CLOUD SIDE - nightmare - (第8話)
- CLOUD SIDE -
nightmare - 悲しき悪夢 -
「クラウド、久しぶりね」
配達の仕事で大陸を渡り、コスタ・デル・ソルへ立ち寄ったクラウドは、リンネの店を訪ねた。既に陽は沈みかけており、夕日に照らされたさざ波が、オレンジ色に輝いて眩しかった。
「来てくれて嬉しい」
コスタ・デル・ソルは、以前訪れた時より少し復興が進んでいた。なにより、人々の持つエネルギーが回復しつつあるように見える。やはり人が回復してこそ、街は復興するものだ。
「なんか……感じ、変わった?」
クラウドが首を傾げると、リンネは「あなたの雰囲気」と付け加えた。
「何も……」
「そう? 思いつめてた顔、ちょっと治ったんじゃないの?」
「思いつめてた……?」
「そうだよ、かなり思いつめてた」
リンネが人差し指を向けて言うので、クラウドは苦笑を浮かべた。
「あんたも、少しは落ち着いたか?」
クラウドに問い返され、リンネは「うーん」と言いながら首を傾げた。
「多分ね」
「そうか……」
「今日は、どうしたの? まさか遊びに来たわけじゃないんでしょ?」
「……ここに、医者が居たよな」
「居るけど……先生に用事?」
「聞きたい事がある」
「ふぅん……じゃあ、付いてきて」
リンネに案内され、クラウドはコスタ・デル・ソルにある診療所の中へと入った。リンネが診察室のドアをノックして入ると、一緒に入ってきたクラウドを見て、医師は驚いて立ち上がった。
「君は……確か薬を持ってきてくれた……」
「クラウドよ。先生に用事があるんだって」
「私に?」
クラウドは頷いて、医師の前まで歩み寄った。
「あんた、昔はミッドガル近郊の難病医療センターに居たんだってな」
唐突に言われた医師は、驚いて目を見開いた。
「どうして、それを……?」
「調べたいことがあって、配達の仕事の合間に、色々聞いて回った」
医師は、息を吐き出して視線を下へ向けた。
「そうですか……」
そして、クラウドから離れると「何を調べてるんですか?」と訊ねた。
「星痕症候群……」
椅子に座りながら、医師はクラウドを見上げた。
「なんでもいいんだ……何か、情報があったら教えてほしい」
「それは……私が聞きたいくらいですよ」
医師は頭を抱えて首を振った。
「あれには、治療法が無い」
「本当に、何も無いのか……?」
クラウドの問いかけに、医師は抱えた頭をもたげて、再び視線をクラウドへ向けた。
「私が難病医療センターに居たのは、医者になりたての頃でね。原因の分からない、治療法の無い病と、ひたすら闘い続けた日々でした。毎日が辛くてたまらなかったんです」
クラウドとリンネは、医師の話を黙って聞いた。
「私がここに居るのは、そこから逃げてきたからなんです。医者とは人を救う者でなければならないはずなのに、どうして救えない事が多いのかと苦しみました」
「先生……でも、先生は……多くの人を助けてるよ?」
たまらず、リンネは言葉を漏らした。おそらくリンネは、この医師に助けられたことがあるのだろう。そして、このコスタ・デル・ソルでも、多くの人を救っているはずだ。
「……ありがとう、リンネ。でも、それは結局、自分の手で助けられる人が多い場所に逃げてきただけなんですよ。自分の無力さから、目をそむけてしまったのです……」
医師は首を振って目を伏せた。
「クラウド……でしたね。せっかく訪ねて来てくれたのに申し訳ない。私では、星痕については何の情報も持っていないし、臨床経験も無い。今、星痕についての情報が得られるとしたら、星痕の患者を集めているミッドガルの施設ではないかと思いますよ」
「ミッドガルの施設……」
クラウドは眉をひそめた。ミッドガルには、星痕の子供達を収容する施設がある。しかし、ただ実験台のように色々な治療方法を試され、効果も無く死んでしまう事が殆どだと聞いている。そのために、クラウドはミッドガルの外で治療に当たっている医者を探していたのだ。
「……治療に当たるつもりは無いのか?」
クラウドの質問に、医師は苦笑を浮かべた。
