CLOUD SIDE - pray rain - (最終話)
- CLOUD SIDE -
pray rain - 祈りの雨 -
お願い、クラウド……。
手、離さないで……。
このままじゃ、私達、会えなくなる。
黒い痕、消えないままじゃ、クラウドは消えちゃうの。
だから……。
* * * * *
かすかに聞こえる虫の鳴き声。
どこかで打ったのか、背中が痛む。
左腕は熱を帯びていて、感覚が鈍くなっていた。
しかし、その左手の先に、何か冷たい物が触れている。
クラウドが目を開けると、視界に入ってきたのは、草花の上にある自分の左手だった。
意識は、まだ朦朧としているが、その草花には見覚えがある。
彼女が大切に育てていた花だ。
「どう……して……?」
絞り出した声は、喉が渇いているせいで掠れていた。
どうしてここで倒れているのか、どうやってここまで来たのか、クラウドはどうしても思い出せなかった。しかし、教会の扉に視線を移すと、扉は開け放たれたままになっているし、周りに人の気配はない。自分でここまで足を運んだのだろうとは思うが、それまでの記憶は全く無かった。
意識が少しずつハッキリしてきて、クラウドはようやく体を起こした。夜の闇に包まれた教会は、耳が痛いほどに静まり返っている。自分の身に何が起こったのか記憶を辿っていく内に、クラウドはあの悪夢を思い出した。いや、悪夢ではなく、幻覚だったとしたら……。
「あっ……」
左の手袋を外したクラウドは、目を見開いて息を呑んだ。左の手のひらは黒く変色し、皮膚の中から異物がにじみ出ていた。それは星を蝕む新たなる厄災、死から免れることのない絶望のエンブレム、星痕症候群の発症の痕だった。それも、発症と同時に末期の症状が現れる、いわゆる潜伏期間の長い症例だ。
「……くぅっ……」
クラウドは自分の左手の甲を右手で覆い、それを額に当てて体を縮めた。手も足も冷たくて震えがとまらないのに、目頭だけが熱かった。
「俺は……」
クラウドは、無力な自分に打ちひしがれ、胸の奥から例えようのない痛みがこみ上げてきた。デンゼルを救う手立てもなく、発症した星痕は既に末期の状態。必死で掻き集めた生きる意味は、手の隙間から零れ落ちて、何も見えない闇の中へ消えてしまいそうだった。何も出来ないまま死んでいくだけの自分には、この手で誰かに触れることさえ許されないように思えた。そして、背負った罪をあがなえることも出来ず、許されないまま消えてゆく事が、自分を犠牲にしてまで救ってくれた親友、守ることの出来なかった大切な人への裏切りであることに相違なかった。
「……最低だ……」
出来ることならば、このまま消えてしまいたかった。星を救うという大義名分のもとで生きてきたのだから、もうその役目は終わっている。それでも、生かされてきた自分自身の意味を問いかけ続けた答えが、無意味な死であると分かった瞬間、目の前が真っ暗になり、何も考えられなくなった。これが、本当の絶望というものなのか……。
もう、誰も死なせたくなかった。
もう、誰にも悲しい思いはさせたくなかったのに。
いつだって、大切なものを守ることは出来ないんだ。
そうやって大切なものを失ってきた俺の……最後の報いが、こんなに惨めなものだなんて……。
俺は、もう誰にも触れられない。
もう、誰も助けられない。
暗闇の中から抜け出せないまま……無意味に消えるだけなんだ……。
* * * * *
その夜は、いやに空気が冷たかった。寒さで眠りが浅かったティファは、物音に気づいて目を覚まし、ベッドから起き上がった。真っ暗な廊下に出ると、小さな足音がクラウドの部屋の前で止まった。
「デンゼル?」
クラウドの部屋の前に居る小さな人影に呼びかけると、彼は驚いた顔で振り返った。
「何してるの?」
問いかけると、デンゼルはうつむいて黙り込んだ。
「心配? クラウドのこと……」
「そっ……そんなんじゃ……」
子供が大人の心配などしてはいけない気がして、デンゼルは慌てて否定した。そんなデンゼルを見て、ティファは思わず苦笑を浮かべる。
「心配しなくていいんだよ」
「え?」
「デンゼルが、部屋の前で倒れた夜にクラウドが言ったの。もし、帰りを心配して部屋の前に居たら、心配しなくていい、そう言ってくれって」
「クラウドが……?」
