リラの花が咲く頃に第10話
おはようございます、またはこんにちは、
かぐらゆういです( ̄▽ ̄)
第10話更新できました。読んでくださっている方がいらっしゃいましたらおまたせしました。
では、どうぞ!
「恋愛で後悔しない為に大切なことは」
「パパ…!目を覚ましてっパパっ!」
忘れ物を取りに行くと言い戻った慶一は頭から血を流し倒れていた。首にはスタンガンを押し当てたと思われる火傷があった。
佳奈子は救急車を待っている間、心臓が弱い慶一のことを思い、心臓マッサージを施した。
5分と経たないうちに館内は騒がしくなり、救急隊員がドタバタと駆けつけ慶一は運ばれた。事情を知った知世が野次馬をかき分け佳奈子の元に来た。
「佳奈子、大丈夫…?びっくりしたでしょう?」
知世の声を聞いた瞬間、張り詰めていた緊張の糸が解けて力が抜けたのか倒れた。
「…佳奈子っ!」
知世のしっかり抱きとめられ、佳奈子は我に返った。
「めまい?ちょっと休んだ方がいいんじゃない?」
「大丈夫だよ、立ちくらみしただけ」
ゆっくり深呼吸をし知世から離れると態勢を整えた。
施設前に停まる救急車から隊員が声を上げる。
「ご家族の方どなたかいらっしゃいますか?」
「どなたか付き添っていただけますか?」
たったひとりの父親のために佳奈子が行こうとする。
「私、行く」
先程立ちくらみを起こしたばかりだ。佳奈子では心配だと知世は腕を掴んで止める。
「だめよ、さっき立ちくらみ起こしたばかりじゃない」
「でもパパがーー」
掴む手を振りほどいてでも行こうとする佳奈子を知世は必死で行かせまいとする。
「ここはママに行かせるべきだわ!“妻としての仕事”を全うするために」
「“妻としての仕事”…⁈」
「ママは結婚してから何にもしていない。慶一さん、パパはずっと嘆いてた。宗教にのめり込んで家事なんてひとつも、皿洗いすらしないって。夫であるパパに尽くしたことなんて一度もないの。だからせめて付き添いだけでもさせなきゃ」
知世の言葉には納得いくものがあった。
確かに母親である佳苗(かなえ)は妻としても母としても失格だった。一緒に住んでいたからこそわかる、と言うものだ。
知世は会員人混みの中にいるであろう佳苗を呼んだ。
「猫宮佳苗(ねこみやかなえ)!いるなら夫に付き添いなさい!佳苗!!」
呼んでから間も無く佳苗は会員の人混みを掻き分け2人の前に現れた。
「うるさいわね姉さん。ここはマグロのたたき売り市場(しじょう)じゃございませんのよ」
相変わらずな態度の妹に知世は心の中で小さくため息を吐いた。
今日の佳苗は施設にいるためかキャビンアテンダントを連想させる濃いめの化粧に、見栄を張るだけのCHANELづくめのファッションで身を固めている。Fカップはあろう胸元には宗教団体会員の証である金のペンダントが目立つ。
「相変わらずなご様子みたいね。はんか臭い見栄を張る癖も」
「ふん。はんか臭くなんかないわよ、本物だし?夫がご覧の通りだから挨拶はまた今度」
ごめん遊ばせといかにもエセ感のある上品さと作り笑顔を振りまきながら佳苗は人垣をかき分け救急車に乗り込んだ。
「あの感じじゃ慶一さんのお金しか愛してない感じね。『今死なれたら私、生活できないじゃない』とか言いそう…」
黙っていた佳奈子が呟くような小さな声で聞く。
「愛とか宗教ってなんなのかなぁおばさん…」
その事に関しては知世が聞きたかった。この世に神が居るならば真っ先に聞きたいことだ。
「お金さえあれば…って考え、私は嫌いだよ。お金さえあれば確かになんでもできるかもしれないけど、人の心や国までお金の力で物言わせて手に入れようとするのは違うと思う。せっかく頑張って稼いだお金をお布施なんて言って10万単位で取るのはおかしいよ。そんなの、宗教なんかじゃない、立派な詐欺よ…」
佳奈子の目に涙が滲む。
会員たちから白い目で見られようが構わない。
「私、将来ちゃんと機能した家族を作る。宗教とかお金で繋いでる様な家族じゃなくて、心と心で繋がってる様な…そんな、愛で機能してるあったかい家族を…」
