上げた。宝鐸草がめちゃめちゃになる。
 「さて、茶漬けの用意をするぞ」と立ち上がると、二匹とも猫穴から出ていってしまった。宝鐸草があんなに生えているのなら、子木子堪能に宝鐸草の佃煮を作ってもらおう。いや、毒草だった。しかし、堪能ならうまく毒を流して美味い佃煮を作るかもしれない。少し毒があったくらいのほうが、うまい佃煮が作れるんだと言って鳥兜の佃煮を送ってきたことがある。結構旨かった。

 翌日、鎌倉の多摩子さんのところへ宝鐸草を届けにでかけた。
 多摩子さんの住居兼作業場につくと、「来ました」と声をかけて玄関を開けた。
 「いらっしゃい、ありがとう、上がって」
 多摩子さんの声がした。台所に行くと多摩子さんは鍋に湯をぐつぐつ沸かして、テーブルに並べてある染色の材料を放り込んでいる。ばか貝まで放り込んでいる。
 「悪かったわね、忙しいので、自分で採りにいけなくて持ってきてもらって、ばか貝の佃煮を作っておいたから、自分でお茶漬け作ってね」
 染色に使っているばか貝は僕のお昼の食材の残りだったんだ。
 多摩子さんは僕の渡した宝鐸草を早速湯の中に放り込んだ。理由はわからないが、煮立っているお湯が緑色に変わった。
 ああ、ほらきれいでしょう、ただの緑じゃないのよ、これはね、海の緑なの、鎌倉のお寺に生えていた羊歯と、イヌサフランと、ばか貝の腸を入れて、それにちょっと秘密のものを入れたのよ、どうしても宝鐸草が必要だったの、どうもありがとう、でもこんなにきれいになるとは思わなかった」
 「どうして、宝鐸草を入れるとそうなると知っていたの」
 僕は聞きながら、茶碗にお櫃からご飯を盛ると、テーブルに用意されていたばか貝のひもでつくった佃煮をのせてお湯をかけた。
 「知らない、ただの勘なのよ」
 馬鹿貝はいい味だ。いつも多摩子さんの味付けには感心させられる。
 「宝鐸草はいろいろな成分を持っていて、人のからだにはよくないの、染色には役に立つけどね、私が始めて試したのよ、内緒の話よ」
 多摩子さんはいきなりスカートをたくし上げると、白いパンツを脱いだ。
 びっくりしていると、多摩子さんはウインクをして、ふふふと、パンツを鍋に突っ込んだ。長い竹橋でパンツを湯の中に沈めると、ものの一分も経たないうちに箸でパンツを摘みだし、水道の下でじゃあじゃあと洗い流した。この水は井戸から汲み上げているものだ。手揉みをして、今度は明礬を溶かした液にパンツを浸けると、摘み上げ、さらに水で浸け洗いをした。
 「ほらできたわよ」と緑色のパンツを指先で摘んで持ってきた。
 透きとおるような青緑色である。海の青さといったところであろうか。
 「きれいでしょう、木綿なのに絹みたいになったでしょう」
 「うん」僕は頷いた。
 そうか、多摩子さんは木綿のパンツの愛好家なんだ。
 「手染めのパンツなんて、日本的ではじめて、世界でこれから流行るわよ、最初は最もポピュラーな藍染パンツ、三年後には、私の手染めのパンツがね」
 と、多摩子さんはぱっとスカートを持ち上げた。
 眼のやり場に困って、びっくりしていると、真っ白なパンツをまた脱いだ。何枚はいているんだろう。
 「パンツを三枚はいているの、肌のぬくもりで温めておくと染色がうまくいくのよ。気分の問題だけどね」
 またそのパンツを鍋に放り込んだ。
 ということは、多摩子さんの手染めのパンツは多摩子さんが一度穿いたものなのだ。
 ともかく、二杯目の茶漬けをかき込むと帰ることにした。
 「もう帰るの」多摩子さんがまたパンツを脱いだ、あっ三枚目だ。
 「忙しそうだし」
 「ごめんなさいね、またいつか宝鐸草をもってきてね」
 そう言いながら、脇に積んであった木綿の白いパンツをまた三枚も穿いた。
 「これおみやげのマタタビ。前の家の猫ちゃん遊びに来ているのでしょ。ジンゾウだったわね、白とジンゾウにあげてね。秋田に住んでいる染色の愛好家が、家の前の山に生えているまたたびの虫瘤を丁寧に粉末にした上等のものなのよ、染色にも使ってみたの、なかなか味のある色が出るわ」
 もらったマタタビの瓶を上着のポケットに入れると鎌倉駅に向かった。