デンゼルがティファを見上げると、ティファは笑ってうなずいた。
「さぁ、部屋に戻って寝なきゃ。明日には、きっと帰ってきてるから」
「うん……」
ティファはデンゼルの肩に触れ、彼の部屋まで一緒に戻った。部屋ではマリンが眠っているので、デンゼルがベッドに入ったのを見届けると、音を立てないように部屋を出た。心配はしているけれど、不安は無くなった。あの日、クラウドが心配しなくていいと言って微笑んだ顔を見て、ティファの心は揺れなくなった。やっと、自信の無かった自分を抜け出すことが出来たのだと思っていた。
自分の部屋に戻ったティファは、朝になればクラウドが帰ってきていると信じて、眠りについたのだった。
寒い夜を越え、不安を乗り越えたはずのティファのもとに、マリンが慌てた様子で駆け込んできた。
「ティファ! ティファ、起きて!」
マリンの声に、ティファはハッと目を覚ました。気づけば外は明るくなっていて、とっくに朝を迎えていたのだ。あのあと深く眠ってしまい、マリンの声で初めて目を覚ました。
「どうしたの!?」
ティファは、すぐにベッドから起き上がった。ティファの部屋の入り口で、マリンが困惑した表情で立っている。
「デンゼルが……デンゼルが苦しそうなの!」
ティファはマリンと共に部屋を出て、子供たちの部屋へ急いだ。そして、デンゼルが横になっているベッドに歩み寄る。苦しそうに顔をゆがめ、うわごとにように何かを言っている。
「デンゼル、大丈夫よ。みんな居るから」
「……クラウド……」
「え?」
「……クラウドは……?」
ティファは部屋の時計に視線を移した。クラウドは既に仕事へ出かけた時間になっている。呼んでも、おそらく居ないことは分かっていた。
「もう……仕事に行っちゃったよ。でも、早く帰ってくるように連絡するから」
「……どこに……?」
「それは……分からないけど……」
「……どこに……居るの……?」
「……デンゼル?」
今まで、これほどまでにデンゼルがクラウドのことを心配していたことなど無かった。まるでティファの言葉が聞こえていないかのようだった。
「どうしたの……?」
しかし、ティファの問いかけには答えず、デンゼルは目を閉じて顔をそむけた。悪夢にうなされているかのように、何度もうめいている。
「デンゼル……苦しそう……」
傍で見ていたマリンが、どうしたらいいのか分からないといった顔でデンゼルを見ていた。ティファは額に手を当て、もれそうになったため息を飲み込んだ。
「……デンゼルは頑張ってるんだから、私たちも頑張らなきゃ」
マリンの肩をさすり、ティファは確かめるようにうなずいた。マリンの不安そうな表情は消えないけれど、ティファはタオルを取りに部屋を出た。
しばらくすると、デンゼルは悪夢から開放されたかのように静かに眠っていた。星痕の症状も治まったようで、熱も下がってきている。デンゼルの額をタオルで拭き、ティファは彼の前髪をそっと撫でた。
「私が側に居るね」
マリンがティファを見上げて言った。ティファはマリンの言葉の意図が分からず、首をかしげる。
「ティファは、少し休んで?」
小さなマリンの気遣いに、ティファは苦笑をもらした。
「ありがとう、マリン。一人で大丈夫?」
「うん」
マリンが頷き、ティファは微笑んだ。まだ小さな子供だと思っていただけに、こんなに心強い事を言ってくれるまでに成長していたことに気づき、ティファはとても嬉しい気持ちになった。
デンゼルのことはマリンに任せ、ティファは部屋を出た。階段の上をふと見上げ、クラウドの部屋へ足を運ぶ。おそらく仕事へ出かけているだろうが、彼の帰ってきた痕跡を確認することで、ティファが一日は始まるようなものだった。
クラウドの部屋を開けると、前日の朝と変わらぬ風景に気づいた。整理された伝票、ベッドの新しいシーツ。いつもなら、仕事から帰ったクラウドは、伝票を無造作に置き、ベッドのシーツには、眠ったあとの皺がそのままになっているはずだった。
「……帰って……ないの……?」
ティファは思わず言葉をこぼした。同時に、とてつもない不安が胸にこみ上げてくる。オフィスの電話に手をかけ、クラウドの携帯電話の番号を押した。何度かコールした後、留守番電話に切り替わってしまった。電話を切って、もう一度かける。しかし同じように留守番電話に切り替わった。