「本当に、申し訳ない。それに私は、ここに移り住んで、ここでの生活にも慣れました。もう戻るつもりはありません」
「……そうか」
それだけ答えると、クラウドは目を伏せて医師に背を向けた。診察室のドアを開け、短い廊下を通過して診療所の外へ出る。
「クラウド、待って!」
診療所から出るクラウドの後を追ってきたリンネに呼び止められ、クラウドは足を止めた。
「もうミッドガルの施設のことは調べたんじゃないの?」
「ああ……」
「だったら、どうして先生のところへ?」
「ミッドガルの施設は、ただの治療法を探すための実験所だ。ミッドガルの外で治療をしてる医者を探している」
「それを……どうして言ってくれないの?」
リンネはクラウドの服の裾を掴んで、顔を曇らせた。クラウドは視線を落とし、息を吐き出した。
「気持ち……分からなくも無いんだ」
「え?」
「……苦しい気持ちは、二度と味わいたくない……そう聞こえたから」
クラウドの答えに、リンネも口を噤んだ。リンネもまた、苦しい気持ちを味わっている。二度と同じ苦しみを味わいたくない気持ちは、痛いほど良く分かっている。
「クラウドは……どうして、そんなこと調べてるの?」
リンネの問いかけに、クラウドは眉をひそめた。
「……救いたい命がある」
「大切な人?」
リンネに訊ねられて、クラウドは一瞬、言葉を飲み込んだ。視線を下に向け、小さく「……そうかもしれない」と答えた。
エアリスの教会の前で倒れていた少年、デンゼル。クラウドは、彼をエアリスから託されたのだと思えてならなかった。しかし、それはクラウドの直感であって、何の確証も無い。本当なら、大切な人に託された子だと言いたかったが、そう思っているのは自分だけだと思うと、ハッキリと答えることが出来なかった。
「もっと、誰かに頼ってもいいんじゃない?」
リンネの言葉に、クラウドは首をかしげた。
「一人で、どうにかしようとしてるみたいだから……」
クラウドは息を吐き出した。リンネの言うとおり、クラウドは一人で調べまわっていた。どうにかして、デンゼルを救いたいという気持ちを誰かに打ち明けたことは無かった。一人ではなく、誰かが一緒に居てくれたら、もしかしたら、こんなに追い詰められた気持ちにならずに済むのかもしれない。
「私、あとで先生に頼んでみる」
「え?」
「先生だって、急に言われて、すぐに決められなかっただけだと思うの。誰かを救いたい気持ちは、絶対にあるはずなの。だから……」
クラウドの服の裾を掴んで、リンネは真っ直ぐにクラウドを見つめる。クラウドは、その真剣な眼差しを受け止めて頷いた。
「ありがとう……頼んでも、いいか?」
クラウドが言うと、リンネは掴んでいたクラウドの服を離して頷いた。
「うん、大丈夫。きっと、いい知らせが出来ると思うから」
「そうか……」
リンネは、微笑んで頷いた。もしかしたら、これで少しでも希望が生まれるのかもしれない。デンゼルを救うための道は、いくつも作っておいた方がいい。
「ところで、仕事の途中……なんじゃないの?」
「ああ……」
「じゃあ、先生の説得は私に任せて、そろそろ出発?」
「そうだな……」
医師の説得はリンネに頼み、クラウドはコスタ・デル・ソルを後にする。クラウドを見送るリンネを尻目に、潮風を切ってフェンリルを走らせた。急いで帰れば、深夜頃にはエッジに到着するだろう。以前は、仕事を無理に請け負っていた為に定期船に乗れず、帰えれない日も多かったが、自分を心配する人物が一人増えたので、クラウドはなるべくエッジに戻れるように仕事を組んだ。
その日、最後に就航する定期船に乗り込み、クラウドは大陸を渡った。船が寄港するまでの間、フェンリルに寄りかかって休むことにした。まだ冷めていないエンジンの熱を背中に感じながら、クラウドは少しの間、目を閉じて眠った。
* * * * *
エッジに到着すると、深夜も過ぎた頃で、既に店の明かりも消えていた。みんな寝静まっているだろうと、クラウドはなるべく音を立てないように家に入る。自室に戻ろうとする途中で、子供達の部屋の前を通ったが、デンゼルの姿が無かった。クラウドは不審に思い、あたりを見回してみる。暗がりに目が慣れてきた頃、自分の部屋の前で倒れている小さな体を見つけた。