涙が溢れ止まらなくなった佳奈子を知世は抱きしめる。
「作ればいい…成人したら先生と作ればいいじゃない…!この人たちに本物の家族の幸せ、見せつけてやりなさいよ!新興宗教なんかなくたって幸せになれるって証明するのよ!」
2人で涙を流しながら抱きしめ合う。その姿はまるで絆の深い、愛に溢れた母娘だ。
「困ったわ…私運転できないわよ」
知世は運転免許を持っていなかった。
慶一が倒れてしまい、帰る手段はバスと地下鉄、タクシーのみ。なるべく早く諒を坂内家に送り届けてやりたいのだが、降り続く雪と真冬の凍てつく寒さは更に強まっている。
「あ、れなは確か…」
れなは大学入学ともに免許を取っていたが…
「ごめん…まだ人乗せれない」
取得してからまだ1年経っていなかった。
「そっか…」
佳奈子はコートのポケットからスマホをとりだしタクシーを呼んでみることにした。丘珠まで5000円以上は多めに見積もりながら…。
「あ、もしもし、タクシー1台お願いしたいんですけどーー」
しかし、悪天候のためか1時間、または2時間待ちと言われたりとタクシーがなかなか捕まらない。
「困ったなぁ…避けられてるのかなぁ…」
知世が首を振る。
「そんなことはないと思うわ。ここらのタクシー運転手さんはこの施設のことを避けたりはしないらしいわ。坂の下のバス停まで届けてくれたり、近くまできて駅までってことも可能って聞いたことあるから天候のせいだと思う。山の天候は変わりやすいから」
れなはふと疑問に思った。
「乗客拒否しないのね。てか知世さん、誰から聞いたの?」
「昔、私を好きだって言ってきた人がここの会員でね…色々教えてくれたのよ。ストーカー気質で嫌だったわ」
知世はこの宗教団体によって実の妹とのことのほかにも色々振り回されている様だ。
「思い出したくなさそうだね…」
そんな中、佳奈子はまたどこかに電話をかけている様子だった。片っ端からタクシー会社にかけたはずだが、他もまだ当てはあったのだろうか。
「…ほんと?ありがとう!待ってる、気をつけてね」
れなは気づいた。佳奈子は先生を呼んだのだと。
「佳奈子、もしかして…先生?」
「うん、ダメ元でね」
「先生にあんまり無理せない方がいいんじゃないの?今回はしょうがないとしても、先生社会人だしお医者さんなんだから。開業医だから融通きくのかもしんないけど…」
医者という職業柄忙しいイメージがあるためれなは止めたいところだが、佳奈子が呼んでしまったあとだし、この悪天候でタクシーが捕まらないのだと半ば諦め頼ることを許した。
救急車を呼び、無事運ばれたと他会員に聞いて
安堵した大柳は、自身の宿泊部屋に戻って休もうと階段を登っているとみゆに遭遇した。
「あら、大柳くん…」
「桜間さん…」
みゆを目の前に大柳は鼓動を高鳴らせていた。彼は教団内でみゆと知り合ってからこの数年間彼女のことを好きなのである。それはまさに初恋で、彼女の独特な性格と美しい容姿、そしてその身から放たれる年不相応な色気は女性の生体を知らない彼にとってかなり刺激的なのだ 。
「私の為に、ありがとう。あなたはよく働いてくれたわ。評価する」
「ありがとうございます。さ、桜間さんの為ならなんだってしますから…僕」
「ほんと、そうね」
慶一の首にスタンガンを当て、大口ハンマーで頭部に殴打したのは大柳であり、みゆの指示によって行った犯行だった。
「私のわがままで…あなたに戒律を破らせてしまって…殺生の罪は重い、本当にごめんなさい」
「いいんです。僕は桜間さんの命に逆らえません…だってーー」
大柳がなにか言い終えるのを待たずしてみゆは彼の腕に擦り寄り抱きしめた。みゆのDカップの柔らかな胸が腕に当たっている。
「ねぇ、大柳くん…」
「は、はい…っ!」
「今日お泊まりでしょう?お部屋、どこなの…?」
「えっと…ですねー、に、2階のーー」
女性経験のない大柳にこんな状況はこれまでの人生ではありえず頭の中が真っ白になっていた。