デンゼルが来る前は、遠くへ配達へ出向くと帰らない日もあったが、たったの一言でも連絡があった。忙しいときでも、こちらから電話をかけたら、出てくれたはずだ。
どこかで事故に遭ったのか、それともモンスターに襲われたのかと、ティファの不安は募るばかりだったが、こちらから電話をしてもつながらない以上、クラウドからの連絡をしばらく待つしかなかった。
* * * * *
ぼんやりと浮かぶ、白と黄色のコントラスト。クラウドの視界に映るものは、違う世界の景色のようだった。しかし意識がはっきりするにつれ、その輪郭がくっきり浮かび上がる。
無音の世界に、わずかな光が差し込んできた。朝霧に浄化された空気は、彼の周囲だけをとりまいているかのようだった。この世界の外は、元々はスラム街で、光もささない、空も見えない、ネオンと汚れた空気だけが存在していた。しかし、今は誰も居ないこの世界が、ほんのわずかな時間であっても、絶望に包まれた夜の闇がまるで嘘であるかのように美しかった。
クラウドは息を吐き出して自分の左手を見た。そして星痕症候群を隠すように手袋をし、左腕をそっとさすった。触れると針で刺されたように痛み、思わず顔を歪めたが、夕べより症状は落ち着いたようだ。
「あのまま……消えていれば良かったのにな……」
クラウドは一人呟き、配達の仕事で持っていた白い布を出して引きちぎった。それを左腕にきっちり巻きつけると、クラウドは立ち上がって教会を出た。教会の前にはフェンリルが倒れていたが、かなり頑丈と見えて、どこも異常はなさそうだった。
フェンリルの近くに、携帯電話が落ちていた。仕事中で留守番電話に設定しておいたが、ティファからの着信履歴が残っていた。家に戻らなかったから、心配したのかもしれない。しかし、クラウドは家に戻るつもりは無かった。誰も救うことの出来ない自分が許せなかった。ティファや子供たちは、きっと何も言わずに受け入れてくれると分かっているからこそ、こんな自分を迎えてくれる人の温かさが、今のクラウドにとっては辛く苦しかった。許されると分かっている場所へ帰ることは、自分自身が許せなかった。命が尽きるその時さえ、誰にも知られないままでいることが、せめてもの願いだった。
クラウドはフェンリルのハンドルを握って跨り、携帯電話を留守番電話に設定したまま、服のポケットにしまった。フェンリルのエンジンをかけ、クラウドはミッドガルを目指して走り出す。自分に残された時間がどれほどあるのか分からないが、これまで通り仕事をする以外、どうしたらいいのか分からなかった。
星痕の痛みは、前触れも無く襲ってくる。一夜が過ぎるたびに、痛みに襲われる感覚が短くなってきた。
帰る家の無いクラウドは、仕事を終えると、スラム伍番街の教会に身を置いていた。その日も、闇夜に紛れて伍番街へ辿りつき、星痕の痛みをこらえながら教会の扉を開けた。
「くっ……うぅッ……!」
左腕の皮膚の奥が焼けるように痛み、黒い膿が手を伝って床に落ちた。痛みが長く続くと、末期症状特有の過去の幻覚が見えるが、今はただ激痛に耐え、痛みが遠のくのを待った。
「はぁ……」
額に手を当てて息を吐き出し、クラウドは左腕の服の袖をまくった。きっちり巻いた包帯は、星痕の黒い膿で汚れている。痛みと幻覚に苦しめられて、何日が経っただろう。あと何日、こうやってやり過ごせばいいのだろうか。そう思いながら、クラウドは素早く包帯を解いて、無造作に置いた。
今までと同様の仕事量を星痕の痛みに耐えながらこなしていくと、体には思った以上に負担がかかる。痛みで深く眠れない日も多く、休める時間が少ないため疲労も蓄積されてくる。
この夜も眠れるか分からないが、ひっそりと咲いている花を見ていると、星痕の痛みでざわついた精神が落ち着いてくる。
教会のドアから風が入ってきた。冷たい空気が流れ、花が風に揺れていた。
クラウドは息を吐き出し、目を閉じた。教会の天井を仰ぎ、吹き込んできた風を体で感じる。
「居ても……いいか……?」
そこに姿は見えなくても、クラウドは問いかけた。この教会に居ると感じる、不思議な空気。悲しい心も、不安な気持ちも、苦しい胸の痛みも、すべて受け止められる自分で居られる。
--- 最期に倒れる時は、ここに居てもいいか……?