「デンゼル……!!」
クラウドは声をひそめながらも、デンゼルの肩を掴んで揺さぶった。しかし、星痕の痛みで気を失っているようだ。クラウドは咄嗟にデンゼルを抱きかかえて自分の部屋に運び入れ、ベッドに横たえさせた。デンゼルは苦悶の表情を浮かべてうなされている。星痕が痛むのか、それとも悪い夢を見ているのか……。
「デンゼル……?」
クラウドがデンゼルの額に触れようとした刹那、デンゼルは目をあけ、体を強張らせて声を上げた。
「やああぁ!」
取り乱したように頭を振って泣き出したデンゼルは、何度も「いやだ、いやだ」と声を上げる。
「行かないで! 俺を置いて行かないで!」
クラウドは思わずデンゼルを抱きしめた。胸が張り裂けそうだった。水の祭壇で彼女を抱きしめた時、心の奥底で本当の弱い自分が、そう叫んでいたような気がした。大切な人たちに置いていかれる者の悲しみは、胸にガラスが突き刺さったまま抜けないように、ずっと痛くて苦しいものだ。
「行かないで! 俺を一人にしないで!」
デンゼルは、まだ悪い夢から目が覚めないかのように泣き喚いた。クラウドは、デンゼルが落ち着くまで抱きしめた。どんな言葉をかけても、彼は苦しみから解放されることは無い。
「うわぁあぁ……ああぁ……」
声を上げて泣きじゃくっていたデンゼルが、ようやく冷静さを取り戻したようで、しがみついていたクラウドから、そっと手を離した。まだ嗚咽はもらしているものの、自分の手で懸命に涙を拭っている。
「……落ち着いたか?」
静かな声でクラウドが問いかけると、デンゼルは小さく頷いた。デンゼルの額には、星痕の症状が出ていて黒く膿んでいる。清潔なタオルを取りに行こうと彼の傍を離れようとした時、クラウドは服を掴まれて足を止めた。
「……どうした?」
問いかけても、デンゼルは何も答えなかった。ただ、その瞳は「行かないで」と訴えているだけで、握った服を離そうとしない。クラウドは黙って膝を付き、デンゼルの手をそっと取った。すると、デンゼルは安心したかのように目を閉じ、しばらくするとそのまま眠った。星痕の痛みが遠のいたのだろう。
クラウドは、握っていたデンゼルの手をゆっくり解いて、静かに自室を出た。清潔なタオルを取りに一階の店まで降りると、人の気配に気づいて振り返った。
「何かあったの……?」
ティファはクラウドに歩み寄って声をかけた。クラウドが手にしているタオルを見ると、首を傾げてクラウドを見た。
「声、聞こえたけど……大丈夫?」
ティファは、どうやらデンゼルの声に気づいていたようだ。声はクラウドの部屋から聞こえてきたので、部屋から出てくるまで様子を窺っていたらしい。
「ああ……帰ったら、部屋の前で倒れてた。今、眠ったところだ」
「そう……」
クラウドが店の入り口から階段を上がろうとすると、ティファが呼び止めた。
「待って、それは私が……」
クラウドの手からタオルを取って、ティファはクラウドの手を押し戻した。
「こんな遅くまで、疲れたでしょ? 少し休んで?」
「ティファ」
クラウドはティファの手を掴んだ。
「そういうの……もうやめよう」
「え?」
「疲れてるとか、疲れてないとか……そういうの……理由にするのは……」
「どういう……意味?」
ティファは、怪訝そうな表情でクラウドに問い返した。言葉が上手く伝わらなかったクラウドは、どう説明したらいいのか分からなくなって口を噤んだ。
「私……何か気に障ること、言った?」
「……違うんだ。そういうのも、もういい」
「え?」
「あまり、心配しなくて……いいんだ」
ティファは目を見開いた。デンゼルが来てから少し気持ちが軽くはなったが、心配事や悩みは尽きなかった。クラウドが以前に比べて家に帰る回数が増えたのも、一緒に食事をする回数が増えたのも嬉しかったが、今度はそれを失うまいと一生懸命尽くしているのも確かだった。クラウドがそれに気づいていたかは分からないが、ティファは素直にクラウドの言葉を嬉しく思った。