憧れのみゆの柔らかな胸と温もり、息遣い…彼女の全てを間近に感じることができ、人生の絶頂を迎えた気分になっていた。
「こ、ここです」
みゆを部屋に招き入れ、扉を閉める。
密室に2人きり…みゆからムスクの香りが程よく香ってくる。リラの香りにいているというムスクの香りは数年前の6月上旬、2人の出会いを思い出させる。
大柳は誰かが言っていた言葉を思い出す。「女の子と2人きりになったら男は面白い話でもして退屈させてはいけない」と。何かはなさなくては…!
「今日の先生の御法話、最高でしたよね!あの有名女優がまさかオードリー・ヘップバーンの生まれ変わりだなんて思いませんでしたよ!!」
話しながらみゆをベットの脇に座るよう促す。
饒舌になった大柳の話をみゆは笑顔で聞いていた。
「いやぁ、それにしてもやっぱり先生はさすがですよ!神は再誕していると北海道、いや、全国、全世界に大声で発信したい!!ねぇって…桜間さん⁈」
大柳の話を聞きながらみゆは徐々に距離を縮めていて、気づいた頃には体が触れ合っていた。
「大柳くん…あのね…」
「は、はい…?」
大柳の色白で細長い指に触れ、キスをする。それはまるで愛おしいものにする様な優しいキスだ。
「大柳くん…私、あなたのこと、大好きよぉ…」
指にキスをした唇は大柳の上腕二頭筋辺りにキスをし、やがて驚きで半開きとなった唇に重なる。
大柳にとって初めてのキスだった。幾度となくこのキスを想像したことだろうか。実際のキスはあっけなく終わった。もっと、もっと、その唇が欲しい…!
「桜間さん…!あ、愛してますっ!」
大柳はみゆの唇を貪る様にキスをした。次第に唾液が絡み合うほどの濃厚なキスに変わり濡れた唇同士が生々しく高音を奏で始めると、みゆも興奮してきたのか大柳の唇を貪る。
2人の間にもう境界線はない、そう感じるほどの“人間の動物的本能”で互いを求めあっていた。が、それは大柳だけが感じていたのかもしれない。
興奮しみゆの胸を弄り始めた大柳の首にスタンガンを長く押し当てた。大柳の体に電流が流れる。
「…!さ、さく…らま…さん…」
薄れゆく意識の中で大柳の瞳に映るのは、ずっと恋い焦がれていたみゆの狂ったニヒルな笑み。
「お疲れさま。あなたはいい駒だった。でもこれでさよならよ」
左手で硬く拳を作ると大柳の鼻、顎、喉の急所を目掛け思いっきり数回殴打した。大柳の美しい顔は血みどろに塗れ所々骨折、体はベットの上に大きく倒れ気を失った。
「残念ね。私あなたの顔とピアノの才能は好みだけど、なんだか気持ち悪くてしょうがなかったわ。これでしばらく当分顔見なくて済む」
部屋を出ると、みゆは何食わぬ顔で静けさを取り戻した1階ロビーへと向かった。
礼拝堂から慶一の回復を祈願する会員達のの声が聞こえてくるが、みゆはそれを無視し下駄箱で真っ黒なサイハイブーツを履き外に出た。
「私の…諒くん」
コートを着ずワンピース姿でふらふらと歩き出すと、みゆは鬱蒼とした林の中へと消えて行った。
しばれる、そんな北海道方言がしっくりと当てはまる天候の中、先生を待つ佳奈子達は暖房の効いた慶一のハイエースの中で暖を取っていた。体力的に限界を迎えている諒は腹いっぱいセイコーマートのホットシェフ弁当などを食べたのち、後部座席の真ん中で膝掛けなどに包まれて眠っている。
諒のことも心配だが、佳奈子はしばらく会っていない先生にもう少しで会える、また、度重なるトラブルやみゆへの恐怖心から先生の優しさに甘えたくなっている気持ちでいっぱいになっていた。そのせいか、気持ちが態度に出る。
「大丈夫、雪で視界も悪いし道も混んでるのかもしれないけど、聊斎先生ならきっとすぐ来るわよ佳奈子…あら?」
噂をすればなんとやら、だろうか。ナナカマドの実を連想させる様な真っ赤なアリオンが急な坂を登ってきた。
「あ、先生がきた」
先生の車だ。
「先生!」
愛しい恋人の登場に心を弾ませ、車を降りた。
佳奈子が先生の元に駆けよろうとしたその時だった。先生が何かに気づきクラクッションを鳴らす。
ーーブブー!!!ブー!