見ることが叶うはずの無い姿を思い浮かべ、クラウドは問いかけた。そのとき、風に揺れた髪が、クラウドの頬を微かにくすぐっていった。
* * * * *
ライフストリームに流れ込んできた黒い異物。
それがクラウドの体内にも侵食していた。
エアリスは、闇の鼓動を感じ取っていた。
大いなる災いが、再び星の命を脅かすことになる。
姿無き自分では、それを食い止めるのは不十分だった。
それを食い止めることが出来るのは、たった一人。
地上に置いてきてしまった、大切な人。心を通わせることが出来るのは、彼しか居なかった。
「わたし……行かなきゃ……」
ライフストリームの光の中、エアリスはささやいた。すると、彼女にしか聞こえない声が問いかけてきた。星の声だ。
「大丈夫……わたし、信じてる」
エアリスは胸に手を当てて目を閉じた。
「私の中には、クラウドがいる。だから、クラウドの中に私が居れば……私は存在できる……」
星の声は、さらにエアリスに問いかけた。
「うん……分かってる。でも、このままじゃ私たち、会えなくなる。だから今は……クラウドと一緒に、守らなきゃ……」
あの日、一人で行くと決めて歩いた時とは違う。大切な人と共にあれば、存在できる自分。姿は見えなくても、彼の力になれることをエアリスは知っていた。
「信じてる……だから私、行くね」
星の声は、エアリスを止めなかった。ライフストリームに流れ込んできた黒い異物は、彼女の力なくしては打ち消すことは出来ないだろう。彼女の力を発揮させるためには、地上にいる彼女の大切な人の力も必要だった。
「……ありがとう」
エアリスは、両手の指を組み、目を閉じて祈った。彼の心にある自分自身を懸命に探すように、静かに、地上への祈りに意識を集中させる。
やがて、ライフストリームの光は消え、エアリスの瞼には闇が映し出された。そっと目を開けると、彼女を囲うようにして、美しい花々が咲き誇っていた。そこは、エアリスが最も大切にしていた場所、スラム伍番街に建っていた教会の中だった。この場所に戻ってこられたのは、二人の想いがここにあるからなのだ。
「クラウド……?」
エアリスは、花々の咲く脇に倒れているクラウドを見つけた。ゆっくりクラウドに近づくと、彼は星痕の痛みに苦しんでいた。星痕を発症した左腕を抱え込み、呼吸は荒々しい。時折、熱に浮かされているように喘いでいた。
星痕の症状である黒い膿が、クラウドの体を蝕んでいた。かなり痛むのか、クラウドは苦しげな表情で左腕を更に抱え込む。そして悪夢を見ているかのように、うわごとを言っては痛みに耐えて呻いていた。
エアリスは、倒れているクラウドの傍に跪き、その手を握り締めた。そして、クラウドの手に額を寄せ、祈るように目を閉じてクラウドに語りかけた。
「もう、苦しめないで……お願い……」
彼の手を包み込んだのは、これで二度目だった。一度目は、強い気持ちに引き付けられ、地上を巡った。そして忘らるる都の聖なる泉で、後悔に駆られて佇んでいる彼を見つけた。花束を浮かべ、自分の剣を首もとに当てたのだ。そのとき、エアリスは彼の手を包み込んだ。どうか、自分のせいで苦しまないで欲しい。彼が願えば、彼の力になれることを知って欲しかった。そして、今も……。
エアリスがクラウドの手を握って祈ると、やがて彼の苦しげな表情が和らいだ。星痕の痛みが遠のいたようだ。
「…………エアリス……」
クラウドの声に、エアリスは驚いたように彼を見た。しかし、それは彼のうわごとのようで、目は閉じられたままだった。エアリスは少し哀しげに笑い、クラウドから手を離しながら囁いた。
「……大丈夫、わたし、居るから……」
クラウドに傍に、居るからね……。
* * * * *
その朝は、星痕が発症してから初めて、穏やかに目が覚めた。いつもなら星痕の痛みと共に起き、絶望の闇から抜けた朝を迎えていた。
クラウドは左手の袖を捲くり、星痕の黒い膿を確認する。一晩ずっと星痕の痛みにうなされ、朝になると黒い膿みで汚れていたはずだが、今は皮膚が黒く変色している以外に症状は出ていなかった。
昨夜、クラウドは問いかけた。ここに、居てもいいかと。星痕の症状が出なかったのは、なにかのメッセージであるように思えたが、死を待つばかりの自分に、何が求められるというのか……。
「……思い上がりだ」
そう言って、クラウドは袖を下ろした。そして教会の天井を仰ぎ、もし今日で命が尽きるなら、最期に倒れる場所がここであってほしいと願った。
「……もう、これ以上……誰も苦しめたくないんだ」
そのためには、孤独で居るしかなかった。最期の時を迎える、その瞬間まで……。
そして、クラウドは歩き始めた。これから始まろうとしている戦いの鼓動に気づかないまま。その日も、これまでと同じように仕事をするだけのはずだった。そして、ミッドガルまで戻ってくるだけの繰り返し。そう思っていた。
ミッドガルを出て荒野を走り抜けた頃、クラウドの携帯電話に着信があった。留守番電話設定になっている携帯電話には、ティファからのメッセージが残されていた。
CLOUD SIDE - pray rain - (最終話)
- 後記 -
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
第1話から第8話までの頭文字をつなげると最終話の「pray rain」になるようにサブタイトルをつけました。
この小説は、過去に書いたもので未修正ですが…修正する時間もないですし、修正始めるときりがないので、そのまま載せました。
長いお話ですが、本当に最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。