「……ありがとう。でも、大丈夫」
ティファは、そう答えることしか出来なかった。クラウドの言葉は嬉しかったが、無理している自分を認めたくは無かったのだ。それに、クラウドやマリン、デンゼルのために働く自分を好きに思えた。だから、多少の無理をしてでも守りたいという気持ちが強いのだ。
そうして、ティファはタオルを持ってクラウドの部屋へ入って行った。それを目で追った後、クラウドはティファの店に戻って店のテーブル席に腰を下ろした。閉店している店は静寂そのもので、明かりの無い店内に居ると、色の無い世界へ引きずり込まれたかのような錯覚に陥る。
しばらくすると、ティファが階段を降りて来た。暗がりに座っているクラウドを見て、苦笑いを浮かべる。
「電気ぐらい、点けたら?」
そう言って、ティファは店の明かりを点けた。
「デンゼルは?」
「大丈夫、よく寝てる」
「そうか……」
ティファは店のカウンターに入り、コップに氷水を入れて、クラウドの前まで歩み寄った。ティファが水を差し出すと、クラウドは黙ってそれを受け取った。
「デンゼルね……クラウドの帰りが遅い日は、時々ああやって部屋を見に行くみたいなの」
クラウドは、受け取った水から視線を外し、眉をひそめた。ティファは、クラウドと反対側の椅子に腰を下ろし、クラウドの横顔を見つめている。
「帰ってきたかどうか、心配みたい」
ティファが言うと、クラウドは、小さく息を吐き出した。
「今度……もし、そうしていたら、心配しなくていい……そう言ってくれないか……?」
「うん、分かった」
ティファが頷いて答えると、クラウドは持っていた氷水を一口飲んで、テーブルに置いた。
「クラウド……」
ティファに名を呼ばれ、クラウドは黙って視線を返した。
「問題は解決したの?」
クラウドは眉をひそめた。
「どの問題だ?」
クラウドにとっては唐突な質問だったが、ティファはずっと考えていた。いつだったか、クラウドが「俺の問題だ」と言った言葉。そのときのクラウドは、何を言っても、何をやっても闇へ吸い込まれていってしまいそうで、それを見ていたティファも、どうしたらいいのか分からなかった。
「……あなたの問題」
ティファが言うと、クラウドは「ああ……」と相槌を打って、そのまま黙り込んでしまった。思い出させてはいけなかったかと、ティファは話を切り出したことを後悔した。
「言いたくないなら、いい」
それをすぐに打ち消したくなり、ティファは言葉を継いだ。クラウドは、それでも考え込んだ表情のまま、組んだ手を額に当てる。
「うまく説明出来ないんだけど……」
そう前置きしてから、クラウドは話を続けた。
「問題は解決していない。いや、解決することは……ずっと無いんだと思う」
額に当てていた手を下ろし、クラウドは目を伏せた。
「……失われた命は、取り戻すことは出来ない」
その言葉には、とてつもない重みがあった。ティファもまた、多くの救えなかった命を抱えている。大切な人を救えなかった苦しみは、分かっているつもりだった。
「でも……今、危機に瀕している命を救うことなら出来るかもしれない。それなら俺にも……出来るかもしれない」
「デンゼル?」
「ああ」
デンゼルが来てから、クラウドは少し変わった。環境が変わったことで、気持ちを切り替える事が出来たのかもしれないと思っていたが、ティファは他に気になることがあった。
「ねえ、デンゼルを連れて来た時、あなたが言ったこと覚えてる?」
ティファが訊ねると、クラウドは顔を上げてティファに視線を返した。
「なんて言ったんだ?」
「デンゼルは、俺のところに来たんだ、って……」
「それは……」
咄嗟に出た言葉のあと、クラウドは口を噤んでしまった。ティファから視線をそらし、答える事を躊躇っている。
「言ってみて? 怒るかどうかは、聞いてから決める」
誰にも言ったことは無かった。ただクラウドは、自分自身で勝手にそう思っていただけの事で、理解を得たいと思ったことも無い。だから言う必要は無いと思っていただけに、答えを求められると、正直困ってしまう。しかし、答えない限り、ティファは納得しないだろう。