クラクッションだけでは気づかないので声を上げた。
「佳奈子!後ろ!今こっちに来ちゃダメだ!」
「え…?ーー」
佳奈子から見て左斜め後方、林の中から何者かが深々と降る雪を振り切るように走ってくる。
ーーどさっ!!
真っ白な雪原の上。何者かが息を荒げ佳奈子に覆いかぶさっている。獣ではない、
「ミュウ…!?」
佳奈子に覆いかぶさっているのは、般若の如く凄まじい形相のみゆだ。左手と真っ白なワンピースの左袖は返り血で真紅に染まっている。佳奈子は息を飲む。
「私の諒くんを返して!」
みゆは佳奈子の腹の上に跨り馬乗りになると、般若の如く凄まじい形相は更に恐ろしいものになった。歯を食いしばり、元々大きな目は大きく見開かれ、佳奈子を食い気味に見ている。
「私から諒くんを取らないで!!諒くんは私のもの、あなた達から絶対取り返すわ!どこ!諒くんをどこに隠したっ?!」
怒りで興奮しているみゆの左手は、大柳を殴った時と同じく硬く握られ、小刻みに震えている。その小刻みに震える手をみゆは大きく振り上げた。
佳奈子は感じた。みゆから赤黒く煮えたぎるマグマの様な殺意を。しかし、ここで怯んでは負けだ。
「殴るの?いいよ、殴りたきゃ好きなだけ殴ればいいべさ!その代わり、もう二度とあんたのこと仲間とは思わないし、誰も助けもしないから!」
佳奈子の最初で最後の警告だ。ここで佳奈子を殴ればみゆは二度今までの関係では居られなくなる。
が、その警告さえみゆには通じなかった。
「構わない。最初からあんたらなんて仲間とか友達だなんて思ってないから」
その言葉に佳奈子は雷に打たれたような衝撃を受けた。
風俗の闇に堕ちていた同級生みゆを助け、バイト先であるれなの家に住み込みで置いて衣食住を与えたのは佳奈子達だ。更にシンガソングライターの夢も叶って、中学の時から好きだったという諒とも結ばれたではないか。それなのに、この女は…。
「何よそれ…こんなのって、酷いじゃない!あんまりだよ!」
「黙れオタク。あんたがずっと邪魔だった、目障りなの。あんたがいなけりゃ…あんたなんかいなけりゃ、優しい諒くんは最初から私のものだったのに…!」
ーードシャ…!
高く振り上げていた拳を佳奈子のこめかみ目掛け落としたが、佳奈子が上手く避けた為雪の中に沈んだ。佳奈子の長い髪の毛が左手に絡む。
「っくっそ!」
ーーガサァ!