 ということで、夕暮れになった南平駅に帰り着いたところである。ホームに下りると、前の車両から南平高校の制服を着た小柄な女の子が茶色の袋を抱えて下りてきた。髪を短くした女の子はエスカレーターで二階にいくと、改札口を出て僕と同じ方向の階段を下りていく。夕方なのに南平高校にいくのかと思っていたら、住宅地に入り熊野神社への石段を登っていった。僕も熊野神社を通っていくので、女子高生の後を追いかけることになった。
 面長な女の子は昨日の女の子と同じように、昔神社のあった小高いところに上がっていった。一体何しにいくのだろう。不思議に思いながら自宅に帰った。
 ジンゾウがもう家の中に上がりこんでいた。白は椅子の上で丸くなって寝込んでいる。僕は夕食の茶漬けの用意をしながら、ジンゾウにもしゃけ茶漬けを作ってやった。
 自分用には麦を醤油で佃煮にしたもので茶漬けを作った。それと、珍しく、目玉焼きを作った。
 食事が終わってもジンゾウは帰ろうとせず、椅子に飛び上がったり、広げた新聞の下にもぐりこんだり大変な騒ぎだ。そこで、もらったマタタビを思い出し上着のポケットからとりだすとジンゾウの前に少しおいた。
 ジンゾウが勢いあまって、マタタビの中に鼻を突っ込み、鼻息で茶色っぽい粉が散った。床をなめ、顔を床にこすりつけ、おしりを上げて転げまわった。またたび効果はすさまじい。白も匂いに気がついて仲間入りし、しばらく、ごろんごろんと床をころげて、とうとう、二匹ともそのまま寝てしまった。
 こうして、その日も一日が終わり、本でも読んで寝るかと、僕も床にはいったのである。

 あくる日、高尾の木彫りの友人に、知り合いから頼まれたハリネズミの彫刻を依頼しに行って帰ってくると、南平の駅で八王子東高校の制服を着た丸顔の女の子が茶色の袋を抱えて僕と一緒に降りた。その子も熊野神社の古い石段を上がって行く。
 この子達は何をしに上に行くのか、みな同じような茶色の紙袋をもっている。
 立ち止まって見ていると、女子高生がもう下りて来た。茶色の袋はぺちゃんこだった。袋の中のものを神社跡に捨ててきたのだろうか。
 女の子は萎びた袋を抱えて熊野神社の石段を下りるところである。
 石段脇の街灯が点いた。女子高生の顔にはうれしそうに笑窪が寄っていた。
 
 僕は家に帰って、山椒の佃煮の茶漬けを用意をした。そこへ、ジンゾウがやって来た。いきなりそばに来て寄りかかったので、「茶漬け食うか」と聞くと、僕を見上げて笑っているかのように目を細めた。いつもはぷいと横を向いているのになにか違う。山椒の佃煮をやったら食べた。よほど腹が減っているのだろう。
 その夜、ジンゾウは僕の枕元で寝そべっていた。朝になると、ふすふすと顔に息がかかるので、目を開けるとジンゾウが僕を見下げて顔をなめ始めた。腹が減ったのかもしれない。鮭の茶漬けを作ってやるとすぐ食べ始めた。茶碗に向かっておちゃんこをしている。後姿を見ると、腰にある黒い二つの斑点が、くちゅくちゅ動く。どうもおかしい、左のほうが小さかったと思うのに、右のほうが小さく見える。
 ジンゾウは、食べ終わると、椅子のカバーの紐にじゃれてひとしきり遊びそばに来た。珍しいこともあるものだ。またおちゃんこをして見上げている。
 「なんだい」
と声をかけると、なんだか、顔がほあっとなって、猫の出入り口から外に出ていった。白も不思議そうに見ている。狸の子だろうか。
 電話が鳴った。
 多摩子さんからだ、宝鐸草を採りにくるという。もう新宿駅だそうである。
 デパートの高級婦人服売り場から電話があって、緑色のパンツをたくさん作ってくれと言ってきたそうだ。もう人気が出たのと聞いたところ、まだだが、ウインドウディスプレーに使うんだそうである。「そうなると、売れすぎて忙しくなりすぎるわよ、ほほほ」とおっしゃっておった。
 南平駅に着いたと電話があったので、駅まで出迎えにいった。多摩子さんは空の大きな布袋を担いで電車から降りてきた。駅から出て熊野神社に向かって歩き出すと、どこの高校かわからない制服を着た女子高生が茶色の紙袋を持って追い抜いて行った。まただ。多摩子さんに今までのことを話すと、けらけらと笑った。
 「私、わーかった。今の袋を見たでしょ。こしょこしょ動いていたわ」
 「なんなんだろう」
 「ついていきましょうよ」
 多摩子さんは女子高生の後を追って神社の石段を登った。女子高生は今までの高校生と同じように、神社の後ろの小山の石段を上っていく。
 後をついていく多摩子さんを追って僕も上った。女子高生は振り返ろうともしない。二人は僕をおいてさっさと登りきってしまった。
 昔の社の跡には大人三人が手をつないでも届かないような太くて大きな枯れ木が立ってた。その枯れた木には太い蔓が巻きつき、葉を茂らせている。おまけにカーキ色の実がブランブランとなっている。キウイじゃないか。こんなところにキウイが育っている。
 枯木の根は四方八方に盛り上がって土の上を這っていた。見ると、木の根元には大きな洞ができている。
 女子高生が洞の脇に立っている。洞の中を多摩子さんがのぞいて女子高生になにやら話しかけている。
 僕も追いついた。多摩子さんが振り向いてにこっと笑った。
 僕は洞を覗いてみた。暗がりにたくさんの眼が光っている。
 なんだろうと思ったとたん、光っていた眼が一斉に僕を見て「にゃあ」と鳴いた。
 「捨て猫だ」と言ったら、一匹が入り口に顔を出した。
 「ジンゾウじゃないか」
 「みんな飼い猫よ」
 女子高生と話していた多摩子さんが振り向いて言った。
 多摩子さんが女子高生に聞いた。
 「これどこの猫なの」
 女子高生の返事は多摩子さんにしか聞こえないほど小さい。
 「茶色は日野の山田さん、黒トラは八王子の佐藤さん、三毛は豊田の藤田さん」
 と説明している。
 そして、多摩子さんが大きな声であはははと笑い出した。
 「返してらっしゃいね」と女子高生に言って、「さー降りましょ」と僕を誘った。
 しかし、猫が帰りたがっていない。
 「これキウイの木ね、キウイはマタタビの仲間なのよ」
 「だから、洞から出なかったのか」
 「そうよ」
 女子高生は大きな袋に猫を押し込んでいる。