「デンゼルはエアリスの教会の前で倒れてた。だから彼女が俺のところへデンゼルを連れてきたんだと思った」
クラウドはティファから視線をそらしたので、ティファがどういう表情をしていたのか分からない。早口で答えたクラウドに、ティファは間を作って言った。
「教会に行ったんだ……」
「隠すつもりは無かった」
言う必要が無いと思っていただけで、本当に隠すつもりではなかった。
「隠してた」
ティファの答えに、クラウドは更なる答えを探すことを諦めた。隠そうと思っていた訳じゃないけれど、理解を得ようとするのも難しそうだ。それなら、謝って片付けてしまったほうが早いと思った。
「悪かった」
「ダメとは言ってないでしょ。でも、今度は私も一緒に行く」
「分かった」
「それにクラウド、あなたは間違ってる」
ティファに言われなくとも、自分の考えは間違っているのではないかと思う時もあった。だから、クラウドは何も言わずにティファの話を聞いている。
「エアリスは、あなたのところへデンゼルを連れてきたわけじゃない」
「ああ……俺がそう思っただけだ」
「そういう意味じゃなくて」
クラウドは、怪訝な表情でティファを見た。ティファと目が合うと、彼女は小さく首を傾げて微笑んだ。
「エアリスがあの子を連れてきたのは、私達のところ、でしょ?」
そんなティファを見て、クラウドは懐かしさを覚えた。かつて、一緒に闘った仲間達の中にあった「ひとつ」の意識。星の命が危機に瀕していたにもかかわらず、仲間達と何かを共有している空間は、とても心地の良いものだった。エアリスがデンゼルを連れてきた、そう思っていた自分に同意してくれたティファ。もしかしたら、ここに居ない仲間達も、同じ事を思ってくれるのかもしれない。それは、姿が無くとも同じ思いでいることを感じさせてくれる瞬間だった。クラウドは心から安心し、表情が緩んだ。久しぶりに笑った気がした。
「……もう、休もうか? 明日も仕事、朝早いでしょ?」
「ああ……」
「デンゼルは、部屋に運んだから」
「そうか……」
クラウドは椅子から立ち上がり、ティファを先に行かせて部屋へ戻った。クラウドの部屋のベッドには、新しいシーツが敷いてあった。デンゼルの星痕の黒い跡がついていたのだろうか。そんなティファの気遣いに感謝しながら、クラウドは床に就いた。
* * * * *
数日後、リンネから連絡を受けたクラウドは、コスタ・デル・ソルへ向かった。ミッドガルで手に入れた薬を持って診療所を訪ねると、リンネは診療所のベンチに座って待っていた。
「クラウド!」
「これ……頼まれた薬」
「ありがとう。あ、先生には話してあるから、入って」
クラウドから薬を受け取ると、リンネは診察室にクラウドを招き入れた。二人が診察室に入ると、医師は立ち上がってクラウドに小さく会釈をする。リンネから薬を受け取り、中を確認して頷いた。
「今回も、これが必要になりましてね……助かりました」
そして、机の上に置いてあった資料を取り、医師は息を吐いてから話を続けた。
「リンネから聞きました。貴方が保護している子が、星痕に苦しんでいるという話も……。その子にとって何が一番いいのか、私も色々考えましたが……」
クラウドは、医師の話に頷いた。
「星痕には、現在は治療法はありません。正直、私一人がどうにかできる事ではない。でも、こんな所まで薬を持ってきてくれる貴方のために、何か出来ることは無いかと……」
クラウドもリンネも、黙って医師の話を聞いている。
「難病医療センターに居る私の同期に聞いて調べてみたのですが、今のところは星痕の症状のパターンと、試している治療法についてを記録している段階で、治療法は全く確立されていないのが現状でした。詳しくは、この書類に記録してある通りです。役に立つかは分かりませんが、これをお持ち下さい」
そう言って、医師は手に持っていた資料をクラウドに渡した。クラウドは資料に目をやりながら、医師の話の続きを聞いた。
「星痕は主に、子供や老人に発症する確率が高い。老人は、特に発症してから死に至るまで数日から数週間。子供は、すぐに死んでしまう子も居れば、長く患う子も居る。成人の場合は、潜伏期間が長く、発症すると激痛を伴い……」