再び拳が降ろされる。しかし佳奈子が上手く躱(かわ)す為いつも的確に入るはずの拳は外れる。
「なんで…⁈なんでお前は死んでくれないの⁈なんでいつもお前だけは幸せなんだよ…!なんで五体満足の私より右耳の聞こえないお前が幸せなんだよ…!」
みゆは絶叫した。目からは涙が溢れる。
きっと阿鼻叫喚地獄(あびきょうかんじごく)があるとするならばこんな不幸せな叫びが聞こえてくるのだろう。
しかし、みゆが思っているほど佳奈子だって幸せとは思っていないしそれを不幸とも捉えていない。
「あんただけが不幸なんかじゃない。あんたは確かにご両親も育てのおじいちゃんおばあちゃんも早く失って天涯孤独だったかもしれない。本当は知らないおじさん達に体を弄ばれることなんていやなのに天職だって自分に言い聞かせて働いてたんでしょう?辛かったのはわかってるよ。でも、だからって人の幸せ妬むのは違うと思う。
あんたに妬まれるほど私も幸せでもなければ不幸でもない。みんなそれほど本当は幸せではないかもしれないよ?」
他人はこちらが思っているほど本当は幸せではないかもしれない。隣の芝生は青く見えるもの、不幸な自分の隣に幸せそうな誰かがいても、一見幸せに見えて本当はその人も違う不幸を背負っているかもしれない。
「だから、妬んで人を殴るのやめよう?自分をもっと不幸にしちゃうよ」
佳奈子はこれで妬むこと、人を殴ることをやめてくれるはず、そう思った。しかし、その思いは甘かった。
「うるせぇ、黙れよ」
ーーバリバリバリッ
(スタンガン…!)
みゆの右手にはスタンガンが握られていた。
「お前なんか痛めつけてやる!」
通電される、佳奈子は覚悟を決め目を閉じた。
ーードザッ
「…きゃあっ!!」
(…え…?)
佳奈子は何が起きたのかわからなかった。
「大丈夫か佳奈子っ⁈」
「先生…!」
気がつくと佳奈子は先生に抱き抱えられていた。
通電しようとしていたみゆは雪の上に仰向けの状態で転がっている。
先生が佳奈子とみゆの間に割って入るような形で佳奈子からみゆを引き離したのだ。
「…先生…ひゃっ!」
「逃げるぞ!」
佳奈子をお姫様抱っこし立ち上がると先生は車に向かって雪原を走りだした。
しかし、あとからみゆが追いかけてきた。
「先生っ!後ろからみゆがっ!」
「はっ?!」
雪原とはいえリレーの選手だったみゆの足は早かった。
手には果物ナイフを持っている。
「先生っ危ない!!」
佳奈子を抱き抱いている先生には不利な状況だ。このままだと後ろから刺されてしまう。
「いやああああああああああっー!!!」
佳奈子の叫びがこだまする。
先生の足が縺れ、佳奈子を抱きかかえた状態で転んだ。
絶対絶命、ハイエースの中で見守っていた知世とれなは息を飲んだ。
誰もが最悪な状況になると思った次の瞬間ーー
「17時34分。桜間みゆ現行犯逮捕。手錠嵌めて」
ーーガシャンッ
数名の北海道警察に取り囲まれたみゆの手から果物ナイフが落ち、後ろ手に手錠が嵌められた。
「…なんで?え?…なんでだよ!なんでサツなんかくんだよ!誰だよ呼んだのは⁈おい!離せや!」
連行されながらみゆは暴れ、叫んだ。
その叫び声で諒が目を覚ます。
「…ミュウ!」
諒は急いでその後を追いかけようとする。
「諒!もうあの女はっーー」
れなは諒の腕を掴み止める。しかし諒はその腕振りほどきみゆを追う。
「ごめん、行かせてくれ!最後にあいつに言いたいことあんだ」
諒の目は本気だった。最後に別れ告げたいのだろう。
「…わかった。行きなよ」
掴んでいた手を離し左後部座席の扉を開けて降りてやると諒はみゆの元へ駆けて行った。
「ミュウ!」
警察とみゆの動きが止まる。
