兄の婚約者

らっきょ太郎 作

兄の婚約者

 数日前の事である。僕の母親から着信があり兄の婚約者とホテルのディナーを食べる事になったので、お前も予定を開けて来いと言われた。僕は兄と付き合っている女性が居る事は全く知らなかったし、母と父も知らなかった。少しだけ詳しく聞いてみると、母も最近、兄から直接聞いたと言っていた。僕と兄との関係は特段、良いわけでもないし、悪いわけでもない。顔もそんなに似ていない、髪型も違う、進学した中学も異なる、声質もあまり似ていない。僕は寿司が好物だが、兄はスルメのような干物が好きだったし、僕が家でビデオゲームが好きだったのに対して兄は海岸に行って釣りをする事が好きだった。その所為か接点はなかったから、お互いの距離感は遠くもなく近くもなかった。そんな兄が婚約者を紹介する為に僕たち家族を飯に誘ったのは、不思議な感覚があった。不思議な感覚と言うのは昔、遊んでいた玩具がタンスの奥から出てきて、その玩具に付いているキズが何かの意味を語っているような感覚である。
 それで僕は取りあえず母に承諾の意思を伝えて電話を切った。その後、実家に帰る為に飛行機のチケットを予約した。格安のチケットを購入できた事は幸いだった。翌日、会社の上司に二日間程度の間は休みたいと言って申請した。自動販売機で甘ったるい缶コーヒーを一つだけ買い舌の上に注いで、考えた。そう言えば兄と最後に会話した日は何時だっただろうか? 思い出そうとしたが僕の記憶のカケラには何も映らなかった。コーヒーを飲み終えても何も思い出せない。それで、兄に会えるその日を待った。
 地元の空港に着いてからバスに乗り込んで久しぶりの景色を見ていた。想像していた通りではある。10代の頃に見ていた景色とはだいぶ変わっている。畑や空き地だった場所にはマンションが建っている。小さなゲームセンター場所にはコンビニストアになっている。狭い路地裏が消えて道が拡張されている。なんとなく時の流れを感じた。少し感傷的な気持ちになった所為か僕は実家に帰りたくなった。本当ならホテルに直行する予定になっていた。ホテルで飯を食い、そこに泊まり、次の朝に実家に帰ってゆっくりした後に夜の便で空港から出る算段であった。が、どうも実家に一度帰ってゆっくりしたいと思った。数年ぶりに帰って来たのだ。家の近くだって探索したい。僕は次のバス停で降りて実家の方向に進むバスに乗り込んだ。バスには運転手以外、誰もいなかった。

 旅行バックを背負って歩いていた。僕が想像していたよりも実家の近くの町並みは変化していない。相変わらず畑はポツポツとあるし、子供の頃に通っていた床屋も営業している。通っていた中学校の前も通り過ぎたが部活生の元気の良い声も聞こえてくる。校舎の正面の門の道向かいにある駄菓子屋の店主も軽トラからダンボールの箱を下ろしていた。細いアスファルトの道路を過ぎて歩いて行く。道がの勾配が上がって行く。僕の実家はちょっとした丘の上にあった。周りには畑しかない。見晴らしは良かった記憶がある。僕は少しずつ胸が高まって来た足を早めて進んで行く。畑には背の高いひまわりが植えられていた。その所為で実家の姿が中々見えてこない。まるで緑のトンネルを進んでいるようだった。すると、家の影がぼんやりと見えて来た。実家だ。僕の実家だった。僕は息を弾ませてそれを見た。
 黒い影は過ぎ去らなかった。家は黒いススであった。入り口には立ち入り禁止と書かれた札が書いてある。僕は理解が出来なかった。火事で半焼したそれは間違いなく僕の家であった。昨日にでも燃えたのか? しかし、家の庭や窓からは勢いよく成長した雑草が伸びていた。明らかに数年前に火事が起きましたと言っている風景である。口を軽く開けて呆然とした。空には大きな入道雲が浮いているのでそのギャップがさらに滑稽に思わせた。
 思わず僕は「意味がわからない」と言った。それで僕はその燃えカスとなった家に足を踏み入れた。柱や梁は激しく燃えた傷跡が伺える。家具や照明も燃えていたり、燃えていなかったりと疎らにそこにあった。床には太いアルバムが落ちていた。手にとって開いて見るが肝心な顔の部分が燃えていて何も分からなかった。
 そして僕は思った。数日前にあったあの母からの電話はいったい何だったのかと? 頭が混乱しているうちに僕の胸ポケットにある携帯が鳴った。僕はビクリとして反応した後に携帯を取り出して相手先を確認するが、僕の知らない番号が浮かんでいた。嫌に思ったが僕は電話に出る事にした。
 僕は「もしもし」とだけ言った。
 相手は「もしもし、甲田さんですよね」と言った。
 僕は「ええ。そうですが」と答えた。
 相手は「ホテルにはまだ到着していないのですか?」
 僕は「そうですが……。すいませんが貴方は誰ですか? まるで僕の事を待っている様に言いますが」
 相手は少し沈黙した後に「貴方のお兄さんの婚約者の者です。もう既に、お母様とお父様は来られていますよ。それに、貴方のお兄さんも、まだか、まだかと言っていて少々不機嫌になっているんです。申し訳ありませんが、貴方は今、何処にいるんですか?」
 僕は何だか気味が悪くなった。それで答えた「なるほど、兄の婚約者の方でしたか。しかし、どうして貴方が僕に電話をするんですか? 僕の母か父が電話を寄こせばいいのに。それに何だかイラついている様に感じますよ。貴方の息遣いと言うか、声のトーンと言うか。いや、焦っているって感じもしますね」
 婚約者と名乗った女は再び沈黙した。しかし今度は長い沈黙だった。まるで深い穴の底と通話している様に感じた。
 それで相手は言った。だが、今度は女の声でもない男の声でもない、冷ややかな声だった。
「お前、もしかして家にいるのか?」
 僕は思わず「なッ……」と反応してしまう。
「家にいるんだな」
 僕はその言葉を聞くとスグに電話を切って、一目散に焼け焦げた玄関の扉を押しのけて外にでた。ヒマワリ畑のトンネルを突き抜けようとするが、僕は辞めた。嫌な予感がしたからだ。それで家の入り口とヒマワリのトンネルが見える離れた場所に進み、ヒマワリの茂みに隠れて息を潜めた。それから嫌な予想は的中した。そうしている内にトンネルのヒマワリが動くのが見えた。あのままトンネルを通っていたら鉢合わせていただろう。茂みを搔きわける音が聞こえる。と、黒いブーツを履いた何者かの足元が見えた。僕は伏せているからブーツから上は全く見えなかったし、見ようとすれば、見つかってしまうと思い地面から頭をあげれなかった。何者かは焼けた家に中に入って行く。戸を開ける音が聞こえた。

 僕はこの時、兄や母や父と最後に会話した内容を思い出そうとした。しかし、何も思い出せない。そして、この僕の実家に起きた出来事は一体何なのか? 口が渇いている事に気づいた時であった。僕の胸ポケットから着信が鳴った。そして燃えた戸口の方から無機質な声が聞こえた。

「久しぶり」

兄の婚約者

兄の婚約者

  • 小説
  • 掌編
  • 冒険
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2018-07-16

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