資料に目を通していたクラウドは、ある記載に思わず息を飲んだ。
「……どうかしましたか?」
それに気づいた医師は、話をやめてクラウドの表情を見つめる。クラウドは眉をひそめ、その記載の部分を見たまま何も答えなかった。
--- 末期症状 幻覚
「クラウド?」
リンネに顔を覗き込まれ、クラウドは我に返った。
「この……幻覚っていうのは……」
医師に問いかけると、クラウドが見ていた資料を覗き込むようにして頷いた。
「末期症状だと聞いています。星痕の痛みが走る時、主に過去の幻覚を見る事が多いそうです」
数日前の事を思い出しながら、クラウドは息を吐いた。あの時、デンゼルは両親が亡くなった日のことを見ていたのではないだろうか。それは悪夢ではなく、幻覚だったとしたら……。
「……すみません」
それだけ言うと、クラウドは資料を握りしめ、診察室を出た。さらに診療所の外に出て、クラウドは空を仰ぎ、息を吐き出した。さざなみの音が、少しだけ心を落ち着けさせてくれる。
「クラウド、どうしたの?」
診療所から出たクラウドを追って、リンネは怪訝な表情でクラウドを見上げた。
「俺には……」
そして、首を横に振った。
「もう……時間が無いなんて思いたくないが……そうも言ってられないみたいだ」
「え?」
「末期症状だったのかもしれない……」
「どういうこと?」
「数日前だった……置いていかないでくれと、泣いて苦しんでいた。両親を……亡くした日の幻覚を見ていたのかもしれない」
「あなたが……保護したっていう子?」
「ああ……」
「そんな……」
クラウドは、苦悶の表情を浮かべながら目を伏せた。
「どうしたら……」
残された時間は殆ど無いことを知り、デンゼルにしてあげられることが分からなくなってしまった。
「今は……側にいてあげるしかないんじゃないかしら」
そう言ったリンネに視線を移し、クラウドは怪訝な表情を浮かべた。リンネは、そんなクラウドの視線を受け止め、言葉を継いだ。
「人を救うって、簡単な事じゃないもの……私は、良く分かってるつもり」
リンネの悲しそうな表情を見て、クラウドは拳を握り締めた。彼女は自分と同じ境遇の持ち主だ。おそらく、この世界には彼女だけではなく、大勢の人間が同じ境遇だろう。デンゼルも例外ではない。
「何か分かったら連絡するから、今は側に居てあげたら……?」
クラウドは、目を伏せたまま息を吸い込んだ。そして、自分を落ち着かせるように空を仰ぎ、息を吐き出す。
「……今は、何も考えられない。ただ……」
「ただ……?」
「いや……なんでもない。帰るよ。あの人に、礼を言っておいてくれないか?」
「あの人……先生のこと?」
「ああ……」
「分かった。また、薬の配達お願いすると思うし」
「ああ……」
診療所から徒歩でフェンリルを停めた場所まで戻り、クラウドは再び目を伏せた。このコスタ・デル・ソルの診療所だけではなく、他にも色々な場所で調べて回った。しかし、救う方法を見つけるどころか、デンゼルに与えられた時間がわずかであることを確証しただけだった。
--- ただ……自分の不甲斐なさに、絶望しそうだ……。
* * * * *
コスタ・デル・ソルを出てから、クラウドは自分自身の存在する意味を見失いかけていた。数日前、デンゼルが見ていた幻覚は、星痕の末期症状である可能性が高い。時間が無いという現実に直面し、気持ちばかりが焦って、光の見えないトンネルを走り続けているかのように思えた。
--- どうしたらいいんだ……。
誰にとも無く問いかけた。いや、それは無意識に、彼女へ向けた言葉だった。彼女は、いつもヒントをくれていた。本当の自分に問いかけてくれていた。会いたいと言ってくれた。
--- エアリス……。
彼女の微笑んだ顔が思い浮かんだ瞬間、クラウドの脳裏に閃光がよぎった。
「あっ……」
それは閃光では無い。彼女の体を貫いた刃だった。
心臓が早鐘を打つ。
一瞬で視界が真っ白に染まる。
あの男の不適な笑みが見えた。
--- やめろ!