「ミュウ、短い間だったけど楽しかったよお前との半同棲生活。飯も美味かったしさ。監禁されたのはびっくりだったけど」
みゆは振り向いた。その唇は小さく震え、目には涙が浮かぶ。
「…俺、お前のこと好きだった。本当はずっと佳奈子じゃなくてお前に片想いしてたんじゃないかって勘違いするくらい、好きになってた。だから、ここでさよならとは言わねぇ。またいつかバンド組んでライブしよ」
諒からの最初で最後の「好き」だった。
みゆの目から大粒の涙がひとすじ、ふたすじと流れる。
「…うん、またしよう」
みゆは連行され、彼女を乗せたパトカーは坂を下り、深々と降り続く雪の中へと消えていった。
真っ赤なアリオンは山を下り暫く走ると、大通公園を右手に見ながら東区方面に向かっていた。
暖房を効かせた車内は暖かく諒が再び眠りに就いている中で佳奈子、れな、知世の3人は流れる札幌の街並み、主に大通公園を眺めながらそれぞれ物思いに浸っていた。
大通公園は札幌市民にとって何かしらの思い出のある場所。そこには家族や友人、恋人…それぞれの関係で結ばれた人達が共に憩いの場として訪れ、思い出を作り、交差しているのである。
佳奈子は幼少期まで遡り、知世と祖父母に連れられ遊んだことを思い出していた。
知世に買い与えられたよそ行きの赤地に白の花柄のワンピースに赤いリボンの革靴。佳奈子お気に入りのファッションだ。
祖父母に買ってもらったしゃぼん玉を飛ばしたり、とうきびワゴンで購入した焼きとうもろこしを頬張りながら鳩と戯れたりした思い出が次々と思い出されるが、そこには両親の姿はなかった。
れなも同じく幼少期まで遡った。
コンビニ経営で忙しい両親に代わり、当時小学生だった兄も一緒にとても優しかった祖父に連れられて訪れた。
祖父に買ってもらった焼とうもろこしをを兄と2人仲良くベンチに座って食べていると、一羽の鳩がれなに寄ってきた。かわいらしい姿に負けとうもろこしの粒を分けてやっていたが、鳩は食べ終わり飛び立つ瞬間、れなに向かって粗相をした。それはれなのお気に入りの麦わら帽子についてしまい、お気に入りを汚されてれなは泣き出してしまった。
見かねた兄はれなを地下街に連れ出し、祖父に貰っていたお小遣いで新しい麦わら帽子を買い与えてくれた。
「お兄ちゃん、ありがとう」
「なんも」
地下街からまた公園に戻る際、2人はテレビ塔の地下を通って上がることにした。
花園だんご横にあるエスカレーターを上るとお土産店やラーメン屋など観光客向けの店が並んでいる。そのお土産店でれなの目にあるものが目に留まった。
「これ、何?お兄ちゃん」
「テレビ父さんだよ。お前、知らねーのか」
柔らかなタッチの赤いテレビ塔に描かれた朗らかなおじさんの顔に緑の腹巻き…ーー
優しい朗らかなお父さん…れながテレビ父さんに一目惚れした瞬間だった。
「欲しいの?」
「え?」
「欲しいなら買ってやるよ」
兄はテレビ父さんの手の平サイズのぬいぐるみをレジに持っていくと、さっさと会計して渡した。
「ありがとう…」
「こんなんのどこがいいんだか…」
あの時の兄はぶっきらぼうの中にどこか思いやりがあった。そして、今でも買ってもらったぬいぐるみはいつでもバッグの中に入っている。
(お兄ちゃん…)
放蕩野郎になってしまった兄は今どうしているのだろうか…。れなはテレビ父さんを握りしめた。
大通1丁目に近づいてきた。煌びやかなイルミネーションに彩られたテレビ塔が知世の瞳に映る。
(あの人との思い出の場所…)
知世は十数年前の恋人との過去を想起した。
あれは道ならぬ恋…目にうっすらと涙が浮かぶ。
待ち合わせはいつもテレビ塔の下で午後9時。