 その後、僕と多摩子さんは女子高生が大きな袋につめた猫をもって、神社の石段を降りていくのを、宝鐸草を採りながら見送った。
 袋が宝鐸草でいっぱいになって我家に着くと、多摩子さんは、
 「はい、おみやげ」と緑色に染めたトランクスを僕にくれた。確かにきれいだ。
 「男物も作ってくれって頼まれたの」
 とすると、このトランクスは多摩子さんが一度穿いたものなのだろうか。
 多摩子さんは勘がいい。
 「ふふ、もちろん一度私が穿いたのよ、男ものは風通しが良くて気持いいのね」
 と言ったが、トランクスが多摩子さんには大き過ぎただけなのじゃないだろうか。
 多摩子さんは、鎌倉からもってきた馬鹿貝で味噌汁とお茶漬けを作ってくれた。
 「わからなかったかしら、あの女子高生は例の狸の女の子よ。あの子女子高生になって、いろんな家の猫をかっさらって、あそこでかわいがっていたのよ」
 「どうして」
 「それだけじゃないの、猫に化けてその家に行って、観察してきたのですって、いろんな女子高生の家を見てみたかったんだって、きっと高校生くらいなのよあの狸」
 「でも、ジンゾウの家にはおばあさんしかいないけど」
 そう思っていると、多摩子さんは、またあははと笑って、「ここに来たかったのよ」と言った。
 「そうか、道理でこの間のジンゾウはおかしかった、ベットで僕を見下げていたよ」
 「そうでしょう、噛み付かれなくてよかったわね」
 そう言って多摩子さんは笑った。
 白とジンゾウが帰ってきた。
 僕は鮭茶漬けをふるまった。
 と、そこへ、またジンゾウがきた。白がきょとんとしている。
 多摩子さんは大笑いして鮭茶漬けの用意をした。
 二匹のジンゾウは仲良く鮭茶漬けを食べた。
 「どっちなの」
 多摩子さんが僕に聞いた。
 それを聞くと、二匹のジンゾウは連れ立って猫の通り穴を通って帰って行ってしまった。
 後に穴を通ったほうの左側の模様が小さいようだった。白も穴から出て行った。
 「私もこれから忙しくなるのよ」
 多摩子さんも宝鐸草の入った大きな袋を担いで、張り切って帰って行った。
 さて、落語でも聴いて寝るとしようか。
 子狸は化けるのがなかなか上手くなったものだ。

「茗荷の舌」所収、自費出版33部 2016年 一粒書房

茗荷の舌 第10話-キウイフルーツ

茗荷の舌 第10話-キウイフルーツ

いろいろな高校の制服を着た女子高校生が紙袋を持って、熊野神社の石段を上っていく。 何をしに行くのだろう。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-07-27

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