「うっ……」
クラウドの左腕に激痛が走る。
皮膚の奥深くから、焼けるような痛みがこみ上げてきた。
「う、ああぁ……」
クラウドは思わず自分の左腕を掴んだ。痛みは更に強くなり、全身が麻痺したかのように動けなくなった。次の瞬間、バランスを崩したクラウドは、フェンリルから放り出されたように地面に転がった。激痛の走る左腕を抱え込み、体を縮めて痛みに耐えながら、クラウドは目を開けて視線を上に向けた。
「あっ……」
クラウドは目を見開いた。クラウドと頭を合わせるように、水の祭壇で倒れている彼女の姿があった。
「エアリス……」
酷く痛む左腕を何とか動かし、クラウドはエアリスに手を伸ばした。彼女の細く長い指先は、少しも動かない。クラウドは、更に手を伸ばし、エアリスに触れようと痛みを必死で堪えた --- 刹那、クラウドの左手に鈍い衝撃が走った。
「ぅあッ……!」
見ると、クラウドの手の甲に銀色の刃が突き刺さっていた。とてつもない痛みだった。わずかに指を動かすと、手の肉を貫通している鋭い異物に障り、左手から頭の先まで脈打つように痛みが走った。奥歯が痛むほどにきつく歯を食いしばり、止めていた息を吐き出し、肩で息をついた。目で刃の主をたどると、そこにあの男の不適な笑みがあった。
「クラウド……苦しいか?」
「くぅっ……」
左手は動かせないまま、クラウドは男を睨み上げた。
「どうした、命乞いをしないのか?」
「……俺の命は……もう、俺のものじゃない……」
「なに?」
「あの時から……俺のものじゃなくなったんだ……」
--- エアリス、君を失った時から……。
「ふん……」
刃が突き刺さった左手の傷から皮膚が黒く変色し始めた。
「あっ……あぁ……!」
クラウドは目を見開き、呻き声を上げる。その黒いものが何であるか一瞬で悟った。それは、星を蝕む厄災 --- 星痕に違いなかった。
左手に絶えず走る激痛に、クラウドは意識を失いかけた。目を閉じると、そこは闇のみが存在していた。そのまま闇に飲み込まれてしまいそうになると、クラウドの手をそっと握る誰かが居た。
--- 誰……だ……?
細い指先で、柔らかくて、暖かくて、でも解けないように握ってくれている手。懐かしくて、愛しくて、ずっと捜し求めていた手。
--- 誰だ……?
分かっているはずなのに、見えるのは闇ばかり。でも、その手は闇の中で、ただそっと、クラウドの手を握ってくれていた。
消え行く意識の中で、クラウドはその手を握り返した。
探していたんだ……ずっと……。
なのに、どうして君の姿は見えない……?
この手を離せば、深い闇の中へ吸い込まれるだろう。
そうする方が、どんなに楽になれるか分かっている。
でも、握り返した手を離すことは出来なかった。
二度と失いたくなかった。
意識を失う最後の瞬間まで、クラウドは手を離さなかった。
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