仕事を早く終わらせて会いにいく隔週の金曜の夜。会社の人間に関係をバレぬよう社内では挨拶を交わすだけに留めていた為にすすきののネオンの闇に紛れればそこは2人だけの世界。
コンビニで缶ビールとつまみを買い、いつものラブホテルで晩酌する。ほろ酔いになったところで2人は情欲に溺れた。
彼が周りや奥さんには接待や会社の飲み会と言って嘘をついていることくらい知世にはわかっていた。そのことが徐々に知世の良心を傷つけ苦しめていき、耐えられなくなった。
2月のある夜。ちょうど今日だった。
「両瀬さん、話があるの」
「なに ?」
「私、隠れてコソコソ付き合う関係は嫌だわ。奥さんにも悪い…別れましょう」
別れを切り出した瞬間、いつものラブホテルの部屋の空気は冷たく張り詰め、2人の関係に終止符が打たれた。
「今まで君と甘い時間を過ごせて本当に楽しかった。会社ではこれまで通り挨拶ぐらいで、ね」
終わった…別れましょう、その一言で。
(でもこれでよかったんだ、これで…)
あれから十数年経った。知世は記憶の中に彼を封印し続けてきたが、今日に限っては思い出してしまった。止まらぬ涙が頬を伝い街灯の明かりに照らされて煌めく。
隣で眠っていた諒が目を覚ます。気づけば知世が隣で泣いているではないか。街灯の明かりに照らされ知世の横顔は40代後半とは思えないほど美しく、19歳の少年の諒は息を飲んだ。思わずそっと知世の手を握ってしまった。
「諒くんっ…?!」
諒は恥ずかしさで握っていた握っていた手をパッと離した。
「諒…まさか…?」
感の良いれなは諒が知世の美しさに見惚れ思わず手を握ってしまっていたことに気づいていた。
「そ、そんなんじゃねーよ…おばさんが泣いてるから…」
「わかってるって。でもおばさん、綺麗だもんね。さすが佳奈子のおばさん」
バッグからお気に入りのテレビ父さんのタオルハンカチを取り出し知世に手渡す。
「あら、ありがとうれなちゃん…実はね、昔よくテレビ塔の下でよく待ち合わせしてたのよ、不倫だったけど…」
「おばさんが…不倫…?!」
「…ええ。でもね、周りに嘘つくのが耐えられなくなっちゃって私の方から別れましょうって切り出して終わったの。10年以上も前の話だから話せる」
助手席で聞いていた佳奈子も聞いたことのない話で内心驚いた。恐らく隣で運転しながら先生の耳にも入っているはずだと思い、佳奈子は先生を見た。信号が赤になり止まった所で先生も佳奈子を見た。複雑そうな表情である。
「…大丈夫か?」
先生は小声で佳奈子を気遣った。
それに佳奈子も小声で答える。
「うん。少し、驚いてるけど」
戸惑っている様子の佳奈子の手を先生はそっと握った。その優しさが佳奈子には嬉しかった。
信号が青に変わり、先生の手が離れる。
「大人になると生きているうちにどんな人でも人には言えない過去や罪悪感を背負うことがあるんだよ。俺にだってある。例えば本当は佳奈子と俺の関係は他の人には公にできないわけだし…受け入れるしかないよ」
佳奈子と先生の関係は不倫ではないが本来ならば許されない関係にある。しかし「聊斎先生なら」と、何故か受け入れられてしまっている節があるのだ。
佳奈子の20歳の誕生日まであと半年程…今日までバレずにいるのは運が良かったとしかいえないのではないか。
「彼はいつも必ず5分、10分遅れてくるの。絶対約束通りになんて来なかった。でね、来たらそっと後ろから抱きしめて「待たせてごめんね」って。優しくにこってされたら若かったのかなぁ、許しちゃってたのよね。
今でも北村一輝が笑うと思い出すわ…ほんと、かっこいい人って罪よ」
かっこいいは罪…確かにわからなくもない。実際に先生もかっこいい。
