*星空文庫

電脳シャンゼリゼ

一色亜月 作

公園にでかけた。


公園には老人がゴザを広げて小さな椅子に座っている。私と同じ、絵の道具を持っていてすでに描きあがった絵を盾のように幾つも自分の前に並べ囲ってはそれを売っていた。お客はまばらで時々腕組みをして顎を擦りながら吟味する人、眼鏡をかけ直す人、描いている老人を眺める人、臭いを嗅ぐ犬、いろいろだ。
私はといえば、少し離れた所に座って老人と同じように絵を描きだした。たいした道具はないけれど、知識や技術などない私がのんびり自由に描くだけなら何も不便はなかった。


私が蝶の絵を描いて飛び立った蝶の残像を思い出しながらじっとしてくれている花の色を入れていると、老人の周りに集まっていた人がついでに寄り道をするようにふらふらと私の絵も覗きにきてくれた。
視界の外から感じる視線は気分の悪いものではない。私の手元はいつもより調子が空回りで心なしかよく見せようとした緊張が違う自分を演じていた。集中がそれた、描きかけた筆の、ギリギリに沿うところで指を止めて男の声が尋ねた。
『この絵はいくらですか?』
急に現れた毛深く野太い指に凍りつく。顔を挙げられなかったのは、驕った隙をからかわれたと思ったからだ。私は唇を噛みしめながらうわずった声で男に返した。
『描きかけなのでいくらでもありませんし、私は絵描きではありません。』
『それはとても残念です。』
社交辞令をふるまうから冷やかしではなく新手の詐欺かな?と警戒していると『私は画商をやっている者です。』と顔をあげない私の懐に名刺をねじ込んできた。
『おっと、失礼。女性でしたか。』
背中に悪寒が走り乳房に痛みを感じた。
男は何に謝ったのか?触れたことか?性別を間違えたことか?確かに鷲掴みされたのに先に謝られて事故なのか故意なのか整理がつかない。声が笑っている気がしたのは、確信犯のように思ってしまったからで私だけ恥ずかしい意味がわからない。
『イメージで、ずっと男性だと思っていたのです。すみません。』
雑踏は無関心で車道を走る車の音や子どもの泣き声や女のおしゃべりに私の動揺と男の安い謝罪はかき消された。
かたまったまま返事をしないでいると、いつの間にか私の周りにはさっきより人だかりができていて、人だかりの向こうで老人が叫んだ。
『盗まれた!』
人だかりは一斉に老人を振り返る。
『オレの絵を盗まれた!』
老人はどういうわけか私を指さして怒鳴る。正解が後付けでいい正論に促されて虚勢が惹きつけるアナウンスに思考をなすがままベットした人々がまた老人の方へ流れていく。
『なにが画商だ!笑わせんな!』
喧騒に流れる音波は人の耳に強引に流れ込む静寂になってたくさんの目をひきつけた。
人だかりを背負い自分の絵を高々に挙げて、罵る。
同じ場所で同じモノを見ていたからたまたま少し似てしまったのか?けれども私は老人のようにあんなにたくさんの立派な絵は描けない。
『すみません。真似をしたわけではなくて、たまたまなのです。』
帽子を脱いでもじもじしながら困っていると、『お前は何を言っているのだ!?』とまた老人は怒鳴った。
『お前の下手くそな絵のことなんかどうでもいい!蝶がいないのだ!』
描きかけだった蝶は私の絵の中にはまだいないはずだった。老人は何を盗まれたのか?何を怒っているのか?そもそも私に怒っているのか?ますます混乱する私は、視線を落とし正面すら見れずに自分の絵を握りしめた。
そばで見ていた群衆と群衆を見つけて集まった人々が憶測をたてる。群衆の後ろの方では私の形すら知らないだろう。けれど、その表情は見えないままに言葉は飛び交う。
見られて興奮する電気的信号が冷たい感触のいたたまれなさ一色に染まったとき群衆の声は喚く老人の和音のようになってしまったけれど、音が案外ひとつだけだと気づけたときさっきの蝶が足元のクローバーにとまった。


握りしめた手の汗で絵の具が溶けた。溶けた絵の具を拭おうと指で擦ると、ぼけた水色が羽をひろげた蝶のようだった。指はさっきの蝶を記憶していた。ありふれた言葉と指と頭と世界は強い魂にだけ応える。いつの間にか落ちた陽で群衆は長く伸びた影になり老人も画商も飲み込んで見分けがつかなくなった。生きているように見えた蝶は、そこにあるどの絵でもなく、その羽の色がよく映える本物の緑を選んだのだから私はまた、ここにこようと思う。

『電脳シャンゼリゼ』

『電脳シャンゼリゼ』 一色亜月 作

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2018-07-12
Copyrighted

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