Fate/defective [×××]:05
溢れ出る、溢れ出る。
吹きかえす、吹きかえす。
知らないはず誰かの顔に胸が締め付けられる。知らないはずのどこかの部屋に、奇妙な衝動に駆られる。
会いたい。一緒にいたい。
忘れていた喜びを、忘れていた笑顔を。
……手にしたい。
嫌だ、嫌だ。置いていくな。
叫んでも無駄だとはわかっていた。
だから、口を塞いだ! なのに!
置いていかれるとわかっていながら、どうして。
どうして、大切だなんて思ってしまったんだ!
ナツグは嘔吐いた。暴れ回りたい衝動と、胸を焼くような渇望と。今の今まで知らなかった、わからなかった全てが胸の内から溢れ出て止まらない。
「あ゛ぁ……ッ! ……はぁっ……あ゛……!」
手負いの狼を思わせる濁った音が、彼の喉から吐き出される。しかし、何一つ外へと解放されたものは無かった。内側から溢れていく何かが、外に出てはいかないせいで、膨れ上がっていく。窒息しそうだった。
「……面白いワ! やはり、元はニンゲンだからカシラ?」
脳髄を刺激する耳鳴りのような声が頭の中を埋め尽くす。
「」
この死に体を晒す原因になっている誰かに抗議しようと口を動かした。呻きや叫びは音に変えた喉が、今だけは静かになる。使えない声帯だ。
「“何をした?”って言ったのネ! ワタシにはわかりマス!」
目を開いても、気味の悪い気配だけがよくわかるだけで、暗い闇といって相違なかった。
闇が蠢いて、藻掻く自分を侵蝕していく。
「別になんてことはないのデス! 軽い興奮剤? みたいなモノです! こんなに効くとは思いませんでしたが!」
女の声だ。闇の中を身の内の衝動で暴れ回りながら、それだけはなんとか理解した。声は歪み、遠のいたり近づいたりしながら鼓膜に響く。耳を塞いだはずが、その手をすり抜けて頭の奥へ抜けていく。
アノ聖杯ノ機能ヲ反転サセテミタのです
欲望ヲ濾シ、無欲ヲ生ミ出ス機構ヲね
欠片ノ欲望ヲ増幅サセテ、
本性ヲ暴キ出ス機構二ね
素晴ラシイ出来二ナリました!
頭の内側にめり込むような、超音波と錯覚するような声。内容を理解することは叶わなかった。ただ、音を聞くほどに全てを壊したくなる衝動がこの身を襲った。
「抑止力の力くらいしか取り柄のない、つまらないモノだと思っていたけれど。コレは思ったよりも面白いワネ!」
狂犬ってこう言うモノ? と面白がった表情が目の前に見えた気がした。止まらない“何か”がその笑顔を剥ぎ取ろうとナツグの腕を動かした。しかし、腕は空を切った。ナツグの希薄な意志を無視して這い出したその感覚は、守護者としての義務感では無かった。
「白昼夢。イエ、夜だからただの夢ですネ! それもここで終わりデス。さて……」
意識が消えていくその瞬間、角を生やした金髪碧眼の女の嗤う顔が逆さまに見えた気がした。
「アナタにはまだ、何が残っているの?」
目の前が静かな深夜の公園であると認識するまでに、酷く長い時間を要した。
自分が今の今まで立っていたのか寝ていたのかも、足が地に着いていることを歪んだ視界の中で見つけるまで定かでは無かった。その曖昧な感覚は召喚されたときに似ていると思った。
「那次……! 大丈夫……!?」
後ろからユウの声が聞こえる、必死なその声に口の端がぴくりと震えた気がした。勝手な反応に、誰かに体を乗っ取られているような気がして心地が悪かった。
「那次、しっかり! ……! 血が……」
足元にあったぼやけた視界を、少し手前に持ってくる。丁度、心臓がある左胸が真紅に染まっている。血が飛び散っているらしく、胸だけでなく、腕や足にまで鮮やかな赤が広がっていた。
「呼んでも、返事をしてくれなくなって……一体、何が……」
言葉が止まったと思えばユウが肩を掴んできて、さっきよりも大きな声で言う。その声だけがやけにはっきりと聞こえた。
「那次……! 返事をして!」
ぼやけた視界に赤以外の色が見えて、ユウがこちらの顔を覗き込んでいるのだとわかった。それに気づいた瞬間、風穴を開けられたらしい胸に何か入ってくるような気がした。穴が塞がっていくような。
「聞こえてる。なんともない」
丈夫で悪運が強いのは、元からなんだから。心配なんて必要ないのに。……元から?
また。今度は意識が乗っ取られたような心地になって気味が悪かった。
瞬きをすると、漸く視界が確かになった。輪郭だけだったユウが、はっきり見えて。彼は口を浅く開けて、呆けた顔をしていた。
「何……」
「……涙が、」
目尻から頬にかけてをそっと触れられて。そこでようやっと、視界が悪い原因に思い至った。何故か自分の目からは、人間みたいに涙が出ていたらしい。少し間を置いて、“人間みたい”なんて馬鹿な表現をしたな、と自分でも思った。
軽い羽のようなユウの手に触れられ、空になった胸にまた何かが詰め込まれていく。
ユウは苦しいのか、笑っているのか。よく分からない顔でこちらを見た。
「……ごめん」
「何に謝ってるんだ」
ユウは体を抱きしめてきた。血がついてしまうからと離れようとしたが、そうすれば余計にきつく抱き寄せられた。耳元で、柔らかな声がする。
「君がやっと見せてくれたものだから。例えそれが悲しみだったとしても。苦しみだったとしても」
嬉しかった。そう言って見せてきた顔は、晴れた空のようで。
湧き出した“何か”が息をし始めても、ナツグはまだ気づくことは無かった。例え目の前のユウの微笑みに、意識の根幹を揺さぶられたような気がしても。
今は、まだ。
Fate/defective [×××]:05