でも、先生はその人とは違う、佳奈子はそう思った。先生はどんなに忙しくても佳奈子との待ち合わせ時間は守ってくれるし、遅れるときは必ず連絡を入れ佳奈子が困らないようにしてくれる。今回は東京での学会帰りで新千歳空港からの帰り道だったにも関わらず、電話に出た清田区里塚付近から少しスピードを上げて助けに来てくれた。今に至るまで彼は疲れた表情ひとつ見せていない。そんな大人の彼を佳奈子は更に好きになった。
信号が青に変わり、テレビ塔はゆっくりと流れ視界から消えて行った。車は創成川を渡る。
「不倫だったし別れを切り出したのは私だったけれど、愛してた…愛してたわ両瀬さん…本当に」
佳奈子は気づいた。知世が結婚できていない原因は佳奈子の母親代わりをしているからだけでなく、10数年間経っても消えない罪悪感と彼を愛していることが知世を縛り付けていたからだった。
「おばさん…今その人は…生きてるとか聞いてるの?」
れなは恐る恐る聞いた。
知世は涙を拭いながら答える。
「…3年前に前立腺ガンを患って亡くなったって聞いたわ、彼との関係を唯一知ってる私の上司に」
愛していた彼は不倫だった上、この世から去ってしまっていた。体は過去に結ばれていても、愛は永遠に結ばれることはないのだ。
彼にとって遊びだったかもしれないが、知世にとってはは本気だった。それだけ愛していたからこその涙だとれなは感じた。本当はその人と結婚して家庭を築きたかったに違いない。しかし、知世には既にそれができなかった“2番目の女”であり、愛してしまった罪は重かったのである。だから現在に至るまで孤独に涙を流さなくてはいけないのだ。
「佳奈子…」
「え…?」
突然知世は助手席の佳奈子を呼んだ。
「佳奈子は…佳奈子は、ちゃんと先生との愛を貫き通して幸せになるのよ。これからどんな邪魔だの障害が出てきても一生懸命先生を愛し、信じ続けるの、おばさんの様に後悔しない様に」
知世が言うと妙な説得力があった。知世以外の一同がそう思った。
佳奈子は先生に目を向けた。愛おしい彼の横顔がそこにある。
「…わかったよ、おばさん。後悔しないように私なりに一生懸命この人を愛し続けるね」
佳奈子の誓いの言葉に先生の耳が赤くなった。
嬉しさ半分、本人にとっては恥ずかしさもあるのだろう。
車は東区に入った。
諒、知世とれなの順に送り届け、佳奈子は知世の許可を得て先生と2人だけの時間を過ごすことにした。
声を立てずに先生の部屋に入るとそこは2人だけの“城”となる。
「先生…」
「なした?」
佳奈子は先生に抱きつく。
「…早く…早く大人になりたいよ、先生」
先生に抱きつく腕の力が次第に強くなる。
「待ってるよ、俺は待ってる。佳奈子が大人になったら…」
「なったら…?」
「まずは同棲1年くらいしよう。関係が今のように良好のままなら、結婚する」
佳奈子の額に額をくっつけると、先生は長めののキスをした。佳奈子は再びキスをねだる様に上目遣いで見つめる。
「…欲しがりか?」
粘膜同士が張り付いては離れる音が静寂な部屋の中で響く。
佳奈子の腕が先生の首に回せれると2人の愛の確認の儀式が始まった。
暫くの間会えていなかった時間を埋める様に2人は愛し合い、確認し合った。
しかし翌朝、佳奈子は先生に隠されたある悲しい過去を知ることとなる。
ーーピンポーン
「聡!起きてる?いるんでしょう?!」
学会の疲れがたまっているせいか先生は起きない。
2人分の朝食を作っていると、外から女の声がしてきたのだ。
(先生…暫く会ってないうちに…そんなこと…)
佳奈子の胸に不安の渦が立ち込め始めた。
東区苗穂町に悲しくも不穏なメロディーが流れ始めた。
リラの花が咲く頃に第10話
最後までお読みくださいましてありがとうございます!
次回もよろしくお願いします!